2021年9月24日 (金)

「鳩の撃退法」 映画ならではの難しさ

かつて直木賞を受賞したこともある小説家津田は久しぶりに作品を書き上げようとしていました。
それを編集者に読ませていますが、彼には実際あった出来事を作品を発表し、当事者とトラブルになったという前科がありました。
そこで書かれている物語はフィクションなのか、それとも実際の出来事なのか・・・。
原作小説は未読なので小説も映画と同じ構造なのかがわかりませんが、ちょっと構成的にわかりにくい作品ですね。
物語は津田の小説で描かれているフィクションパートと実際の津田の現在のリアルを描くパートと、大きく2つのパートで語られていきます。
彼の小説で描かれていることがフィクションか否かが一つの映画のポイントとして置かれていますが、実際見ているとこの構成が効いてくるのは、ラストシーンだけなのですよね。
津田の小説で描かれている事件そのものもかなり複雑なので、リアルパートがあるとさらに複雑な印象になります(とはいえ、事件そのものには直接的にはタッチしていないので実際は複雑ではない)。
これは映画というビジュアルメディアならではの弊害かもしれません。
両パートに共通して出てくるのは主人公津田ですが、あまりビジュアル的にも変わらないので、どっちのパートかちょっと戸惑うところもあります(一緒にいる人物で判別するわけですが)。
これが小説であれば、もう少しわかりやすいのかもしれません(原作も同様な構成をしていれば、の話ですが)。
津田が小説で語る出来事は、それが事実であれば彼が実際に見聞きしたものでなければなりません。
文章であれば、叙述トリック的な手法を含め、色々仕掛けを施すことができるかと思います。
しかし、映画だとどうしても「見えてしまう」ので、そのような文章上の仕掛けを行うのは難しくなってしまうのですよね。
その辺がうまく処理できず、複雑な印象を持たせてしまったような気がします。
富山の事件についてはそれだけでもドラマがあるので、そこにフォーカスしてもよかったのかなと思いました。
その事件のキーマンとなる秀吉自体には娘を持つ身としてとても共感するところはありました。
主人公の津田を演じるのは藤原竜也さん。
このところ、「カイジ」をはじめ、こういったクズ男を演じることが多いですが、ハマりますよね。
なかなか他の人ではこの感じは出ません。
強い人にボコボコにされているときの情けない感じはこの人ならではです(褒めてます)。

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2021年8月31日 (火)

「パウ・パトロール ザ・ムービー」パウっと解決!ワンダフル!

こちらも娘と一緒に見に行ってきました。
「パウ・パトロール」はNetflixのアニメの中でも娘のお気に入りの一つです。
まず見ていて驚いたのは、劇場版ということでCGの精度がかなりアップしていること。
テレビ版は予算の関係かCGの表現力は一昔前のレベルでしたが、劇場版は他のスタジオの作品と比べても遜色ありません。
主役のワンちゃんたちの毛並みが違います(笑)。
さてストーリーはというと、大人が見ても結構楽しめます。
パウ・パトロールはケントという男の子と、その仲間のワンちゃんたち(チェイス、マーシャル、ラブル、ロッキー、スカイ)で構成されていますが、今回はその中でもチェイスが主役的な扱いでした。
舞台となるのはアドベンチャー・シティという都会。
チェイスが子犬の頃に捨てられたいた街で、そのためにチェイスは幼い頃の不安な気持ちがトラウマのように湧き上がってきて、いつものように活躍できません。
彼が怖気付いてしまったため、ケントがピンチに陥ってしまいます。
そこでチェイスは勇気を振り絞り、トラウマを克服してケントを救出するのです。
見終わった後、娘がこの場面を熱心に語り「感動した!」と言ったことに、親として感動してしまいました。
物語を見て、主人公の気持ちに共感することができる。
成長したなぁ・・・。
また映画ということでパウ・パトロールのメンバーが乗るビークルもグレードアップ。
チェイスが乗るのは通常はポリスカーという名のワゴン型パトカーなのですが、本作ではGTR的なスポーツタイプに。
そしてこれがバットモービル的な装甲車風へ変形。
さらにはポリスカーからバイクまで発進するのです。
これがメチャクチャかっこいい。
メカ萌えします。
男の子だったら、おもちゃをねだるところだろうなぁ。
娘だったので、ねだられなかったですが。
子供のお付き合いということで見に行った作品でしたが、お父さんも結構楽しんでしまいました(笑)。
チェイス以外のワンちゃんも個性的なキャラなので、他の子達のエピソードも見てみたいですね。

