2024年2月12日 (月)

「サイレントラブ」想いを行動で

久しぶりに純愛映画を見たような気がします。
過去に自分が起こした事件のために声を失った青年、蒼。
彼は罪を償った後、清掃員として暮らしていました。
事故で視力を失ってしまった音大生、美夏。
彼女は名家の娘で、ピアニストを目指していました。
彼らは暮らす世界が全く異なりますが、二人の運命が交わり、次第に互いに惹かれていきます。
蒼は自分の思いを美夏に言葉で伝えることはできません。
今の時代はどこでも誰でも繋がることができ、言葉を伝えることができます。
気軽に言葉を発することができます。
そのせいか、言葉自体の重みは軽くなっているような気もします。
蒼は言葉を失い、自分の想いを伝えることはできません。
だから、せめて彼は美夏をただ守ります。
その愛を、言葉ではなく、行動で示します。
美夏は蒼の顔や容姿を見ることはできません。
その声も聞くことはできません。
感じることができるのは、彼女が「神の手」と呼ぶ蒼の手の感触。
昨今、世間の恋愛にはとかく見た目が重要です。
男女を問わず、イケメン、可愛い、といったことを気にします。
しかし、美夏にとっては見た目ではなく、その手から伝わってくることがすべてです。
その手が自分のためにしてくれること、そのことから蒼の愛を感じます。
世の中の全てが自分にとって障害となるように感じた彼女にとって、その手だけが救いなのです。
マッチングなど様々なツールが発展し、人との出会いもより手軽にライトになってきています。
その分、言葉や見た目などがただ消費されるだけで軽くなったようにも思います。
蒼や美夏にはそれがない。
自分の想いを媒介するものがない。
だから、ただ彼らは行動します。
相手への想いを、行動で。
綺麗に飾られたものではなく、荒々しかったり、不器用だったりしますが、だからこそ彼らの想いが、純粋であることが伝わってきます。
彼らの想いが伝わり、最後は救われた気持ちになります。

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2024年1月 6日 (土)

「正欲」知らない惑星への留学

2024年最初に鑑賞した作品はこちらです。
ダイバーシティが一般的な言葉として語られるようになり、LGBTQについても人々の理解が深まってきています。
本作で登場する人物たちの性癖はそれに比べても特殊で「水フェチ」と呼ばれるものです。
様々な動きの水に性的興奮を喚起されるというものですが、一般的にはなかなか理解されにくい性癖だと思います。
個人的にも説明されればそういう性壁もあるのだと理解できるものの、感覚的にはよくわからないというのが正直なところです。
性的な嗜好についてはほぼ人と話すことはない上に、それが特殊(個性的)であればあるほど、誰とも共有できるものではないと思います。
価値観が違う、ということはよくあると思いますが、これはまだ言葉で説明できるし、いろいろあるというのが前提となっているので、まだマシかもしれません。
性的嗜好、まさに生物として生きることにつながる嗜好で、それが普通でないということは、生き物としておかしいのではないか、と自問したくなる気持ちは理解できます。
自分が他者と異なる、普通ではないということは、強い疎外感を生むことでしょう。
本作の登場人物たちも、そのような自分が社会と隔絶しているように感じ、死のうと思ったり、壁を作ったりして生きています。
主人公の一人、桐生はそれを知らない惑星に一人で留学しているような感覚と言います。
その孤独感たるや。
同じような自分の存在すら疑問に思っていた桐生と佐々木が再会できたのは奇跡でもあり、救いでもあると思いました。
たった一人でもいい、自分を認めて、繋がって、一人じゃないと認識させてくれる人がいてくれればそれは幸せなのだと。
本作では性的嗜好の話にフォーカスしていますが、これはそれだけに限ったことではなく、自分がいていいということを認めてくれられるということがいかに人を生かしてくれるのかということを伝えているのだと思います。
もう一人、水に性的興奮をしてしまう人物として諸橋という大学生が登場します。
彼に対し、神戸という女子大学生が好意を持ちます。
彼女は幼い頃のトラウマで男性に恐怖心を持ってビクビクしながら暮らしていますが、諸橋にだけはそれを感じません。
それは諸橋が女性に興味がないということからきているのかもしれませんが、彼女にとっては自分のことを理解してくれる唯一の男性のように思えたのでしょう。
彼女にとって諸橋を通じて、普通になれると思えた。
しかし、それは諸橋の全てを理解できたことではなく、どうしてもその人自身のフィルターを通しての理解にならざるをえないということがこのエピソードから伝わってきます。
さらには、諸橋のような嗜好が人々に理解できないということを痛烈に印象付けるパートになっていたとも思いました。
登場人物の中で自分でも普通の人間だと認識しているのが、検事の寺井は、子供が不登校になりそれを受け入れることができません。
彼にとって普通の子供は学校に通うもの。
フリースクールに行ったり、不登校の仲間とYouTubeを配信したりなどというのは、彼にとっては異常なことなのです。
彼の普通は許容範囲が狭く、結果、それが家族とのつながりを断ち切ることになりました。
異なることを認められるということと共に、認めるということも人とのつながりにとっては欠かせない。
ラストシーンで桐生と寺井は対面しますが、自分の存在を認めてくれている人がいると自信を持てる桐生と、大切な関係を失ってしまった寺井はどちらが幸せなのか、と考えさせられます。
どうしても理解できないこと、というのはあるものの、理解をしようと努力すること自体をしなくていいわけではないということです。
新年早々いろいろ考えさせてくれた作品でした。

