2020年12月28日 (月)

「ワンダーウーマン 1984」 過去の人々の振る舞いというヴィラン

久しぶりに洋画を劇場で見ました。
アメリカでは劇場と同時にオンラインでも公開となった「ワンダーウーマン 1984」ですが、やっぱり劇場で見るのは鑑賞体験として違うと思うのですよね。
さて前作「ワンダーウーマン」はMCUに対抗できず迷走する一連のDC映画の中で転換点となった作品でした。
すなわちユニバースではなく、単品作品で勝負していくという方向に切り替えるきっかけとなったと思います。
近年スーパーヒーローものは多くの作品が作られていますが、女性が主人公のものはほぼありませんでした。
そんな中で「ワンダーウーマン」は非常に画期的であったと思います。
個人的にも評価が高かった作品でしたので、続編である本作には大いに期待していました。
前作は女性主人公でありましたが、ワンダーウーマンの強さが圧倒的である種の爽快感がありました。
男性であるとか、女性であるということではなく、非常に真っ直ぐに正しいことを行おうとするワンダーウーマンがとても魅力的に見えました。
前作ではイノセントであった彼女が、愛を知り、成長していく姿が描かれており、初々しさがありましたが、本作のワンダーウーマンは長い間人間の社会で暮らしてきたということもあり、すっかり成熟した女性となっています。
前作に見られた単純に真っ直ぐなイノセントさはなく、彼女は本作では自分が望む愛と、自分の使命の狭間で気持ちが揺れ動きます。
女性らしい乙女チックな気持ちの揺れではあり、人間的に彼女がなったという見方もできるのですけれども、個人的には前作の真っ直ぐさが彼女の魅力でもあったように思えるので、前作で感じたような爽快感はありません。
女性が見たら、共感することもあるのかもしれないですけれども。
 
今回ワンダーウーマンの敵となるのはマックスという男(演じるのはペドロ・パスカル、マンダロリアンですね!)。
この敵が今までのアメコミ映画に登場してきたヴィランとは少々趣が違います。
彼が行なっているのは人々の願いを叶えることです。
ただし、その願いを叶えることにより人が代償を払わなければならないことは言いません。
代償を払わせるとはいえ、人々の願いを叶えるのであればいいのではないかと思うかもしれませんが、それぞれの欲望は相反することもあり、次第に社会が混乱に陥っていきます。
本作が舞台となっている1984年はロサンゼルスオリンピックが開催した年で、冷戦がピークを迎えていた時代でもあります。
米ソ対立はありましたが、世界的には常に前進しているという幻想を皆が持っていた時代だと思います。
日本もバブル前夜だった頃ですね。
ですので、人々も欲望を持ち、願いを叶えることに貪欲であった時代です。
しかし、その結果、環境破壊や格差拡大などの諸問題が起こる素地となったことも確かです。
皆が欲望を追求した結果が現代の状況です。
本作のヴィランであるマックスですが、彼の存在はすなわちあの頃生きていた人々の欲望全体の象徴とも言えます。
現代過酷な状況を生きる我々にとって過去の彼らの行動がヴィラン的であったとも言えるわけです。
スウェーデンのグレタさんが環境破壊の責任を大人たちにあると言っていますが、それと同様の見方のようにも見えます。
過去の人々の振る舞いが我々の生活にも影響を与え、我々の行動が未来の人々の生活にも関わっていく。
そのようなことを示唆しているようにも見えました。
そのためか、ヴィランとしては少々分かりにくく、これも前作のような爽快感が出ていないことにもつながっている様に思いました。

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2019年8月18日 (日)

