2022年8月15日 (月)

「ゴーストブック おばけずかん」でも大丈夫

6歳になった娘と一緒にこちらは見てきました。
一緒にアニメ映画は行ったことがありましたが、実写の映画は初めて。
2時間近くの尺なので大丈夫かな?と思いましたが、娘から行きたいと言い出したので、思い切って言っていました。
Youtubeなどで予告を見ていたらしく(今時の子どもらしい)、「『ずかんぼ』というお化けが出るんだよ」と言っていました(正確には図鑑坊でしたが)。
しっかりと映画好きに育ってくれています。
ストーリーとしてもちゃんと理解していたらしく、泣くべきところで泣いてました(ヒロインの湊が、主人公たちに別れを言うところ)。
ちゃんと感受性高く育ってくれてると感動しました。
さて、映画本編についてです。
本作は山崎貴監督ですが、今までもジュブナイルものを数多く手がけているので、子供でも見やすく、かつ大人の鑑賞にも耐えうる作品にしっかりと仕上がっていると思います。
子どもたちは願い事を叶えるためにお化けの試練に立ち向かいます。
試練は子どもたちにとってかなりの難易度ですが、彼らは前向きにその試練に挑みます。
この前向きさがいいと思いました。
現実の世界は色々難しいことも多いですし、自分の思う通りになるとは限りません。
けれども諦めずにやっていれば、事態はどうにかなったりするもの。
「おばけずかん」の中の文章に「でも大丈夫」という言葉が
必ず入っているのですが、これはこのような楽天的なものの見方をうまく表現できていると思いました。
必死に頑張るのは大変だけど、きっと良くなる、と信じる楽天性は人生生きていくには必要だと思います。
主人公たち3人はそんな楽天性を持っていると思いました。
唯一の大人として冒険に参加することとなってしまった先生役の新垣結衣さんも良かったです。
彼女は人生ちょっと諦めモードになっていたように思います。
就職もうまくいかず、流されるように代役の先生を勤めます。
けれど子どもたちと過ごす時間を通じ、彼女は本来やりたかったことを思い出しました。
彼女もこんな状況だけど「でも大丈夫」と思えるようになったのです。
大人の方がかえって諦めがちかもしれません。
「どうせ」とか「でも」とか否定的な言葉が頭の中に浮かびがちです。
そんな時こそ「でも大丈夫」という言葉が大切なのかもしれないですね。
そんなことを娘なりに感じてくれたようなので良かったです。

| | コメント (0)

2022年8月11日 (木)

「劇場版 仮面ライダーリバイス バトルファミリア」尺が短く印象薄い

通常、夏の「仮面ライダー」の劇場版は単独作品で1時間半弱くらいの尺で公開されることが多いですが、本作はほぼ1時間と例年よりもかなり短くなっています。
そのせいか、内容的にはやや薄く、掘り下げが甘い印象です。
テレビシリーズがかなり凝ったストーリー展開なのに対して、物足りない印象が残りました。
「仮面ライダー」シリーズの単独作品は、テレビシリーズと同じ時系列に設定されるタイプと、パラレルワールド的な世界のタイプと分けられますが、本作は前者。
ちょうど放映されているテレビシリーズとほぼ同じころの出来事のようです。
テレビシリーズ第47話ではジョージ狩崎が五十嵐家を襲ったところですが、彼の悪魔が劇場版でのヒールとなっており、狩崎を中心にテレビと劇場版が密接にリンクしています。
この手法は両方を盛り上げるには有効かもしれませんが、劇場版単体として見ると、ちょっと分かりにくく、それが内容の薄さにつながっているような気がします。
「仮面ライダー電王」の劇場版も同じような印象でした。
私にとって歴代平成ライダーの劇場版の最高傑作は「仮面ライダーW」で、これもテレビシリーズと同じ時系列の作品ではありましたが、単独作品としても見応えのある作品として仕上がっていたように思います。
最近では「仮面ライダーゼロワン」の劇場版も良かったですが、それらと比べるとストーリーの密度がやはり低い。
監督は「仮面ライダーW」や「仮面ライダーフォーゼ」の坂本浩一さんなので、多人数ライダーのアクションは見せ所がたくさんあります。
それぞれのライダーのかっこいいところを見せる手腕はさすがだと思いますね。
とはいえ、ストーリーが物足りない。
同時上映の「ドンブラザーズ」が短尺ながらキレキレだったのに比べて、残念な印象は残ります。

| | コメント (0)

