2023年12月28日 (木)

「窓ぎわのトットちゃん」今の時代に公開される意味

ご存知黒柳徹子さんによる小説「窓際のトットちゃん」をアニメーションとして映画化。
原作が発表されたのは1981年で40年以上も昔です。
当時ベストセラーとなりましたが、なぜに今映画化されたのでしょうか。
実はベストセラーにも関わらず、私は原作を読んだことがなく、今回子供が見たいと言ったので、一緒に鑑賞してきました。
本作を見てみて、今という時代に映画化された意味がわかったような気がしました。
舞台となる時代は、日本が太平洋戦争に足を踏み入れようとしているとき。
トットちゃんは自由奔放な性格のため、普通の小学校には馴染めず、トモエ学園という自由な校風な小学校に転校します。
その学校は生徒の個性を重視する方針で、その時代においては非常に最先端の教育をしている学校でした。
そのためか世間的には異端のようにも見られてもいました。
日本は戦争に向かう道にあり個性よりは、愛国的な国民を育てる全体主義的な教育が主流でした。
そのような考え方からすれば、トモエ学園の思想は異端に他かなりません。
そのような校風のなか、トットちゃんは伸び伸びと育ちます。
様々な子供たちがいる中で、トットちゃんも学友それぞれの個性を大事にすることを学んでいきます。
これはまさに今の時代主流となってきている多様性の考え方と言えるでしょう。
戦争直前という時代においていかに先端的な考え方であったか、わかると思います。
それがなぜ今映画化されているのでしょうか。
出版されていた時期(1980年代)は日本が世界的に見ても高度に経済的発展をしていた時期で自信に溢れていた時でした(80年代後半でバブル崩壊し、日本は急速に自信を失います)。
そのためか我も我もという、自己中心的な考え方が強くなっていた時代であったようにも思います。
他人への思いやるという気持ちも薄くなってきていて、そのことに黒柳さんは警鐘を鳴らしたかったのではないかと思います。
伝説的なエピソードとして、黒柳さんが司会をしていた「ザ・ベストテン」で一般人が発した差別的なコメントに対し、生放送中に苦言を呈したという事件がありました。
それは多様性を否定するような発言であり、トモエ学園で学んできた黒柳さんとしては許せない言動であったのでしょう。
そして、今の時代です。
黒柳さんは40年ぶりに「窓ぎわのトットちゃん」の続編を発表しました。
これに関するインタビューで、昨今のアメリカの分断やウクライナの戦争など、他者に対して非寛容な風潮が非常に気になっているというようなことを話されていました。
多様性が言葉としては定着し、その価値観を誰もわかるようになってきた時代ではありますが、人の行動や世界の流れはそれに反対の動きとなっています。
今こそ、もっと等身大に多様性ということを皆がもう一度理解しなくてはいけない時期なのかもしれません。
子供はもちろんですが、大人に対してもそのようなことを考えるきっかけになる作品であると感じました。

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2023年11月19日 (日)

