2017年11月11日 (土)

「マイティ・ソー バトルロイヤル」 思いの外、コミカル

オリジナルの副題は「ラグナロク」。
よくファンタジー系のアニメや小説などでよく出てくるフレーズですが、これは北欧神話の中に登場する言葉で「神々の黄昏」と訳されることが多いです。
北欧神話で語られる物語(オーディンなどが登場する)で、彼ら神々たちの世界の終わる最後の戦いをラグナロクというのです。
本作ではスルトがアスガルドを焼き尽くしますが、北欧神話でもストという巨人がアスガルドを滅ぼすのです。
英語の副題から察するに見る前からアスガルドの終焉が描かれることは想像できました。
そういう意味では重い話かと思いきや、ソーとハルクの掛け合いのあたりとか、ロキのコメディリリーフ的な感じとか、コミカルな部分もいくつかありました。
雰囲気的には「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」の一作目のような印象が近いかもしれません。
個人的にはもう少しシリアスなタッチが好きなので、好みではなかったのですが、マーベル映画は懐が深いということで。
見た作品の印象でいうと「ラグナロク」というよりは「バトルロイヤル」という副題の方がしっくりきます。
なんというか昔の「フラッシュ・ゴードン」(知っている人いるか?のようなノリを感じるのですよね)。
アメコミ的であるといえば、アメコミ的ではあるのですけれど、何か懐かしい感じもします。
今後の展開としてはアスカルドを失った神は今後どうなってい久野かとか、ハルクはバナーに戻れるのかとか、色々気になるところはありますね。
次の「アベンジャーズ」もまた見なくてはいけません。

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2017年7月31日 (月)

「メアリと魔女の花」 科学の暴走

「借りぐらしのアリエッティ」「思い出のマーニー」の米林宏昌監督の最新作です。
スタジオジブリが制作部門を閉じたため、新たに設立されたスタジオポラックという制作会社によって作られています。
米林監督は宮崎監督に認められたアニメーターだけあって、本作品も手描きアニメの味わいが感じられるテイストになっています。
「思い出のマーニー」よりはエキサイティングな印象を持ちました。

「魔法」と「科学」という概念は対立したものと語られることが多いのですよね。
科学は論理的であって未来的、魔法はオカルティックで非論理的であるといったように。
しかし、魔法というものはその現象が起こる理由が「今は」解き明かされていないものであると考えることもできます。
SF作家アーサー・C・クラークの言葉に「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」という言葉があります。
つまり十分な科学に関する知見がなければ、科学も魔法に見えるということとも言えます。
逆に言うと魔法でも科学とは違う論理で体系化できるものとも言えます(魔法の論理がわからない人から見れば、魔法以外のなにものでもないわけですが)。
この物語で描かれている魔法は、我々の科学とは異なる論理で体系化された科学なのですね。
だから魔法使いであるマンブルチューク校長と魔法科学者ドクター・デイが共同で「変身魔法」を研究しているというのも納得できるわけです。
本作品の世界(というよりエンドア学園)において、「魔法」は「科学」であると言えます。
つまりこの物語の中の魔法は我々の科学技術の象徴と言えます。
ラストでピーターにかけられた変身魔法が暴走してしまうときマンブルチューク校長の「溶け出ていってしまう!」といった叫びがあったと思いますが、これは原発のメルトダウンの比喩であると想像できます。
すべての魔法を使うことができる者を生み出す究極の変身魔法は、究極のエネルギーと言われた原子力を象徴しているように思われます。
また動物たちやピーターを使った変身魔法の実験は、遺伝子操作を思わせるようなところもあります。
遺伝子操作についての技術は日々進んでいますが、そのリスクがすべて明らかになっているわけではありません。
科学を進化させ究極を求めるあまり、それによってもたらされるかもしれないリスクに関して、科学者が無関心であることへの警鐘を鳴らしている作品と言えるかもしれません。
「科学技術」の暴走というテーマは、宮崎駿監督の作品でもいくつかで語られる話です(「未来少年コナン」「風の谷のナウシカ」等)。
そういう意味で米林監督はジブリの正当な後継者と考えられますね。
しかし、宮崎さんもまた新作を作るという話が出ているようです。
こちらはこちらで気になりますね、

