2022年1月10日 (月)

「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」 ヒーローの目覚め

2022年最初の劇場鑑賞作品はこちら、「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」です。
トム・ホランド主演の「ホーム」シリーズの3部作、最終作となります。
こちらの作品、当初からいろいろありました。
3作目ではスパイダーマンが(SONYとマーベルの都合で)MCUから離脱しそうになりましたが、トムが仲を取り持って結局は引き続き両者で共同で作っていくことになったとか。
それが本当かどうかはわかりませんが、両者にとってその方が得であると判断したのだと思いますが、大ヒットとなっておりますので、その決断は正しかったということなのでしょう。
そもそもSONYはスパイダーマンの映画化権を持っており、MCUに倣ったSSU(SONY SPIDERMAN UNIVERS)を作り上げようとしています。
それが「ヴェノム」であり、今後公開される「モービアス」であったりします。
「ヴェノム」も興行的に成功しており、SSUは着実に構築されつつあります。
その中心であるスパイダーマンがMCUに所属しているのは、SONY的には都合が悪い。
それをひっぱり戻そうというのが、SONYの思惑であったのです。
その後両者は再びタッグを組むこととなりますが、そのときにマーベルのケビン・ファイギが「スパイダーマンは2つのユニバースを行き来する初めての存在になる」と言いましたが、まさに本作はそれを具体的に提示したものとなりました。
ネタバレなしで書くのはなかなかに難しいので、こちらについては後半で触れたいと思います。
MCUの「スパイダーマン」が過去のサム・ライミ版、マーク・ウェブ版と異なるのは、主人公ピーター・パーカーがティーンであることを非常に意識したものとなっているところかと思います。
過去の2シリーズは1作目でピーター・パーカーが蜘蛛の力を手に入れ、そして自覚を持つヒーローとしての目覚めを描いています。
「大いなる力には大いなる責任が伴う」というのは両作でピーターの叔父ベンが亡くなるときにいう言葉です。
ピーターは自分の自覚のなさにより、大切な人を失うという悲しみを経て、人のために戦うというヒーローとして目覚めたわけです。
それに対してMCUのスパイダーマンはそのようなヒーローとしての覚醒は描かれていませんでした。
もちろん師匠であり、彼にとって心の父のような存在であるトニー・スタークとの別れはありました。
それを経ても、というよりその様な経験があったからこそ、彼はヒーローという立場から逃げてきたとも言えます。
MCUのヒーローたちはピーターに比べ、大人であり、そしてプロフェッショナルです。
彼らは自覚的に行動をします。
スティーブ・ロジャースは揺るぎない正義感、トニー・スタークは力を持つものの責任感、ナターシャ・ロマノフは贖罪のために。
前作では彼らがいなくなった世界で、自分自身が背負わなければならない責任とどう向き合うか葛藤する様が描かれました。
しかし、それはまだスパイダーマンとしての葛藤でした。
前作のラストでピーターがスパイダーマンであることが周知となりました。
本作ではピーターとしてどうその責任と向き合うかが描かれます。
「大いなる力には大いなる責任が伴う」
本作である人物がこのセリフをピーターに告げます。
それまでのシリーズと同様に、ピーターは悲しみとともに自分が背負ってしまった責任を心の底から自覚をします。
そのために自分が犠牲を払わなければならないことも。
彼が払う犠牲はトビー・マグワイアの1作目のラストにも通じるものがあります。
本作は過去シリーズの1作目で描かれていたスパイダーマンのヒーローとしての目覚めを描いた作品です。
本当のスーパーヒーローとしてスパイダーマンが生まれたと言えると思います。
SONYのプロデューサーはトム・ホランドとの「スパイダーマン」は引き続き検討していると発言しています。
今後の「スパイダーマン」は大人として、ヒーローとして自覚を持った「スパイダーマン」が描かれることになるのでしょうか。
本作でさりげなく触れられた「黒人のスパイダーマン」(マイケル・モラレス)の登場もあるかもしれませんね。
「スパイダーバース」のピーターBパーカーのような役回りになるのかも・・・。
<ここからネタバレ前回>
公開前より今回の「スパイダーマン」はマルチバースがテーマになると言われていました。
そして過去のシリーズのヴィランたち(グリーン・ゴブリンやドック・オク、エレクトロなど)が登場することもわかっていました。
それで期待されていたのが、過去シリーズのスパイダーマン、つまりはトビー・マグワイア、そしてアンドリュー・ガーフィールドが登場することでした。
彼らは取材などを受けていても、それを否定していましたが・・・。
出ましたね!二人とも!
それもカメオというレベルではなくガッツリと。
鳥肌が立ちました。