2022年7月29日 (金)

「キングダム2 遥かなる大地へ」最初から最後までクライマックス

嬴政が王座に返り咲いたところで1作目は終わりました。
前作でもアクションは見せ場もたくさんあり、見応えがありましたが、本作はスケールが違います。
2作目で舞台となるのは主に戦場。
というより最初から最後までほぼ戦場です。
嬴政が復帰したとはいえ、まだ不安定さがある秦国へ隣国魏が攻め込み、蛇甘平原で激突しました。
信は一兵卒として参加し、初陣を飾ります。
歩兵対歩兵、または歩兵対戦車隊といった大規模な戦いは前作にはない迫力です。
さすが中国でロケをしただけのことはあると思いましたが、本作の制作はコロナ禍にかかっていたとのこと。
大規模な軍勢同士のぶつかりはリモートで中国で撮影し、役者がアクションする寄りのカットは日本で、とカットごとにどこで撮るかを細かく設計していったそうです。
これはなかなか大変なことだと思いますが、違和感なくつながっていたと思います。
信を演じる山崎賢人さんは相変わらずのフィジカルの強さで、見事な立ち回りを見せてくれましたが、今回は羌瘣を演じる清野菜名さんの美しい動きに魅せられました。
彼女のことはほとんど知らなかったのですが、こんなにアクションができる女優さんがいたんですね。
かなりの逸材だと思いました。
まさに舞踏のような流れる動きの中でのアクションは、豪快な信のスタイルとは対象的でした。
信は大将軍になるという夢を追いかけています。
しかし、大将軍になるにはただ戦いが強いということだけでは難しい。
信は初めての戦いの中で、さまざまな男たちに出会うことにより、それを学んでいきます。
縛虎申は最初はただの非情な部隊長のように見えますが、戦士として決して折れない心を持っており、いかに高い壁であろうとそれを突破しようとする強さを持っています。
あくまでも目的にこだわり抜くという揺るぎなさは上に立つ者に求められます。
最後に一騎打ちで勝負をつける麃公と呉慶ですが、方や戦の匂いを感じ直感で行動する将軍であり、もう一人は膨大な知識をベースに緻密に組み上げられた作戦を実行していくタイプです。
スタイルは違いますが、彼らは局地での戦いではなく、大局を見て行動しています。
信は目の前の戦いばかりを見てしまうきらいがありますが、彼らの戦いを見ることにより、より高い視座を得ることができました。
次回は一転して秦国内部での戦いになる模様。
国と国がぶつかり合う戦闘ではなく、暗殺戦になるのでしょうか。
陽の戦いから陰の戦いへ。
さらに信は進化していくのでしょう。

| | コメント (0)

2022年6月15日 (水)