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2023年12月29日 (金)

「劇場版 SPY×FAMILY CODE: White」まさにタイトル通り

原作もアニメも全く見ていなかったが、娘のたっての希望で一緒に鑑賞してきました。
未見とはいえ「SPY×FAMILY」の基本設定は頭に入れてありました(娘はアニメ全話鑑賞済みで色々予習させてくれたので)。
父ロイドは凄腕のスパイ。
母ヨルは女殺し屋。
娘アーニャは人の心を読むことができる超能力者。
そしてペットの犬、ロイドは未来予知犬。
彼らがある任務のため、仮初の家族となって暮らしながら、様々なトラブルに巻き込まれていく、ということですね。
お互い相手の職業や能力を秘密にしているというところも緊張感を生みます(アーニャは人の心が読めるので、全部し知ってる)。
実際、これだけわかっていれば劇場版は難なく楽しめます。
アーニャは年が娘と全く一緒で、この年頃らしい行動をするのでいちいち可愛い。
ロイドとヨルは相手の素性を知らず、相手に素性をバラしたくないので、物語が常にスパイ映画的な緊張感があります。
それでいてロイドは意外と家族思いであったり、ヨルさんの天然な行動もまた愛らしかったりと、ファミリーコメディの要素もあります。
このバランスが絶妙で、「SPY×FAMILY」はまさにコンセプトをそのままタイトルにしていると感心します。
劇場版だからか、アクションシーンもなかなかに凝っていて見応えがあります。
特にヨルさんとタイプFの対決シーンはカメラワークもものすごく見応えありました。
これはテレビシリーズも見なくちゃいけないですね。
お正月休みにでも見ましょうか。

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2023年12月 2日 (土)

「映画 すみっコぐらし ツギハギ工場のふしぎなコ」意外と奥深い

子供に請われて行ってきました。
すみっコぐらし、小学生に大人気ですものね。
丸っこくて可愛らしい見た目ですが、彼らのキャラクター設定がなかなか奥深いのです。
しろくまはしろくまなのに、寒いのが苦手で暖かい場所を求めて逃げてきました。
ぺんぎん?はぺんぎんのような見た目だけど、自分でそれに自信がなくて自分探し中。
とんかつは脂身が多くて、残されちゃたとんかつの端っこ。
みんな、なんか大多数の趨勢からは外れていて、だから居づらくて、そんな仲間たちで集まって(社会の)すみっこの方で暮らしているということなんですね。
けど、そこではそれぞれが尊重しあっているので、とっても幸せに暮らせています。
世の中、こうあらねばならぬというプレッシャーがあったりして、そうなれないとなかなか生きにくく感じたりもします。
でもそうでなくてもいい、違う自分でもいいと思えれば、もっと幸せに生きれるのですよね。
今回映画に登場するキャラクターはおもちゃのこうじょう。
と言っても、このこうじょうはすでに打ち捨てられていたのですが、すみっコたちと出会って、再び稼働し始めます。
こうじょうは皆が喜んでくれるおもちゃを作りたいという望みがありますが、うまくいきません。
結果、こうじょうはすみっコたちの力を借りて映画館へ生まれ変わります。
こうあらねばならぬという考え方から解放されたのですね。
結構、すみっコ奥深いです。