「ウルトラマン」も「仮面ライダー」も兄弟や先輩が出てくるとぐっとくるものがありますが、「スパイダーマン」でもそれが味わえるとは!
そしてただ出すだけではなく、彼ら二人には役割も与えられていました。
今回ピーターが味わう悲しみと苦悩を、彼は誰とも共有できません。
この本質はMJともネッドとも共有できないのです。
ピーターの先輩であったヒーローたちも今は彼の元から去っています。
しかし、同じスパイダーマンである彼らは同じ様な体験をしてきたからこそ、今回のピーターの苦しみがわかる。
彼らにその苦悩を共有できたことは、ピーターにとっていかほどにありがたかったことか。
トビー・マグワイアのスパイダーマンは己の怒りに任せて行動したことによる悲劇を知っています。
だからこそ、トム・ホランドのスパイダーマンが怒りで鉄槌を下そうとすることを止めます。
アンドリュー・ガーフィールドのスパイダーマンは自分が及ばず大切なひとを失った悲しみを知っています。
だからこそ、彼は身を挺してトムのMJを救います。
予告でも流れていたMJが落下する場面は、「アメイジング・スパイダーマン2」でグウェンが落ちるシーンに酷似していました。
あの悲劇が繰り返されるのか、とも思いましたが、アンドリューのスパイダーマンがMJを救うことができてよかったです。
これはずっと十字架を背負ってきた彼自身をも救うことができたのではないか、とも思いました。
ヴィランたちも存在感がありましたね。
特にグリーン・ゴブリンを演じるウィレム・デフォーが素晴らしい。
狂気と正気の演じわけが流石、性格俳優だと改めて認識しました。
ゴブリンのマスクが語りかけるという描写なども1作目のオマージュたっぷりでした。
前半でスパイダーマンが2つのユニバースを行き来する存在になるとケビン・ファイギが言ったことに触れました。
2つのユニバースとはMCUとSSUなのは明白です。
今回のラストでピーター・パーカーがスパイダーマンであることは誰も知らないこととなりました。
その魔法をかけたドクター・ストレインジでさえ。
これはある意味、MCUからスパイダーマンは自由になったということができます。
アベンジャーズのメンバーからもピーターは忘れられてしまっているわけですから、それまでの柵からは解き放たれています。
今までは地球や世界を救う規模の戦いでしたが、これからは「親愛なる隣人」としてのニューヨークを舞台にした戦いが中心になる可能性もありますね。
本作ラストで救急の無線を聞いて手作りスーツで急行しようとするピーターの姿はそれを表している様にも感じました。
MCUとのしがらみが薄くなったことにより、SSUで動きやすくなる様にも思います。
これから公開される「モービアス」では「ホームカミング」に登場したヴァルチャーが出るという話なので、これはMCUと同じ世界を舞台にしている可能性があります。
そこにトム・ホランドのスパイダーマンが絡むということはあり得ます。
しかしその場合はヴァルチャーもピーターがスパイダーマンの正体であることは忘れているはずですが・・・。
二人のスパイダーマンが登場した時は、劇場で「あっ!」と声を上げましたが、その前に同じように声を上げたところがあります。
本作でピーターは当局に拘束されますが、彼を敏腕弁護士が弁護します。
その弁護士がチャーリー・コックス演じるマードック、つまりはデアデビルだったのです!
年末にディズニーチャンネルで公開された「ホークアイ」のラストでキングピンが登場したことからデアデビルがどこかの作品に登場するとは予想していましたが、こんなに早くとは驚きです。
先ほど書いたように今後の「スパイダーマン」がNYを中心に活躍していくならば、同じくそこで活動するデアデビルとの共演もあり得そうです。
期待したいですね。
そういえば「ホークアイ」のラストバトルの舞台となったNYのスケートリンクが本作でも映っていましたね。
まだクリスマスツリーは倒れていなかったようですので、「ホークアイ」は時系列的には「ノー・ウェイ・ホーム」の後なのかな?
最後に「ヴェノム」について。
「カーネイジ」のポストクレジットでMCU世界に転移したと思われていたエディとヴェノムですが、やはり来ていました。
本作で転移した者たちは「スパイダーマン=ピーター・パーカー」であることを知っているという条件であると言われていたので、「?」と思いました。
二人の口ぶりからすると当然スパイダーマンを知っている様子ではなかったですし、彼らの世界には他のヒーローはいない様子です。
じゃ、なんで彼らは転移してきたかというと、ヴェノムらシンビオートは集合意識というものを持っている存在です。
それは多次元世界を越える集合意識なのかもしれません。
トビー・マグワイアの3作目のもシンビオートは登場しており、ピーターに寄生し、黒いスパイダーマンを生み出しました。
その記憶が集合意識で共有され、エディ&ヴェノムも転送されてきたということなのでしょうか。
結局彼らも元の世界に戻りますが、シンビオートの破片は残されており・・・。
これが新たな展開に繋がる予感がありますね。