「機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島」アムロの兵士としての成長

ファーストガンダムの中でも異色のエピソードである第15話
「ククルス・ドアンの島」。
「作画崩壊」とネタにされることも多い回ですが、戦争を描いたエピソードとして印象が強いです。
ファーストガンダムは前半はアムロの少年から戦士への成長を、後半はさらにニュータイプへの覚醒を描いているのがストーリーの本筋ですが、その大きな流れの中で挟み込まれている1話完結の回で、戦争を間近な視点で描いている特異なエピソードがいくつかあります。
第13話「再会、母よ…」では戦争の渦中に突然放り込まれ戦士として成長せざるを得なかったアムロに対し、その外側に立ち彼を非難する母親カマリアを描くことにより、当事者と傍観者の超えにくい断絶を浮き彫りにして、戦争を表現します。
また第28話「太平洋、血に染めて」での戦下で戦争と折り合いをつけながら懸命に生きるミハルの悲劇は、一般市民視点での戦争の平等性(誰にも差別なく悲劇が起こりうる)の容赦なさを感じさせます。
この2話はアニメの中の戦争がフィクションとして描かれていることが多い中、リアルな手触りを持って描写されていて強い印象を残しました。
ちょうどウクライナでの戦争が展開されている中で、我々はニュースなどの報道を通じてそれを見ていますが、どうしても傍観者の視点になってしまいます。
第33話「コンスコン強襲」で、ジオンとホワイトベースの戦いを中継で見ている市民たちが描かれていますが、それと同じ視座です。
この話では同じようにガンダムの戦闘をテレビで見て狂喜するアムロの父、テム・レイも登場しますが、戦争を傍観者としている点でカマリアと同じです。
第13話、第28話はそのような傍観者としての視座ではなく、戦争が引き起こす出来事を市民の視点を入れて描くことにより、見ている者にリアルな手触りの戦争を感じさせます。
この映画の元となった第15話「ククルス・ドアンの島」もそのようなエピソードであったと思います。
タイトルに名前が出ているドアンはジオン軍の脱走兵であり、戦争孤児となった子供たちを隠れながら守り育てています。
彼はジオン軍の中でも実力がある戦士であり、使い古されたザクを駆り、子供たちを守るため訪れる連邦やジオンのモビルスーツを屠ってきました。
この辺りはテレビのエピソードと同様なのですが、映画は異なる点もいくつかあります。
映画は監督である安彦良和氏のオリジン版をベースにしているということで時間軸が異なります。
テレビ版ではドアンの島をアムロが訪れるのは地球降下後割とすぐですが、オリジン版ではジャブロー戦以降となっているとのこと。
これで何が違うかというと、おそらくアムロが兵士としてどの程度成長しているかということだと思います。
テレビ版ではまだ兵士としての自覚はあまりない状態(ブライトに張り倒される前ですので)ですが、おそらく映画ではジャブロー戦を経て、兵士として行動できるようになっているような気がします。
それが如実に出ていたのが、アムロがガンダムで生身のジオン兵を踏み潰してしまうシーンです。
これはかなりショッキングなシーンではありましたが、兵士としてのアムロとしては、あそこでジオン兵に発見され部隊に連絡されれば、子供たちが危機にさらされるため、手段を問わず、止めなくてはいけなかったのだと思われます。
兵士としてのアムロからすれば、子供たちの世話をするドアンの行動は奇妙にも感じられますが、まだ一般市民の頃の気持ちも持ち合わせている彼は、共感できるところもあったのだと思います。
心情的には兵士と市民の端境にいるのかもしれません。
テレビでも映画でもアムロはドアンに「あなたがまとっている戦争の匂いのせいだ」と言いますが、テレビの場合はまだ戦士にもなっていない少年の言葉としては少々背伸びしすぎているような印象もありました。
しかし映画では兵士として行動できるようになっているアムロですので、このセリフも言ってもおかしくないと感じました。
このアムロは巻き込まれて生きるために戦っているのではなく、兵士として自覚を持って戦争に向かい合っているからです。
そんな彼が、自覚が持って戦争を降りたドアンに対し、降りるのであればしっかり降りねばいけないというアドバイスを送ったのだと感じました。
本作で描かれる戦闘は小規模な局地戦であり、俯瞰した戦争というよりは人間の目線からの見上げる戦争のように感じます。
それは戦争の中にいる市民の目線である訳ですが、アムロはそこから意志を持って戦争というものに向き合っていこうとしているということを強く感じました。

| | コメント (0)

2022年5月 3日 (火)

