2019年6月16日 (日)

「名探偵ピカチュウ」 ピカチュウの声がおっさんである意味

いわゆるポケモンブームが巻き起こった時にはすでに社会人となっていたので、ゲームにしてもアニメにしても個人的には全く馴染みがありません。
そもそもゲームボーイは持っていなかったですし。
「ポケモンGO」がリリースされて大ブームになった時に、初めてポケモンたちを知ることとなりました。
つまりは「ポケモンGO」しか知らないわけで、それぞれのポケモンがどんなキャラクターを持っているのやら、「ポケットモンスター」がどのような世界観なのかがわかっていないわけです。
アメリカで「ポケットモンスター」が実写化される時は、多くの日本人が思ったようにまたもやおかしな映画ができるのではないかということでした(「ドラゴンボール」のような)
ただオリジナルをほとんど知らないわけなので、本作にはフラットな態度で臨むことができました。
予告を見た時にわかったのは、どうも本作は通常の「ポケモン」とは異なる物語であるらしいということ。
「ポケットモンスター」の中で最も重要なポケモンと言えば、門外漢でもピカチュウだと答えるでしょう。
私でもピカチュウだけは知っていて、可愛らしく「ピカーッ」と鳴いているイメージでした。
しかし、本作のピカチュウはと言えば、中年のおっさんの声なのです。
正確に言うと、主人公のティムにしかその声は聞こえず、他の人間にはやはり「ピカーッ」としか聞こえません。
そしてそのピカチュウが探偵であり、主人公とペアとなって事件を解決するということです。
どうも聞いたことがある「ポケモン」とはだいぶ違うような気がするとは思いましたが、それほどオリジナルに思い入れはないのでそれがハードルにはなりませんでした。
それよりピカチュウの声をライアン・レイノルズがやっているということで、そのことの方が何かありそうだという予感に繋がり、見てみようと思いました。
 
<ここから先はネタバレあり>
ピカチュウの声をおっさんであるライアン・レイノルズがやっているというのが、想像以上にストーリーにとって大事であることが終盤に明らかになり、そのアイデアにとても感心しました。
事件の黒幕は人間とそのパートナーであるポケモンを一体化することにより、ポケモンの力を人間が手に入れることができるようにし、それによって強制的に人間を進化させようとします。
ピカチュウがおっさんの声であるのは、ティムの父親であるハリーがピカチュウと一体化させられてしまったためであることがわかります。
そのため、ピカチュウの声を聞き取れるのは息子であるティムだけということなのですよね。
ピカチュウが口にしていた「I like that. I like that very well.」という口癖はハリーも口にしていました。
子供向けの映画かと思いきや、意外とストーリー的にもしっかり練られていましたし、映像的にも頑張っていて好感が持てる作品でした。
こんな風に丁寧に実写化してくれるとありがたいですね。

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2019年2月11日 (月)

「マイル22」衝撃のラスト1マイル

<ネタバレがあるので注意してください>
最近はアクション映画といえど長尺の作品が多いですが、本作は1時間半と上映時間がコンパクト。
そのためストーリーの展開はスピーディです。
個人的には余計な説明をそぎ落としていることは評価したいです。
テンポよく見ることができますから。
時間が短いことになっているのはキャラクター造形でしょうか。
登場人物を描く時間が少ないため、どうしてもキャラクターの掘り下げは甘くなり、深みがあるようには描きにくいですよね。
それでも主人公のシルバと彼の同僚のアリスについては、ちょっとしたエピソードを入れることにより、彼らの生き方がうかがい知れるようにしていた努力がうかがえます。
見所の一つはアクションでしょうか。
中盤からラストまでの証人を空港まで運ぶシークエンスでのアクションは見応えがありました。
マーク・ウォールバーグ演じるシルバらはガンアクションがメイン。
そして証人であるリーはフィジカルなアクションです。
リーを演じるのはイコ・ウワイスで、彼は「ザ・レイド」に出演していました。
「ザ・レイド」は未見ですが、シラット(インドネシアの格闘技)をベースにしたアクションがすごいというのは聞いたことがあります。
本作を見る限り、彼のアクションはスピーディでありながら重みもある(痛みもある)で、見ていて興奮しますね。
ぜひどこかで「ザ・レイド」も見てみたいと思います。
特筆すべきはラストの展開です。
これはかなり意外でした。
通常ハリウッドのアクション映画というのは、途中経過はいろいろありますが、最終的には敵となる組織や個人は主人公たちに倒されるという展開になります。
映画なので当たり前ですが、その方が収まりがいい。
しかし、本作は違います。
ラストで主人公が属するチームは彼を残してメンバーが全滅してしまうのです。
最後の最後まで、主人公たちには真の敵の姿を認識することはできず、彼らの本当の目的がわかったのは自分たちが襲撃されたときでした。
敵の目標は「オーバーウォッチ」、テクノロジーを駆使し相手を追跡し、コントロールするアメリカの極秘の戦略チームです。
現在の戦いは前線部隊ではなく、全体を俯瞰することができる「神の目」を持つ部隊が鍵を握っているのです。
その目を壊すことが敵の本当の目的でした。
この作品は現代的な戦争の姿を描いているのです。
そしてまた現代世界での最強の国家であるアメリカの地位も盤石ではないということも描きます。
最強である理由の一つは最新式のテクノロジーですが、それすらもひとりの男の強い意志によって破られることもあり、脆弱だということです。
本作で結果最強のテクノロジーを破ったのは、ひとりの男が自分の犠牲も厭わず挑んだ作戦だったわけです(最初にリーが自分の写真を燃やしているところに彼の強い意志を感じます。彼がどのような人生を背負っているのかは明かされませんでしたが)。
複雑になったシステムは、単純な強いものに脆いということでしょうか。