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2021年11月 4日 (木)

「最後の決闘裁判」 女VS男二人

リドリー・スコットによる「羅生門」とも言うべき作品。
騎士であるジャン・ド・カルージュの妻マルグリットが夫の友人である従騎士ジャック・ル・グリに強姦されたと訴えますが、ル・グリは領主のお気に入りであったことから裁判では無罪となります。
しかし、カルージュは国王に直訴し決闘裁判に持ち込みます。
当時決闘裁判が行われていたのは、神は何が実際にあったことかを全て知っているはずなので、真実を述べる者を勝者とするだろうという考えがあったからです。
「羅生門」スタイルとは関係者それぞれの見方から物語が語られていくというものです。
本作もカルージュ、ル・グレ、そしてマルグリットの視点から物語が語られていきます。
「羅生門」では3人が語るストーリーは結局は全て真実ではないということでした。
本作ではそれぞれのパートの頭に「カルージュの真実」といったタイトルが入ります。
しかし最後に語られるマルグリット視点のパートの部分は「Truth(真実)」というワードが最後まで残ります。
このことからマルグリットの語る物語が真実であるということなのだと解釈しました。
ル・グリの話は、本人は愛だと言いつつもその実は女性を欲望の対象としてしか見ない、極めて男性本意の価値観で語られていました。
対して寝取られた側のカルージュですが、妻のために真実を明かそうとする男かと思いきや、その戦う理由は己の名誉のためという極めて自分本位の考えでした。
そもそもがル・グリに対して悪感情を持っていたのに加え、妻がその相手に寝取られたとあってはプライドが傷つけられます。
また彼が妻を本当に愛していたかは疑わしく、ただの跡取りを生み出すための存在として見ていたようにも思えます。
この決闘裁判は側から見ると妻の名誉を挽回しようとする夫と、愛する女性を愛しただけだと主張する男の戦いのようにも見えます。
が、戦い合う男二人ともマルグリットを人格のある一人の愛する女性としてはいません。
男二人が戦いあっているように見えますが、実のところマルグリットが男二人と戦っているのです。
中世を舞台にしていますが、これはMe Too運動にも通じる極めて現代的なテーマであると感じました。
マルグリットを演じたのはジョディ・カマー。
「フリー・ガイ」のヒロインを演じた方だったのですね。
全然違う雰囲気の役なので、調べるまでわかりませんでした。

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2021年10月19日 (火)

