2019年6月29日 (土)

「スノー・ロワイヤル」 オヤジ、暴走する

明らかに配給会社は意識していたと思いますが、予告編から受ける印象は同じくリーアム・ニーソン主演の「96時間」。
あの作品は面白かった。
中年というよりは熟年と言ってもいい年頃の男が主人公ながら、キレキレのアクション映画となっていたのが、新鮮でした。
リーアム・ニーソンは「シンドラーのリスト」で名前が知れ渡るようになっていましたので、それまでアクションというイメージはあまりなかったと思います。
しかし、「96時間」以降はアクション映画に数多く出演し、このジャンルのイメージが強くなりました。
ですので、本作も予告を観た時は「96時間」的なアクション映画という印象を受けました。
確かに本作はアクション映画なのですが、観ていると途中から何か座りが悪いようなシュールな印象を受けます。
アクション映画の構造というのは実は単純で、基本的には主人公にとって許しがたい敵を、どうにかして最後はやっつけるという展開なのですね。
しかし、本作はその構造がこれがややずれています。
基本的にはこの作品は主人公は殺された息子の復讐劇となっています。
通常のアクション映画であれば、息子を殺した犯人側が主人公に対抗していくことにより物語は展開していくと思います。
しかし、本作は違う。
主人公は真犯人を追っていくのですが、その過程での殺しを、舞台となる街で対抗するマフィア同士が互いの仕業であると勘違いをし、大きな抗争へ発展してしまいます。
つまり主人公の行動が起点とはなっているのですが、どんどん展開があらぬ方向に転がっていってしまうのです。
主人公の思惑とは関係がないところで、築かれる累々とした死体の山。
不条理と言うべきか、シュール言うべきか。
アメリカの評論では「『96時間』をタランティーノが撮ったらこうなる」というものがあったようですが、言わんとしている事はわかります。
個人的にはタランティーノはそれほど得意な方ではないので、本作についても後味すっきりな感じが少なく、苦手な感じはしました。
上でも書いたアクション映画の定石からややずれるというところが座りの悪いと感じたところなのですが、それこそがこの作品の特徴であるとも言えます。
この展開を、この感覚を楽しめるかどうかで、この作品の評価が分かれると思います。

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2019年4月20日 (土)

「シャザム!」 DCも快進撃中!

一時はマーベルに遅れをとっていた感もあったDCですが、「ワンダーウーマン」「アクアマン」と当ててきて、勢いがついてきている気がします。
マーベル・シネマティック・ユニバースに対抗し、現在DCはDCエクステンデッド・ユニバースを展開していますが、最近はややユニバースとしての縛りを緩めてきていると思います。
初期のDCエクステンデッド・ユニバースは非常にザック・スナイダーの個性が強く出ていたがために、それぞれのヒーローの個性がやや抑えられていたようにも感じます。
これはMCUが一つの大河ドラマとして機能しつつも、それぞれの作品についてはチャレンジングな監督起用をすることにより、単独作品としての個性も大切にするということと対照的です。
最近ヒットしているDC作品については以前よりも、それぞれのヒーローの世界観を重視しているように思え、それが観客にも受け入れられうまくいっているように感じられます。
そのような流れの中での本作「シャザム!」です。
初期のDCエクステンデッド・ユニバースのザック・スナイダー的なダークなトーンとは全く相いれない作品の登場です。
個性的という点ではマーベル映画の中の「デットプール」的な位置付けじゃないですかね(あっちほど下品ではないですが)。
本作はスーパーヒーローものと言いつつも、基本的にはコメディであり、スーパーヒーローのパロディとも言えます。
ですので、スーパーヒーロー作品への造詣が深いほど楽しめる作品になっています(しかし、知らなくても全く問題がない)。
本作のヒーロー、シャザムの姿はまさに古典的なヒーローそのもの。
ムキムキ筋肉にぴっちりタイツ、そしてマント。
ぶっちゃけこれはスーパーマンのパロディです。
しかしこの作品がイケてるのは、いかにもヒーローなその姿に宿っている精神が14歳の少年であるということです。
シャザムはスーパーパワーを持っていますが、中身は14歳の少年なので、いたずらなどにも使っちゃう。
見かけと精神のアンバランスさが本作のコメディのエッセンスです。
肉体と精神が入れ替わったりでアンバランスな行動が笑いとなるというのは様々にありますが、それをヒーロー映画でやったのが新しいところですね。
コメディ映画とはなりますが、ヒーロー映画としてもしっかりとしています。
シャザムの力を受け継いだ少年ビリーはその力の意味を全く分かっていませんでした。
しかしスパイダーマンの「大いなる力には大いなる責任が伴う」ではないですが、その力がことによれば人を傷つけ、そしてまた人を救うことができるということに気づきます。
また彼の力を奪おうとするヴィランが登場し、彼自身が何のためにその力を使いたいのかということを考えるきっかけを与えます。
彼はその力を身近な大切な人を守りたいという決心をするわけですが、そこはヒーロー映画らしい胸が熱くなる展開となっています。
最後のヴィランとの対決についても、あっと驚くような展開となります(ネタバレになるので書きません)。
主人公ビリーの境遇やシャザムの力の謎などの設定が一気に回収されるので、この辺も小気味いいですね。
マーベルに負けず劣らず、DCも快進撃を続けています。
次にも期待ですね。

