2021年9月26日 (日)

「マスカレード・ナイト」巧みなミスリード

好評であった「マスカレード・ホテル」に引き続き、木村拓哉さん・長澤まさみさん主演での第二作目となる「マスカレード・ナイト」です。
刑事という仕事は犯人を探すという職務であることから人を疑うのが仕事です。
木村さんが演じる新田は敏腕刑事であり、まさにそれが徹底されているからこそ、今まで結果を出してきたのだと思います。
対してホテルマンが目指すのはお客様に最高の時間を過ごしていただくことであり、そのためには人を信じなくてはいけません。
長澤さん演じる山岸はまさにそのホテルマンの理想を徹底的に追求し、人を信じ抜こうとします。
前作では二人がその正反対の価値観をぶつけ合い、そして次第にお互いに認めあっていくという大きな流れがありました。
本作ではそれを前提とし、新田と山岸は自分の行動基準はしっかり持ちつつも、お互いの価値観も認め合っています。
警察側がホテル側から思うように協力を引き出せないことを苛立つ中で、彼らの立場を説明するのは新田ですし、ホテル側が警察のやり方に不満を持った時に、警察側が目指すことを話すのは山岸です。
前作は主人公ふたりの対立でしたが、本作では組織として警察とホテル側が対立している様子がより強く出ていたように思います。
その中で、新田・山岸の二人は相手の組織の価値観も理解して動こうとしています。
ミステリーとしてのストーリーもなかなかのものでした。
前作の時もそうでしたが、容疑者となる人々は演技の実績もある名俳優たちです。
そのためキャスティングだけでは犯人の想像はできません。
本作は演技巧者を巧みに配置しているんですよね。
なんとなくこの人はこんな役柄が多いといったステレオタイプなイメージで犯人が想像できてしまう場合がありますが、本作はその手はなかなか難しい。
例えば、木村佳乃さん。
この方は最近出演している作品でも、非常に振れ幅の大きい役柄を演じています。
良き妻の時もあれば、冷酷な殺人者の時もある。
最近はその振れ幅を大きさを利用したキャスティングであっと言わせたミステリーもありました(「ドクター・デスの遺産」)。
ミステリー作品の犯人当てはストーリーやトリックなどから論理的に導き出すのが筋ではありますが、あまりに疑わしそうな登場人物はミスリードと見て、犯人ではないと考えたりしますよね。
本作はそのようなミステリーを見る者の習性すらもミスリードのために使っています。
詳しくは語れませんが、この点はこちらの作品を実際に見てストーリテリングの見事さを味わってみてください。

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2021年7月10日 (土)

