2020年12月 5日 (土)

「フード・ラック!食運」 肉食べたい!

食品業界では食べ物・料理のおいしそうな写真や映像のことを「シズル」と言います。
これは英語の「sizzle」(ジュージュー焼けている・揚げている感じを表す形容詞)からきていると言われています。
ですので、ただ料理が写っている・映っているだけでは「シズル」とは言えません。
見ていてまさに涎が出てきて、おいしそう!というような欲望をそそらせなければいけません。
私は社会人になってからずっとそこにこだわりを持って仕事をしてきたので一家言あるわけですが、本作の焼肉はまさにシズってました。
まあ、私の経験上、正直言って「焼肉」というメニューはシズル感を出すのは、それほど難しい素材ではありません。
焼肉そのもの自体は見た目にも香ばしい感じも伝わってきますし、何しろ映像的には音がいい。
ジュージューという肉が焼ける音は、聞こえてくるだけで食欲を刺激してくれます。
とはいえ、生肉から食べごろの状態に肉が変化していくタイミングはそれほど時間がないので、頃合いのいい状態で撮影するのは大変だったかもしれませんですね。
その成果もあってか、焼肉の料理のシズルはどれもおいしそうでした。
独身だったら、そのままその日の食事は焼肉になっていたことでしょう。
 
監督は食通と知られ、中でも特に焼肉にこだわりを持つことで知られるダチョウ倶楽部の寺門ジモンさん。
個人的には予告編での焼肉のシズルに惹かれて見に行ったわけなのですが、ストーリーも割とちゃんとしていたのが、嬉しい驚きでした。
主人公にはそれほど注目点はなかったのですが、脇のメンバーが良かったですね。
どちらかというと監督の目線は、周囲にいる料理人たちの方に向いているのではないかとも思いました。
主人公はそれら料理人・職人をストーリーとして繋ぐための媒介者のようにも感じました。
おいしい食を提供しようとする人々に共通するこだわり、それを描こうとしているのですよね。
ですので、主人公はこれぐらいがちょうどいい塩梅なのかもしれません。
土屋太鳳さんは女優としては、個人的にはそれほど評価高い方ではないのですが、うまそうに食べるなあとは思いました。
長年、人が食べるところを撮ったりもしてきたのですが、うまそうに食べるというのはなかなか演技では出せないのですよね。
それこそその人本来の持っているものという感じがします。
うまそうに食べるという点においては土屋太鳳さんはいいキャスティングであったと思いました。
ああ、それにしてもおいしい焼肉食べたいなぁ。

| | コメント (0)

2020年10月31日 (土)