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2019年3月24日 (日)

「スパイダーマン:スパイダーバース」奇手でありながら王道

まずこの作品を評価するにあたり最も重要な点はその映像表現でしょう。
まるでアメコミのテイストがそのままアニメーションとなって動き出したかのようです。
それだけでなく、カメラワークなどは実写よりもさらに大胆でアニメーションでなくてはできない動きをしていました。
マイルズがピーター・B・パーカーを抱えながらスイング(というか引きづられている)シークエンスなどは実写じゃできないと思います。
技術的にできないというよりはアニメ的な誇張表現なためです。
それによりとてもポップで、ハイテンポ、かつユーモアのある作品に仕上がっています。
あまりこのようなテイストのアニメーションは見たことがなく、アニメの表現として一つの可能性を切り開いたような気がします。
いわゆるジャパニメーションやディズニーのアニメとはまた違った可能性が提示されたということで画期的であったと思います。
マルチバースを正面切って扱った点も興味深いですね。
アメコミでは一つのキャラクターを長い間使い回す(言い方が悪いけれど)際にマルチバースという概念を都合よく使ったりします。
マルチバースとはいわゆる多元宇宙というものですね。
もしスパイダーマンの物語が一つしかなかった場合、後から作られる作品はどうしてもその前提を守っていかなければ話として成立しません。
それを回避するためにスパイダーマンがいる宇宙が無数にあるという考え方にし、スパイダーマンのいる様々な物語が無数にあるというのがマルチバースの考え方です。
都合がいいと言えばそうなのですが、ファン的にはずっとそのヒーローの活躍を見ることができるので、出版社的にもファン的にもWinWinな考え方なのでしょうね。
日本でいうと平成仮面ライダーのシリーズはちょっと考え方が近いかもしれないです。
「ディケイド」や現在放映中の「ジオウ」などはスパイダーバース的な考え方とも言えなくもありません。
アニメであること、多元宇宙を扱っていることということでこの作品はどちらかというと「スパイダーマン」の映画としては奇手のように感じるところもあるかもしれませんが、とは言え「スパイダーマン」としての王道は外していません。
主人公はマイルスはある日蜘蛛に噛まれてスパイダーマンの能力を得ます。
彼はその能力をどうするべきかがわからない。
「スパイダーマン」というシリーズは特殊な能力を得た若者がその力をどのように使うべきかを悩み、そしてかけがえのない人の死によって人々のために使おうと自覚するということがきっかけになり、ヒーローとして覚醒するのです。
まさに本作は正しく「スパイダーマン」の物語でありました。
マイルスは慕っていた叔父の死、そしてまた別世界から来たピーター・B・パーカーら仲間のスパイダーマンたちとの別れを通じて、スパイダーマンとして生きることを決意します。
まさに「大いなる力には、大いなる責任が伴う」ということを自覚したわけです。
これは少年が自分の生きる道を見つける物語でもありました。
「スパイダーマン:スパイダーバース」は奇手に見えながら王道であった作品だと思います。

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2019年3月21日 (木)