「ワイルド・スピード/スーパーコンボ」 ファミリーというDNA

「ワイルド・スピード」シリーズ初のスピンオフ作品。
とは言っても、2作目も3作目もスピンオフ的ではあったのですよね。
だからもしこの作品をシリーズ9作目と言われても全く不思議な感じがしません。
初期3作を受けて4,5,6作目を監督したジャスティン・リンが、サイドストーリーも許容できる懐が深いシリーズ、サーガとして確立したのが大きな功績であると思います。
それでは「ワイルド・スピード」らしさというのは何なのでしょうか?
アクションムービーで長年続いているシリーズは世にいくつかあります。
例えば「007」シリーズであったり、「ミッション・インポッシブル」であったり。
これらのシリーズの「らしさ」を成立させているものの大きな一つとして主人公のキャラクターがあげられると思います。
それがジェームズ・ボンドであり、イーサン・ハントであるわけですが、これらのシリーズは主人公が変わってしまうと成立しないと考えられます。
物語のトーンを具現化しているのが、主人公キャラクターとなっているので、外すことができないのですよね。
それに対して「ワイルド・スピード」シリーズは主人公すら変わっている時があります。
主要キャラクターも出入りがある。
それでも一つのシリーズとして成立しているというのは、かなり珍しいと思います。
それでは主人公キャラクターに変わってシリーズのトーンを作っているのは何なのでしょうか。
それは今までのこのシリーズのレビューでも取り上げてきた「ファミリー」という概念でしょう。
本作の登場人物たちは世界を救うために悪人と戦うというわけではなく、自分にとっての大切な家族を守るために戦っています。
結果的にそれが世界を救うことにつながる。
ファミリーが最も重要な要素だからこそ、主人公が変わっても、あるキャラクターが登場できなくなっても作品のトーンは継続できるというわけです。
本作においてホブスにしてもショウにしても戦うための理由の第一は家族です。
そこは「ワイルド・シリーズ」サーガの一つの作品としては外せない。
外さないからこそ、シリーズの1作として成立しているのです。
ずっとシリーズを牽引していたポール・ウォーカーが不慮の死を迎えた時、その後のこのシリーズがどうなるかを心配した人は多かったと思います。
私もその一人でした。
しかし、このシリーズはますますスケールアップをして続いています。
ファミリーという要素が中心に据えられているからこそ、それができたと思います。
本作では今までのシリーズの中で脇であったキャラクターを主人公にしても成立することを証明しました。
逆に言えば、ファミリーという要素さえしっかりと守っていれば「ワイルド・スピード」シリーズは末永く続けていくことできるかもということなのかもしれません。

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2018年8月 4日 (土)

「ワンダー 君は太陽」 コンプレックスの克服

主人公のオギーは生まれつき顔の形が変形しているという病気で、何度も手術を繰り返し受けていたため、ずっと学校に通ったことがありませんでした。
しかし容体が安定してきたため、彼は初めて学校に通うことになりました。
奇異なものを見る目で見られることへの恐ろしさ、ひとりぼっちになるかもしれないという不安、そんな気持ちを持ちながら、初めておギーは学校に足を踏み入れました。
案の定、当初はクラスメートからいじめを受け、彼は孤独感に苛まれます。
オギーは学校にはいっていませんでしたが、母親からしっかりと家庭学習を受けていたため、見た目以外は他の子供たちと能力は何ら変わりません。
それどころか、サイエンスについては強い関心があり、他の子供たちよりも優秀なくらいです。
どうしても人は他の人を見た目の印象で判断してしまいます。
肌の色や、見た目の年齢、美醜やスタイルなど、そんなことは人間本来の価値ではないはずなのに。
オギーの周りで起こる出来事は、少なからず我々大人たちの世界でも日常的に起こっていることでもあります。
オギーは周囲の態度に憤慨したり、落ち込んだりしながらも、徐々に自分らしさを出していき、周りに認められ、友人ができていきます。
友人となるジャック・ウィルは劇中で「はじめはギョッとしたけれど、そんな見た目はずっといれば慣れてくる」と言っていました。
見た目ではなく、その人の本質が見れてくれば、本当の友人となる人はその本質をこそ好きになるのですよね。
我々も人の本質を見るようにし、また自分の本質を素直に出して行くことを心がけていくべきなのでしょう。
オギーにとってとてもよかったのは、家族の皆がオギーのことを心底愛していて、彼の全てを認めてくれていること、そして先生たちも彼の味方になってくれたことです。
やはりサポートをしてくれる周囲の人々の理解は欠かせないものであると思います。

