2021年9月 5日 (日)

「シャン・チー/テン・リングスの伝説」流れる水のように

MCUフェイズ4はディズニープラスの「ワンダビジョン」からスタートしましたが、今まで登場したヒーローのエピソードでしたが、本作では新ヒーローが登場します。
その名はシャン・チー。
MCU初のアジア系ヒーローになります。
マーベルのダイバーシティ志向は「ブラックパンサー」「キャプテン・マーベル」の頃から見られ、本作もその路線と考えられます。
シャン・チーは特別なパワーを持っていたり、テクノロジーを駆使するわけではなく、その武器は鍛え上げられた肉体と極められた技(マーシャル・アーツ)です。
子供の頃にカンフー映画ブーム直撃だった私としては、たまりません。
ド派手なバトルもいいですが、肉体を駆使したアクションは見ている自分でも身体が反応するような感覚が刺激されるので、興奮しますよね。
前半のサンフランシスコのバスや、マカオの高層ビルでのアクションは身体性もありながら、CGも使ったキレのいいアクションがたまりませんでした。
また本作は「グリーン・ディスティニー」や「HERO」などの2000年ごろの武侠映画の映画も受けているように思いました。
冒頭の竹林でのシーンなどに強く感じますね。
流れるような肉体の動きは、本作のテーマを強く表しているように思います。
今までのMCUのヒーローたちはテクノロジーや特殊能力をベースにしながらも、基本的にはパワー勝負なのですよね。
その辺りは西洋らしい。
地球の人々を狙う存在に対し、敵の力を上回るパワーでそれらを封じ込める。
基本的にはこれでした。
しかし、竹林のシーンにおいてウェンウーに対するリーは、テンリングスのパワーを受け流し、利用しました。
まるでしなる竹のように。
流れる水のように。
水というモチーフも本作ではよく出てきました。
今までのMCUのバトルは火のイメージがあります。
戦力のことを火力とも言いますし、西洋の戦い、力と力の戦いには火のイメージが強くなります。
しかし、東洋の戦いでは、カンフーや合気道などもそうですが、相手の力を利用するという思想があります。
それには水の柔軟さが必要なのです。
ダイバーシティを意識する中での、黒人、女性につづき、アジアンを起用したという表面的な取り上げ出会ったら、残念な気持ちになったかもしれません。
しかし、東洋の考え方も取り入れた本作はMCUにとっても新しい刺激になるような気がしました。
サノスに対してのアベンジャーズの戦いはまさに総力戦で、パワーとパワーのぶつかり合いでした。
勝利を得たものの、その中で失われたものも大きかったというのはフェイズ4でも描かれています。
新しい脅威に対しては、パワーに真正面から対抗するのではなく、それを受け流して利用するという東洋的なアプローチがもしかすると必要になるのかもしれません。
ポストクレジットで、シャン・チーが引き継ぐことになったテンリングスは未知の物質であることがわかりました。
もちろん地球上のものでもなく、チタウリなどの地球外のものではないと。
その出どころは・・・。
もしかするとMCUで重要な要素となるマルチバース、すなわち他の並行世界からもたらされたものなのかもしれません。
この辺りは今後の展開からも目が離せないですね!

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2021年8月15日 (日)

「ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結」 ジェームズ・ガンのクレイジーさ炸裂

本作「ザ・スーサイド・スクワッド」はマーゴッド・ロビーが演じるハーレイ・クインが登場していますが、「スーサイド・スクワッド」の続編という扱いではないらしい。
デイヴィッド・エアー版はジョーカー以外はメジャーなキャラクターは登場せず、全体的にとっ散らかった印象であまり感心しなかった記憶があります。
そのころのDCエクステンデッド・ユニバースの方向性が迷走していた感がありました。
MCUのように全てが統合された世界観でいくのか、それぞれのキャラクターの個性を出していく作品群となるのか。
「スーサイド・スクワッド」の後の「ワンダーウーマン」「アクアマン」の成功により、キャラクターや監督の個性を重要視する方向に舵を切ったと思います。
そして、それはMCUとは違う方向性として成功しているように感じます。
本作は一時期マーベルを解雇されていたジェームズ・ガンを起用し、彼の個性を引き出して前作よりも格段に面白くなったと思います。
ハーレイ・クインも今ではDCの中での存在感のある主要なキャラクターになったので柱もしっかりとしているように思いました。
ジェームズ・ガンは「スーパー!」などでもわかるようにかなりぶっ飛んでクレイジーな表現をする監督ですが、「ガーティアん・オブ・ギャラクシー」などでは映像センスは光るもののMCUらしい品行方正な枠の中に納められている感じもします(それでもMCUの中ではタイカ・ワイティティとともにぶっ飛んでいる方ではあると思いますが)。
それに対して、本作は彼のクレイジーなセンス(毒々しさやバカバカしさ、ナンセンスさ)が出ていて楽しめました。
監督自身も楽しんでやっている感じがします。
ジェームズ・ガンは映像がいいと思っているのですが、今回の作品ではハーレイ・クインが自動小銃をぶっ放し、槍で刺しまくっているところが非常にいい。
真っ赤なドレスをした彼女がスローモーションで敵をぶっ倒していくと、血飛沫のように花模様が散っていくんです。
これは彼女のキャラクターを一目瞭然に表現しているいいビジュアルだなと思いました。
イカれたセンスでとてもいい。
「ガーディアン・オブ・ギャラクシー」のヨンドゥ役で有名なマイケル・ルーカーのとてももったいない使い方もいいです。
あとジョン・シナのピースメーカーも「スーパー!」を彷彿させるクレイジーさがジェームズ・ガンらしい。
ピースメーカーはテレビシリーズ化の予定もあるとか・・・。
本作の最後を飾るのはまさかのヒトデ型巨大生物!
「宇宙人東京に現わる」!
どんだけクレージーなのか・・・。
よく企画を通したものだ・・・。
こういうぶっ飛びはマーベルじゃできない感じがします。。
ジェームズ・ガンは次回作では再びマーベルに復帰し、「ガーティアン・オブ・ギャラクシー Vol3」に挑みます。
シリーズも最終作と言われているので、このクレイジーさを存分に発揮してもらいたいです。

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2021年8月 7日 (土)

「セイバー+ゼンカイジャー スーパーヒーロー戦記」 クロスオーバーゆえの味の薄さ

通常「仮面ライダー」と「スーパー戦隊」の夏映画はそれぞれ単独の作品の同時上映というフォーマットですが、今回は仮面ライダー放映50周年、スーパー戦隊45作品目という節目であることから、両シリーズのクロスオーバーとなっています。
両シリーズのクロスオーバーは本作が最初というわけではなく、2012年の「仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦」で実現されています。
「スーパーヒーロー大戦」のときも感じたのですが、大勢のヒーローが出てくるこのようなクロスオーバー作品は、個々のキャラクターの掘り下げは浅くならざるを得ず、さらに過去のキャラクターも扱いが乱暴になる感(登場するだけ)もあり、やや物足りなく感じるところがあります。
本作についても同様の印象を受けました。
「スーパーヒーロー大戦」との違いを出すためか、本作では両シリーズの第一作の原作者である石ノ森章太郎をキーマンとして登場させています。
そのため、全体的にメタな要素も盛り込んでいる作品となっていますが、これは「ビルド」と「ジオウ」のコラボ作品である「仮面ライダー平成ジェネレーションズ FOREVER」でも取り入れている視点であり、目新しさは感じませんでした。
クロスオーバーを成立させるための苦肉の策のような印象です。
お祭り映画自体を否定するわけではありませんが、作品として見るとどうしても薄っぺらくなる感じがしてしまいます。
子供としては嬉しいとは思いますけどね。
長年両シリーズのファンである身としては、しっかりキャラクターを深掘りした作品の方が楽しめます。
昨年の「ゼロワン」の単独映画は良かったので、ああいう感じが好きなんですけどね。
最新シリーズの「仮面ライダーセイバー」は終盤に至るも、個人的には物語になかなか浸かることができず、世間的にも同様の評価なので、単独作品としてはキツいという判断もあったのかもしれません。
「セイバー」の評価が苦しいのは、描かれている物語が「仮面ライダー」でなくてもできるのではないかということではないかと思います。
この作品には「仮面ライダー」の要素がものすごく薄いのではないかと感じています。
物語は自由であるのはもちろんなのですが、「仮面ライダー」である意味も持っていて欲しいものです。
本作のおまけとして次回作の「仮面ライダーリバイス」の短編映画の上映がありました。
例年に比べ新作の情報があまりでてこないので、どうしているんだろう?と思っていたところでのサプライズ上映でした。
本作では主役の仮面ライダーが2人います。
仮面ライダーリバイと仮面ライダーバイス、合わせてリバイスということですね。
2人で1人の仮面ライダーである「仮面ライダーW」とは異なり、今度は1人で2人の仮面ライダーです。
面白い発想だなと思いました。
デザインはちょっとギョッとしましたが、それはいつものことなのでいずれ慣れているのでしょう。
ちょっと期待しているポイントとしては脚本が木下半太さんであることですね。
木下さんは「悪夢」シリーズなどの小説で有名ですが、私も愛読しています。
この方の作品は後半に驚くようなどんでん返しが設定されていること、登場するキャラクターの存在感がものすごく強いことが特徴だと思います。
いずれにしてもそのような特徴が「リバイス」で出されてくると、画期的な物語が展開されるのではないかと思います。
こちらについては9月からの本放送に期待したいです。

