2023年2月23日 (木)

「#マンホール」主人公への共感の逆転

主人公がある危機的な状況下に置かれて、そこから必死の脱出を図るワンシチュエーション・スリラーには、[リミット〕など傑作が多い。
映画としてはシチュエーションが変わらず、画的に変化が出しにくいという点では不利であるではあるが、そのような制約を凌駕するようなアイデアがあるところが、評価が高くなる理由だろうと思います。
本作「#マンホール」もそのようなワンシチュエーション・スリラーの一つとなります。
主人公川村は結婚式の前の晩、同僚たちによるお祝いの宴会の後、酔ったためかマンホールに落ちてしまう。
落ちる際に怪我を負ってしまったため、川村は自力ではそこから脱出できない。
彼は助けを求めるが、次第にこのような状況になったのは誰かが仕組んだためではないかと強く疑いを強めていく・・・。
本作でユニークなのは、現代らしくスマートフォンやネットの力を使って主人公が脱出を試みようとするところでしょうか。
大概このようなワンシチュエーション・スリラーの場合、携帯電話は早々に壊れたり、無くしたり、バッテリーが上がったりして使えなくなることが多いですよね。
万能アイテムなので、設定に制限を加えにくいということで真っ先に封印されるのだと思いますが、本作は違います。
自分が落ちた場所を特定するために、スマホのGPSを使ったり、情報を集めるために偽アカで、ネット民たちに情報を募ったり、今時の使い方で状況の打破を狙います。
しかし、便利さゆえの危うさも描いていて、スマホはすでにハッキングされていてGPSは狂わされていて、主人公はそれに気づかずミスリードされてしまいますし、利用としていたネット民は勝手に暴走し、コントロールから外れていきます。
自分で制御できていると思いきや、かえって翻弄されてしまうというのはネットではよくあることだと思います。
全てをコントロールできているという、自信は本作の主人公川村の特徴だと思います。
冒頭、彼は優秀な営業マンで人々からも人望が厚い人物として描かれます。
しかし、マンホールに落ちてからは徐々に彼の本質が見えてきます。
なかなか探しにこない警察には、かなり強い口調でクレームを言いますし、元彼女に対しても打算的な発言で自分の思い通りに動かそうとしています。
これは冒頭のイメージの人物とは印象がかなり違う。
この違和感が実は伏線になっていたのです。
本作を観ていると、最初はこの主人公を気の毒に思い、助けてあげたいと共感を持ちますが、次第に明らかになっていく彼の本質を見るに従い、徐々に彼から気持ちが離れていく気分になります。
見ている側の主人公に対する感じ方がいつしか真逆にさせていく展開が巧みです。
ラストは想像していない展開で驚きがあります。
主人公への共感が180度ひっくり返った上で、このラストは腹落ち感がありました。「#マンホール」

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2023年1月22日 (日)

「MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない」自分の仕事観

久々に単館公開系の作品を見に行ってきました。
というのも前日に知り合いと飲んでいたら、こちらの映画をプッシュされたもので。
タイトルにあるように本作はタイムループものです。
「時をかける少女」や「うる星やつら ビューティフル・ドリーマー」のようなものです(事例が古いか・・・)。
最近では「東京リベンジャーズ」もそうですね。
そういう意味では使い古されたネタではあるのですが、これを仕事場で行うというアイデアが新しい。
舞台となるのは小さな広告代理店。
代理店といっても、大手の下請けで自転車操業をしているような弱小代理店です。
日々忙しく今日は何日だったっけ?みたいなことがあるようなお祭り状態(ビューティフル・ドリーマーの文化祭前にも通じるような)です。
私も似たような業界ではあるので、最近結構忙しくずっと毎日こういう感じが続いてる・・・っていう感覚を持ったりすることありますね。
彼らは1週間過ごすとそれまでのことを夢の出来事として、また月曜日から同じことを繰り返しています。
ある日主人公は同僚から指摘され、その事実に気づきます。
どうもその原因はタイトルにもあるように彼らの上司の部長らしい。
では、その上司にどうやって気づかさせるか、なのですが、ここが社会人らしいアプローチで面白い。
いきなり部長に言っても信じてもらえないだろうから、その下の役職の人に理解させなくてはいけない、その人に理解させるためにはさらに下の役職の人に理解させなければいけない。
まさに現代社会の課題である日本の会社組織の階層化を面白おかしくディスっています。
そういう日本の会社に対するシニカルな感じで展開させていくかと思いきや、後半で部長がタイムループを理解してからは雰囲気が変わってきます。
人は何のために仕事をしていくのか、という仕事をする人の本質的なテーマに入っていきます。
仕事をするのは自分のため?それとも人のため?
もちろん両方大事なのですが、どちらを大切に思うかはそれぞれの価値観でもあり、難しい問題です。
自分が出世し、どんどん上がっていきたいという上昇志向もアリですし、仲間と一緒にチームとして頑張っていくということに充実感を感じる人もいます。
主人公はタイムループを繰り返していく中で、自分の仕事観の本質はなんなのかということを見つめ直していきます。
意外と深い・・・。
個人的に業界が近いということもあり、みていてあるあるのところもありましたし、主人公の葛藤も身近に感じました。
社会人として長くやっていますので、思うのは仕事観ってずっと続けていくには結構大事であるということです。
仕事観が合わない環境でやっていくのはかなりしんどい。
自分の仕事観が何なのか、というのを気づくのは、社会人と暮らしていく中では重要だと思います。

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2023年1月15日 (日)

「モリコーネ 映画が恋した音楽家」二人のモリコーネ

エンリコ・モリコーネ。
この作品の中では、多くの人から映画音楽は彼がいなければ現在のような形にはなっていなかったと言われているほどに偉大な映画音楽の作曲家です。
彼が映画音楽を手がけるようになって多く知られるようになったのは、マカロニ・ウエスタンからのようですね。
この時期は私がまだ幼い頃だったので、彼の音楽を意識してはいなかったと思います。
しかし劇中で流される音楽はどれも聞き覚えのある印象強い音楽ですね。
私が個人的に印象的なのは、「ニュー・シネマ・パラダイス」と「アンタッチャブル」でしょうか。
ちょうどこれらの作品が公開された時期は大学生の頃で、多くの映画を浴びるように観ていた時期でした。
「ニュー・シネマ・パラダイス」は今でもこのテーマを聞いただけで、涙腺が刺激されるような感覚があります。
作品自体と一体となり、聞くたびに懐かしくも切ない気持ちがになります。
自分にとって大切なものを大切にしていきたい、という思いにさせてくれる曲なんです。
「アンタッチャブル」の劇中曲は聴くだけで、その曲が使われている場面が思い浮かびます。
オープニングタイトルの不穏な感じで緊迫感のある曲はそれから語られる物語を予感させますし、マローンが死ぬ場面で流れる音楽も抒情的でした。
この曲のメロディは「ニュー・シネマ・パラダイス」に通じるような彼らしいものだと思います。
「アンタッチャブル」のテーマは私は勇気がもらえるイメージがあり、よくここぞというときに聞いていました。
本作を見ると、ご本人はあまり推していなかったようですが(笑)。
私のモリコーネの印象はとてもメロディが美しいというものですが、ご本人はメロディは好きではないと言っていたので驚きました。
若い頃は非常に実験的な表現にもトライしていていたのですね。
メロディを否定してトライをしながらも、彼の中ではメロディが鳴っている。
また彼は非常に論理的に音楽を構築しています。
しかし、彼は物語から直観的にそこに相応しい音楽を生み出すことができます。
論理性と直観、全く違うアプローチですが、それが彼の中には同居していたのですね。
二人のモリコーネという言葉が出てきたと思いますが、彼の中で全く違うものの見方が同居し、融合して素晴らしい音楽を生み出してきたのですね。
最後に彼自身も、室内楽を目指したい自分と映画音楽を産んできた自分がどこかまでは対立していたようですが、晩年はそれが融合してきたと言っていました。
本作を見て、私が見ていない彼の作品も見てみたいと思いました。
持っている彼の曲もまた聴きたくもなりました。

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2022年11月 2日 (水)