「映画 クレヨンしんちゃん もののけニンジャ珍風伝」 先送りとの戦い

前回に引き続き、5歳の娘と行ってきました。
5歳と言えば、しんちゃんと年齢が一緒ですね。
自分の子供を見ていても思うのですが、子供っぽいおバカなこと(しんちゃんの真似をしてお尻プリプリ〜とかやったりする)もするかと思うと、時折妙にしっかりしたことを言ったりして驚かされます。
改めてしんちゃんのキャラクター設定って、5歳児の生態をうまく捉えているな、と思います。
「クレヨンしんちゃん」は私の子供の頃はまだ始まっていなかったので、子供と一緒に見始める前は見たことがありませんでした。
子供の親になって見てみると、親子の話などはグッとくるものが多いのですよね。
こちらの映画もそうでした。
子供と過ごす日々はかけがえがなくて、親が子供を奪われたならば何があろうと取り戻したい。
そんなひろしとみさえの気持ちに共感しまくりでした。
しんちゃんも家族と過ごす日を大切に思っていて、自分の娘もそう思ってくれていたら嬉しいなとも感じました。
あと、しんちゃんの映画はそのおふざけなトーンの裏に、まじめなテーマが織り込まれていることがあります。
本作で登場する忍者たちは「地球のおへそ」を代々守っています。
そのおへその栓が抜けてしまうと、たちまち地球のエネルギーが放出されてしまい、地球は滅びてしまうからです。
この忍者たちを統べるのが長老です。
彼は地球のおへそを守っているかと思いきや、純金からできている栓から得られる富で私腹を肥やし、地球の将来のことなど全く気にしていないのです。
この長老という人物は現在の社会における指導者たちの姿と重なります。
環境問題を含め、地球が課題を持っていることを知りながら目先の利権ばかりに目を奪われ、問題を未来の子供たちに先送りにしてしまっている。
そういう施政者のメタファーがこの長老なのです。
彼に対して、子供たち、そして彼らの親たちが戦いを挑むのが本作です。
子供にはずっと幸せに暮らしていってほしいと思うのが、親心。
その親心を施政者は忘れているのではないか。
相変わらず「クレヨンしんちゃん」は奥が深いと思った次第です。

| | コメント (0)

2022年4月29日 (金)

「カモン カモン」 子供と過ごす時間

自分の娘もあと少しで6歳になります。
初めての子供を育てながらちょっと驚いているのは、子供とは大人が考えているほど子供ではないということ。
「子供騙し」という言葉がありますが、それは子供というものがわかっていないような気もします。
大人が思っている以上に子供は、色々なことがきちんとわかっていると感じています。
自分の周りにある物理的環境のこと、人間関係のこと、哲学的なことについて感じているし、考えてもいます。
ちょっと大人とは違うかもしれないけれど、考えています。
ですので、私は娘と接するときは一人の人間として扱おうと思っています。
「親の言うことを聞きなさい!」と言うのではなく、道理を説いてわかってもらうようにしています。
あと遊ぶ時も、一緒に一所懸命遊ぶようにもしています。
主人公ジョニーも甥っ子のジェシーの面倒を身始めた時に、同じような驚きを感じたのではないでしょうか。
人間同士なのでぶつかりもする。
逆に気を使いすぎたりもする。
大人だから、子供だからという区別ではなく、同じ人間として接したい。
自分も完璧ではないので、色々イライラすることがあった時に、子供へも厳しく言ったりすることもあります。
そういうときは、後で落ち込んだりするのですが、謝るようにはしています。
子供も子供なりに自分の周囲での人間関係で嫌な気分になったりすることもあるようです。
そんなときはなるべく聞いてあげれるようにしたい、と思います。
ジョニーがふと目を離した隙にジェシーがいなくなってしまう場面がありました。
私も同じような経験がありました。
子供はかくれんぼの気分でやったようなのですが、その時の不安というか、恐怖は忘れられません。
そのときはひどく怒ってしまったので、もう娘もそんなことはしなくなりましたが。
私は子供を得たのがかなり歳を食ってからなので、本当にこの子が大人になって結婚して子供を産むまで生きていられるのかしら、と思うことがあります。
ですので、なるべく一緒にいる時間を大切にしたいと考えています。
終盤でジョニーが、一緒に過ごした時間のことをジェシーはいつかは忘れてしまうんだね、と言った時、ジェシーがひどく悲しそうだったという話が出てきます。
私も娘と楽しく暮らしていますが、時々こういう楽しい時間は大きくなったら忘れちゃうんだろうな、と思う時もあります。
ちょっと悲しい気分になります。
ジェシーが「僕は忘れちゃうの?」と聞いたら、ジョニーは「僕が思い出させてあげるよ」と答えました。
とてもいいな、と思いました。
娘も忘れちゃうかもしれない。
でも「こんなことがあったよ」と大人になった時に話せるといいなと思いました。
私は映画を見るとき、どういうふうに解釈すべきかと考えながら見る癖があります。
本作もそのように見ていたのですが、途中からそんなことはしなくなりました。
ジョニーが一時的とは言いながらも子育てに奮闘する様を見ていて、そして彼の価値観が自分にすごく近くて、自分を投影しているかのように感じました。
もはや解釈するのではなく、感じながら見ていました。