「Mr.ノーバディ」 あなたの方が恐ろしい・・・

平凡に暮らす男にちょっかいを出してしまったら、ものすごい反撃を受けて大変な目にあってしまうお話。
「ジョン・ウィック」みたいだなと思ったら、それもそのはずプロデューサーが同じでした。
とはいえ、まだキアヌ・リーブスは他の作品のイメージもあり、平凡とは言え強そうな感じはしましたが、本作の主人公ハッチは見るからに普通の中年男性。
毎日毎日何も変わらず朝決まったバスに乗って出勤し、退屈そうな仕事をし、夕方には真っ直ぐに自宅に帰る。
ティーンエイジャーの息子からは尊敬されず、妻からも距離を置かれている哀愁の中年男です。
しかし、ある晩チンピラに絡まれている女性を助けようとした時に彼の中で何かがプッツンと切れます。
実は彼はある組織でトラブル解決を専門に行っていた「監査役」であった男でした。
トラブル解決といってもそれは極めて暴力的な方法で対処していました。
彼は血に塗れた人生を送ってきたからか、平凡な暮らしがしたいと足を洗います。
それから10数年波風立たせず暮らしてきましたが、彼の中ではマグマのように暴力衝動がふつふつと煮えたぎっていたのです。
そのマグマの噴出のトリガーとなったのが、チンピラの行為。
ジョン・ウィックの場合は、亡き恋人の忘れ形見であるワンちゃんを殺されたという理由がありましたが、この作品においてはチンピラはただのきっかけ。
その後彼が叩きのめしてしまったチンピラの兄であるロシアンマフィアが、ハッチの家族を狙ってしまったことにより、彼はさらにヒートアップ。
情け容赦のない反撃をマフィアに食らわします。
ハッチはまさに無双状態なので、相手になんか同情してしまいます。
マフィアとの最後の決戦は自分が勤めていた工場を即金で買取、要塞化。
トラップを仕込んでいきますが、まさにそれはランボーばり。
血気盛んに挑んできたマフィアたちは飛んで火にいる夏の虫。
さらにはマットの親父さん(老人ホームに入っている)も参戦。
この親にしてこの子あり、を体現している、クレイジーな親父もショットガンを打ちまくり、マフィアを血祭りにします。
一方的な大虐殺とも言えましょう。
多少のピンチもありましたが、プロとアマの差が如実に出て、勝負は終了。
悪い奴をコテンパンに叩きのめすので、爽快感はあるっちゃあるのですが、よく考えるとハッチも相当に恐ろしいやつですよね。
急にキレてここまでやるとは・・・。
お友達になりたくはありません。
ノッチを演じるのはボブ・オデンカーク。
すいません、全く知りません。
見るからに普通のおじさんです。
これがキレるんです。
あなたの方がマフィアよりも恐ろしいです。
そしてその親父さんを演じているのが「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のクリストファー・ロイド。
相変わらずいい味出してます。
続編あるのかな。
「ジョン・ウィック」みたいに続いていくような・・・。

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2021年6月19日 (土)

「モータルコンバット」(2021) ゲームの観客のように楽しむ

人気格闘ゲーム「モータルコンバット」の実写映画作品。
以前ジョン・W・S・アンダーソンによって映画化され、彼の出世作となりました。
とはいえ、私はゲームもやったこともないですし、前作も見ていません・・・。
ではなんで見に行ったかなんですが、久しぶりに真田広之さんのアクションシーンが見れるから!
彼は本作では伝説の忍者ハサシ・ハンゾウを演じておりますが、オープニングからキレのいいアクションを見せてくれます。
さすが、元JAC。
お年はもう60歳くらいだと思いますが、動きもシャープでカッコいいです。
ちなみに冒頭でハンゾウの妻は惨殺されてしまいますが、演じている女優さん、見たことあるなと思っていたら、「ミセス・ノイズィ」「罪の声」に出演していた篠原ゆき子さんでした。
パンフレットには出ていませんでしたが、ハリウッド進出ですね。
「モータルコンバット」は格闘ゲームですが、トドメの一撃であるフェイタリティがかなり残酷な描写となっており、それがアメリカではゲームのレイティングシステムのきっかけとなったということ。
本作でもその要素は引き継がれています。
格闘ゲームの映画化作品としては、他の映画よりも残酷描写は多いですかね。
アクション自体はテンポもいいですし、ダラダラと続くわけでもなく小気味いいです。
ストーリーはポンポンと進んでいきます。
まるで格闘ゲームをクリアしていくかのような感じですね。
ある意味ゲームの映画化作品らしいといえば、らしい。
本作はストーリーを楽しむというよりは、次々に繰り広げられるファイター同士の戦いをゲームの観客のように楽しむ作品と言えるかもしれないですね。

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2021年4月 5日 (月)

