2019年10月27日 (日)

「フット:ザ・ビギニング」 今風でもありクラシカルでもあり

本作は邦題のタイトルは「フット:ザ・ビギニング」ですが、オリジナルのタイトルは「Robin Food」。
ロビン・フッドの映画といえば、ケビン・コスナー主演の1991年の作品、ラッセル・クロウ主演の2010年の作品がありますね。
いずれもスターと著名な監督を起用した大作となっています。
そして両作品ともに歴史物というよりはエンターテイメント性の高い映画として作られており、個人的には両方とも好きです。
ロビン・フッドとは民衆のために悪い代官と戦うヒーローなわけで、定期的に映画化したくなるような題材なのでしょう。
本作「フット:ザ・ビギニング」も過去の作品と同様に歴史物というよりはエンターテイメント性の高い作品として作られています。
邦題に「ビギニング」とあるように、過去の2作品はロビン・フッドは完成された大人として描かれていましたが、ロクスリーがロビン・フッドになる過程を描いている作品となっています。
そのためロビン・フッドのキャスティングはケビン・コスナーやラッセル・クロウよりはやや若めのタロン・エジャトンとなっています。
これは今回の物語からするとまさにぴったりのキャスティングだったと思います。
最初の「キングスマン」は若々しいエージェントが似合っていましたが、最近では「ロケットマン」などでも演技力で魅せていますし、今回の領主でありながらヒーローという役回りに合っていたと思います。
弓を使ったアクションもスピード感があって見応えがありました。
弓矢というと遠距離戦というイメージですが、本作では近接戦闘での弓矢をうまく使うというのが、非常に新鮮でした。
ロビン・フッドというのはおそらく日本で言えば水戸黄門のような時代劇な感じがします。
その場合、やはり悪役は徹底的に悪くないと、最後は溜飲が下がりません。
そういう意味では、今回の敵役の代官は非常に憎らしい。
最近の映画は悪役も色々背景があったりして彼らなりに悪を行う理由があるといったものが多いですが、本作はクラッシックに悪役が悪役らしくていいですね。
アクションなどは現代らしいスピード感があり洗練されたものでありながら、内容の骨子はクラシカル。
娯楽映画としてはこのくらいのさじ加減は見やすいと思います。

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2019年9月30日 (月)

「ヘルボーイ(2019)」 原作の雰囲気に忠実ではあるが凡庸

原作者のマイク・ミニョーラが脚本にタッチしているからか、ギレルモ・デル・トロの「ヘルボーイ」よりも原作の雰囲気が出ているような気がします。
というよりも、今思うとデル・トロの「ヘルボーイ」はデル・トロ色が強いのかもしれません。
ヘルボーイとリズの恋などは、異形の者との愛を描く「シェイプ・オブ・ウォーター」に通じるものを感じたりします。
ヘルボーイ自身が人間と悪魔の間に生まれたという異形の者ですが、さらにリズなどの描き方は常人とは異なる能力を持つことによる疎外感を感じさせます。
異形の者への愛情というのが、デル・トロの作品には通底していることで、それが「ヘルボーイ」という題材と相性が良く、彼らしさが出ていたのだと思います。
本作はデル・トロ版よりも原作が持つオカルティックな雰囲気を素直に描ことしていたように感じました。
R指定の作品となっており、残酷めな描写も多々ありますが、それもまた原作に忠実な印象を受けました。
「ヘルボーイ」の原作コミックは何冊か持っているのですが、「ヘルボーイ 百鬼夜行」の中のエピソードをベースにしていると思います。
ストーリーは違うのですが、登場するキャラクターやシーンなどに共通な要素が見受けられます。
このエピソードは、他のものよりも更にオカルト色が強いように感じました。
そのような原作が持つ特色を大切にしたのだろうと思われます。
「ヘルボーイ」の映画化作品としては、誠実に作られているように思いますが、卓越したレベルに仕上がっているかと言われるとそこまではいきません。
デル・トロ版が、原作の持つ雰囲気を持ちつつも、彼の作家性を強く出し、個性的であったのに比べると、本作は凡庸であると言わざるをえません。
作中でいくつか次回作に向けた種まきをしていましたが、次に繋げることはできますでしょうか。

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2019年5月20日 (月)