また本作で良かった点は、オギーの視点だけでなく、姉のヴィア、ヴィアの親友のミランダ、オギーの友人になるジャック・ウィルの視点でも語られていたことです。
オギーの事例はとても極端な例で、ややもすると特殊な状況における感動物語となってしまう可能性もあったかと思います。
けれどもオギー以外の彼らの視点が入ったことにより、本当に普通の子供たちも自分自身が持つコンプレックス(大きい小さいに関わらず)に悩み、周囲とうまくやれないことに苦しんでいることが伝わってきました。
例えば、オギーの姉のヴィアはとても良い子で、弟の特殊な事情のため、親たちの関心が全て彼に注がれることがあってもずっと我慢してきました。
けれどもそこに不満があったわけではありません。
彼女も弟のことを愛していたからです。
しかし「弟が太陽ならば、私は月」と言っていたように、親の自分への関心が少ないことは彼女のコンプレックスではありました。
しかし、高校に入り演劇を始め、その主役を務め上げたことにより、自分らしさに気づき、また両親が自分のこともちゃんと愛してくれていたことに気づきます。
ミランダにしても、ジャック・ウィルにしてもそれぞれがコンプレックスを持っています。
この作品は子供たちがそれぞれのコンプレックスを周囲の力を借りながら、克服していく物語と捉えることができるかと思います。

親として感じたのは、子供たちの良いところをなるべく伸ばせる環境を作り、彼らが感じるコンプレックスを克服できるようにさりげなくそして安心できるようサポートしてあげることが大切だということでした。

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2017年9月24日 (日)

「ワンダーウーマン」 彼女はヒロインではなく、ヒーロー

DC作品については、このブログでは割と辛口の意見になってしまうことが多かったのですが、本作についてはとてもポジティブな意見になります。
この作品の一番の成功は、ワンダーウーマン役にガル・ガドットを当てられたことです。
彼女は「ワイルド・スピードMAX」に出演した時に、その美しさに注目していたのですが、その次の作品以降は出演がなくなり残念に思っていました。
「バットマンVSスーパーマン」で、初めてワンダーウーマン役で彼女は登場しましたが、一目見ただけで役にぴったりとはまっているように感じました(バットマンよりハマりがいい)。
その時は、戦士としての経験も積んでいるクールな印象でしたが、本作のガル・ガドットは様々な表情を見せます。
何も知らない無垢な少女のような表情(かわいい)。
恋を知った優しい表情(抱きしめたくなる)。
色っぽさを感じる大人の女性の表情(色っぽい)。
戦いの中での勇ましい戦士の表情(かっこいい)。
この一人の女性の中にある様々な気持ち、そして女性の魅力が彼女の中にあることが感じられます。
女性のヒーローであることの意味がそこにはあります。
他のDCのキャラクターは仏頂面が多く、作品自体も鬱々としている雰囲気なので、彼女の存在が映画に生命力を与えます。
長身で手足が長いガル・ガドットは、あのワンダーウーマンのコスチューム(ちょっと古臭い)を着ている時も、サイコーにかっこいい。
アクションシーンも非常に良くできていました。
DCっぽいCGの人形が高スピードでドタバタやっているというおもちゃ感は多少はあるものの、ガル・ガドットのアクションをしっかりと見せる撮り方をしているのには好感が持てました。
またワンダーウーマンが最後に彼女が信じるのは「愛」だと明言したところも良かったですね。
多くのヒーローは大義のために戦うことが多いですよね。
人類を救うため、世界を救うため。
しかしその為には少ならからず犠牲を覚悟する。
そのことについてはマーベルでは「アベンジャーズ」シリーズで、DCでは「バットマンVSスーパーマン」で触れられていました。
多くのヒーローはその犠牲をやむをえないものとして考えます。
けれどワンダーウーマンは大義、もしくは人類全体というよりは、生きている個々の人々の命を守ることのために戦っているように感じました。
それぞれの人々が持っている誰かに対する想い、愛。
その愛を守るために彼女は戦う。
バットマンなどDCのヒーローは非常にクールで、世界観もダークなのですが、ワンダーウーマンは暗い世界の中に彼女の存在が光となっているような気がします。
これは彼女が女性であることが大きく、作品を意味付けできていると思います。
ダイアナ=ワンダーウーマンはこの作品で多くの経験をして少女から大人の女性に変わりました。
今後登場するDCのシリーズは大人の女性として描かれるのでしょうが、彼女のコケティッシュな魅力もちょっと出して欲しいなとも期待します。

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2017年5月20日 (土)