「モンスターハンター」 ゲームとは異なり個性を発揮できず

言わずと知れたカプコンのゲーム「モンスターハンター」をベースにした作品。
とはいいながら、私自身はこのゲームをほとんどやっていません。
本作は「バイオハザード」シリーズでも知られるポール・W・S・アンダーソン監督と主演のミラ・ジョヴォヴィッチという実績のあるコンビでの映画化です。
「バイオハザード」も原作のゲームとはかなり離れていたので、本作もそんな感じなのでしょうか。
私は「バイオハザード」は結構好きでしたけれども。
さて評価ですが、ストーリー的にも映像的にもそれほど新鮮さは感じられなかったですね。
ゲームの方は一人称視点での没入感がポイントであったかと思いますが、映画に関しては客観視点での描かれ方になっています。
この点については「バイオハザード」も同じなのですが、あちらはアリスというゲームにはいない主人公が当初より自分自身が何者であるかがわからず、それを探っていくことが映画の骨子となっていました。
そのため見ている側も一緒に自分探しをしているようになり、主人公へ感情移入しやすかったのではなかったかと思います。
そういう意味では、映画として客観視点で描かれていながらも、かなり主人公視点での没入感はあったように感じました。
それに対し、本作はあくまで出来事は客観的な視点で描かれているため、ゲームにあるような没入感はあまりありません。
描かれるのはドラゴンなどのモンスターとの戦いであり、これはここ10数年さまざまな映画でCGで描かれているものであり、新味は感じません。
結果、「バイオハザード」シリーズで見せたようなゲームとは異なる映画としての新しい見せ方にはなっておらず、見応えとしては物足りないところがありました。
あと、トニー・ジャーが出演することも期待していたところではありましたが、彼らしいアクションもそれほどあるわけではなく、この点でも物足りなさを感じました。

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2021年1月 4日 (月)

「燃えよデブゴン/TOKYO MISSION」 80年代カンフー映画へのオマージュたっぷり

2021年最初の映画鑑賞はこちら「燃えよデブゴン/TOKYO MISSION」です。
「燃えよデブゴン」とありますが、サモハン・キン・ポーではなくドニー・イェンが主演です。
とはいえドニー自身はおデブではないので、特殊メイクでおデブとなって悪党と戦います。
最近はカンフー映画というジャンル自体が衰退している感がありますが、その中でもドニーはブルース・リーを思わせる卓越した技で様々な映画でアクションを披露してきました。
最後のカンフーマスターという感じがしますね。
80年代はジャッキー・チェンを始め、サモハン・キン・ポーやユン・ピョウなどカンフースターが登場し、一大ブームを巻き起こしました。
その頃10代であった私もかなりハマって見ていましたね。
本作「燃えよデブゴン/TOKYO MISSION」はその頃のカンフー映画へのオマージュに溢れた作品となっています。
監督は日本人の谷垣健治監督で「るろうに剣心」のアクション監督としてよく知られています。
元々谷垣監督は倉田プロで香港でアクションをしていたこともあり、カンフー映画に対する造詣は非常に深い。
80年ごろのカンフー映画はスターたちの卓越した技量もさることながら、様々なシュチュエーションでのアイデアあふれるアクションが見せ所でした。
「プロジェクトA」や「ポリス・ストーリー」などジャッキーの最盛期の映画などはまさしくこれでした。
本作もその流れを汲み、ドニーは新宿の歌舞伎町や最後には東京タワーでの見事なアクションを見せてくれます。
惚れ惚れしますね。
アクションシーンを撮っている場所は実際の場所ではなく、セットの様です。
新宿繁華街のセットは大規模でかなり作り込みがされていました。
そこを縦横無尽におデブのドニーが飛び回り、悪党を倒していく。
昔のカンフー映画にはそういう爽快感がありました。
今は世の中が鬱屈している感じがありますので、こういう時こそ何も難しいこと考えずに楽しめるカンフー映画というのもいいものだと思います。
あぁ、ジャッキーの映画が見たくなってきました。

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2020年12月19日 (土)

「ミセス・ノイズィ」 客観的な見方とは?