「マイ・ブロークン・マリコ」答えを探す旅

この作品はシイノと親友マリコの遺骨とのロードムービーだ。
二人のお互いの境遇は幼い頃から酷かった。
シイノは強さで戦って、マリコは周囲に合わせることで生きていた。
それでも世界は過酷で、二人はそれぞれの存在だけを頼りにサバイバルをしていた。
「あたしには正直、あんたしかいなかった」
とシイノは言う。
シイノはマリコを救おうとすることで唯一自分が生きている意味を感じていたかもしれない。
マリコは救われることで自分が生きていることを許されたと感じていたのかもしれない。
マリコはシイノに救われても、再びまた危うい境遇に自ら戻っていってしまう。
彼女は常に生きていることを許されたかったかもしれない。
そんなマリコをシイノは鬱陶しいと思いながらも、何度も彼女を救いにいく。
シイノもそこに生きる意味を感じていたのだろうか。
もしかすると二人は共依存の関係性であったのかもしれない。
しかし、突然マリコはシイノに何にも告げずに自殺してしまう。
シイノの心に渦巻いた想いは何か。
一人で逝ってしまった友人への怒り。
救えなかった無念さ。
救えなかったことにより、シイノ自身も自分の存在の意味合いを失いかけたかもしれない。
そんないろいろな想いでグチャグチャになってしまった心を
整理する、落ち着かせるための旅。
結局、シイノはこの旅で答えを出せなかったのかもしれない。
答えを出せなかったから、その答えを探し続けなければならない。
だからシイノは生きていく。

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2022年8月29日 (月)

「ミニオンズ フィーバー」やはりツボが違う

「怪盗グルーの月泥棒」は見ましたが、その後ミニオンズとは縁がありませんでした。
いつの間にやら、登場作品としては本作で5作目になるのですね。
12年ぶり・・・。
ミニオン、見た時は可愛いとは思いましたが、ギャグ自体はそれほど大爆笑という感じではなく、ちょっと笑いのツボが自分としては違っていたからでしょうか、積極的に見たいとは思わなかったのですよね。
いつものようにスルーするつもりでしたが、娘が行きたいということでしたので、お付き合いで行ってきました。
最近「この映画見たい!」とか主張するようになってきました。
いい具合に映画ファンに育っています。
今回はグルーの子供時代ということで、舞台は70年代になっています。
オープニングは往年の「007」風のようなイメージでこれは笑えました。
それなりの年齢の映画ファンではないとクスリとはいかないかと思いますが。
他にも所々ディスコとか、カンフーとか70年代に流行った要素が入ってきます。
個人的には70年代はまだ子供で、時代感覚はジャストミートではなかったので、オープニングとカンフーネタくらいしか反応できず・・・。
ギャグ的にも相変わらず、自分のツボとは違っていたようで、みるみるうちに瞼が重くなってきました。
娘の方は時代感などは関係なく、ミニオンたちのナンセンスな笑いを大いに堪能したようで、満足したようです。
終わった後「何回か寝てたでしょ」とツッコミを受けました。
気づいていたか・・・。

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2022年4月 3日 (日)

