2024年8月24日 (土)

「フォールガイ」スタント愛

こちらの作品、監督はデヴィッド・リーチ。
彼はもともとスタントマン出身で、今まで「デッドプール2」や「ブレット・トレイン」などのキレキレかつぶっ飛んだアクション映画を撮ってきました。
個人的には「ブレット・トレイン」は大好きで、凝ったアクションシーンも素晴らしいですが、映像の独特のトーンも好きでした。
本作見た時の最初の印象は、これまでの監督の作品の比べて、トーンも物語の展開も含めて王道であるように感じました。
それもそのはずで本作の原作は80年代に放映されていたTVドラマ「俺たち賞金稼ぎ!!フォール・ガイ」ということです(私は見ていませんが)。
本作では、事件が起こって、主人公が巻き込まれ、それと並行してラブロマンスも進んでいく、という展開ですが、これが80年代的なわかりやすいストーリテリングのため、王道的な印象を受けたのだと思います。
設定などは現代に合わせてかなり変わっているようですが、ストーリー展開から感じる懐かしい感じは、もともとの原作が持っている80年代らしさが滲み出ているのかもしれません。
あと懐かしい印象を感じるのは、数あるアクションシーンが、従来のようなフィジカルなスタントで表現されていたことかもしれません。
高所からの落っこち、ヘリコプターアクション、カースタントの大ジャンプなどなど・・・。
「マトリックス」以降、ワイヤーやCGを使った別次元のアクションが生み出されて、それらが定着しましたが、本作はそれ以前のフィジカルなスタントがメインに描かれています。
これはそもそも本作がスタントマンが主人公であること、そしてデヴィッド・リーチ監督がスタント出身であり、思い入れがあるということもあるでしょう。
実際、アクションシーンの際のスタントマンたちの様子も窺える場面もあり、彼らに対するリスペクトも感じます。
期待していたトーンとは異なりましたが、アクションとそれを支えるスタントマンたちのへの愛が感じられる作品です。

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2024年8月17日 (土)

「爆上戦隊ブンブンジャー 劇場BOON! プロミス・ザ・サーキット」自分のハンドルを握れ

「ゼンカイジャー」「ドンブラザーズ」「キングオージャー」と従来のスーパー戦隊シリーズの常識を覆したような作品が続いていました。
コロナ禍という前代未聞の状態の中で、新しい技術も取り入れながら、時代の閉塞感を打破しようという気概が、制作者にもあったのかもしれません。
コロナも落ち着き、平常が取り戻されてきた今年は、スーパー戦隊シリーズも、原点に回帰したような作品を送り出してきました。
それが「爆上戦隊ブンブンジャー」です。
このシリーズを見続けてきている自分としては、原点回帰なのですが、この2、3年でエントリーしてきた子供達には新鮮に見えるかもしれません。
主人公のレッドは頭脳明晰で、仲間を思う気持ちが強いリーダーシップを持つ、範道大也、ブンレッド。
最近のスーパー戦隊の中では、典型的なレッドなキャラクターですね。
他のブンブンジャーもそれぞれがプロフェッショナルな能力と個性があるメンバーが揃っています。
そういう意味では非常にスーパー戦隊らしい構成です。
ただ、今の時代を表しているなと思える部分もあります。
大也は「自分のハンドルを握れ」というセリフをしばしば言います。
これは自分自身がやりたいことを考え、実行していくのが、自分の人生であるということです。
この時代、さまざまな情報が溢れていて、非常に流されやすい。
大也はリーダーではありますが、メンバーのそれぞれの個性を非常に大事にします。
そしてその個性をいかに発揮させることができるか、そしてそのメンバーがイキイキと活躍できるのか、ということを考えています。
これは今の時代の理想の上司像にも通じるものがありますね。
子供たちも流されやすく、人と違ったことをやりたがらない。
おとなよりも同調圧力が強いのではないかと思うほど。
本作はそれぞれが違ってていい、ということを伝えてくれているようにも思います。
ちょっと話題が映画から離れてしまっていますが、映画の方は尺もちょっと短めなので、テレビシリーズの一つのお話、といった体です。
本作に登場する惑星トリクルの王女二コーラも自分の生き方を決められなかった少女です。
彼女はブンブンジャーと出会い、自分がやるべきと考える人生を歩み始めます。
最近の中では王道なスーパー戦隊である、「ブンブンジャー」。
子供達にはどんなメッセージが伝わるでしょうか。
個人的に好きなキャラクターはブンオレンジ。
大人の余裕を感じさせるキャラクターが新鮮です。