| | コメント (0)

2022年3月22日 (火)

「ガンパウダー・ミルクシェイク」いい拾い物!

痛快!爽快!こんな映画が見たかった!
映画を色々見ていると時々、あんまり期待していなかったのに、いい拾い物をしたと思える時があります。
まさにこの作品はそれ!
女性が活躍するアクションは好きで、最近では「355」も面白かったのですが、あちらは「007」「ミッション・インポッシブル」的な正統派スパイ映画。
こちらはタランティーノの「キル・ビル」的なマニアックで過激なカルト的なテイストがプンプンです。
監督はイスラエルのナヴォット・パプシャド。
全然知らない監督ですが、以前に撮った「オオカミは嘘をつく」(私は未見)をタランティーノが絶賛したらしいですね。
パプシャド自身はタランティーノだけでなく、ヒッチコックや黒澤明、セルジオ・レオーネから影響を受けていると言っていますが、そもそもタランティーノもその辺りから影響を受けていますからね。
日本も好きらしく、主人公サムが着ているTシャツには怪しげな日本語が書いてあるし、最初のシーンの衣装はまるで「女囚さそり」ですし、十分に伝わってきます。
アクションシーンは過激かつキレがある。
後半の図書館でのガンアクションもなかなかに良いですが、私が好きなのは中盤の三バカとの対決シーン。
サムは両腕に麻酔を打たれて自由が利かない中、メスと拳銃をテープで括り付けて応戦します。
その辺にあるものを臨機応変に使ってアクションをしていく様はジャッキーの映画にも通じるところも感じます(もちろんジャッキーにも影響を受けているらしい)。
ここのシーンだけでも一見価値ありです。
ところどころ入ってくるスローモーションを効果的に使った演出はジョン・ウーっぽいですし。
好きな映画の要素が詰まっていて、たまりません。
主人公サムは背が高く、手足も長くて、アクションが非常に見栄えがよろしい。
「キル・ビル」のユマ・サーマンに通じるカッコよさですが、これは誰だ?と思って調べたらカレン・ギラン。
どっかで名前を聞いたことがあるような・・・。
さらに調べたら「ガーディアン・オブ・ギャラクシー」のネヴュラでした。
あちらでは特殊メイクバリバリだったので、素顔を知りませんでした・・・。
現在35歳のようですが、童顔な感じがあるので、今回の役柄に非常に合っていました。
これからもアクション続けていってくれないかな。
本作十分続けられる要素はあるので、第二弾を期待したいところです。

| | コメント (0)

2022年3月16日 (水)