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2021年8月24日 (火)

「フリー・ガイ」 思いの込められたプログラム

私は映画を見に行くと必ずパンフレットを買う派なのですが、本作はパンフレットを作っていないとのこと。
非常にマイナーな作品の場合にパンフレットがないというはありますが、このくらいの規模の作品でないのは珍しい。
これってディズニー(20世紀スタジオは今ではディズニー傘下)のコロナ禍における劇場での公開方針が定まっていないことの余波かもしれません。
「ブラック・ウィドゥ」は劇場公開と同時にディズニー・プラスでも配信したため、大手の劇場(東宝系や東映系など)が公開を見送りました。
アメリカでは公開週はこの方法でかなりいい立ち上りではあったが、2週目以降は成績は落ちていったという話もあります。
そのためかディズニーは本作と「シャン・チー」は劇場公開後45日間は配信しないという方針に変更しました。
本作は元々「ブラック・ウィドゥ」のように劇場公開はあまりしない方針だったのかもしれないですね。
なので、パンフレットは作らなかったのではないかと思いました(「ブラック・ウィドゥ」はパンフありましたが、これは昨年作っちゃっていた在庫かも)。
「シャン・チー」はパンフ作ってくれるよね・・・?
映画そのものの話から逸れてしまいました。
この作品の主人公はモブキャラのガイ。
モブキャラというのはゲームの中の背景キャラのことで、ゲームの中でいつもその場所に行くと同じセリフ・リアクションするキャラっていますよね、あれです。
しかし、ひょんなことからそのモブキャラが自我に目覚め、憧れの女性に再び会うために、自ら行動を起こします。
ガイが存在しているゲーム「フリー・シティ」はオープンワールド系のゲームで、プレイヤーはゲーム内で好きなことをなんでもできます。
このゲームでは銀行強盗したり、人を倒したりすることでポイントが稼げるらしい。
そんな中でガイは人助けなどの「いいこと」をしていってポイントを稼ぎ、レベルを上げ、「フリー・シティ」のプレイヤーの間でも評判のヒーローとなっていきます。
自分がやりたいと思うことをやっていくことは意外と難しい。
「フリー・シティ」のベースとなるAIを開発したキーズは、自分が書いたプログラムを商品化したアントワンに雇用され苦情処理係の立場になっています。
その立場を仕方がないと受け入れてしまっている様子。
対してキーズの共同開発者であるミリーはアントワンに対し、盗用していると訴えていました。
ガイには実はキーズの想いが込められていました。
キーズがずっとミリーに抱いていた想いをガイのプログラムに書き込んでいたのです。
そのため、ガイはミリーのアバターにゲーム内で出会った時、運命のように感じたのでした。
ただのゼロイチのプログラムの中に想いが込められていて、それがきっかけでAIが自我を持ってしまうという設定が素敵だなと思いました。
映画でAIが自我を持つというと、殺伐な未来であることが多かったりしますが、想いをベースにしたAIだったらそんな暗い未来ではなく、本作のようなハッピーな世界ができていくかもしれないですね。
本作は元々20世紀フォックスで企画が進んでいましたが、ディズニーが買収した後も20世紀スタジオとして制作が継続されました。
それによりマーベルやルーカス・フィルムとも兄弟会社となったため、いくつかファンに向けてのサプライズがありました。
終盤ガイがピンチの時にアイテムとして「キャップの盾」を選択しますが、それと同時に「アベンジャーズ」のテーマが。
続いてカメオ出演のクリス・エヴァンスが「僕の盾?」という展開です。
さらには続いてガイが選んだアイテムはライトセーバー。
ここでも「スターウォーズ」のテーマが流れます。
何も関係ないと権利関係で難しいところですよね。
嬉しいサプライズでした。
あとガイが最後に橋を渡ろうとした時にかかる音楽が「アメリカン・ヒーロー」のテーマ。
80年代のアメリカのドラマですが、私は大好きでよく見ていました。
これは偶然手にしてしまったスーパースーツの力で、人々の平和のために頑張るしがない高校教師のお話なのですが、ガイに通じるところもあるので、これを選んだのかなと思いました。

