2015年8月14日 (金)

「日本のいちばん長い日」 若者と老人の視野、または理想と現実

終戦の日の近辺になると太平洋戦争に関する作品が公開されますよね。
あの時期の頃の記憶を持っている人が少なくなっているので、こういう機会に公開される映画を観ることは忘れないようにするためにもいいかもしれません。

本作でいうとまず触れたいのが、本木雅弘さんが演じる昭和天皇でしょう。
昭和天皇が本作のようにしっかりと多くの場面で描かれるのも珍しいのではないでしょうか。
昭和天皇は独特のしゃべり方をされましたが、本木さんはそれを非常にうまく再現されていたと思います。
顔立ちはそれほどにているわけではないのですが、イントネーションを聞くと昭和天皇らしく見えてくるのがさすがですね。
なかなか緊張感のある役柄ではなかったでしょうか。
今回の昭和天皇像で新鮮であったのは、いわゆる御前会議などでのご発言だけではなく、戦争の終結の仕方について悩まれるときに発するお言葉に、現人神である天皇というお立場とは異なり、人として国民のことを心配し、慮るお人柄が出ていたように思います。
このようなお人柄が出てくる描写は今までの作品ではあまりなかったように思いますので、新鮮でした。

戦争ともなると、始めるよりも終わらせるほうがよほどにエネルギーがかかるものなのですね。
末期になれば日本が到底アメリカなど連合国に勝つということは、政治家であっても、軍人であっても誰もが心中ではわかっていたことだったのでしょう。
しかし、政治家には政治家の、軍人には軍人の、そしてそれぞれにまた様々な派閥があり、そういったややこしい関係の中で、戦争をどう終わらせるのかが、この映画で語られています。
これはどういう視野で物事を見ているか、どれくらい先を見据えて考えているかということであるのでしょう。
玉音放送が流れる日の早朝、青年将校による御所での反乱があったのは知られています。
彼らもアメリカに勝てるとは思っていなかったでしょう。
しかし、何もせずに負けるというのは彼らは許せなかった。
それは若さゆえ、エリートゆえのプライドがその根っこにあったのかもしれません。
ある意味、彼らは現実主義者ではなく、理想主義者であったのかもしれません。
彼らの視点でなかったことは、一矢報いたあとのことを想像していなかったことでしょう。
一矢報いたあとは、自決を選ぶということであったのかもしれませんが、その後については思いが及ばなかったのは惜しむべきことです。
対して鈴木貫太郎総理や昭和天皇は、負けたあとの日本のことを考えていました。
自らのプライドなどというものはなく、広く日本国民が生きながらえていくためにはどうするべきなのかと悩んでいたのだろうと思います。
その間に立ったのが、本作でも主役的な位置づけにある阿南陸軍大臣でした。
彼にも長期的かつ広い視座がありました。
どのように戦争を終わらせるべきかを考えていたと思います。
しかしながら、青年将校たちが信じる理想主義のこともわかる。
その理想主義があるからこそ、装備にも劣る日本軍が戦えてきたことを阿南は知っているからです。
理想と現実の狭間のなかで、どのようにランディングさせていくか阿南陸相は苦悩するのです。
この物語は太平洋戦争終結のときの裏にあったエピソードを紹介しています。
そのなかの若者の理想主義・近視眼的な視点、年長者の現実主義・長期的広域的視座のようなものはこのエピソードに限られず、ありますよね。
普通に会社の仕事のなかでも、視野が狭かったり、先を見据えていなかったりすることは、上司にも指摘されることがありますから(それでも若い頃よりは成長していて、今の若い子たちの視野の狭さは自分でも指摘したりする)。
そういえば本作の原田監督は「突入せよ『あさま山荘』事件」も作ったのでした。
あの映画の安保闘争などもまさに視座の狭さ、未来への見通しのなさ、徹底した理想主義であることを描いているのかもしれません。
若者の視野狭窄的な視点は悪いところばかりではありません。
間違っていることもあるかもしれませんが、進んでいこうとする気持ちは純粋ですし、またエネルギーもある。
どのように方向付けられるかが必要なのだと思います。
その方向付けに影響を与えられるのが、年長者の経験による広いものの見方なのかもしれません。

