2025年11月10日 (月)

「プレデター:バッドランド」弱者としてのプレデター

荒涼とした惑星に一人立つ戦士の姿。
それは人間ではない、プレデターだ。
本作では、今まで圧倒的なヴィランとして人間を狩ってきたプレデターを主人公とするシリーズ初の試みがなされた。
このシリーズは1987年の「プレデター」を端緒とする。
当時アクションスターとして最盛期を迎えていたアーノルド・シュワルツェネッガーを追い詰めていくプレデターは、それまで見たことがないヴィランだった。
人類を超えた科学力、強靭な肉体、そして凶暴な攻撃性。
どれもとっても人間が叶う相手とは思えず、さすがのシュワルツェネッガーでも叶わないのではないかと思われたほどだ(だからこそ後半の逆転劇は大きなカタルシスを生んだ)。
「プレデター」は好評を得て、その後多くの作品がシリーズとして制作されていくことになる。
同じようにシリーズ化されたものとしては「エイリアン」がある。
「エイリアン」と「プレデター」は今までもクロスオーバー作品も作られており(「エイリアンVSプレデター」「AVP2」)、また本作でも登場するウェイランド・ユタニ社は元々は「エイリアン」で登場していて、2つのシリーズは部分的に設定を共有している。
圧倒的な人類の敵としてエイリアンとプレデターは存在するが、大きく異なる点が一つある。
それは知性だ。
エイリアンは食いたい、殖えたいという本能に従って行動する。
それは人間に原初の恐怖を味合わせる。
対してプレデターは意思ある者として、人を狩る。
それは名誉であったり、楽しみであったりするのだが、圧倒的な科学・知性によって、人間は敵わないという諦めを感じさせるのだ。
この意思を持って狩りをするという点で、プレデターを主人公とする余地が出てくる。
エイリアンは凶悪であるが、猛獣と変わらない存在とも言え、物語の主人公にはなり得ない。
しかし、プレデターを主人公とすることにより、超越的な存在が、人間スケールに矮小化されてしまう恐れもあり、その点をどうしていくかが鑑賞前に心配していた点であった。
第1作目の「プレデター」はシンプルな言い方をすれば、弱者が圧倒的な強者に対して、知恵と工夫で打倒し、勝利するというストーリーである。
上段で書いたように、この構造がカタルシスを生む。
実は本作もこの構造をそのまま踏襲している。
主人公デクはプレデター一族の中でも最弱と呼ばれ、そのため長である父親にも疎んじらている。
プレデターでありながら、弱者としたこの設定が効いている。
彼は父親を見返すために、最強の戦士ですら難しいと言われるカリスクを狩ろうとする。
しかし、カリスクが生息する星は惑星全体の植物・動物が訪問者に牙を剥くバットランドだった。
その上、ウェイランド・ユタニ社も大量のアンドロイドを投入し、カリスクを捕獲しようとしていた。
そのような状況において、デクは圧倒的に弱者である。
装備は惑星に墜落した際に散逸し、ほぼ一つである。
バットランドに着いた後に出会ったアンドロイド、ティアから情報は得られるものの身一つであることは変わらない。
中盤までデクは、星の生物やアンドロイドたちに圧倒される。
しかし、「プレデター」のダッチと同様、デクはゲリラ戦に活路を見出す。
彼を苦しめてきた毒矢を放つ植物や、カミソリのような歯を持つ草、爆発する虫などを利用し、ウェイランド・ユタニの基地を強襲する。
まさに弱者が強者に対して、知恵と工夫で対抗するという展開だ。
これはカタルシスを生み、いつしかプレデターであるデクに感情移入している自分に気づく。
ティアと同型のアンドロイドで今回の敵役となるティアが操縦する大型のパワーローダーとの戦いは見どころがある。
このパワーローダーは「エイリアン2」で登場した機体よりも一回りも蓋回りも大きいサイズである。
大型ロボット対プレデターの戦い、という構図はSFファン、特撮ファンからすれば垂涎のものだ。
結果的に冒頭に挙げた懸念点は巧みに回避されたと思う。
プレデターはある意味、人間サイズに矮小化された。
デクが画面に登場した時にプレデターとしては貧相だと感じた(印象的なドレッドヘアも少ない)。
が、それゆえに感情移入できる対象としてなり得た。
「プレデター」シリーズとして新たな可能性を開いたかもしれない。

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2025年11月 8日 (土)

「『爆弾』」スズキタゴサクは何者なのか?