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2021年8月 9日 (月)

「パンケーキを毒見する」 よくぞ言ってくれました

もともと政治には興味があり、選挙は必ず投票にいく方ではありました。
政治絡みのニュースも興味深く見ています。
ですので、現菅政権を見ていると忸怩たる思いになります。
政策が云々という話はもちろんあるのですが、記者会見などでの首相の受け答えがあまりにひどく噛み合わない。
わざと噛み合わせないのではないか、いわゆる「ご飯論法」なのかとも思ったりもするのですが、最近はそもそも人の言うことをちゃんと聞いて、その趣旨を理解して、答えると言うことがそもそもできない人なのではないかと思ったりするようにもなりました。
これほど人の質問に答えられない人は、民間の入社試験などで入れるわけもなく、昇格試験などでも受かるわけがありません。
そんな人が一国のトップの座にいるなんて・・・。
おそらくそのように思っている人は数多くいるのでしょう。
本作が公開されてから、(コロナ禍で席数制限されているとは言え)満席のような状況のようです。
先程のまともに受け答えができないという点については、ある国会審議のやりとりをノーカットで、「ご飯論法」の上西教授の解説付きで見ることができます。
これが何とも面白い。
菅さんの答弁はボケ芸かと思うくらいに徹底されています。
ほんとにこの人にこの国の舵取りを任せていいのだろうか・・・。
「安心・安全」「国民のために働く内閣」と何度も口にする彼ですが、そこには何の具体策もない。
本人もお題目をただリピートしているだけで、本気でやろうとする気が感じられない。
NHKの世論調査で内閣を支持する理由で「人柄がいいから」という選択肢がありますが、ここに入れる人はどこが気に入っているのでしょうか・・・。
アメリカではムーアのいくつかの政治をテーマにした作品などがありましたが、今までの日本では本作のような作品はあまり見かけません。
そもそもそのような論調をテレビで見ることはありません。
そのような事を口にする方はいつの間にかテレビの画面から消えてしまいます・・・(NHKの有馬アナは好きだったのだが)。
もはやテレビや新聞は政権批判をするメディアとしての機能を失っているのかもしれません。
唯一そのあたりに切り込めているのは、本作でも紹介している赤旗であり、文春砲であったっりするわけです。
そしてまた、映画もそういったことができるメディアである事を改めて認識させられました。
本作のプロデューサーはこの作品の公開日をあえてオリンピック開催直後の7/30にしたそうです。
そこに政治的意図はありありです。
普通のメディアはオリンピックがあり、そしてその先に衆院選もあるわけで、政権批判は抑え気味になるものです。
そこにあえてぶつけてくる。
しがらみも何もない映画というメディアだからこそできること。
そこに可能性を感じたのは私だけではないかと思います。

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2021年7月26日 (月)