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2019年1月26日 (土)

「マスカレード・ホテル」疑う刑事と信じるホテルマン

東野圭吾さんのベストセラー「マスカレード・ホテル」の映画化作品です。
原作は未読ですが、最近ほんとに東野さんの映画化作品が多いですよね。
もともとのストーリーが非常に面白い作品が多いので、作る側としても間違いないという安心感があるのでしょうか。
本作はいわゆる「グランド・ホテル形式」でホテルの利用客、スタッフ、そして警察など様々な人物が登場します。
それぞれ有名な俳優さんたちが演じているので、ホテルらしい豪華な雰囲気が醸し出されていました。
また著名な出演者が多いと誰が犯人だかわかりにくいのもいい。
キャストの格が違いすぎると、それだけで犯人が想像できてしまいますもんね。
主人公は刑事新田役に木村拓哉さん、優秀はホテルマン役として長澤まさみさんが当てられています。
木村拓哉さんは、キムタクっぽい演技ではあるのですが、この役にはマッチしていて違和感はありませんでした。
それもそのはずで原作の東野さんは木村さんをイメージしてこのキャラクターを書いていたそう。
今回の作品では刑事がホテルマンに扮するという設定なので、いつもの長髪を切って、七三にしていますが、意外と似合っていると思いました。
たまにはこういうのも新鮮でいいですね。
長澤まさみさんはホテルマン役なのでほとんどが制服姿です。
彼女は背も高くてスタイルもよく、また姿勢もいいので、こういうパリッとした感じはよく似合いますね。
彼女も今回は清潔感ある短髪ですが、これもお似合いです。
最後はドレス姿で登場しますが、制服とは好対照でハッとさせられます。
この二人が中心にストーリーが進展していきますが、人を疑うことが仕事の刑事とお客様を信じることが仕事のホテルマンという対比が物語を牽引していきます。
当初二人は価値観が異なることにより何度となくぶつかりますが、それぞれがその道ではプロフェッショナルであること、そしてそれに強い思いを持っていることがわかり、次第に認め合うようになります。
本作はミステリーですので、事件が進行し、最後はどのように解決していくかという点が見どころであることは間違いないのですが、もう一方で主人公二人が次第に認め合っていく過程も楽しめると思います。
ミステリーの内容の方はネタバレになるので、ここでは書けないのですが、さすが東野さんでよくできています。
誰が犯人で、そして誰が狙われているのか。
特に今回の事件では犯人だけでなく、誰が狙われているのかもわからない。
誰もが犯人であり、ターゲットでもある可能性があるという点でハラハラしますね。
犯人はともかく、ターゲットは意外な人物です。
ぜひ、ご覧になってください。

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2018年10月 1日 (月)

「マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー」 奔放な娘

大ヒットしたミュージカル映画「マンマ・ミーア!」の続編です。
前作が公開されたのがちょうど10年前。
もうそんなに経ってしまったんですね。
始まってちょっとびっくりしたのは前作でメリル・ストリープが演じていたドナが亡くなっているという設定でした。
あれ、予告に出てこなかったっけ?