ある晩、名乗る冴えない中年男が野方署に連行された。
酔っ払って酒屋の自動販売機を壊し、その上店員にも暴行を働いたという。
その男は「スズキタゴサク」と名乗るが、取り調べをしていく中で「自分は霊感が強い」と言い、何かが起こると予言をし始める。
彼の言葉通り秋葉原で爆弾が爆発し、その後も次々と彼の予言通り東京の各所で爆発が起こっていく。
予告を見た時の本作の印象は、山田裕貴演じる捜査一課の類家と、佐藤二朗が演じる犯人スズキとの1対1のサイコサスペンスだった。
しかしいざ蓋を開けてみると、犯人スズキに対して、警察サイドは総掛かりで挑んでいる。
最初にスズキに対応するのは、野方署の刑事等々力で、次は捜査一課で類家の上司である清宮、そして最後に類家となる。
最後の類家とて、スズキの計画に肉薄するものの、事件を止めることはできない。
それほどまでに神がかった計画を立てたスズキタゴサクとは何者なのか?
普段から職場や学校に通うときに通っている道。
喉が渇いて目についた自動販売機でジュースを買った瞬間、爆発が起こり、吹き飛ばされる。
なんとも不条理である。
吹き飛ばされた人間に意識があれば、「なんで自分が」と思うだろう。
残された家族も「なんで彼が」と思うだろう。
不条理である、と。
本作には不条理に翻弄される人物が多く登場する。
野方署の巡査長矢吹もその一人。
彼は同僚に手柄を横取りされた結果、憧れの刑事になれず交番勤務を続けている。
彼にとっては不条理なことである。
彼が捜査の中で無鉄砲な行動をとりがちなのも、その不条理を取り消したいと考えるからであろう。
矢吹の同僚倖田は劇中でスズキに怒りに任せて迫る場面があるが、彼女の気持ちを動かしているのは不条理を許したくないという思いだろう。
これらの物語の発端となる野方署の長谷部の家族がその最たるものだ。
彼らは長谷部の起こした不祥事により、見知らぬ人々から心無い非難を浴びる。
確かに長谷部がしたことは恥ずべきことかもしれない。
しかし、だからと言ってこれほどまでに迫害されるほどのことなのか。
不条理である。
長谷部とコンビを組んでいた等々力にも同じような思いはあったろう。
不適切行為があったとはいえ、長谷部自身の刑事の力量や功績まで否定されるべきものではない。
その思いから出た言葉によって、また言われなく等々力自身も責め立てられる。
当事者は不条理と感じるが、実は当事者でない者にとってはそのように感じることはない。
部外者である彼らは、事件とは安全な距離を取れており、だからこそ無責任に推論し、勝手に発言する。
そしてそれが当事者たちをさらに苦しめるのだ。
しかし、スズキの行動は彼ら部外者を一気に当事者にした。
いつどこで、爆破に巻き込まれるかわからない。
不条理がいつ襲いかかってくるのか。
不条理、ということは理由がないと言うことである。
なぜそうなったか、ということが説明できない。
たまたま?偶然?
人は説明ができないことに対して、不安を抱く。
説明ができれば解決できる。
逆に言えば、説明ができないことは対処できない。
それは神の技かもしれない。
スズキの行為は神の視座とも言える。
彼はある意味、人を超越している。
彼は人間の良い面も悪い面も、強さも弱さも、そして人間こそが持つ矛盾も、深く理解している。
だからこそ人を翻弄できる。
スズキが等々力を好ましく思っているのは、彼が人の強さ、弱さ、矛盾を併せ持った人間らしい人物だからではないだろうか。
この映画の登場人物の中で、スズキの視座に迫れる唯一の人物が類家だ。
彼も鋭い観察眼、深い洞察力で犯人の本質に迫ろうとする。
彼は思考を深めていく過程で、スズキの視座に上がっていこうとする。
スズキもそれを楽しんでいるようだ。
しかし、類家自身が言っているように彼は人であることに「踏みとどまる」。
彼にとっては他人がどうしようもなくバカに見える。
自分の思考についてこれないことについて、イラつく。
しかし、それでも類家は人を超越しない。
神の視座には上がらない。
だからこそ、類家はスズキに勝てない。
スズキが仕掛けた最後の爆弾は結局見つからなかった。
事件に関わった者たちは、誰も容疑を認めていない。
類家の、警察の敗北である。
スズキタゴサクは何者なのか。
彼は不条理そのものである。