「ブラック・ウィドウ」 MCUの方向性を示す

コロナによる影響もあり、MCUの劇場作品として2年のブランクを経ての公開となりました。
いつもの通りに○宝シネマズで予約をしようとしたら、作品リストにない。
もしや公開日を間違えたか、と思って調べ直したらすでに後悔している・・・。
よくよく調べるとディズニープラスでも同時にオンラインで公開するというディズニーの方針に対し、大手の劇場が反発しているとのことらしい。
ディズニープラスは会員なので(プレミアム料金を払えば)自宅でも見れるのですが、やはり映画は劇場で見たい派なので、少し遠方の劇場で見てきました。
大手の反発する理由もわかりますが、この辺はうまくやらないとより多くの人が劇場離れしてしまうと思うので、もう少し歩み寄って欲しいものです。
最近のMCUは単なるヒーロー映画という枠を超え、現代社会が抱える課題を描く側面があると思います。
「ブラックパンサー」では黒人のヒーローを、「キャプテン・マーベル」では女性ヒーローを主役にするなど多様性を意識しています。
ディズニープラスで配信された「ファルコン&ウィンター・ソルジャー」は現代アメリカの分断の問題、とりわけ根強く残る黒人への差別問題へアプローチしていました。
今後続く「シャン・チー」ではアジア人、「ミズ・マーベル」ではムスリムの少女を主人公に据えます。
本作「ブラック・ウィドゥ」も現代社会が抱える問題の一つである、女性への差別や搾取を取り上げています。
この作品でナターシャの敵となるのは、自信がそこで育てられ、そして壊滅させたと思っていた旧ロシアのスパイ育成組織”レッドルーム”のドレイコフです。
彼はここでスパイとして育てた少女たちを意のままに操り、世界を裏から操作しようとします。
彼女たちは化学的な操作を脳に加えられ精神的に彼に支配されています。
またその支配から脱せたとしても”フェロモン・ロック”なるもので彼女たちからドレイコフは直接的に攻撃されないようになっているのです。
これは彼の匂いを嗅ぐと、彼女たちは攻撃する行動をロックされてしまうのです。
これにはある種の性的な暗示も感じます。
数年前よりハリウッドなどでも何人もの人が共感し話題となった「MeToo」運動があります。
権力を持つ男性がその力を背景に女性を支配し、搾取するという例がいくつもあり、それを女性の側から告発するという運動でした。
大物のプロデューサーが告発されたことを聞いたこともある方も多いかと思います。
ナターシャはかつて自分を支配した者を告発し、そして搾取されていた妹たちを解放しようとしたのです。
彼女も”フェロモン・ロック”をされていたのですが、彼女は自分の鼻を自分で潰すという荒っぽい手法でその束縛から解放されます。
つまり自分を傷つけることを厭わず、行動したのです。
「MeToo」と叫ぶことは、すなわち自分が見せたくない部分を曝け出さずを得ず、それは自分を傷つけることです。
それでも叫ぶ人々はナターシャのように傷つくことを覚悟しながら、他の人を救いたいという気持ちなのかもしれないと思いました。
本作もそうですし、「ファルコン&ウィンタ・ソルジャー」もフェイズ4に入り、現代社会の問題を描くというスタンスが明確かつ直接的になっているように感じました。
ブラック・ウィドゥの登場はこの作品で最後になると言うことです。
その後を継ぐと言われているのが、本作でナターシャの妹分として登場したエレーナです。
ナターシャは終始クールな雰囲気をまとっていましたが、エレーナは姉と同等の戦闘力を持ちながらも、その性格はもう少し明るくユーモアを感じさせるところが新鮮です。
ナターシャに向かって「着地するときのあのポーズ何?狙ってるしょ」と言いますが、お茶目さを感じますよね。
配信の「ホークアイ」にも登場すると言われていますので、今後が楽しみです。

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2021年6月20日 (日)