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2017年6月10日 (土)

「メッセージ」 時間の呪縛

冒頭、主人公ルイーズと娘ハンナのエピソードがフラッシュバックのように描かれる。
生まれたばかりのハンナ。
物心ついた時のハンナ。
反抗期のハンナ。
そして死にゆくハンナ。
そう、ルイーズはハンナの最期を看取るのだ。
この映像が本編を通じて、唐突に差し込まれていく。
これが意味するものは・・・。

娘ができたせいか、冒頭のシーンで泣けてしまった。
自分よりも先に子供が逝ってしまうなんて、考えたくもない。
その時に味わうであろう気持ちなど想像したくもない。
ルイーズの気持ちはいかばかりか・・・。

本作はテッド・チャンのSF小説「あなたの人生の物語」。
タイトルは知っていたが、読んだことはなかった。
本編の中で、人は言語によって思考を形作られるということが語られていた。
人類の話す言語はすべからく、リニア(線形)である。
どの言語も時制について細かな言い方があるが、これは人類が過去があって、現在があって、未来があるという、時の流れを認識することに関係しているかもしれない。
もしノンリニア(非線形)の言語があるとしたら、時間に関する認識は人類とは違うものかもしれない(卵が先か、鶏が先かという議論はあるが)。
本作に登場するエイリアン、ヘプタポッドはノンリニアな言語を話す種族であった。
その言語を学ぶうちにルイーズの認識力に変化が現れていく。
もし、二次元しか認識できない種族(平面で生きる種族)が三次元の世界にいて、我々とコミュニケーションを取ろうとしたらどのようになるのだろうか。
彼らから見たら、高さ方向の認識は我々の時間についての認識に似ているかもしれない。
三次元で暮らす我々にとっては、縦も横も高さも同質のものであるが、彼らにとっては違う。
同じようなことが人類とヘプタポッドにも言えるかもしれない。
ヘプタポッドからすれば時も空間も同質に見えるのかもしれない。
3000年後という時間は、彼らにとっては空間のある地点というのと変わらない認識なのだろう。
ルイーズは彼らの言葉を学ぶことにより、彼らのものの見方というのを習得していく。
それが時をフロー(流れゆくもの)として見るのではなく、過去も現在も未来も同列に見るという見方である。
ある意味、それは未来が見えるということにもなるであろう。

しかし、これが可能であるとういうことは、この世界は決定論的であるということになる。
全てはすでに決まっている。
あるべくしてある。
人間の「人生」(時間が大きな要素になっている)という概念は大きく揺らぐであろう。
時間に呪縛されている人類は、それから解き放たれるのか。

そしてまた最初の話に戻る。
自分の子供が自分よりも先に死んでしまうということがわかっていながらも、子をなそうと考えることができるのであろうか。
ルイーズはそうした。
これは真の意味での決定論を受け入れているということなのだろう。
娘はいずれ死ぬ。
だからこそ彼女といる時間を大切にしたい、彼女と出会いたいということなのだろうか。
彼女は夫イアンと離婚したという。
イアンは完全にはヘプタポッドの言語を理解したわけではないのだろう。
愛し合っていても、世界の見方が異なるルイーズとイアンではやはり決定的に価値観が異なってしまう。
イアンからすれば(というより普通の人間からすれば)、娘の将来は不確定であり、もしルイーズがハンナが死ぬと言ってもなんとかそれを回避することはできるのではないかと考えたいであろう。
しかし、ルイーズは全てを受け入れられる。
決定論の見方を受け入れているから。