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2023年11月 3日 (金)

「ザ・クリエイター/創造者」受け入れるか、拒否するか

時は未来。
AIを禁じているアメリカを中心とした西側諸国と、AIと共生しているニューアジア諸国との戦いが激しさを増してきたとき。
アメリカは低軌道で地球を周回する「ノマド」という超兵器を作り、ニューアジアのAIの研究施設を直接攻撃をして破壊していきます。
対してニューアジア諸国は、人間とAIが一緒になったゲリラ部隊が戦いを仕掛けるしかありません。
次第に形勢はニューアジア側が不利になっていくところですが、アメリカはニューアジアが形成を逆転することができる最終兵器を開発した情報をつかみます。
最近AIはChat GPTなど現実世界で話題になることが多くなりました。
あと十数年でシンギュラリティが訪れるという人もいます。
映画の中でもAI的なもの(ロボットを含め)をテーマにしているものも多く、「ターミネーター」などでは脅威として、「A.I.」などでは人と変わらぬ存在として描かれています。
AIを脅威と見るか、希望と見るかはいろいろ考え方があるかと思いますが、その考え方の違いが、本作で描かれる紛争の対立軸になります。
劇中AIを壊滅する作戦を指揮する軍人ハウエルが人間とAIの関係性をホモ・サピエンスとネアンデルタール人に例えます。
ネアンデルタール人は独自の文化を持ちつつも、新興のホモ・サピエンスに滅ぼされました。
対してニューアジアでは、人間と同じようにAIも分け隔てなく暮らしています。
AIが起動できなくなってしまった時(いわば死んだ時)、それを弔う行為すらします。
彼らにとってはAIは機械ではなく、友人であり家族なのです。
私はこの2極の戦いが南北戦争のようにも見えました。
かつての南北戦争は、黒人を受け入れた社会と受け入れられない社会との戦いだと言えます。
本作では黒人がAIにあたると思います。
この物語の主人公はAIを受け入れる社会と受け入れない社会の狭間にいて、それが黒人であるのは意味深いと感じます。
人間性というのは、今においては人間にしかないものですが、将来もしAIが人間性を手に入れた場合、人はどのように対応するでしょうか。
受け入れられるのか、拒否するのか。
まさに来るべき未来を想像し、描くのがSFであると思います。

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2023年9月15日 (金)

「しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦 とべとべ手巻き寿司」空気を読まない純粋さ

「クレヨンしんちゃん」初の3D CG作品。
海外作品「スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース」やこの秋公開される「ミュータント・タートルズ」の新作など最近は3DCGも表現の幅が広くなって、様々な質感が表現できるようになってきました。
日本でも長年愛されている「ドラえもん」など手書きのアニメも3DCG化されてきています。
とはいえ、手書きのタッチの良さもあり、すべて3DCGにするのが良いかという議論はあるかと思います。
日本にはロングランのアニメが数ありますが、「クレヨンしんちゃん」は中でも独特な手書きのタッチがある作品です。
そのタッチが活かせるのかという疑問はありました。
鑑賞してみると、やはりあのタッチはなかなか表現しにくいなというのが正直な感想です。
「しんちゃん」はシンプルな絵ですし、そもそも立体的に表現しようという意図のない、いい意味でいい加減なタッチなので精緻な3DCGには馴染まない印象です。
任天堂のMiiのキャラのような不思議な感触の表現になっていたと思います。
しかしだからと言って、本作の3D CGが全てうまくいっていなかったかというとそういうことはありません。
後半戦のカンタムとモンスター非理谷のバトルシーケンスは、怪獣特撮映画のような迫力がありました。
巨大なモンスターを見上げる時の空気遠近法のような色の加減などは非常にうまく表現できていたと思います。
アングル的にも怪獣映画のようなところを狙っていて、特撮ファン的には見応えがありました。
さすが新作ゴジラも手がける白組だなと思いました。
後半のCGだけでもみる価値はありますね。
作品のテーマ的にはかなり重めで、子供たちよりも大人をターゲットにしている印象です。
大人になって暮らしていく社会は、子供の頃には想像以上に不条理だったりします。
その不条理に怒り、蟠ったりするものの、いつしか抵抗するにも疲れて、世の中を斜に構えて見ることしかできなくったりしてしまう。
しんちゃんというキャラは、おバカではありますが、自分の周りの世界を素直に見ることができる力があります。
好きなものは好き。
嫌なものは嫌。
大人になれば周りに合わせて、空気を読んで暮らしてしまいますが、しんちゃんは空気を読まない。
感じたことをそのまま言い、行動する。
空気を読まないという点がおバカに見えるところなのですが、彼自身は非常に素直なのです。
今回の映画のゲストキャラである非理谷は、社会から不条理な扱いを受けながらも、それを受け入れて生きています。
心の中では様々な不満がありますが、それに蓋をして。
その鬱屈した気持ちが今回は利用されるわけですが、彼は自分の気持ちには素直になれておらず、奥底の気持ちと社会に迎合する気持ちの間に不満が溜まっていってしまったわけです。
そして彼は社会との間に自ら壁をつくり、ますます社会との距離が離れていってしまったのだと思います。
しんちゃんはそのような不満を貯めることがありません。
全て感じたことを素直に言い、行動しているから。
非理谷はしんちゃんの素直な気持ちに触れ、自らが作ってきた壁を自覚したのでしょう。
それにより、自らの不満が作り上げたモンスターから解き放たれることができました。
一緒に見にいった小一の娘の感想は、「面白かったけどなんか怖かった」です。
その怖さの本質はまだわからないよね。
映画を観た晩の食事は娘のリクエストにより手巻き寿司でした・・・。