「バイス」 日米の政治観の違い

ジョージ・W・ブッシュ大統領の時の副大統領であったディック・チェイニーを主人公とした作品。
チェイニーの名前は当時の報道などで聞いていて、副大統領であったこと、あとはネオコン(新保守主義)に属する政治家であることは知っていました。
イラク戦争などを開始したことでアメリカが大きく変わり、それによって世界が変わっていこうとしていた時で、ネオコンという考え方にやや危険なものに感じていたので、覚えていたのだと思います(現在の方がさらに危険な匂いを感じますが)。
とはいえ、具体的にチェイニーが何をしたかということはよくは知ってはいませんでした。
予告を見た時は、大統領ではなく副大統領に目を付けるとは渋いところをついてくるなといった印象でした。
どちらかといえばクリスチャン・ベールがまるで見た目が違うチェイニーになりきって演じている様子に興味を持ちました。
彼はいつも役に合わせて、変幻自在に見た目から何から変えてきますが、その技を見たかったというのが鑑賞理由の第一でした。
確かにクリスチャン・ベールのなりきりっぷりは抜群でした。
「ウィンストン・チャーチル」でチャーチルになりきったゲイリー・オールドマンも素晴らしかったですが、クリスチャンもさすがです。
これも特殊メイクということですが、普段の彼の容貌がわからないくらいの変貌ぶりでした。
彼が演じるチェイニーと、本物のチェイニーの写真を比べれば確かに違うのですが、劇中の彼を見ていると印象はまさに本物のよう。
喋り方なども似せてきているのですよね。
容貌を寄せるだけではなく、その人物の特徴を巧みに捉える技はさすがです。
日本ではなかなか「バイス」のような実際の政治をテーマにした作品は見当たらないですよね。
色々と気を使うことがあるのでしょうが、こういうある政治的なスタンスが明らかな作品も作られるというのがアメリカらしいところだと思います。
どちらかといえば、アメリカで映画を作るような人々の多くはリベラルなので、ネオコンとは逆の立ち位置にいる方が多いかと思うので、この作品のようなスタンスの作品が作られるのだと思いますが。
本作はコメディのような笑いであったり、アイロニーを含んだ描かれ方をしています。
個人的にはアイロニーが効きすぎている気もしましたが、この目線も日本にはあまりない視点です。
日本では政治を笑い飛ばすと不謹慎であるという雰囲気がありますよね。
それは歴史的に政治は社会上高位にある人々が行ってきたという背景があり、庶民は口出ししてはいけないというイメージがあるのかもしれません。
日本では政治が身近ではないとよく言われますが、政治家だけの問題ではなく、一般人も何か遠いものと見るスタンスがあるのではないでしょうか。
アメリカは建国時から民主的な選挙で社会の代表を選び、政治を行ってもらうという体制をとった世界初の国です。
ですので、政治はそもそもが民衆のものという考えがあるのでしょう。
民衆の代表が政治を行っているわけですから、その中には時折おかしなことを言う者も出てくるというのが社会的には折り込み済みなのかもしれません。
ですから、そのようなものが出てくるとからかったり笑い飛ばしたりする。
それは彼らもそもそもが民衆の一人であるからという基本的なスタンスからきているような気がします。
政治とは関わるのは面倒くさい存在というより、大いに関わりあうべき存在なのでしょう。
日米の政治観の違いというのを感じた一作でした。

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2019年4月20日 (土)