ここまで書いてみて、ちょっと思ったこと。
禅などの考え方もヘプタポッドのものの見方に近いかもしれない。
彼らは古代にも地球を訪れ、地球人と接触したのかもしれないとも考えてしまった。

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2017年4月29日 (土)

「無限の住人」 派手ではあるが大味

久しぶりに試写会にて映画を鑑賞。
5月に公開予定の三池崇史監督の「無限の住人」です。
最近、テレビ番組の中でも宣伝してますよねえ。
三池作品ははちゃめちゃな感じがあって好きなのですけれど、最近の作品(「極道大戦争」「テラフォーマーズ」とか)は脱線感がありすぎて、観ている方が置いてきぼりになってしまった印象がありました。
「無限の住民」は不死となった剣士、万次がバッタバッタと敵を切り殺していくチャンバラが見どころの時代劇です。
激しいチャンバラが見どころの三池監督の時代劇と言えば、「十三人の刺客」がありました。
この作品は結構好きで、最後の決戦の長いチャンバラシーンにはカタルシスを覚えました。
「無限の住人」もラストで圧倒的な数の差の敵味方による大剣劇があります。
これはこれで見応えはあるとは思うのですが、観ていて疲れる・・・。
なんでなんだろうと観終わったあと考えたのですが、この作品のチャンバラは迫力はあるのですけれど、大味なのです。
万次は不死なわけなので、切られても死なない。
なので、命をかけた緊迫感が今ひとつ感じにくい。
命をかけた勝負においては、相手の動き方、自分の動き方、ちょっとしたことで命がやりとりされてしまうことがあるでしょう。
だからこそ剣と剣との間にはピリピリとした緊迫感がある。
昔のチャンバラは激しく剣を交わらせるところと、静かに相対するところとがあったように思います。
緩急とでも言いますか、これが緊張感を演出していたように思います。
けれども本作のチャンバラは敵も味方を刀をブンブン振り回しているだけのように見え、派手ではあるのですけれど、緊迫感は感じにくかったです。
本作についてはチャンバラシーンが非常に多い。
それを売りにしているとは思いますし、三池監督なのでサービス精神が満載なのでしょう。
けれども先ほど書いたような大味さがあるので、最後の方にはお腹いっぱいな気分になってきました。
作品全体でも2時間半弱であったと思うので、長尺な上に大味という・・・。
おそらく最初に編集した時は3時間くらいになっていたのではないでしょうか。
ドラマ部分で、ジャンプしているような箇所が散見されたので、かなりカットされているように見受けられました。
そのためにチャンバラパートがさらに比重が高く感じられたような気がします。
サービス精神旺盛で三池監督らしいなと思いつつも、やや大味感に食傷してしまったという印象です。

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2017年3月25日 (土)

