2022年7月18日 (月)

「ソー:ラブ&サンダー」トラウマとの対峙

MCUのフェーズ4はそれまでのフェーズに比べると方向性が定まっていないという批判があります。
先般マーベルのプロデューサーが「フェーズ4はインフィニティ・ウォーやエンドゲームの事件から受けたトラウマにキャラクターが向き合うことがテーマ」といった趣旨のことを話していました。
これはとても腑に落ちる内容です。
確かに「ワンダビジョン」「マルチバース・オブ・マッドネス」はワンダがヴィジョンや子供たちを失ったことをどうしても諦めきれないことが起因となっていますし、「ノー・ウェイ・ホーム」も師であるトニー無き後にヒーローとして覚悟を決めるスパイダーマンを描いています。
他にも「ファルコン&ウィンター・ソルジャー」「ブラック・ウィドゥ」なども多かれ少なかれそのテーマが織り込まれています。
そして本作「ソー:ラブ&サンダー」もそのテーマは強く描かれています。
ソーは数々の戦いの中、多くの愛するものを失ってきました。
母、父、そして弟。
そのためいつしか彼は戦いを疎うようになりました。
しかし、神を次々に殺していく”神殺しの”ゴアも登場により否応なく再び戦いにソーは向き合っていきます。
クリスチャン・ベール演じるゴアも愛する娘を神のために失ってしまった男です。
彼は神を殺せる剣を持ち、神々へ復讐を行います(とはいえ、彼の真の目的は他にあることが広範で明らかになります)。
ソーとゴアは共に愛するものを失った者であり、方や戦いを避け、方や戦いを巻き起こす者となった対照的であると言えるかと思います。
まさにタイトルにある愛=ラブが本作の主題であることがわかります。
もう一つの愛が描かれます。
かつてソーの恋人であったジェーンの再登場です。
彼女は成功を収めた学者となりましたが、末期がんとなり余命幾許もないことがわかりました。
しかし、ニューアスガルドにある破壊されたムジョルニアの前に立った時、その力を得て、マイティー・ソーとなったのです。
彼女はムジョルニアを手にしている時はその力により、がんを抑え込み屈強な体となっていますが、手放すと病に侵された状態に戻ってしまいます。
ジェーンは手にした力で人々を救い、そしてソーとともにゴアと戦います。
彼女はそれによって生を実感し、その命尽きるまで懸命に生きようとします。
ソーもそんな彼女の運命を知った時、共に戦うことを選択します。
愛はいつか失われるかもしれない。
それが怖いからといって何も動かないというのは良きことなのか。
ジェーンの生き様を見て、生あるかぎり、懸命に生きて愛していこうとソーは思ったのではないでしょうか。
フェーズ3の後半からこれまでソーは力がありながらもずっと逃げてきていたのかもしれません。
ある意味、彼はヒーローとしてようやく一皮剥けたかもしれません。
<ここからネタバレあり>
ジェーンを演じたナタリー・ポートマンのマイティ・ソーは素晴らしかったです。
美しくかつ、逞しく。
もっと彼女の姿を見ていたかったですが、そうもいかないようです。
ただ一つの慰めは彼女もアスガルドの神々が死後暮らす場所に行ったようなので、いつか再びソーと出会えることになるであるということですね。
ヴィランであるゴアも深いキャラクターでありました。
彼の本当の狙いは神々への復讐ではなく、愛する娘の復活でした。
自分の命と引き換えに復活させた娘がラブとなり、ソーが親として育てていくことになるとは意外な結末でした。
それでタイトルが「ラブ&サンダー」なのですね。
「ソーは戻ってくる」とあったので、次回はこのコンビの作品が見られるということでしょうか。
ラブを演じていた女の子はソー役のクリス・ヘムズワースの実の子供だそうです。
息の合ったコンビになりそうなので、期待したいです。
監督のタイカ・ワイティティの演出の演出のさじ加減も良かったです。
評価が高い「バトルロワイヤル」は初めてのタイカの作品だったので、見ていて戸惑いがありました。
テイストが大きく変わったためです。
しかし、それから彼の他の作品も見る中で、彼独特のテイストが好きになりました。
そのため本作は非常に楽しめました。
彼の作品は現実の過酷な部分と面白おかしいコメディの部分の両方が入っているのが特徴です。
一見合わない要素なのですが、彼の作品はそのバランスが絶妙で、それぞれがぶつかるのではなく、お互いに高め合うような感じがするのですね。
「ジョジョ・ラビット」などはその印象が強かったですが、本作も同じようなテイストを感じました。
タイカは「スター・ウォーズ」の映画も企画しているとのこと。
「スター・ウォーズ」はディズニー配信も含め、色々作られていますが、MCUのようなエネルギーを個人的に感じられていません。
お約束ごとが多い中で、こじんまりしているようにも感じます。
タイカであればそのようなお約束ごとを蹴散らしてくれるような気がします。

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2022年7月10日 (日)