「映画しまじろう しまじろうとうるるのヒーローランド」 娘の映画体験記第2弾

昨年の「アンパンマン」の映画に引き続き、娘との映画体験第二弾です。
半年前は2歳になったばっかりで、さすがにおとなしく座って見ることができませんでしたが、今回ははたしてどうだったでしょうか。
劇場に入るときに、映画を見ながら使う紙のメガホンを手渡されます。
半年前は同じようなグッズをもらっても、本人は何に使うのかよくわかっていないようでしたが、今回は違いました。
映画が始まる前から口にメガホンをあてて、「しまじろう〜!」と叫んでました。
ずいぶん理解力が上がっています。
椅子にも最初はおとなしく座っていて、映画が始まるのをワクワクして待っている様子。
本編始まる前の予告の間から「まだかな、まだかな」と言っていました。
こういうのは半年前はなかったですね。
「しまじろう」の映画は歌っても踊ってもOKということになっているので、そういう説明が入ります。
娘も「しまじろう〜」と声を上げていました。
いよいよ本編が始まります。
正直、お話としてはたわいがありません。
同じ幼児向けの作品として「アンパンマン」と比べると、向こうの方がストーリーとしても良くできていると思いました。
こちらとしてはかなり寝落ちしそうな状況でしたが、娘の様子をみると食い入るようにみています。
この半年くらいで映画のストーリーの理解もかなりできるようになった気がします。
実は「しまじろう」の映画は途中でトイレ休憩が入ります。
全部でも1時間もない作品だとは思いますが、ウチ的にはこれはちょっと余計な配慮かなと。
せっかくストーリーに入り込んで見ていたのに、途中休憩のせいで娘の集中力が切れました。
後半はメガホンで応援やら歌ったり踊ったりという要素も入ってくるんですが、席に落ち着いて座れなくなってしまいました。
まだまだだな、娘よ。
最後は他の子と一緒に映画館の通路を走り回る始末。
「しまじろう」の映画だから許されるが、まだまだ他の映画には連れていけないな。
次の「アンパンマン」の映画の時まで、おとなしく見れるようになっているといいけれど。
映画が終わって他の方々が劇場を出ているのに、私は駆け回る娘をつかまえるべく走っておりました。
ああ・・・。    

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2019年3月 2日 (土)

「サムライマラソン」時代劇の魅力を引き出せていない

佐藤健さん主演で、外国人のバーナード・ローズが監督の時代劇「サムライマラソン」。
演技にストイックな佐藤さん、そして外国人の目線で描くということで新しい時代劇になりそうな予感がし、期待して見に行きました。
見終わった時の印象をひとことで言うと凡庸であったということです。
時代劇というジャンルに期待される要素には様々なものがあると思います。
エンターテイメント的な部分で言えばチャンバラ。
佐藤健さんが緋村剣心を演じた「るろうに剣心」は新時代のチャンバラを創出した作品であったと思います。
逆に日本人の心情を描くというのも時代劇の真骨頂だと思います。
山田洋次監督の時代劇三部作などは、殺陣などはあまりない静かな作品ですが、日本人の精神を描けていたと思います。
他にも時代劇の魅力はいくつもあって、いい時代劇というのはそれらをうまく捉え、新しい視点で進化させていったものだと思います。
そういうことを私は「サムライマラソン」に期待していたのですが、あまりそのような印象を持つことはできなかったですね。
いろいろなことを大切に思い作っていることは伝わります。
主人公の甚内は隠密ですから、その素性を明らかにすることはできません。
人々の中に紛れ、目立つことなく生きなければなりません。
そういうことを理解した佐藤さんのストイックな演技もあり、この主人公は劇中でとても静かで目立つことがありません。
それゆえ、物語をドライブしていく役回りには少々辛い。
それを解決する役が雪姫なのだと思いますが、こちらはリアルに隠密というものを追いかけた甚内という役に比べると、とてもファンタジーな印象があります。
囲われた姫が城を逃げ出し、男装して遠足に参加する。
「バレるだろ!」とツッコミを入れたくなりますが、そのあたりは触れないこととなっています。
甚内が知らない隠密が安中藩に紛れ込んでいて、彼らもそれぞれに動き始めているが、それが誰かはわからないというのはミステリー仕立てで面白い設定だと思いましたが、そこはあまり引っ張られなかったですね。
甚内の生き様みたいなものをもっと深掘りすれば、日本人の伝統的な精神などを描けたかもしれません。
殺陣も緊迫感のある場面もありましたけれども、ほんの一瞬なので、それだけではちょっと食い足りない。
ちょいちょいと時代劇として面白そうになる要素はあるものの、いずれも中途半端であるという印象です。
もったいないです。

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2018年12月30日 (日)

