2022年3月27日 (日)

「ナイトメア・アリー」因果応報

<ネタバレあり>
ギレルモ・デル・トロは、なかなか見ることはできないが闇の中に確かに存在するモノに対して非常に強い偏愛を持っている。
本作の闇は「人の心」だ。
人はそれぞれに心の中に隠している思いがある。
欲望であり、憎しみであり、それをそのまま発露させてしまうと醜悪な思い。
それを人は隠している。
主人公スタンはカー人バルで読心術を学び、それをショービズの中で活用してのし上がる。
その読心術を教えたピートはその危険性を知っていて、自分ではその技を封印していた。
読心術を使えば、人の隠された思いを明らかにし、そしてそれを使って人をコントロールすることができる。
人をコントロールできることを知ってしまった時、そのことは使うものに非常な優越感を与えることになる。
その危険性をピートは知っていたのだ。
スタンは登場してきた時は何かから逃げているような得体の知れない男だった。
しかし物語が進むにつれ、スタンが心の中にある憎しみや欲望に突き動かされている男であることがわかってくる。
独善的なこの男は、結局その技を人に使っていくことを躊躇わないようになっていく。
人の心の闇を開け、それを使ってコントロールする。
しかし闇から出ててきたモノは、怪物のようにその人を喰らう。
スタンが金のためにその術をかけた人々は、心から現れた怪物に人生を狂わされてしまう。
そしてその術はスタン自身の闇をも解放していくことになったのではないか。
自らの飲酒の禁を破り、ピートの戒めも無視し、スタンの欲望がどんどんと自身を食らっていく。
結局、スタンは人の運命を狂わしていく最大の罪である殺人も犯し、逃亡する。
結局辿り着いたのはカーニバルの見せ物小屋。
最初はスタン自身が憐れむように見ていた獣人として、彼は生きていくことになる。
まさに因果応報。
ラストカットのブラッドリー・クーパーの表情は最高。

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2022年3月13日 (日)

「ナイル殺人事件」人間としてのポアロ

2017年の「オリエント急行殺人事件」に続く、ケネス・ブラナー監督主演のポアロシリーズの第二作です。
前作でも最後にこの後ポアロはエジプトに行くと言われており、第二作目の示唆はありましたね。
アガサ・クリスティのミステリーには学生時代にハマり、長編・中編の作品はほぼ全部を読んだと思います。
ミス・マープルよりはポアロのシリーズの方が好みではありましたので、前作についても見に行きました。
ケネスのポアロはとてもしっくりとしたので、ぜひ続編でも見てみたいと思っていました。
原作の「ナイルに死す」は読んだのが随分前なので、あまり覚えていません。
「オリエント急行の殺人」はミステリー史に大きなインパクトを残すトリックがあったので、非常に強く印象付けられていましたが、「ナイルに死す」は典型的なアガサ・クリスティの作品であったという印象くらいですね。
ですので、割とフラットに鑑賞に臨むことができました。
意外だったのは、最初のオープニングです。
第一次世界大戦に従軍していた時のポアロが描かれます。
ポアロについては小説でも第一次世界大戦の頃は従軍していたこと、その後ベルギーで警察官を務めていたことは経歴として語られることはありましたが、当時の様子が描かれたことはなかったと思います。
ですので、少々驚きました。
あえて原作にないシーンを入れてきたわけですので、意図があると考えられます。
若きポアロはその頃より深い観察力と洞察力を持っており、それによって劣勢であった自軍が戦線を突破する術を見出します。
しかし、最後の最後で彼がひとつ見逃していたことにより、上官は死亡し、自身も大きな怪我を負います。
そんな彼を恋人が戦地の病院まで見舞いにきますが、その帰り道で彼女の乗っていた列車が攻撃され、彼女は命を失ってしまいます。
これらのエピソードが何を意味しているか。
アガサ・クリスティの作品における探偵は事件の登場人物とは一歩離れた位置をとっていることが多いです。
ミス・マープルは安楽椅子探偵ですので、人から聞いた情報だけで真犯人を見つけます。
ポアロは現場にはいますが、彼らとは距離を置いた位置におり、あくまで客観的に彼らを観察します。
彼は観察者ですので、彼の心情が深く描かれることはあまりありません。
しかし、本作では事件に巻き込まれ、真犯人を追うポアロはしばしば感情的に、執拗に尋問を行います。
これが小説のポアロとはちょっと違う点です。
よくよく考えると最近のミステリーは探偵そのものを深く描くことが多くなりました。
例えばベネディクト・カンバーバッチがシャーロック・ホームズを演じた「シャーロック」。
コナン・ドイルの原作は探偵ものの原点なので、クリスティのポアロと同様にホームズ自体はいつも客観的な立場をとっています。
しかし「シャーロック」ではまさに物語の中心にホームズがおり、彼を中心にストーリーが進行していきます。
ミステリーにおいて探偵のキャラクターを深く描くというのはトレンドなのかもしれません。
本作のポアロは「シャーロック」のホームズまでとは言いませんが、原作に比べてキャラクターが描かれていると思います。
冒頭の過去の話が語られたのは、ポアロが自分の灰色の脳細胞を極限まで活用しないと、そのことにより後悔をするかもしれないという彼の思いを表すため。
また人は愛のために何でもするという真理は、彼が愛するものを失ってしまったことによる悲しみを心の奥底に持っているから、彼は理解できる。
だからこそ彼はなりふり構わず、事件に挑み、真犯人を見つけ、犠牲者を増やさないようにしようとしたのでしょう。
ケネス・ブラナーのポアロは第3作も企画されているとのこと。
次回作でさらにポアロのキャラクターの深堀がされていくのでしょうか。

