2017年9月11日 (月)

「関ヶ原」 青年VS大人

歴史を題材にした作品のベースになるのは史実であるのですが、それは文書などによる記録であるため、(私的な書簡を以外では)そこに記載されている人物がどのような性格で、どのように考えていたのかというのは実際のところ想像するしかありません。
だからこそ物語の語り手によって、その人物のキャラクターが想像力により膨らませられていくので、語り手ごとに解釈が変わるわけで、それが歴史ものの面白いところと言っていいでしょう。
日本の歴史において戦国時代というのは、歴史の大きな転換点であり、そのため数々のドラマがあります。
そのためいくつもの小説、映画、ドラマでもこの時代が扱われているのはみなさんがご存知の通りです。
その中でもクライマックスと思われるのが、いわゆる「天下分け目の関ヶ原」です。
数え切れぬほどの作品が関ヶ原を扱っています。
この戦いに参加した大名の中でも、それぞれの作品において描かれ方が全く違うことが多いのが、本作の主人公である石田三成でしょう。
徳川方の見方による物語においては、家臣でありながら豊臣家を思うがままに操る佞臣であったりします。
逆に豊臣方から見れば、多くの大名が豊臣を見捨てる中で、最後まで忠義を尽くす者として描かれます。
立場が変わればその人物を評する意見も異なるということの良い例でしょう。
本作の視点はどちらかといえば、豊臣側のものになります。
ですので岡田准一さん演じる三成は、忠義の士として描かれます。
しかしこの三成はなかなかに生きるのが不器用な男です。
忠義であり、自分を律することができる男なのですが、それと同じレベルを周りの者にも要求するところがあります。
なんというか融通の利かない男なのですね。
三成に対する家康が、計算高く狡猾で、また手練手管を駆使できる男として描かれているので、余計にその融通のなさが目立ちます。
人というのは正論だけで動くものではないということが、自分が真面目なだけあって、わからないというのがこの作品における三成像のように見えました。
それでもその青臭さに惹かれる者はいるわけで、それが島左近であり、大谷刑部であり、初芽であったのでしょう。
初芽に対する三成の想いは、まさに少年のようでもあり、それが本作における三成の青臭さをより強めているようにも思います。
想いに純であり、生真面目である。
だから老練で、ずるい大人に勝つのはなかなかに難しい。
生きるためにだんだんと汚れていったのが家康であったのであったのであるならば、三成は汚れていかなかったために死ぬ運命だったのかもしれないですね。

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2017年8月27日 (日)