前作を観たのが10年前だったので、あまり内容を覚えていなかったのですが、女子話で盛り上がっている印象で、そのためかちょっと置いてかれていってしまったような気分だったように思います。
洋楽は全く詳しくないので、ABBAと言われても聞いたことあるなーという感じでしたし。
ですのでミュージカル映画は好きな方なのですが、それほど乗れなかったように記憶しています。
その印象は本作でも同様でした。
本作はドナの遺志を継ぎ娘のソフィアがホテルを改装オープンしようとする現代パートと、ドナが初めて島を訪れてソフィアの3人の「父親」に出会うかこの話を平行に描いています。
前作のドナと友人たちはかなりかしましい感じがありましたが、過去パートで描かれるドナと友人たちも若さもあってか、さらにかしましい。
時代の影響もあるのかもしれないですが、若かりしドナは非常に奔放で自由。
新しいものを見てみたい、自分にふさわしい場所を見つけたいという気持ちで世界をめぐり、ギリシャのある島にたどり着きます。
そこで将来ソフィのパパとなる3人と出会うわけです。
3人がパパ候補ということは、それなりのことはなされているわけで。
ほんと奔放です。
けれどドナは流されるわけではなく、すべて自分の意思と感情に基づいて行動をしています。
誰かのためではなく、自分のため。
それはそれで有意義な人生ですよね。
自分自身が共感できるか、というとそうではないのですけれど。
ですのでキャラクターに共感できて面白かったという印象は持ちませんでした。
これは前作と同様です。
男性と女性では本作の受け止め方は違うのかな。
監督はロブ・パーカーで、私は全く知らない方でした。
ミュージカルは初めてなのかな、ミュージカルパートの演出はいまいちだったような気がします。
ちょっと古臭かったかな。

あと久しぶりにアンディ・ガルシアを観たら、すごいカッコいいおじいさんになっていましたね。
こういう風にカッコよく老けられるといいです。
若い時よりもカッコ良い感じがしました。

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2018年9月29日 (土)

「MEG ザ・モンスター」 意外にも王道アクションスリラー

「ジョーズ」の大ヒット以降、人食いザメと人々の戦いを描くスリラーは数多くありますよね。
なぜ多くのサメ映画が作られているのでしょう?
それはスリラーとして魅力的な設定だからなのだと思います。
魅力的である理由の一つは、戦いのフィールドが人間が住まう陸上ではなく、海ということでしょう。
海では人間は努力をしなくては生き続けることはできません。
当たり前ですが水中では呼吸もできませんし、魚のように自由に動くこともできません。
つまり海は人間にとって完全にアウェイな環境であるということです。
また海上では海中に何がいるか全く人にはわからないということですね。
人間にとって目は、敵を捉えるのに最も有効な感覚器官ですがそれが海では封じられるのです。
海上から海中を見通すことはできないですし、海中に入ったら入ったで暗くて何も見えない。
海中に暮らす生物は、音波であったり、水の動きなどを捉えて、敵を捕捉しますが、人間にはそれはできない。
ソナーで敵を捉えることはできるかもしれませんが、見えない分、かえって恐怖は増してきます。
そして最後にサメというのは、生物史上でも最も凶暴と言われる生き物です。
情け容赦などなく目の前にいる生き物を飲み込んでいく殺戮マシーン。
人間などひとたまりもありません。
生存する上で厳しい場所で、状況もわかりにくい中、そして人間が太刀打ちできない凶暴なモンスターと相対する。
スリラーとしては申し分のない状況設定ですよね。
それがスリラー映画の題材としてサメが取り上げらる理由だと思います。
カンのいい方はわかるかもしれませんが、これまでの話の海を宇宙に変えると、「エイリアン」になるのですよね。
まさにスリラーの王道というわけです。

このように数多くあるサメ映画ですが、そうは言ってもその多くはB級映画。
B級にすら届かないトンデモ作品も多くあります。
本作もそのような類かなと思っていたら、意外や意外結構楽しめました。
さすがにA級とは言いませんが、普通にアクションスリラーとして楽しく観ることができました。
それも基本的には「エイリアン」のような王道のスリラーの構成をとっているからでしょうね。
原作は随分前に読んだことがあり、こちらも面白かったと記憶しています(内容はすっかり忘れていますが)。
エンドロールで初めて知りましたが、監督はベテランのジョン・タートルトープ。
しっかり作ってあるのも納得です。

