「フロントライン」見えない敵
コロナという当時正体不明の感染症が中国から広がり始めていた2020年初頭、その後世界中がこの病気で大混乱に陥ることを想像していた人はとても少なかったと思います。
今でこそこの病気は研究され、様々な対策がとられてるようになり、一般的なインフルエンザのような感じに落ち着いてきていますが、当時はこの病気に対して「得体が知れない」ゆえに恐怖心ばかりが先行していたような気がします。
私も2020年後半に感染し、その後ホテル隔離、そして病院に搬送された経験があります。
意識はありましたが、高熱や咳などはあり、体中が筋肉痛のように痛いという症状でした。
入院して1週間程度は酸素吸入をしていました。
完全隔離の病室で入院は1ヶ月弱にも及びました。
退院する時に先生と面談すると、入院当初は肺のレントゲンを取ると真っ白でひどい肺炎だったということです。
まだそのころは有効な薬も見つかっておらず、対処療法で患者を支えて回復を待つというところだったと思いますし、対応していただいた医師や看護士の方は、自分も感染するかもしれないというなか、しっかりとした対応をしていただいたと思っています。
本作で描かれるダイヤモンドプリンセスでの出来事は、コロナが発生した当初のお話です。
まだ日本国内に本格的に感染が広がり始める前であったと記憶しています。
この時期、コロナに関しては何も分かっていないのも同然でした。
しかし医師や看護士の目の前でどんどん感染者は広がっていく。
わからないから何もしないというわけにはいかない。
その時、その時でできることをやっていくしかない。
何が完璧な対応であるかなんかわかるわけがない。
その中で考えられる中での最良てを打っていくしかない。
正体がわからない敵(コロナ)に対しての戦いは、非常に困難で苦しいものであったと思います。
もう一つ彼らが戦っていた正体がわからない敵がいました。
世間の無理解という敵です。
当時は医師たちだけでなく、世間全般としてコロナに対して何も分かっていませんでした。
まだ本格的に日本に入ってくる前でしたので、対岸の火事的なものの見方もあったでしょう。
わからないものであるがゆえ、ネットでは正しい話も正しくない話も一緒くたに語られていました。
人はわからないものは忌避します。
触れたくないと思います。
人を救うために最前線(フロントライン)で働いている彼らもその忌避の対象となりました。
精神的には彼らにとってこちらの敵の方がきつかったのではないかと思います。
そのような困難さの中でも彼らはその最前線から逃げなかった。 自分の業務に対しての倫理観、そもそも人を救う仕事に就こうとした志に対して正直であったのでしょう。
志を同じくする人々が、それぞれが戦い、そして連携して巨大な敵と戦っていく姿に感動いたしました。
DMATのリーダーであり厚労省との窓口であった結城、彼の右腕であり最前線で指揮を取る仙道のやりとりなども心揺さぶられるところあります。
結城は世間とのフロントラインに立っていて、マスコミや風評・政治と向き合っています。
自分たちが大切にしていることとは全く異なる思惑や思考に対し、自分たちが正しいと思うことを通していくことに軋轢を感じています。
時折妥協してしまいそうになる時に、コロナのフロントラインにたつ仙道と話す中で医者として、そしてDMATとしての志に立ち返ることができました。
仕事というものに向き合っていくためにはやはり志が大切なのですね。
そしてその志を共有する仲間がいるということが。
今というタイミングでこの映画が作られたことには意味があると思います。
コロナが普通の病気になってしまい、あの頃のことが急速に風化しています。
ただ病気に限らず、まさに未曾有の出来事というのは今後も発生すると思います。
その時、何もわからない中、それでも進んでいかなければならない。
最善策は何かと止まっている暇はなく、その時の最良手を進めていくしかない。
その時の考えの礎になるのが、やはり志ではないかと私は思いました。
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