2015年5月 1日 (金)

「ワイルド・スピード SKY MISSION」 ポール・ウォーカーを悼む

アクション映画で、ほぼ同じようなキャストでシリーズが7作も続く作品は珍しい。
そしてまたこの手の映画は繰り返すごとにトーンダウンしていくものだが、新作ができるたびにその勢いがアップしていく作品もまた稀だと思う。
前作の「EURO MISSION」もかなり楽しめたのだが、本作もカーアクション、またカーアクションという感じでアクションシーンがてんこ盛り。
サービス精神旺盛の作品に仕上がっている。
車のスカイダイビングというのもなかなかのアイデアだし、ラストのロスでのカーチェイス(ターゲットのなっている人物を車で受け渡しながらのアクション)も見応えがあった。
ジェームズ・ワン監督のアクションシーンのカットもセンスがよく(スローモーションの使い方、小型カメラを使った撮影など)、臨場感とテンポがあったと思う。
また本作のカーチェイスというのは、その車を操るキャラクターの性格も反映されたものとなっていて、それはやはりシリーズを重ねた作品であるからだろう。
ドミニクの運転は豪快で大胆。
ブライアンのドライビングは切れ味がシャープ。
そのほかのキャラクター、レティやローガンなどのドライビングもそれぞれの性格が表れている。
これはすなわちただカーアクションを見せる映画ではなく、キャラクターのドラマを見せる作品となっているからだと思う。
ここ最近のこのシリーズは、仲間や家族の絆というのが大きなテーマとなっていた。
本作もその流れを汲んでいる。
なにしろ今回の敵となるデッカード・ショウは前作の敵オーウェン・ショウの兄という設定であり、彼は弟の復讐のためにドミニクたちを付け狙う。
敵も味方も家族のために戦っているのだ。
本作はドミニク、ブライアンらとデッカードの戦いは追われる側と追う側の立場がしばしば変わるところがスリリングで、かつそこに傭兵たちも絡んでくるから、見ていて飽きることがない。
またデッカードのターミネーターばりのしつこさと、タフさが緊張感を高めてくれる。
脚本においてもサービス精神旺盛な作品であったと思う。
キャスティングもこのシリーズはどんどん豪華になっていく。
前作のラストで登場したジェイソン・ステイサムに驚いたが(ほかのアクション映画では主役を張れるくらいなのに)、さらにはカート・ラッセルは出てくるわ、「マッハ!!!!!!!!」のトニー・ジャーは出てくるわ、いやいや豪勢でした。
カート・ラッセルはまたこのシリーズに出てくる感じがしますね。
どんどん進化発展していくのが「ワイルド・スピード」シリーズなのだ。

だからこそ、このシリーズを見続けてきた者としてはポール・ウォーカーの死が残念でならない。
彼は撮影中にプライベートで交通事故で亡くなった。
一時は本作の完成も危ぶまれたそうだが、スタッフも出演者も止めてはならないと思ったのではないのだろうか。
メインキャストの死というアクシデントなどがあった場合、作品中でも亡くなる設定にしてしまいがちだが、本作はそうではなかった。
ポール・ウォーカー演じるブライアンは幸せな家庭という新しい場所を見つけた。
それをドミニクはそれを良きことと思い、二人の生き方は別れていく。
ラストシーンでは並走して走る二人の車が分かれ道から次第に各々の行く道を進むようになり、やがてブライアンのスープラを追ったカメラは青い空に向かっていく。
ブライアン、そしてポールの幸せとめい福を祈ったスタッフとキャストの気持ちがとても表れたシーンであったと思う。

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2014年4月20日 (日)

「ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!」 バカをやる自由

「ショーン・オブ・ザ・デッド」「ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!」のエドガー・ライト監督×サイモン・ペッグ×ニック・フロストの最新作観てきました。
前の二作(+「宇宙人ポール」も)もかなり笑わせてもらって大好きな作品なのですが、本作も同じく大好きです!
主人公のキングは40歳を過ぎた今となっても、その精神は悪ガキだったころのまんま。
いっしょにつるんでいた仲間たちは今では至極全うな普通の生活を送っています。
キングはふと思い立ち、学校卒業の日にやろうとして果たせなかった「地元のパブを12件はしご酒で制覇」という一大事業(?)を達成しようと友人たちを誘い出します。
相変わらず強引なキングに辟易としながらも、集まったかつての仲間たち。
12件目のパブ「ワールズ・エンド」を目指して彼らの偉大なる(?)旅が始まります。
先にあげた作品と同様、本作もエドガー・ライトやサイモン・ペックが好きであろう過去の映画へのオマージュに溢れています。
「ショーン・オブ・ザ・デッド」はロメロの「ゾンビ」等のゾンビ映画、「ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!」は「ハートブルー」や「バッドボーイズ」等のアクション映画へのオマージュでしたが、本作はSF作品、中でも「光る眼」等の異星人が人知れずに侵略しているというパターンの作品へのオマージュですね。
相変わらず微妙にマイナーなところを狙ってくるところがなかなかいいです。
そしてそういった映画への愛が感じられるのが、彼らの作品が好きなところです。
映画ファンならわかりますよね。
エドガー・ライトとサイモン・ペックの笑いのツボは、個人的にとっても合っているらしく、観ていて爆笑してしまうところがいくつもありました。
やっぱ、いいですねー。