「ワイルド・スピード ICE BREAK」 ファミリーという軸

何気にどんどん出演者が豪勢になっていくこのシリーズ。
シリーズが進むにつれてトーンダウンしていくものが多いなか、逆にどんどんパワーアップしていく「ワイルド・スピード」シリーズを出世魚シリーズと言いたい。
今回の敵役はシャーリーズ・セロンで、さらにはヘレン・ミレンも登場。
二人とも主役級の女優だし、豪勢です。
前回敵役のジェイソン・ステイサムもかなり見せどころがありましたし、もしかするとレギュラーになるのかと思う活躍っぷり。
ジェイソン・ステイサム好きなんですよ、実は。
刑務所を脱走する場面とか、飛行機の中のアクションは魅せてくれましたよ、キレキレでカッコいいです。
レギュラーであったポール・ウォーカーの死を乗り越えた前作ではアクション映画でありながらも、ジンと来るものがありました。
とはいえ、主役の一人がいなくなってシリーズを続けられるのかと思いましたが、本作はパワーダウンすることなくテンションアゲアゲでいってしまうところはやはり「ワイルド・スピード」らしい。
今となって車を使う「ミッション・インポッシブル」のようになって世界を股にかけているシリーズとなりましたが、毎回よくいろいろ考えるなと思うくらい、カーアクションもスケールアップしていますね。
次はどんなところに車で行ってしまうのかと期待してしまいます(海とか宇宙とか行っちゃうんじゃないか)。
派手なカーアクションがこのシリーズの見せどころであるのは間違いはないとは思うのですが、ここまで続いているのはシリーズを通してのテーマというか軸がしっかりと出来ているところでしょう。
最初の3作まではそれほど意識はされていなかったと思いますが、4作目以降に次第に強くなってきているのは、「ファミリー」というテーマですね。
これがあるからこそ「ワイルド・スピード」というシリーズは息が長いのでないかと思います。
主人公のドムが口にする「ファミリー」という概念は、ただ血縁があるというだけではなく、心の底から信頼できる仲間を包含しています。
このシリーズでは、すべての作品に出ているキャラクターはいないのではないのでしょうか。
しかし、ドムやブライアンを中心にして本当に信頼できる仲間たちが事あるごとに集まってくる。
それぞれは独立しているけれど、心が繋がっているからこそ、距離が離れていても決して絆は切れない。
だから登場人物が多少出たり出なかったりしても、シリーズとしては「ファミリー」という概念で繋がっている。
これは後付けのテーマかもしれないですが、非常に重要なものとなっています。
今回も前回の敵役であったデッカードとも強い絆をドムは結びました。
前までの敵が仲間になるって、「少年ジャンプ」の漫画かよとも思いますが、いいんです。
男の子はこういうの好きなのですから。
キャラクターを大事にしている感じがありますよね。
本作でもドムが自分の子供にブライアンて名前をつけた時、ホロリときてしまいましたよ。
ここまで続いてきているこのシリーズ、どんどん作っていってほしいと思いますが、実はあと2作らしい。
本作はシリーズ完結の3部作の1作目らしいです。
どんな結末を迎えるのでしょうか。
最後は今までのメンバー全員でてほしい。
期待して待ってます。

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2015年5月 1日 (金)