「ザ・ロストシティ」 80年代の懐かしさを感じる

懐かしい香りのする作品でした。
80年代「レイダース」以降、「ロマンシング・ストーン」など秘宝探検アドベンチャーのジャンルが多く作られましたが、その当時の感覚が蘇ります。
そのジャンルの中でひとつ大きな特徴であったのが、主人公男女の間のロマンティックコメディ的な要素でした。
「インディ」シリーズの中でも特に「魔宮の伝説」でのインディとウィリーのやりとりもそうでしたし、「ロマンシング・ストーン」などは全編コメディの要素が強かったと思います。
本作では女性が主人公で男性(見栄えがいいだけのモデル)が添え物的な扱いなのが現代的ではありますが、基本的には80年代のアドベンチャーコメディの要素が色濃く出ていると思います。
その主人公ロレッタを演じるのがサンドラ・ブロック。
サンドラ・ブロックが一般的に名前が売れたのはキアヌ・リーブスと一緒に出演した「スピード」ですが、その中で彼女が演じたアニーもコケティッシュな魅力があったキャラクターでした。
そのためかサンドラはシリアスよりもコケティッシュでチャーミングな女性がマッチするイメージが強いです。
ですので、本作のようなキャラクターは彼女にベストマッチだと思います。
それもそのはずで本作のプロデューサーに彼女も名を連ねていますので、自身でも自分の強みを理解してこの作品を作ったのだと思われます。
作品としては冒頭に書いた通り、80年代のアドベンチャーコメディの懐かしさは味わえたものの、そのせいか特段に目を引くようなところもないというのが正直なところです。
ブラッド・ピットが非常に勿体無い使われ方をしているのが、面白かったですけれどね!
今度日本で公開されるブラッド・ピット主演の「ブレット・トレイン」にサンドラ・ブロックが出演しているので、その縁で出たということらしいです。

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2022年5月15日 (日)

「シン・ウルトラマン」 オリジナルへのリスペクト溢れる

小学生の頃、怪獣ブーム(再放送で見ていた世代)であったので、「ウルトラマン」には相当な思い入れがあります。
「レオ」までの怪獣はほぼ名前を言えるのではないでしょうか。
「シン・ウルトラマン」の脚本の庵野さん、監督の樋口さんは私よりもちょっと上の世代で、リアルタイムで見れていると思います。
庵野さんが「ウルトラマン」に対して強い思いを持っているのは、大学生の頃に自主映画で「ウルトラマン」を作っていたことからも有名です。
私も大学生になっても特撮好きだったので、庵野さんの自主映画は伝説的な作品として語り草になっていました。
「シン・ゴジラ」で一般的にもメジャーになった庵野さん、平成「ガメラ」でリアリティのある怪獣映画を撮った樋口さんがどのように「ウルトラマン」を新作として作り上げるか、期待がありました。
同時に不安もありました。
いわゆるリブートは旧作を現代的に作り直すという場合と、新解釈をして再構成するという場合がありますが、本作はどちらだろうか?ということですね。
新解釈の場合は、自分の大切にしていたものと違う時、期待を裏切られる可能性があります。
結論から言えば、本作は旧作を大切にしながら現代的にアップデートするという前者の作りであり、非常にオリジナルに対するリスペクトあふれるものでした。
前半戦は次々に日本を襲う禍威獣たちとそれに対抗する禍特対を描きます。
BGMはオリジナルの「ウルトラマン」のものばかりで当時の記憶が蘇ります。
ちなみに選曲は庵野さんが手がけていて、彼のこだわりぶりが感じられます。
個人的にこの場面でこの曲を選ぶという感覚がドンピシャでした。
ザラブのニセウルトラマンやメフィラスの人間巨大化など、印象的なエピソードも踏襲していました。
あの当時も衝撃的でしたが、それを現代の技術で再現するのは感無量ですね。
一番リスペクトを感じたのはウルトラマンという人格を描いたというところです。
第二次怪獣ブームは第二次変身ブームと言われることもあり、同時期には「仮面ライダー」も放送されていました。
「仮面ライダー」はまさに「変身」であり、ある人格(例えば本郷猛)が姿を変えて仮面ライダーになりますが、人格はそのまま本郷猛のままです。
これは当たり前のようですが、「ウルトラマン」では異なります。
ベータカプセルを使用する前はハヤタ隊員ですが、ウルトラマンになった後はハヤタの人格が残っているかはよくわかりません。
人格がないわけではない(首を傾げたりする仕草があったり、子供たちのことを考えて怪獣を倒さなかったりするので)とは思いますが、ハヤタと同一人格かはよくわかりません。
つまりウルトラマンの人格はよくわからないのが、オリジナルの「ウルトラマン」なのです。
本作でもウルトラマンと神永は「融合」と表現されていました。
余談になりますが「ウルトラセブン」がセブンが以前に見た地球人の男の姿を真似て「変身」してモロボシダンになっているので、モロボシダンの人格はセブンそのものです。
あまりウルトラマンの人格が描かれなかった「ウルトラマン」でそれが強く表現されているのが、最終回です。
映画でもほぼそのまま再現されていますが、ウルトラマンがゼットンに敗れ、ゾフィに光の国に連れ戻されようとする場面です。
そこでウルトラマンは自分の意志として、地球人への思いを語ります。
「シン・ウルトラマン」ではこのウルトラマンの意志の部分を全編を通して描こうと試みました。
そのようにして逆に地球人・人類を描こうとしています。
本作に対して影響を与えているエピソードとして37話「小さな英雄」があります。
このエピソードでは、科特隊の技術担当のイデ隊員はいつも新兵器を開発をしても結局は怪獣をウルトラマンが倒してもらうことに無力感を感じます。
人類は怪獣には敵わない、ウルトラマンに任せたほうがいいのではないかと。
結果、イデたち科特隊はウルトラマンのサポートで怪獣を倒すことができます。
これは人類が自らの力で危機を乗り越えようとする意志と力を持つことができるという非常に前向きなエピソードでした。
ウルトラマンはそのような人類の可能性を愛し、最終回のゾフィーとの対話に繋がったのだと思います。
そのようなウルトラマンの思いを本作では深掘りをしたのでしょう。
本作でも科学技術担当の滝が圧倒的なゼットンの力を目の前にして、イデのように無力感を感じる描写がありました。
しかし彼もまたウルトラマンの期待にこたえ、立ち上がり人類の知恵を結集してゼットンに対抗しようとします。
自らの運命を切り開くために戦う人類の力を、ウルトラマンは信じました。
そのようなオリジナルで描ききれなかったウルトラマンの人格、思いを描こうとしたのが「シン・ウルトラマン」だと思いました。
庵野・樋口漁師らしいオリジナルへのリスペクト溢れる作品になったと思います。
とはいえ、ちょっと映像的には気になるところもありました。
「ウルトラマン」で非常に印象的な映像をとった監督で実相寺昭雄という方がいまして、その構図を「実相寺アングル」と言ったりします。
庵野さんはかなりこれが好きで、アニメでも実写でも実相寺監督的なアングルを狙うことが多々あります。
本作では非常に実相寺アングルを多用していて、それがやや鼻につきます。
効果的に使えばいいとは思いますが、これでもかというほど使っているので見づらい感じがありました。
極端なヨリも多用していて、これは普通のカメラだと寄り切れないからか、ハンディのビデオ的な映像となっていて、画面の質感が他と合っていないところもいくつかありました。
庵野監督の実写作品ではしばしばこういう感じのところはあるので、あまりその辺りは気にしないのかもしれないですが、私はちょっと気になりました。