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2024年8月15日 (木)

「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」私を月に連れてって

人類が初めて月に到達したアポロ11号の着陸映像がフェイクであるという都市伝説を聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。
本作はそんな都市伝説をもとに、実際にそのようなプロジェクトがアポロ計画の裏で進行していたらというお話。
スカーレット・ヨハンソンが演じる主人公ケリーは敏腕のマーケティングの専門家。
彼女は手段を選ばず、時には嘘を巧みに使いながら、人の心を誘導します。
嘘をつくのは、天涯孤独の彼女がそれしか生きる術がなかったからです。
もう一人の主人公コールはNASAのミッション責任者。
彼はプロセスを重要視します。
ロケット打ち上げは一つ一つのプロセスの積み重ねで成り立っており、そのどれかがうまくいかなければ、ミッションの成功は叶わないのです。
コールはアポロ1号の火災事故が起こったミッションにも関わっており、それが彼が手順を重視することにも影響を与えています。
ケリーと時には嘘をつくことも必要であると考えており、対してコールはたった一つの齟齬も許せない。
性格としては全く逆ではありますが、二人は互いに惹かれます。
そんな時、ケリーは政府関係者モーより米国の威信をかけたアポロ11号計画の裏で、もし月面着陸が失敗した時のために、フェイク映像を作るミッションを任されます。
入念な準備をして人が望む夢を作るこのミッションとはPR専門家としてのケリーの仕事の集大成とも言え、プロとしてやりがいのあるのものであったでしょう。
そして先に書いたようにいいように話を作って生きて来ざるを得なかった彼女の人生をも表しています。
しかし、そんな彼女は誠実に自分のなすべき事に向きあっているコールに惹かれ、そんな彼を騙していることに罪の意識を感じます。
コールの生き様は本当はケリーもそうでありたかった姿なのかもしれません。
彼女が嘘と真実、今までの生き様とありたい姿の中で揺れ動きながらも、アポロ11号プロジェクトと、フェイク映像プロジェクトが並行して進んでいく様は見応えありました。
陰謀論をベースにしたアイデアながら、60年台らしいポップさと全編包み込むコメディタッチが軽快さを生んでいて、気軽に見れる作品となっています。

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2024年8月10日 (土)