「モアナと伝説の海」 社会のためという動機

こちらの作品もディズニーのプリンセスものの系譜に属するものになるのかな。
「プリンセスと魔法のキス」あたりから、つまりはジョン・ラセターがディズニーの作品に絡むようになってから、ディズニーのヒロインの性格は大きく変わってきたと思います。
ヒロインが王子様と結ばれてめでたしめでたしとなるのではなく、彼女たちは自分たちの力で自分の進む道を見つけていくようになってきました。
相手役の男性たちは、彼女たちの行動に引っ張られていく存在になってきました。
これは女性がたくましく自分の意思で行動していくという強さを持ってきている社会を反映しているのかもしれません(男性の草食化も)。
昔のディズニープリンセスはまさにお姫様で、良き夫を得ることが幸せであるという昔の価値観を表していたものかもしれないです。
本作の主人公モアナもまさに自分で自分の生き方を決めていく女性ですし、相手役のマウイも見てくれは強面ながら、やはり彼女に導かれていくわけです。
そういう意味で「モアナと伝説の海」も最近のディズニープリンセスの系譜にあると言えます。
とは言え「アナと雪の女王」ほどのカタルシスを感じられたかというと、それほど強くはなかったように思います。
なんでかなと考えたのですが、「アナ」や「ラプンツェル」はパーソナルな愛情であったり葛藤であったりをテーマの中心においているので、感情移入しやすいということがったのかなと感じました。
「アナ」は二人主人公で、姉妹それぞれの思いのすれ違いであったり、特にエルサの心の中の葛藤が物語をドラマチックにしていました。
「ラプンツェル」は自由や愛などの気持ちもありながらも、それを封じ込めようとする母へ愛情も持っているという葛藤がテーマでありました。
本作についてはモアナ自身の誰かへの感情というものが彼女を動かしているのではありません。
彼女は社会的な責任(世界を救いたいという思い)を果たそうということで、旅に出かけます。
これは今までのディズニーのヒロインにはなかった動機であると思います。
しかし、モアナは自分のため、自分の感情のためというよりも、社会のために行動しているためか、今までのディズニーのような感情移入しやすさはなかったように思います。
ただこれが悪いわけではなく、この作品が掲げているテーマは内に内にと籠っていこうとする社会の流れ(保守的な動き)に対して、新しいことにチャレンジすること、広い世界に目を向けることの大切さを訴えているものであると感じました。
自分のことばかり考えがちな社会の中で、社会のために行動するヒロインは今の時代を反映しているものなのかもしれません。

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2017年3月 3日 (金)

「ミス・ペレグレンと奇妙なこどもたち」 他の人と違うことは弱みではなく、個性

ティム・バートンらしい作品。
彼の作品には、周囲になじめない奇妙な人々が登場することが多い。
「シザーハンズ」しかり「バットマン」シリーズしかり。
これらの作品では、社会になじめない人々は他の人とは何か違うというだけで、社会的に隅に追いやられてしまうことが描かれている。
最近の作品では「ビッグ・アイズ」の主人公マーガレットも社会になじめなかった人とも言える。
ティム・バートンの目線はそのような奇妙な人々に対してのシンパシーに満ちている。
彼は変わっていること自体をおおらかに、その人の個性として尊重して描いている。
透明人間であろうが、空気よりも軽かろうが、すべてを燃やしてしまう力を持っていようが、それはその子の個性であると肯定している。
聞くところによればティム・バートン自身も相当に変わっていた子供だったようなので、それが彼の作風にも表れているのだろう。
トランプ政権後のアメリカ社会、また最近のヨーロッパ等ではマイノリティに対して、以前よりもさらに厳しい態度をとるようになってきている。
日本でもヘイトスピーチを巡る問題が上がってきているが、同様な雰囲気を感じる。
非寛容さが蔓延してきている社会の行く末を想像すると恐ろしくもある。
ティム・バートンの初期作品では異端者・異能者は迫害されたり、搾取されたりした中で、割と悲劇的な方向の結末である印象がある。
それが彼特有のもの悲しさを作品全体にトーンとして与えていたように思うのだが、最近はちょっと変わってきている印象もある。
どのあたりからかとは明確には言えないのだが(「アリス」あたりかと思うが)、異端者・異能者が虐げられる弱者としてではなく、最後には反撃することができる人物に成長していくさまが描かれているように思う。
これは主人公たちが自分自身を認めることができる力を持つことができるようになってきているとも言える。
変わっていることにより迫害され弱者として生き続けるのではなく、自分はこうであると認め、それを周囲にも認めてもらうことができる自立できる人間として描こうというような印象を受けるのだ。
本作でもジェイクは自分自身と子供たちのために、彼らを搾取する人々と戦う。
世の中の雰囲気は非寛容へと触れていて、社会になじめにくい人々はより一層生きにくい社会になってきているわけではあるが、それらに対し、自分自身を主張できる強さは持っていたいというメッセージなのかもしれないと思う。
他の人と違っていることは個性であり、個性は大事な力であるのだろう。

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2017年2月 6日 (月)