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2022年3月18日 (金)

「THE BATMAN-ザ・バットマン-」アイデンティティの揺らぎ

3時間近くの上映時間にビビりつつも「バットマン」の新作に行ってきました。
監督は「猿の惑星」でも知られるマット・リーヴス。
「バットマン」はティム・バートン版、クリストファー・ノーラン版と名作を生み出してきたので(駄作もあったが)、今回も期待度が高まります。
「バットマン」は幼い頃に両親を殺されたブルース・ウェインがそのトラウマを抱えつつ成長し、ゴッサムシティの悪を自らの手で裁いていく執行者バットマンとなるという基本設定は共有しつつも、それぞれのクリエイターが独自の解釈をし、新たな物語を生んでいます。
ブルースは(クラーク・ケントなどと比べると)非常に複雑な人物なので、キャラクターの堀りがいがあるのかもしれません。
MCUという「正史」があるマーベルでは基本的には様々なキャラクターの解釈はありませんが(マルチバースが導入されていくとそうでもなくなっていくかもしれない)、最近のDCはキャラクター毎の掘り下げをしていき、それぞれのトーンを生み出しているということで、これはまた正しいアプローチのように思います。
<ここからネタバレあり>
さて、本作でバットマンに対するヴィランとなるのはリドラー。
「フォーエバー」のリドラーはイカれたピエロのような感じでしたが、本作のリドラーは非常に怖い。
彼が事件の後に残していく謎は次第次第にバットマンを追い込んでいきます。
本作でも劇中でバットマンは自身のことを「復讐者」と言います。
これは両親を犯罪者に殺され孤児となったブルースが、悪に対抗する正義の存在である、という自らのアイデンティティを表現した言葉だと思います。
しかしリドラーはそもそもブルースが敬愛する父親は善であったのか、という問いを突きつけるのです。
もし悪事に手を染めていたのであれば、何かしらの事情で粛清されたのであれば、因果応報ではないか。
ブルースが立脚する正義の立場が揺らぎます。
そしてまた、リドラーや彼の支持者たちも、ゴッサムシティの悪による犠牲者であることが明らかになります。
同じく親を殺されていても、ブルースには財産があり、難なく生きていくことができた。
しかしリドラーたちは生きていくこともままならない。
彼らの憎しみはバットマンにも向かいます。
なぜ、自分達だけがこのように苦しまなければいけないのかと。
彼らの境遇を知ったブルースは、また自分の立脚点が揺らいだように思ったかもしれません。
「復讐者」という立脚点は、両親を殺された孤児が悪に鉄槌を下すことを正当化するもの。
しかし、もっと不幸な境遇になったリドラーが犯罪者を成敗していくことをバットマンは責めることができるのか。
ブルース=バットマンは自らのアイデンティティの立脚点である「正義」「復讐」というものが揺らいでいくという感覚になったのではないでしょうか。
またブルースが出会ったセリーナもまた母親を失った復讐を実の父親へ行おうとしています。
彼女はまさに復讐を達成するために父親を殺そうとするのですが、ブルースは殺してはいけないと言います。
これもある種の綺麗事を述べているようにも聞こえます。
底辺で暮らしてきた者にとってはそんな綺麗事を言っている余裕はないと。
ブルースが直面したアイデンティティの揺らぎ。
自身は何のために戦っているのか。
正義のため?
自身の父親も邪魔な人間を始末するよう依頼をしていた。
復習のため?
リドラーたちも復讐をおこなっているが、それを責められるのか。
なぜ自分は戦うのか。
ラストの場面で彼は洪水に飲まそうになるゴッサムシティの市民たちを守るために戦い、そして傷ついた人々を救助していきます。
救助隊のように人々を救っていく姿のバットマンはあまり見たことがありません。
しかし、その中でブルースは自分が戦う理由を初めて見出したような気もします。
復讐のためではなく、人々を救うために戦うのだと。
ブルース=バットマンが新たなアイデンティティを獲得したように感じました。