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2025年9月25日 (木)

「ブラック・ショーマン」新境地開けず

主演・福山雅治、原作・東野圭吾と言えば「ガリレオ」シリーズです。
テレビドラマ、映画と展開され、人気シリーズとなりました。
ドラマはそれまでの福山さんのイメージとは異なる理系キャラである湯川がハマり役となり、ユニークなトリックや豪華なキャストが演じる犯人との対決が見どころでした。
映画は、事件に関わる人たちの心情を深く掘り下げ、心を打つ物語が展開されて、ドラマとはまた違った趣の作品になっていたと思います。
そのタッグが再び組まれ、新しい物語が展開されるのですから、期待しないわけにはいきません。
福山さんが演じるのは天才マジシャン、神尾武史。
マジシャンですので、人の心理の隙をつくのを得意とし、実の兄が殺された事件の謎解きに挑みます。
理系でロジカルモンスターの湯川とは逆の人物のようでありますが、人を食ったような物言い、マイペースで捜査をしていく様は共通しているところもあります。
そのためか、また福山さんが演じているからか、神尾というキャラクターは新しさはあまり感じません。
「ガリレオ」を初めて見た時のような新鮮さを感じなかったのが正直なところです。
東野圭吾さんのドラマは事件の背景にある関係者たちがそれぞれ悲しみや葛藤を持っていることが多いです。
その隠された思いが次第に明らかになっていき、本当の思いにたどり着いた時に心を揺さぶられます。
本作においても登場人物たちの隠された思いはあり、それを神尾は明らかにしていきます。
しかし、それに触れた時、今までの「ガリレオ」シリーズにあったような身を切るような悲しみを感じるまでにならなかったというのが、正直な感想です。
その原因がどこにあるのか、私はわかりませんでした。
ミステリーらしく、探偵役が関係者を集め、真相を順々に明らかにしていく場面があります。
そこでは主人公がマジシャンならではで、派手な演出が仕込まれており、それに目をくらませられた登場人物たちが真実を口にし始めるわけです。
その派手な演出が、隠された思いの切なさを相殺してしまっているようなことが起こっている感じがしました。
フジテレビ的にはシリーズにしたかったんだろう、とは思いますが、なかなか厳しそうです。

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2025年9月23日 (火)

「8番出口」親になるまでの旅路

ボレロとおじさんが印象的な予告でした。
原作となるのはインディーズゲームだそう。
延々と地下鉄の通路をループしながら異変を見つけて脱出するというゲームらしい。
登場人物は非常に少なく、その中で主人公となるのが二宮和也さん演じる男。
彼はある日、地下鉄通路のループに迷い込んでしまいます。
そこはなんの変哲もないただの地下通路。
しかし、歩いていくと奇妙な出来事、異変が起こります。
明らかに異変であるのがわかるのもあれば、ほんのちょっとの違いであることもある。
それを見つけられなければ、また最初からやり直し・・・。
この無限ループは彼の心象とも言えます。
彼はこの無限ループに入る直前、恋人から妊娠したことを告げられます。
彼は激しく動揺をします。
子供を産ませるべきか、それともやめさせるべきか、そういう思いがぐるぐると巡っていたのでしょうか。
それともただ流され、その決断ですら、恋人に丸投げしようと思ったのでしょうか。
冒頭、電車の中で子連れの若い母親がサラリーマンに怒鳴り散らされる場面に彼は遭遇しています。
彼はそれを見ないようにし、イヤホンをして自分の殻に入りました。
このことから彼はあまり周囲に対して無関心であり、事なかれ主義であり、自ら決断するようなタイプでもないことがわかります。
そんな彼の目の前に突如現れた問題。
それは見てみないようにできる類のものではありません。
ぐるぐると巡る迷いが、まさに迷宮となった地下通路として表出しているように思います。
彼は喘息持ちらしく、ループに入り込んだ時は頻繁に咳き込み、よろよろと吸入器を使います。
地下通路に加えてこの描写は観る者に、強い閉塞感を感じさせる効果がありました。
男は彷徨う中で一人の少年と出会います。
彼は心細いこともあったのか、少年と行動を共にします。
その少年は、未来に彼が持つことになるかもしれない子供のメタファです。
子供と一緒に行動するようになってから、彼は咳き込むこともなくなり、足取りも確かなものになっていった印象があります。
そしてある命の危険を感じるほどの大きな異変があった時、男は少年を救おうと自分を犠牲にする行動をとります。
地下迷宮を巡る旅は、彼が父親としての自覚と成長を得る旅路なのかもしれません。
彼がはっきりと父親としての自覚を持った時、無限ループは終了するのです。
初めて親になる時は誰でも初めての経験です。
自分が親の役割を果たせるのか、考えます。
考えながら、そして動きながら、次第に親としての自覚が出てきます。
ゴールがはっきりとしているわけではないので、何をしたら正解なのかも若rない。
失敗しながら親をやっていく過程こそが、自覚を作る。
地下通路の無限ループは親として成長していく過程の象徴なのですよね。
こう書いてみると、おじさんパートの映画の中での意味合いがちょっとわからなかったですね。
無限ループの緊迫感を印象付ける、という意味はあったと思いますが、主人公の男の親としての成長にどう結びつくのかがちょっとわからなかった。
もう一回見るとわかるかな・・・?