「スパイダーマン/ホームカミング」 ティーンエイジャー・ヒーロー

「スパイダーマン」シリーズの二度目のリブート作品になります。
「アメイジング・スパイダーマン」(以下「アメイジング」)シリーズは三部作シリーズだと聞いていたのですが、結果打ち切りとなりました。
理由はサム・ライミ版(以下オリジナル)よりも興行成績が悪かったからか、また長いものには巻かれろ(「アベンジャーズ」)ということか、その両方か・・・。
個人的には「アメイジング」はあまり評価をしていなかったので、この結論は歓迎ですけれども。
私は断然オリジナルが好きなのですが、「大いなる力には、大いなる責任が伴う」という作品の中で語られる言葉を体現している物語だからです。
ピーターは得てしまった力を誰かのために使う、しかしそのためには様々な犠牲を払わなければならないというジレンマに常に悩みます。
今でこそ悩むヒーローというのは当たり前になりましたが、その先鞭をつけたのがオリジナルだと思います。
けれども「アメイジング」はオリジナルのピーターよりも、現代的でかつ幼く描かれています。
なんというか、チャラいんですよね。
原作はどちらかといえば幼いとは思いますし、多数出てきた他のスーパーヒーローたちとは異なり10代らしさというのは差別化ポイントであったりします。
けれどもストーリーとしてはオリジナルのように「大いなる力には、大いなる責任が伴う」ということがテーマにはなっており、「アメイジング」のピーターのキャラクターとのマッチングがよくなかった気がします。
それなのに「アメイジング」の2作目のラストは非常に悲劇的な結末であり、ピーターに自覚を持たせるということだったのかもしれませんが、後味が悪かった感じがします。
今回の再リブートの「スパイダーマン」もさらにティーンエイジャー化が進んでいます。
しかし、今回は成功していると思いました。
あえて「スパイダーマン」が対するのは自分の手の届く範囲の事件です。
原作の「スパイダーマン」は「親愛なる隣人」という愛称がありますが、これは世界を救うヒーローのように遠い存在ではなく、身近な事件の中で人々を救っているのがスパイダーマンであるということを言い表せています。
ティーンエイジャーは大人になりかけていると言っても、見えている範囲はやはり自分の身近なところになります。
今回10代であるスパイダーマンを描くという時に、世界を救うという大きなテーマとせず、身近に起こった犯罪ということにしたのは、距離感が近いヒーローであるということを表現するには良かったと思いました。
「大いなる力には、大いなる責任が伴う」オリジナルや「アメイジング」ほどの葛藤ではなく、今回のスパイダーマンの葛藤も10代らしいものです。
自分が追いかけている犯罪者が好きな女の子の父親だったら?
犯罪者を捕まえたら、女の子は悲しむ。
けれど野放しにしたらたくさんの人が悲しむ。
人の生き死や人生をかけたほどの重さではありませんが、それでも10代にとっては人生を左右すると思えるほどの葛藤です。
その頃合いが今回のティーンエイジャーのスパイダーマンという立ち位置にあっていると思いました。
今後はスパイダーマンは身近な事件を解決していく「親愛なる隣人」でいるのでしょうね。
「アベンジャーズ」には適宜絡んでいくのでしょう。
それはそれで楽しみ。

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2017年8月13日 (日)

「ザ・マミー/呪われた砂漠の王女」 他のユニバースと異なる個性を出せていけるか?

予告編を観ていた時に「ダーク・ユニバース始動!」とかいうコピーが出てきて、「?」と思っていました。
マーベルが「マーベル・シネマティック・ユニバース」という考え方を導入し、連作ヒットを飛ばしていることから、最近は他社もそれに追随するコンセプトのシリーズを展開し始めています。
DCの「DC/エクステンディドユニバース」しかり、レジェンダリーの「モンスターバース」しかり。
ハリウッドでシリーズ物ばかりが作られるようになって久しいですが、ユニバースコンセプトはただのシリーズ物よりも拡張性が高いところが利点です。
続編だとやはりストーリーの整合性を保つのが難しく、またどうしても次回作が作られるまでの時間がかかります。
ユニバースコンセプトは、作品ごとの整合性は続編よりは緩いですし、複数の作品を並行して制作することが可能なので単なる続編よりも早いタームでリリースできます。
集客が手堅いシリーズ物をハイペースで送り出せるわけですから、映画会社的には放っておけないですよね。
しかし、マーベルとかDCとかもともとコミックで展開しているものではなく、「ダーク・ユニバース」という聞きなれない言葉だったので「?」となったわけです。
しかし、最初のユニバーサル映画のタイトル後の「ダーク・ユニバース」というタイトルを見て、合点がいきました。
なるほど、昔の「ユニバーサル・ホラー」をクロスオーバーさせようというわけかと。
「ユニバーサル・ホラー」というのは「魔人ドラキュラ」「フランケンシュタイン」「透明人間」「大アマゾンの半魚人」などのモンスター映画です。
それぞれ何度もリメイクされているので、観たことある人も多いですよね。
それらの作品は独立したものですが、今回の「ダーク・ユニバース」ではそれぞれをリンクさせていこうということでしょう。
マーベルやDCよりはちょっとカルトっぽい趣味ですけれども。
二番煎じ、三番煎じなので、これからユニバーサルらしさを出していけるかどうかがポイントですね。
他のユニバースに比べては、もともとホラーをベースにしているので、全体的にダークなテイストになっていますから、この辺りを個性としていきたいのでしょう。
本作の元は「ミイラ再生」ですが、これは「ハムナプトラ」として既にリメイクされていますが、全然テイストは異なります。
「ハムナプトラ」はどちらかというと陽性でしたが、本作はダーク。
トム・クルーズが出ていることにより、メジャー感は醸し出されますが、彼がいなかったら結構マイナーな作品になりそうな感じがしますね。
ミイラっていうところからシリーズを始めるのも、割と渋い。
ただこれもいろいろ考えたんでしょうね。
ドラキュラとか狼男とか、フランケンシュタインだと今まで何回も映画化されていて、それらがメジャーなので、今までと同じと見られたくなかったのかなと。
あえて渋い題材から入って、ただマイナーにはしたくなかったので主演は超メジャー級を当ててくる。
割と戦略的なのではないかと思いました。
映画としては可もなく不可もなくというところです。
よかったのはラッセル・クロウが演じていたジキル博士。
これは「ジキル博士とハイド氏」が元ネタですね。
このキャラクターは面白そうです。
彼がメインでの映画もいけそうですよ。
割とそういう渋いところで攻めていってほしいなと思いました。