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2022年2月28日 (月)

「355」区別はもはや意味がない

ひとことで言えば女性版の「ミッション・インポッシブル」でしょうか。
タイトルの「355」とは南北戦争の時に活躍した女性エージェントのコードネームだとか。
南米の麻薬王の息子が発明したどんなセキュリティも突破する電子デバイス、いわばこの作品のマクガフィンを巡り、犯罪組織と各国のスパイ組織がせめぎ合います。
アメリカ、ドイツ、イギリス、コロンビア、中国。
各国の諜報組織に所属する女性スパイたちの丁々発止のやりとりは、スリリングで見応えあります。
彼女たちははじめは誰が味方かわからず疑心暗鬼に囚われながらも、マクガフィンを追っていきます。
その追跡の中で繰り広げられるアクションも、女性だからと言ってやわではありません。
男性顔負けのタフさもありつつ、女性らしい華麗さもあり見応えがあります。
前半の山場の港での追跡シーンは緊張感がありました。
まだ敵か味方かわからない同士であるCIAエージェントのメイスとドイツBNDのマリーの直接対決はかなりガチでタフでした。
またラストの高層ビルでの決戦はアクションシーンとして見せ場がかなりありました。
またスパイ映画的には、モロッコでのデバイス追跡シークエンスも緊張感があり、好きでした。
ストーリー的にもハードな場面もありました。
それぞれの女スパイの大切な人々が次々に手をかけられていく場面はなかなか容赦ない感じがあります。
スパイというハードな世界に彼女たちがいる、ということを改めて感じさせた場面です。
アクションとしてもストーリーとしても女性だからこのくらいだろう、というような手加減は基本的に感じません。
一般的にジェンダフリーというと、女性へ配慮するという感じの気分もありますが、本作は女性だから、といった気分は全くなく、男性同等以上のハードな状況を切り開いていく女性たちが描かれます。
男性女性という区別はもはや意味がなく、ミッションを遂行し、正義を守ろうとするプロフェッショナルたちが描かれます。
今の時代だからこそ生まれた作品とも言え、今後もこういった作品が増えていくような予感もしますね。

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2022年1月10日 (月)