「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」 新しい価値観でアップデート

<ネタバレあります>
ダニエル・クレイグ版の「007」の第5作目にして完結作です。
「カジノ・ロワイヤル」は2006 年の作品ですから、もう15年も経ったのですね、早いものです。
ダニエル・クレイグが新しいジェームズ・ボンドを演じることが発表された時、金髪であるなど従来のボンドのイメージと違うなど否定的な意見がありました。
私自身もイメージが違うなと思いましたが、「カジノ・ロワイヤル」を見たあとは、彼が演じる新しいボンド像に惹かれました。
それまでの007シリーズではジェームズ・ボンド自身が掘り下げられることはほとんどありませんでした。
殺しのライセンスを持つ一流のスパイで、タフでありながらスタイリッシュ。
女性たちを魅了するプレイボーイでもあります。
ある意味、彼は男たちが憧れる理想のアイコンのような存在だったのかもしれません。
現実的には彼のような男はそうそういるはずはなく、まさにフィクションとしての存在でした。
アイコンであるボンドの背景にはマッチョな男と美しい女性といった、男性中心の価値観は明らかにあって、それが2000年以降の時代における価値観とマッチしなくなってきていたのは確かだと思います。
そのような中、ダニエル・クレイグ版のボンドは、若々しくそして悩み深き男として登場しました。
全て完璧に仕上がっている男ではなく、荒削りで傷つきもする男でした。
そんなボンドはとても生き生きとしていて、初めてアイコンではなく、人間として描かれたように感じました。
「カジノ・ロワイヤル」以降、ボンドはさまざまな経験をし、次第に成熟した男に成長していきます。
それまでのボンドはある意味仕上がった形でしか存在していませんでしたが、ダニエル版のボンドが成長していく姿を我々は目撃してきたのです。
彼自身の出自にまつわるエピソード、信頼できる仲間との出会い、別れ・・・。
おおよそ、前作の「スペクター」で成熟した男としてのボンドに仕上がってきたように感じました。
「カジノ・ロワイヤル」からボンドの人生を追ってきたようにも感じられますが、本作「ノー・タイム・トゥ・ダイ」では、彼の人生の最後を目撃することになります。
今までのボンドでは決してありえない終わり方でした。
しかし、ダニエル版のボンドとしては非常に納得できる終わり方でもありました。
従来のボンドは女性とのアバンチュールはあっても、本当に女性を愛しているのか(たとえ一度結婚していても)わからない印象はあります。
人間的な愛情をボンドに持たせると、冒頭に書いたアイコン性はなくなってしまうということはあったかもしれません。
しかし、ダニエル版ボンドは、今までの人生で愛を得たけれども、悲劇的な結果となり、それを引きずって生きてきました。
その傷が癒えさせてくれる女性と出会いますが、再び彼女を失う危険が迫ります。
ボンドは彼女を愛する者として、自分の命をかけて彼女を守ります。
一人の女性と、そして自分の子供のために命を捨てるボンド。
従来のボンドではあり得ません。
しかし、現代の価値観を背景にした新しいボンドにとってはそれは違和感はありません。
007というコンテンツは20世紀の価値観を背景にしていたため、時代に置いていかれる可能性もあったと思います。
しかし、ダニエル版のボンドは思い切って人間としてのボンドを描くことにより、現代的な価値観にマッチした新しい007像をアップデートすることに成功しました。
今後もこのコンテンツを作り続けていく基礎ができたように思います。
ダニエル・クレイグのボンドはこれで終わりだと思いますが、エンドロール後のメッセージにあったように「007 will return」です。
人としての007を描くという可能性を開いたので、ダニエル版よりももっと新しいボンドが登場する可能性があります。
本作でも示唆としてありましたが、女性版の007もなくはないと思います。
どのような新しいボンドが提示されるか、戻ってくるのを楽しみに待ちたいと思います。

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2021年10月 9日 (土)

「総理の夫」理想的な妻、夫、政治家

原作は原田マハさんの同名小説で、珍しく先に原作を読んでいました。
小説を楽しんだのですが、そうなるとキャラクターのイメージが自分の中に出来上がりますよね。
そういうイメージがあった上で、予告編で日本初の女性総理となる凛子に中谷美紀さん、その夫に田中圭さんがキャスティングされていることを知り、とてもピッタリだと感じました。
凛子は名前の通り凛としていて、政治への理想と信念を常に持ち行動するまさに理想的な政治家です。
政治家なので色々な修羅場は抜けてきている強さもありつつ、女性らしい柔軟さも持っています。
このようなクレバーな女性を演じるには中谷さんがまさにハマっています。
そしてファーストジェントルマンとなる日和は、心優しいボンボン。
仕事に打ち込む凛子を全面的に応援するこれまた理想的な夫です。
ちょっとオタオタするようなところが可愛らしい役所ですが、これには田中圭さんがピッタリと合っていました。
この作品、理想的な妻、理想的な夫、そして理想的な政治家が描かれているわけで、現実的ではないと言う方もいるかもしれないですが、これはファンタジーとして見るのが正解でしょう。
現実はもっと苦い感じはありますが、映画の中だけでも理想に浸るのは良いのではないでしょうか。
自分のことで言うと、専業主婦である妻が最近、趣味を活かして仕事をやるようになりました。
本格的な仕事というのには程遠いのですが、本人は楽しそうにやっています。
私も応援はしていますが、それぞれ仕事をしていると何かと家のことをどうするなどと揉めることもあります。
本作の日和は全面的に妻を応援していていて、なかなかここまではできないよなぁと思いつつ、もう少し妻の仕事のこともしっかりと応援しなくちゃいけないなぁとも思いました。
日和のような理想的な夫にはなれないとは思いますが、もうちょっとは、ね。