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2015年5月16日 (土)

「ナイト ミュージアム/エジプト王の秘密」 ラリーの成長物語

人気シリーズ第3弾、こちらも見逃していたので帰国の飛行機の中で鑑賞しました。
これまでのシリーズはアメリカの自然史博物館やスミソニアン博物館が舞台となっていましたが、今回はイギリスのロンドンの大英博物館にところを移しています。
魔法が宿る石板の力によって、夜になると博物館の展示物が動き出し、冒険が繰り広げられるというシリーズの見せどころは3作ともに共通しています。
テーマパークのようなアトラクション的な楽しさ、また博物館で感じるワクワク感はシリーズ当初より大切にキープしてあって、子供でも大人でも楽しめる作品になっています。
そういうシリーズの魅力はほとんど変えていないのですが、改めて考えると、このシリーズは主人公のラリーの成長物語とみることができますね。
ラリーは一作目ではただの冴えない警備員、そして二作目では父親としての自覚を持つようになりました。
三作目では、博物館の企画を任されるようになっていたり、子供に対しても将来についてきちんと考えるように言ったりする立派な父親になっています。
自分を理解してくれ、一緒になって頑張れる仲間もできた(展示物たちのことね)。
でも彼の元々やりたいこと(教師になること)をかなえることはできていません。
それは仲間たちと過ごす時間が楽しく満ち足りたものであったからかもしれません。
しかし魔法の石版に変調が現れ、仲間たちに死が訪れるかもしれない危機に直面します(そもそも生きていると言えるのかどうかはあれだが)。
石板を正常に戻すための冒険の結果、ラリーは仲間たちと別れなくてはいけなくなります。
けれどそれによってラリーは本来の自分のやりたいことに踏み出すことができます。
自然史博物館の仲間たちもそれを望んでいたのでしょう。
ラストで再び自然史博物館の仲間たちが動き出し、パーティナイトを繰り広げる様をラリーは博物館の外から見守ります。
ラリーが慣れ親しんだ場所から踏み出し、そこを大切に思いつつも、自分の新しい一歩を歩んで行こうとする気持ちが伝わってきました。
ラリーの成長が感じられるシーンでありました。

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2015年1月12日 (月)

「THE NEXT GENERATION パトレイバー 第7章」  劇場版へのプロローグ

1992年の「機動警察パトレイバー2 THE MOVIE」は様々な意味で先見性、予見性を持った作品であったと思う。
作品上舞台となったのは2002年で、首都東京は(本作にも登場する)柘植らのクーデターにより、混乱に陥る。
公開された1992年の日本はまだバブルと呼ばれる時期でした。
日本は、特に東京は繁栄を極めていると、人々が思っていた時代です。
そのようなときに「機動警察パトレイバー2」は、その繁栄、平和が欺瞞に満ちたものであると指摘したのです。
現実の世界では、舞台となった時代とほぼ同じ時期に9.11.が起こります。
世界の中でも有数の大都市が「戦争」と呼べるような状態になったことに、世界中の人々が驚愕しました。
「戦争」というものは自分から遠く離れたところで起こるものであるという漠然とした認識に先進国の人々が思っていたところで、あのような事件を目撃し、自分たちが認識していた平和というものがいかに脆いものであるかということを突きつけられたのです。
まさにその衝撃は、「機動警察パトレイバー2」で柘植がしたかったことであったのかもしれません。
人々が享受している平和がいかにもろく、幻影的なものであるかということを。
東西冷戦終結後、世界は次第に不安定になっていきました。
「機動警察パトレイバー2」の劇中でも触れられているPKO派遣のあたりから、次第に日本にも世界の情勢、戦争というものが影響を与えるようになり、最近では自衛隊についての議論も起こっています。
東アジアでも様々な問題があり、1992年の頃よりも武力衝突というものがやや現実味を帯びているような気がします。
そのような点で「機動警察パトレイバー2」は予見性を持った作品でありました。