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2017年8月 6日 (日)

「忍びの国」 一にも二にも大野くん

この作品、一にも二にも大野くんに尽きると言ってもいいでしょう。
主人公無門は怠け者で、妻の尻にいつもひかれている男ですが、忍びの国と言われる伊賀の中でも群を抜いた実力の持ち主です。
戦いにおいてもその飄々とした態度は変わることがなく、それゆえ真剣な相手と対照的で、そこから無門の実力が破格であることが伝わります。
彼は相手に負けることがイメージできないので、余裕がある状態が普通なのでしょう。
この無門というキャラクター、映画を見てしますと大野くん以外の人は想像できないくらいにはまっています。
飄々としてとぼけた感じ、妻に全く頭が上がらないダメな旦那、しかしいざ真剣になった時の切れ味。
またダンスを踊るかのように軽やかに相手の技を見切り、受け流すのは、さすが嵐の中でもトップクラスのダンスの妙手ならではでした。
本作の魅力は無門というキャラクターに負うところが多く、だからこそそれを具現化している大野くんに寄るところが多いと思います。

当時の伊賀には大名はおらず、権力の空白地帯のようなものでした。
土地は豊かではなかったので、あえてそこを取りに行く大名もいなかったのかもしれません。
そこに暮らす者たちは、畑を耕すことだけでは暮らしていけず、独自に発達させてきた忍びの術を他国に売る(雇われてスパイをする)ことにより生活を立てていました。
そのためか、他国のようなルールは通じず、まさに獣が生きるが如く自分の欲に忠実に生きていく人々の集まりとなって行きました。
それゆえ他国からは「虎狼の徒」と呼ばれ蔑まれました。
無門自身も忍びの価値観で育ってきたため、そのことに疑問を持つことはありませんでした。
しかし、最愛の妻を失った時、初めて忍びの価値観に疑問を持ちます。
この物語は弱小国伊賀が信長勢に一矢報いることを描くのではなく(映画を見始めた時はそう見えますが)、人を人とは思わない人々の国が滅びていく様を描いています。
己の欲のみを追求することを望み、他者を思いやる気持ちを持たない人々。
普通でいえば悪役になる人々を内から描き、それを最後にひっくり返して見せるところがうまいところです(これは原作によるものですけれど)。

演出的にはちょっとゆるい感じがしたのと、大野くんが良かっただけにもう少しアクションの合成などを頑張って欲しかったのが不満です。

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2017年1月 6日 (金)