と笑っていい気分になって帰ったのですが、レビューをしようと考えていると意外とこの作品、深いところもありそうです。
主人公キングはいい年をしてほんとうに子供っぽい。
大人になって常識的になっている悪友たちからみても、ちゃんと考えろと言いたくなるくらい(特にサイモン・ペックと名コンビであるニック・フロストが演じるアンディは口うるさく言う)。
物語が進むにつれて明らかになってくるのは異星生命体の存在。
銀河系には銀河連合的なものがあり、そこに加われるように地球人を教育しようとしているのだということ。
彼らから見れば地球人は幼くて野蛮。
地球人が成長するために導いていこうとしているのだ(あくまで彼らの言い分ですが)。
これは今までもSF作品(小説や映画)ででもしばしば見受けられたテーマです。
「2001年宇宙の旅」や「幼年期の終わり」などの名作SF映画や小説は、人間がやがて一つ上のレベルの生命体として「大人になっていく」ステップを描いています。
「大人になれ」っていうのは、青年期によく言われることではあります。
大概それは正しくて自分が大人になってからそれを実感するものではありますが、子供の頃は「うるさいなー」と思うのは誰しも同じではないでしょうか。
「バカができる」のは今だけじゃないか、と。
それを宇宙レベルで言ってしまったのが、キングだったのは(彼はその自覚がないかと思うけど)。
彼は異星生命体と話をし、地球人を教育するために一連の「入れ替え」を行っているという説明を受けますが、彼は「バカをやる自由がほしい」と言います。
まさに我々が子供の頃に大人たちに「大人になれ」と言われて「うるさいなー」と言うのと同じ反応。
「なんで大人にならなきゃいけないわけ?」って感じですよね。
それが地球を滅ぼしちゃったとも言えるわけでもあるのですが、キングだけはイキイキとそのような世界を生きているってのが皮肉でもあります。

とはいえ、劇中にキングとその仲間たちのビールの飲みっぷりはほんとにうまそうでしたね〜。
さすがパブの国。
影響されて、映画の帰りにビールを飲んだのは言うまでもありません。

「ショーン・オブ・ザ・デッド」のレビューはこちら→
「ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!」のレビューはこちら→

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2014年3月23日 (日)

「ワン チャンス」 信頼が自信を支える

ダメだしをされるのは本当に恐い。
それが自分が好きなことに関してのことだったら、なおさら。
自分自身が否定されるような恐さ。
ダメだしされたくない、傷つきたくない、だから挑戦したくない。
そういう気持ちに共感できる人は少なくないのではないでしょうか。
主人公ポールは歌うことが大好きで、彼の夢はオペラ歌手になること。
彼は才能はあるのですが、自信がなく、歌手になる夢は持ちつつも、携帯電話の販売員をやっています。
こうなってみたいな、こういうことをやりたいなと思いつつも、日常の生活をなんとなく続けている。
しかし、その彼をひとつの出会いが変えます。
それはその後、彼の妻となるジュルズとの出会いです。
彼女は彼の才能を彼以上に信じています。
ジュルズが無条件にポールの才能を信じてくれるからこそ、彼はチャンスをつかむために一歩踏み出します。
そのチャンスは何度となく打ち砕かれ、彼は傷つき、自分自身に失望します。
けれどその彼をまた立ち上がらせるのはジュルズの揺るぎない信頼なのですね。
彼の才能を信じてくれているのはジュルズだけでなく、彼の上司であったブラドン、母親の イヴォンヌもそうです。
ポール自身は自分に対し自信をもてない男ですが、ジュルズたちが彼の才能を信じてくれるからこそ前に踏み出す勇気をもらえるのです。
タイトルは「ワン チャンス」なのですが、ポールにはいくつかのチャンスがきます。
しかし彼はその度毎に挫折してしまう。
それでももう一度チャレンジしよう、チャンスにかけようと思う力は周囲の人の信頼によるものなのですよね。
スポーツ選手などでもインタビューで「周囲の人のサポートがあったから」と答えることがありますよね。
それはほんとにそうなんだろうなと。
人が信頼してくれる。
そのことが、崩れそうな頼りない自信を支えてくれるんですね。