「ヒノマルソウル〜舞台裏の英雄たち〜」 強いモチベーション

東京オリンピックの是非が問われている昨今ですが、本作は20年以上も前の長野冬季オリンピックのスキージャンプの実際のエピソードを元にしたお話です。
というかもう20年経っているのか、つい最近の印象だったけど・・・。
大逆転勝利で金メダルを獲ったスキージャンプ団体戦は覚えています。
特に原田選手のインタビューは印象深かったですよね。
「俺じゃないよ、みんなだよ、みんな」
これはチームメイトのことを言っていたのかと思っていましたが、金メダルの舞台裏にこのようなエピソードがあったとは知りませんでした。
主人公の西方選手は原田選手とリレハンメルオリンピックでチームメイトでしたが、金メダルを逃し、銀メダルという結果となってしまいました。
その後、長野オリンピックを目指しますが、怪我に悩まされ、惜しくも代表を逃してしまいます。
その彼が長野オリンピックのテストジャンパーのひとりとして大会に参加しました。
人はスポーツでも仕事でも勉強でもしんどいことをおこなっていく時に、なんらかのモチベーションが必要です。
そうでないと辛さになかなか立ち向かえません。
名誉だったり、地位だったり、はたまたお金だったり、そのモチベーションは様々だとは思いますが、その多くは自分のためだということが多いと思います。
自分のため、というのは悪いことではありません。
それは強いモチベーションになるからです。
西方選手は元々はジャンプが好きでジャンプを飛んでいた。
そしてオリンピックに出場し、金メダルが間近になった時、その獲得がモチベーションとなりました。
しかし、その金メダルを逃し、そして代表の座も逃した時、自分が何のために飛ぶのかがわからなくなります。
彼は勧めもありテストジャンパーとなりますが、内心はずっともやもやとしたものを引きずっていました。
しかし、彼はテストジャンパーの同僚たちと出会い、彼らの純粋なモチベーションに触れます。
聴覚障害がある選手が飛んでいる時に自由になれることが嬉しいという言葉、オリンピックに採用されていない女子スキージャンプの選手の想い。
彼らは純粋に自分自身の想いをモチベーションにして飛んでいます。
それはかつて西方選手も持っていたものでした。
そしてオリンピックの団体戦本番時、悪天候により競技続行するかどうかをテストジャンパーのジャンプによって判断することになりました。
競技続行しなければ、日本の四位は確定し、再び金メダルを逃してしまう。
彼らが成功しなければ、金メダルには辿り着けないのです。
悪天候の中でのジャンプはテストジャンパーも危険に晒します。
それでも彼らはテストジャンプに臨みました。
彼らのモチベーションは自分のためだけではありません。
自分のためだけでは、なかなかそのような危険な状況でジャンプはできません。
誰かのために飛ぶ。
それが強いモチベーションになります。
強いモチベーションは、誰かのためにという想い、そしてそのこと自体が自分自身のためであると思えることなのでしょう。
西方選手がずっともやもやしていたのは、テストジャンプをしてたとえ日本が金メダルをとっても、それは自分の名誉とはならないということ。
それによって自分は報われないということだったのだと思います。
しかし、最後のジャンプの場面では、人のためということと、自分のためということが全く一緒になったのだと思いました。
それが強いモチベーションとなったのですよね。
なかなかそのように思えることというのは難しいんですけれども・・・。
だからこそこのようなエピソードが人々の琴線に触れるのかもしれません。

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2021年6月 6日 (日)

「HOKUSAI」 葛飾北斎と田中泯

富嶽三十六景などの浮世絵で知られる葛飾北斎、その生涯を描いた作品。
青年期を柳楽優弥、老年期を田中泯が演じます。
実は我々がよく見知っている北斎の作品が生み出されたのは50歳過ぎのこと。
大器晩成にも程があります。
平均寿命が短かった江戸時代でしたら、それこそ隠居という歳だったのかもしれませんが、彼は老いても尚創作意欲がなくなることはなかったようです。
彼は90歳まで生き、臨終の時の言葉が「あと10年、いや5年生かしてくれたら真の絵描きになれるのに」だったということです。
死ぬその時まで、自分に満足することなく道を探究し続けた執着、熱意は驚くべきものがあります。
私が本作を見ていて、感じるものがあったのは、老年期を演じる田中泯の演技でした。
彼を初めて知ったのは「たそがれ清兵衛」でした。
舞踏家として活躍していた田中泯にとって初めての映画出演作です。
鬼気迫るという表現がまさに当てはまるような演技でした。
俳優として映画に出演するのは初めてとは思えませんでした。
自らの肉体を使って表現する舞踏家というバックボーンが、普通の俳優とは異なる見たことのない演技を生み出したのかもしれません。
俳優としては北斎と同様に遅咲きではありますが、誰も真似できない田中泯という存在感を放ちました。
本作の彼の演技を見たときに、やはり彼の舞踏家としてのバックボーンを感じるシーンがいくつかありました。
まず一つ目は街中を旋風が通った時の人々の慌てぶりを目撃した時の北斎の様子です。
彼の目には、人の肉体の動きが克明に刻まれました。
人間の肉体がどのように動くのか。
その時筋肉の形はどのようになっているのか。
彼はそれを筆と紙でどのように定着していこうかということまで一瞬のうちに考えたのかもしれません。
そしてそれを目撃した時の北斎の表情がとても良い。
純粋に絵を描くことの悦びに満ちた表情です。
何かを表現することの喜悦です。
そしてもう一つは北斎の画で印象的な藍色を発見した時のシーンです。
その藍と出会った時、彼は雨中に飛び出し、まさに舞うように全身でその喜びを表現します。
この演技は田中泯のアドリブだったようですが、まさに舞踏家としての真骨頂だったと思います。
北斎の肉体の内面から湧き上がる言葉にできない感情、衝動。
それをこの演技で田中泯は表現したと思います。
北斎と田中泯がオーバラップしたように感じました。
まさに北斎とはこのような人ではなかったか、と感じさせられました。
柳楽優弥も悪くはなかったですが、やはり老年期のハマり方に比べると部が悪いかもしれません。