「新宿スワン」 掃き溜めの白鳥

園子温監督の作品はあまり見ることがなかったのですが、こちらの作品「新宿スワン」をお正月休みに観てみました。
彼の作品で観たことがあるのは、テレビドラマの「時効警察」くらいじゃないでしょうか。
どうも園監督の作品はけっこうヘビーな印象があって、観るのにけっこう心理的にエネルギーが必要な感じがしていて、なんとなく避けてたんですよね。
今回については正月休みの時間があるときに、自宅で映画を観ようということになり、嫁の希望は綾野剛さんか山田孝之さんが出ている作品が良いということで、お二方が出ている「新宿スワン」にしようということになりました。
1作目はヒットもして続編も作られるという情報があったので、あまりえぐくはないだろうという読みもあり。
とはいえ歌舞伎町が舞台のスカウトマンの話なので、風俗の話などもバンバンでてくるので嫁と一緒に観ているとやや気まずいところもありましたが(笑)。
さて作品はというと、長尺の作品ではありながらも、想像していたよりもずいぶんと観やすい作品でした。
園監督はとっつきにくいというイメージがあったので意外ではありましたが、食わず嫌いでしたかね。
魅力的であったのは、綾野剛さん演じる主人公白鳥龍彦のキャラクターですね。
歌舞伎町のスカウトマンの話なので、登場人物たちは腹に一物を持っているような人間ばかりです。
ある意味、ゲスな人間が多く登場するわけですが、その中にあって龍彦だけが純粋に自分が世話をする女の子の幸せを考えて行動しています。
それは最初から最後まで変わらない彼の行動原理で、そのブレなさ加減が気持ちいい。
なかなか自分の思うようにならない世の中でストレスを持っていたり、自分を無理に合わせたりしている人(自分も含めて)が多い現代で、彼のブレない姿勢に爽快感を感じます。
汚れた街の中で、彼の気持ちだけは穢れない。
彼の名字の「白鳥」はその穢れなさを表し、名の「龍彦」は彼の生き方を貫くためのの激しさを表しているようにも感じます。
まさに歌舞伎町(掃き溜め)の白鳥。
この場合は見てくれの美しさというよりも、生き方の美しさというものなのですけれど。
彼自身は彼の生き方に深い考えがあってそう生きているわけではなく、もっとピュアで素直な気持ちなのですよね。
「バカ」とも言えるわけですが、そういうまっすぐさが気持ちいい。
2作目は劇場で観たくなりました。

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2016年12月26日 (月)

「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」 名もなき戦士たち

「スター・ウォーズ」シリーズ初のスピンオフ映画「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」を観に行ってきました(あれ、「イォーク・アドベンチャー」はどうなんだっけ?)。
一時期はもう「スター・ウォーズ」の新作を観ることはないと思っていたのですが、毎年のようにこのシリーズを観ることができるようになるなんて感慨深いですね。
「ローグ・ワン」の時代設定はちょうど「Episode4/新たなる希望」の直前の時期となっています。
ご存じのとおりEpisode4は帝国軍の究極破壊兵器「デス・スター」の秘密の設計図を手に入れた反乱同盟軍の反撃が描かれています。
そのオープニングにて、その設計図は反乱同盟軍のスパイが入手に成功したと語られているのですが、「ローグ・ワン」はそのスパイたちの知られざる活躍を描いているエピソードとなります。
「スター・ウォーズ」シリーズはフォースを持つジェダイたちを中心にストーリーが展開していきますが、本作はフォースを持っていない言わば普通の戦士たちが描かれているのです。
主人公ジンにしても、その他のローグ・ワンのメンバーも名もなき戦士たちですが、彼らは信じる仲間のために戦い、命を散らしていきます。
彼らが散っていくさまは切ないものなのですが、信じる者たちのために戦う彼らの姿には清々しさも感じます。
これはメインエピソードでは感じられなかった感覚であると思いました。
帝国軍と反乱同盟軍との大河的なドラマの流れの陰には、ローグ・ワンのメンバーたちのような名もなき戦士たちの数多くの戦いがあったのですよね。
これからもスピンオフシリーズはこのような人々にスポットライトを与えてもらいたいものです。