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2021年7月10日 (土)

「ザ・ファブル 殺さない殺し屋」籠の中の鳥

前作「ザ・ファブル」は岡田准一さんの邦画とは思えないほどのアクションが見応えがあり、次回作があるということで期待していました。
「SP」の頃から岡田さんのアクションはただの俳優のレベルを超えていましたが、本作も全てご自身でアクションシーンを演じています。
さらには本作では岡田さんが一人でファイトコレオグラファーを務めています。
まさに日本のジャッキー・チェンと言ってもいいでしょう。
冒頭の車の暴走アクションも見応えありましたが、なんと言っても本作はマンションの足場が崩れる中でのアクションシーンですね。
足場でのアクションと言えばジャッキーの「プロジェクトA2」が思い浮かびますが、立体的な空間でのアクションが見どころです。
岡田さんのアクションもかなり立体的なんですよね。
さらに彼の場合はアクションも高速なので、さらにスピード感があり、見応えがありました。
なかなか邦画では味わえないアクションシーンでした。
本作に登場したキャラクターで興味深かったのは、敵役となる宇津帆です。
彼は表の顔は子供たちの安全を守るNPO団体の代表ですが、裏の顔は過保護に育てられた若者を拉致監禁して金を奪うという極悪な男です。
表の顔の立場の時、彼は子供たちの安全を守るために、転がっている石も拾っていかなくてはいけないと言います。
これは表の顔の時のただのお題目のように彼は言っているように感じるかもしれませんが、そうではありません。
宇津帆を中心に、足が不自由な佐羽ヒナコ、殺し屋の鈴木は同じマンションで暮らしていますが、彼はチームのメンバーをまさに家族のように扱っています。
中でもヒナコは障害があるためか、娘のような気の使い方をしているようにも見えます。
その反面、実際は彼はヒナコに対して日常的に暴行を加えているようですし、さらには彼女の両親を殺して彼女の行き場を奪った張本人でもあります。
彼は彼女を傷つける者でありながら、かつ彼女の最大の庇護者でもあるというアンビバレントな存在なのです。
ヒナコは宇津帆にとって「籠の中にいる鳥」なのかもしれません。
そもそも宇津帆は弟を殺さたため、ファブルに復讐をしようとしていました。
彼にとって家族はかけがいのないほど重要なのです。
そしてファブルを見つけたと同時に、彼が大事にしている家族であるヒナコの籠の鍵を開けられようとしていることに気づきます。
再び家族が奪われようとしているように宇津帆は感じたのかもしれません。
そもそも彼は他人の家族を食い物にしているわけですから、都合がいいことこの上ないわけですが、そこは彼の中では成立しているというのが、アンビバレントな異常性なのだと思います。
ヒナコに対しての愛情と残酷性もそうですが、ある意味人間の情の深さみたいなものを持ちすぎた男だったのかもしれません。
そういう意味で感情がほぼ抑えられているファブルとも対照的な存在であるように思えました。
アクションも見応えあり、ドラマとしても堪能できたので、今後もシリーズとして展開してくれてもらえると嬉しいです。

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2021年7月 8日 (木)

「それいけ!アンパンマン ふわふわフワリーと雲の国」 アンパンマン卒業?