「マグニフィセント・セブン」 「七人の侍」の素晴らしさを再確認

「荒野の7人」のリメイク作品です。
監督はアントワーン・フークアなので男っぽい雰囲気に仕上がっていて好感が持てます。
「荒野の7人」自体がそもそも黒澤明監督の「七人の侍」をベースに作っているわけですが、本作を観ると「七人の侍」のプロットがすばらしく優れているということが改めてわかりますね。
無法者に搾取されている村の農民たちが、七人のアウトローを雇い、悪人たちを追い払おうとします。
アウトローたちは農民たちのなけなしの金を受け取り、彼らのために戦いますが、ひとりまた一人と命を落としていきます。
そのおかげで彼らと農民は無法者たちを追い払うことができ、村には平和が訪れます。
これが「七人の侍」のプロットですね。
まず優れているのがアウトローたちがそれぞれに個性的であること。
様々なバックボーンを持った男たちが偶然に集まり、無法を許さず村人たちを守るということのために戦います。
本作においても、若者から壮年まで年齢も幅広く、白人・黒人・東洋人・メキシカン、・ネイティブアメリカンなど人種も様々、南北戦争で南軍に属していた者、北軍にいた者など出自もいろいろです。
バックグラウンドが違う彼らですが、目的のためにいつしか固い絆を作っていきます。
それぞれ戦うことに関してはプロフェッショナルであり、それぞれにリスペクトを持っていくわけです。
七人の男たちが次第に結束を高めていくプロセスによって観る者が共感を高めていけるんですよね。
また決戦において一人またひとりと命を落としていく姿もぐっとくるものがあります。
自分の信じる正義のために戦い、そのために命を落とすというのは、やはり男のロマンのようなところはありますよね。
そういう姿は素直にかっこいいと思ってしまうところはあります。
そして最後には悪は敗れ、平和が訪れるというのも見ている側としてカタルシスを感じます。
七人のメンバーが全員死んでしまうというわけではないというもいい。
あまりに悲劇に寄りすぎても、ハッピーな気分にはなれないので。
こう見るとこの作品を観ていいなと思うところはすべて「七人の侍」のプロットに含まれていることなのですよね。
いかにこのプロットが優れているかどうかがわかります。
「七人の侍」にあってこの作品にないのは、実は農民は子狡く、そしてたくましく生きているということ。
ここに黒澤明は生命力のようなものを重ねていたように思いますが、この感覚は本作にはありません。
アメリカ人にはわかりにくい感覚かもしれないですね。

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2016年6月20日 (月)