あとEpisode7のレンからそのような傾向が出ていますが、女性が活躍するエピソードになっていますね。
レイアにしてもアミダラにしても、重要な役割ではありますが、添え花的なセンスも強かったと思います。
しかしレンもジンも自らが行動し、運命を切り開く、ある意味「現代的な」女性として描かれています。
この傾向は今後も続いていくでしょうね。

「スター・ウォーズ」というと、印象深い戦闘シーンがあります。
Episode5の氷の惑星ホスにおける雪上でのスノー・ウォーカーとスノー・スピーダーとの戦い。
Episode6の森の惑星エンドアでのスピード感あふれるチェイスシーン。
本作では水の惑星スカリフを舞台にし、最後の戦闘シーンが描かれます。
常夏のリゾート地のような海岸をストームトルーパーたちが進撃する画は、ホスやエンドアに負けず劣らず印象的でした。

「ローグ・ワン」はEpisode4の直前の話ということで、様々な点でリンクがあります。
Episode4ではルークが駆るX-Wingがデス・スターのリアクターにプロトン魚雷を打ち込んで壊滅させるわけですが、初めて観たときから疑問に思っていたことがありました。
あれだけの究極兵器が一発の魚雷で破壊されるほどもろいものなのかと。
ま、物語上わかりやすくするためのことだと納得はしていたのですが、本作ではその疑問への答えが出されています。
「ローグ・ワン」のラストはEpisode4のオープニングにつながります。
デス・スターの設計図を持ったレイアが登場したスペースシップをダース・ベイダーが鹵獲する場面がありましたが、そこへリンクするのですね。

次のスピンオフはボバ・フェットにまつわるストーリーとのうわさもありますが、真偽のほどはわかりません。
わかりませんが、次も期待して待ちたいと思います。

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2016年12月14日 (水)

「ジャック・リーチャー NEVER GO BACK」 対照的なシリーズ


こちらトム・クルーズ主演の「アウトロー」の続編となります。
本作は監督が交代し、トム・クルーズとは「ラストサムライ」でも組んでいるエドワード・ズウィックがメガホンをとっています。
現在トム・クルーズが出演しているシリーズものとしては「ジャック・リーチャー」シリーズと「ミッション・インポッシブル」シリーズがありますが、同じアクション映画といいつつもテイストは真逆と言っていいように思います。
「M:i:3」以降の「ミッション・インポッシブル」シリーズは、ハイテク機器を駆使したチームワーク戦をスマートにスタイリッシュに描いているイメージがありますが、対して「ジャック・リーチャー」シリーズはローテクで一匹狼な戦いを、タフにワイルドに表現しています。
本シリーズのアクションの方がより肉体的な感じ、フルコンタクトな感じがしますよね。
一時期流行った華麗なアクションという印象でもなく、武骨で肉と肉、骨と骨が当たるゴツゴツとしたタッチがあります。
両シリーズともにトム・クルーズ自身がプロデュースしていますが、狙ってテイストの違いを出しているのでしょう。
トム・クルーズは自分が一定のイメージで固定されることを避けるため、自身で様々なテイストの作品をプロデュースしているのかもしれませんね。
前作の「アウトロー」はアクション映画でありつつもミステリー的な要素も強かったですが、本作ではその要素は薄らいできています。
その代わり本作はジャック・リーチャーと、その娘(だと言われる)サマンサの擬似的な親子愛にフォーカスが当てられています。
これはこれでいい雰囲気に仕上がっています。
ずっと一人で生きてきた不器用な男が、自分でも意外に思いながらも父性に目覚めていく姿をトム・クルーズは演じていたわけですが、今まで彼は父親というイメージが薄かったので、新鮮に見えました。
このシリーズ、流れ者が行く先々で人々と出会い物語が生まれるというところは、昔の西部劇を髣髴とさせる感じもあります。
原作は読んでいないのですが、これからも各地を放浪し、人と出会っていくという展開でシリーズ化もしやすそうですね。