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2013年8月11日 (日)

「ワールド・ウォー Z」 ゾンビ映画というよりはディザスター映画

「Z」は「Zombie(ゾンビ)」の「Z」。
ゾンビは以前はノロノロと歩いて襲ってくるというのが定番でしたが、最近のゾンビは高速で移動することが多いですよね。
高速で移動というより、猛ダッシュって感じです。
また最近のゾンビ映画では、ある日ゾンビが世界中に広がり全世界が滅びを迎えようとしているという設定も多くみられます。
ただこれらの多くの作品では世界が滅びようとしていても、描かれるところは主人公のその周囲だったりしました。
本作「ワールド・ウォー Z」はゾンビによって滅びようとしている世界を、ワールドワイドにスケール感たっぷりに描いた作品です。
とはいえここまでくるとゾンビ映画というよりは、ディザスター映画のジャンルに入るような印象を受けました。
本作はよくよく考えてみるとゾンビ映画的な要素は思いのほか少ないのですね。
ゾンビ映画の怖さというのは、ゾンビに襲われることの怖さはもちろんですが、自分たちもそれらの仲間になってしまうかもしれないという恐怖も重要であるような気がします。
自分が自分でないものに変質してしまう恐怖と言いましょうか。
死ぬということの恐怖と、変質してしまうことへの恐怖。
この二重の怖さがゾンビ映画の怖さじゃないかなと思います。
変質することへの恐怖の要素がないと、モンスター・パニック映画になってしまう気がします。
本作は変質することへの怖さが薄い印象を受けました。
わらわらと次から次へと襲いかかってくるゾンビは怖いことは怖いのですが、それはゾンビ的な怖さというよりは「エイリアン2」のエイリアンだったり、「スターシップ・トゥルーパーズ」のバグに襲われるときの恐怖なのですよね。
また本作ではゾンビの原因はウィルス的なものによるとされていて、感染により世界中にゾンビが蔓延していく様はゾンビ映画というよりはパンデミック映画の印象が強いです。
パンデミックものは「見えない敵」との戦いですが、本作はパンデミック的な話でありながら人類の敵はゾンビという形をとって見える化しています。
この可視化により観る側に、人類が戦う敵がどのようなものなのかビジュアル的にわかりやすくなります。
エルサレムの壁にゾンビたちが幾重にも重なり突破しようとするビジュアルは、ウィルスが人類を襲おうとしている様子をビジュアライズしたものと言えます。
つまり本作のゾンビは、今までのゾンビ映画のゾンビというよりは、パンデミック映画のウィルスのメタファのようなものといったほうがいいかもしれません。
なのでゾンビ映画を観に行くと思って観に行くと、「ちょっと違う」という印象を持つ可能性があります。
本作はパンデミック映画、ディザスター映画として観るのがいいかもしれません。
あと予告で「世界か、家族か」みたいなことを言っていたので、主人公がどちらを選択するかといった葛藤が描かれるのかと思っていたのですが、このあたりは薄かったですね。
主人公ジェリーは、冒頭ゾンビと邂逅し、戦いの中でゾンビの血液が口に入れてしまいます。
彼は感染するかもしれないと思い、ビルの屋上でゾンビ化したら家族を襲う前に自ら飛び降りようするのです。
このシーンの描写は余計な説明がなく、行動だけでジェリーのものの考え方というのを伝えるいい場面だと思いました。
ただこの場面以降、ジェリーのキャラクターの内面に深く入っていくところはあまりなかったんですよね。
個人的には取り上げた場面のようなジェリーの人物描写(予告で言っていたような世界か家族かといった葛藤)をもう少し深くやったほうがドラマとして深みが出たのではないかと感じました。
人物描写がそれほど深くなかったため、本作は全体的にスケール感はあるのですけれど、数多あるB級ディザスター映画と大きな違いを持てなかったというのが正直な感想です。

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2013年7月13日 (土)