「ワイルド・スピード SKY MISSION」 ポール・ウォーカーを悼む

アクション映画で、ほぼ同じようなキャストでシリーズが7作も続く作品は珍しい。
そしてまたこの手の映画は繰り返すごとにトーンダウンしていくものだが、新作ができるたびにその勢いがアップしていく作品もまた稀だと思う。
前作の「EURO MISSION」もかなり楽しめたのだが、本作もカーアクション、またカーアクションという感じでアクションシーンがてんこ盛り。
サービス精神旺盛の作品に仕上がっている。
車のスカイダイビングというのもなかなかのアイデアだし、ラストのロスでのカーチェイス(ターゲットのなっている人物を車で受け渡しながらのアクション)も見応えがあった。
ジェームズ・ワン監督のアクションシーンのカットもセンスがよく(スローモーションの使い方、小型カメラを使った撮影など)、臨場感とテンポがあったと思う。
また本作のカーチェイスというのは、その車を操るキャラクターの性格も反映されたものとなっていて、それはやはりシリーズを重ねた作品であるからだろう。
ドミニクの運転は豪快で大胆。
ブライアンのドライビングは切れ味がシャープ。
そのほかのキャラクター、レティやローガンなどのドライビングもそれぞれの性格が表れている。
これはすなわちただカーアクションを見せる映画ではなく、キャラクターのドラマを見せる作品となっているからだと思う。
ここ最近のこのシリーズは、仲間や家族の絆というのが大きなテーマとなっていた。
本作もその流れを汲んでいる。
なにしろ今回の敵となるデッカード・ショウは前作の敵オーウェン・ショウの兄という設定であり、彼は弟の復讐のためにドミニクたちを付け狙う。
敵も味方も家族のために戦っているのだ。
本作はドミニク、ブライアンらとデッカードの戦いは追われる側と追う側の立場がしばしば変わるところがスリリングで、かつそこに傭兵たちも絡んでくるから、見ていて飽きることがない。
またデッカードのターミネーターばりのしつこさと、タフさが緊張感を高めてくれる。
脚本においてもサービス精神旺盛な作品であったと思う。
キャスティングもこのシリーズはどんどん豪華になっていく。
前作のラストで登場したジェイソン・ステイサムに驚いたが(ほかのアクション映画では主役を張れるくらいなのに)、さらにはカート・ラッセルは出てくるわ、「マッハ!!!!!!!!」のトニー・ジャーは出てくるわ、いやいや豪勢でした。
カート・ラッセルはまたこのシリーズに出てくる感じがしますね。
どんどん進化発展していくのが「ワイルド・スピード」シリーズなのだ。

だからこそ、このシリーズを見続けてきた者としてはポール・ウォーカーの死が残念でならない。
彼は撮影中にプライベートで交通事故で亡くなった。
一時は本作の完成も危ぶまれたそうだが、スタッフも出演者も止めてはならないと思ったのではないのだろうか。
メインキャストの死というアクシデントなどがあった場合、作品中でも亡くなる設定にしてしまいがちだが、本作はそうではなかった。
ポール・ウォーカー演じるブライアンは幸せな家庭という新しい場所を見つけた。
それをドミニクはそれを良きことと思い、二人の生き方は別れていく。
ラストシーンでは並走して走る二人の車が分かれ道から次第に各々の行く道を進むようになり、やがてブライアンのスープラを追ったカメラは青い空に向かっていく。
ブライアン、そしてポールの幸せとめい福を祈ったスタッフとキャストの気持ちがとても表れたシーンであったと思う。

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2014年4月20日 (日)

「ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!」 バカをやる自由

「ショーン・オブ・ザ・デッド」「ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!」のエドガー・ライト監督×サイモン・ペッグ×ニック・フロストの最新作観てきました。
前の二作(+「宇宙人ポール」も)もかなり笑わせてもらって大好きな作品なのですが、本作も同じく大好きです!
主人公のキングは40歳を過ぎた今となっても、その精神は悪ガキだったころのまんま。
いっしょにつるんでいた仲間たちは今では至極全うな普通の生活を送っています。
キングはふと思い立ち、学校卒業の日にやろうとして果たせなかった「地元のパブを12件はしご酒で制覇」という一大事業(?)を達成しようと友人たちを誘い出します。
相変わらず強引なキングに辟易としながらも、集まったかつての仲間たち。
12件目のパブ「ワールズ・エンド」を目指して彼らの偉大なる(?)旅が始まります。
先にあげた作品と同様、本作もエドガー・ライトやサイモン・ペックが好きであろう過去の映画へのオマージュに溢れています。
「ショーン・オブ・ザ・デッド」はロメロの「ゾンビ」等のゾンビ映画、「ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!」は「ハートブルー」や「バッドボーイズ」等のアクション映画へのオマージュでしたが、本作はSF作品、中でも「光る眼」等の異星人が人知れずに侵略しているというパターンの作品へのオマージュですね。
相変わらず微妙にマイナーなところを狙ってくるところがなかなかいいです。
そしてそういった映画への愛が感じられるのが、彼らの作品が好きなところです。
映画ファンならわかりますよね。
エドガー・ライトとサイモン・ペックの笑いのツボは、個人的にとっても合っているらしく、観ていて爆笑してしまうところがいくつもありました。
やっぱ、いいですねー。

