「プレデター:バッドランド」弱者としてのプレデター
荒涼とした惑星に一人立つ戦士の姿。
それは人間ではない、プレデターだ。
本作では、今まで圧倒的なヴィランとして人間を狩ってきたプレデターを主人公とするシリーズ初の試みがなされた。
このシリーズは1987年の「プレデター」を端緒とする。
当時アクションスターとして最盛期を迎えていたアーノルド・シュワルツェネッガーを追い詰めていくプレデターは、それまで見たことがないヴィランだった。
人類を超えた科学力、強靭な肉体、そして凶暴な攻撃性。
どれもとっても人間が叶う相手とは思えず、さすがのシュワルツェネッガーでも叶わないのではないかと思われたほどだ(だからこそ後半の逆転劇は大きなカタルシスを生んだ)。
「プレデター」は好評を得て、その後多くの作品がシリーズとして制作されていくことになる。
同じようにシリーズ化されたものとしては「エイリアン」がある。
「エイリアン」と「プレデター」は今までもクロスオーバー作品も作られており(「エイリアンVSプレデター」「AVP2」)、また本作でも登場するウェイランド・ユタニ社は元々は「エイリアン」で登場していて、2つのシリーズは部分的に設定を共有している。
圧倒的な人類の敵としてエイリアンとプレデターは存在するが、大きく異なる点が一つある。
それは知性だ。
エイリアンは食いたい、殖えたいという本能に従って行動する。
それは人間に原初の恐怖を味合わせる。
対してプレデターは意思ある者として、人を狩る。
それは名誉であったり、楽しみであったりするのだが、圧倒的な科学・知性によって、人間は敵わないという諦めを感じさせるのだ。
この意思を持って狩りをするという点で、プレデターを主人公とする余地が出てくる。
エイリアンは凶悪であるが、猛獣と変わらない存在とも言え、物語の主人公にはなり得ない。
しかし、プレデターを主人公とすることにより、超越的な存在が、人間スケールに矮小化されてしまう恐れもあり、その点をどうしていくかが鑑賞前に心配していた点であった。
第1作目の「プレデター」はシンプルな言い方をすれば、弱者が圧倒的な強者に対して、知恵と工夫で打倒し、勝利するというストーリーである。
上段で書いたように、この構造がカタルシスを生む。
実は本作もこの構造をそのまま踏襲している。
主人公デクはプレデター一族の中でも最弱と呼ばれ、そのため長である父親にも疎んじらている。
プレデターでありながら、弱者としたこの設定が効いている。
彼は父親を見返すために、最強の戦士ですら難しいと言われるカリスクを狩ろうとする。
しかし、カリスクが生息する星は惑星全体の植物・動物が訪問者に牙を剥くバットランドだった。
その上、ウェイランド・ユタニ社も大量のアンドロイドを投入し、カリスクを捕獲しようとしていた。
そのような状況において、デクは圧倒的に弱者である。
装備は惑星に墜落した際に散逸し、ほぼ一つである。
バットランドに着いた後に出会ったアンドロイド、ティアから情報は得られるものの身一つであることは変わらない。
中盤までデクは、星の生物やアンドロイドたちに圧倒される。
しかし、「プレデター」のダッチと同様、デクはゲリラ戦に活路を見出す。
彼を苦しめてきた毒矢を放つ植物や、カミソリのような歯を持つ草、爆発する虫などを利用し、ウェイランド・ユタニの基地を強襲する。
まさに弱者が強者に対して、知恵と工夫で対抗するという展開だ。
これはカタルシスを生み、いつしかプレデターであるデクに感情移入している自分に気づく。
ティアと同型のアンドロイドで今回の敵役となるティアが操縦する大型のパワーローダーとの戦いは見どころがある。
このパワーローダーは「エイリアン2」で登場した機体よりも一回りも蓋回りも大きいサイズである。
大型ロボット対プレデターの戦い、という構図はSFファン、特撮ファンからすれば垂涎のものだ。
結果的に冒頭に挙げた懸念点は巧みに回避されたと思う。
プレデターはある意味、人間サイズに矮小化された。
デクが画面に登場した時にプレデターとしては貧相だと感じた(印象的なドレッドヘアも少ない)。
が、それゆえに感情移入できる対象としてなり得た。
「プレデター」シリーズとして新たな可能性を開いたかもしれない。

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