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2021年9月 5日 (日)

「シャン・チー/テン・リングスの伝説」流れる水のように

MCUフェイズ4はディズニープラスの「ワンダビジョン」からスタートしましたが、今まで登場したヒーローのエピソードでしたが、本作では新ヒーローが登場します。
その名はシャン・チー。
MCU初のアジア系ヒーローになります。
マーベルのダイバーシティ志向は「ブラックパンサー」「キャプテン・マーベル」の頃から見られ、本作もその路線と考えられます。
シャン・チーは特別なパワーを持っていたり、テクノロジーを駆使するわけではなく、その武器は鍛え上げられた肉体と極められた技(マーシャル・アーツ)です。
子供の頃にカンフー映画ブーム直撃だった私としては、たまりません。
ド派手なバトルもいいですが、肉体を駆使したアクションは見ている自分でも身体が反応するような感覚が刺激されるので、興奮しますよね。
前半のサンフランシスコのバスや、マカオの高層ビルでのアクションは身体性もありながら、CGも使ったキレのいいアクションがたまりませんでした。
また本作は「グリーン・ディスティニー」や「HERO」などの2000年ごろの武侠映画の映画も受けているように思いました。
冒頭の竹林でのシーンなどに強く感じますね。
流れるような肉体の動きは、本作のテーマを強く表しているように思います。
今までのMCUのヒーローたちはテクノロジーや特殊能力をベースにしながらも、基本的にはパワー勝負なのですよね。
その辺りは西洋らしい。
地球の人々を狙う存在に対し、敵の力を上回るパワーでそれらを封じ込める。
基本的にはこれでした。
しかし、竹林のシーンにおいてウェンウーに対するリーは、テンリングスのパワーを受け流し、利用しました。
まるでしなる竹のように。
流れる水のように。
水というモチーフも本作ではよく出てきました。
今までのMCUのバトルは火のイメージがあります。
戦力のことを火力とも言いますし、西洋の戦い、力と力の戦いには火のイメージが強くなります。
しかし、東洋の戦いでは、カンフーや合気道などもそうですが、相手の力を利用するという思想があります。
それには水の柔軟さが必要なのです。
ダイバーシティを意識する中での、黒人、女性につづき、アジアンを起用したという表面的な取り上げ出会ったら、残念な気持ちになったかもしれません。
しかし、東洋の考え方も取り入れた本作はMCUにとっても新しい刺激になるような気がしました。
サノスに対してのアベンジャーズの戦いはまさに総力戦で、パワーとパワーのぶつかり合いでした。
勝利を得たものの、その中で失われたものも大きかったというのはフェイズ4でも描かれています。
新しい脅威に対しては、パワーに真正面から対抗するのではなく、それを受け流して利用するという東洋的なアプローチがもしかすると必要になるのかもしれません。
ポストクレジットで、シャン・チーが引き継ぐことになったテンリングスは未知の物質であることがわかりました。
もちろん地球上のものでもなく、チタウリなどの地球外のものではないと。
その出どころは・・・。
もしかするとMCUで重要な要素となるマルチバース、すなわち他の並行世界からもたらされたものなのかもしれません。
この辺りは今後の展開からも目が離せないですね!