と笑っていい気分になって帰ったのですが、レビューをしようと考えていると意外とこの作品、深いところもありそうです。
主人公キングはいい年をしてほんとうに子供っぽい。
大人になって常識的になっている悪友たちからみても、ちゃんと考えろと言いたくなるくらい(特にサイモン・ペックと名コンビであるニック・フロストが演じるアンディは口うるさく言う)。
物語が進むにつれて明らかになってくるのは異星生命体の存在。
銀河系には銀河連合的なものがあり、そこに加われるように地球人を教育しようとしているのだということ。
彼らから見れば地球人は幼くて野蛮。
地球人が成長するために導いていこうとしているのだ(あくまで彼らの言い分ですが)。
これは今までもSF作品(小説や映画)ででもしばしば見受けられたテーマです。
「2001年宇宙の旅」や「幼年期の終わり」などの名作SF映画や小説は、人間がやがて一つ上のレベルの生命体として「大人になっていく」ステップを描いています。
「大人になれ」っていうのは、青年期によく言われることではあります。
大概それは正しくて自分が大人になってからそれを実感するものではありますが、子供の頃は「うるさいなー」と思うのは誰しも同じではないでしょうか。
「バカができる」のは今だけじゃないか、と。
それを宇宙レベルで言ってしまったのが、キングだったのは(彼はその自覚がないかと思うけど)。
彼は異星生命体と話をし、地球人を教育するために一連の「入れ替え」を行っているという説明を受けますが、彼は「バカをやる自由がほしい」と言います。
まさに我々が子供の頃に大人たちに「大人になれ」と言われて「うるさいなー」と言うのと同じ反応。
「なんで大人にならなきゃいけないわけ?」って感じですよね。
それが地球を滅ぼしちゃったとも言えるわけでもあるのですが、キングだけはイキイキとそのような世界を生きているってのが皮肉でもあります。

とはいえ、劇中にキングとその仲間たちのビールの飲みっぷりはほんとにうまそうでしたね〜。
さすがパブの国。
影響されて、映画の帰りにビールを飲んだのは言うまでもありません。

「ショーン・オブ・ザ・デッド」のレビューはこちら→
「ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!」のレビューはこちら→

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2014年3月23日 (日)

「ワン チャンス」 信頼が自信を支える

ダメだしをされるのは本当に恐い。
それが自分が好きなことに関してのことだったら、なおさら。
自分自身が否定されるような恐さ。
ダメだしされたくない、傷つきたくない、だから挑戦したくない。
そういう気持ちに共感できる人は少なくないのではないでしょうか。
主人公ポールは歌うことが大好きで、彼の夢はオペラ歌手になること。
彼は才能はあるのですが、自信がなく、歌手になる夢は持ちつつも、携帯電話の販売員をやっています。
こうなってみたいな、こういうことをやりたいなと思いつつも、日常の生活をなんとなく続けている。
しかし、その彼をひとつの出会いが変えます。
それはその後、彼の妻となるジュルズとの出会いです。
彼女は彼の才能を彼以上に信じています。
ジュルズが無条件にポールの才能を信じてくれるからこそ、彼はチャンスをつかむために一歩踏み出します。
そのチャンスは何度となく打ち砕かれ、彼は傷つき、自分自身に失望します。
けれどその彼をまた立ち上がらせるのはジュルズの揺るぎない信頼なのですね。
彼の才能を信じてくれているのはジュルズだけでなく、彼の上司であったブラドン、母親の イヴォンヌもそうです。
ポール自身は自分に対し自信をもてない男ですが、ジュルズたちが彼の才能を信じてくれるからこそ前に踏み出す勇気をもらえるのです。
タイトルは「ワン チャンス」なのですが、ポールにはいくつかのチャンスがきます。
しかし彼はその度毎に挫折してしまう。
それでももう一度チャレンジしよう、チャンスにかけようと思う力は周囲の人の信頼によるものなのですよね。
スポーツ選手などでもインタビューで「周囲の人のサポートがあったから」と答えることがありますよね。
それはほんとにそうなんだろうなと。
人が信頼してくれる。
そのことが、崩れそうな頼りない自信を支えてくれるんですね。