「ワイルド・スピード EURO MISSION」 チームとファミリー

熱気がむんむん、湿気がじめじめの不快指数が100%な今日は、やはり派手なエンターテイメント映画でスッキリとがいいなということで、「ワイルド・スピード EURO MISSION」に行ってきました。
このシリーズ、なんだかんだと言いつつ好きで、毎回観に行っちゃうんですよね。
前作の「MEGA MAX」は個人的にはそれほどツボではなかったのですけれど、本作はかなり楽しめました。
ここまで突き抜けているとかえって心地よく、何にも考えずに楽しめます。
もともとはややマイナーな感じもあるカーアクション映画でしたが、もうここまでくると立派なアクション大作です。
予告でも出ていた飛行場にシークエンスは登場人物が入れ乱れ生身のアクション+カーアクションのてんこ盛りでハイテンションになりました。
「いやいや、車で飛行機は止められないでしょ」とか、「滑走路、もうそろそろ途切れるだろ」とか、ツッコミを入れたくもなりますが、そんなこと言わせない勢いがありました。
戦車も出てきましたが、ここも「車で戦車は止められんだろ」と思ったら見事に止めてましたね〜、カンシン。
前回の映画でカーアクションが少ないと文句を言いましたが、本作はそんな感じはなかったですね。
たぶん分量はそれほど多くはないのですけれど、ツボをおさえていた感じがします。
このシリーズお約束のストリートレースシーンもありましたし、今回の敵側とのカーアクションもフリップカーという特殊アイテムで新鮮味がありました。
フリップカーはF1カーのような、バットモービルのような不思議な動きをしていましたね。
いつの間にやら、キャストもなにか大作の雰囲気をまとってきてます。
ヴィン・ディーゼル、ポール・ウォーカーに加え、ドゥエイン・ジョンソンもほぼレギュラーな感じで全編に登場。
うれしいことにミシェル・ロドリゲスも復活しました。
敵役はルーク・エヴァンスですし。
そしてラストにまさかのあの人が登場するし・・・。
なんかハゲだらけになってきましたが・・・。
シリーズもこれからどんどんバージョンアップしそうですね。

本作はお約束を守りつつも、マンネリにならないようにいろいろと工夫をしているなと思うところがあります。
舞台をアメリカ大陸から、ヨーロッパに映したのもそう。
走る場所の風景が違うと、同じストリートレースでも雰囲気が変わりますよね。
あとは今回はレトロなアメリカンマッスルカーがアクションの中心になります。
これが登場する設定もなかなか工夫しています。
敵方が使うのが、チップ爆弾というもの。
これは車のコンピューターを狂わせる代物のようです。
現代の車は制御系にはかなりコンピューターが使われています。
このコンピューターが狂うと車の運転ができなくなってしまうんですね。
そこでドムたちがとった大作はマイコンなどを積んでいない昔の車を使うこと。
敵はカスタマイズされたオリジナルカーやハイテク機器を使いますが、それに対してドムやブライアンがとる手法はアナログ的。
実はこれは今回のストーリーのテーマにも関わります。
今回の敵となるショウは、非常にクールで合理的な考え方の持ち主。
犯罪を行うためにチームを組みますが、そのメンバーはあくまでパーツであるという考え方を持っています。
そのメンバーに対して、情のようなものは持たないというのがショウのスタンスです。
しかし、ドムやブライアンたちのチームは幾多の出来事を経て、理屈抜きに信じ合える固い絆を持っています。
彼らは実際に血がつながっているわけではないですが、「ファミリー」なのです。
「ファミリー」の誰かが困難に遭えば、何も言わずに命をかけて救い出そうとする。
ショウの合理性とはまったく違う考え方です。
ドムやブライアンは正義のヒーローではなく、彼らの「ファミリー」を守るために戦っているのですね。
一見派手で荒唐無稽な映画ではありますが、本作は合理的でクールな考え方と、情緒的で熱い考え方が対立するように作られていて、ストーリーとしても奥深い感じがしました。

シリーズの中で、時系列もよくわからなく立ち位置が不明であった三作目の「TOKYO DRIFT」ですが、なるほどこういうふうに納まるんですね。
最初から考えていたようにはまりました。
三作目でドムも東京に来ていましたが、するっていうと次回作はドムたちとあの人が東京で対決って感じになるんでしょうか。
期待しちゃうなぁ。
しかし、このシリーズ、次回作へのひっぱりが半端ない。

前作「ワイルド・スピード MEGA MAX」の記事はこちら→

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2013年5月18日 (土)

「藁の楯 わらのたて」 言い訳

しかし、三池崇史監督の作品というのは、いつもいつも大きな熱量を持っているな、と思います。
サスペンスから恋愛から、時代劇から、なにやらかにやら・・・、ジャンルに囚われず、年に2、3本のハイペースで作品を生み出している。
こんなハイペースで作ると粗製濫造な感じになりそうな心配も出てくるのですが、どの作品も溢れんばかりの熱量を持っています。
その熱は、時には熱く、時には冷たく、そして明るく、暗く、だったりと違ったりするのですが、作品の持っている熱量が高いというのは共通しているように感じます。
本作「藁の楯 わらのたて」も最初から熱量高く、作品にかぶりつくように見入ってしまいました。
ほんとにこの監督は出し惜しみするということがないですよね。