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2022年1月30日 (日)

「ノイズ」 聴こえないノイズ

「この映画を見よう」というときに、皆いろいろなキッカケがるかと思います。
原作が好き、監督が好き、そして出演者が好きなど・・・。
私は監督や脚本家で決めたりする時が多いのですが、この俳優が出てる作品を見たいというのも数少ないですが、ありまして。
そういった俳優の一人が藤原竜也さんです。
この方は他の俳優にはない存在感というのがあるように思っていまして、それが唯一無二というか、他の方にはとっかえが利かない感じがあるのですよね。
「カイジ」じゃないですが、ザワザワする感じといいましょうか、一筋縄ではいかない感じが、彼の出演する作品にはあるように感じます。
その先行きが見通せない感覚に惹かれるのですよね。
本作「ノイズ」もそのようなザワザワ感を感じます。
名物黒無花果で復興を果たそうとする小さな過疎の島へ、元受刑者がやってきます。
劇中では彼は平穏な島を見出す「ノイズ」として語られています。
これは確かにノイズですが、かなり目立つ大きな雑音です。
この島には他にも聴こえるか聴こえないかわからないくらいの小さなノイズがずっとあるのではないでしょうか。
それが心理的なザワザワした感触につながっています。
一見平和そうに見え、団結しているように見えますが、それぞれに思惑がある。
恣意的ではない、自分でも気づかないほどの。
島の人々は主人公圭太を復興の救世主と持て囃していますが、実は彼に頼り切っている。
その期待はいつ期待はずれに変わるかも知れず、それは絶えずプレッシャーとなっている。
圭太の妻、加奈が島へ違和感を感じているのは、そういった聴こえないほどのノイズを感じているからかもしれません。
このような一蓮托生感は古い昭和のミステリーにもあった感触であったようにも思います。
事件捜査のためにやってきた警察も島にとってはノイズです。
だから彼らは村の人々に邪険にされます。
両方に所属する真一郎は、そのことにより引き裂かれてしまったのだと思います。
<ここからネタバレあり>
圭太を陥れた人物は想像がつきます。
彼も心にノイズを抱えていたのだと思います。
親友と愛する人の幸せを願う気持ち、それと相反するような彼らを妬み憎む気持ち。
そのマイナス感情は自分自身も聴くことができないほどの小さなノイズであったのだろうと思います。
そこに異邦人という大きなノイズが現れ、その振幅に彼の中のノイズも増幅されていってしまったのかもしれません。
演出的にちょっと余計だったのではないかと思ったのはラストのシーンです。
彼が愛する女性の写真が壁一面に貼られています。
彼の思いの深さを表現しようということだったのかと思いますが、こうなると彼はストーカー、サイコな変質者といった印象を強く与えられます。
私は個人的には彼は普段はそのような思いを自分の中で自分も気づかないようにしていたのではないかと感じました。
最後の描写により彼のサイコな側面が描かれたことで、彼の人物像がちょっと薄っぺらく感じてしまったのです。
もう少しやりようはなかったのかな。