毎年夏休み前に公開される「アンパンマン」の映画ですが、昨年は多くの作品と同様に公開延期となり、結局1年遅れでの公開となりました。
前作と引き続き、娘と見に行ってきました。
「アンパンマン」の映画は娘にとって初めて劇場で見た作品ですので、感慨深いです。
と思っているのは親だけで、今年は娘は今までとちょっと違っていました。
私「アンパンマンの映画やるってよ。一緒に見に行こうか」
娘「行ってもいいよ」
・・・なんか違うぞ。
前回までは「行くっ!」って感じだったのに。
「プリキュア」を見に行った時は「行く行くっ!」だったので、映画が嫌いになったわけではないのです。
考えれば娘ももう4歳、「アンパンマン」はもう卒業なのかもしれないですね。
こんなところで娘の成長を感じる私でした。
映画の方は意外にもアンパンマンではなくドキンちゃんが主役のお話でした。
こういうアプローチもあるのですね。
ドキンちゃんは「アンパンマン」の中でも人気があるキャラクターの一人です。
ちょっとわがままだけど自分に素直で、感受性も高くて、優しいところもあって、なんか憎めない。
娘も好きなキャラクターの一人です。
私からするとなんか娘を見ているような感じもするキャラクターですね。
本作はドキンちゃんが赤ちゃんの雲の子フワリーと出会い、育てて、最後は別れが来るというお話。
娘も4歳になると、年下の子のお世話をしたがったりするお年頃。
なんかドキンちゃんには共感した様子。
でも、もう「アンパンマン」は卒業なので、来年は一緒に来ることはないんでしょうね。

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2021年6月17日 (木)

「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」 内包する矛盾

コロナのため度重なる公開延期の憂き目にあった「閃光のハサウェイ」ですが、ようやく公開されました。
「逆襲のシャア」以降の宇宙世紀の歴史を描いていこうとする「UC NexT 0100」プロジェクトの一つです。
タイトルのハサウェイはあのブライト・ノアの息子である主人公の名です。
彼は多感な13歳の時に初恋の人の死、また自ら手をかけて人を殺めるという経験をしました。
またアムロとシャアという先駆的なニュータイプ同士の戦いも間近で見ました。
彼は二人の遺産を継ぐ存在となったのです。
アムロからは「ガンダム」を、シャアからは「地球の保全」という意志を。
これはハサウェイの中に二つの対立する要素を内包することになったのだと思います。
本作の中でもハサウェイは地球環境を守るためにテロすら厭わないという意志を持ちつつも、目の前で苦しむ人を救いたいという気持ちの間で揺れ動きます。
本作ではモビルスーツ戦の視点が今までと違う印象を受けました。
後半、市街地での戦闘が描かれますが、視点が地上の人からの視点であることが多いのです。
通常、このようなモビルスーツ同士の戦いの視点はパイロット視点であったり、客観視点であるわけですが、それとは違う。
モビルスーツが人間よりも非常に大きな兵器であり、それが街を破壊し、人々を追いやることが今まで以上に感じられ流のです。
その視点の多くはハサウェイからのものでもあります。
彼はこの戦闘の仕掛け人でありながらも、それを被害者の目線で見ているわけですね。
矛盾のある視点なのす。
目の前で人が苦しむのはそもそも彼らのテロが原因であり、この矛盾を彼は内包しているのです。
この物語がどのように展開していくのかは原作を読んでいないので知らないのですが、彼が内包する矛盾が彼を追いやっていくような予感があります。
本作に登場するΞガンダム、ペーネロペーともに異形のガンダムでした。
設定的にはミノフスキーフライトを装備しているため、あれほど大型化したということで、やはり機動している動きは他のモビルスーツとは違いましたね。
とはいえ、もう少し見てみたいという気分もありましたが、一作目ということで控えめでした。
ここは次回作に期待ということでしょうか。

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2021年5月16日 (日)