「映画 プリキュアミラクルリープ みんなとの不思議な1日」 キャラの扱いが丁寧で好感

「プリキュア」の映画を生まれて初めて見に行ってきました。
4歳になる娘が「行きたい!」と言ったので。
こちらの映画は現在放映中の「ヒーリングっど♥プリキュア」とその前作「スター⭐︎トゥインクルプリキュア」、前々作「HUGっと!プリキュア」のクロスオーバー作品となっています。
これは「仮面ライダー」の「ライダー大戦」などでもお馴染みの東映が得意な企画なので、個人的には全く違和感はありません。
ちなみに「スター⭐︎トゥインクルプリキュア」は子供に付き合ってほとんど見ていて、思いの外、面白かった印象がありました。
ヒーリングっど♥プリキュア」は所々齧って見ている感じで、「HUGっと!プリキュア」に関しては全く見ていません。
すなわち今回は子供の付き合いで見に行ったわけですが、想像していたよりもストーリーもしっかりしていて大人でも楽しめるしっかりとした作りになっておりました。
同じ1日を何度も繰り返す、という設定は私としては「うる星やつら ビューティフルドリーマー」を思い出してしまうわけですが、年齢を感じさせますね・・・。
「プリキュア」初心者の私ですが、フォーマットとしては女児向け「スーパー戦隊」のようなものでしょうか。
「スーパー戦隊」ではチームの中心に立つのは概ね「レッド」ですが、「プリキュア」はピンクなのですね。
戦隊の方はリーダーとなるレッドについては、毎年いろいろなタイプのキャラクターが登場します。
熱血タイプ、冷静なリーダータイプ、底抜けポジティブタイプなど様々です。
私がちゃんと見ていた「スター⭐︎トゥインクルプリキュア」のピンクはキュアスターこと星奈ひかるですが、彼女は底抜けポジティブタイプでしたね。
彼女は基本的にポジティブで揺るぎがない。
自分が夢見ることが必ず叶うと信じられている。
それが彼女の強さであると見ていて感じていました。
現在放映中のヒーリングっど♥プリキュア」、そして本作の主人公であるのはキュアグレースこと花寺のどか。
彼女は幼い頃病気になってずっと入院していたこともあり、ちょっと自分に対して自信がないようなところがあるように感じていました。
ただずっと周りの人の優しさに支えられてきたこともあり、彼女自身も周りの人々を気遣う心を持っています。
それが彼女の力の源泉になっているのでしょう。
本作には過去のプリキュアたちが登場するものの、同じ日を繰り返させるリフレインという謎の存在により、彼女たちは昼の12時を迎えるとそれまでの記憶を失ってしまいます。
そのため、時の妖精ミラクルンのライトをもらった「ヒープリ」の3人のプリキュアは彼女たちの力だけで、リフレインと戦わなければなりません。
皆を救いたいという強い気持ちはあるものの、何度も負けてしまうキュアグレースは心が折れそうになるものの、それを支えたのがキュアスターの底抜けのポジティブさでした。
単純に過去のキャラクターが登場するお祭り的な映画かと思いきや、キャラクターの性格をしっかりと物語に絡めて、コラボレーションとして丁寧に作ってあることに好感が持てました。
敵となるリフレインにも寂しさがある背景が設定されており、そのあたりの回収も上手にできていると思いました。
ヒーリングっど♥プリキュア」はタイトルの通りテーマは病魔に蝕まれる地球をお手当てすること(キメ台詞は「お大事に」!変身シーンにも白衣を着るようなイメージがありますね)。
放送開始は2月でしたが、その後すぐに世界中がコロナ禍に。
まさに現実世界の地球が病魔に蝕まれている状況で、コロナを「予言」したとも言われていましたね。
ちょっと最近はテレビの方は見ていないので、現実の状況を受け、どのようにストーリーが展開しているのか、映画を見て改めて気になった次第です。
娘が録画しているのを見直そうかな・・・。

| | コメント (0)

2020年3月24日 (火)

「ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY」 自立した女

「スーサイド・スクワッド」のヒロイン(?)ハーレイ・クインを主人公としたスピンオフ作品で、DCエクステンデッド・ユニバースの一つ。
とはいえ、最近のDCはマーベルのような各作品が緊密に結びついているユニバース作品群とは異なり、キャラクターの個性を重視した単品主義に方針変更しているように見えます。
ですので、本作は「スーサイド・スクワッド」の続編的なストーリーとなっていますが、その他の作品との結びつきは薄いです。
「ワンダーウーマン」「アクアマン」「シャザム!」など個性豊かな作品が生まれてきているので、単品主義は悪い選択ではないと思います。
ただそれぞれの個性が強い分、好き好きが分かれるがあるのは致し方ないところかもしれません。
本作の前日譚である「スーサイド・スクワッド」自体が個人的にはあまり好みではありませんでした。
登場するキャラクターが多すぎているからか、作品のトーンの問題なのか、全体的にごちゃごちゃとしていて慌ただしい印象を持ったのです。
ノイジーで不条理な感触は制作者の狙いだったと思うのですが、個人的には性に合いませんでした。
その不条理さを体現していたキャラクターがジョーカーであり、その恋人であるハーレイ・クインであったと思います。
確かにハーレイ・クインは他にはない個性を持つキャラクターです。
彼女は既存の価値観には縛られない。
常識は通用しない。
前作では唯一彼女が縛られていたのがジョーカーへの愛であったのですが、本作では別れたことになっているため、もはや彼女を束縛するものはありません。
ハーレイ自身が言っているように、彼女は自立した女になったのです。
彼女が支持されたのは、誰からも何からも自由であるということだったのでしょう。
誰しも何かしらに縛られて生きています。
社会的な価値観であったり、人間関係やしがらみなど。
家族もある意味では縛りであったりします。
そういうものを全て放り出して、自由に生きたいと思う瞬間は誰しもあるものでしょう。
ですが、現実的にはそんなことはなかなかできません。
だからこそ映画の中だけでも、自分自身に正直で、奔放に生きる彼女に共感する人も多いのでしょう。
そういうことは頭で考えると分かるのですけれどね・・・。
個人的にはどちらかというと無秩序よりは秩序を大事にする方なので、どうも勝手気ままに自由すぎる生き様を見せるキャラクターにはなかなか思い入れができません。
最近のDC作品と同じように、本作はハーレイ・クインのキャラクターを重視した作風となっています。
ですので作品のトーンは無秩序であり、ノイジーです。
まさに彼女のキャラクターそのものの雰囲気です。
この作品を受け入れられるかどうかは、ハーレイ・クインのキャラクターに感情移入できるかどうかによるのでしょう。
私の場合はちょっと難しかった。
冒頭に書いたように好き好きが分かれる作品だと思います。