「THE NEXT GENERATION パトレイバー 第7章」 は実写版「パトレイバー」の総集編、および春に公開される劇場版のプロローグという位置付けでした。
そして今度公開される劇場版は上記の「機動警察パトレイバー2 THE MOVIE」の続編的な位置付けであるということがわかります。
そもそも「THE NEXT GENERATION パトレイバー」のエピソードはOVA版、テレビアニメ版の中でも有名なエピソードをアップデートしたものが多いです。
その集大成として「機動警察パトレイバー2」のアップデートをしようということでしょうか。
「機動警察パトレイバー2」は公開された時点で未来への予見性を持った作品でした。
その予見のいくつかが現実味を帯びてしまった現代において、新劇場版はどのように平和や戦争をとらえ、新たに予見をすることができるのかが期待が高まりますね。

南雲さんがシルエットとはいえ、登場したのに驚き。
劇場版の予告では、南雲さんの声(榊原良子さん)も流れていましたよね。
ここまできたら後藤さんも出してほしい。

前作「THE NEXT GENERATION パトレイバー 第6章」の記事はこちら→

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2014年7月13日 (日)

「THE NEXT GENERATION パトレイバー 第3章」 太田莉奈さんに惚れる

実写版の「パトレイバー」の第3弾、「THE NEXT GENERATION パトレイバー 第3章」を観てきました。
このシリーズ、前回のレビューでも書いたように総監督の押井守さんのテイストが強く出ています。
episode4は特車二課近くのコンビニでの立てこもり事件の話。
似たような話、アニメ版でもなかったかな・・・?
実写版については、あのイングラムの実写が見れるということが映画を観ることのモチベーションでありました(今もそうですが)。
しかし、第1章、第2章と観てもうひとつモチベーションが。
それはカーシャ役の太田莉奈さんを観ること〜。
この方、もうたいへんに美しいですよね。
見るだけで眼福です。
今回のepisode4はカーシャが大活躍する話ですので、それだけで満足しました。
以前の回でもカーシャはAKを使った銃剣術のカタを見せていましたが、今回はその銃剣術を実戦で披露です。
銃剣術の動きというのはあまり見たことがなかったのですが、すごいものですね。
小銃を銃として、槍として、棒として、あらゆる使い方をする。
最後のキメはトンファーのように使ってトドメをさしていましたよね。
いや〜、カーシャの銃剣術はもう一度見たいです。
事件解決後の、タバコを吸っている姿もかっこいい。
惚れます。
episode5は「パトレイバー」シリーズではお馴染みの怪獣もの。
舞台となる熱海は監督の押井さんが住んでいるところです。
そして劇中やエンディングで出ていた犬のイラストはおそらく押井さんが飼っていた愛犬の絵だと思います。
確かそのワンちゃんは亡くなったと聞いています。
「パトレイバー」ネタとしては、劇中ラジオのパーソナリティーを務めていたのは声優の冨永みーなさんと古川登志夫さん。
これはオリジナルで泉野明、篠原遊馬を演じていたお二人です。

episode6は怪獣編の続き。
ガッ○もどきの怪獣が出てくるようですが、その正体は・・・?
イングラムVSガッ○の対決はあるのか・・・?
期待して待ちたいと思います。

「THE NEXT GENERATION パトレイバー 第2章」 の記事はこちら→

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2014年6月25日 (水)