「マーベルズ」素顔のキャプテン・マーベル

アメリカでは興行がイマイチと話題になっています。
理由としてはいわゆる「マーベル疲れ」だったり、キャプテン・マーベル以外の主要キャラクターが配信で登場したキャラクターであって馴染みがないと言われていますが、定かではありません。
そのような状況はあるにせよ、個人的には作品としてはよく仕上がっているかと思います。
私は少なくとも「クアントマニア」よりは楽しめました。
最近のマーベル作品は長尺になる傾向が強いですが、本作は尺そのものが短いということで編集自体も小気味よく、さらにはキャプテン・マーベル、モニカ・ランボー、ミズ・マーベルが能力を使うと入れ替わってしまうというギミックが、作品のテンポをあげています。
入れ替わりは映像的には今までにはないものですし、見ていて面白い(撮影は大変だったと思いますが)。
最近のマーベルはMCU自体が複雑化しているため、ややこしくなり敷居が上がっている傾向がありますが、本作はキャラクターのことをよく知らなくても、このいい意味でのライトな感じでとても見やすいものになっているように思いました。
そしてそのような小気味良さだけではなく、ドラマ的にもキャプテン・マーベルへの掘り下げがあり、興味深く思いました。
キャプテン・マーベルはアベンジャーズの中でも最強と言われ、向かう所敵なし、という存在でした。
しかしそのためかキャラクターとしては、孤高でありとっつきにくい印象もありました。
アベンジャーズのヒーローたちは、トニー・スタークにしても完璧な人間ではなく、その至らなさ自体がキャラクターの魅力となっていました。
キャプテン・マーベルはその至らなさがなく、完璧すぎて隙がない印象がありました。
しかし、本作では彼女のプライベート空間も描かれますし、さらには彼女はずっとしかめ面をしている印象があります。
完璧に見えていた彼女にも、心の中に負目があり、果たせなかった責任に対する後悔があることを我々は知ります。
キャプテン・マーベルは最強であるにも関わらず、地球を離れている期間が長く、なぜ彼女は地球の数々の危機に戻ってこなかったのか、という疑問が今までもありました。
しかし、その理由が本作で明らかになります。
それは彼女が我々が思うほどに完璧ではなく、彼女が自分自身を責めていることがあるということでした。
そしてそれを誰とも共有できず、孤独でいるしかなかったことを。
キャプテン・マーベルが実の姪のように可愛がっていたモニカ・ランボーは彼女の不在を責めます。
彼女自身も自分の不在の中で母親を失い、その悲しみに暮れている時、誰もそばにはいませんでした。
頼りにしたかった、キャロルおばさんも。
しかし、モニカもキャロルおばさんも完璧ではなく、孤独に苦しんてきたことを知ります。
そして、キャプテン・マーベルをヒーローとして崇めてきたミズ・マーベルことカマラも、ただの偶像ではなく生身の人間としてのキャロルを知ります。
彼女らはアクシデントによりチームアップしなくてはいけなくなりますが、それによってそれぞれを悩みを持つ個人として認識し、それを受け入れ本当のチームとなっていきます。
しかめ面をしていたキャプテン・マーベルの表情が次第に柔らかくなっていくのが良いですね。
こんなにチャーミングな女性だったのかと改めて発見があります。
テンポも良くてキャラクターも魅力がある。
最近のマーベル作品の中でも好印象の作品です。
<ここからは未見の方は見ないでください>
さて、話題のおまけ映像についてです。
まず一つ目のケイトの登場。
フェイズ4で新しい若いキャラクターが登場するようになってきて、いずれヤング・アベンジャーズが結成されるのではと噂されていましたが、今回のこの映像で決定的になったかと思います。
登場はしてませんが、アントマンの娘=キャシー・ラングの名前も出ていたので、この三人は組むのでしょうね。
あとはアメリカ・チャベスは入るでしょう。
これだと女子ばっかりで「チャーリーズ・エンジェル」のようですが・・・・
男子は加わらないのかな。
楽しみにしたいと思います。
二つ目ですが、これはちょっと見ていて声を出してしまいました。
モニカ・ランボーは本作のラストで別の世界へ行くことになってしまいます。
そこで登場したのが、「X-MEN」のビーストです。
それも演じたのは「X-MEN:ファイナル ディシジョン」でビーストを演じたケルシー・グラマー。
チャールズという名前をビーストは口にしていましたが、これはもちろんプロフェッサーXのことでしょう。
MCUへのX-MENの合流はどのような形になるかと論議になっていましたが、別のユニバースなんでしょうか。
「マーベルズ」に続くMCUの映画は「デットプール3」で、そちらにはウルヴァリンが登場するのは決定しています。
それともリンクするのでしょうか。
こちらも気になります。

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2023年10月23日 (月)

「ミュータント・タートルズ ミュータント・パニック!」アメリカ人てなんでカメのニンジャが好きなの?