「ゴヤの名画と優しい泥棒」見ないようにするか、対処しようとするか

1961年にイギリスのロンドン・ナショナル・ギャラリーからゴヤの名画「ウェリントン公爵」が盗まれました。
その犯人は実は60歳のタクシー運転手ケンプトン・バントン。
彼は「公爵」の身代金(?)として年金受給者のBBC受信料をタダにせよ、と要求したのでした。
そんなバカな、という話ですが、これは実際にあった話ということ。
ケンプトンは10歳近くにいたら、結構な変人だとは思いますが、作品では愛らしいポジティブさを持った人物として描かれています。
それに対して彼の妻は非常に普通というか、保守的で常識的な人物として描かれています。
この二人の夫婦が対照的です。
二人には娘がいました。
しかし、ケンプトンが買い与えた自転車に娘が乗っていた時に事故に遭い、彼女は亡くなってしまいました。
夫婦二人は共に悲嘆に暮れますが、悲しみへの対処の仕方が全く異なります。
妻は彼女の死、自体を受け入れようとしません。
彼女のことを思い出して苦しくなるからか、彼女の遺影を飾ることも嫌がります。
ケンプトンは自分が原因であったかもしれないと悔やみつつも、娘の死は受け入れています。
彼らは不都合なことを見ないようにするか、見て対処しようとするか、全く対応の仕方が違います。
ケンプトンは元々社会が内在している不都合に対して、物を申す人物でした。
働いている会社で経営に対し、色々注文をつけるため、中々仕事も長続きしません。
物語の中で彼が気にしているのは年金生活をしている老人たちです。
彼らの世代は世界大戦で家族を失い、孤独に生活している人も多い。
彼らの唯一の楽しみは孤独を紛らすテレビであるのに、生活が苦しい彼らからも国は受信料を取ろうとする。
彼はそれに憤慨していました。
そのことに対し彼は「公爵」を使って、要求をしようとしたのです。
もちろんそのような行動を知った妻は卒倒しそうなほどに驚きます。
価値観が違うのでそれも尤もなことです。
裁判を通して変人でもある夫が、本当に不遇な状況にある人たちを救うために、時にユーモアを交えて、訴える様子を彼女は見ます。
そしてその言葉に多くの人が賛同していく様子も。
見たくない現実をしっかりと見て、行動していくことによって少しでも変えられることを。
そんな夫の姿を見て、妻は娘の死にようやく向き合おうという気になりました。
不都合なことを見ないようにするか、それに対処しようするか。
向き合う勇気をケンプトンは伝えてくれたように思います。

| | コメント (0)

2022年2月27日 (日)

「ゴーストバスターズ/アフターライフ」 世代を越えて継がれる物語

2016年の「ゴーストバスターズ」はメンバーを全て女性にした形での「リブート」作品でしたが、本作は正当な続編という位置付けになります。
それもそのはず、プロデューサーは1、2作目で監督を務めたアイヴァン・ライトマンであり、監督はその息子のジェイソン・ライトマンとなっていますから(アイヴァン・ライトマン、亡くなってしまいましたね・・・)。
ストーリーも1、2作目を受けた形で、主人公の女の子はオリジナルメンバーのスペングラー博士の孫娘という設定です。
スペングラー博士を演じていたハロルド・ラミネスは亡くなっていますが、オリジナルメンバーのダン・エイクロイド、ビル・マーレイ、そして最後にシガニー・ウィーバーも登場します。
設定的には正当な続編ですが、テイストは監督の個性や時代性を含め、少し違ってはいます。
2016年の「ゴーストバスターズ」はオリジナルのテイストをなるべく活かす方向でのアプローチだったと思いますが、本作は焼き直しではなくジェイソン・ライトマンらしいテイストがあったかなと感じました。
オリジナルは80年代という時代性もあり、ポップでライトな感覚で、登場人物もキャラも立っていて気軽に見れるコメディというテイストでした。
ゴーストを扱っていながらもホラーな雰囲気はほぼなく、ライトテイストであることが新しく、かつ時代に会っていたのだと思います。
その分、登場人物の心情などはリアルというよりはキャラクター化されていたような印象が強いですね。
それに対して本作では登場する人物はオリジナルよりは現実に存在するような人として、心情についても深く描かれています。
特に印象深かったのは主人公フィービーの母親であるキャリーでしょうか。
彼女はスペングラー博士の娘でしたが、彼が研究に没頭するために捨てられたと思って生きてきていました。
しかしスペングラーは人知れず一人で再びズールーが復活しようとするのを防いでいたのです。
彼からすれば危険なところに家族を置いておきたくなかったのかも知れません。
本作で描かれる物語で、娘のフィービーがまるでスペングラー博士の生まれ変わりのように彼が成したかったことをやろうとします。
その中で博士が意図していたことにキャリーも気付きます。
最後にゴーストとしてスペングラーが現れ、自分の娘と気持ちのやりとりができたところはちょっとグッとくる場面でした。
ここはセリフがなかったのも良かったです。
CGだとは思いますが、ラミネスの表情も良かった。
キャリーだけでなく、フィービーについても内気な少女が祖父の軌跡を追いながら、成長していく様を描いていく様子も良かったです。
もちろん、オリジナルのファンも喜ぶ場面もちゃんと用意されていて、オリジナルメンバーが登場し、あのコスチュームでゴーストたちをキャッチする様子はなかなか痺れました(返す返すもラミネスがいないのが残念)。
とはいえ、次につながりそうなフリも用意されていて、次回作も期待したいところですね。
このところ「スパイダーマン」「ゴーストバスターズ」「アンチャーテッド」とソニーの作品ばかり見ているな・・・。