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2016年10月31日 (月)

「SCOOP!」 執着心の帰結

「モテキ」「バクマン。」の大根仁監督の最新作「SCOOP!」は原田眞人監督の「盗写1/250秒」(1985年)という作品が原作らしい。
原田監督は好きでけっこう観ているほうだと思うのだけれど、「盗写1/250秒」という作品は聞いたことがない。
よくよく調べてみると、これは水曜ロードショー枠でオンエアされた「テレビ映画」のようだ。
「テレビ映画」というのは映画枠でオンエアされた長尺(2時間弱)のテレビドラマのことを以前はこう言っていたのですね。
最近はそもそも映画枠自体が少なくなっているので、こういったテレビ映画という言い方はしなくなっているに思うけれど、当時は映画のスタッフでこのような番組を作っていたようだ。
原田監督の若いときの作品なので、若手の発掘のようなセンスもあったのかな?(スピルバーグの「激突!」のようなものか)
大根監督はヒットした作品がわりと現代的でポップな印象なので、予告を観たとき本作は毛色が違うなと感じました。
どちらかというと昔の邦画が持っていたギラギラした感じが出ている作品のような印象です。
閉塞感というか、鬱屈感というか、路地裏の油がギトギトとした感じ。
最近の邦画はきれいなところばかりを映している感じがありますが(現代劇でもリアルというより現実味のないファンタジー的な感じがある)、昔の映画はもっとリアリティのある汚いところを映していたように思います。
誰かに作られた枠を壊そうと這いずりまわる人々を描くことこそがリアリティであるというような。
固く蓋をされてしまったエネルギーのマグマがふつふつと泡をふいているような暴発前の不穏な感じをかつての日本映画は持っていたような気がします。
作品ごとのカラーの違いはあるけれども、大根監督が描く人物は執着心の権化のようなところがあるようにも感じます。
「モテキ」の藤本は女の子にモテること、「バクマン。」の真城はマンガを描くことに執着します。
そして本作の主人公都城は写真を撮ることに。
まさに命がけで。
執着することは、人から見ればこっけいであったり、ばかげていたりするのかもしれません。
現代はそもそもそんな執着心、欲求がない人が増えてきている。
ギラギラしている人なんて見かけない。
失敗することを恐れるから、そもそも執着なんかしたくない。
執着心があるから自滅する、そう感じる人も多いかもしれない。
だからこそ大根監督はそういう執着心に支配された人に魅力を感じるのかもしれません。
リビドーにも似たエネルギーが暴発するような不穏さが感じられる作品でした(チョロ源はまさに暴発したとも言えます)。

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「スター・トレック BEYOND」 SFとしての「スター・トレック」