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2018年9月 8日 (土)

「ミッション:インポッシブル/フォールアウト」 このシリーズの見方

最新作の「ミッション:インポッシブル」の監督は前作「ローグ・ネイション」に引き続きクリストファー・マッカリーが担当です。
「ミッション:インポッシブル」は毎回新しい監督の血を入れて、鮮度を保ってきたので、この判断は意外でした。
「アウトロー」でもトム・クルーズと一緒でしたらから、二人はよほど相性がいいのかもしれません。
調べてみるとクリストファー・マッカリーは「ワルキューレ」「ミッション・インポッシブル/ゴースト・プロトコル」「オール・ユー・ニード・イズ・キル」「ザ・マミー」などトム・クルーズ主演・製作作品の脚本も担当していて、彼の信頼が厚いことがわかります。
「ミッション:インポッシブル」シリーズの最大の見せ所であるところのアクションは前作から引き続き、肉体を駆使したリアリティ感のあるものになっています。
最近のアクション映画はグリーンバックなどでCGを駆使したものも多いですが、本作ではパリでのカーチェイスシーン、ヘリのアクションシーンなどは実景のものが多いです。
やはりこのように撮っているものはCGとは異なりやはり空気が違う感じがして、それが見ている側にも伝わってくると思います。
私はガジェットを駆使するスパイ映画らしいアクションも好きなのですが、本作のようなタイプのものも緊張感があるので、食い入って見てしまいます。
ラストの山でのアクションシークエンスは、ほんとにこれでもかこれでもかと畳み掛けるシーンの連続でした。
鑑賞時には横に外国人の方が座っていたのですが、「オーマイガー!」「ジーザス!」とかずっと言っていましたもん(笑)。
本作はIMF、CIA、ソロモン・レーン、ジョン・ラークなど敵味方が入り乱れて進んでいく意外と複雑な脚本なのですが、途中で誰と誰が組んでいるかといった展開をついていこうとも諦めました。
どちらかというと映画の流れに身を任せて、次から次へとやってくる危機をイーサン・ハントと仲間達がいかにくぐり抜けていくかということを楽しんでいけばいんのですよね。
それが「ミッション:インポッシブル」シリーズの見方なのかもしれません。
本作が今までとちょっと異なるのは、過去の作品に登場したキャラクターたちが何人か出てくることですね。
それもイーサン・ハントに関わりが深い人々が。
そのためシリーズを総括している感がなくもないのですけれども、まだまだ続きますよね。
トム・クルーズが頑張れる限りは続けてもらいたいシリーズです。

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2018年8月10日 (金)

「未来のミライ」 小さいけど大きなの積み重ね

ネットでのレビューはあまり華々しい結果ではないですが、個人的には共感度が高い作品でした。
細田監督の前作「バケモノの子」が公開された時は私には子供がいなかったのですが、現在はイヤイヤ期真っ盛りの2歳児がうちにはいるので、クンちゃんのお母さんとお父さんの奮闘ぶりに思わず「あるある」と頷いてしまったわけです。
クンちゃんのパパが言った「子供って、昨日までできなかったことが、突然できるようになるんだな」というセリフはまさにその通りで、そういう何気ない、けど大きな子供の成長に日々驚いていて、それが子育てのだいご味であると感じている毎日です。
苦労は絶えないのですけれど(クンちゃんのパパのように、ママにいつも怒られています・・・)。
おそらくほとんどの親は子供が成長していく過程で、大変さや驚きや喜びを感じているわけで、そういった方にとって本作は感情移入しやすい作品になっていると思います。
そういう意味でこの作品は今までの細田作品以上にターゲットが絞り込まれている作品で、
共感しやすいのは現役の子育て世代、もしくは子供たちが巣立ってしまった世代ではないかと思います。
今までの細田作品は家族や親子を中心テーマにしつつも、作品としてはスケールの大きなエンターテイメント作品となっています。
「サマーウォーズ」にしても「バケモノの子」にしても、後半は世界を守るための戦いになっていて、エンディングにはカタルシスもあり、単純に誰でも楽しめる作品です。
そのため世代を選ばず、作品も良質であったため、総合的に作品への評価が高かったと考えられます。
それに対して先に書いたように「未来のミライ」のターゲットは今までの作品に比べて狭いので、誰でも同じように共感できる作品ではありません(特に子育ての経験がない方にとってはとても退屈かもしれません)。
本作はタイムリープといったギミックは入っているものの、大きなうねりがある大がかりストーリー展開ではなく、日常的なエピソードの積み重ねが描かれています。
ですので、今までの細田作品のようなカタルシスを期待した方にとっては期待外れに見えるかもしれません。
ただし、ある意味それは挑戦的であると言えるでしょう。
細田監督作品は共通して、監督個人の個人的な経験を元にして、家族をテーマにストーリーを紡いでいます。
彼の個人的経験から感じたことを誰でも楽しめるエンターテイメント作品として仕立て直していたのが今までの作品です。
だからこそエンターテイメントでありながらもエモーショナルな作品になっていたのでしょう。
しかし、本作のテーマは、子供が日々成長していくことへの感動、そしてそれは時代を問わず連綿と人が生きている中で繰り返されているということであると感じます。
ほんとに小さな営みなのですが、そういうミクロで些細な出来事に大きな感動があるということが言いたかったのではないでしょうか。
ですので、あえてあえてカタルシス感のある強いストーリーラインではなく、エピソードを積み重ねていく展開を採用したのではと思いました。
なかなか一般的に受け入れられにくいかもしれませんが、個人的には感じ入るところがたくさんあった作品でした。