「ハンターキラー 潜航せよ」 潜水艦モノは面白い、しかし名作と呼ばれるには何か足りない

潜水艦映画好きなので、見逃すわけにはいきません。
「眼下の敵」「Uボート」「レッド・オクトーバーを追え!」「クリムゾン・タイト」・・・、潜水艦モノには好きな映画が多いです。
目を使うことはできず耳だけが頼りであり、狭い空間にいながら、常に周囲を高圧の海水に囲まれている。
海中に潜ってしまえば例え味方でも連絡は取りにくく、緊急事態においても判断は己で行わなければならない。
潜水艦という環境そのものが、精神的にハイプレッシャーを受ける状況なわけで、そこで展開されるドラマが面白くないわけがありません。
これが潜水艦映画にはハズレなしと言われる所以なのでしょう。
さて本作「ハンターキラー」はどうでしたでしょうか。
うん、悪くはない。
面白くないわけではありません。
ただそれがこの映画だからこそ面白いのかと言われると、上で書いた潜水艦映画で描かれる状況として基本的に持っている緊張感ゆえに面白いと言えなくもありません。
例えば「クリムゾン・タイト」であれば、潜水艦という狭い環境の中での強い信念を持った男同士の争いを合わせて描いていることが作品の個性であるし、「レッド・オクトーバーを追え!」であればスパイ映画風味を加えたところが作品のオリジナルさであると言えます。
それでは本作「ハンターキラー」はどうであったかというと、他の名作と言われる潜水艦作品と比べると際立った個性はあまり感じられません。
どちらかと言えば、今までの潜水艦モノで見たような既視感を感じるようなところもあります。
とは言え、決してつまらないわけでもありません。
潜水艦モノらしい緊張感はある作品になっているとは思います。
国とかは関係なく海にいる者同士が感じるリスペクトなどはやはり胸アツですしね。
ほんともう少しひねりが効いていれば、潜水艦映画の名作入りだったかもしれないのですけれどね。
潜水艦モノは普通にやっていても及第点は取れるいい題材なので、やはり名作と呼ばれるためにはもう少し際立った個性が必要であると思います。

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2019年4月 6日 (土)

「バンブルビー」 シンプル イズ ベスト

「トランスフォーマー」の第1作を初めて見たときは度肝を抜かれました。
車からロボットへまるで手品を見ているかのように見事に変形する様に目を見張ったのです。
しかし人間とは怖いもので、一度は驚いた描写にもいつしか慣れてしまいます。
その思いを知ってかしらずか「トランスフォーマー」シリーズはいつしかビジュアルもストーリーも過剰に、過剰にという方向に向かっていったと思います。
個人的にはすでに2作目あたりでビジュアル的にはお腹いっぱいな気分になりました。
ストーリーも後付けで色々と設定が出てくるので「ロストエイジ」くらいからあんまり考えるのを止めました。
もうここまで見てきたから、仕方がなく付き合っている感じもします。
そういう満腹感を多くの人が感じていたからでしょうか、本作「バンブルビー」はビジュアル的にもストーリー的にもシンプルになっています。
「バンブルビー」が描くのは「トランスフォーマー」の第1作目よりも前の話でいわゆるプリクエルになります。
本作はサイバトロン星の記憶を無くしたバンブルビーと少女の交流をメインに描きます。
異世界の生き物を少年・少女の交感というのは、「E.T.」など多くの名作を生み出している黄金パターンと言えます。
本作は王道で典型的なストーリーとなりますが、複雑化している「トランスフォーマー」シリーズを意識すると、とてもシンプルでそれゆえ安心して見ていられます。
幼児退行してしまったかのようなバンブルビーは機械でありながら愛らしく、主人公チャーリーでなくとも守ってあげたい気分になりますよね。
この辺りに「E.T.」との類似性を強く感じるところです。
そう言えば、本作の製作総指揮はスピルバーグでしたね。
アクション部分については最近の「トランスフォーマー」シリーズのように画面あたりの情報量を抑えているように感じます。
そのためアクションの中心をしっかりと見ることができるので、見ていて疲れないです。
最近の「トランスフォーマー」は見終わるとほんと疲れますから(3D見ようものならなおさら)。
ビジュアル的にもストーリー的にもシンプルを意識した本作。
個人的には最近の「トランスフォーマー」シリーズの中では最も良いと思いました。
さて「バンブルビー」を経て「トランスフォーマー」シリーズはどこへ向かうのでしょうか。
本編の方は話を広げすぎて収集つかなくなっているようにも感じますが、果たして?

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「運び屋」 良い人生?悪い人生?