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2021年8月15日 (日)

「ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結」 ジェームズ・ガンのクレイジーさ炸裂

本作「ザ・スーサイド・スクワッド」はマーゴッド・ロビーが演じるハーレイ・クインが登場していますが、「スーサイド・スクワッド」の続編という扱いではないらしい。
デイヴィッド・エアー版はジョーカー以外はメジャーなキャラクターは登場せず、全体的にとっ散らかった印象であまり感心しなかった記憶があります。
そのころのDCエクステンデッド・ユニバースの方向性が迷走していた感がありました。
MCUのように全てが統合された世界観でいくのか、それぞれのキャラクターの個性を出していく作品群となるのか。
「スーサイド・スクワッド」の後の「ワンダーウーマン」「アクアマン」の成功により、キャラクターや監督の個性を重要視する方向に舵を切ったと思います。
そして、それはMCUとは違う方向性として成功しているように感じます。
本作は一時期マーベルを解雇されていたジェームズ・ガンを起用し、彼の個性を引き出して前作よりも格段に面白くなったと思います。
ハーレイ・クインも今ではDCの中での存在感のある主要なキャラクターになったので柱もしっかりとしているように思いました。
ジェームズ・ガンは「スーパー!」などでもわかるようにかなりぶっ飛んでクレイジーな表現をする監督ですが、「ガーティアん・オブ・ギャラクシー」などでは映像センスは光るもののMCUらしい品行方正な枠の中に納められている感じもします(それでもMCUの中ではタイカ・ワイティティとともにぶっ飛んでいる方ではあると思いますが)。
それに対して、本作は彼のクレイジーなセンス(毒々しさやバカバカしさ、ナンセンスさ)が出ていて楽しめました。
監督自身も楽しんでやっている感じがします。
ジェームズ・ガンは映像がいいと思っているのですが、今回の作品ではハーレイ・クインが自動小銃をぶっ放し、槍で刺しまくっているところが非常にいい。
真っ赤なドレスをした彼女がスローモーションで敵をぶっ倒していくと、血飛沫のように花模様が散っていくんです。
これは彼女のキャラクターを一目瞭然に表現しているいいビジュアルだなと思いました。
イカれたセンスでとてもいい。
「ガーディアン・オブ・ギャラクシー」のヨンドゥ役で有名なマイケル・ルーカーのとてももったいない使い方もいいです。
あとジョン・シナのピースメーカーも「スーパー!」を彷彿させるクレイジーさがジェームズ・ガンらしい。
ピースメーカーはテレビシリーズ化の予定もあるとか・・・。
本作の最後を飾るのはまさかのヒトデ型巨大生物!
「宇宙人東京に現わる」!
どんだけクレージーなのか・・・。
よく企画を通したものだ・・・。
こういうぶっ飛びはマーベルじゃできない感じがします。。
ジェームズ・ガンは次回作では再びマーベルに復帰し、「ガーティアン・オブ・ギャラクシー Vol3」に挑みます。
シリーズも最終作と言われているので、このクレイジーさを存分に発揮してもらいたいです。

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2021年8月 7日 (土)

「セイバー+ゼンカイジャー スーパーヒーロー戦記」 クロスオーバーゆえの味の薄さ

通常「仮面ライダー」と「スーパー戦隊」の夏映画はそれぞれ単独の作品の同時上映というフォーマットですが、今回は仮面ライダー放映50周年、スーパー戦隊45作品目という節目であることから、両シリーズのクロスオーバーとなっています。
両シリーズのクロスオーバーは本作が最初というわけではなく、2012年の「仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦」で実現されています。
「スーパーヒーロー大戦」のときも感じたのですが、大勢のヒーローが出てくるこのようなクロスオーバー作品は、個々のキャラクターの掘り下げは浅くならざるを得ず、さらに過去のキャラクターも扱いが乱暴になる感(登場するだけ)もあり、やや物足りなく感じるところがあります。
本作についても同様の印象を受けました。
「スーパーヒーロー大戦」との違いを出すためか、本作では両シリーズの第一作の原作者である石ノ森章太郎をキーマンとして登場させています。
そのため、全体的にメタな要素も盛り込んでいる作品となっていますが、これは「ビルド」と「ジオウ」のコラボ作品である「仮面ライダー平成ジェネレーションズ FOREVER」でも取り入れている視点であり、目新しさは感じませんでした。
クロスオーバーを成立させるための苦肉の策のような印象です。
お祭り映画自体を否定するわけではありませんが、作品として見るとどうしても薄っぺらくなる感じがしてしまいます。
子供としては嬉しいとは思いますけどね。
長年両シリーズのファンである身としては、しっかりキャラクターを深掘りした作品の方が楽しめます。
昨年の「ゼロワン」の単独映画は良かったので、ああいう感じが好きなんですけどね。
最新シリーズの「仮面ライダーセイバー」は終盤に至るも、個人的には物語になかなか浸かることができず、世間的にも同様の評価なので、単独作品としてはキツいという判断もあったのかもしれません。
「セイバー」の評価が苦しいのは、描かれている物語が「仮面ライダー」でなくてもできるのではないかということではないかと思います。
この作品には「仮面ライダー」の要素がものすごく薄いのではないかと感じています。
物語は自由であるのはもちろんなのですが、「仮面ライダー」である意味も持っていて欲しいものです。
本作のおまけとして次回作の「仮面ライダーリバイス」の短編映画の上映がありました。
例年に比べ新作の情報があまりでてこないので、どうしているんだろう?と思っていたところでのサプライズ上映でした。
本作では主役の仮面ライダーが2人います。
仮面ライダーリバイと仮面ライダーバイス、合わせてリバイスということですね。
2人で1人の仮面ライダーである「仮面ライダーW」とは異なり、今度は1人で2人の仮面ライダーです。
面白い発想だなと思いました。
デザインはちょっとギョッとしましたが、それはいつものことなのでいずれ慣れているのでしょう。
ちょっと期待しているポイントとしては脚本が木下半太さんであることですね。
木下さんは「悪夢」シリーズなどの小説で有名ですが、私も愛読しています。
この方の作品は後半に驚くようなどんでん返しが設定されていること、登場するキャラクターの存在感がものすごく強いことが特徴だと思います。
いずれにしてもそのような特徴が「リバイス」で出されてくると、画期的な物語が展開されるのではないかと思います。
こちらについては9月からの本放送に期待したいです。