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2023年6月21日 (水)

「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」スパイダーマンが背負うもの

MCUにしてもDCUにしても最近はマルチバース化しているのが、先鞭をつけたのが前作「スパイダーマン:スパイダーバース」。
アニメーションの強みを生かし、異なるユニバースのスパイダーマンを作画の手法を変えて表現するという斬新な方法で表現して、大きなインパクトを与えました。
原作のコミックでは描かれていたものの、そもそも無数のマルチバースに存在するスパイダーマンが登場するというアイデア自体がとても新鮮でした。
前作はマイルズのユニバースに他の世界のユニバースのスパイダーズたちが訪れるという設定で、キャラクターのタッチのみで他世界感を描いていました。
本作では他のユニバースにも舞台が映っていきますが、背景そのものもその世界らしいタッチになっています。
後で書きますが、グウェンの世界も描かれますが、そのタッチはコミックの表紙のタッチに合わせられています。
この辺りも前作からグレードアップされていますね。
前作でマルチバースの扉を閉じたため、主人公のマイルズは自分のユニバースにおいて平和を守るために人知れず戦っています。
しかし、それは孤独な戦いでもあります。
彼の脳裏に横切るのはその思いを共有できる仲間、他のユニバースのグウェンをはじめとするスパイダーズのことでした。
そのグウェンは本作において準主人公と言ってもいい扱いになっています。
物語の冒頭、彼女が背負うことになる運命が描かれます。
前作を見た後に興味が出て、スパイダー・グウェンの原作コミックを読みましたが、ほぼ同じ展開でした。
彼女も放射能グモに噛まれて特殊能力を得ます。
彼女の世界にもピーターはいて、彼はいじめに苦しんだ末に自身が開発した薬によりリザードマンになってしまいます。
グウェンはリザードマンを倒しますが、それが大切なピーターであったことを知り、ショックを受けます。
そして警官でもある父にピーター殺しの犯人として追われることになってしまうのです。
それが彼女の背負った運命。
大切な人を救うか、多くの人々を救うかという二択を迫られ、結果大切な人を失い、本当の責務に目覚めるというのが、多くのスパイダーマンの物語で語られてきたポイントです。
そのことが本作では「カノン・イベント」と呼ばれキーとなります。
「ザ・フラッシュ」の記事でも書きましたが、多様性のあるマルチバースの中でも唯一どの世界でも起こるとされるイベントとなります。
そしてこのイベントが起こらない世界では、世界そのものが崩壊する危機に見舞われるということなのです。
従来スパイダーマンで大切な人を失うイベントは、スーパーヒーローの責務を自覚するためと位置付けられていました。
それが本作において、世界の存在と対をなすイベントに昇格したのです。
彼らが背負わなければならない責任が一気に重くなります。
スパイダーマンたちが組織するスパイダー・ソサエティはカノン・イベントを守るためのものですが、それはすなわち全てのユニバースを守るためのもの。
しかし、またそれはある人間に一生後悔し続けるような心の傷を与えることになります。
本作冒頭のグウェン、また「アメイジング・スーパーマン」のピーターのように。
主人公の選択が世界存続に直接的に影響を与えるという点で、セカイ系の匂いもしますが、よりスパイダーマンが背負うものが重くなったのは確かです。
マイルズは世界も大切な人も両方救いたいと思い、そのために全スパイダーズに追われることとなります。
そしてまたグウェンも自分の選択に悩みながら、結果マイルズを救おうと決心をします。
二人の若者の決断は世界を破滅させるのか、それとも救うのか。
といったところで物語は終了。
3部作とは聞いてましたが、かなりなクリフハンガーな終了でちょっと驚きました。