「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」 ヒーローの目覚め

2022年最初の劇場鑑賞作品はこちら、「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」です。
トム・ホランド主演の「ホーム」シリーズの3部作、最終作となります。
こちらの作品、当初からいろいろありました。
3作目ではスパイダーマンが(SONYとマーベルの都合で)MCUから離脱しそうになりましたが、トムが仲を取り持って結局は引き続き両者で共同で作っていくことになったとか。
それが本当かどうかはわかりませんが、両者にとってその方が得であると判断したのだと思いますが、大ヒットとなっておりますので、その決断は正しかったということなのでしょう。
そもそもSONYはスパイダーマンの映画化権を持っており、MCUに倣ったSSU(SONY SPIDERMAN UNIVERS)を作り上げようとしています。
それが「ヴェノム」であり、今後公開される「モービアス」であったりします。
「ヴェノム」も興行的に成功しており、SSUは着実に構築されつつあります。
その中心であるスパイダーマンがMCUに所属しているのは、SONY的には都合が悪い。
それをひっぱり戻そうというのが、SONYの思惑であったのです。
その後両者は再びタッグを組むこととなりますが、そのときにマーベルのケビン・ファイギが「スパイダーマンは2つのユニバースを行き来する初めての存在になる」と言いましたが、まさに本作はそれを具体的に提示したものとなりました。
ネタバレなしで書くのはなかなかに難しいので、こちらについては後半で触れたいと思います。
MCUの「スパイダーマン」が過去のサム・ライミ版、マーク・ウェブ版と異なるのは、主人公ピーター・パーカーがティーンであることを非常に意識したものとなっているところかと思います。
過去の2シリーズは1作目でピーター・パーカーが蜘蛛の力を手に入れ、そして自覚を持つヒーローとしての目覚めを描いています。
「大いなる力には大いなる責任が伴う」というのは両作でピーターの叔父ベンが亡くなるときにいう言葉です。
ピーターは自分の自覚のなさにより、大切な人を失うという悲しみを経て、人のために戦うというヒーローとして目覚めたわけです。
それに対してMCUのスパイダーマンはそのようなヒーローとしての覚醒は描かれていませんでした。
もちろん師匠であり、彼にとって心の父のような存在であるトニー・スタークとの別れはありました。
それを経ても、というよりその様な経験があったからこそ、彼はヒーローという立場から逃げてきたとも言えます。
MCUのヒーローたちはピーターに比べ、大人であり、そしてプロフェッショナルです。
彼らは自覚的に行動をします。
スティーブ・ロジャースは揺るぎない正義感、トニー・スタークは力を持つものの責任感、ナターシャ・ロマノフは贖罪のために。
前作では彼らがいなくなった世界で、自分自身が背負わなければならない責任とどう向き合うか葛藤する様が描かれました。
しかし、それはまだスパイダーマンとしての葛藤でした。
前作のラストでピーターがスパイダーマンであることが周知となりました。
本作ではピーターとしてどうその責任と向き合うかが描かれます。
「大いなる力には大いなる責任が伴う」
本作である人物がこのセリフをピーターに告げます。
それまでのシリーズと同様に、ピーターは悲しみとともに自分が背負ってしまった責任を心の底から自覚をします。
そのために自分が犠牲を払わなければならないことも。
彼が払う犠牲はトビー・マグワイアの1作目のラストにも通じるものがあります。
本作は過去シリーズの1作目で描かれていたスパイダーマンのヒーローとしての目覚めを描いた作品です。
本当のスーパーヒーローとしてスパイダーマンが生まれたと言えると思います。
SONYのプロデューサーはトム・ホランドとの「スパイダーマン」は引き続き検討していると発言しています。
今後の「スパイダーマン」は大人として、ヒーローとして自覚を持った「スパイダーマン」が描かれることになるのでしょうか。
本作でさりげなく触れられた「黒人のスパイダーマン」(マイケル・モラレス)の登場もあるかもしれませんね。
「スパイダーバース」のピーターBパーカーのような役回りになるのかも・・・。
<ここからネタバレ前回>
公開前より今回の「スパイダーマン」はマルチバースがテーマになると言われていました。
そして過去のシリーズのヴィランたち(グリーン・ゴブリンやドック・オク、エレクトロなど)が登場することもわかっていました。
それで期待されていたのが、過去シリーズのスパイダーマン、つまりはトビー・マグワイア、そしてアンドリュー・ガーフィールドが登場することでした。
彼らは取材などを受けていても、それを否定していましたが・・・。
出ましたね!二人とも!
それもカメオというレベルではなくガッツリと。
鳥肌が立ちました。
「ウルトラマン」も「仮面ライダー」も兄弟や先輩が出てくるとぐっとくるものがありますが、「スパイダーマン」でもそれが味わえるとは!
そしてただ出すだけではなく、彼ら二人には役割も与えられていました。
今回ピーターが味わう悲しみと苦悩を、彼は誰とも共有できません。
この本質はMJともネッドとも共有できないのです。
ピーターの先輩であったヒーローたちも今は彼の元から去っています。
しかし、同じスパイダーマンである彼らは同じ様な体験をしてきたからこそ、今回のピーターの苦しみがわかる。
彼らにその苦悩を共有できたことは、ピーターにとっていかほどにありがたかったことか。
トビー・マグワイアのスパイダーマンは己の怒りに任せて行動したことによる悲劇を知っています。
だからこそ、トム・ホランドのスパイダーマンが怒りで鉄槌を下そうとすることを止めます。
アンドリュー・ガーフィールドのスパイダーマンは自分が及ばず大切なひとを失った悲しみを知っています。
だからこそ、彼は身を挺してトムのMJを救います。
予告でも流れていたMJが落下する場面は、「アメイジング・スパイダーマン2」でグウェンが落ちるシーンに酷似していました。
あの悲劇が繰り返されるのか、とも思いましたが、アンドリューのスパイダーマンがMJを救うことができてよかったです。
これはずっと十字架を背負ってきた彼自身をも救うことができたのではないか、とも思いました。
ヴィランたちも存在感がありましたね。
特にグリーン・ゴブリンを演じるウィレム・デフォーが素晴らしい。
狂気と正気の演じわけが流石、性格俳優だと改めて認識しました。
ゴブリンのマスクが語りかけるという描写なども1作目のオマージュたっぷりでした。
前半でスパイダーマンが2つのユニバースを行き来する存在になるとケビン・ファイギが言ったことに触れました。
2つのユニバースとはMCUとSSUなのは明白です。
今回のラストでピーター・パーカーがスパイダーマンであることは誰も知らないこととなりました。
その魔法をかけたドクター・ストレインジでさえ。
これはある意味、MCUからスパイダーマンは自由になったということができます。
アベンジャーズのメンバーからもピーターは忘れられてしまっているわけですから、それまでの柵からは解き放たれています。
今までは地球や世界を救う規模の戦いでしたが、これからは「親愛なる隣人」としてのニューヨークを舞台にした戦いが中心になる可能性もありますね。
本作ラストで救急の無線を聞いて手作りスーツで急行しようとするピーターの姿はそれを表している様にも感じました。
MCUとのしがらみが薄くなったことにより、SSUで動きやすくなる様にも思います。
これから公開される「モービアス」では「ホームカミング」に登場したヴァルチャーが出るという話なので、これはMCUと同じ世界を舞台にしている可能性があります。
そこにトム・ホランドのスパイダーマンが絡むということはあり得ます。
しかしその場合はヴァルチャーもピーターがスパイダーマンの正体であることは忘れているはずですが・・・。
二人のスパイダーマンが登場した時は、劇場で「あっ!」と声を上げましたが、その前に同じように声を上げたところがあります。
本作でピーターは当局に拘束されますが、彼を敏腕弁護士が弁護します。
その弁護士がチャーリー・コックス演じるマードック、つまりはデアデビルだったのです!
年末にディズニーチャンネルで公開された「ホークアイ」のラストでキングピンが登場したことからデアデビルがどこかの作品に登場するとは予想していましたが、こんなに早くとは驚きです。
先ほど書いたように今後の「スパイダーマン」がNYを中心に活躍していくならば、同じくそこで活動するデアデビルとの共演もあり得そうです。
期待したいですね。
そういえば「ホークアイ」のラストバトルの舞台となったNYのスケートリンクが本作でも映っていましたね。
まだクリスマスツリーは倒れていなかったようですので、「ホークアイ」は時系列的には「ノー・ウェイ・ホーム」の後なのかな?
最後に「ヴェノム」について。
「カーネイジ」のポストクレジットでMCU世界に転移したと思われていたエディとヴェノムですが、やはり来ていました。
本作で転移した者たちは「スパイダーマン=ピーター・パーカー」であることを知っているという条件であると言われていたので、「?」と思いました。
二人の口ぶりからすると当然スパイダーマンを知っている様子ではなかったですし、彼らの世界には他のヒーローはいない様子です。
じゃ、なんで彼らは転移してきたかというと、ヴェノムらシンビオートは集合意識というものを持っている存在です。
それは多次元世界を越える集合意識なのかもしれません。
トビー・マグワイアの3作目のもシンビオートは登場しており、ピーターに寄生し、黒いスパイダーマンを生み出しました。
その記憶が集合意識で共有され、エディ&ヴェノムも転送されてきたということなのでしょうか。
結局彼らも元の世界に戻りますが、シンビオートの破片は残されており・・・。
これが新たな展開に繋がる予感がありますね。