「マネーモンスター」 変わっていく関係性と変わらない関係性

意外にもジョディ・フォスターが監督をする映画を見るのは初めて。
思っていたよりも、テンポよくエンターテイメントな作品を撮るのですね。
金融工学の話が最初に色々と出てくるので素人にはちょっととっつきにくい印象がありましたが、そこさえ耐えられれば、ストーリーは先が予想できない展開で楽しめます。
ストーリーの流れが非常によく、上映時間は短いのですが密度が濃い感じがしました。
脚本が非常によくできていると思います。
登場するキャラクターも魅力的で、彼らの関係が物語が進む中で次第に変わっていくところが興味深いですね。
例えば、主人公のリー、そしてテレビ局の立てこもり犯であるカイルの関係です。
銃と爆弾で武装した犯人と人質ですから、利益相反の関係性であるのですが、次第にカイルがなぜ立てこもりをしたのか、そしてその背景にある企みの姿が明らかにつれ、リーはカイルに同情にも似た共感性を持っていきます。
またリーはカイルがデッドマンスイッチ(スイッチから手を離すと爆発する仕掛け)を仕掛けた爆弾ベストを着せられており、その受信機を警察は狙撃しようとします。
その際、リーが重傷を負う可能性あり、それを知ったリーは犯人であるカイルを盾にしようとします。
二人はそのためテレビ局を出たあとも行動を共にするのですが、それもひとつの犯人と人質の共同関係の様なものになります。
関係性が変わっていくキャラクターでいえば、他にもいて、アイビス社の広報担当者ダイアンもそうと言えます。
アイビス社とは、カイルが立てこもる原因となった株の暴落を引き起こした会社ですが、その広報担当者である彼女の立場としては、カイル、そして虚偽の情報をつかまされたリーたちと敵対関係にあるわけです。
しかし、社内で情報をたどっていくうちに、社長が不正を行っている可能性に気付いていきます。
次第にダイアンと、テレビ局プロデューサー、パティの間柄も共闘関係のようになっていきます。
逆に変わらない関係性もあります。
主人公リーと、番組プロデューサーパティの関係です。
リーがあまりに自分勝手に番組を進めるために、降板し別の局にパティは転籍しようとしていました。
しかし、事件発生後、リーとパティは揺るぎない信頼関係で事件をしのいでいきます。
事件のさなかでありながら、常に冷静さを失わず、全体を見通すことができるパティ。
臨機応変に状況の変化に合わせて、場をコントロールすることができるリー。
まったく違うタイプの二人ながら、相手が何を考えているかを察しあうことができる。
まさに阿吽の呼吸ですね。
二人の間にある信頼関係は物語が進んでも変わりません。
変わっていく関係性と変わらない関係性、これがこの作品の見どころであるかなと思います。

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2015年11月 4日 (水)

「マイ・インターン」 理想の会社

久しぶりの洋画の鑑賞になります。
このところ、今まで観た邦画の続編の公開が立て続けにあったので、そちらを優先させてしまいました。
まんまと映画会社やテレビ局の術中にはまっているような気がしますが・・・。

こちらの作品はロバート・デ・ニーロとアン・ハサウェイというキャスティングでセレクト、二人とも実力派なので安心感があります。
予告を観ているとお仕事をテーマにしたハート・ウォーミングな作品のような印象をもったので、仕事で疲れている身にはやさしい感じがしたんですよね。
ちょっとコメディ的な感覚が入っているハート・ウォーミングな作品には、さきほどの二人は適役です。

アン・ハサウェイ演じるジュールスが経営している、ネット販売のスタートアップ会社はシニア・インターン制度を始めました。
そこに応募してきたのが、ロバート・デ・ニーロが演じるベン。
彼は長年勤めあげてきた会社をリタイアし、また妻にも先立たれたやもめです。
ベンはジュールスの直属の部下として配属されました。

ジュールスの会社は、いい会社ですよね。
細かいところはいろいろあるけれど、理想的な会社のように見えます。
社長であるジュールスはお客さんのことを第一にしているし、社員も意見を率直に上に言えそうで組織的にもオープンでフラットなようですよね。
社員も会社の所属意識が高く、会社(社長)の求める理想に共感しているように見えます。
ファンションを扱う会社であり、また社長も女性ということからか、女性の役割期待も高いようですね。
特に感心したのは、シニア・インターンへの若者たちの態度ですね。
シニアの人は彼らの歩んできた社会人としての確かな知恵・スキルを持っているというスタンスで接しています。
若者たちが、自分たちはまだ知らないことがたくさんあるということに自覚的で、それを知っている人たちに教えを乞いたいという文化になっているところが素晴らしいと思いました。
日本だったら、こうはいかないでしょうね。
特に新進のスタートアップ会社であればあるほど。
若者たちはおじさんたちはわかっていない、古臭いとか、ダサいとかいうイメージがあるんじゃないかな。
彼らの知恵やスキルは古いもので顧みる必要はないと感じているのかもしれない。
もちろんシニアの人々も知らないことはたくさんあります。
おじさんたちもそういう知らないことを学ぶということはなく、昔の価値観を若者に押し付けようというきらいがあるかもしれません。
本作のベンは、新しいことを学びたいというスタンスもありますし、自分の価値観(自分の武勇伝自慢等)を押し付けたりはしません。
あくまで自分の今の立場の中で、乞われた場合や、若者たちを陰ながらサポートするという役割を果たしています。
若者も、シニアも、自分たちに足りないものを自覚し、それを持っている人々に対して真摯にオープンな心で接しています。
そういう文化がある会社はすばらしいなと思いました。
結果的にジュールスは外部からCEOを招くことは止め、自分たちでやっていくことを決断しました。
けれど彼女の会社のすばらしい文化を維持していくことができれば、必ず成長していくと思いました。