「ノア 約束の舟」 まさに狂信的な

「ブラック・スワン」のダーレン・アロノフスキーの新作が「ノアの方舟伝説」を題材にすると聞いた時、意外な気がしました。
劇場でかかっていた特報や予告編を観ていても、スペクタクル大作のようなテイストに見えたので、アロノフスキーっぽくないなと。
でも本作を観ていると、今までの彼の作品にも通じる「らしさ」がしっかりと出ていてように感じました。
もちろん、大作らしいスペクタクル場面は見応えありますが、アロノフスキー作品としての「らしさ」は別のところにあるように思えます。
「ノアの方舟伝説」は多くの人に馴染みのある旧約聖書の創世記にあるエピソードです。
アダムとイブが善悪の知識の実を食べて楽園を追放された後、人間は地上に殖えていきました。
しかし、人は堕落し悪がはびこることなりました。
それを見た神は、大洪水で人々を滅ぼそうとしますが、「ヤハウェに従う無垢な人」であるノアとその家族は生き延びさせようと方舟の建設を命じました。
本作はこの「方舟伝説」を大スペクタクル映画として映像化しているわけですが、アロノフスキーらしさが出ているのは主人公ノアの人物の描き方だと思います。
僕の今までのノアのイメージとは、「善良」「無垢」といったものでした。
人々が悪徳に染まる中、ノアは善良であり、無垢であるから(簡単な言葉でいうと心がきれいだから)こそ神によって救われたと、思っていました。
しかし本作で描かれるノアは、ただ単に善良であり無垢である人物ではありません。
彼は神のお告げを信じ、そのためはそれこそ何でもやります。
そのためには人も殺します。
この人物には単純な善良さはありません。
僕はノアに今までのアロノフスキー作品「レスラー」「ブラック・スワン」の主人公に共通するものを感じました。
ノアの行動は「狂信的」と言ってもいいかもしれません。
神のお告げのためであれば、息子が好感を持った女性も見殺しにし、自分の孫ですら手にかけようとする。
狂っている、と言われても仕方がないほどです。
しかし、「レスラー」にしても「ブラック・スワン」にしても主人公は「狂っている」と思えるほどに自分が信じ、賭けたいものがあったのですよね(それぞれレスリングであり、バレエ)。
「レスラー」の主人公ランディはレスリングに己の命すら賭けます。
「ブラック・スワン」の主人公ニナはバレエに自分の精神を賭けていると言っていいでしょう。
自分自身をかけるほどに入れ込む彼らの姿は、関係ない者から見れば「常軌を逸している」、「狂っている」ているように見えます。
神をただ信じるノアも「狂っている」かのよう。
彼が信じる神のためであれば、己の生命はもちろん、自分の家族の命ですら捧げようとする。
上でノアを「ヤハウェに従う無垢な人」と書きましたが、「無垢にヤハウェに従う人」のほうがこの作品のノアに合っているかもしれません。
自らを破滅に導くにも関わらず「狂おしく」何かに入れ込むことができる人を描くことに、アロノフスキーは惹かれるのでしょうか。
ラストは割とヒューマンな終わり方だったところがちょっとアロノフスキーっぽくない気がしましたが、作品を仕上げるにあたり映画会社ともめたという話も聞きますので、このあたりのことかな?

「ブラック・スワン」の記事はこちら→
「レスラー」の記事はこちら→

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2014年6月21日 (土)

「ニード・フォー・スピード」 物語に無理がある

「ワイルド・スピード」のようなカーアクション映画が好きなんですよね。
子供の頃は「キャノン・ボール」とか好きだったなぁ。
ですので、なんとなく同じニオイのする本作「ニード・フォー・スピード」を観に行ってきました。
しかし、ツッコミどころが多すぎて、首をかしげてしまいました。
まぁ「キャノン・ボール」もツッコミどころはあるですけれどね、Mr.Booとか出ている時点で、あれは作風だとわかりますから。
一番のツッコミどころはそもそもこの物語のスタートのところ。
主人公トビーと彼の弟分のピート、そしてトビーのライバルであるディーノが、同じスーパーカー、アゲーラでストリートレースを繰り広げます。
トビーが先行したため、焦ったディーノの無謀なドライビングによりピートの車と接触。
ピートのアゲーラは横転炎上し、その上、橋から落下し、ピートは死んでしまいます。
クラッシュを誘発させたディーノは現場から逃亡し、さらにはそこにはいなかったとアリバイ作りをし、レースをしていたのはトビー車とピート車の2台だけであったいうことにしてしまいます。
そのため残ったトビーが逮捕され、収監されてしまいます。
しかし、映画とは言ってもこれはないでしょう。
あれだけのクラッシュしているわけですから、タイヤ痕は3台分ばっちり残っているはずで、これを2台しかなかったというのは無理がある。
ディーノたちの証言だけで2台しかいなかったっていうことになるって、警察はどんだけ無能なの?ってツッコミをいれたくなります。
ディーノにしたって、罪を逃れたいんだったら車は廃車にしなきゃ。
なにを後生大事にとっておくのだろう・・・?
それを発見したトビーもトビー。
いくらレースに出る車がないからって、証拠の車でレースに出場するかなぁ。
証拠になる車で出場して、ちょっとでもぶつけたら、その車体に刻まれている事故の証拠などもなくなっちゃうのに。
っていうように物語の作りや登場人物の行動にとっても無理があって、そこばかりが気になります。
いくらレースシーンが迫力があったとしてもこれではダメ。