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2021年11月 4日 (木)

「最後の決闘裁判」 女VS男二人

リドリー・スコットによる「羅生門」とも言うべき作品。
騎士であるジャン・ド・カルージュの妻マルグリットが夫の友人である従騎士ジャック・ル・グリに強姦されたと訴えますが、ル・グリは領主のお気に入りであったことから裁判では無罪となります。
しかし、カルージュは国王に直訴し決闘裁判に持ち込みます。
当時決闘裁判が行われていたのは、神は何が実際にあったことかを全て知っているはずなので、真実を述べる者を勝者とするだろうという考えがあったからです。
「羅生門」スタイルとは関係者それぞれの見方から物語が語られていくというものです。
本作もカルージュ、ル・グレ、そしてマルグリットの視点から物語が語られていきます。
「羅生門」では3人が語るストーリーは結局は全て真実ではないということでした。
本作ではそれぞれのパートの頭に「カルージュの真実」といったタイトルが入ります。
しかし最後に語られるマルグリット視点のパートの部分は「Truth(真実)」というワードが最後まで残ります。
このことからマルグリットの語る物語が真実であるということなのだと解釈しました。
ル・グリの話は、本人は愛だと言いつつもその実は女性を欲望の対象としてしか見ない、極めて男性本意の価値観で語られていました。
対して寝取られた側のカルージュですが、妻のために真実を明かそうとする男かと思いきや、その戦う理由は己の名誉のためという極めて自分本位の考えでした。
そもそもがル・グリに対して悪感情を持っていたのに加え、妻がその相手に寝取られたとあってはプライドが傷つけられます。
また彼が妻を本当に愛していたかは疑わしく、ただの跡取りを生み出すための存在として見ていたようにも思えます。
この決闘裁判は側から見ると妻の名誉を挽回しようとする夫と、愛する女性を愛しただけだと主張する男の戦いのようにも見えます。
が、戦い合う男二人ともマルグリットを人格のある一人の愛する女性としてはいません。
男二人が戦いあっているように見えますが、実のところマルグリットが男二人と戦っているのです。
中世を舞台にしていますが、これはMe Too運動にも通じる極めて現代的なテーマであると感じました。
マルグリットを演じたのはジョディ・カマー。
「フリー・ガイ」のヒロインを演じた方だったのですね。
全然違う雰囲気の役なので、調べるまでわかりませんでした。