この作品には不思議なご縁がありまして。
まずこちらの作品の製作関係者の一人が私の妻の友人であるということ。
そして本作の主演の一人と言ってもいい「布団おばさん」を演じている大高洋子さんがかつてOLであったときにお仕事をご一緒させていただいていたということです。
そういう縁もありましたので、本作については見なくてはならないと思い、劇場に足を運びました。
色々繋がりがある作品ではありますが、そのようなことを抜きにして作品として非常に面白いと思いました。
物事というのは見る人によって見え方が変わるものです。
名作である「羅生門」がまさしくそうですが、本作もそのような視点が変わることにより大きく出来事の見え方が変わるというところが非常に面白い。
主人公真紀からのものの見え方、そしてその隣人である美和子からのものの見え方が全く違う。
起こった出来事は同じでも、それぞれの人物が背負っている背景や価値観・先入観で違った見え方・感じ方をしてしまいます。
これは関係者のそれぞれの立場によってものの見え方が変わるという話なのですが、それではそれを客観的に見ている関係者ではない者の見方がまさしく「客観的」であるかというと決してそうではないということに気づかせられます。
この二人のトラブルをネット民やマスコミが取り上げますが、彼らの見方は客観的ではありません。
彼らはこれをエンターテイメントとして出来事を消費します。
ですので、彼らの見方は客観的ではなく、非常に気分屋的なものの見方をしているのですね。
そのため何か出来事が起こると、被害者が加害者に、加害者が被害者に180度逆転をしてしまうということが起こります。
これはマスコミでもネットでもしばしば見られる現象です。
二人の間での問題であれば、直接冷静に話ができれば誤解を解くことは可能かもしれません。
しかし不特定多数の相手になる場合は、一度世間がそういう「気分」になってしまうと一個人ではその流れを食い止めるのは難しい。
今年はネットでの誹謗中傷による有名人の自殺などの事件がありましたが、ある種の「空気」を相手にするという恐ろしさが現代的でもあります。
個人としてはどうしようもない無力感を感じてしまう世間に対し、結果的には仇同士であった真紀と美和子が共闘する形になるのが爽快です。
マスコミやネットに袋叩きにあう真紀を美和子の一喝が救う場面は胸がすく思いになりました。
真紀にしても美和子にしても、そして世間にしても、いずれにせよものの見え方は、それぞれによる価値観によって変わってしまいます。
自分とは異なる価値観を持つ人の立場で物事を考えることというのはなかなかできるものではありませんが、そうする力はやはり大事ですね。

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2020年9月21日 (月)

「ミッドウェイ(2019)」 エメリッヒ印

太平洋戦争時、日米が激突したミッドウェイ海戦を題材にした作品で、ローランド・エメリッヒが監督。
彼らしいと言えば彼らしいのですが、やはり人間ドラマが希薄。
登場人物が多く、それぞれのキャラクターに深く共感することができずに、物語が進行していきます。
キャラクターの数が多いため、それぞれのエピソードにも深みがありません。
暗号解読部隊などはそれだけで一本映画作れそうな気もしましたが、扱いはあっさりです。
出来事を追っていくということが中心になりすぎているようなきらいがありました。
これは初期作品の「インディペンデンス・デイ」にも言えることなので、監督自身はそれほど感情描写には興味がないのかなとも思ったりもします。
確かに映像は技術の進化もあり迫力はあるものの、昨今はどの作品でもかなり映像的にはレベルが上がっているので、それだけでは評価する事は難しいかと思います。
またこのような太平洋戦争の戦闘をテーマにした作品は、世界各国で公開されることを前提とすると、それぞれの国民心情を配慮したものになると思います。
本作については中国資本が入っているので、日本人の描き方が云々という意見も見られますが、個人的にはこの時代の日本人のメンタリティとしてはフェアな描き方をしているようには思えました。
その分、それぞれの国民感情を踏み込みすぎず、何も言われないようにバランスを気にしすぎているようにも思え、そのため人物描写が表面的でなかなか感情移入がしにくかったようにも思えます。
同じように太平洋戦争の戦闘を題材にしたクリント・イーストウッドの「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」はそれぞれアメリカ目線、日本目線で割り切って描いたことにより、深く感情に訴えかけるものになっていたように思います。
迫力のある映像を中心に楽しみたいという方にはお勧めではありますが、やはりドラマが見たいという方には物足りない作品であるかと思います。