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2021年4月 5日 (月)

「映画 ヒーリングっど♥プリキュア ゆめのまちでキュン!っとGoGo!大変身!!」 自分の夢、人の夢

娘がハマっている「プリキュア」シリーズの最新の映画です。
2月まで放映されていた「ヒーリングっど♥プリキュア 」と過去作「Yes!プリキュアGoGo!」のコラボ作品となります。
うちの娘にとっては、私が子供の頃の「ウルトラマン」や「仮面ライダー」のような存在なのですね。
すごく真剣に見ているし、現在オンエア作品だけでなく、過去作にも遡って見ているので、大抵のプリキュアについて説明できます。
私も過去作の「ウルトラマン」や「仮面ライダー」の怪獣・怪人まで暗記していたものなあ・・・。
娘に付き合って「プリキュア」を見ているので、私自身の知識も日々レベルアップ中です。
このシリーズ見ていると感心するのは、本当にちゃんと考え得られて作られているということ。
この辺は最近の「仮面ライダー」シリーズもそうなのですが、大人が見ていても結構メッセージが伝わってくるのですよね。
本作のメインとなるヒーリングっど♥プリキュア 」はビョーゲンズという病原菌から地球を守り癒すプリキュアですが、意図せずコロナ禍でフィクションとリアルがリンクしてしまうという状況になりました。
その中で子供たちへ真摯なメッセージを伝えていたと思います。
映画のテーマは夢・想い。
誰でも将来の夢を持っていたり、誰かのことを大切に想ったりしますよね。
ただそれは簡単には実現できなかったりするもので、諦めずにどれだけ強く想い続けられるか、が大事だったりします。
しかし、強く想い続けることによって、他の誰かの夢を犠牲にしても良いのかという問題も起こります。
今回のプリキュアが対峙する事件の首謀者はただの悪ではなく、事件はその人にとって本当に大事な人への想いがあることによって引き起こされます。
ですので、ただの悪とはいえません。
悪役めいた怪物エゴエゴも登場しますが、彼とて生みの親に認められたいという想いから暴走してしまうわけです。
自分の想いを諦めずに大切にすることは大事。
でも他の人の想いも大切にすることも大事。
どっちがより大切かというのはなかなか難しいことですが、それについてちゃんと考えようというのが、子供たちへのメッセージになるのだと思います。
「プリキュア」にせよ「仮面ライダー」にせよ、子供向けのコンテンツはそれだけで見向きもしない方もいますが、実は結構ちゃんと考えて作られているのですよね。
下手なバラエティ見せるよりは子供たちにとって有意義な感じがしています。
本作には最新作の「トロピカルージュ!プリキュア」のショートムービーも同時上映されます。
この作品は割とはっちゃけて元気一杯のテイストで、こういう色々なことで制約がある世の中で、力を与えてくれる作品になっていく作品になるような気がします。
ショートムービーはすごく短いのですが、キャラクターが縦横無尽に動き回りとても楽しく見れました。

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2021年3月20日 (土)

「ブレイブ -群青戦記-」 高校生の「戦国自衛隊」

突然、高校生アスリートたちが高校ごと雷と共に霧に包まれる。
彼らは突如戦国時代にタイムスリップしてしまったのだ。
混乱する彼らに戦国武者たちが襲いかかる・・・。
私の世代的には戦国時代にタイムスリップと言えば、「戦国自衛隊」です。
これは今でも名作だと思っています。
近代兵器で武装した自衛隊員が、戦国時代にタイムスリップするというプロットが当時すごく斬新でした。
武器を持っていながらも戦うことを禁じられている自衛隊員が、戦国時代で生きていく中で、次第にこの時代こそが自分たちが生きるべき時代であると感じていきます。
戦国時代が荒々しい時代であり、決してロマンチックな場所ではなく、ある種の野生が求められるということもこちらの作品では描いていました。
 