「ミュータント・タートルズ」の映画作品は実写、アニメを合わせると本作で7作目。
原作のコミックは1984年で最初の映画は1990年。
30年弱で7本は結構なハイペースではないかと思います。
本作を端的にいうと、カメがミュータントで忍者でティーンエージャー。
個人的に忍者のカメってどうにもかっこいいと思えないのですが、アメリカ人はグッとくるのでしょうか。
7作全ての作品を見ているわけではありませんが、5本くらいは見ているはず。
どれも正直言って、印象には残っておりません。
金銭に触れんかったのだと思います。
本作はスルーしようかと思っていたのですが、予告を見た時の絵柄のタッチに興味があったので、行ってきました。
昨今3D CGのアニメーションは当たり前となってきていますが、ぬめっとしたCGぽいタッチは見慣れすぎて食傷気味となっています。
しかし「スパイダーマン:スパイダーバース」がそれまでの3DCGアニメーションとは異なるタッチに挑戦し、成功したことにより、さまざまなタッチのアニメーションが作られるようになってきました。
本作もポスターカラーで描いたような手書き風タッチのCGが印象的です。
これがコミックらしさ、ティーンエージャーらしさ、ストリートぽさをうまく表していて、世界観を上手に表現していると思いました。
CGだからできるアングルやカメラワークもふんだんにあり、今だからできる「ミュータント・タートルズ」になっていると思います。
とはいえ、ストーリー時代はそれほど新しさも感じず、そもそもカメのミュータントにあまり思い入れも持てなかったので、映画に感情移入するまでは私自身はあまりできませんでした。
本作を見終わってもアメリカ人がカメのミュータントに思い入れを持つ理由がまだ分かりませんでした・・・。

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2023年10月11日 (水)

「名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊」深い愛情ゆえの

ケネス・ブラナー監督による「オリエント急行殺人事件」「ナイル殺人事件」に続くポアロシリーズの第3作目です。
前作2作は過去に映画化もされていますし、小説も非常に有名な作品ですが、本作のタイトルを聞いただけでは私は原作が思い出すことができませんでした。
アガサ・クリスティの作品はほとんど読んでいるのですが。
それもそのはずで原作は「ハロウィーン・パーティ」ですが、舞台もイギリスからベネチアに移したりとかなりいじっているようです。
とはいえ「ハロウィーン・パーティ」も読んだはずですが、内容は思い出せません・・・。
<ここから先はネタバレありです>
この作品には通常とは異なる関係を持つ2組の親子が登場します。
それぞれの親子関係が本作で語られる事件の発端となっているのです。
1組目の親子はフェリエ医師とその息子レオポルドです。
フェリエ医師は一見しっかりしている立派な紳士のように見えますが、過去戦争に従軍医師として行った時に負った心の傷により、時に子供のように不安に駆られることもある不安定さを持っている人物です。
そのような父親を持ったためか、または元々聡明なためなのか、息子のレオポルドはまるで彼が父親かのようにフェリエ医師に寄り添い支えています。
彼らのは時に親子関係が逆なのでは、と見えるようなこともあります。
2組目の親子は本作の舞台となる館の女主人であるロウィーナとその娘アリシアです。
アリシアはすでに亡くなっておりますが、彼女の魂を呼ぶ交霊会をロウィーナが企画し、そこにポアロも招かれるのです。
ロウィーナは娘を愛する母親のように見えるのですが、次第にこの母娘の関係が明らかになっていきます。
アリシアは年頃となり愛する男性ができますが、ロウィーナはそれを認めることができません。
娘を愛するあまり彼女と離れることができなくなってしまっていたのです。
その結果、彼女は娘を殺してしまうこととなったのです。
通常いつかは親は子離れをしなくてはいけないのものですが、ロウィーナはそれができませんでした。
彼女は娘の死を自殺とし、それを隠蔽していましたが、それに気づいた何者かから脅迫を受けます。
その何者かを始末するため彼女は交霊会を行い、そこに訪れた脅迫者を片付けようとしたのです。
ロウィーナは脅迫者と思しき人物を殺していきますが、いずれも本当の脅迫者ではありませんでした。
最後に判明するその正体はなんとレオポルドでした。
聡明な彼は真相に気づき、病気に苦しむ父親を救うために脅迫を行い、お金を手に入れていたのです。
レオポルドは子供ですが、父親の状態ゆえに、強制的に大人にならざるを得なかった子供と言えます。
しかし、彼がそうなったのも父親への愛情ゆえです。
その結果、父親が命を落としてしまったのは、彼にとっては悲劇であったでしょう。
本作で描かれる事件は、このように2組の親子の深い愛情ゆえに引き起こされたものでした。
アガサ・クリスティのミステリーでは、深い愛情ゆえに引き起こされる悲劇がいくつもあります。
その点において、本作も彼女らしさをうまく表現しながらオリジナル作品として仕上げていると感じました。

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2023年9月16日 (土)

「MEG ザ・モンスターズ2」「ジュラシック・ワールド」の海洋版?