「モービウス」SSUは食い足りない

コミックでスパイダーマンに対するヴィランとして有名なモービウスを主人公に据えた作品です。
「ヴェノム」などと同じくSSU(ソニーズ・スパイダーマン・ユニバース)に属する作品となります。
みなさんもご存知のようにSSUとMCUはスパイダーマンをハブとして世界観の共有がなされています。
予告でも「スパイダーマン ホームカミング」のヴィランであるヴァルチャーが登場していて、マルチバースがどのように展開されるか話題になっていました。
まず、作品の内容ですが、非常にシンプルな内容でMCUやSSUを見ていない方にはわかりやすいかと思います。
逆に言えば、MCUにどっぷり浸かっている自分としては物足りない。
最近のMCUはいずれの作品も内容がトリッキーなところがありますし、また別の作品とのリンクなども見所だったりするので、見応えがあります(一見さんにはしんどくなっているかと思います)。
また最近のDCはユニバースはあまり気にせず、キャラクターを深堀することにより、内容の濃い作品を作っていると思います(「ジョーカー」や「ザ・バットマン」など)。
それらに比べると「ヴェノム」も「モービウス」もSSUの作品群は食べ応えがない印象です。
この手のヒーロー映画を見ていると、結末まで十分に想像できる内容でしたし(ジャレッド・レトの演技は良かったとは思います)。
アクションシーンは評価高い意見も聞きますが、私は暗くて早いので、あまり様子がわからず少しフラストレーションがありました(「ヴェノム」もそういう印象)。
<ここからネタバレあり>
予告で話題になっていたMCUとのリンクに関してです。
ヴァルチャーが「博士云々・・・」と言っていたカット、そしてモービウスが逃亡している背景にMURDERER(殺人者)と書かれたスパイダーマンのポスターが貼ってあったという点については本編にはありませんでした。
これはちょっと不誠実な感じを受けました。
予告である場面が本編にはないということは他の作品でもありますが、「モービウス」に関しては観客が興味を持つ部分を予告に入れておいて、それが本編にはないというのはちょっとどうかと思います。
ヴァルチャーは今回の作品でも大きく関わるかと思いますが、ミッドクレジットまで登場せず、ほぼおまけの扱いです。
ミッドクレジットでは「スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム」にリンクするようなシーンがありますが、これもちょっと説明不足。
ヴァルチャーはMCUに属するキャラクターですが、どうもNWHのマルチバースのゴタゴタで、逆にSSUの世界に飛ばされてきた様子。
NWHにおいて世界を越えるキャラクターは一定の法則がありましたが、ヴァルチャーに関しては何の説明もありません(色々考察することはできますが)。
思えば「ヴェノム」に関しても作品中ではMCUとのリンクに論理的な説明はありませんでした。
どうもSSUはMCUに比べて世界の構築に関して、荒っぽい印象があります。
MCUのケビン・ファイギもチェックはしているかと思いますが、この辺りの距離感はマーベル・テレビジョンのMCU作品群と同じようなものを感じます。
破綻しないように祈ります。

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2022年1月 3日 (月)

「マトリックス レザレクションズ」 今の時代にこの物語を語る意味とは?

こちらの作品、昨年末には見ていたのですが、レビューが年明けとなってしまいました。
「マトリックス」と言えば20世紀末に突如登場し、その後の映画へ大きな影響を与えた作品です。
サイバーパンク的な世界観、バレットタイムをはじめとする斬新な映像表現、カンフーを現代的に取り入れたアクションなど革新的と言っても良いでしょう。
同様な世界観としては押井守監督の「攻殻機動隊」が先行してきましたが、実写での電脳世界の表現に、私も初めて劇場で見た時は衝撃を受けました。
ただ1作目から受けたインパクトが大きかったせいか、その後に続く「リローデッド」「レボリューションズ」にはそれほど強くは心動かされることはなかったのも正直なところです。
1作目は「マトリックス」が描く世界をどう受け止めるのかという葛藤があったように思います。
その世界の謎も全ては明らかにはなっていなかったということもあるかもしれませんが、その葛藤が作品の力でもあった様に思います。
2作目、3作目はマトリックスの世界の種明かしをしているわけで、納得度が上がるほどに印象はこじんまりとしていく様な感じがしました。
そして本作「レザレクションズ」です。
レザレクションとはresurrectionで「復活」という意味があります。
「マトリックス」という作品が「復活」ということもありますし、主人公ネオが再び「復活」するという意味もあるのでしょう。
タイトルは複数形になっていますが、これは複数の復活があるという意味で、それはネオだけではなく、もう一人(トリニティ)の復活もあるということを表していると思われます。
肝心のストーリーですが、今なぜ「マトリックス」の新エピソードを語るのかということがわからなかったというのが正直なところです。
ストーリーにしても、映像表現にしても「マトリックス」らしいとは思うものの、1作目を超えてくるという印象にはなりませんでした。
同じ様なことを再生産しているのように受け取れました。
20年経って新たに語ろうとする場合、今の時代を何かしら反映したものであってほしいと思います。
1作目はインターネットが普及し始めた頃に語られた物語で来たるべき未来を予想したものでありました。
それからサイバーな世界はより現実と深く結びついている状況で「マトリックス」として何を語るのかということを期待していたわけですが、物語として大きな進化は見られませんでした。
そこが残念です。
映像表現としてもその後の作品が「マトリックス」を目標として、それを越えようとしてきた20年間で、明らかに古典的に見えるような表現になってしまった印象です。
偉大なシリーズの続編には、その時代に合わせたメッセージというものを含んでいってほしいと思いました。