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2021年11月28日 (日)

「信虎」歴史オタクによる趣味映画

スルーする予定だったのですが、ネットの記事で三谷幸喜さんが褒めてるらしいことを知り、見に行きました。
信虎とは武田信玄の実父であり、息子に故郷を追われた男です。
今までも大河ドラマなどで登場人物として知ってはいましたが、主人公として描かれるのはあまり聞いたことはありません。
そういう点でも興味が湧きました。
また監督が実績のある金子修介さんでもある点も安心材料でした。
が、正直言って鑑賞するのが苦行のような作品でした。
物語は信虎が息子信玄が死んだことにより武田家の存亡の危機と知り、故郷甲斐へ帰還しようとしたところから始まります。
そこから彼の歩みを追っていく展開となるのですが、粛々と物語が進んでいくため、起伏に欠けます。
本作は歴史研究を趣味とする古美術商の方が共同監督・脚本・編集など多くのポジションで関わっており、そのためかマニアックに細々と様々な人物や歴史的な出来事が詰め込まれていて、脚本も編集も非常に流れが悪い。
普通だったらバッサリ切ってしまうような部分も入っているので、まるで素人の作品を見ているような印象を受けました。
あまり金子監督の手が編集には入っていないのではないか、と思ってしまったりします。
歴史オタク的な人が見ると、こんな人物も出ているとか、こんなトピックにも触れているとか楽しむところがあるのかもしれないですが、一般的な観客にとってはちょっとマニアックな感じもしました。
最終盤では信虎のサイキック(?)な能力なども現れ、これは伝奇ものか?と思ったりもして、ちょっとチグハグな感じも受けました。
結果2時間15分にも及ぶ長尺の苦行となってしまいました。
本作は江戸時代武田家復興に力を貸した柳澤保明が語り手となっており、その息子が聞き手となっています。
その息子は保明の話を聞いてあまりの長さにうたた寝をしてしまうという描写がありましたが、私が唯一共感できたのがこの息子でした。
久しぶりに早く劇場を出たいと思った作品です。
三谷さんがどこを評価したのかが全くよくわかりません。

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2021年4月19日 (月)