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2025年9月15日 (月)

「バレリーナ:The World of John Wick」アナの美しさと強さを堪能しましょう

アクション映画は大好きなのですが、「ジョン・ウィック」シリーズはなぜか見ていません。
理由もなくたまたまなんですが、人気が出てシリーズが続いて公開するたびに、最初から見ないと、と思いながら今に至ります。
ではなんで「ジョン・ウィック」シリーズのスピンオフ「バレリーナ」を見たかと言いますと、女性が主役のアクション映画が好きなんですよね。
体格のいい男性のアクション映画もパワフルで好きなんですが、女性のアクションは体格が細い分、体格の差を埋めるような閃きがあって、トリッキーであったりしていて目が離せません。
女性らしい美しさがあるアクションも多いですよね。
「ニキータ」とかシャーリーズ・セロン主演の「イーオン・フラックス」とか、「アンダーワールド」シリーズとか、そういうのです。
もう一つは主演がアナ・デ・アルマスであったこと。
彼女を初めて見たのは「ブレードランナー2049」ですが、人間離れした美しさに驚きました(人間の役じゃなかったですが)。
その後「007」のボンドウーマンでブレイクしたのは皆さんが知るところです。
現在37歳ということですが、年に比べて童顔で、幼さと色気が混じり合ったような雰囲気が他の女優さんとは違います。
その彼女が主演でのアクション映画なので見ないわけにはいかんでしょう、というわけです。
「ジョン・ウィック」シリーズのスピンオフということで、最初から最後までアクションの見せ場は大変多いです。
冒頭のクラブでのアクションもアナの美しさと強さが際立ち見応えがあります。
後半はある街を舞台にしたアクションであり、街ごと全住民が彼女の敵となるという設定。
予告では火炎放射器に放水で対抗するという場面が流されていましたが、その前では双方火炎放射器を装備しての撃ち合いというが描かれました。
火炎放射器同士の立ち合いというアクションは自分が知る限り初めて見ました。
銃弾というのは当たらなければどうということはないわけですが、火炎放射器というのはあるエリアが焼き尽くされるわけで、その射線上に入ったらすなわち負けになるわけです。
いかに相手に放たせず、自分の間合いで放てるかというのが勝負になります。
相手が火を放つ場合は、その間合いから素早く逃げるという機転も必要です。
これは今まで見たことがないアクションで、アイデアが詰まっていたと思いました。
ストーリーはそれほど重要ではない作品です。
アナの美しさとアクションを堪能する映画だと思います。
監督はレン・ワイズマンで、「アンダーワールド」の監督でした。
美しい女性のアクションを撮るのはお手のものですね。

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2025年9月14日 (日)