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2019年11月21日 (木)

「マレフィセント2」 与える愛と奪う支配欲

前作「マレフィセント」の記事では何を書いていたのか忘れていたので、確認をしたらエル・ファニングが破壊的に可愛いと書いてありました。
本作を観ても、その可憐さは健在です。
オーロラ姫はピュアでありながらも芯の強さを持つ女性として描かれていますが、その役柄にエル・ファニングはぴったりです。
前作は「眠れる森の美女」をベースとしながらも、主人公を魔女にした点が新鮮でした。
過去のディズニー作品では女性は守られる者、愛を与えられる者として描かれることが多かったですが、最近のディズニー作品に登場する女性は自立しています。
最近多く作られるアニメの実写化作品でも、女性キャラクターに関しては再解釈され今の時代にあった自立した存在措として描かれています。
「マレフィセント」ではただのヴィランであった魔女・マレフィセントが裏切られ愛を失った者として位置付け、その彼女が「真実の愛」を得て再生する物語を描いたのでした。
マレフィセントがオーロラに呪いをかけるに至ったのは、愛する者が野望に心を支配され裏切ったからです。
前作のテーマは愛とは与えられるもの、ましては奪うものではなく、与えるものということであったのではないでしょうか。
マレフィセントとオーロラの間にある「真実の愛」は、互いに相手に愛を与えられることによって成されたものであったのだと思います。
与える愛に対立するのは、全てを奪おうとする支配欲です。
本作においてもマレフィセントとオーロラが対峙するのは巨大な支配欲です。
それを体現しているのが、ミシェル・ファイファーが演じるイングリス王妃。
彼女は幼い頃の体験から、全てを支配したいという欲望に囚われています。
その欲望により、再びマレフィセントはオーロラとの間にある愛を奪われ、またオーロラも自身の国の民を失おうとしています。
オーロラはただ守られるだけの姫ではなく、強く自分の意志を持った女性として描かれているのは、前述した最近のディズニー作品の傾向の通り。
エル・ファニングが成長して大人の女性の側面が出ているところも役柄に合っていました。
物語的にも前作よりはオーロラの比重が高まっていたように思います。
その分、マレフィセントはややキャラクターとして深みがなくなった気がしました。
彼女に関わるエピソード・新設定に関してはややご都合主義的な感が否めません。
映画として物語を派手にする側面はありましたが、前作のような良い心と悪い心の間にあるような深さがなくなったのが残念です。

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2019年10月15日 (火)

「蜜蜂と遠雷」 世界の記述

自分は音楽があまりよくわからない。
音楽をじっくり聴くという習慣がない。
映画は人一倍集中して見るにも関わらず。
おそらく音楽のどこを感じてよいのかがわからないのかもしれない。
音楽が好きな人は、音楽はわかるものではない、音楽は感じるものであるというだろう。
音楽がわかる人は、感じている世界が違うのではないかとも思う。
ただ本作を観て、音楽を感じている人がどのように感じているのかがわかったような気がする。
世界は音楽で満ちている。
蜜蜂の羽音。
遥か遠くから響く遠雷の音。
雨音、鳥の声、やかんの音。
劇中でベートーヴェンの「月光」を亜夜と塵が二人で弾くシーンがある。
二人を静かに月に光が照らす。
ここでわかった。
音楽とは音による世界の記述なのだ。
作曲家は音により、自分が感じる世界を記述する。
そして演奏家は、曲かどのように世界を記述したかを読み取り、それを自分を通して出力する。
世界から音楽への変換装置としての人間、作曲家。
音楽から世界のイメージの出力装置としての人間、演奏家。
装置とは言ったが、人間である。
記述するにしても、再現するにしても、そこにはその人そのものが現れてしまう。
世界をどのように観ているか。
もしかすると世界は観る人により異なっているのかもしれない。
海岸で、亜夜とマサルと塵が、砂に刻む足跡で曲の当てっこをする場面がある。
それは音楽がわからない者には意味がわからない。
しかし、彼らには言わずとも伝わる。
その様子を見た明石は言う。
「悔しいけどわからないよ、あっち側の世界は」
彼らにとっては世界は異なるものに見えるのだ。
音を通して。
それは祝福なのだろう。
キリスト教や宗教では音楽が大きな役割を持つ。
それは音楽が世界を記述するものだからだ。
そしてそれができるのはやはり天賦の才を持った者だけなのだろう。
亜夜、マサル、塵は祝福された者たちなのだ。
しかし、彼らも人間であるからには、世界そのものの本質を純粋に掴み取れるわけではない。
本作の主要な四人の登場人物は互いに影響し合う。
明石の演奏は亜夜や塵に影響を与える。
亜夜のピアノがマサルや塵にインスピレーションをもたらす。
そして高みに登る。
音楽は世界とそれをどのように観ているかという人間の関係性を記述する。
世界の記述は個だけではなし得ないのかもしれない。
そして彼らが観た、彼らが記述した世界の姿を、我々に伝えるものが音楽なのかもれない。