前作はよくあるサメのトンデモ映画かと思いきや、意外としっかり作ってありました。
そのためかスマッシュヒットとなり、この度続編の公開となりました。
前作は巨大ザメメガロドン対人間というシンプルな構図で、到底敵わない相手に人間が知恵と勇気を振り絞って戦うという物語でした。
意思疎通ができず、どうやっても倒せそうもない敵と戦うという点では、「エイリアン」や「プレデター」と同じで、盛り上がる構造を持っている作品でした。
この構造の物語は相手が謎めいているところが、よりサスペンスフルに感じさせるところなのですが、続編では正体バレしているわけなので、同じような構造で勝負はできません。
ですから「エイリアン」も「プレデター」も2作目は違ったアプローチをしているわけですが、本作にも同じことは言えます。
本作で主人公の敵となるのは、メガロドンではなく、人間です。
メガロドンたちが暮らすエリアに埋蔵されているレアアースを狙う人間たちです。
そのためメガロドンたちは本作では脇に追いやられている印象を受けました。
当然、サメ対人間の対決の場面はいくつかあるのですが、サスペンスを盛り上げる小道具のような扱いをされているように感じました。
そのためか前作に比べメガロドンが怖くない。
アクションシーンはかなり多く、見せ場もたくさんあるのですが、サメ映画らしい恐怖感はあまり感じませんでした。
アクションシーンも次から次へと盛り込まれていて飽きることはありませんが、恐怖感がないからか、あまたあるアクション映画のなかに埋もれてしまうような凡庸な感じになってしまった印象は否めません。
「ジュラシック・ワールド」の海洋版といったような。
前作は一人の男とサメの極限の中の決闘という趣があり、それが緊迫感を生んでいたような感じがしますが、本作はそのような緊張はありません。
なかなかこのような作品の2作目は難しいと、改めて思った次第です。

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2023年9月 2日 (土)