「シュガー・ラッシュ:オンライン」 擬似親子関係

前作「シュガー・ラッシュ」は懐かしのアーケードゲームを題材にしていましたが、続編である本作は、時代の必然でインターネットがテーマ。
現代の生活には欠かせないあの企業やこの企業も登場します。
しかしながらGAFAのうちF◯cebookやA◯pleは登場していなかったですが、いろいろ権利系が整理できなかったのかしらん。
インターネットの仕組みを、擬人化したり何かに模したりするアイデアはよくできていましたね。
検索エンジンを模したノウズモアが、一こと言うたびになにか先回りして検索結果を言おうとするのはなかなか俊逸でした。
パケット通信もほんとにパケットでデータが送られているようで面白かったです。

予告編ではディズニープリンセスたちが登場する楽屋落ちネタ(まさに楽屋が舞台だったのだが)にスポットが当たっていたので、そういうマニア向けのネタ系の作品となっているかと思っていたら、豈に図らんや親子の愛情が感じられる物語でした。
もちろん主人公のヴァネロペとラルフは友人であるのですが、本作で描かれる二人の関係は擬似親子そのものでした。
ラルフはまさに父親そのもの。
かわいい娘と幸せに暮らしていければそれば一番いい。
彼女のために自分が頑張れることが生きがい。
私も幼い娘がいるのですごくこの気持ちはわかります。
けれども彼にとって擬似的な娘であるヴァネロペは、若く成長していこうとしています。
新しく刺激的なものに心を惹かれ、自分がもっと成長できる場を求めていきます。
しかし、それはすなわち居心地の良い親の元を離れ、外の世界に飛び出していくということ。
ヴァネロペは外に飛び出すことには躊躇がありません。
逆に自分を大切に思ってくれるラルフの気持ちはわかるものの、それを自分を縛りつけるもののようにも感じてしまいます。
ラルフからすれば、危なっかしい外の世界に飛び込んでいこうとするヴァネロペの行動が心配で仕方がない。
彼女の気持ちもわからないわけではないので、とても不器用なやり方で彼女を止めようとしたりします。
まさにラルフは不器用な父親ですよね。
自分の娘はまだまだ甘えん坊なので、親元を離れるなんて随分先のような感じもしますが、あと十数年経ったらそういうこともあるのだと思うとちょっと寂しい気持ちにもなります。
父親目線でラルフの気持ちにすごく共感してしまいました。

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2018年12月 1日 (土)

「スマホを落としただけなのに」 命の次に大事なもの

現代社会の命の次に一番大事なものといったら確かにスマホかもしれません。
多くの人がそう思っているのではないでしょうか。
今や、手帳にスケジュールを書き込むこともしない、知り合いの連絡先はすべてスマホ、写真などのプライベートな記録もスマホに。
自分に関わる多くのことがスマホの中に入っています。
これを落としたりなどしたら・・・。
ちょっと恐ろしくなってしまいます。
そしてそれを拾った人が悪意を持っていたとしたら・・・ゾゾッ。
その恐ろしさを描いたのが、本作「スマホをおとしただけなのに」です。

<一部、ネタバレ的なところがあります>

ちょっと前に知り合いがFacebookのアカウントを乗っ取られて、なりすましで
「ともだち」にいくつもメッセージを送っていたということがありました。
なりすましは話には聞いてはいましたが、身近で起こるとちょっと薄気味悪くなりました。
乗っ取りの手口はけっこう巧妙で、本作の劇中でもあったようにログインのパスワードまで相手に変えられてしまったということです。
恐ろしい・・・。
あまり使っていないアカウントはそういうことになりやすいようなので(本人に気づかれにくいので)、アカウントを持っているならしばしば使うようにした方がいいかもしれません。

映画としてはシンプルに楽しめるサスペンスとなっていました。
スマホという現代人にとって欠かせないアイテムを中心に事件が進んでいくので、観ている人は自分の身にも同じようなことが起こるかもしれないという恐ろしさを感じながら観ることができると思います。
そういう意味で共感性の高い題材であったと思います。
また後半はサイコスリラー的な要素やミスリードや入れ替わりトリックなどミステリー要素もあり、サスペンスとしても素直に楽しめます。
ただそれほど複雑なことをしていないので、ミステリーに馴染みがない方でも楽しみやすいかと思います。
北川景子さんは当然前から知っていていくつも作品は観ていてはいるのですが、綺麗だなと思うことはあっても、すごく演技がうまいという印象ではありませんでした。
しかし、本作の中での恐怖表情はなかなかのものであったと思います。
もともと美人であるからこそ、すさまじい恐怖に襲われているときの表情が落差があっていい。
とてもホラームービーに向いている女優さんなのではないかと思いました(褒め言葉です)。
成田凌さんは今までほとんど作品を観たことがなかったのですが、サイコな犯人役はぶっ飛んでいてよかったです。
ほんとにアブナイ奴っぽい臭いがプンプンしていました。
北川さんにしても成田さんにしても、ふつうの邦画としてはくどい演技ではあると思うのですが、非日常であるホラー、サスペンス映画としては合っていると思います。
特に本作は日常的なパートがほとんどで後半で急にサスペンス色が強まるので、非日常的な落差を強調するためにも二人の演技はマッチしていると感じました。