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2019年6月16日 (日)

「名探偵ピカチュウ」 ピカチュウの声がおっさんである意味

いわゆるポケモンブームが巻き起こった時にはすでに社会人となっていたので、ゲームにしてもアニメにしても個人的には全く馴染みがありません。
そもそもゲームボーイは持っていなかったですし。
「ポケモンGO」がリリースされて大ブームになった時に、初めてポケモンたちを知ることとなりました。
つまりは「ポケモンGO」しか知らないわけで、それぞれのポケモンがどんなキャラクターを持っているのやら、「ポケットモンスター」がどのような世界観なのかがわかっていないわけです。
アメリカで「ポケットモンスター」が実写化される時は、多くの日本人が思ったようにまたもやおかしな映画ができるのではないかということでした(「ドラゴンボール」のような)
ただオリジナルをほとんど知らないわけなので、本作にはフラットな態度で臨むことができました。
予告を見た時にわかったのは、どうも本作は通常の「ポケモン」とは異なる物語であるらしいということ。
「ポケットモンスター」の中で最も重要なポケモンと言えば、門外漢でもピカチュウだと答えるでしょう。
私でもピカチュウだけは知っていて、可愛らしく「ピカーッ」と鳴いているイメージでした。
しかし、本作のピカチュウはと言えば、中年のおっさんの声なのです。
正確に言うと、主人公のティムにしかその声は聞こえず、他の人間にはやはり「ピカーッ」としか聞こえません。
そしてそのピカチュウが探偵であり、主人公とペアとなって事件を解決するということです。
どうも聞いたことがある「ポケモン」とはだいぶ違うような気がするとは思いましたが、それほどオリジナルに思い入れはないのでそれがハードルにはなりませんでした。
それよりピカチュウの声をライアン・レイノルズがやっているということで、そのことの方が何かありそうだという予感に繋がり、見てみようと思いました。
 
<ここから先はネタバレあり>
ピカチュウの声をおっさんであるライアン・レイノルズがやっているというのが、想像以上にストーリーにとって大事であることが終盤に明らかになり、そのアイデアにとても感心しました。
事件の黒幕は人間とそのパートナーであるポケモンを一体化することにより、ポケモンの力を人間が手に入れることができるようにし、それによって強制的に人間を進化させようとします。
ピカチュウがおっさんの声であるのは、ティムの父親であるハリーがピカチュウと一体化させられてしまったためであることがわかります。
そのため、ピカチュウの声を聞き取れるのは息子であるティムだけということなのですよね。
ピカチュウが口にしていた「I like that. I like that very well.」という口癖はハリーも口にしていました。
子供向けの映画かと思いきや、意外とストーリー的にもしっかり練られていましたし、映像的にも頑張っていて好感が持てる作品でした。
こんな風に丁寧に実写化してくれるとありがたいですね。

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