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2021年7月10日 (土)

「ザ・ファブル 殺さない殺し屋」籠の中の鳥

前作「ザ・ファブル」は岡田准一さんの邦画とは思えないほどのアクションが見応えがあり、次回作があるということで期待していました。
「SP」の頃から岡田さんのアクションはただの俳優のレベルを超えていましたが、本作も全てご自身でアクションシーンを演じています。
さらには本作では岡田さんが一人でファイトコレオグラファーを務めています。
まさに日本のジャッキー・チェンと言ってもいいでしょう。
冒頭の車の暴走アクションも見応えありましたが、なんと言っても本作はマンションの足場が崩れる中でのアクションシーンですね。
足場でのアクションと言えばジャッキーの「プロジェクトA2」が思い浮かびますが、立体的な空間でのアクションが見どころです。
岡田さんのアクションもかなり立体的なんですよね。
さらに彼の場合はアクションも高速なので、さらにスピード感があり、見応えがありました。
なかなか邦画では味わえないアクションシーンでした。
本作に登場したキャラクターで興味深かったのは、敵役となる宇津帆です。
彼は表の顔は子供たちの安全を守るNPO団体の代表ですが、裏の顔は過保護に育てられた若者を拉致監禁して金を奪うという極悪な男です。
表の顔の立場の時、彼は子供たちの安全を守るために、転がっている石も拾っていかなくてはいけないと言います。
これは表の顔の時のただのお題目のように彼は言っているように感じるかもしれませんが、そうではありません。
宇津帆を中心に、足が不自由な佐羽ヒナコ、殺し屋の鈴木は同じマンションで暮らしていますが、彼はチームのメンバーをまさに家族のように扱っています。
中でもヒナコは障害があるためか、娘のような気の使い方をしているようにも見えます。
その反面、実際は彼はヒナコに対して日常的に暴行を加えているようですし、さらには彼女の両親を殺して彼女の行き場を奪った張本人でもあります。
彼は彼女を傷つける者でありながら、かつ彼女の最大の庇護者でもあるというアンビバレントな存在なのです。
ヒナコは宇津帆にとって「籠の中にいる鳥」なのかもしれません。
そもそも宇津帆は弟を殺さたため、ファブルに復讐をしようとしていました。
彼にとって家族はかけがいのないほど重要なのです。
そしてファブルを見つけたと同時に、彼が大事にしている家族であるヒナコの籠の鍵を開けられようとしていることに気づきます。
再び家族が奪われようとしているように宇津帆は感じたのかもしれません。
そもそも彼は他人の家族を食い物にしているわけですから、都合がいいことこの上ないわけですが、そこは彼の中では成立しているというのが、アンビバレントな異常性なのだと思います。
ヒナコに対しての愛情と残酷性もそうですが、ある意味人間の情の深さみたいなものを持ちすぎた男だったのかもしれません。
そういう意味で感情がほぼ抑えられているファブルとも対照的な存在であるように思えました。
アクションも見応えあり、ドラマとしても堪能できたので、今後もシリーズとして展開してくれてもらえると嬉しいです。

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2021年7月 8日 (木)

「それいけ!アンパンマン ふわふわフワリーと雲の国」 アンパンマン卒業?