| | コメント (0)

2020年3月20日 (金)

「Fukushima 50」 あの時の経験を活かす

東日本大震災から今年で9年。
未曾有の規模の地震や津波に国民は恐れ慄きましたが、さらに皆が不安に感じたのは放射能でした。
震源地に近い海岸線にあった福島第一原発は、想定以上の津波に襲われ電源がシャットダウンされました。
そのため、原子炉の冷却ができなくなった結果メルトダウンし、放射能が炉外に漏れ出します。
さらには燃料棒を覆うジルコニウム合金が水と反応して発生した水素に着火し、水素爆発が発生。
原子炉建屋の屋根が吹っ飛んだ映像に驚いた方も多かったでしょう。
なぜ皆があれだけ放射能に恐ろしさを感じたかというと、誰も日本で原子炉事故といったケースを経験したことがなかったこと、そして放射能が見ることができず、何がどのように自分に影響を与えるのかがわからないことだったからだと思います。
経験もなく、見ることができない脅威だからこそ、根拠のない憶測が横行します。
皆さんも覚えているように、多くのデマや流言などもありました。
風評被害という言葉が多く使われるようになったのも、この頃だったと思います。
一般市民に対しいち早く正確な情報を伝えなければいけない政府と東電もまた憶測に基づき動いていたというのは、本作でも描かれている通りです。
未経験で不明瞭な状況だからこそ、確実に状況を見極めながら、できることを着実にやっていくということが大切になります。
それを行なっていたのが、まさに現場にいた「Fukushima 50」と呼ばれるようになったスタッフたちであったのですね。
彼らとて人間ですから、怖かったでしょう。
けれども一般人よりは放射能の怖さを知っているからこそ、高い職務意識で未曾有の災害に挑んだのだと思います。
想定外の津波であったという言い訳を言っている東電という会社は信用ならないですが、そこで働く人々は真摯でした。
スタッフの人命を守りながら、引かずに見えない恐怖と戦い続けた彼らには感服します。
その後の日本の社会に大きな影響を与えた事故でしたが、彼らが最前線で戦ったからこそ、今の復興もあるのかもしれません。
この作品を観ながらこのような事態は今まさに、日本で、世界で形を変えて起こっていると感じました。
そう、コロナウイルス です。
このようなパンデミックを現在生きている人々は経験したことがありません。
そしてまたウイルスは放射能と同様に見ることができません。
だからこそ皆不安を感じます。
あの時と同じように多くデマが流れ、トイレットペーパー騒ぎのように人々は右往左往しています。
しかし、あの時よりも日本社会全体としては冷静さは保っているような印象も受けます。
政府や地方自治体の動きもしっかりとして事態を把握し、冷静に対応していると感じます。
少なくとも東日本大震災時の首相のオタオタしたようなその場限りの対応の拙さはないように見えます。
また国民一人ひとりも欧米などに比べ比較的冷静に対処しているように感じます。
まだ状況は予断を許さないとは思いますが、「持ち堪えている」のは、あの時の経験が政府にも企業にも国民にもあるということが、他の国とは違うということかもしれません。
Fukushima 50と同じように、恐ろしさを感じながらも高い職務意識で患者に対応している多くの医療関係者の方もいらっしゃいます。
我々国民がしていかなければならないのは、あの時の経験を活かし、常に冷静に情報を見極め行動していくということだと感じました。

| | コメント (0)

2020年3月19日 (木)