「ノマドランド」 自分の生き方を自分で決める

この作品をみようと思った理由は二つあります。
一つ目は監督がMCUの公開予定作「エターナルズ」の監督を務めるクロエ・ジャオであるということ。
私はこの監督については全く知らず、どんな作風の人なのかが見てみたかったのです。
もう一つは「スリー・ビルボード」の演技が素晴らしかったフランシス・マクドーマンドが主演しているということ。
彼女の演技は演技とは思えないリアリティを感じさせてくれるのですよね。
本作で描かれるノマドとは、季節ごとの仕事を求めてアメリカ中を旅する高齢労働者のことです。
例えば、クリスマスシーズンには消費が進み、物流が激増するので、アマゾンの拠点での臨時の仕事が増えるため、そこに彼らは集まってくるのです。
彼らの多くは今世紀初頭の経済危機により、車上生活を余儀なくされた者たちです。
日本で言えばなんとなくホームレスのようなイメージを持ってしまいますが、本作を見ているとそれとはまたちょっと違う存在なのだなと感じました。
マクドーマンドが演じる主人公ファーン自身は「ホームレスではなく、ハウスレス」だと言っていました。
Houseは建物としての家、Homeは人が住む場所としての家という違いがあります。
建物としての家は持っていないが、住む場所(ヴァン)は持っているというところでしょうか。
車上生活というのは狭い日本ではなかなか考えられません。
しかし、アメリカではトレーラーで暮らすというのは昔からありました。
劇中でも言われていましたが、彼らのような生き方は幌馬車でフロンティアを目指すアメリカの開拓民のようでもあります。
彼らは経済的な問題からそのような生活をすることになりましたが、それを前向きに捉えて生きている人もいます。
例えばスワンキーという人物は、自然の中で生き、自分の行きたいところに旅をするという生き方を愛しています。
彼女は結局、旅先で病気のために亡くなってしまいますが、本望であったでしょう。
デヴィッド・ストラザーンが演じるデヴィッドは、若い時に家族を顧みなかったことに負い目を感じていることで、ひとり車上生活を送っていました。
しかし、あるとき息子が彼を探し出し、自分の家で暮らすように誘います。
結果、彼は息子家族と一緒に暮らすようになり、再びホームを手に入れました。
本作ではスワンキーのような生き方が良い、またデヴィッドのような生き方が良いといった結論は出しません。
そこにあるのはそれぞれが自分の生き方を選択するということです。
これはとても自由でアメリカ的であると思いました。
それではファーンはどうだったのでしょうか。
彼女は愛する夫に先立たれ、それでもその思いを断ち切れず、ひとりで彼と過ごした街で暮らしていました。
しかし、企業城下町であるその町は不況により閉鎖され、彼女は住む家をなくしてしまいました。
彼女の車上生活は自分で選んだものではなく、そうせざるを得なかったということだったのだと思います。
終盤、彼女は「思い出に縛られすぎた」と言います。
それは夫への思いを大切にしていたため、自分の新しい人生を楽しむということができなかったということなのだと思いました。
彼女にとって車上生活はそのような思いを振り切るためのモラトリアムであったのではないでしょうか。
彼女自身も自由を感じ、魅力を感じてきているノマド生活を続けるのか、または惹かれるところもあるデヴィッドと暮らすような道を選ぶのかはわかりません。
いずれにしても、彼女は自分の生き方を自分で選んでいくのだろうと感じました。
マクドーマンドとデヴィッド・ストラザーン以外の出演者は皆、本当にこのようなノマド生活をしている人なんだということ。
なので、本作はノンフィクション的なリアルさを持っているのでしょうね。

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2020年9月12日 (土)