あと登場する車がスーパーカーすぎて、自分的に全く馴染みがなくて燃えなかったです。
「ワイルド・スピード」に登場するクラスの車の方が、馴染みがあっていいですね。

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2013年7月14日 (日)

「忍たま乱太郎-夏休み宿題大作戦!の段-」 健全になったなぁ

2011年に三池崇史監督で実写映画化された「忍たま乱太郎」の続編がこちらになります。
続編と言っても、監督も脚本も変わっていますし、主要な大人のキャストも大幅変更、配給会社もワーナーから東映になっています。
変わっていないのは、乱太郎の加藤清志郎くんときり丸の林遼威くんくらい。
三池監督の「忍たま」は子供向けと言っても、三池監督なので「相手が子供だろうと容赦しない」姿勢が溢れている映画で、ギャグなどもかなりやっていました(下品な方向に)。
個人的には三池さんのそういう妥協しない姿勢は好きなので楽しめたのですが、まあこれはPTAの方などからは厳しい目で見られるだろうなぁと。
そういうことがあったからかは知りませんが、今回の「忍たま乱太郎」はとっても健全になっています。
子供を連れて行っても、安心して見せられますよ。
子供を中心にした健全なファミリーを狙って作っているのだと思うので、前作のようにクセもありませんし、ストーリーもとってもわかりやすい。
なので大人から見ると、まぁ、物足りないわけですね。
夏休みに外は暑いので、子供を映画館に連れて行こうという時にセレクトする映画としては、よいのではないでしょうか。
今回観に行った理由の一つは、監督が平成仮面ライダーシリーズを多く撮っている田﨑竜太監督だから。
この方はとても器用な方なのでどんな作品でもこなせる方なのですが、今回のテーマに合わせて無難にまとめた感を感じました。
もうちょいクセが出ていてもよかったかなと。
あ、良かったのはアキバブルーのスーツアクトレス大島遙さんが素面で出ていたことかな。
素面は初めてじゃないかな。
さすがアクションはキレキレでカッコよかったです。
けっこうカワイイ。

忍術学園の敵役となるドクタケ忍者隊の首領稗田八方斎役は前作は松方弘樹さんでしたが、本作では西田健さんに変更。
西田さんは「忍風戦隊ハリケンジャー」では忍風館(忍者学校)の館長でしたが、ちょうど逆の役でしたね。
「忍風戦隊ハリケンジャー」も10周年記念作品がリリースされますし、その前フリ?(同じ東映だし)

前作「忍たま乱太郎」の記事はこちら→

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2013年6月22日 (土)