「初恋」 ロマンとバイオレンス

三池崇史監督は好きなのですが、ここ数年の作品に関しては何かバランスが悪い感じがしていていました。
特に直近の「ラプラスの魔女」は三池監督らしくなかったと感じたのですが、さて三池監督らしいは何なんでしょうか?
バイオレンス?
もちろんこれも「らしさ」の一つでしょう。
ただ「テラフォーマーズ」や「無限の住人」でも特徴の一つであるバイオレンスの表現はありましたが、何か足りないというバランスが悪い感じがして仕方がありませんでした。
本作「初恋」を観終わった後、久しぶりに三池監督らしい作品であったと感じたのですが、それでやっと「らしさ」が何であるかわかったような気がします。
それは「ロマン」なのではないでしょうか。
「生き様」と言い換えてもいいです。
バイオレンスが特徴とされる三池作品は、実はロマンティックさも魅力のひとつなのだと改めて感じました。
本作ではヤクザとチャイニーズマフィアの激突が描かれるので、もちろんバイオレンスはたっぷりです。
しかし、それ以上にロマンティックさがある。
冒頭に登場するチャイニーズマフィアの女殺し屋チアチーが酒を飲みながら、今の日本人には「仁がない」というようなことを言ってボヤきます。
彼女は高倉健の名前を出しますが、日本のヤクザは仁義を重んじると考えていたが、現実はそうではないと言いたかったのでしょう。
確かに現実的にはヤクザの世界も世知辛い。
仁義を重んじるヤクザはすでになく、皆がイメージしている仁に厚いヤクザの姿は数々の映画などで作りあげられてきたファンタジーなのかもしれません。
本作に登場する多くの人物もそのような仁義を持ち合わせる人物は少なく、私利私欲のために動きます。
誰かを騙して自分だけが得をしようとする。
そのような人物が多い中で、ピュアすぎる主人公のレオとモニカの存在が際立ちます。
捨て子であったせいか、レオにははそもそも感情が薄いような、何か乾いている印象を受けます。
そしてさらに彼は自分の死が間近であることを知り、自分の人生が無意味であったように感じ、空虚さを感じるのです。
そしてもう一人の登場人物モニカは幼い頃より強い者に虐げられ、何かを望むことがありません。
ただ従順に言われたことを諾々とやっている。
彼らは望むことがない人々であり、欲に塗れた他の登場人物とは異なります。
その二人が出会い、レオはモニカを助けることだけを唯一の望みとして一緒に逃亡します。
彼は彼女を救うことに自分の存在する意味を感じたのかもしれません。
彼の思いは相手に何も求めないからこそ非常にピュアです。
実際の世の中に彼らのような純な人はなかなかいない。
ファンタジーとも言えるわけですが、だからこそロマンティックなのです。
三池監督は恋愛ものは初めてということですが、二人のピュアな想いを丁寧に描けており、改めて監督もロマンティックな人なのではないかと思ったのです。
他にもロマンのある人物が登場します。
登場するヤクザの中でも武闘派と言われ、チャイニーズマフィアと戦いを繰り広げる権藤です。
彼こそがヤクザ映画の中で描かれるファンタジーとしてのヤクザであったと思います。
売られた喧嘩はしっかりと買う、というある意味真っ直ぐなヤクザとしての信念を持っている。
計算高さはまるでない。
そういう意味では彼もピュアであるとも言えます。
そして冒頭にも紹介したチャイニーズマフィアの構成員であるチアチー。
彼女も仁義を大切に考える人物でした。
権藤もチアチーもその心情としては共通点がある二人でした。
もし彼らがもっと早く出会っていたら、展開も変わっていたのではないかと思うと少し寂しいものもあります。
今の世の中、彼らのような仁に厚いヤクザなどは存在しないとすると、彼らの存在もファンタジーであり、ロマンティックな存在です。
彼らはそういう人物だからこそ、レオとモニカをそれぞれ救ったのでしょう。
レオやモニカ、権藤、チアチーの存在が、油断のならない他の登場人物たちとの対比で浮かび上がります。
これはロマン(ファンタジー)とバイオレンス(現実)の対比なのかもしれません。
実はこれは三池作品に通底するものような気がしたのです。
こう考えると最近の作品で感じた「らしくない」感じは、このバランスがうまくいってなかったからかもしれないと思ったのです。
本作はそのバランスが非常に良く、さらにはロマンとバイオレンスの対比が明確に感じられるということで、三池監督の代表作と言っていいかもしれないと思いました。

| | コメント (0)

2020年1月25日 (土)