J.J.エイブラムスが「スター・ウォーズ」のほうで忙しかったからか、監督は「ワイルド・スピード」シリーズのジャスティン・リンに交替です。
ジャスティン・リンは「ワイルド・スピード」の中興の祖ですので、シリーズを引き継ぐ役割にはピッタリではないでしょうか。
出来上がった作品を観ても、いい人選であったのではないかと思います。
本作はリブートした「スター・トレック」シリーズとしては3作目に当たりますが、今までの中でもテレビシリーズの「宇宙大作戦」のエッセンスが色濃く出ているように感じました。
「宇宙大作戦」は毎回「宇宙、それは最後のフロンティア」というナレーションで始まります。
カーク船長以下のUSSエンタープライズのクルーが、惑星連邦の辺縁部を5年間調査航海している中で出会う出来事を描いています。
連邦から遠く離れているところを単独で航行しているため、未知の知的種族や生物、現象と出会うことも多く、その場合はいちいち本部に確認して事態に対応することはできないわけで、より船長やクルーの対応力・判断が重要になるわけです。
「スター・トレック」シリーズでは船長やクルーたちにスポットがあたるのはそのためです。
彼らは新大陸の発見のために勇躍した大航海時代の船乗り、探検家、外交官のようなものかもしれません。
またそこには未知のものへの好奇心、冒険心といったものも感じられます。
大航海時代、多くの科学者も船に乗り世界中を周り、新しいものを発見していきました。
エンタープライズのクルーたちは彼らに似ているように思います。
J.J.エイブラムスが「スター・ウォーズ」と「スター・トレック」の違いは何かと問われたときに、『「スター・ウォーズ」はファンタジーだが、「スター・トレック」はSFだ』と言ったという記事を読んだことがありますが、まさにその通りです。
「スター・ウォーズ」はルーカスが神話を研究してそのエッセンスをSF的な要素で描き直したということは有名ですが、これはこの作品がファンタジーであるということを示唆しています。
ですので「スター・ウォーズ」は基本的にドラマティックで情感的であると思います。
「フォース」というものが人の精神に由来する不可思議な力というところであり、これは「ハリー・ポッター」でいう魔法のようなもので、極めてファンタジー的であると言えます。
対して「スター・トレック」は未知のものへの探求心ということがベースになっており、もしこんな生物がいたら、こんな現象が起こったらという仮説に対して、どのように対応していくかということを描くというかなり理性的なアプローチを描く物語なのですね。
そういう点でサイエンス・フィクション(SF)的です。
今回の「スター・トレック BEYOND」はそういったこのシリーズが持つ本来的なSF的エッセンスが色濃く出ている作品であると感じました。
未知のエリアを航行しているときの正体のわからぬ敵の攻撃。
エンタープライズが大破しまうという状況の中、クルーたちは事態を把握し、その対処方法を探していきます。
事態に対して、持っているリソースでクルーたちが自分たちのスキルを駆使して、どのように解決していくかという理性的なアプローチが「スター・トレック」らしい。
本作のテーマとしてはUSSエンタープライズのクルーたちが戦うことがレゾンデートルである軍人ではないということにスポットがあたっているように思いました。
彼らは探検家であり、科学者であり、外交官です。
未知のものに出会い、相互理解を深めていくことにより、平和を築いていくというのが彼ら本来の役割であるということが描かれており、その点でおいても「スター・トレック」らしさが出ている作品であると感じました。
かといって娯楽映画としての見せ所もふんだんに用意してあるので、飽きることもありませんでした。

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2016年10月 3日 (月)

「スーサイド・スクワッド」 DCはメジャーになれるのか?