「1/2の魔法」 前へ向かって

本作は3月に公開予定だったピクサーの新作ですが、コロナ感染拡大の影響で公開が延期に。
ようやく8月になって公開となりました。
パンフレットを買ったら「ムーラン」の広告が載っていましたが、こちらも元の公開日の4月の日付が。
公開延期が決定前に、もう刷っていたのだろうなあ・・・。
「ムーラン」は劇場公開はしないことが決定してしまい、残念(ディズニープラスで見れるようになったけどプレミアム料金で2980円かかるらしい・・・。高くない?)。
さて本作の話。
予告を見たときの印象としては、父と子の絆を描いたファンタジーかなという感じでした。
毎回、ユニークな切り口でありながらエモーショナルな作品を提供をしてきたピクサーにしては、オーソドックスな路線できたなと感じました。
16歳になった時、主人公のイアンは亡くなった父が残してくれた魔法の杖を母親から渡されます。
杖に添えてあった父親のメモには亡くなった人を復活させることができる呪文が書いてありました。
イアンと兄のバーリーはその呪文を試しますが、復活したのは父親の下半身だけでした。
全身を復活させるのには「不死鳥の石」が必要で、また呪文の効果は次の日の日没まで。
二人は父親を復活させるために冒険の旅に出ます。
主人公イアンは何事にも自信がない少年です。
冒険の旅の中で、兄の助けもありながら次第に魔法使いとして自信をつけていきます。
この物語はイアンの成長物語でもあります。
兄のバーリーは調子が良くて、ドジなところもあり、しばしばイアンの足を引っ張ります。
しかし、弟を思う気持ちは本物でした。
ただイアンは急速に子供から大人に成長していく一方、そんな調子の良い兄を疎んじる気持ちも芽生えてきてしまいます。
旅の途中で二人は喧嘩別れをしてしまいますが、イアンはバーリーの本当の気持ちを知ることとなります。
父親が亡くなったとき、イアンはまだ赤ん坊で全く記憶はありません。
しかし、バーリーは父親が亡くなった時の気持ちをずっと忘れてはいませんでした。
父親が失われるという恐ろしさのため、ちゃんとお別れの挨拶ができなかったことが、ずっと彼の中にわだかまりとして残っていたのです。
原題の「Onward」とは「前へ向かって」という意味があります。
これはずっと心にわだかまりを持っていて前へ進むことができなかったバーリーが、やっと父親に別れを告げることができることにより、前へ進むことができたという話でもありました。
もちろん主人公イアンもそんな兄の気持ちを理解し、父親に合う機会を兄に譲るということで思いやりのある大人に成長します。
「1/2の魔法」は主人公イアンだけの成長の物語だけではなく、バーリーとイアンの兄弟の成長物語なのです。
一見、一人の少年の成長物語かと思わせておきながら、実は兄弟二人の成長物語であったという構成は非常に巧みであり、エモーショナルであったなと感じました。
この辺りはさすがピクサーといった感じを受けました。

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2020年3月 3日 (火)

「ナイブズアウト/名探偵と刃の館の秘密」 今時珍しい「本格」ミステリー

クラッシックな趣のあるミステリー映画です。
最近だとケネス・ブラナー監督の「オリエンタル急行殺人事件」がありますが、このタイプの本格ミステリーは少ないですよね。
私はアガサ・クリスティーのミステリーが好きで、ほとんどを読んでいるので、この手の作品は思わず見にいってしまいます。
舞台となるのは現代なのですが、雰囲気は非常にクラッシックです。
監督のライアン・ジョンソンはアガサ・クリスティーのようなミステリーが撮りたいということでこの作品を企画したらしく、まさにその狙いがしっかりと映像に現れています。
本作の名探偵はブノワ・ブラン。
最後の紳士探偵と劇中で言われていますが、確かにこのような人物は現代にはなかなかいないですね。
しかし、この人物を違和感なく存在させているのは、主演のダニエル・クレイグならではでしょう。
007の印象が強いですが、本作ではアメリカの強い南部なまりのあるキャラクターを抑制しながらも、名探偵らしい存在感をもって演じていました。
綺麗な英語を喋るイメージがあったのですが、さすが役者さんで南部なまりもとてもうまく、そのため新しいブノワというキャラクターを定着できています。
多少自信家なところはポアロを彷彿とさせるところがありますが、新しい名探偵キャラクターの誕生ですね。
この作品は好評だということで、第二作も作られるということで、またブノワの活躍を期待したいところです。
ミステリー映画なのでネタバレになるようなことは書けないのですが、印象的なキャラクターについて2、3記したいと思います。
一人はマルタという看護師。
彼女は本作で起こる事件のキーパーソンとなりますが、特徴的なのは「嘘をつくと必ず吐いてしまう」ということ。
「必ず」がポイントです。
つまり彼女は人間嘘発見機のようなものなのですね。
彼女を嘘をつかせずに、自分に有利にことを進めることができるのか。
探偵も犯人も頭を悩ますポイントになります。
あクリスは代表的なキャラクターであるキャプテン・アメリカから、善良な人というイメージが強いですが、本作では放蕩息子役を演じています。
一族からも使用人からも嫌われている人物ですが、果たして彼は皆が思う通りの人物なのか、それともその通りなのか。
彼のパブリック・イメージと相まって、ランサムがどのような人物であるのかもキーとなります。
トリックは今らしいハイテクな要素は用いておらず、あくまでスタンダードなものの組み合わせです。
目新しくはありませんが、なんでもありではない、納得性はあります。
雰囲気だけでなく、そういう点でも非常にクラッシックな作品として仕上げれています。
興行も評価も高いようですが、今のような時代にこのような作品が受け入れられるのも嬉しいですね。