| | コメント (0)

2022年1月16日 (日)

「クライ・マッチョ」二人の人生の交流

クリント・イーストウッド演じるマイクは元ロデオスター。
事故により引退し、その上妻子を事故で失い、酒や薬に溺れ置いて落ちぶれてしまった男です。
昔ながらのカウボーイというのは男の中の男(まさにマッチョ)というイメージがあり、憧れと共に語られることが多いですが、現代においては過ぎ去った古き良き時代のものとも受け止められますね。
イーストウッド自身はかつてマッチョな男たちを演じてきましたが、「許されざる者」以降からは、時代の変化とともにそれまでの価値観や見方が変わっていっていることに面することなるそのような男たちを描いてきていると思います。
本作の舞台となっているのは80年代で、まだマッチョな男たちが憧れであった時代。
しかしマイク自身はすでに老い、若い頃自分が信じていた価値観そのものが自分の中で変わっていることを自覚しています。
若い頃は、強いことが正義であり、誰にも負けない男であろうとした。
しかし、さまざまなものを失い、そして自身からも強さが失われていったとき、自分の中に何も残っていないという自覚があるように感じます。
この辺りは最近のイーストウッド主演の作品に通じるところがあるかと思います。
この作品でイーストウッドと共に旅をすることになるラフォという少年。
彼は母親に反発し、ストリートで生活しています。
今の生活から脱出したいと考えており、そのためには自身が強くなりたい、マッチョになりたいと考えています。
本作は男らしい男になりたいと願う少年と、そのことへ価値を感じられなくなった老人とのロードムービーになります。
二人は互いに影響を与え合います。
マイクからすれば、少年の描く夢はいつしか挫折し、自分のように後悔を感じることになるかもしれないとも思っているでしょう。
しかし、だからと言って少年の行く道を否定するわけではありません。
そして少年も、マイクは年老いた自分の中には何もないと思っていたかもしれませんが、彼の中には強い男が持っているやさしさが依然としてあることに気づかさせてくれます。
マイクは旅の途中で会った女性とその家族や街の人々と交流する中で彼の優しさを人々が認め、そこが彼にとって大切な場所となっていきます。
少年が歩み始めた道には挫折もあるでしょう(父親との暮らしも多難なことが想像できる)。
しかし、彼はマイクとの交流により強い男には強さだけが求められるわけではないことを知りました。
そしてマイクも自分の中に残っているものがとても大事であることに気づき、人生最後の時間に最も大切な場所を得ました。
全く歳が異なる二人のしばしの旅路の中でそれぞれの人生に影響が与えられたことを描いた作品でありました。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