「二流小説家-シリアリスト-」 長編をコンパクトにまとめてはいる

このミス(海外編)等で第1位をとったデイヴィッド・ゴードンの小説「二流小説家(原題はThe Serialist)」の映画化作品です。
海外ミステリーを邦画で映画化というのは珍しいですよね。
原作は3ヶ月前くらいに読んだので、筋はだいたい覚えている状態での観賞。
ですので、だれが犯人なのかとかそういうのもわかっちゃっているので、今回のレビューはピュアじゃないかもしれません。
原作はそこそこのボリュームがある作品ですので、まず映画の尺に納まるのかなというのが気になっていたところでした。
観てみるとちゃんとしっかりと納めていました。
映画を観てから思い返すと、小説はやや冗長なところがいくつかあり、そのあたりを映画のほうはばっさりと切っています。
ただ筋は原作とほぼ同じでミステリーの本質についての改変はほぼありませんので、うまく脚本をまとめたという感じがします。
監督の猪崎宣昭さんは長年2時間サスペンスを撮っていた方ということなので、尺に合わせてミステリーをコンパクトにするというのは得意なのかもしれません。
ただしコンパクトにしたため、登場人物に深みがなくなったのは、やや残念なところ。
特に、主人公の小説家赤羽と絡む役どころとなる被害者遺族会のひとり長谷川千夏(原作ではダニエラ・ジャンカルロ)は、小説ではミスリードを引き起こす役になっているのですが、それについては映画では臭わすところはあるものの深掘りせずさらっと流していましたね。
あと原作では要所要所で登場してきていた、弁護士の助手鳥谷(原作ではテレサ・トリオ)はほぼ脇の役になっていました。
ま、もともと原作では本筋には絡んではいなかったので妥当な判断でしょう。
原作は冗長感があって、個人的にはそれほど夢中になった感じではなかったのですが、ミステリーらしい「溜め」のようなものはありました。
ここでいう「溜め」というのは、誰が犯人かわからないというようなドキドキした状態がしばらく続くと言った意味合いです。
映画はコンパクトにまとめあげた分、この「溜め」というのがあまり感じられません。
サクサク観れるという点は、2時間ドラマ的な感じなのかもしれませんが、ちょっと物足りなくもあります。
ちなみに武田真治さんが演じていた死刑囚、呉井大悟の原作での名前はダリアン・クレイ。
名字は合わせていたのですね。

原作「二流小説家」の記事はこちら→

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2013年2月23日 (土)

「脳男」 安易に希望を描かない

原作は首藤瓜於さんの2010年江戸川乱歩賞受賞の同名小説です。
こちらは出版してすぐくらいに読んでいました。
読んだのが10年以上も前なので、すっかりストーリーは忘れています。
覚えているのは基本設定のみで、鈴木一郎と名乗る男が登場し、彼は記憶力などは常人離れしていますが、感情がないということ。
映画の方もかなり原作をいじっているようなので、忘れていたためフラットに観れて、ちょうど良かったかもしれません。
感想としては、けっこう面白く観れました。
本作で好感を持ったのは、安易に希望を描かなかったことかなと思っています。
こういうサイコ的な物語については、日本の映画の場合、どうもやんわりとしたものになる場合が多いのですよね。
万人受けするように口当たりをよくしてしまう。
アメリカ映画では「羊たちの沈黙」とか「セブン」とかトラウマになりそうなくらいいってしまっているような作品もあります。
こういう映画は振り切ってハードに描くことにより、人間の底の知れなさ、業の深さ、複雑さのようなものを見せつけてくるような感じがします。
日本の作品の場合は、事件としてサイコなものを題材にすることはありますが(「踊る大捜査線」の1作目とか)、意外とそれはステレオタイプ的にやんわりと描かれることが多いのですよね。
そこがそもそもテーマでないというのはありますが。
本作は日本では珍しく、先に上げたアメリカ作品の系譜に繋がるタイプの作品であると言えるかと思います。
作品のトーンとしては、最後までハードな印象を通します。
基本的に登場人物たちは、それぞれ絶望を味わうのですよね。
これは日本の作品としてはかなり珍しいほうかと思います。
ラストのシーンは希望ととることもできますが、完全にはそうでもないかもしれないという含みもあるかなと思いました。
精神科医の真梨子は結果的に、自分が今まで信じてきて行ってきたこと自体をすべて否定されます。
刑事の茶屋も、自分の力がおよばず同僚を失います(日本映画の通常だと、この同僚は助かったりするものですけれど、振り切ったなと思いました)。
人道的な考え、正義への信念のようなものも、圧倒的で暴力的な力を前にするとどうしようもないという絶望感のようなものが感じられます。
主人公の鈴木一郎=脳男を演じた生田斗真さんは良かったですね。
終止無表情でありながらも、何か人間的なものもそこにはあるのではないかと感じさせる微妙なニュアンスを出していたと思います。
彼がほんとうに何を感じていたか、それともほんとうに何も感じていないか、それが最後までわからないというところに、人間の底の知れなさを感じました。
もう一人印象的だったのは、事件の犯人緑川紀子役であった二階堂ふみさん。
この緑川という役どころが、本作を印象づけるキーであったと思います。
緑川は徹頭徹尾、悪なんですよね。
そこに希望というものはまったくない。
彼女の外見が、美しい少女であるということから、何かしら観ている側は最後に救いがあるのではないかと思うのでしょうが、それはない。
最後まで彼女は悪であり、日常に暮らす人々とは相容れぬ存在なのですよね。
この存在が、本作を最後までハードにしている大きな要素であると思います。
おそらく緑川も自分が通常の人々とは異なる存在であり、相容れぬ存在であると認識していると思います。
人への共感性といったものが欠如しているのが彼女なのでしょう。
ですので今まで孤独感のようなものを感じたわけではないとは思いますが、鈴木一郎という存在を知ったとき、自分と同種であると感じたのでしょう。
それが彼女のとっての初めての共感性ではなかったのではないでしょうか。
だからこそ彼女は鈴木一郎に執着したのだと思います。