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2021年10月19日 (火)

「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」 新しい価値観でアップデート

<ネタバレあります>
ダニエル・クレイグ版の「007」の第5作目にして完結作です。
「カジノ・ロワイヤル」は2006 年の作品ですから、もう15年も経ったのですね、早いものです。
ダニエル・クレイグが新しいジェームズ・ボンドを演じることが発表された時、金髪であるなど従来のボンドのイメージと違うなど否定的な意見がありました。
私自身もイメージが違うなと思いましたが、「カジノ・ロワイヤル」を見たあとは、彼が演じる新しいボンド像に惹かれました。
それまでの007シリーズではジェームズ・ボンド自身が掘り下げられることはほとんどありませんでした。
殺しのライセンスを持つ一流のスパイで、タフでありながらスタイリッシュ。
女性たちを魅了するプレイボーイでもあります。
ある意味、彼は男たちが憧れる理想のアイコンのような存在だったのかもしれません。
現実的には彼のような男はそうそういるはずはなく、まさにフィクションとしての存在でした。
アイコンであるボンドの背景にはマッチョな男と美しい女性といった、男性中心の価値観は明らかにあって、それが2000年以降の時代における価値観とマッチしなくなってきていたのは確かだと思います。
そのような中、ダニエル・クレイグ版のボンドは、若々しくそして悩み深き男として登場しました。
全て完璧に仕上がっている男ではなく、荒削りで傷つきもする男でした。
そんなボンドはとても生き生きとしていて、初めてアイコンではなく、人間として描かれたように感じました。
「カジノ・ロワイヤル」以降、ボンドはさまざまな経験をし、次第に成熟した男に成長していきます。
それまでのボンドはある意味仕上がった形でしか存在していませんでしたが、ダニエル版のボンドが成長していく姿を我々は目撃してきたのです。
彼自身の出自にまつわるエピソード、信頼できる仲間との出会い、別れ・・・。
おおよそ、前作の「スペクター」で成熟した男としてのボンドに仕上がってきたように感じました。
「カジノ・ロワイヤル」からボンドの人生を追ってきたようにも感じられますが、本作「ノー・タイム・トゥ・ダイ」では、彼の人生の最後を目撃することになります。
今までのボンドでは決してありえない終わり方でした。
しかし、ダニエル版のボンドとしては非常に納得できる終わり方でもありました。
従来のボンドは女性とのアバンチュールはあっても、本当に女性を愛しているのか(たとえ一度結婚していても)わからない印象はあります。
人間的な愛情をボンドに持たせると、冒頭に書いたアイコン性はなくなってしまうということはあったかもしれません。
しかし、ダニエル版ボンドは、今までの人生で愛を得たけれども、悲劇的な結果となり、それを引きずって生きてきました。
その傷が癒えさせてくれる女性と出会いますが、再び彼女を失う危険が迫ります。
ボンドは彼女を愛する者として、自分の命をかけて彼女を守ります。
一人の女性と、そして自分の子供のために命を捨てるボンド。
従来のボンドではあり得ません。
しかし、現代の価値観を背景にした新しいボンドにとってはそれは違和感はありません。
007というコンテンツは20世紀の価値観を背景にしていたため、時代に置いていかれる可能性もあったと思います。
しかし、ダニエル版のボンドは思い切って人間としてのボンドを描くことにより、現代的な価値観にマッチした新しい007像をアップデートすることに成功しました。
今後もこのコンテンツを作り続けていく基礎ができたように思います。
ダニエル・クレイグのボンドはこれで終わりだと思いますが、エンドロール後のメッセージにあったように「007 will return」です。
人としての007を描くという可能性を開いたので、ダニエル版よりももっと新しいボンドが登場する可能性があります。
本作でも示唆としてありましたが、女性版の007もなくはないと思います。
どのような新しいボンドが提示されるか、戻ってくるのを楽しみに待ちたいと思います。

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2021年10月 9日 (土)