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2021年11月12日 (金)

「燃えよ剣」 かたち、型、形

「それはかたちが悪いよ」
劇中で主人公土方が度々口にする言葉です。
この「かたち」とは何でしょうか。
かたち、かた、形、型・・・。
「形」は物の形状のことを意味し、「型」はある物の形を作るためのもの、鋳型のようなものを表します。
土方は「かたち」をこの二つの言葉の意味を包含しているような使い方をしているように思いました。
土方は天然理心流の使い手ですが、剣法にも型があります。
その剣法の思想が込められた基本の型。
他のさまざまな武術にも型があります
その基本があるからこそ、あらゆる状況においても戦うことができる。
型がしっかりしていなければ、動きがぶれる。
気持ちもぶれる。
土方の定めた新撰組局中法度も型の一つでしょう。
隊士たちが持つべき基本の心構えを定めたのが、この法度でした。
また土方はこの型を理性的に捉えていたようにも思います。
土方は天然理心流を納めていますが、後は洋式軍隊の必要性も説きます。
旧来の型にこだわりすぎず、それが良いものであれば新しい型も取り入れることができたということなのでしょう。
また土方の言う「かたち」には形の意味もあったように思います。
形とは外見の姿の意味になりますが、その形の持つ美しさも含意します。
「かたちが悪い」と言うのは美しくないという意味も入っているように感じました。
そこには生き様の美しさがあるのか、ということを問うているようにも思います。
土方は将軍領の農民の出身で、侍に憧れ剣を納め、京に登りました。
侍でなかったからこそ、侍らしい生き様にこだわりを持っていたのかもしれません。
自分の初志を貫き通す、そこに彼は美しさを感じていたように思います。
盟友近藤勇が土方から見た時に変節しているように思えた時も、彼は「かたちが悪い」と言います。
江戸から明治へ価値観が大きく変わっていく中で、人々はそのうねりに翻弄され、変わっていきます。
その中で土方は函館の地で死ぬまで初志を貫き通した稀有の人物でした。
土方にとっての「かたち」とは彼が思い描くあるべき姿であり、あるべき生き様であったのかもしれません。
激動の世の中でも、彼の中に芯としてあるぶれないもの、それが「かたち」なのでしょう。
このぶれなさ、潔さが人々が土方に魅力を感じる理由なのかもしれません。

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2021年10月11日 (月)