幼女を暴行の上で殺害した凶悪犯、清丸。
彼が殺した子供の祖父である蜷川は彼を殺した者に10億円を支払うという広告を出す。
清丸は九州で出頭し、彼の身柄を送検するためにSP銘苅と白岩がその警護に着いた。
10億円という金に釣られ、清丸の命を狙うのは誰か。
警察官と言えども安心はできない。
そのような状況の中、銘苅と白岩らは無事に清丸を東京に移送できるのか・・・。
清丸はまるで同情の余地がないほどの凶悪犯。
自分が行ったことに対して全く反省の意志はありません。
それどころか、彼の思考回路は虫唾が走るほどに自己中心的です。
ですので観客のほとんどが「いっそ死んでくれたほうがよい」と思うでしょう。
そして本作で清丸の命を狙う人もそう思ったに違いがありません。
しかし、それは彼らが行動を起こした理由のひとつの側面でしかありません。
理由の大きなものはやはり金なのです。
金のために人を殺すというのは正しくないことであるのは自明です。
しかし、蜷川の広告はその正しくないことに、正当であるような「言い訳」をつけてしまったのです。
銘苅がある人物に対して劇中で言うように。
その「言い訳がましさ」が人間の弱さ、そして醜さのようなものを見せつけてくる感じがしました。
三池監督というのはこういうことに対して、彼として良いとか悪いとかいう意見は差し入れないのですよね。
ただそのような人間を熱量を持って描く。
ある種の妥協のなさがこの監督の真骨頂であると思います。

どうせ死刑になるであろう凶悪犯を何故殺してはいけないのか。
それはそうすることにより社会システムが崩壊するからです。
蜷川のように金がある者が何をしてもかまわない(気持ちに同情の余地があっても)という状態は、いずれ弱い者が泣きを見る世の中になります。
だからこそ、法律があるわけでそれを守らなければならないのです。
しかし銘苅はそのようなことだからこそ、命をかけて清丸を守ったわけではないとも思います。
銘苅は心情的には十分に蜷川寄りの要素を持っていました。
しかし、その激情に身を任せたとき、それは自分自身のアイデンティティをも滅ぼしかねないという本能的な危機感があったのではないでしょうか。
清丸を殺したときに自分自身に対して「言い訳」をすることができたとしても、それは生きていく中で自分自身を必ず浸食していくだろうと思います。
彼の命を狙った警官にせよ、看護師にせよ、成功したときは、巨額の金が手に入り浮かれ、または正義を果たしたと胸を張るかもしれません。
しかしそれは自分ではない誰かの命を犠牲にしたものであるということは変わるわけではなく、それはやがて心を蝕むのではないかと思うのです。
そういう恐さを銘苅は感じていたのではないでしょうか。

大沢たかおさん、良いですね。
端正でクールなルックスですが、最近は「終の信託」や「ストロベリーナイト」のような敵役から本作のような役まで幅広く演じています。
クールさの中に熱さがあるような役柄というのが特に似合っています。
本作はまさに適役と言えるでしょう。
あと、清丸を演じていた藤原竜也さん。
この方も端正な顔立ちですが、こういうちょっといっちゃっている役とか、歪んだ役というのが非常に上手い。
松嶋菜々子さんの女SPもよかったな。
キャスティングは非常によいように感じました。

移送中に使用していた新幹線がオレンジ色だったので、西日本ではこういう色のも走っているんだーと思ったら、これは台湾の新幹線なのですね。
さすがに日本ではロケの許しがでなかったのか・・・。

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2013年1月14日 (月)