「不思議の国でアリスと -Dive in Wonderland-」大好きをたいせつに

大人になると、周りに合わせていく、ということが習い性のようになってきたりします。
そうしないと周りから浮いていってしまうし、みんなと同じことはちゃんとアピールしないと使えないやつ、って思われてしまうかもしれないし。
それでいて、個性がどうとか、君のやりたいことは何なのか、とも聞かれたりもするので、混乱もしますよね。
主人公のりせは就活真っ最中であり、まさに社会と自分のすり合わせに初めて悩んでいるところです。
自分の子供を見ていると、まだ彼女は世間に合わせるということはまだあまり考えていないようで、自由に振る舞っています(まさにアリスのように)。
りせは就活で悶々としていた時、祖母が作ったアトラクションのテストに参加します。
そこは「不思議の国のアリス」をAIで再現したまさにワンダーランド。
その世界でお馴染みのキャラクターやアリスと出会います。
不思議の国はまさに不条理の世界。
そこにはそこの常識があるのかもしれませんが、りせにとってはまさに不条理。
そこは子供たちが初めて触れる社会のメタファーかもしれません。
わけもわからず不条理に縛られていってしまい、息苦しさを感じてしまう。
合わせていくほどドツボにハマる。
そこでアリスはそんな不条理などものともせず、自分のやりたいように振る舞って、不条理を突破していってしまいます。
縛られるってなんでしょう。
自分から縛られにいっているのかもしれない。
やりたいようにやれば、いいんじゃない。
不思議の国から帰ってきた時、りせとアリスはそれぞれ自分が好きなことを語ります。
他の人はわかってくれないかもしれない、けど自分が大好きなことを。
大好きなことがあるから、不条理の中でも頑張れる。
自分も会社に入った頃はちゃんとしないと、と気張っていたような気がします。
元々オタク気質ではあって、アニメとか特撮とか好きですが、そんなことは会社ではおくびにも出さず。
でも、最近は「推し」という文化が定着してきたので、次第にオープンにしたのですが、意外と他の人たちもそれぞれマイナーな「大好きなこと」があって。
そういうのがわかると、その人のこともより親しく感じたりもします。
大好きを、たいせつに。
縛られなくっていいんじゃない。

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2025年8月15日 (金)

「ファンタスティック4:ファースト・ステップ」MCU初心者に向けた「ファースト・ステップ」

今年に入ってMCUの映画は「キャプテン・アメリカ」「サンダーボルツ」に続いて3作目。
その中でも公開前の情報としては出来がいいという評判で、アメリカでは割と評論家的にも高評価だったようです。
本作の舞台となるのは従来のMCUのアース616とは異なり、アース828と冒頭に明示されていて、レトロフューチャー的な世界観となっています。
現実の世界を意識してリアリティ重視の従来のMCUとは異なり、映画的に違う世界を楽しめる良さはあります。
また、本作は違うアースであるために、基本的には今までのMCUを見ていなくても、全く問題がない作りになっています。
そしてテーマとなっているのは、家族です。
登場するファンタスティック4はヒーローチームではありますが、家族であるという側面も強い。
今までのMCUのヒーローチームは個性あふれるメンバーでそれぞれ個性も考えも違うので、衝突も多かったですが、本作は基本的にはそれぞれがお互いに愛情を持っているチームです。
そして彼らは基本的に善人であり、彼らが不本意にも得たスーパーパワーを人類のために使うのだという、意識がとても強い。
これは割と人格的に課題がある従来のMCUのヒーローとは異なっています。
ヒーローらしいヒーローと言っていいでしょう。
これらのことから「ファースト・ステップ」はMCUをあまり見ていない人、または挫折した人にとって、わかりやすいヒーロー映画となっていて、間口が広い作品となっているように思います。
これは「ヒーロー疲れ」と言われるようになった状況に対して、マーベルが出した一つの答えなのかもしれません(まさにMCU初心者に対する「ファースト・ステップ」)。
家族か、世界かの選択をギャラクタスに迫れれたファンタスティック4の葛藤は、多くの人にとってドラマとしても共感できるところだと思います。 そういうこともわかった上で、MCUにどっぷり浸かっている自分としては「ファースト・ステップ」は色んな意味で物足りないところを感じました。
ファンタスティック4がわかりやすいヒーローであることはエントリー獲得に必要だと思いますが、自分がMCUのヒーローが好きなのは、ヒーローでありながら皆不完全であることなんですよね。
トニー・スタークは天才ではありますが、自信満々の態度の裏にある、心の弱さなどが事件を引き起こすこともしばしばでした。
彼が完全ではないことがドラマを生んでいるのであり、だからこそ彼が好かれていたのだと思います。
完璧ではないからこそ人間的なんですよね。
「サンダーボルツ」などはまさにそれの究極で、個人的には大好きな作品の一つなのです。
本作のファンタスティック4はそれらの対極に位置していて、完璧なヒーロー、完璧な家族であり、そのあたりに絵空事感を感じてしまいました。
絵空事感には作られたようなレトロフューチャー的な世界観も影響しているかもしれません。
「サンダーボルツ」はMCUのコアファンを意識したマニアックな作りであり、「ファースト・ステップ」は間口の広い初心者を意識した作品であると思いました。
振れ幅としてはとても大きくて、これが次回作の「アベンジャーズ:ドゥームズデイ」でどう統合されるのか、ちょっと予想がつかないですね。
楽しみでもあり、怖くもありです。