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2013年8月11日 (日)

「ワールド・ウォー Z」 ゾンビ映画というよりはディザスター映画

「Z」は「Zombie(ゾンビ)」の「Z」。
ゾンビは以前はノロノロと歩いて襲ってくるというのが定番でしたが、最近のゾンビは高速で移動することが多いですよね。
高速で移動というより、猛ダッシュって感じです。
また最近のゾンビ映画では、ある日ゾンビが世界中に広がり全世界が滅びを迎えようとしているという設定も多くみられます。
ただこれらの多くの作品では世界が滅びようとしていても、描かれるところは主人公のその周囲だったりしました。
本作「ワールド・ウォー Z」はゾンビによって滅びようとしている世界を、ワールドワイドにスケール感たっぷりに描いた作品です。
とはいえここまでくるとゾンビ映画というよりは、ディザスター映画のジャンルに入るような印象を受けました。
本作はよくよく考えてみるとゾンビ映画的な要素は思いのほか少ないのですね。
ゾンビ映画の怖さというのは、ゾンビに襲われることの怖さはもちろんですが、自分たちもそれらの仲間になってしまうかもしれないという恐怖も重要であるような気がします。
自分が自分でないものに変質してしまう恐怖と言いましょうか。
死ぬということの恐怖と、変質してしまうことへの恐怖。
この二重の怖さがゾンビ映画の怖さじゃないかなと思います。
変質することへの恐怖の要素がないと、モンスター・パニック映画になってしまう気がします。
本作は変質することへの怖さが薄い印象を受けました。
わらわらと次から次へと襲いかかってくるゾンビは怖いことは怖いのですが、それはゾンビ的な怖さというよりは「エイリアン2」のエイリアンだったり、「スターシップ・トゥルーパーズ」のバグに襲われるときの恐怖なのですよね。
また本作ではゾンビの原因はウィルス的なものによるとされていて、感染により世界中にゾンビが蔓延していく様はゾンビ映画というよりはパンデミック映画の印象が強いです。
パンデミックものは「見えない敵」との戦いですが、本作はパンデミック的な話でありながら人類の敵はゾンビという形をとって見える化しています。
この可視化により観る側に、人類が戦う敵がどのようなものなのかビジュアル的にわかりやすくなります。
エルサレムの壁にゾンビたちが幾重にも重なり突破しようとするビジュアルは、ウィルスが人類を襲おうとしている様子をビジュアライズしたものと言えます。
つまり本作のゾンビは、今までのゾンビ映画のゾンビというよりは、パンデミック映画のウィルスのメタファのようなものといったほうがいいかもしれません。
なのでゾンビ映画を観に行くと思って観に行くと、「ちょっと違う」という印象を持つ可能性があります。
本作はパンデミック映画、ディザスター映画として観るのがいいかもしれません。
あと予告で「世界か、家族か」みたいなことを言っていたので、主人公がどちらを選択するかといった葛藤が描かれるのかと思っていたのですが、このあたりは薄かったですね。
主人公ジェリーは、冒頭ゾンビと邂逅し、戦いの中でゾンビの血液が口に入れてしまいます。
彼は感染するかもしれないと思い、ビルの屋上でゾンビ化したら家族を襲う前に自ら飛び降りようするのです。
このシーンの描写は余計な説明がなく、行動だけでジェリーのものの考え方というのを伝えるいい場面だと思いました。
ただこの場面以降、ジェリーのキャラクターの内面に深く入っていくところはあまりなかったんですよね。
個人的には取り上げた場面のようなジェリーの人物描写(予告で言っていたような世界か家族かといった葛藤)をもう少し深くやったほうがドラマとして深みが出たのではないかと感じました。
人物描写がそれほど深くなかったため、本作は全体的にスケール感はあるのですけれど、数多あるB級ディザスター映画と大きな違いを持てなかったというのが正直な感想です。

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2013年7月13日 (土)