自分勝手に生きてきた。
家庭よりも仕事優先。
家族のお祝いごとよりも、外での付き合いを重視する。
本作の主人公アールはこのように生きてきました。
そんな父親はかつての日本にも多くいました。
自分の父親の世代などはまさにこういう人ばかりだったと思います。
最近はイクメンと言われる人も増えて、家庭にも関与する父親も多く、隔世の感があります。
アールは自分の達成感がすべてで、家庭を顧みることはありませんでした。
そのため妻にも娘にも三行半を突きつけられてしまい、さらには時代の流れに取り残されて一番大事にしていた仕事も失ってしまいます。
ふとしたきっかけでかかわってしまった仕事も、それが麻薬輸送だとわかってからも続けます。
果たしてこのような人生は彼にとって良かったのでしょうか。
それとも悪かったのでしょうか。
答えは・・・「わからない」でしょう。
そもそも良い人生、悪い人生というのは何なのでしょうか。
アールはその人生のほとんどを自分がやりたいようにしてきました。
そしてそれなりの名声も得てきていたようです。
その点においては満ち足りた人生と言えるでしょう。
しかし家庭をないがしろにしてしまったため、晩年は家族とは疎遠になり人地ぼっちで過ごすことになります。
この視点では悪い人生と見えます。
彼はその後、麻薬の輸送に関わるようになりますが、彼なりのやり方で仕事を評価されていくようになります。
彼もそれなりに達成感を感じるようになります。
仕事の内容は別にして、歳をとっても仕事にやりがいを感じているという点はいい人生です。
しかし、結果的には彼の行為は露見して逮捕されることとなってしまいます。
人生最後に逮捕されるという点は最悪と言えるでしょう。
とはいえ、逮捕される前に愛していた妻の臨終には立ち会うことができました。
それは彼の人生は幸せだったといえるでしょうか。
言えないでしょうか。
やっぱりわからないです。
まだ自分は彼ほどの歳になっていないので実感はないのですが、人生を長く生きれば生きるほど、後悔したことはたまっていくに違いありません。
アールがすごいと思うのは、歳をとっていても前向きな点があるということです。
もちろん彼の人生も後悔ばかりです。
それでもまだ前を向けているというところが、ただの老人と違うという気はしました。
しかし彼の人生が幸せであったのかどうかはわかりません。
その答えがわかるのは、まさに彼が死ぬ時にどう自分の人生を振り返るかということなのでしょう。

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2019年3月 2日 (土)

「ファースト・マン」 閉塞感と解放

最初から最後まで見ていて息がつまるような印象がある作品でした。
まず冒頭の大気圏脱出のテストフライトのシーン。
個人的に飛行機とかジェットコースターとかがとても苦手なので、手に汗握るというよりも脂汗をかくような気持ちで見ていました。
中盤のジェミニ計画の中の一つドッキングミッションの場面もそうですね。
宇宙船のバランスが狂い、高速度で機体が回転を始めてしまうが、それを止められない。
このシーンは見ていて途中でもう止めてと思うほどでした。
初期の宇宙船は作品の中で描かれているようにペラペラな金属の殻で覆われているだけで、かつとても狭い空間。
そしてその薄い隔壁の外には真空の世界があります。
これは圧倒的な閉塞感です。
そう、この作品のテーマは閉塞感があると思います。
作品の冒頭で、主人公ニールは愛娘を病気で失います。
この時彼の気持ちは外界と何か壁のようなもので覆われてしまったように感じました。
娘を失ったという現実からの逃避かもしれません。
引きこもってしまうわけではありません。
妻や息子たちとも話はします。
同僚たちとお酒を一緒に飲んだりもします。
けれど、ニールの本当の気持ちは何かベールに覆われているかのように見ていて感じます。
それは妻のジャネットにも伝わっていて、彼女は夫と確かなコミュニケーションを得られないことにずっと苛立ちを感じています。
ニールは決して妻や子供たちを愛していないわけではありません。
でも娘の死をきっかけに、それらをはっきりと自分の外に気持ちを出すことができなくなってしまったのかもしれません。
このようなニールの心情も閉塞感であると思います。
作品を通してもやもやとした閉塞感が続き、ずっと重い緊張感が存在しています。
その閉塞感が様々な意味で解放されるのが、月面着陸でした。
何年にもわたるミッションが成功を迎えたその時。
極度に狭い宇宙船から広い月面に降り立ったその時。
ニールの気持ちはそれまで彼の心と外界を隔てていたベールが払われた気持ちになったのではないでしょうか。
娘の思い出の品をそっと月面に置いた時、ようやく娘を失ってしまったという現実から解放された。
長く心を支配していた閉塞感から解放された時であったのでしょう。
月面着陸は人類が月面に立つまでの長い旅路が終わった瞬間でした。
そしてまたニールの心の中にあったわだかまりがなくなった瞬間でもありました。
地球帰還後、ニールは防疫室から窓越しで妻に面会します。
ニールから妻に向かって手を差し出します。
彼はようやく自分の殻から出ようとしているところなのかもしれません。