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2025年8月 9日 (土)

「ババンババンバンバンパイア」吉沢亮の落差

「国宝」が大ヒットとなって話題です。
職場では私の映画好きは知られるところとなっているのですが、普段映画を見なさそうな方から「『国宝』どうでした?」と聞かれることが多く、その反響の大きさに驚いたりしました。
その「国宝」の主演である吉沢亮さんの歌舞伎女形の演技も凄まじかったです。
普段の映像での演技とは所作も声の出し方も違うと思いますが、素人から見れば完成度が高く、女形を演じていたと思います。
また、感情を伴う演技も見事なものでした。
個人的には、吉沢さん演じる喜久雄が地方をどさ回りしている時に、ビルの屋上でただ一人踊っている時の姿が印象に残っています。
狂っていると言いましょうか、鬼気迫るような印象がありました。
そのようにシリアスな演技において、現在の日本の若手俳優の中でも存在感のある吉沢さんが別の側面を見せているのが、本作「ババンババンバンバンパイア」です。
何を見せているかというとコメディのセンスです。
本作で吉沢さんが演じるのは、森蘭丸(かつて織田信長の小姓であった)。
彼は実はバンパイアで戦国時代からずっと生き続けているらしい。
そして蘭丸は弱っていた時に拾ってもらった銭湯で住み込みで働いていて、その目的は銭湯の息子、李仁が18歳になった時その血を吸うこと。
その時までに息子が童貞でいられるよう、側で見張っているのです。
なんとも馬鹿馬鹿しい設定。
「国宝」と大違いです(笑)。
しかし、蘭丸は至って真面目に李仁を大切に思っており、それは恋をしているかのよう。
吉沢さんのコメディが面白いのは、端正なルックスであるにも関わらず、本人は真面目におかしなことをやっているという落差があるからなんですよね。
この落差が半端ない。
役柄的にも笑わせにいっているわけではないので、なおさら落差が際立ちます。
この落差はなかなか他の方では出せないかな。
「国宝」は今年のNo.1作品となる可能性もあり、吉沢さんもシリアスな演技ができる実力者として評価されると思いますが、本作のようなコメディのセンスもときどきは見せてもらいたいものです。
期待しています。

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2025年7月13日 (日)