「マイ・エレメント」豊かな感情を表現できる豊かなCG

ピクサーは今までもキャラクターとしてユニークなものを取り上げてきました。
虫や魚や動物だけでなく、おもちゃや車、そして心の中にある感情まで。
本作でキャラクターとして取り上げたのはなんと元素。
これは化学的な元素ではなく、いわゆる四大元素である、火・水・気・土のことです。
この物語ではこの4つの元素がそれぞれ種族となり、一つの大きな街エレメントシティで暮らしています。
まず、本作の見どころはその映像のクオリティです。
最近はどのスタジオの3Dアニメを見てもかなりのクオリティを持っていますが、ピクサーの作品は今でもやはり抜けているように思います。
主人公のエンバーは火の種族の女の子。
意志が強く、頑固で勝ち気、けど年頃の娘らしく将来に色々と悩みを持っています。
ですので、感情の浮き沈みもあるのですが、それをCGは巧みに表現します。
エンバーのキャラクターデザインは炎をモチーフとしているのですが、炎の持つ激しさ、そして暖かさを手書きのテイストも感じるようなCGで表現しています。
彼女の感情の変化で顔の炎の色も変化し、彼女の感情を巧みに表現しています。
ピクサーのCGは技術を見せつけるものではなく、あくまでキャラクターの感情をどのくらい上手に表現できるのかということを常に考えて、技術を開発しているように思えます。
エレメントたちが暮らすエレメントシティはそれぞれの種族の特徴が生かされた街でとてもユニークです。
仔細にまで作り込まれたこの街のCGもなかなかに見事でただ背景にしておくには惜しいほど。
もっとじっくり見たいとも思わせるほどです。
本作の見どころは映像表現だけではありません。
やはりキャラクターも深く描かれていて、そこに引き込まれます。
エンバーたち火の種族は、一番最後にエレメントシティにやってきました。
いわばエレメントシティではマイノリティです。
エンバーはこの街で生まれた二世になるわけですね。
彼女は一世の父親の期待を背負い、この街で暮らす種族の憩いの場である店を継ぐことが自分の望みだと思ってきました。
しかし、彼女は火の種族の一人でもありますが、エレメントシティの子供でもあるのです。
二つの文化の狭間で自分のアイデンティティに悩むのは、多くの移民二世が経験することだと思います。
実際、本作の監督は韓国移民二世のアメリカ人ということで、やはりエンバーのような気持ちを経験したそうです。
そして、そこにも関わりますが、もう一つ描かれているのが異なる文化を越えての恋愛です。
本作ではエンバーが、一番最初にエレメントシティを作った水の種族の男の子ウェイドと出会い恋に落ちます。
しかし、火と水ですから、触れ合えばお互いがお互いを消し去ってしまうかもしれません。
またエンバーの父親はマイノリティとしての文化を大切にしており、他の種族と交わることを良しとしていません。
エンバーは文化的ギャップ、そして物理的なギャップ、そして自分の将来に関する相反する思いで心が乱れます。
しかし、ウェイドはおおらかに彼女の全てを受け止めます。
水らしい包容力で、彼はエンバーを優しく包み込み、守ります。
そして奇跡が起こります。
本作ではエレメントという奇抜なモチーフを使っていますが、そこで描かれている物語は多くの人が経験する共感できる気持ちです。
これがピクサーのオリジナリティだと思います。
一見、とっつきにくいからか、公開当初は興行成績振るわないという話がありましたが、徐々に口コミで評判が広がり観客動員は増えている様子です。
いい作品はちゃんと評価が上がりますね!

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2023年8月16日 (水)

「ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE」全てが明らかになるのは後編

「ミッション・インポッシブル」シリーズの第7作目ですが、トム・クルーズ出演作の中でも最大の制作費をかけて作られたそう。
それだけにボリュームもかなり大きく、本作は前編となっていますが、それでも2時間40分程度の長尺となっています。
「ミッション・インポッシブル」はスパイ映画ですので、敵との騙し騙されの諜報戦と非常に肉体的なアクションが見せどころのシリーズとなっています。
ですのでイーサンが相手の裏をかいていく知恵比べも見せ場の一つとなっていますが、本作の敵は時代を反映したAI。
相手を分析し、どのような行動を取るのかを予想し、様々な手をくり出し、またあらゆるネットワークに入り込み、欺瞞情報を流して、混乱をさせます。
人間であればイーサンは敵なしといったところもありますが、AI相手だと勝手が違います。
流石のイーサンも後手後手になり、その結果大切な人を失うという悲劇も経験します。
アクション的にも前半のローマでのカーチェイス、そして後半のオリエント急行でのシークエンスはこのシリーズらしく手に汗握るシーンの連続で見応えがあります。
シリーズの良さを正当に発展させた手堅い最新作という印象ですが、個人的には前半はややつかみどころがなくやや乗りにくい印象がありました。
特に新しい登場人物である、グレース、そしてガブリエルの行動原理が見えにくかったからです。
彼らは二人ともこの物語では重要な立ち位置となりますが、なぜこのように行動するか、彼らの真意が見えにくかったため、やや登場人物同士の関係性が掴みにくかったのですよね。
グレースはただ巻き込まれているだけなのか。
ガブリエルは過去にイーサンと因縁があり、今はAIと共同して暗躍しているようですが、彼がなぜそのように行動しているのかがわからない。
これは後編で明らかになるのかもしれませんが、ややもやっとしたところがあった印象です。
そのため数いる登場人物の関係性が把握するのに時間がかかり、やや前半乗り始めるのに時間がかかりました。
それ以外はスパイアクション映画として完成度は高く、長尺を忘れて最後まで一気に見ることができる作品となっており、全てが明らかになるであろう後編なのでしょうね。
この先の見えなさは主人公イーサンも同じであり、見る側に同じような不安感を抱かせるのは、狙いかもしれないと思ったりもしました。