「ジェントルメン」 ガイ・リッチーの原点回帰

ガイ・リッチーの原点回帰ともいうべきクライム・アクションです。
恒例のフィルム巻き戻しもあります。
これはジョン・ウーの白い鳩と同じくらい、ガイ・リッチーのサインのようになってきてますね。
マシュー・マコノヒー演じる麻薬王が引退するという噂がロンドンを駆け巡ります。
その利権を得ようと群がるマフィアたち。
麻薬王に恨みを持つゴシップ誌の編集長が暗躍し、その裏情報を麻薬王の右腕に売りつけようとする記者。
彼らは欲ぶかさ故に相手を騙そうとしますが、予期せぬことが次々と起こっていきます。
さらにロシア人マフィアやロンドンの街のチーマーまでが絡み始め、事態は誰にもコントロールできなくなるローリングストーン状態に。
麻薬王が池に小石を投げ込んだら、さざなみがどんどん大きくなり結局は誰もを巻き込む大津波になってしまったという体。
物語が坂道を転げ落ちていくような展開はガイ・リッチーらしいです。
彼の作風が好きな人は、好きな映画ですよね(私は結構好き)。
万人受けするかというと、ちょっとわからないですが。
結局最終的には一番肝が据わっている人間が勝つという。
麻薬王のセリフに「ジャングルの王はうわべの振る舞いだけでなく、本当の王にならなくてはならない」というのがありましたが、まさにそれで、本当の王であるべく肝が据わっているかが勝負を決めたということですね。
ロンドンというと割と小綺麗なイメージがあったのですが、割と危なそうなところあるのですね。
ちと怖いです。
あと貴族というと暮らしが豊かなイメージがありますが、現在は懐事情はかなり厳しいというのもわかりました。
ダウントン・アビーの時代じゃないのね。

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2021年3月20日 (土)

「すばらしき世界」 すばらしき世界とは?

西川美和監督の作品は人間や社会を深く抉るところがあるので、見る側としても、それなりに覚悟が要ります。
ですので、自分なりに調子がいい時に行こうと思っていたら、公開している劇場が絞られ始めてきていたので、慌てて見に行ってきました。
やはり本作も考えさせられる作品でした。
今年に入って見た「ヤクザと家族」でも描かれていましたが、昨今反社会的勢力という存在はなかなか生きにくい時代です。
もちろん一般庶民としては、そのような方々とは関わりたくないというのが本音です。
しかし、映画という世界の中ではヤクザはある種のファンタジーとして存在していました。
昭和の時代には東映のヤクザ映画が全盛でしたが、そこで描かれているのはファンタジーとしてのヤクザであったのかもしれません。
すなわち世間のしがらみや法律などには縛られない存在であり、義理や人情など損得勘定とは違った価値観で動いている人々。
戦後民主主義が押し進められ、そして一億総中流と言われた時代に、社会や会社に縛られない存在はある種の憧れであったのかもしれません。
しかし、今現在彼らは反社会勢力として徹底的に社会から排除されています。
もちろん犯罪を犯してしまってはいけませんが、その後の更生も非常に難しいものがあることが本作では描かれています。
以前はある種の憧れが反映されていると書きましたが、今は汚れたものを見るような目線であり、そういう点において以前とは逆の方向で社会から隔絶しているのですね。
社会の中では全ての人がそこにきちんと収まるということはなく、幾人かはドロップアウトしてしまいます。
人や社会から必要ではないというように感じてしまう。
本作の主人公の三上もそのような男でした。
彼の受け皿となったのがヤクザでした。
彼は数々の犯罪に手を染めましたが、少なくとも必要とされていると感じていました。
自分の居場所があったのです。
しかし、この現代10数年ぶりに社会に帰還した彼は自分の居場所を見つけられません。
どこに行っても元反社であるというレッテルはついて回りますし、また彼の性向としてもすぐにカッとしてしまう癖は無くなっていません。
それでも社会に馴染もうと思いますが、数々の問題が起こり、その度に彼は憤りを感じます。
幼い頃、彼は母親に捨てられました。
彼自身は捨てられたとは思わないようにしているのですが、母親に必要にされなかったという思いがあります。
やはり、社会に戻っても自分は必要とされていないという気持ちになったでしょう。
しかし、彼のことを思う人は決していない訳ではなく、身元引受人となってくれた弁護士夫妻、彼を取材しているディレクター、行きつけのスーパーの店主、役所の担当者などの支えがあり、ようやく居場所を見つけていきます。
やはり、人は誰かを必要とし、必要とされる関係性が確立できることにより、自分が生きていいという実感を得られる存在なのでしょう。
三上が最後亡くなってしまいますが、その時は彼は人生の中でも最も人に必要とされた時であったのだと思います。
決して悪くない人生であったと思って亡くなったのだと思いたい。
そこにタイトルの「すばらしき世界」という文字が入り、彼の思いを表しているような気がしました。
 