「ワイルド・スピード EURO MISSION」 チームとファミリー

熱気がむんむん、湿気がじめじめの不快指数が100%な今日は、やはり派手なエンターテイメント映画でスッキリとがいいなということで、「ワイルド・スピード EURO MISSION」に行ってきました。
このシリーズ、なんだかんだと言いつつ好きで、毎回観に行っちゃうんですよね。
前作の「MEGA MAX」は個人的にはそれほどツボではなかったのですけれど、本作はかなり楽しめました。
ここまで突き抜けているとかえって心地よく、何にも考えずに楽しめます。
もともとはややマイナーな感じもあるカーアクション映画でしたが、もうここまでくると立派なアクション大作です。
予告でも出ていた飛行場にシークエンスは登場人物が入れ乱れ生身のアクション+カーアクションのてんこ盛りでハイテンションになりました。
「いやいや、車で飛行機は止められないでしょ」とか、「滑走路、もうそろそろ途切れるだろ」とか、ツッコミを入れたくもなりますが、そんなこと言わせない勢いがありました。
戦車も出てきましたが、ここも「車で戦車は止められんだろ」と思ったら見事に止めてましたね〜、カンシン。
前回の映画でカーアクションが少ないと文句を言いましたが、本作はそんな感じはなかったですね。
たぶん分量はそれほど多くはないのですけれど、ツボをおさえていた感じがします。
このシリーズお約束のストリートレースシーンもありましたし、今回の敵側とのカーアクションもフリップカーという特殊アイテムで新鮮味がありました。
フリップカーはF1カーのような、バットモービルのような不思議な動きをしていましたね。
いつの間にやら、キャストもなにか大作の雰囲気をまとってきてます。
ヴィン・ディーゼル、ポール・ウォーカーに加え、ドゥエイン・ジョンソンもほぼレギュラーな感じで全編に登場。
うれしいことにミシェル・ロドリゲスも復活しました。
敵役はルーク・エヴァンスですし。
そしてラストにまさかのあの人が登場するし・・・。
なんかハゲだらけになってきましたが・・・。
シリーズもこれからどんどんバージョンアップしそうですね。

本作はお約束を守りつつも、マンネリにならないようにいろいろと工夫をしているなと思うところがあります。
舞台をアメリカ大陸から、ヨーロッパに映したのもそう。
走る場所の風景が違うと、同じストリートレースでも雰囲気が変わりますよね。
あとは今回はレトロなアメリカンマッスルカーがアクションの中心になります。
これが登場する設定もなかなか工夫しています。
敵方が使うのが、チップ爆弾というもの。
これは車のコンピューターを狂わせる代物のようです。
現代の車は制御系にはかなりコンピューターが使われています。
このコンピューターが狂うと車の運転ができなくなってしまうんですね。
そこでドムたちがとった大作はマイコンなどを積んでいない昔の車を使うこと。
敵はカスタマイズされたオリジナルカーやハイテク機器を使いますが、それに対してドムやブライアンがとる手法はアナログ的。
実はこれは今回のストーリーのテーマにも関わります。
今回の敵となるショウは、非常にクールで合理的な考え方の持ち主。
犯罪を行うためにチームを組みますが、そのメンバーはあくまでパーツであるという考え方を持っています。
そのメンバーに対して、情のようなものは持たないというのがショウのスタンスです。
しかし、ドムやブライアンたちのチームは幾多の出来事を経て、理屈抜きに信じ合える固い絆を持っています。
彼らは実際に血がつながっているわけではないですが、「ファミリー」なのです。
「ファミリー」の誰かが困難に遭えば、何も言わずに命をかけて救い出そうとする。
ショウの合理性とはまったく違う考え方です。
ドムやブライアンは正義のヒーローではなく、彼らの「ファミリー」を守るために戦っているのですね。
一見派手で荒唐無稽な映画ではありますが、本作は合理的でクールな考え方と、情緒的で熱い考え方が対立するように作られていて、ストーリーとしても奥深い感じがしました。

シリーズの中で、時系列もよくわからなく立ち位置が不明であった三作目の「TOKYO DRIFT」ですが、なるほどこういうふうに納まるんですね。
最初から考えていたようにはまりました。
三作目でドムも東京に来ていましたが、するっていうと次回作はドムたちとあの人が東京で対決って感じになるんでしょうか。
期待しちゃうなぁ。
しかし、このシリーズ、次回作へのひっぱりが半端ない。

前作「ワイルド・スピード MEGA MAX」の記事はこちら→

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