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2019年2月11日 (月)

「七つの会議」 サラリーマンは侍

<ネタバレありますのでご注意ください>
「半沢直樹」も「下町ロケット」も「陸王」も見ていません(珍しいですよね)。
なのでこれらの作品がどのようなトーンで作られているのか知りません。
割と演技が濃ゆい感じであったというのは聞いていますが。
本作「七つの会議」はそれらの作品と同じ著者である池井戸潤さん原作で、監督も池井戸ドラマの演出を手がけた福澤克雄さんです。
なので他の池井戸ドラマと同じようなトーンなのでしょうか。
確かに本作の出演者の演技は濃い、というより暑苦しい。
かなり誇張した表現だと思いましたが、ストーリーが展開していく中で、ふとこれは現代的な衣装をまとった時代劇なのだ、と思い、合点がいきました。
エンドロールで八角が、日本のサラリーマンとは江戸時代の侍と同じだと語ります。
昔は侍は藩に仕え、そして藩は侍を守る。
現代は、藩が会社になっただけ。
なるほど日本のサラリーマンの体質にはそういうところはありますよね。
特に40代以上のサラリーマンには。
本作に登場する架空の大手家電メーカーのゼノックスの社長は御前と呼ばれています。
まさにこれは殿様のようなものです。
ある藩で不正が執り行われていて、それに関わった者、それを探った者は次々に亡き者とされる。
過去に藩と色々とあった昼行灯も事件に巻き込まれて、不正に気づく。
それを正そうと殿様に直訴したが、結局は握りつぶされてしまう。
しかし幕府も藩の不正に気づき・・・。
こうやって書いてみるとまさに本作のストーリーはそのまま時代劇としていけそうです。
逆に返せば、時代劇的なストーリーだからこそ、池井戸作品はこれほどまでに多くの人に支持されているのかもしれません。
日本人のDNAに組み込まれているような侍の精神構造が、作品の中にあるのでしょう。
池井戸作品は、不正などによって虐げられた人々が、最後の最後に逆転勝ちすることの爽快感が受けているのだと思います。
これは絶対的な権力で支配されていた人々が物語の中だけでも、胸が空く思いを持ちたいと思っていた時代に芸能がそういう思いをすくっていたことに通じるかもしれません。
池井戸作品が喝采をもって受け入れられるというのは、今の時代もそういう見えない権力によって人々が虐げられていると人々が感じているということなのでしょうか。
そうかもしれませんよね。
いくら不正があっても政治は変わらない。
大きな企業の不正が次々と明らかになっています。
何も変わらないという閉塞感、鬱屈した感じが現代社会にはあると思います。
だからこそ、池井戸作品が受け入れられる。
このような物語が古臭い、それこそ前時代的なったときこそが、よりよい時代になっているということなのかもしれないですね。

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2017年8月27日 (日)