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2023年6月18日 (日)

「ザ・フラッシュ」 狭間での絶妙なバランス

<ネタバレあります>
ジェームズ・ガンがDCスタジオのトップに就任し、新しいユニバースが構築されるとアナウンスされている状況の中、「ザ・フラッシュ」は奇しくもDCEUとDCU(新しいユニバース)の接点となる特異点的な作品となりました。
フラッシュはDCEUの「ジャスティス・リーグ」で登場し、その主要なメンバーとして活躍しましたが、メインとなるのは本作が初めて。
彼は高速で移動することができ、さらには光の速度すら超えることにより過去への移動も可能とすることができます。
リチャード・ドナーの「スーパーマン」でも時間を逆回しするという描写がありましたね(あれは地球を逆回転させるというよくわからない理屈でしたが)。
本作ではフラッシュが母親の死を回避しようと過去改変を行うことにより、ユニバース全体を揺るがすような出来事を誘発してしまいます。
タイムトラベルものでは、過去の出来事を変えることにより、未来の出来事が影響を受けてしまうことはよく描かれます。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」しかり(本作でもネタとして使われていました)。
本作のタイムトラベルでユニークな点は過去のある出来事を変えたことにより、未来だけでなくさらに過去の出来事も影響を受けてしまうというところです。
これはあまり聞いたことがありません。
しかし、この理屈により、本作ではマイケル・キートンのバットマンを登場させることを可能にしたのです。
そう、マイケル・キートンのバットマンです!
私がアメコミ映画にハマるきっかけとなった作品が「バットマン」なのです。
この「バットマン」のテーマ音楽が本作でもふんだんに使われていて、ゾクゾクしました。
バットケイブもあの頃の雰囲気を再現していましたよね。
改変された過去に影響を受けたユニバースでは、スーパーマンは幼い頃にゾットに殺されており、彼と戦う役割を担うのがスーパーガールことカーラ・ゾー=エルになります。
スーパーガールと言えば、ロングヘアの金髪のイメージはありますが、本作では黒髪短髪となっていて新鮮でした。
MCUはフェーズ4からマルチバースの概念を取り入れていますが、ようやくフェーズ5に入り本格的にストーリーに組み込まれてきました。
マルチバースの概念をそろりそろりと丁寧に浸透させようとしているように感じます。
対してDCの本作「ザ・フラッシュ」でマルチバース概念を取り入れましたが、かなりガッツリと一気にアクセルを踏んだ印象です。
そこが冒頭に書いた特異点的な作品と感じさせる印象となったのだと思います。
新生DCUはどのように展開されるかわかりませんが、MCUと同じくマルチバース概念を取り入れることになっています。
新しいDCUは今までのDCEUから全てキャスティングもろとも一新ということではないのかもしれません。
継続するキャラクターもいれば、そうではないものもいるということですね(スーパーマンはキャストが変わるという話)。
その場合、本作で展開されるマルチバースの概念は非常に使いやすい。
今まで作られてきたDCコミックの映像作品を全て包含することが可能です。
というより作られていない作品ですら、含むことができるでしょう(何しろニコラス・ケイジ版のスーパーマンですら登場してましたから!)。
ラストのあの人の登場が可能になったのもこの設定のおかげと言えるでしょう。
ややこの設定はご都合主義的な感じがしますが、ジェームス・ガンはDCUはファンタジーと言っているので、これからやろうとしていることにはあっているのかもしれません(対してMCUはあの世界観の中でのリアルさにこだわっている)。
あと印象的な概念として歴史改変をしても、どうしても改変できない出来事があるということですね。
本作でいうと、(マイケル・キートンの)バットマンとスーパーガールの死がそれにあたります。
同時期に公開されている「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」もマルチバースを取り扱っていますが、同様な出来事があります。
MCUでも「ホワット・イフ…?」の闇堕ちしたドクター・ストレンジの回でもクリスティンの死が改変できない出来事(特異点)とされていました。
この概念はドラマを劇的にすることができますし、安易に過去改変すればいいとストーリーを陳腐にすることも防ぐと思います。
書いてきたように本作にはタイムトラベルやマルチバースの概念が非常に多く詰め込まれていますが、際どいながら整理をしてストーリーを作れているように感じました。
しかしながらやや御都合主義感や、過去キャラクターの登場というお祭り感(東映の特撮シリーズでよくやるような)もあり、その辺りはMCUに慣れているとやや安易に感じなくもありません。
結果的にはDCEUとDCUの狭間、リアルとファンタジーの間で絶妙なバランスをとった作品となったと思います。