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2018年12月18日 (火)

「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」 広がる伏線

「ハリー・ポッター」シリーズの前日譚となる「ファンタスティック・ビースト」シリーズですが、2作目に入り「ハリー・ポッター」シリーズとのリンクする部分も出てきて、コアなファンにはたまらない展開となっていますね。
私はそれほどコアなファンではないのですので(とはいえ小説も読んでますし、映画も全部観ていますが)、サブキャラまであまり覚えているわけではないので、あまり偉そうなことは言えないのですけれど(笑)。
鑑賞後パンフレットを読んで驚いたのは、本作で登場した蛇に変身することができるミステリアスな女性が登場しましたが、あれは「ハリー・ポッター」シリーズに登場していた大蛇だったのですね。
大蛇=ナギニはヴォルデモートに仕えていましたが、それが本作に登場することで俄然本シリーズと「ハリー・ポッター」シリーズの関連が気になってきます。
本作からダンブルドアも本格的に登場し、敵役であるグリンデルバルドとの関係性も明かされました。
もしかするとグリンデルバルドとダンブルドアとヴォルデモートとの因縁なども明らかにされるかもしれません。
「ファンタスティック・ビースト」シリーズは当初3部作と言われていましたが、脚本のローリングは5部作になると言っているそう。
たしかに本作で「ハリー・ポッター」シリーズとの関連に関わるいろいろと謎が提示されているので、それがあと1作で回収しきれるとは思えないですね。
本作は5部作の中の序盤になるのでまずは大きく伏線を張っている時期なのだと思われます。
また「ハリー・ポッター」シリーズもそうでしたが、全体的にダークなトーンに転調しています。
登場人物たちもそれぞれの運命に流されて、出会い別れていくことが本作で示されました。
特に興味深いのはグリンデルバルド側につくことにしたクイニー。
この決断により、彼女は姉ともジェイコブとも敵対する関係になってしまいます。
「ハリー・ポッター」シリーズでも友人同士や肉親同士が戦いあう展開がありました。
ヴォルデモートは恐怖で人を操り支配し、それから逃れられない者が彼に取り込まれていきました。
対してグリンデルバルドは人の弱みを理解し許容することにより、人を取り込んでいくように見えます。
彼が本当に人のことを思い、仲間を増やしているのかどうかはまだ明らかになっていませんが、もし彼が人の弱さにつけこんで彼らを利用することだけを考えているのだとすると、ヴォルデモートとは違った意味で恐ろしい存在であると言えます。
これから続く彼の意図が明らかにされていくのでしょう。
ローリングの物語はファンタジーでありながらも、人間の闇の面を描いているようにおもえます。
「ハリー・ポッター」シリーズがそうであったように、本作もますますダークなトーンになっていくでしょう。
主人公でありながらまだその本質が見えてこないニュートについても、彼が抱えているものが深く掘り下げられるかもしれません。
5部作となったので、それぞれのキャラクターがより深く描かれてることは間違いないでしょう。
そしてどのように「ハリー・ポッター」に繋がるかも気になります。
次回作も楽しみに待ってみたいと思います。

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2018年11月25日 (日)

「ボヘミアン・ラプソディ」 自分の居場所

私は洋楽は疎いのですが、クイーンの曲は知っている曲が多いです。
本作で流れていた曲もほとんどが聞き覚えのあるものばかり。
クイーンの曲は様々な映画の中で使われていて印象に残っているからかもしれないですね。
そう言えば、私のクイーンの初体験は「フラッシュ・ゴードン」のテーマの「Flash」だったのではないかな(笑)。
キャッチーな「フラッシュ!アーアー!!」っていうフレーズが印象的でした。
クイーンのことは知ってはいても体系的な知識ではなかったのですが、本作の中でメンバーがクイーンは同じようなことを繰り返しおこなっていくようなことはしないというようなことを言っていましたが、その通りかもしれないと感じました。
彼らの曲を改めて聞いてみると、いわゆるヒットメーカーにありがちな同じようなパターンとかがあるわけでもなく、どの曲も他にはないユニークさを持っていますよね。
それでいて、どの曲もどこかしらクイーンらしさというのも感じます。
それが彼らのスピリットなのかもしれません。