「フェラーリ」夫と妻の物語

マイケル・マン監督らしく骨太な見応えがある作品となっています。
フェラーリと言えば、最近の映画だと「フォードvsフェラーリ」を思い浮かべます。
実はマイケル・マンは「フォードvsフェラーリ」では制作総指揮を務めています。
マンはフェラーリに惹かれているのでしょうか。
「フォードvsフェラーリ」でも本作の主人公であるエンツォ・フェラーリは登場していて、経営危機に陥っていた際にフォードから買収を持ちかけられた時に、契約直前で破談をしたところが描かれます。
これは、フォードがレースに反対した場合はフェラーリはレースから撤退するという内容が契約にあったためと言われています。
このエピソードからもエンツォ・フェラーリのレースに対するこだわりが感じられますが、まさに本作はエンツォのレースに対する情熱が描かれます。
「フォードvsフェラーリ」でも登場人物は魅力的に描かれていましたが、本作は主人公エンツォの人物を深く掘り下げます。
そこが本作の骨太感につながっていると思います。
エンツォは心に深い闇を抱えています。
それは愛息ディーノが夭逝してしまったことの喪失感
でした。
エンツォはレーサーであり、技術者でした。
何か困難なことがあったとしても、分析し、解決方法を考え、実践していく。
そうして様々な危機を乗り越えてきました。
しかし、ディーノが患った難病に対しては為す術がありません。
彼は敗北したのです。
彼の敗北感が彼をレースにのめり込めさせます。
レースは勝ち負けがはっきりしている。
そして勝利は努力をした者にもたらされる。
彼は息子を失った敗北感をレースで取り戻そうとしていたのかもしれません。
エンツォは息子の死から逃れるためにレースだけでなく、妻ラウラから距離を置き、別の女性リナとの間に子をもうけます。
エンツォはフェラーリ社においてレースと技術的な部分を見ていますが、ラウラは経理など事務系を管轄しています。
彼らは会社においてはビジネスライクな関係で、うまく分担できているように見えますが、夫婦関係としては全くうまくいっていません。
エンツォは自分の喪失感を無意識のうちにレースと他の女性との家庭で満たそうとしていますが、ラウラ自身は喪失感を抱えたままです。
本来は夫とそれを分かち合いたいのに、それができないことがラウラを苛立たせます。
優勝したレースで、フェラーリのレースカーが観客を巻き込んだ大事故を起こし、マスコミからエンツォは非難を浴びます。
その危機を救ったのはラウラでした。
エンツォを鼓舞し、マスコミを封じ込めるための資金を提供しました。
エンツォは喪失感のため、家庭から、ラウラから逃げましたが、ラウラは危機的な状況でも夫を支えながら立ち向かいます。
本作はエンツォ・フェラーリの物語でありながら、ラウラ・フェラーリの物語でもありました。

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2024年7月13日 (土)

「ブルー きみは大丈夫」邦題がミスリードを引き起こす

のっけから言ってしまうと邦題が良くないと思います。
原題は「IF」ですが、これは「Imaginary Friend(空想上の遊び友達)」の略で、「If(もしも)」との掛け言葉になっています。
主人公の少女ビーは、一時的に祖母の家にやってきますが、その時不思議な生き物(?)たちを見かけます。
それらは本作に登場する人物たちのイマジナリーフレンドで、彼女はその姿が見えるのです。
邦題のブルーもそのようなイマジナリーフレンドの一人(?)なのですが、主人公ビーのIFではありません。
「きみは大丈夫」という言葉はブルーが発するものですが、これもビーに向かって言われた言葉ではありません。
その姿形から「となりのトトロ」のトトロを思い浮かべてしまいますが、そのような重要な役回りではないのですね。
本作の主人公ビーは幼い頃母親を失い、そしてまたもしかすると病気で父親も同じように失ってしまうのではないか、という恐ろしさを感じています。
彼女は幼い頃、彼女と遊んでいたイマジナリーフレンドのことをすっかり忘れていますが、なぜか彼らが見えるようになったのです。
これは憶測ですが、父親を失うかもしれないという不安が、彼女を母親を失った幼子のような気持ちに戻し、そのため彼らが見えるようになったのではないでしょうか。
登場するイマジナリーフレンドたちは、物語が進むにつれ、登場人物たちのかつての相棒であったことがわかります。
彼らは人間たちが忘れてしまっていても、傍らで見守っていたのですね。
ビーたちはイマジナリーフレンドとかつての人間の友達を再開させようと奮闘します。
そこで湧き上がってくる疑問がビーのイマジナリーフレンドは誰なんだろう、ということ。
そここそが本作のラストの趣向なのですが、「ブルー」という邦題がそういうことに目を向けさせにくくしてしまいます。
多くの人はこの邦題を見て、途中まで見るまではブルーこそがビーのイマジナリーフレンドなのではないかと思うのではないでしょうか。
物語だけを見るとそのようなミスリードはさせるような構成にはなっていないのですが、邦題が悪さをしています。
この邦題は誤った方向にミスリードさせる可能性があります。
このミスリードによってラストの趣向が分かりにくくなっているような気がしました。
勿体無い。

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2024年4月12日 (金)

「変な家」なんでヒットしている?