DCの悪人(ヴィラン)版「アベンジャーズ」と言ったところの作品。
コミックでDCと言えばマーベルと双璧の存在であるが、こと映画においてはその存在はマーベルに大きく水をあけられているように思える。
今年に入り「バットマンVSスーパーマン」の公開、続いて「ワンダーウーマン」も公開予定ということで、マーベル追撃の姿勢を見せているが、なかなか追いつくまではいけていないというのが私の印象だ。
この違いはどこにあるのだろう?
おそらくマーベルはスーパーヒーローものというジャンル系映画に興味を持たない人も取り込めているのに対して、DCはマニアックなオタク路線で展開しているということなのではないか。
言葉を替えれば、マーベルはスーパーヒーローもの等の素地がない人が見ても楽しめて親切なつくりになっているのに対し、DCはある程度ジャンルに対するバックボーンが求められるように思う。
マーベル・シネマティック・ユニバースは「アイアンマン」からスタートしたが、そもそもアイアンマンというヒーローはそれほど著名ではなかった。
しかしマーベルは主演にロバート・ダウニーJr.を起用したり、監督にはジョン・ファブローをあてたりとこのジャンルイメージとは違う布陣で挑んだ。
この布陣はジャンルムービーが持つマニアックさを抑え、メジャーな匂いがする作品にすることに貢献できたと思う。
このことにより、スーパーヒーローものはそのジャンルが好きな人々だけで楽しむというものではなく、それ以外の多くの観客に広く門戸を開くことに成功したと思う(一昔前はデートムービーにアメコミ映画を選ぶというセンスはなかったと思う)。
その後、他のマーベル・シネマティック・ユニバース作品でもマーベルはこのメジャー化戦略を推し進めていく。
また「アイアンマン」からスタートし、「インクレディブル・ハルク」「マイティ・ソー」「キャプテン・アメリカ」というようにユニバースを拡大し、「アベンジャーズ」としてフェイズ1をまとめ上げた。
アイアンマンにしてもソーにしても、バットマンやスーパーマンに比べれば当初はマイナーな存在であったのだが、マーベル・シネマティック・ユニバースを積み上げていくうちに、メジャーになっていた。
さらには全く知らないヒーローであっても、マーベルであるならばおもしろいと観客に思ってもらえるようになっていったと思う(「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」や「アントマン」等)。
いわば「マーベル」を信頼のブランドにすることができたのだ。
極めて「マーベル」は戦略的にマーケティングをしているようにみえる。
「スーサイド・スクワッド」の記事にもかかわらず、延々とマーベルの話を書いてしまったが、対してDCはどうか。
冒頭で書いたようにDCはマニアックすぎるアプローチをしているように見える。
本作をヴィラン版アベンジャーズと言ったが、これはかなり変化球な切り込み方だ。
確かにスーパーヒーローものでは悪役が人気となるケースは多くある。
本作にも登場するジョーカーなどはその筆頭だと思うが、そもそも悪役はヒーローがあってこその存在である(ヒーローは悪役あっての存在ともいえるが)。
なのでヴィランが主役の物語はあくまでサイドストーリーであるはずなのだが、本作の場合はサイドストーリーが先にできてしまったという感じがする。
アメコミマニアからすれば、デッドショットもハーレイ・クインもメジャーな存在なのかもしれないが、それほどこのジャンルに造詣が深くない観客からすれば「誰それ?」という感じだろう。
おそらく制作側もそれはわかっているからこそ本作で登場人物の背景を織り込んできたのだろうが、やはりキャラクターを魅力的に描くほどには踏み込めていない。
ジョーカーとハーレイ・クインの倒錯的な純愛は一本作れそうな可能性があると感じたのだが、本作の中ではダイジェストのような扱いであったので、少々もったいないと感じた。
DCもマーベルにならって、「アベンジャーズ」のようにヒーローたちの物語がクロスオーバーしていくジャスティス・リーグを展開していくことをもくろんでいくようだが、マニアックなアプローチのままだと大きなムーブメントにはなりにくいような気がする。
このマニアックなアプローチは本作の製作総指揮で入っていたザック・スナイダー(「ウオッチマン」「マン・オブ・スティール」)のセンスなのだろうと感じる。
「ダークナイト」のクリストファー・ノーランは作家性の強い監督であったが、マニアックではなかった。
作品の情報量は多かったがあくまでノーランがストーリーを描くためであって、マニアックなキャラクターを描くためではなかったと思う。
広い層をとっていくのか、マニアックな層をとっていくのかは、規模の大きいプロジェクトとしては大事なところなので、マーベルにならうだけではなく、DCの戦略が求められる気がする。
本作単体の評価として気になったところでいうと、ストーリーの組み立てが少々わかりにくい箇所がいくつかあった。
後半はスーサイド・スクワッドが派遣される事件について物語は展開するが、その直前にフラッグ大佐とジェーンが地下鉄に行くシーンから突然ジャンプしたように感じられた。
後で「実はそのとき・・・」的な描かれ方で補足されるのだが、少々わかりにくいように思う。

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