「フォードvsフェラーリ」 内なる戦い

1966年のル・マン24時間耐久レースで、フォードのGT40が優勝を重ねていたフェラーリを破り、1・2・3フィニッシュを決めた。
今でも語り草となる伝説のレースである。
タイトルを見ると、王者フェラーリに対する挑戦者フォードの戦いを描く映画のように思える。
もちろんその側面もあるのだが、この映画の中で本当に描かれているのは、伝統と歴史がある企業の中で、イノベーティブな者たちの戦いである。
自分も企業勤めをしているので、感じることがあるのだが、新しいことをやろうとするとき、しばしばそこに抵抗する者たちがいる。
その理由としては今までのやり方を変更したくないという保守性であったり、会社の事情よりは個人の思惑を優先させるようなことなどは現実としてあるのだ。
本作の中ではフォード副社長のレオ・ビーブが代表格だ。
そのような抵抗勢力に対する戦いはタフなものである。
対外抵抗勢力は強い権力を持っていたり、既得権限を持っていたりする。
その防壁の強固さはバカにできるようなものではない。
受け身でいるだけでは、その防壁の前に立ちすくむしかない。
防壁を崩すために最も必要なのは、強い意志だ。
こうすべきであるという強い意志。
イノベーターにはその先にある未来が見えている。
そのビジョンを具現化できる強い意思が必要だ。
そしてそのビジョンを「見える」ようにする力も必要だ。
主人公の一人、シェルビーは「過激な」プレゼンテーションをフォードの社長に行った。
過激ではあったが、百万の言葉を尽くすよりも1発で彼らが見えている世界を伝えることができた。
強い意思と、ビジョンを見えるようにする力、これがイノベーティブな者たちに求められる力なのだと思う。
そしてこれはなかなか一人の力でできるものではない。
スティーブ・ジョブズのようなスーパーマンは別として。
とはいえ、後年はジョナサン・アイブというビジョンを力にできる人間がパートナーとなっていた。
本作で言えば、シェルビーとマイルズがそうだろう。
彼らは性格もアプローチも全く違うが、見えている世界は一緒だった。
シェルビーは彼の立場で、マイルズは彼の立場で彼らが見ている世界を実現しようと一緒に戦ったのだ。
 
レースシーンはものすごく迫力があった。
今回はIMAXで見たので、映像・音響で本当にレース場にいるような気分になれた。
Playstationのゲームで「グランツーリスモ」というレーシングゲームがあるのだが、その中には現実のレースコースも入っており、ル・マンも収録されている(現在のコースも、過去のコースも)。
そのコースの中にユノディエールと呼ばれる直線コースがある。
現在は途中に二箇所のシケインが設けられ、3つの直線コースに分割されているが、この映画の時代はそれらが全て繋がった非常に長いストレートだったのだ。
ゲームでそのコースを走っていてもちょっと速度感がわからなくなるようなことがあった。
その直線の後にかなり急角度のカーブがあり、しばしばコースアウトしてしまうのだ。
本作でもそれと同じシーンは何度も出てきていたが、非常に臨場感があったと思う。
ドラマの部分も見応えはあったが、レースシーンという点でも迫力を感じることができた。
2時間半という長尺の映画だが、その長さは感じなかった。

| | コメント (0)

2019年10月27日 (日)