「フロントライン」見えない敵

コロナという当時正体不明の感染症が中国から広がり始めていた2020年初頭、その後世界中がこの病気で大混乱に陥ることを想像していた人はとても少なかったと思います。
今でこそこの病気は研究され、様々な対策がとられてるようになり、一般的なインフルエンザのような感じに落ち着いてきていますが、当時はこの病気に対して「得体が知れない」ゆえに恐怖心ばかりが先行していたような気がします。
私も2020年後半に感染し、その後ホテル隔離、そして病院に搬送された経験があります。
意識はありましたが、高熱や咳などはあり、体中が筋肉痛のように痛いという症状でした。
入院して1週間程度は酸素吸入をしていました。
完全隔離の病室で入院は1ヶ月弱にも及びました。
退院する時に先生と面談すると、入院当初は肺のレントゲンを取ると真っ白でひどい肺炎だったということです。
まだそのころは有効な薬も見つかっておらず、対処療法で患者を支えて回復を待つというところだったと思いますし、対応していただいた医師や看護士の方は、自分も感染するかもしれないというなか、しっかりとした対応をしていただいたと思っています。
本作で描かれるダイヤモンドプリンセスでの出来事は、コロナが発生した当初のお話です。
まだ日本国内に本格的に感染が広がり始める前であったと記憶しています。
この時期、コロナに関しては何も分かっていないのも同然でした。
しかし医師や看護士の目の前でどんどん感染者は広がっていく。
わからないから何もしないというわけにはいかない。
その時、その時でできることをやっていくしかない。
何が完璧な対応であるかなんかわかるわけがない。
その中で考えられる中での最良てを打っていくしかない。
正体がわからない敵(コロナ)に対しての戦いは、非常に困難で苦しいものであったと思います。
もう一つ彼らが戦っていた正体がわからない敵がいました。
世間の無理解という敵です。
当時は医師たちだけでなく、世間全般としてコロナに対して何も分かっていませんでした。
まだ本格的に日本に入ってくる前でしたので、対岸の火事的なものの見方もあったでしょう。
わからないものであるがゆえ、ネットでは正しい話も正しくない話も一緒くたに語られていました。
人はわからないものは忌避します。
触れたくないと思います。
人を救うために最前線(フロントライン)で働いている彼らもその忌避の対象となりました。
精神的には彼らにとってこちらの敵の方がきつかったのではないかと思います。
そのような困難さの中でも彼らはその最前線から逃げなかった。 自分の業務に対しての倫理観、そもそも人を救う仕事に就こうとした志に対して正直であったのでしょう。
志を同じくする人々が、それぞれが戦い、そして連携して巨大な敵と戦っていく姿に感動いたしました。
DMATのリーダーであり厚労省との窓口であった結城、彼の右腕であり最前線で指揮を取る仙道のやりとりなども心揺さぶられるところあります。
結城は世間とのフロントラインに立っていて、マスコミや風評・政治と向き合っています。
自分たちが大切にしていることとは全く異なる思惑や思考に対し、自分たちが正しいと思うことを通していくことに軋轢を感じています。
時折妥協してしまいそうになる時に、コロナのフロントラインにたつ仙道と話す中で医者として、そしてDMATとしての志に立ち返ることができました。
仕事というものに向き合っていくためにはやはり志が大切なのですね。
そしてその志を共有する仲間がいるということが。
今というタイミングでこの映画が作られたことには意味があると思います。
コロナが普通の病気になってしまい、あの頃のことが急速に風化しています。
ただ病気に限らず、まさに未曾有の出来事というのは今後も発生すると思います。
その時、何もわからない中、それでも進んでいかなければならない。
最善策は何かと止まっている暇はなく、その時の最良手を進めていくしかない。
その時の考えの礎になるのが、やはり志ではないかと私は思いました。

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2025年5月10日 (土)

「パディントン 消えた黄金郷の秘密」良質なファミリー映画

前作2作は未見なのですが、娘が見たいというので一緒に行ってきました。
ユーモアあり、冒険あり、ハートウォーミングありと、良質なファミリームービーという印象です。
前2作はロンドンが舞台だったということですが、今回はパディントンの故郷であるペルーに舞台を写しています。
そのためアドベンチャー要素が増しているようですが、「インディ・ジョーンズ」などの80年台の冒険ものが好きな私としては見ていて楽しかったです。
なんとなく懐かしい気分にもなりました。
娘の方は途中途中で挟み込まれてくるユーモア要素がツボだったようで、楽しそうに笑って鑑賞していました。
私も、遺跡にアイテムを投入したら、自販機のように吐き出されるという件などは笑ってしまいました。
冒頭にあったフリをここで回収してくるとは!
前2作を見ていなかったため、パディントンとブラウン一家の関係について深くわかっていなかったので、ラストについては見ていたらもっとグッときていたのだろうな、と想像していた次第です。
アントニオ・バンデラスやヘイリー・アトウェルなど脇のキャストも充実しておりました。
冒頭に書いたように、ファミリームービーとしてさまざまな要素がバランスよく構成されているので、大人から子供まで安心して楽しめる作品に仕上がっていると思います。

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