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2018年1月27日 (土)

「劇場版 マジンガーZ / INFINITY」 どこまでオリジナルにこだわるのが正解なのか?

初めて「マジンガーZ」がテレビでオンエアされてから45年。
それだけの年月を経て、新作「劇場版 マジンガーZ / INFINITY」が公開されました。
その頃は私は幼児であったので、楽しみに見ていたのを覚えています。
そう言えば、落書きなどでもマジンガーZを描いていましたね。
おそらく今でも描けます(笑)。
劇場に行ったところ、観客のほとんどが40〜50代くらいであったように思います。
やはりノスタルジーですかね。
ということで、期待半分、不安半分というところで観てきました。
期待については、やはり懐かしいマジンガーZがどのような形でアップデートされているかというところで、また逆に不安なところはオリジナルの良さが改変されていないかというところでした。
そういう気持ちで身始めましたが、なんとも微妙な気持ちになりました。
オープニングでいきなり水木一郎アニキの主題歌だったので、嫌が応にも気分は高まります。
作品の世界観もオリジナルを踏襲していました。
様々な設定、キャラクターの衣装や機械獣のデザインなど、今見ると野暮ったいデザインなのですが、それらも基本的には踏襲しています。
通常、昔の作品をリブートするときは、昔のデザインの考え方を踏襲しつつも、モダンにアレンジするというのがよくあるパターンです。
しかし、本作はオリジナルへのリスペクトなのか、かなり頑固にデザインを守っていましたね。
個人的にはそのあたりは違和感を感じたのですよね。
今の視点でそれらを見ると、どう見ても野暮ったくなってしまいます。
それというのも、物語の設定などは今っぽくアップデートされていたりするのですよね。
光子力エネルギーの安全性云々について議論が空転して混乱する様は、原子力の安全性についての議論であったり、国会やまた国連理事会などで議論がまとまらない様子などを想起させ、現代っぽく感じます。
Dr.ヘルについてもただ単に「世界征服」を目指しているのではなく、地球や人間についての好奇心により彼は動いているという設定になっていました。
キャラクターに関しも、ものの考え方自体が大人になってきています(彼らが設定上も歳をとって成長をしているということなのですが)。
そういう現代ぽさがある中で、古臭いデザインがあるというのに、違和感を感じたのですよね。
また変なところで現代風、というより現代のアニメファンに媚びているような箇所もありました。
重要なキャラクターとして位置付けられているリサはいかにも現代のアニメに出てきそうなキャラクターであり(見かけとか設定とか喋り方とか)、それ以外がオールドスタイルな中で異彩を放っていました。
戦闘シーンなどの映像はスーパーロボットらしくありつつも、CGを活用した迫力のあるものに仕上がっていたと思います。
その点は見応えがありました。
アレンジするのであれば、もっと大胆にしていいのかなと思ったりしたのですが、それはそれでコレジャナイ感が出ちゃうのでしょうか。
なかなかスーパーロボットという荒唐無稽な存在を世界観の中でうまく処理をするのは難しいのかもしれません。