ちなみに個人的にはスマホの中だけにしか様々なデータを置いておくと、無くしたり壊したりしたときにほんと死ぬほどがっくりくるので、多くのデータはクラウド上に置くようにしています。

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2018年10月14日 (日)

「SUNNY 強い気持ち・強い愛」 コギャル文化の特殊性

公開開始後ずいぶん経ってから劇場に行きました。
お客さんは7〜8割くらいは女性だったと思います。
1990年代「コギャル」と呼ばれた女子高生たちがイキイキと文化を牽引していた時代。
そんな時代に「SUNNY」という仲良しグループを結成していた女子高生たち。
それから20数年経ち、彼女たちは一人の仲間をきっかけにして再開します。
隣に座っていた女性は、かなり前半から泣いていました。
確かに、主人公ががんを宣告された友人に出会い、それから他の仲間たちを探していく中で、心に響くエピソードはあります。
けれど泣くほどではなかったと感じたのですが、よくよく考えてみると「あの時代」を自分ゴトとして受け止められるか否かがこの作品の評価につながるのではないかと思いました。
隣の女性は(しっかり顔を見たわけではないですが)30〜40くらいの方だったように思います。
ちょうど主人公くらいの年齢だったのかもしれません。
彼女はちょうど「あの時代」を生きていた人だったのかも。
私は90年代は社会人になったばかりの頃で、「コギャル」と呼ばれた女子高生たちのスタイルは、自分からしてすでに異世界な文化に見えました。
彼女たちの象徴的なアイテムとしてルーズソックスがありますが、なんであれがカワイイのかがわからなかったですからね。
足首の太さを隠すためじゃないかと邪推したものです。
本作に登場する女子高生たちを見ていても「確かにこんな感じの娘たちはいたな」とは思いますが、自分が懐かしむような感覚は持てませんでした。
映画で過去のある時代を描く話というのはいくつもありますが、それによって共感性がないというわけはありません。
例えば自分自身は80年代がティーンだったわけですが、60年代を描いているからといって感動しないわけじゃない。
何かしら時代とは関係がない共通の感覚があって、それが共感性を引き出すのだと思います。
しかし、本作でいうと「コギャル」という存在が文化的にかなり特殊であるというように描かれていて、他の時代を生きた人からすると、その特異性により共感が阻害されているのではないかと感じました。
もちろん普遍的な人の気持ちが描かれていないわけではありません。
ジンとくる場面もいくつかありましたが、でもコギャルの圧倒的な存在感にちょっとひいてしまう感じがしました。
唯一登場キャラクターで共感しやすかったのは奈々でした。
彼女はコギャル文化の中に生きながらも何か冷めたところも持っている子であったので、逆に自分からするとわかりやすく、なじみやすいところがありました。
演じる池田エライザは演技をするのはほとんど初めて見ましたが、いいですね。
モデルをやっている女子高生という役柄ですので、それにあった存在感がありましたし、少し影のある役も似合っていたと思います。
「コギャル」文化の特殊性が際立っているため、個人的には共感が薄かったと書きましたが、この時代をリアルタイムで高校生として過ごしていた方が見たら、違って捉えるのでしょうね。
自分の奥さんはこの時代を生きた人なので、見せて感想を聞いてみたいと思いました。

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2018年9月22日 (土)