とはいえ、西川作品なので、そういう表層的な捉え方だけではないかとも思いました。
三上の就職祝いの席で弁護士夫妻は、彼の悪いことは許せないという正義感は認めつつも、社会に馴染むにはある種我慢したり受け流したりすることも必要だと諭されます。
その後、彼は職場でのいじめや陰口などを目にしますが、彼は恩人のアドバイスを大事にして、受け流します。
その時の三上の彼らしくない表情や苦しみは、これが本当に生きているということなのかという疑問を持たせるものでもありました。
弱きを助けてはいけないのか。
見て見ぬふりをするのが良いことなのか。
そういう社会が「すばらしき世界」なのかと。
そういう意味でこのタイトルはダブルミーニングとなっており、相変わらず西川作品は深いなと感じました。
 
今まであまり注目はしていなかったのですが、仲野太賀さんはいいですね。
次第に三上に共感を持っていく様子、そして彼の死に直面し、取り乱し呆然とする様。
演技ではありますが、彼が演じる津乃田の気持ちがありありと伝わってきました。
これからも要チェックの役者さんです。

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「映画しまじろう しまじろうと そらとぶふね」 1年越しでようやく公開

子供と一緒に行ってきました。
最近は映画につれて行っても、ちゃんと座って見れるようになりました。
「しまじろう」の映画は通常春の時期に公開されますが、昨年はまさにコロナの拡大時期と重なり、延期になりました。
およそ1年余り経ったところで、ようやくの公開となりました。
今までは2Dであったり、着ぐるみの実写であったりがごっちゃになっていた形式でしたが、今回の「しまじろう」の映画は初の全編3Dでの作品となっています。
コロナ禍の中での公開ということで、感染対策についても考えられています。
今までは鑑賞の前に配られるメガホン状の入場者プレゼントを使い、子供たちが「しまじろう、がんばれ!」と大きな声をかけるというのが恒例でしたが、こちらは今回は見送り。
その代わり、拍手で応援となっていました。
入場した子供たちもその辺りはちゃんとわかっていて、しまじろうたちが言う通り拍手で応援していましたよ。
ストーリーとしては、大人から見ればたわいもないお話ではありますが、子供としては素直に楽しんでいたようでした。
確実に映画好きになってくれているので、大きくなってもいろんな映画を一緒に見に行ってくれるといいなと思っています。
今週末はおそらく新作の「プリキュア」の映画を一緒に観にいくことになりそうです。

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2021年3月 9日 (火)