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2017年11月11日 (土)

「マイティ・ソー バトルロイヤル」 思いの外、コミカル

オリジナルの副題は「ラグナロク」。
よくファンタジー系のアニメや小説などでよく出てくるフレーズですが、これは北欧神話の中に登場する言葉で「神々の黄昏」と訳されることが多いです。
北欧神話で語られる物語(オーディンなどが登場する)で、彼ら神々たちの世界の終わる最後の戦いをラグナロクというのです。
本作ではスルトがアスガルドを焼き尽くしますが、北欧神話でもストという巨人がアスガルドを滅ぼすのです。
英語の副題から察するに見る前からアスガルドの終焉が描かれることは想像できました。
そういう意味では重い話かと思いきや、ソーとハルクの掛け合いのあたりとか、ロキのコメディリリーフ的な感じとか、コミカルな部分もいくつかありました。
雰囲気的には「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」の一作目のような印象が近いかもしれません。
個人的にはもう少しシリアスなタッチが好きなので、好みではなかったのですが、マーベル映画は懐が深いということで。
見た作品の印象でいうと「ラグナロク」というよりは「バトルロイヤル」という副題の方がしっくりきます。
なんというか昔の「フラッシュ・ゴードン」(知っている人いるか?のようなノリを感じるのですよね)。
アメコミ的であるといえば、アメコミ的ではあるのですけれど、何か懐かしい感じもします。
今後の展開としてはアスカルドを失った神は今後どうなってい久野かとか、ハルクはバナーに戻れるのかとか、色々気になるところはありますね。
次の「アベンジャーズ」もまた見なくてはいけません。

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2017年7月31日 (月)

「メアリと魔女の花」 科学の暴走

「借りぐらしのアリエッティ」「思い出のマーニー」の米林宏昌監督の最新作です。
スタジオジブリが制作部門を閉じたため、新たに設立されたスタジオポラックという制作会社によって作られています。
米林監督は宮崎監督に認められたアニメーターだけあって、本作品も手描きアニメの味わいが感じられるテイストになっています。
「思い出のマーニー」よりはエキサイティングな印象を持ちました。

「魔法」と「科学」という概念は対立したものと語られることが多いのですよね。
科学は論理的であって未来的、魔法はオカルティックで非論理的であるといったように。
しかし、魔法というものはその現象が起こる理由が「今は」解き明かされていないものであると考えることもできます。
SF作家アーサー・C・クラークの言葉に「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」という言葉があります。
つまり十分な科学に関する知見がなければ、科学も魔法に見えるということとも言えます。
逆に言うと魔法でも科学とは違う論理で体系化できるものとも言えます(魔法の論理がわからない人から見れば、魔法以外のなにものでもないわけですが)。
この物語で描かれている魔法は、我々の科学とは異なる論理で体系化された科学なのですね。
だから魔法使いであるマンブルチューク校長と魔法科学者ドクター・デイが共同で「変身魔法」を研究しているというのも納得できるわけです。
本作品の世界(というよりエンドア学園)において、「魔法」は「科学」であると言えます。
つまりこの物語の中の魔法は我々の科学技術の象徴と言えます。
ラストでピーターにかけられた変身魔法が暴走してしまうときマンブルチューク校長の「溶け出ていってしまう!」といった叫びがあったと思いますが、これは原発のメルトダウンの比喩であると想像できます。
すべての魔法を使うことができる者を生み出す究極の変身魔法は、究極のエネルギーと言われた原子力を象徴しているように思われます。
また動物たちやピーターを使った変身魔法の実験は、遺伝子操作を思わせるようなところもあります。
遺伝子操作についての技術は日々進んでいますが、そのリスクがすべて明らかになっているわけではありません。
科学を進化させ究極を求めるあまり、それによってもたらされるかもしれないリスクに関して、科学者が無関心であることへの警鐘を鳴らしている作品と言えるかもしれません。
「科学技術」の暴走というテーマは、宮崎駿監督の作品でもいくつかで語られる話です(「未来少年コナン」「風の谷のナウシカ」等)。
そういう意味で米林監督はジブリの正当な後継者と考えられますね。
しかし、宮崎さんもまた新作を作るという話が出ているようです。
こちらはこちらで気になりますね、

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