「護られなかった者たちへ」 手が届く人を護り抜く

現代社会が抱える社会的ないくつもの課題を取り上げ考えさせながらも、ミステリーとしてエンターテイメントとしても見応えがあり、そして登場人物たちの感情にも大きく心揺さぶられました。
ですので、どこから手をつけて感想を書いていいかわからないというのが正直なところです。
この物語の発端となるのは東日本大震災です。
まだ10年程度しか経っておらず、まだ生々しい記憶が残っている未曾有の災害でした。
人間の力ではどうしようもない、圧倒的な自然の力により、あっという間に普段の生活が破壊されてしまった。
家も家族も全て失ってしまった人々が多くいました。
予想もしていなかった理不尽な出来事により大切な人を失ってしまった憤りや先の見えぬ不安は現在のコロナ禍にも通じるところもあります。
本作で震災と共に大きなテーマとなっているのが、貧困です。
こちらについてもコロナによって職を失ってしまうことによる貧困の問題が昨今語られています。
持続化給付金など国もさまざまな施策を行っているものの、本当に届けたい人々に届けきれていないという課題があります。
実際にいくつか逮捕者も出ていますが、不正受給の問題もあります。
生活保護は最後のセーフティネットであるのにも関わらず、本当に必要な人はこぼれ落ち、不正で恩恵を得る不届き者もいます。
そもそもは全ての人が人間らしい最低限の生活を送るためという理想を具現化するための制度ですが、うまく運用できないという現実。
格差社会の深刻度が高くなるに従い、その対象者は増え続け、そしてまた不正も増える。
その制度を運用する人々も理想と現実のギャップに次第に疲れていくのもわからなくはありません。
本作で描かれる事件の犠牲者たちも元々は理想を目指していたのではないかと思います。
しかし、いつからか疲れ、本来は人々を守るため制度を運用するはずだったのに、いつしか制度を守るようになってしまったのかもしれません。
人々は救いたいが、制度が崩壊すれば救うべき人々が救えなくなる、そのような葛藤が彼らを疲れさせてしまったのでしょうか。
全ての人を護る、という理想は普通の人には少々重いのかもしれません。
しかしだからと言って、人を護ることを諦めていいわけではない。
人はその手が届く人はしっかり護るということを第一に考えていくのが大切なのかもしれません。
家族とか身近な人とかを。
主人公の利根が大切に護ろうとしたのは、本当の家族と思える人たちです。
かつて救えなかった命があったからこそ、自分の手を届く大切な人は護りたいという彼の思いはぶれなかった。
そのためには困難なこともあるかもしれない。
けれどその思いはおそらく護られる人々にも伝わるはず。
救われた者がいずれはまた誰かを救うようになっていくと素晴らしいことなのですよね。
本作の原作は中山七里さん。
どんでん返しの帝王と呼ばれる中山さんですが、本作もラストもかなり衝撃的でありました。
そしてラストで判明する利根と彼を追っていた刑事の人生が交わっていた震災時の出来事。
これもある種のどんでん返しですが、素晴らしかったです。

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2021年9月26日 (日)

「マスカレード・ナイト」巧みなミスリード

好評であった「マスカレード・ホテル」に引き続き、木村拓哉さん・長澤まさみさん主演での第二作目となる「マスカレード・ナイト」です。
刑事という仕事は犯人を探すという職務であることから人を疑うのが仕事です。
木村さんが演じる新田は敏腕刑事であり、まさにそれが徹底されているからこそ、今まで結果を出してきたのだと思います。
対してホテルマンが目指すのはお客様に最高の時間を過ごしていただくことであり、そのためには人を信じなくてはいけません。
長澤さん演じる山岸はまさにそのホテルマンの理想を徹底的に追求し、人を信じ抜こうとします。
前作では二人がその正反対の価値観をぶつけ合い、そして次第にお互いに認めあっていくという大きな流れがありました。
本作ではそれを前提とし、新田と山岸は自分の行動基準はしっかり持ちつつも、お互いの価値観も認め合っています。
警察側がホテル側から思うように協力を引き出せないことを苛立つ中で、彼らの立場を説明するのは新田ですし、ホテル側が警察のやり方に不満を持った時に、警察側が目指すことを話すのは山岸です。
前作は主人公ふたりの対立でしたが、本作では組織として警察とホテル側が対立している様子がより強く出ていたように思います。
その中で、新田・山岸の二人は相手の組織の価値観も理解して動こうとしています。
ミステリーとしてのストーリーもなかなかのものでした。
前作の時もそうでしたが、容疑者となる人々は演技の実績もある名俳優たちです。
そのためキャスティングだけでは犯人の想像はできません。
本作は演技巧者を巧みに配置しているんですよね。
なんとなくこの人はこんな役柄が多いといったステレオタイプなイメージで犯人が想像できてしまう場合がありますが、本作はその手はなかなか難しい。
例えば、木村佳乃さん。
この方は最近出演している作品でも、非常に振れ幅の大きい役柄を演じています。
良き妻の時もあれば、冷酷な殺人者の時もある。
最近はその振れ幅を大きさを利用したキャスティングであっと言わせたミステリーもありました(「ドクター・デスの遺産」)。
ミステリー作品の犯人当てはストーリーやトリックなどから論理的に導き出すのが筋ではありますが、あまりに疑わしそうな登場人物はミスリードと見て、犯人ではないと考えたりしますよね。
本作はそのようなミステリーを見る者の習性すらもミスリードのために使っています。
詳しくは語れませんが、この点はこちらの作品を実際に見てストーリテリングの見事さを味わってみてください。

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