「総理の夫」理想的な妻、夫、政治家

原作は原田マハさんの同名小説で、珍しく先に原作を読んでいました。
小説を楽しんだのですが、そうなるとキャラクターのイメージが自分の中に出来上がりますよね。
そういうイメージがあった上で、予告編で日本初の女性総理となる凛子に中谷美紀さん、その夫に田中圭さんがキャスティングされていることを知り、とてもピッタリだと感じました。
凛子は名前の通り凛としていて、政治への理想と信念を常に持ち行動するまさに理想的な政治家です。
政治家なので色々な修羅場は抜けてきている強さもありつつ、女性らしい柔軟さも持っています。
このようなクレバーな女性を演じるには中谷さんがまさにハマっています。
そしてファーストジェントルマンとなる日和は、心優しいボンボン。
仕事に打ち込む凛子を全面的に応援するこれまた理想的な夫です。
ちょっとオタオタするようなところが可愛らしい役所ですが、これには田中圭さんがピッタリと合っていました。
この作品、理想的な妻、理想的な夫、そして理想的な政治家が描かれているわけで、現実的ではないと言う方もいるかもしれないですが、これはファンタジーとして見るのが正解でしょう。
現実はもっと苦い感じはありますが、映画の中だけでも理想に浸るのは良いのではないでしょうか。
自分のことで言うと、専業主婦である妻が最近、趣味を活かして仕事をやるようになりました。
本格的な仕事というのには程遠いのですが、本人は楽しそうにやっています。
私も応援はしていますが、それぞれ仕事をしていると何かと家のことをどうするなどと揉めることもあります。
本作の日和は全面的に妻を応援していていて、なかなかここまではできないよなぁと思いつつ、もう少し妻の仕事のこともしっかりと応援しなくちゃいけないなぁとも思いました。
日和のような理想的な夫にはなれないとは思いますが、もうちょっとは、ね。

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2021年9月 5日 (日)

「シャン・チー/テン・リングスの伝説」流れる水のように

MCUフェイズ4はディズニープラスの「ワンダビジョン」からスタートしましたが、今まで登場したヒーローのエピソードでしたが、本作では新ヒーローが登場します。
その名はシャン・チー。
MCU初のアジア系ヒーローになります。
マーベルのダイバーシティ志向は「ブラックパンサー」「キャプテン・マーベル」の頃から見られ、本作もその路線と考えられます。
シャン・チーは特別なパワーを持っていたり、テクノロジーを駆使するわけではなく、その武器は鍛え上げられた肉体と極められた技(マーシャル・アーツ)です。
子供の頃にカンフー映画ブーム直撃だった私としては、たまりません。
ド派手なバトルもいいですが、肉体を駆使したアクションは見ている自分でも身体が反応するような感覚が刺激されるので、興奮しますよね。
前半のサンフランシスコのバスや、マカオの高層ビルでのアクションは身体性もありながら、CGも使ったキレのいいアクションがたまりませんでした。
また本作は「グリーン・ディスティニー」や「HERO」などの2000年ごろの武侠映画の映画も受けているように思いました。
冒頭の竹林でのシーンなどに強く感じますね。
流れるような肉体の動きは、本作のテーマを強く表しているように思います。
今までのMCUのヒーローたちはテクノロジーや特殊能力をベースにしながらも、基本的にはパワー勝負なのですよね。
その辺りは西洋らしい。
地球の人々を狙う存在に対し、敵の力を上回るパワーでそれらを封じ込める。
基本的にはこれでした。
しかし、竹林のシーンにおいてウェンウーに対するリーは、テンリングスのパワーを受け流し、利用しました。
まるでしなる竹のように。
流れる水のように。
水というモチーフも本作ではよく出てきました。
今までのMCUのバトルは火のイメージがあります。
戦力のことを火力とも言いますし、西洋の戦い、力と力の戦いには火のイメージが強くなります。
しかし、東洋の戦いでは、カンフーや合気道などもそうですが、相手の力を利用するという思想があります。
それには水の柔軟さが必要なのです。
ダイバーシティを意識する中での、黒人、女性につづき、アジアンを起用したという表面的な取り上げ出会ったら、残念な気持ちになったかもしれません。
しかし、東洋の考え方も取り入れた本作はMCUにとっても新しい刺激になるような気がしました。
サノスに対してのアベンジャーズの戦いはまさに総力戦で、パワーとパワーのぶつかり合いでした。
勝利を得たものの、その中で失われたものも大きかったというのはフェイズ4でも描かれています。
新しい脅威に対しては、パワーに真正面から対抗するのではなく、それを受け流して利用するという東洋的なアプローチがもしかすると必要になるのかもしれません。
ポストクレジットで、シャン・チーが引き継ぐことになったテンリングスは未知の物質であることがわかりました。
もちろん地球上のものでもなく、チタウリなどの地球外のものではないと。
その出どころは・・・。
もしかするとMCUで重要な要素となるマルチバース、すなわち他の並行世界からもたらされたものなのかもしれません。
この辺りは今後の展開からも目が離せないですね!

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