「フット:ザ・ビギニング」 今風でもありクラシカルでもあり

本作は邦題のタイトルは「フット:ザ・ビギニング」ですが、オリジナルのタイトルは「Robin Food」。
ロビン・フッドの映画といえば、ケビン・コスナー主演の1991年の作品、ラッセル・クロウ主演の2010年の作品がありますね。
いずれもスターと著名な監督を起用した大作となっています。
そして両作品ともに歴史物というよりはエンターテイメント性の高い映画として作られており、個人的には両方とも好きです。
ロビン・フッドとは民衆のために悪い代官と戦うヒーローなわけで、定期的に映画化したくなるような題材なのでしょう。
本作「フット:ザ・ビギニング」も過去の作品と同様に歴史物というよりはエンターテイメント性の高い作品として作られています。
邦題に「ビギニング」とあるように、過去の2作品はロビン・フッドは完成された大人として描かれていましたが、ロクスリーがロビン・フッドになる過程を描いている作品となっています。
そのためロビン・フッドのキャスティングはケビン・コスナーやラッセル・クロウよりはやや若めのタロン・エジャトンとなっています。
これは今回の物語からするとまさにぴったりのキャスティングだったと思います。
最初の「キングスマン」は若々しいエージェントが似合っていましたが、最近では「ロケットマン」などでも演技力で魅せていますし、今回の領主でありながらヒーローという役回りに合っていたと思います。
弓を使ったアクションもスピード感があって見応えがありました。
弓矢というと遠距離戦というイメージですが、本作では近接戦闘での弓矢をうまく使うというのが、非常に新鮮でした。
ロビン・フッドというのはおそらく日本で言えば水戸黄門のような時代劇な感じがします。
その場合、やはり悪役は徹底的に悪くないと、最後は溜飲が下がりません。
そういう意味では、今回の敵役の代官は非常に憎らしい。
最近の映画は悪役も色々背景があったりして彼らなりに悪を行う理由があるといったものが多いですが、本作はクラッシックに悪役が悪役らしくていいですね。
アクションなどは現代らしいスピード感があり洗練されたものでありながら、内容の骨子はクラシカル。
娯楽映画としてはこのくらいのさじ加減は見やすいと思います。

| | コメント (0)

2019年9月30日 (月)

「ヘルボーイ(2019)」 原作の雰囲気に忠実ではあるが凡庸

原作者のマイク・ミニョーラが脚本にタッチしているからか、ギレルモ・デル・トロの「ヘルボーイ」よりも原作の雰囲気が出ているような気がします。
というよりも、今思うとデル・トロの「ヘルボーイ」はデル・トロ色が強いのかもしれません。
ヘルボーイとリズの恋などは、異形の者との愛を描く「シェイプ・オブ・ウォーター」に通じるものを感じたりします。
ヘルボーイ自身が人間と悪魔の間に生まれたという異形の者ですが、さらにリズなどの描き方は常人とは異なる能力を持つことによる疎外感を感じさせます。
異形の者への愛情というのが、デル・トロの作品には通底していることで、それが「ヘルボーイ」という題材と相性が良く、彼らしさが出ていたのだと思います。
本作はデル・トロ版よりも原作が持つオカルティックな雰囲気を素直に描ことしていたように感じました。
R指定の作品となっており、残酷めな描写も多々ありますが、それもまた原作に忠実な印象を受けました。
「ヘルボーイ」の原作コミックは何冊か持っているのですが、「ヘルボーイ 百鬼夜行」の中のエピソードをベースにしていると思います。
ストーリーは違うのですが、登場するキャラクターやシーンなどに共通な要素が見受けられます。
このエピソードは、他のものよりも更にオカルト色が強いように感じました。
そのような原作が持つ特色を大切にしたのだろうと思われます。
「ヘルボーイ」の映画化作品としては、誠実に作られているように思いますが、卓越したレベルに仕上がっているかと言われるとそこまではいきません。
デル・トロ版が、原作の持つ雰囲気を持ちつつも、彼の作家性を強く出し、個性的であったのに比べると、本作は凡庸であると言わざるをえません。
作中でいくつか次回作に向けた種まきをしていましたが、次に繋げることはできますでしょうか。

| | コメント (0)

2019年5月20日 (月)