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2023年5月21日 (日)

「最後まで行く」最後まで止まらない

藤井道人監督によるノンストップクライムサスペンスです。
主人公である刑事の工藤は、危篤の母親の元に駆けつけようと雨のなか車を飛ばしていましたが、突然飛び出してきた男をはねてしまします。
パトカーが近くを通ったことにたじろぎ、慌てて死体をトランクに隠してしまいますが、そこから工藤には次から次へと危機が降りかかり、最後まで息をつく暇がないほど物語がドライブしていきます。
この疾走感に加え、登場人物のアクの強さ、時折織り込まれるバイオレンス、まさに最後まで瞬く間に一気に引っ張られていきます。
見る前には知らなかったのですが、本作は韓国映画のリメイクということです。
確かにこれは韓国ノワールのテイストです。
藤井監督の作風はこのテイストによく合うなと思いました。
本作の主人公は工藤ではありますが、もう一人の重要な登場人物は綾野剛さんが演じる矢崎です。
この矢崎のキャラクターが狂っていて、主人公を喰うほどの存在感があります。
矢崎は中盤で、工藤に対して俺たちは似ていると言いますが、確かにそうかもしれません。
二人とも自分を取り囲む状況の中でもがきながら死力を尽くして生き残ろうとする。
生き残るという本能で突き動かされ、それは狂気的にもなっていく。
ラストは狂気すら超えて、なぜか純粋さすら感じました。
<ここからネタバレあり>
岡田准一さん演じる工藤の、追い込まれ、情けなさを出しつつも、必死に生き残ろうとする様も迫力ありましたが、やはり本作は綾野剛さんの矢崎です。
綾野剛さんはこの手の常軌を逸したキャラクターを演じた時の迫力はなかなかのものですが、矢崎はその中でも白眉かと思いました。
「お前はターミネーターか!」と言いたくなるほどに、しつこく工藤を追う矢崎。
本当はすでに死んでいて、執念だけで追いかけてきているのではないかと思うほど。
あまりの狂気さに爽快さまで感じたほどでした。

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2023年5月 7日 (日)

「せかいのおきく」狭いがしあわせ

本作の舞台となるのは江戸末期。
時代としては諸外国が日本に開国を迫っている頃で、日本人にとって世界が急速に広がっていこうとしている時になります。
本作の主人公は元武家の娘おきく、そして下肥買いの中次、その兄貴分の矢亮です。
彼らの世界には開国などは全く関係のない出来事で、本作の中でも全く触れられることはありません。
現在はインターネットで地球上のどこでも繋がることができ、さまざまな交通機関でどこでも行くことができます。
現代の世界という概念は非常に広い。
主人公たちの生きる世界は江戸とその周辺部のみ。
彼らの世界は驚くほどに狭い。
主人公のおきくは中盤で声を失い、さらに彼女の世界は狭くなります。
しかし、狭い・広いが重要なのでしょうか。
おきくと中次は身分を越えて、互いに惹かれ合います。
言葉を発することができないおきくに、中次は賢明に伝えようとします。
「おれはせかいでいちばんおまえがすきだ」と。
インターネットで世界が広がり見ず知らずの人から非難され、世界に絶望してしまうこともある現代。
動ける範囲も、知り合う人も圧倒的に狭い時代でも、本当に自分のことを思う人がいる世界は狭くても、幸せな世界なのかもしれません。
「おきくのせかい」は彼女にとって十分に幸せな世界なのでしょう。

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