しかし、二階堂ふみさんはほんと最近登場回数が多いですよね。
難易度も高く、振り幅も求められる役も多い。
最近の若手女優の中では図抜けている才能だと思います。
あと、染谷将太さんも登場回数多いですね。
それも二階堂さんといっしょのことが多い(笑)。
「ヒミズ」から数えて、3作目か4作目くらいですよね。

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2012年12月 6日 (木)

「任侠ヘルパー」 弱きを助け強きを挫く

テレビでドラマシリーズがあったようですが、例によって未見です。
「任侠ヘルパー」、「極道」と「介護」とまったく馴染みのないように感じましたが、観てみると意外と現代の課題というものを突いているように思いました。
言うまでもなく「介護」というのは現代の日本において課題の一つです。
超高齢化社会と言われており、高齢者が人口にしめる割合も大きくなっていて、そしてまた少子化も続いているわけで、子供が親を面倒をみることも厳しくなっている状況です。
行政の支援があればいいのですが、政治課題にもなっているように財政は国も地方も火の車であり、十分な支援が得られないということもあります。
福祉サービス充実のために消費税導入ということになりますが、それはそれで年金生活者の家計にダメージになるわけでこのあたりのバランスは非常に難しい。
また介護ビジネスは3Kと呼ばれるように、職場としてはたいへんだとも聞きます。
そのため離職率も高いとか。
「介護」というのは誰もが必要であると認識していながらも、厳しい労働環境であったり、お給料の問題であったりしていてなかなか働く人が確保しにくいわけですね。
そういう必要だけど、成り手がいない仕事というのは、けっこうブラックな組織が絡んでくるわけです。
ヤクザという人々はある種、そういうやる人がいない仕事をやることによって稼ぐところがあるのですよね。
原発の作業員などの融通などもそういう人たちが絡んでいるとも聞きますし。
そういう意味で「介護」と「極道」というのは結びつき、現代日本の課題をあぶり出しているなと思いました。
香川照之さん演じる八代が「誰も救うことができない」と言いますが、たしかにすべての人を一気に助けるというようなことは難しいのかもしれません。
行政の制度でやったとしてもそれを負担する財源などの問題がでてきます。
それでもその問題はずっと進行中なわけで放置するわけにもいきません。
八代はベストな解を得ようとしていましたが、現実的にはよりベターな案を少しずつ実行していくしかないのでしょう。
草なぎ剛さん演じる彦一は、彼のポリシーである「弱きを助け強きを挫く」に基づいて目の前の人々をなんとか救おうとしました。
まずは自分の手が届く範囲で、自分なりにやるしかないのでしょうかね。
なかなか答えがでない課題です。
自分や自分の家族がそうなったらと考えると、悩んでしまいます。
本作はエンターテイメント性もありつつ、社会の課題を提示するというバランス感のある作品に思えました。

草なぎさんは穏やかなイメージがある方だったので、こういうヤクザの役は意外でした。
しかし、けっこう厳しい表情も様になっていて、こういう役もありだなぁと思いました。
ずっと眉間に皺を寄せていましたが、途中一回だけ笑顔になるところがあるのですが、そこの笑顔が余計に輝いてみえました。
香川照之さんは、今年は邦画はずっと出ずっぱりな感じですよね。
クセのある役が多い方なので、今回のキャラクターも「実は・・・」ってなるかと思ったのですが、最後までいい人でした(笑)。
こういうまっとうな役は最近は珍しいですよね。

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