「バイス」 日米の政治観の違い

ジョージ・W・ブッシュ大統領の時の副大統領であったディック・チェイニーを主人公とした作品。
チェイニーの名前は当時の報道などで聞いていて、副大統領であったこと、あとはネオコン(新保守主義)に属する政治家であることは知っていました。
イラク戦争などを開始したことでアメリカが大きく変わり、それによって世界が変わっていこうとしていた時で、ネオコンという考え方にやや危険なものに感じていたので、覚えていたのだと思います(現在の方がさらに危険な匂いを感じますが)。
とはいえ、具体的にチェイニーが何をしたかということはよくは知ってはいませんでした。
予告を見た時は、大統領ではなく副大統領に目を付けるとは渋いところをついてくるなといった印象でした。
どちらかといえばクリスチャン・ベールがまるで見た目が違うチェイニーになりきって演じている様子に興味を持ちました。
彼はいつも役に合わせて、変幻自在に見た目から何から変えてきますが、その技を見たかったというのが鑑賞理由の第一でした。
確かにクリスチャン・ベールのなりきりっぷりは抜群でした。
「ウィンストン・チャーチル」でチャーチルになりきったゲイリー・オールドマンも素晴らしかったですが、クリスチャンもさすがです。
これも特殊メイクということですが、普段の彼の容貌がわからないくらいの変貌ぶりでした。
彼が演じるチェイニーと、本物のチェイニーの写真を比べれば確かに違うのですが、劇中の彼を見ていると印象はまさに本物のよう。
喋り方なども似せてきているのですよね。
容貌を寄せるだけではなく、その人物の特徴を巧みに捉える技はさすがです。
日本ではなかなか「バイス」のような実際の政治をテーマにした作品は見当たらないですよね。
色々と気を使うことがあるのでしょうが、こういうある政治的なスタンスが明らかな作品も作られるというのがアメリカらしいところだと思います。
どちらかといえば、アメリカで映画を作るような人々の多くはリベラルなので、ネオコンとは逆の立ち位置にいる方が多いかと思うので、この作品のようなスタンスの作品が作られるのだと思いますが。
本作はコメディのような笑いであったり、アイロニーを含んだ描かれ方をしています。
個人的にはアイロニーが効きすぎている気もしましたが、この目線も日本にはあまりない視点です。
日本では政治を笑い飛ばすと不謹慎であるという雰囲気がありますよね。
それは歴史的に政治は社会上高位にある人々が行ってきたという背景があり、庶民は口出ししてはいけないというイメージがあるのかもしれません。
日本では政治が身近ではないとよく言われますが、政治家だけの問題ではなく、一般人も何か遠いものと見るスタンスがあるのではないでしょうか。
アメリカは建国時から民主的な選挙で社会の代表を選び、政治を行ってもらうという体制をとった世界初の国です。
ですので、政治はそもそもが民衆のものという考えがあるのでしょう。
民衆の代表が政治を行っているわけですから、その中には時折おかしなことを言う者も出てくるというのが社会的には折り込み済みなのかもしれません。
ですから、そのようなものが出てくるとからかったり笑い飛ばしたりする。
それは彼らもそもそもが民衆の一人であるからという基本的なスタンスからきているような気がします。
政治とは関わるのは面倒くさい存在というより、大いに関わりあうべき存在なのでしょう。
日米の政治観の違いというのを感じた一作でした。

| | コメント (0)

2019年4月20日 (土)

「ハンターキラー 潜航せよ」 潜水艦モノは面白い、しかし名作と呼ばれるには何か足りない

潜水艦映画好きなので、見逃すわけにはいきません。
「眼下の敵」「Uボート」「レッド・オクトーバーを追え!」「クリムゾン・タイト」・・・、潜水艦モノには好きな映画が多いです。
目を使うことはできず耳だけが頼りであり、狭い空間にいながら、常に周囲を高圧の海水に囲まれている。
海中に潜ってしまえば例え味方でも連絡は取りにくく、緊急事態においても判断は己で行わなければならない。
潜水艦という環境そのものが、精神的にハイプレッシャーを受ける状況なわけで、そこで展開されるドラマが面白くないわけがありません。
これが潜水艦映画にはハズレなしと言われる所以なのでしょう。
さて本作「ハンターキラー」はどうでしたでしょうか。
うん、悪くはない。
面白くないわけではありません。
ただそれがこの映画だからこそ面白いのかと言われると、上で書いた潜水艦映画で描かれる状況として基本的に持っている緊張感ゆえに面白いと言えなくもありません。
例えば「クリムゾン・タイト」であれば、潜水艦という狭い環境の中での強い信念を持った男同士の争いを合わせて描いていることが作品の個性であるし、「レッド・オクトーバーを追え!」であればスパイ映画風味を加えたところが作品のオリジナルさであると言えます。
それでは本作「ハンターキラー」はどうであったかというと、他の名作と言われる潜水艦作品と比べると際立った個性はあまり感じられません。
どちらかと言えば、今までの潜水艦モノで見たような既視感を感じるようなところもあります。
とは言え、決してつまらないわけでもありません。
潜水艦モノらしい緊張感はある作品になっているとは思います。
国とかは関係なく海にいる者同士が感じるリスペクトなどはやはり胸アツですしね。
ほんともう少しひねりが効いていれば、潜水艦映画の名作入りだったかもしれないのですけれどね。
潜水艦モノは普通にやっていても及第点は取れるいい題材なので、やはり名作と呼ばれるためにはもう少し際立った個性が必要であると思います。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