毎年夏休み前に公開される「アンパンマン」の映画ですが、昨年は多くの作品と同様に公開延期となり、結局1年遅れでの公開となりました。
前作と引き続き、娘と見に行ってきました。
「アンパンマン」の映画は娘にとって初めて劇場で見た作品ですので、感慨深いです。
と思っているのは親だけで、今年は娘は今までとちょっと違っていました。
私「アンパンマンの映画やるってよ。一緒に見に行こうか」
娘「行ってもいいよ」
・・・なんか違うぞ。
前回までは「行くっ!」って感じだったのに。
「プリキュア」を見に行った時は「行く行くっ!」だったので、映画が嫌いになったわけではないのです。
考えれば娘ももう4歳、「アンパンマン」はもう卒業なのかもしれないですね。
こんなところで娘の成長を感じる私でした。
映画の方は意外にもアンパンマンではなくドキンちゃんが主役のお話でした。
こういうアプローチもあるのですね。
ドキンちゃんは「アンパンマン」の中でも人気があるキャラクターの一人です。
ちょっとわがままだけど自分に素直で、感受性も高くて、優しいところもあって、なんか憎めない。
娘も好きなキャラクターの一人です。
私からするとなんか娘を見ているような感じもするキャラクターですね。
本作はドキンちゃんが赤ちゃんの雲の子フワリーと出会い、育てて、最後は別れが来るというお話。
娘も4歳になると、年下の子のお世話をしたがったりするお年頃。
なんかドキンちゃんには共感した様子。
でも、もう「アンパンマン」は卒業なので、来年は一緒に来ることはないんでしょうね。

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2021年6月17日 (木)

「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」 内包する矛盾

コロナのため度重なる公開延期の憂き目にあった「閃光のハサウェイ」ですが、ようやく公開されました。
「逆襲のシャア」以降の宇宙世紀の歴史を描いていこうとする「UC NexT 0100」プロジェクトの一つです。
タイトルのハサウェイはあのブライト・ノアの息子である主人公の名です。
彼は多感な13歳の時に初恋の人の死、また自ら手をかけて人を殺めるという経験をしました。
またアムロとシャアという先駆的なニュータイプ同士の戦いも間近で見ました。
彼は二人の遺産を継ぐ存在となったのです。
アムロからは「ガンダム」を、シャアからは「地球の保全」という意志を。
これはハサウェイの中に二つの対立する要素を内包することになったのだと思います。
本作の中でもハサウェイは地球環境を守るためにテロすら厭わないという意志を持ちつつも、目の前で苦しむ人を救いたいという気持ちの間で揺れ動きます。
本作ではモビルスーツ戦の視点が今までと違う印象を受けました。
後半、市街地での戦闘が描かれますが、視点が地上の人からの視点であることが多いのです。
通常、このようなモビルスーツ同士の戦いの視点はパイロット視点であったり、客観視点であるわけですが、それとは違う。
モビルスーツが人間よりも非常に大きな兵器であり、それが街を破壊し、人々を追いやることが今まで以上に感じられ流のです。
その視点の多くはハサウェイからのものでもあります。
彼はこの戦闘の仕掛け人でありながらも、それを被害者の目線で見ているわけですね。
矛盾のある視点なのす。
目の前で人が苦しむのはそもそも彼らのテロが原因であり、この矛盾を彼は内包しているのです。
この物語がどのように展開していくのかは原作を読んでいないので知らないのですが、彼が内包する矛盾が彼を追いやっていくような予感があります。
本作に登場するΞガンダム、ペーネロペーともに異形のガンダムでした。
設定的にはミノフスキーフライトを装備しているため、あれほど大型化したということで、やはり機動している動きは他のモビルスーツとは違いましたね。
とはいえ、もう少し見てみたいという気分もありましたが、一作目ということで控えめでした。
ここは次回作に期待ということでしょうか。

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