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2015年8月10日 (月)

「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」 手に汗握る進化

「ミッション:インポッシブル」シリーズもすでに5作目となります。
コンスタントに作り続けられるアクションシリーズはそれほど多くないので、スパイ映画としては「007」に匹敵するシリーズとなってきたと言ってもいいでしょう。
「007」の最近のシリーズはかなりストイックな作りになっていて、かつてのロジャー・ムーアからピアース・プロスナンの頃のような派手さはありません。
これは「ボーン」シリーズなどのリアルなタイプのスパイ映画の影響を受けたと言われていますが、以前に「007」シリーズが収まっていた、派手でエンターテイメントでかっこいいスパイムービーのポジションにすっぽりと「ミッション:インポッシブル」にはまったという感じがします。
これはこれで観客にとってはいいことで、違ったテイストで、しかもレベルの高いスパイムービーをコンスタントに楽しめるのですから。
とはいっても今回の「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」は今までの2作くらいよりは、よりリアル感が強めのテイストであるように感じました。
テクノロジーに頼るというは、イーサン・ハントが己の知恵と肉体で現状を打破していく印象があります。
「ミッション:インポッシブル」シリーズの特徴としては、毎回タイプの違う監督を起用するということがあります。
今まではブライアン・デ・パルマ、ジョン・ウー、J・J・エイブラムス、ブラッド・バードとタイプの異なる個性派の監督が名を連ねています。
今回の「ローグ・ネイション」の監督はクリストファー・マッカリー。
トム・クルーズとは「アウトロー」でも組んでいる方ですね。
「アウトロー」もテクノロジーよりは、知恵と肉体で勝負という感じであり、どちらかというと未来的ではなく、やや懐かしいテイストがあった作品でした。
今回の「ローグ・ネイション」もマッカリー監督らしい雰囲気が出ていると思います。
「ミッション:インポッシブル」シリーズは主演のトム・クルーズが自分自身で多くのアクションシーンを演じているのが売りの一つです。
本作も同様にかなり意欲的にトム・クルーズはアクションにチャレンジでしているのですが、マッカリー監督のテイストは、本人が実際にやっている感というのがよく出るんですよね。
オープニングの飛行機でのシークエンスとか、後半のバイクのチェイスシーンなども本人がやっている感がすごく出ているので、手の汗を握ってしまいます。
本作が持つ、手に汗握る感というのが、また今までの作品と異なる感じが出ててよかったです。
デ・パルマやジョン・ウーは彼らの様式美みたいなのがあって(全然タイプは違いますが)、それにより新しい「ミッション:インポッシブル」を生み出しました。
エイブラムスやブラッド・バードはエンターテイメントとしての仕掛けをいろいろ盛り込む点で優れています。
今回のマッカリーはそういった仕掛けはほどほどにし、肉体感のある「手に汗握る」感じを上手に進化していて、また新しい「ミッション:インポッシブル」像を提示したように感じました。
本作のヒロインはレベッカ・ファーガソン。
知らない女優さんでしたが、綺麗な上に、知的そう。
「アウトロー」のロザムンド・パイクもそういうイメージですよね。
これは監督の好みかな。
アレック・ボールドウィンはCIA長官として登場、そして驚きは最後にはIMF長官に転職。
次回作からレギュラー?
テープの声を吹き込むのはアレック・ボールドウィンになるのかしらん。

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