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2023年2月23日 (木)

「#マンホール」主人公への共感の逆転

主人公がある危機的な状況下に置かれて、そこから必死の脱出を図るワンシチュエーション・スリラーには、[リミット〕など傑作が多い。
映画としてはシチュエーションが変わらず、画的に変化が出しにくいという点では不利であるではあるが、そのような制約を凌駕するようなアイデアがあるところが、評価が高くなる理由だろうと思います。
本作「#マンホール」もそのようなワンシチュエーション・スリラーの一つとなります。
主人公川村は結婚式の前の晩、同僚たちによるお祝いの宴会の後、酔ったためかマンホールに落ちてしまう。
落ちる際に怪我を負ってしまったため、川村は自力ではそこから脱出できない。
彼は助けを求めるが、次第にこのような状況になったのは誰かが仕組んだためではないかと強く疑いを強めていく・・・。
本作でユニークなのは、現代らしくスマートフォンやネットの力を使って主人公が脱出を試みようとするところでしょうか。
大概このようなワンシチュエーション・スリラーの場合、携帯電話は早々に壊れたり、無くしたり、バッテリーが上がったりして使えなくなることが多いですよね。
万能アイテムなので、設定に制限を加えにくいということで真っ先に封印されるのだと思いますが、本作は違います。
自分が落ちた場所を特定するために、スマホのGPSを使ったり、情報を集めるために偽アカで、ネット民たちに情報を募ったり、今時の使い方で状況の打破を狙います。
しかし、便利さゆえの危うさも描いていて、スマホはすでにハッキングされていてGPSは狂わされていて、主人公はそれに気づかずミスリードされてしまいますし、利用としていたネット民は勝手に暴走し、コントロールから外れていきます。
自分で制御できていると思いきや、かえって翻弄されてしまうというのはネットではよくあることだと思います。
全てをコントロールできているという、自信は本作の主人公川村の特徴だと思います。
冒頭、彼は優秀な営業マンで人々からも人望が厚い人物として描かれます。
しかし、マンホールに落ちてからは徐々に彼の本質が見えてきます。
なかなか探しにこない警察には、かなり強い口調でクレームを言いますし、元彼女に対しても打算的な発言で自分の思い通りに動かそうとしています。
これは冒頭のイメージの人物とは印象がかなり違う。
この違和感が実は伏線になっていたのです。
本作を観ていると、最初はこの主人公を気の毒に思い、助けてあげたいと共感を持ちますが、次第に明らかになっていく彼の本質を見るに従い、徐々に彼から気持ちが離れていく気分になります。
見ている側の主人公に対する感じ方がいつしか真逆にさせていく展開が巧みです。
ラストは想像していない展開で驚きがあります。
主人公への共感が180度ひっくり返った上で、このラストは腹落ち感がありました。「#マンホール」

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2023年1月22日 (日)

「MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない」自分の仕事観

久々に単館公開系の作品を見に行ってきました。
というのも前日に知り合いと飲んでいたら、こちらの映画をプッシュされたもので。
タイトルにあるように本作はタイムループものです。
「時をかける少女」や「うる星やつら ビューティフル・ドリーマー」のようなものです(事例が古いか・・・)。
最近では「東京リベンジャーズ」もそうですね。
そういう意味では使い古されたネタではあるのですが、これを仕事場で行うというアイデアが新しい。
舞台となるのは小さな広告代理店。
代理店といっても、大手の下請けで自転車操業をしているような弱小代理店です。
日々忙しく今日は何日だったっけ?みたいなことがあるようなお祭り状態(ビューティフル・ドリーマーの文化祭前にも通じるような)です。
私も似たような業界ではあるので、最近結構忙しくずっと毎日こういう感じが続いてる・・・っていう感覚を持ったりすることありますね。
彼らは1週間過ごすとそれまでのことを夢の出来事として、また月曜日から同じことを繰り返しています。
ある日主人公は同僚から指摘され、その事実に気づきます。
どうもその原因はタイトルにもあるように彼らの上司の部長らしい。
では、その上司にどうやって気づかさせるか、なのですが、ここが社会人らしいアプローチで面白い。
いきなり部長に言っても信じてもらえないだろうから、その下の役職の人に理解させなくてはいけない、その人に理解させるためにはさらに下の役職の人に理解させなければいけない。
まさに現代社会の課題である日本の会社組織の階層化を面白おかしくディスっています。
そういう日本の会社に対するシニカルな感じで展開させていくかと思いきや、後半で部長がタイムループを理解してからは雰囲気が変わってきます。
人は何のために仕事をしていくのか、という仕事をする人の本質的なテーマに入っていきます。
仕事をするのは自分のため?それとも人のため?
もちろん両方大事なのですが、どちらを大切に思うかはそれぞれの価値観でもあり、難しい問題です。
自分が出世し、どんどん上がっていきたいという上昇志向もアリですし、仲間と一緒にチームとして頑張っていくということに充実感を感じる人もいます。
主人公はタイムループを繰り返していく中で、自分の仕事観の本質はなんなのかということを見つめ直していきます。
意外と深い・・・。
個人的に業界が近いということもあり、みていてあるあるのところもありましたし、主人公の葛藤も身近に感じました。
社会人として長くやっていますので、思うのは仕事観ってずっと続けていくには結構大事であるということです。
仕事観が合わない環境でやっていくのはかなりしんどい。
自分の仕事観が何なのか、というのを気づくのは、社会人と暮らしていく中では重要だと思います。

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2023年1月15日 (日)

「モリコーネ 映画が恋した音楽家」二人のモリコーネ

エンリコ・モリコーネ。
この作品の中では、多くの人から映画音楽は彼がいなければ現在のような形にはなっていなかったと言われているほどに偉大な映画音楽の作曲家です。
彼が映画音楽を手がけるようになって多く知られるようになったのは、マカロニ・ウエスタンからのようですね。
この時期は私がまだ幼い頃だったので、彼の音楽を意識してはいなかったと思います。
しかし劇中で流される音楽はどれも聞き覚えのある印象強い音楽ですね。
私が個人的に印象的なのは、「ニュー・シネマ・パラダイス」と「アンタッチャブル」でしょうか。
ちょうどこれらの作品が公開された時期は大学生の頃で、多くの映画を浴びるように観ていた時期でした。
「ニュー・シネマ・パラダイス」は今でもこのテーマを聞いただけで、涙腺が刺激されるような感覚があります。
作品自体と一体となり、聞くたびに懐かしくも切ない気持ちがになります。
自分にとって大切なものを大切にしていきたい、という思いにさせてくれる曲なんです。
「アンタッチャブル」の劇中曲は聴くだけで、その曲が使われている場面が思い浮かびます。
オープニングタイトルの不穏な感じで緊迫感のある曲はそれから語られる物語を予感させますし、マローンが死ぬ場面で流れる音楽も抒情的でした。
この曲のメロディは「ニュー・シネマ・パラダイス」に通じるような彼らしいものだと思います。
「アンタッチャブル」のテーマは私は勇気がもらえるイメージがあり、よくここぞというときに聞いていました。
本作を見ると、ご本人はあまり推していなかったようですが(笑)。
私のモリコーネの印象はとてもメロディが美しいというものですが、ご本人はメロディは好きではないと言っていたので驚きました。
若い頃は非常に実験的な表現にもトライしていていたのですね。
メロディを否定してトライをしながらも、彼の中ではメロディが鳴っている。
また彼は非常に論理的に音楽を構築しています。
しかし、彼は物語から直観的にそこに相応しい音楽を生み出すことができます。
論理性と直観、全く違うアプローチですが、それが彼の中には同居していたのですね。
二人のモリコーネという言葉が出てきたと思いますが、彼の中で全く違うものの見方が同居し、融合して素晴らしい音楽を生み出してきたのですね。
最後に彼自身も、室内楽を目指したい自分と映画音楽を産んできた自分がどこかまでは対立していたようですが、晩年はそれが融合してきたと言っていました。
本作を見て、私が見ていない彼の作品も見てみたいと思いました。
持っている彼の曲もまた聴きたくもなりました。

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