というように「戦国自衛隊」には思い入れがあったので、同様のプロットである本作については、見る前は懐疑的でした(原作は読んでいませんでした)。
トップアスリートとは言え高校生ですし、ロマンチックな戦国時代が描かれても、甘っちょろくて嫌だなと思っていたのです。
しかしその懐疑も冒頭で払拭されました。
野武士たちがいきなり高校生たちに襲いかかります。
彼らはまさに獣で、容赦がありません。
これにより彼らが送り込まれていった時代は、現代とは全く違う野生の時代であることがわかります。
仲間を救うため、彼らは織田信長の陣を攻めますが、次々に仲間たちは殺されていってしまいます。
その辺も全く容赦はありません。
主人公である蒼は懸命に生きるということの意味を見出せていない少年でした。
周りは部活に精を出し、自分を高めようとすることに意義を感じられていましたが、蒼はそこに価値を見つけられません。
悶々としていた彼でしたが、戦国時代にタイプスリップしてしまった後に、次第に自分の中にある強い思いに気づき始めます。
「戦国自衛隊」の伊庭は自分の中の野性に気付きましたが、蒼の場合は自分の中にある人を救いたいという強い思いとリーダーシップに気づくのですね。
そういう点では、本作は少年が大人になっていく成長物語という側面も持っていると思います。
終盤に彼に影響を与えた人物の死を目の当たりにして、蒼はそしてついに自分の役割をはっきりと認識します。
そういえば映画版は違いましたが、原作の「戦国自衛隊」では主人公の伊庭は織田信長的な役割を担う存在となっていました。
 
主演の新田真剣佑はさすがアクションは見事で立ち回りも絵になりました。
本作においての敵役となるのは渡邉圭祐さんですが、彼も見事な悪役っぷり。
「ジオウ」でもいい味を出していましたが、天性の演技巧者だと思います。
立ち回りも上手でした。
 
「戦国自衛隊」のことを取り上げましたが、こちらの主演は千葉真一さん。
そして本作「ブレイブ」の主演は新田真剣佑さんで、千葉真一さんの実の息子です。
親子で同じような役を演じるのは運命的ですね!

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2021年2月22日 (月)

「ファーストラヴ」親とはどうあるべきか

ざわざわとする気持ちを抱きながら、この映画を最後まで見ていました。
予告を見た時の印象では、サイコスリラーのようなものかと思っていましたが、そういう映画的な設定ではなく、もっとリアリティがあるテーマであると感じました。
無論親が人が殺すということ自体は一般的なものではないのですが、親が子にどのように接していくべきかという点では、全ての親への問題提起であるように思いました。
犯人である環菜は、なぜ自分が父親を殺してしまったかがわかりません。
公認心理士である主人公由紀は、そこに彼女が子供の頃に負った心の傷があることを突き止めていきます。
そしてそれは自分自身のトラウマとも向き合っていくことになりました。
環菜の父親は子供を支配する親でした。
そして母親は子供の言うことに耳を貸さない親でした。
少女の環菜は自分の本当の気持ちを誰にも話すことができず、助けを求めることができませんでした。
自分も4歳の娘がいるのですが、人を育てるということを日頃より悩みながら楽しみながら行っています。
言うことを聞いてくれない時もありますから、時々は苛立って叱ったりもします。
ただ意識しているのは、4歳にもなると赤ん坊ではなく人としての自我は十分になるので、一人前として扱ってやること。
何を思っているのか、どうしたいのか聞いてあげるようにしたいと思っています。
聞いてみると4歳なりにしっかりと考えていたりするのですよね。
そのような思いは大事にしてやりたいと思います。
これから大きくなっていく中で、もっと自我が強くなり、親と意見が合わないことも多くなってくるのでしょう。
それでも親は子供のことをちゃんと聞き、大きく包んであげていかなくてはいけないのですよね。
この映画に登場する環菜の親や由紀の父親を見て、その時の子供たちの気持ちを想像すると、胸が苦しくなってきます。
やはり子供は親が救ってあげなくてはいけません。
子供を追い込んでしまう親ばかりが登場してきますが、その中で唯一理想的な親像であるのが、我聞です。
彼は由紀の夫ではありますが、彼女にとっては父親のようなものでもあるのかもしれません。
彼女の全てを受け入れ、彼女を包み込んであげる。
親というものはこうありたいものです。

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