「私をスキーに連れてって」 とりあえず・・・・

本日の関東は最近には珍しく大雪。
久しぶりに雪が積もっていくのを眺めていたら、とりあえず「私をスキーに連れてって」を観てしまった。
公開した1987年はバブル経済真っ盛り、この映画の公開後スキーブームが巻き起こり、ゲレンデに多くの若者が集まったという現象が起こりました。
その頃は、リフトもスゴく並びましたよね。
今観ると別段優れた作品というわけではないのですが、時代を作ったというか、時代の空気を象徴した作品であることは間違いないでしょう。
公開当時は大学の浪人時代であったので、観たときは何か憧れのようなものはありましたねぇ(というか何故受験の直前なのに映画など観に行っていた?自分)。
試験は無事受かり大学生となった自分ですが、やはりスキーは行きましたよ。
お金が無かったので、新宿の高層ビルあたり(当時は都庁舎もなかったな)から出発する安〜いツアーバスで。
世の中のスキーブームもしばらく続きましたよ。
社会人になって数年くらいは毎年数回は行っていましたね。
今考えると病いのようなくらいに熱心に。
ちょうどスノーボードが流行り始めたくらいに自然と行かなくなりましたが。
久しぶりに本作を観て、なんか懐かしいアイテムも登場していました。
こういう映画でアイテムを登場させ購買意欲を高めるというのは、今ではありふれたマーケティング手法ではありますが、本作はそういうのの走りだったかもしれません。
主人公たちはゲレンデで連絡を取り合うのに無線を使っていましたが、これが当時カッコよく見えてね。
さすがに無線の免許は取らなかったのですが、その代わりにトランシーバーは買ったなぁ。
雪原を疾走するセリカGT-4もカッコよかった。
会社の先輩は憧れてGT-4買ってました(それも白の)。
しかし、今の技術があったらこの映画は成立しないですね。
当時は携帯電話すらなかったし、今だったら無線など使わずケータイで十分。
電話番号をメモで渡すなんてことも今はないですよねぇ。
主人公矢野のオフィスが度々出てきますが、「なんかスッキリしているなぁ」と思ったら、机の上にパソコンがない!
そういえば矢野は「検算」をしないでミスをして上司に怒られてましたっけ。
手計算だったのね、それは間違えるわ・・・。
「とりあえず」のカメラもでかいしね(「使い捨てカメラ」ですらなかった)。
今の若者が観たら、なんて思うでしょうね。
「なんでこんなめんどくさいことしてんの?」みたいな。
ま、これが25年(!)の歳月ってものです。
時代を感じると言えば、竹中直人さんの髪の毛がたくさんあってびっくり。
今の状態がイメージのデフォルトになっていたので、「フサフサしてんなぁ」と。
でも変わらないのが原田知世ちゃん(あえて「ちゃん」と呼ばせてもらいます)。
当時も可愛いなぁと思いましたが、今観ても可愛い。
清純さというか、透明感というか、そういう感じがあるんですよね。
でもって原田知世さんて25年経った今でも同じような可愛らしさがあるんです。
こういう風に可愛らしさをずっと持っている人っていうのも希有だなとは思いますね。

今日のはレビューっていうより思い出話ですな。

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2012年12月23日 (日)

「ONE PIECE FILM Z ワンピースフィルム ゼット」 揺るぎない信念

「ONE PIECE」は2年前までまったくコミックもアニメも見たことはありませんでした。
超売れていて、話題になっているのは知っていましたが、今更手をだすのもという感じでした。
また「少年ジャンプ」の人気漫画をずっと引き延ばしていく「ジャンプ」のスタイルもあまり好きではないというのもありました。
しかし2年前に同僚に無理矢理押し付けられるようにコミックを貸され読み始めたのですが、ものの見事にこれにハマり・・・、結局全巻を大人買いすることに。
連載が15年にも渡り続くってのは人気があることで、それは延命云々というより、やはり作品に力があるのだなあと感心した次第でした。
とはいえ、アニメの方はまったく観ていないので、今回の映画は観に行くかどうかちょっと悩んだんですよね。
コミックを読んでいると自分のイメージありますし、ちょっとイメージと違うとどうかと。
今更長く続くアニメのほうに入れるかなと思ったりしました。
結果的には、観てみたらそれは杞憂であるとわかりました。
キャラクターの声もまったく違和感がなかったですね。
やはり長年このキャラクターをやっている方たちばかりですし、また原作者の尾田栄一郎さんもかなり絡んでいるということから世界観がブレていないということかもしれません。

コミックの「ONE PIECE」の魅力というと、ある種のケレン味のようなところがあります。
原作では擬音でよく「ドン!!」とか「バン!!」とかいうものがでてきたり、けっこう大胆なコマ割りをしていて(コミックを読んでいる人はわかるはず)、押し出しの強いケレン味が出ています。
初期の頃は別にして、1ページあたりの情報量が多く、そしてけっこう誇張した表現が多いのも特徴だと思います。
本作を観て思ったのは、そういったコミックの「ONE PIECE」らしさというのはアニメにとても相性がいいなということです。
コミックではさきほど書いたような誇張表現(かなりパースが効いた画)や大胆なアングルは、アニメでは早いカメラワークやカット割りのようなものでうまく表現をしていたと思います。