「スカイスクレイパー」 粘着テープはなんでもできる

これからは一家に一つは粘着テープは常備ですね!
これはこの映画を観れば、何を言っているかわかります(笑)。
一つだけ言うと、「ミッション:インポッシブル」のトム・クルーズはハイテクの吸盤グローブでしたが、本作のドゥエイン・ジョンソンはローテクの粘着テープってこと。
ドゥエイン・ジョンソン主演のアクション大作なので、細かいことは言いっこなしで楽しむのが良いですね。
ビルの中にテロリストたちが侵入し、その中に閉じ込められた男が家族のために孤軍奮闘するというお話は、かの名作「ダイ・ハード」を彷彿させます。
本作は「ダイ・ハード」ほど脚本が練り上げられているわけではなく、もっとストーリーは荒っぽい。
ストーリーもアクションも見た目も、大衆的なウケを意識しているように派手なのですよね。
これは製作しているレジェンダリーフィルムの元々の傾向ではあるのですが、中国企業に買収されてからは益々その傾向は強まっている気がしますね。
彼の国ではこういうタイプの映画が受ける傾向があります。
それはさておき、本作では”ロック様”が巨体と溢れんばかりの愛を駆使して、ありえないことを成し遂げる姿を堪能するべきでしょう。
いつしかこの方は大衆向けアクション映画のヒーローになりましたよね。
ドゥエイン・ジョンソンはタフネスさと同時に、優しさを感じさせるところがちょっと他の人とは異なるところでしょうか。
大きな体による包容力というか、守られている感じがするというか、そんな頼り甲斐があるのですよね。
この人なら絶対守ってくれる!という感じがします。
それがどんな無理筋の状況でも安心して観れる所以でしょうか。
あまり考えず”ロック様”の愛に身を委ねるのが良いでしょう。
ただし、高所恐怖症の方は要注意。
私は高いところ苦手なので、途中は非常にお尻のあたりがムズムズするような場面がありました(汗)。

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2018年9月17日 (月)

「ザ・プレデター」 矮小化されていくプレデター

「プレデター」シリーズというのは、もともとB級の映画ではあるのですが、今回のはB級にすら到達していなかったような。
オリジナルの「プレデター」も映画としては、少々乱暴なつくりなのですよね。
前半は「エイリアン」的な未知の生物に襲われ追い込まれていくサスペンス感があり、後半はシュワルツェネッガーらしい「コマンドー」なテイスト。
当たった映画のエッセンスをくっ付けたようで、前半、後半でややトーンが変わっているところが乱暴な感じを受けるところなのですが、プレデターというキャラクターの唯一無二なオリジナリティが雑さを補って余りあるのですよね。
荒っぽいつくりなところがB級映画らしい所以で、だからこそ愛すべき作品になっていると思います。
実際初めて見たときはそれほどぐっとこなかったのですが、何度も観て好きになっちゃったんですよね。
「プレデター2」はシリーズの中では一番好きな作品なのですが、それはこれが一番ストーリーとしてはしっかりとしているから。
人間がプレデターに狩られるというエッセンスは保ったままで、プレデターとは何なのか?という謎に迫ろうとしているのがこの2作目です。
一作目はそもそもシリーズ化しようなどという意図はなかったでしょうからプレデターという存在にはほとんど説明はありません。
獰猛でありながら、知恵とテクノロジーを持った狩猟者。
そこだけ。
しかし、「プレデター2」によってプレデターの設定がしっかりと成された。
それがその後のシリーズ展開に繋がっていきます。
しかし、その後のシリーズは卓越したものはなかったように思います。
「エイリアンVSプレデター」の2作品は映画のシチュエーションとしては驚きましたし楽しめましたが、それだけと言えば、それだけ。
どちらかと言えば、イベントムービーのような趣だったと思います。
「プレデターズ」は観た時は楽しんだと思うのですが、何年か経つとさっぱりストーリーが思い出せない。
あまり印象的な作品ではなかったようです。
さて本作「ザ・プレデター」ですが、観ている時から新しさは感じなかったですね。
アクションはそれなり、キャラクターもそれなりでこれといった惹きつけられるポイントがありませんでした。
「AVP」的なイベント感もありませんでしたし。
たぶんストーリーと設定がいけなかったのではないでしょうか。
戦うために進化していくという設定は、どこかで既視感があります。
プレデターのライバルのエイリアンがそうなのですよね。
あちらも人間の遺伝子を取り込んだハイブリッドが登場しています。
あちらにも通じることなのですが、人間の遺伝子を取り込んで最強になるなんて、人間が一番と思っている思想なのではと思ったりもします。
人間など歯牙にも掛けないモノだからこそ、恐ろしいわけなのですよね。
人間と通じるところが出てくると急に矮小化してしまう。
いくら3メーターのプレデターといっても倒せそうな気がしちゃうわけです。
最初のプレデターは絶対倒せなさそうでしたもん(あれはシュワルツェネッガーだから倒せた!)。
そういう圧倒的な感じがなくなってしまったから、このシリーズはだんだんとこじんまりとしてきたのではないでしょうか。
人間がおよびもつかない存在であるということがやはり緊張感を生み出す。
そう言えば「ゴジラ」もそうでしたね。

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