本作は公開開始から観客動員数で4週連続でトップとなっています。
小説の方もベストセラーとなっていて興味はあったのですが、まだ未見です。
自分が想像していたよりもヒットしているので、気になって鑑賞してきました。
感想から言ってしまうと、なんでこんなにヒットしているのかよくわからないというのが本音です。
主人公たちが入手したある家の間取りをよくよく見ると通常の家にはないような設計が施されている。
その違和感の裏を探っていくと、この家に住んでいた家族の秘密が次第に明らかになっていくという仕立て。
間取りからミステリーが始まっていくというのはユニークな発想で、そこが私も原作に対する興味がおきたポイントでした。
映画に関しては前半は間取りからのミステリーはあり新しさは感じたものの、後半に関しては昭和の時代によくあった山村の怪奇談のような展開となり、既視感というか古臭さすら感じました。
前半の間取りから展開していく謎は、小説には向いているかもしれないですが、映画にはあまり向いていないような気もします。
これは「ある閉ざされた雪の山荘で」のレビューでも書いたのですが、映画ならではの見えすぎることによって小説で想像力で補われた曖昧な部分が見えてしまうことにより、謎があまり効いていないようにも見えました。
映像がとても説明的になってしまうのですよね。
映画の展開が原作と同じかどうかはわからないのですが、映画として成立させるためにB級ホラー的な展開になったのでないかと思えます。
昨今の原作改変問題というのもありますが、改変しても面白くなっていれば、個人的には良しというスタンスなのですが、本作についてはB級ホラーとして見ても、相当陳腐な感じがします。
ところどころで絡んでくる斉藤由貴さんのキャラクターは、怪しげではあるのですが、都合よく使われていて、なぜこの人はこんなことをしているのか、なんでここにいるのかと、冷静に考えると、結構無理があったりもするのですよね。
なんでこの映画、ヒットしているのだろう・・・?

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2024年4月 3日 (水)

「FLY! / フライ!」イルミネーションらしさとは?

ミニオンズのイルミネーションが送るオリジナルアニメーション「FLY!/フライ!」です。
ディズニー、ピクサーなどブランドで売れるアニメーションスタジオがありますが、イルミネーションも新興でありながらブランド名で売れるようになってきましたね。
同じようにブランドで客を呼べるこれらのスタジオですが、作風は違います。
ディズニーは長年培われてきたストーリーテリングですし、ピクサーはやはりユニークな目の付け所と切り口、頭一つ抜き出た映像のクオリティですが、イルミネーションはそれらとは異なります。
イルミネーションの作品はいずれもスラップスティックなおかしさを持っています。
これは私のような世代だとある種の懐かしさもあり、子供の頃見ていた昔のアメリカのアニメーション(「トムとジェリー」や「チキチキマシン猛レース」とか)のドタバタギャグと同じような匂いを感じるのですね。
本作でもニューヨークの場面で、ハトが何度も何度も車にぶつかってしまうというギャグありましたが、ここでは私も娘もゲラゲラと笑ってしまいました。
この子供もゲラゲラ笑うというような要素は最近のディズニーやピクサーではあまりないですよね。
そういう点では、イルミネーションの作品は小さな子供が笑って楽しく見れるという点で他のスタジオとは異なる独自のポジションを築いているとも言えるかと思います。
とはいえ、ストーリーについてもシンプルにわかりやすいけれども、飽きないように組み立てられていると思います。
本作は安全安心のために自分のテリトリーから踏み出せなかった主人公が、冒険に踏み出して自分自身を解放して喜びを見つけていく物語です。
ピクサーは心の奥深くまで沁みるように考え抜かれているもので、小さな子供だとその意図まではわからないかなとも思うのですが、本作などはわかりやすいテーマなので、子供にもしっかりメッセージは届くかなと思います。
大人的には少々物足りなさも感じますが、子供と一緒に楽しむにはイルミネーションの作品はぴったりかもしれないですね。
吹き替え版で見たのですが、主人公の声を担当していた堺雅人さんが非常にうまくてびっくり。
演技も非常に上手い方ですが、声の演技も素晴らしいですね。

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2024年1月31日 (水)

「パウ・パトロール ザ・マイティ・ムービー」小さくても活躍できる!