お話のほうでの「ONE PIECE」の魅力と言えば、その登場人物たちが自分の信念に基づき、生きているというところが描かれているということでしょうか。
主人公ルフィはその最たるものですが、それ以外のキャラクターもその通り。
麦わらの一味のメンバーがルフィを心の底から信じるというのもそうですよね。
そしてまた敵方に位置するキャラクターもそういった信念を持っている者がコミックでも何人も登場しました。
その心意気同士がぶつかり合ったりするわけですが、そしてルフィは相手のそういうまっすぐさを素直に認め、受け入れるわけですよね。
そして仲間になる者もい、そして敵としても互いに認め合う関係になったりもする。
本作に登場する敵役であるゼットもまさに信念に基づき動く者なわけですね。
ゼットの志は揺るぎなく、そして比類できないほど強い。
彼は海賊を追う海軍の将軍でしたが、あることをきっかけに海軍を離脱し、ネオ海軍と称し独自に海賊を追い立てます。
「正義」を背負う海軍は、やはり様々な思惑がありつつ、その「正義」も素直には実行できない。
その枠からゼットは飛び出したわけです。
対し、海賊であるルフィたちというものはおのれの信念以外には何も縛られるものはありません。
思惑から自由になったゼットとルフィはそれぞれの信念に基づきぶつかり合うのです。
そこには肉体の強さ、心の強さの両方が求められます。
戦い合いますが、二人には信念に基づき行動するという共通点があります。
「ONE PIECE」の魅力というのは、ルフィや本作のゼットに象徴されるような信念を力にする登場人物が描かれていることなのでしょうね。
泣ける話が多いというのもそのせいかもしれません。
テレビのアニメも観てみようかな・・・。
あまりに膨大な量でちょっと躊躇しますが・・・。
チョッパーの「嬉しくないぞ、コノヤロー」が可愛くてちょっと萌え。

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2012年7月 6日 (金)

「ワン・デイ 23年のラブストーリー」 幸せなカップルはいっしょに観ちゃダメ

しっかり者で真面目、けれど自分に自信がもてないエマ。
ちょっとチャラ男なところもありながら、内面は傷つきやすさを持っているデクスター。
この二人が互いに惹かれながらも、すれ違い、そして寄り添ってきた23年の年月を、7/15という「ある日(ワン・デイ)」を切り取って描いたラブストーリーです。
予告を観て「ある日」だけで二人の人生を描くと言うのが、とても新しい試みだと思い、観に行ってきました。

<ここから先はネタバレあり>

あぁ、二人には幸せになってほしかった・・・。
これほどハッピーエンドを願った作品は、今までもあまりなかったです。
2006年の7月15日の問題のシーンで、僕は「あっ!」と声を出してしまいました。
ずっとすれ違っていたエマとデクスターがいっしょになれて、たった2年です。
あまりに早い別れでした。
でも観ていて、これは映画だから、エマはずっと病院で寝ていて、いつか目覚めて、二人は幸せな人生を送れましためでたしめでたしとなるはずだという思いもありました。
そうなってほしいと。
でも、2007年の7/15で荒んだデクスターの姿が描かれ、そしてその後2008年、2009年と7月15日は過ぎていきます。
僕は観ていて、さきほど書いたようにエマの事故のシーンでけっこうショックを受けてしまいました。
けどいつかエマは戻ってくるのではないかという思いも。
エマは死んでいないって。
でもエマは戻ってくることはなく、そして2011年の7/15をむかえ、エンディングに入りました。
それで、ああエマは死んでしまったんだと。
もう戻ってこないのだと受け入れたわけですね。
この2008年から2011年までを観ていたときの、ショック、信じられないという思い、切なさやるせなさ、そして最後には受け入れるということ。
これはまさにデクスターが、エマの死からたどった気持ちと同じなのだろうなと思いました。

エマとデクスターの二人は表面的にはタイプの違う人であったように見えますが、その本質、内面は似ているものを持っていたのだと思います。
二人の内面は自分自身への自信のなさであったのだと思います。
その自信は何か自分の中に欠けているものがあるということではなかったのかと。
その欠けているワンピースは、エマにとってのデクスターであり、デクスターにとってのエマであったのだと思います。
だからこそ二人は惹かれあったのでしょう。
でも、どちらかが相手を強く求めるとき、もう一人はそれに応じられる状況ではなかったりというすれ違いが起こります。
もしかして片方が自分に自信があり、相手を押し切る強さがあれば、もっと二人は早くからいっしょになれていたのかもしれません。
二人はともに相手を大切な人だと思っているから、それを失うのがおそろしかったのであったのかもしれません。
一線を越えてしまったあとに破局があって、それ以降相手がいない人生を選ぶことになるのであったら、ずっと友達のままのほうがいいと知らず知らずのうちに思ったのでしょう。
つき合ってから先にうまくいかないかもしれないと恐れて、つき合い始められないというのは、根本的に二人の自分自身に対する自信のなさがでているのだと思います。
それでも二人が勇気をもって互いに踏み出し、そして幸せな生活を初めて間もなくのあの事故。
運命というのは過酷なものだといっても、これはとても辛い結末でした。
デクスターに感情移入してしまっていたので、けっこう自分自身も観ていてダメージが・・・。
けっこう切ない気分で劇場を出ました。
そのため劇場の中に傘を忘れてきてしまいました(泣)。