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」 ???からの大団円

ようやく「新劇場版エヴァンゲリオン」完結・・・。
長かったですねえ。
鑑賞に先立ち新劇場版を改めて見直すことなく、劇場へ。
・・・無謀でした。
初めにこれまでの新劇場版のおさらいはあるにはあるのですが、あまり親切な作りではないので、結局復習にはなりません。
前半は記憶をさらいながらの鑑賞でかなり大変ではありました。
前半はずっと「???」でした。
鑑賞に行く方はおさらいしてから行くことをお勧めします。
さて新劇場版ですが、本題に行く前にタイトルからの考察を。
新劇場版ではアニメで使用していた「エヴァンゲリオン」という記述ではなく「ヱヴァンゲリヲン」となっています。
なぜこのような旧仮名遣いになっているかはどこにも触れられてはいないのですが、旧劇場版と区別するためというのも一つであるかと思います。
それが今回は元々の「エヴァンゲリオン」となっています。
これに意味があるのか、ないのか。
そしてタイトルにある謎の記号「:||」。
これは楽譜で用いられるリピートを表す記号ということです。
繰り返しということですね。
これは本作を考えるにあたり、非常に意味を持ってきます。
そして最近の庵野作品に多く用いられる「シン」という言葉。
これには「新」「真」などの意味が込められていると言われます。
<ここからネタバレありです>
前にもレビューで書きましたが「破」は個人的に評価が高い作品でした。
テレビシリーズや旧劇場版にあったような内へ内へ向かっていく陰性のベクトルではなく、自分以外の他者とのコミュニケーションを前向きに捉えているように感じたからです。
しかし「Q」では再びディスコミニケーションに陥ってしまい、全てが混沌としてしまいます。
結局またテレビ、旧劇場版のようなカオスに陥っていくのかもしれない、と予感しました。
本作前半は「Q」からの混沌感は引き続いていました。
シンジは相変わらず陰々としているし、アスカはそんなシンジに攻撃的です。
ただそういったネガティブな感情が描かれるだけでなく、レイが村の人々に心を開いていく様や、シンジのかつての同級生であったケンスケやトウジ、ヒカリらが人の逞しさや優しさを感じさせてくれます。
「エヴァンゲリオン」という物語は、自分と他者の関わりをテーマにしていると思います。
碇ゲンドウが目指す人類補完計画とは人々の意識も肉体も全て一つとし、何も誰も失うことのない世界を目指すということであろうかと思います。
本作においては初めてゲンドウが彼の気持ちを彼の言葉で語るシーンがあります。
彼もまた息子であるシンジと同様に、周囲とのコミュニケーションでの違和感を感じていました。
彼の孤独でありたいと価値観を覆したのが、妻であるユイであったのです。
妻を失った彼は、そもそも自分と他者というものが分かれて存在することによる生じる摩擦、失うことによる苦痛を無くすために人類補完計画という考えに至ったのでしょう。
人とのコミュニケーションにおいて悩み、自分が人の間でどうあるべきか、自分の居場所はどこなのかと苦悩するという点では、シンジ=ゲンドウでもあるわけですね。
前作「Q」のレビューではシンジとカヲルも裏表のようだと書きました。
そして本作ではカヲル=ゲンドウであることも示唆されます。
つまりはシンジ=カヲル=ゲンドウであるわけですね。
ある意味カヲルは人との関わりをポジティブに捉えたシンジであり、逆にゲンドウはネガティブに捉えたシンジであるとも言えます。
本作の前半のシンジはいつものようにイジイジとしたネガティブなシンジですが、後半の最終決戦でのシンジには悲壮感はなく、前向きな感情を感じます。
これは「破」で感じたシンジにも通じ、ネガティブな感情に支配されたゲンドウを救おうとする意思すら感じます。
人間は人との関係性を厭う気持ちもありながらも、それを求める気持ちも合わせて持ちます。
それがせめぎ合って生きていると言ってもいいでしょう。
しかし厭う気持ちが強くなっていますと、その人の世界はもしかすると壊れていってしまうかもしれない。
誰しも心の中にシンジ=カヲル=ゲンドウを持っている。
 
あとタイトルのところで触れた「:||」ですが、前述したように繰り返しを意味します。
これは「エヴァンゲリオン」という物語が繰り返されてきたということを意味している、つまりはテレビシリーズ、旧劇場版、新劇場版と何度も繰り返しているということであるかと思います。
テレビシリーズ、旧劇場版は決してハッピーエンドであったかというとそうではなかったかと。
シンジは決して幸せとは言えないかと思います。
本作劇中でカヲルがシンジに向かって「君も成長しているんだね」(大人になっただったかな?)的なことを言っていたと思います。
これはこの作品の中でのシンジのことを言っているのでなく、繰り返されるエヴァンゲリオンの物語の中での成長を意味しているかとも思います。
明らかに新劇場版のシンジは人とのコミュニケーションについては旧作よりも大人になってきている。
本作においてもコミュニケーションを前向きに捉えるエピソードが盛り込まれています(レイのエピソード、ケイスケのエピソードなど)。
ようやく本作でシンジが人とのコミュニケーションに対し前向きに挑めるようになり、そして自分のマイナス面でもあるゲンドウにも向き合えるようになったことで、大人になったと言えると思います。
それによりようやく「エヴァンゲリオン」は物語を閉じることができたのだと思います。
そういう意味での「シン=真」であるのかなと。
ラストでは大人になったシンジとマリが付き合っているような様子が描かれます。
チラリとレイとカヲルが一緒にいるところも映ります。
レイ=ユイであり、カヲル=ゲンドウであるわけですから、彼らも幸せになれたようです。
シンジの相手がレイでないのは、彼女はあくまで母親の写し身であり、シンジは大人になるには母親ではなく、あくまで別の女性と結ばれるべきなのです。
ずっと存在が謎であったマリがいる意味というのもわかりました。
 
見てきた直後に書いているので、少々とっ散らかっていますし、読み違いもあるかもしれません。
とはいえ、長年に渡り続いてきた「エヴァンゲリオン」の物語、納得いく形で完結したと思います。

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