やはり本作を語る上ではクイーンのボーカリストであり、本作の主役でもあるフレディ・マーキュリーについて触れないわけにはいきません。
一般的な知識として彼がエイズで亡くなったのは知っていましたが、彼の出身がインド系であることは全く知らなかったです。
彼の人生を描いた本作を観ると、彼がどこにも自分の居場所を感じられなかったということが痛いほどに伝わってきます。
イギリスで青春時代を過ごす中で、インド系であることによる疎外感。
伝統的な価値観の家族の中で、ロックに傾倒していく自分の居心地の悪さ。
そしてバイセクシャルであることを誰にも言えないことの閉塞感。
彼は彼らしく生きていこうとすればするほど、自分の居場所を失っていってしまう。
家族のような存在であったバンドも、そして恋人のルーシーも。
自分がどこを基盤としているかがわからないとても曖昧な不安定感。
まさに流浪の民、ボヘミアンなのですよね。
彼は自分の拠り所を探し、さまよいます。
そして結局、自分の居場所は家族とも言えるバンド、クイーンだったわけです。
その唯一の居場所を見出せたのに、彼の寿命は尽きようとしていた。
けれども最後に自分の大切な場所を見つけることができたとも言えるわけですね。
ずっと自分がどこにいるべきなのかわからなかった根無し草から、ここにいてもいいと言ってもらえる場所を見つけられた。
これはフレディにとっては幸せなことだったのですよね。

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2018年9月22日 (土)

「プーと大人になった僕」 何にもしないことをする

正直言って、むかーしのディズニーのアニメーションはほとんど見ていません。
「シンデレラ」とか「白雪姫」とか、そして「くまのプーさん」も。
子供の頃は「ウルトラマン」や「仮面ライダー」や日本のアニメの方に夢中だったんですよね。
もちろん、それらディズニーのアニメのお話はしっています。
絵本やら何やらを読んでいたからでしょう。
「くまのプーさん」については絵本を読んだ記憶があります。
はちみつ食べ過ぎて、家から出れなくなったエピソードとか。
赤い風船のイメージもありますね。

大人になると時間が限りあるものだと知ってしまいます。
やらなきゃいけないことは山のようにある。
仕事もそうだし、家族のことも、その他のことも。
時間は限られているから、そういうやらなきゃいけないことをやるために細かに計画を立てる。
スケジュールを作る。
けれどもそれでも回らなくなって、何かを犠牲にしてしまう。
時間をうまくコントロールしようとしているのに、逆に時間に振り回されてしまったりする。
子供の頃は、時間が限りあるものなんてあまり思っていなかったかもしれません。
今日できなかったら明日やればいいし。
だからやりたいことを今日やる。
なーんにもやらずに、ゴロゴロしていることもある。
明日やればいいから。
大人になったら、こんなことはできません。
仕事でも効率化と叫ばれ、どれだけ生産性を上げられるかとことを考えてばかりいます(大事なことですけれどね)。
空いてる時間にぼーっとしていると何か悪いことをしている気になってしまう。
いつしか疲れ果てて、なんのために効率化しているのかもわからなくなってしまったりもするかもしれません。
ほんとは自分のしたいことをする時間を作るためだったのに。
「何にもしないことをする」とかつて子供であったクリストファー・ロビンは言いました。
今の時代、ほんとそういう風に覚悟をして「何もしない」ということをすることが大事なのかもしれないですね。
そういう風に時間を使うと、走りながらでは見えないことが見えるかもしれません。
意識的に立ち止まることもしなくてはいけないですね。
まさに「何にもしないことをする」です。

本作は時間が合わず、吹き替え版で観ました。
私は基本的には洋画は字幕派なのですけれども、本作は吹き替え版もよかったですね。
クリストファー・ロビンの声をあてていた堺雅人さんがこのキャラクターのイメージにぴったり。
このキャラクターは大人にはなっているけれど、かつて純粋だった少年の心をかすかに持っているところがあるのですよね。
それが堺さんのイメージと非常に合っていました。
いいキャスティングだったと思います。

あとイーヨーのすごいネガティブなキャラクターが面白かったですね。
全てを悲観的に捉えてる!
ここまでネガティブだと清々しくも感じます。
アニメ版でもこんな感じなのかな。
ちょっとアニメ版見てみたくなりました。

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