この映画、ラブストーリーだからといって、幸せなカップルがいっしょに観に行くことはオススメしませんね。
切なくなるでしょうから。
二人が別々に観に行くといいかもしれません。
お互いの大切さを、再認識できるかもしれないから。

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2011年12月24日 (土)

「ワイルド7」 逸脱する超法規的力

望月三起也さんのマンガ「ワイルド7」の実写化作品です。
世代的には自分よりもちょっと前なので原作マンガは読んだことはなく、それを映像化したテレビドラマが微かに記憶にあるくらい。
なのでオリジナルと比べて云々という感じではなく、フラットに観てきました。
ワイルド7とは超法規的な武装集団で裁判にかけることなく悪人たちを抹殺する組織です。
その構成メンバーはすべて元凶悪犯の男たち。
言わば毒には毒を、悪には悪をということです。
ワイルド7のワイルドは法に縛られぬ野生という意味でのワイルドと、切り札=ワイルドカードの意味合いを持っているのかもしれません。
法では裁けない、また正統な手続きでは追いつけない悪に対して、何かしら鉄槌を下したいという気持ちはあるもので、だからこそ本作や「仕事人」のようにルールに縛られずに悪を倒すという物語は生み出されていくのでしょう。
ただ「ワイルド7」が「仕事人」とは違うのは、その活動が指令に基づくものであるということです。
「仕事人」は悪に泣く市井の人びとの恨みのこもった依頼によって、悪を裁く。
しかし「ワイルド7」は、超法規的組織とはいえ、やはり国家の指令によって動くわけです。
そこに危うさがあるわけです。
悪を悪と指定するのは国家であるわけです。
それならば、そもそも運用する者たちが、悪であったならばどうなるのかと。
本作では公安調査庁の情報機関であるPSUという組織が出てきます。
その組織はありとあらゆる情報を持っており、その組織のトップはすべての個人情報にすらアクセスする権限を持っています。
その権限自体はインテリジェンスな力で、ワイルド7のバイオレンスな力とは真逆ではありますが、これも超法規的なものと言えます。
本作ではPSUのトップである桐生がその超法規的な権限を使い悪事を行うわけです。
超法規的な力、インテリジェンスかバイオレンスかという違いはあるにせよ、その二つは同じようなものです。
緊急時に正しく使われればそれを危機の回避に大きな力を発揮しますが、悪意を持って使われれば逆に大きな災いとなってしまう。
超法規的であるがゆえにその力は世間からは見えないわけで、それだからこそなおさらに危険なわけです。
悪事を行われている側(一般市民)が、その悪事に気づかないとういう状況になるわけですね。
逸脱する超法規的な力というものは怖いということです。

というようなことを考えましたが、アクション映画としてどうかというと・・・。
確かに7人揃ってバイクで出撃するシークエンスはカッコいいし、銃撃戦なども頑張っていたと思います。
しかし、肝心の物語がいまいちだったかな。
やはり倒すべき悪=桐生がちょっとしょぼすぎる。
予告を観ていると警察内部の巨悪という感じでしたが(ま、これもありがちと言えばありがちなんですが)、実際桐生がやっていたことは事件の連絡を遅らせてその間に株の投資を行い儲けるという(言わばインサイダー取引のようなもの)・・・。
これはこれで悪いことなんですけれど、銃乱射して乗り込むほどのものかと。
ま、桐生の性格などが嫌らしい感じなので、観ているときはやっつけちゃえという気持ちにはなるんですけれどね。
また飛葉とユキ、セカイとその娘のドラマもあったのですけれど、それほど深入りする感じもなくて中途半端な感じがしました。
メンバーが一人また一人と倒れていくところももう少し盛り上げがあるかなと思ったらそれほどでもなく、けっこうあっさり。
予告を観ているとみんな死んじゃうのかなと思ったのですが、倒れるけど死んじゃうわけではないんですよね。
最後を観ると(唯一死んだセカイに代わりユキが加わる)、死なないのは次回作を作りたいから、という理由がわかっちゃうのもややさびしい。
次のこと考えないで、まずはこの作品をしっかりと盛り上げて欲しいと思いました。

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