「パウ・パトロール ザ・ムービー」から2年を経ての続編となります。
前作はちょうど娘がNetflixでシリーズを夢中になって見てたので、劇場版も一緒に観にいきました。
今は娘も小学生なので「パウ・パトロール」は卒業してい他のですが、劇場で予告編を見たところ「行きたい!」となり、本作も一緒に鑑賞です。
「パウ・パトロール ザ・マイティ・ムービー」ではメンバーの一人、チェイスが主人公の扱いでしたが、本作では女性メンバー、スカイが主人公です。
前作レビューの時に他のメンバーのエピソードも見たいと書いたのですが、その通りになりました。
また本作で大きく変わっている点は、パウ・パトロールメンバー自身が、それぞれ特殊能力を得たということですね。
今までは特殊なメカ・アイテムを使って人々を助けていたパウ・パトロールでしたが、この変化によりスーパーヒーローもののような要素が入ってきたと思います。
今までの知恵と勇気でなんとかする感じも嫌いじゃなかったので、万能感のあるスーパーヒーローになった時、話が変質するのではないかと危惧もしました。
前作ではチェイスが幼い頃のトラウマを克服していく様が描かれており、子供向けのアニメでありながら、キャラクターをちゃんと掘っている印象がありました。
本作では主人公は体が小さいスカイとなり、彼女の抱えるコンプレックスがテーマとなります。
彼女は生まれつき小柄で、そのため引き取り手もなかったというコンプレックスがあります。
パウ・パトロールに加わり、活躍の場を得られていますが、それでも他のメンバーに対して小柄なことにより、できないことも多々あるわけです。
本作では彼女がそのコンプレックスを事件を通じて克服していく様が描かれます。
自分自身を認められるようになっていくのですね。
前作でメンバーに加わった女性メンバーであるジャネットにもスポットは当たっており、他のメンバーに比べてスキルがない彼女が、彼女らしいチームへの貢献の仕方を見つけていきます。
その点で、キャラクターをしっかり描きたいという前作のポリシーはしっかり受け継がれているなと思いました。
小柄だったことをマイティ化することにより安易に解決するようには見せてほしくなかったのですが(それが冒頭で書いた危惧)、そこは制作者側も意識して、安易であると捉えられないよう丁寧に描かれているように感じました。
マイティ化したことにより、アクションシーンは前作よりも一層派手になって見応えは増したと思います。
主人公をスカイにしたことにより、空中戦なども描けるようになったことも派手さに貢献しているかもしれません。
基本子供向けのアニメーションではありますが、ストーリー的にも子供でもわかるメッセージがあり、一緒に見るアニメとして良質に出来上がっていると思います。

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2023年12月30日 (土)