「ナミヤ雑貨店の奇跡」 自分の人生の意味

こちらは試写会で鑑賞しました。
原作は東野圭吾さんですが、未読です。
まずは見終わった時の感想ですが、脚本がパズルように絶妙なバランスで組み立てられているなということです。
本作は誰か一人の主人公の物語というよりは、何人かの登場人物の人生が絡み合いながら描かれるアンサンブルになっています。
そして現代や過去のエピソードが重なり合いながら描かれるので、かなり複雑な構成です。
けれどもそれでもちゃんとわかるように組み立てらているのですよね。
一緒に行った方は「原作読んでいるから自分はわかったけど、未読で理解できた?」と言いました。
途中ちょっと戸惑うことはありましたが、十分理解できます。
原作からはカットされていたり、加えられたところもあるようですが、2時間強でよく収めたなという感じがしますね。
脚本は斉藤ひろしさんで、この方は「黄泉がえり」を書いた方なので、複雑な物語をわかりやすく構成するのが上手な方なのだなと思いました。

先に書いたように原作は読んでいません。
東野圭吾さんの作品をたくさん読んでいるわけではないのですが、映画化された作品を中心に少し読んだことがあります。
彼の作品に共通しているのが、自己犠牲ということなのではないかなと思います。
自己犠牲というと重々しいのですが、自分の人生がどこか誰かのためになっていると感じられる人生というのは、とても幸せなことだということです。
自分の人生というものは自分のものではあるのですが、自分だけで自分の人生ができているわけではありません。
誰かの人生の影響を受けるし、誰かに影響も与える。
どうせ生きて死んでいくのであれば、誰かの人生に良い影響を与えることができたのならば、いい人生であると言えるかもしれません。
自分だけのための人生は虚しさが残るかもしれませんね。
本作の登場人物たちは、結果色々ですが、共通しているのは自分が誰かのために良い影響を与えられて、そして自分の行為が誰かのために役立ったということを実感することができたということだと思います。
悲劇的な結末を迎えた人もいれば、幸せな人生を送った人もいる。
まだまだ人生これからの人もいる。
けれど誰かによって生かされて、誰かを生かしているということに気づくことができた。
これは幸せなことですよね。
自分の人生が何か意味がある、と思えるから。
人生が虚しいと感じてしまうのは、自分がいる意味を感じられないからかもしれません。
どんなに小さなことでも人の役に立てるということは、自分の人生を豊かにすることなのだなと改めて感じました。

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2017年7月 8日 (土)

「22年目の告白 −私が殺人犯です-」 フィンチャー的なエッジ

知人のオススメがあったので、見にいってきました。
最初から最後まで緊迫感があり、またストーリーも二転三転あったので、飽きることなく見ることができました。
見終わった後、パンフレットを見て知ったのですが、本作の原案は韓国の映画なのですね。
確かにずっと緊張感が続く感じは韓国の犯罪・事件ものの作品に通じるものがあります。
なんというのですかね、いけないものを見せられてしまいそうな緊張感とでもいうのでしょうか。
入江悠監督の作品は今までは「ジョーカー・ゲーム」しか見たことがありません。
「ジョーカー・ゲーム」はこれといって評価する点があまりなかった記憶があります。
ハリウッドのアクションムービーのようなものを作ろうとして失敗してしまったようなイメージです。
しかし、本作は見ごたえがあり、またモダンなエッジが効いていて良かったですね。
韓国映画とか、デイビッド・フィンチャーのような緊張感があります。
こういう緊張感が出せる監督はあまり日本には他にはいないような気がしますので、今後の作品に期待です。

前にも書いたのですが、藤原竜也さんはこういった日常ではない役柄が似合いますね。
藤原さんの演技はナチュラルというよりは、芝居的な演技だと思います。
日常的ではない役柄は下手に演じると、設定自体が嘘くさく感じられてしまうものですが、藤原さんが演じると(あえて言いますが)オーバーな演技により、しっかりと定着できる感じがするのですよね。
割と力技で定着させるイメージなのですが、なかなかこういったことができるタイプの役者さんはいないような気がします。

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