「PERFECT DAYS」木漏れ日

2023年最後に鑑賞したのはヴィム・ヴェンダース監督、役所広司主演の「PERFECT DAYS」です。
ヴィム・ヴェンダースの作品は久しぶり。
主人公の平山は公衆便所の清掃を生業としている男。
平山は非常に几帳面に仕事を行い、毎日規則正しく暮らしています。
彼の1日は早朝の近所の箒の音で始まり、几帳面に布団をたたみ、缶コーヒーを一本買って仕事場に向かいます。
いくつかのトイレを丁寧に掃除をし、昼間は決まった神社で木漏れ日を見ながらコンビニのサンドイッチを食します。
仕事が終わった後は、銭湯で風呂を浴び、その後行きつけの一杯飲み屋で食事をし、そして帰宅後は古本屋で買った小説を読んでから就寝。
本作はこのような規則正しい平山の生活を追っていきます。
何も起こらない映画、と言えるかもしれません。
平山がどのような人生を送ってきたかは本作では語られませんが、何かから逃げてきて、今のような生活に行き着いたように思えます。
何も起こらないというのは、彼にとって幸せで完璧な日々なのでしょうか。
タイトルロールの後に「木漏れ日」という言葉がスクリーンに映し出されます。
その意味も書いてあって、木の葉が重なり合って変化する光であって、同じものはないとありました。
この木漏れ日は劇中でも何度も触れられていて、平山は昼休みに木漏れ日の写真を撮るのが日課となっていました。
平山の繰り返される日常も一見、同じように見えながらも、全く同じではありません。
突然同僚が辞めてしまったために二人分の仕事をしなくてはならず、疲れ切って夜帰った後は、いつもの通り明日の準備をする前に眠ってしまったり。
同僚が好意を寄せる若い女の子に、突然ほおにキスをされたり。
突然、姪が訪れて、彼女を仕事に連れて行ったり。
同じように繰り返される日々の中にも木漏れ日のような変化があります。
お休みの日には必ず行きつけのバーに顔を出しますが、そこのママの元夫が末期の癌だと知った時、彼は繰り返す日常も終わることがあるということを突きつけられます。
どういう生き方が完璧なのか、それはその人自身が決めること。
同じような暮らしの中でも、木漏れ日のような変化が彩りを加えます。
穏やかだけど完璧な日々。
それも終わる時が来る。
それを思いながら、平山は微笑み、そして涙を流したのでしょうか。

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2023年11月 7日 (火)

「北極百貨店のコンシェルジュさん」欲望の反対側にある場所

絵本のようなシンプルなタッチでほのぼのとした印象のアニメーションです。
最近のアニメーションとは異なっていて、こういうのもホッとしますね。
舞台となるのは動物向けの百貨店で、主人公はそこの新米コンシェルジュの秋乃。
このデパートでさまざまなエピソードが繰り広げられるわけですが、上映時間は1時間10分。
最近の映画の中では異例の短さですが、そのように感じさせないほどエピソードは密度がありました。
本作はジャンルで言えばお仕事ムービーで、新米コンシェルジュの秋乃が次第に成長していく様を微笑ましく見ることができます。
秋乃は色々つまづいて落ち込むことはあるけれど、基本的に仕事には前向きで一生懸命。
彼女がお客様を思う気持ちは本物で、彼女の頑張りを見ていると自分も仕事を頑張らなきゃという気持ちにさせてくれます。
同僚のコンシェルジュたちの仕事っぷりも見事で、まさにプロという感じ。
仕事に前向きに挑む気持ちにさせてくれる良作です。
絶滅した動物のための百貨店ということで本作はファンタジーではありますが、なぜこのような設定なのだろう?と途中で思いました。
しかし、その答えは終盤にありました。
この百貨店のオーナーが「ここは欲望の反対側にある場所」というようなことを言っていました。
本作で幸せそうに買い物をする動物たちは全て人間に絶滅させられました。
人の欲によって滅ぼされたのです。
そしてデパートという場所は、欲しいものがなんでも手に入る、欲望が叶うところです。
我欲で動物たちを滅ぼしてしまった人間が、絶滅した動物たちのために奉仕するのが、北極百貨店。
けっこうなアイロニーではあります。
物語の中でカスハラ的なお客様に困らせられるエピソードがあります。
経験の浅い秋乃は土下座をして場を納めようとしますが、ベテランのコンシェルジュは毅然とした対応をします。
お客としてリスペクトしながらも、他の人の幸せな気持ちまで奪うことは認められない。
我欲ではなく、皆が幸せな気持ちになることを大切にする。
本当はそうあるべきで、そうであれば世界はもっと平和なのだよな、と思いました。

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