2018年8月16日 (木)

「劇場版 仮面ライダービルド Be The One」 改めてわかる本編の力強さ

TVシリーズがいよいよ終盤になり、目が離せない展開となっている「仮面ライダービルド」の劇場版です。
「仮面ライダービルド」は一年に及ぶ長期のシリーズでありながら、1クール目から次から次へとどんでん返しが続き、ずっと緊張感のある物語になっています。
最近の平成仮面ライダーはかなり物語的にもビジュアル的にも盛り沢山になって来ていて食傷気味なところもあったのですが、「ビルド」はいい塩梅であるような気がします。
決してシンプルな物語でもないのですが、基本的には戦兎と龍我の二人を軸にストーリーが展開するので、観やすいのかもしれません。
また敵が圧倒的に悪い奴(エボルト)であるのも観やすいポイントかもしれないですね。
敵にも敵の事情があるというストーリーだと、ストーリーも複雑になりがちですから。
出物やキャラクター、またキーアイテムといった要素は多いお話だと思うのですけれど、主人公と敵役がしっかりと軸が定まっているので、「仮面ライダービルド」は安定感がある物語であり、最後まで引っ張る力強さがあるように思います。
というようにTVシリーズはしっかりと軸がある物語なので、劇場版はどうしてもそこからのスピンアウトになってしまいます。
仮面ライダーの劇場版というと、TVシリーズとは関係ないパラレルワールド的なストーリーにするか、もしくは後日談という展開がありますよね。
今回の劇場版はそのいずれでもなく、TVシリーズ本編の終盤に入る物語になります(「仮面ライダーW」の時と同じパターン)。
このパターンは本編との関係性が難しいのですよね。
本編とリンクがある展開にすることも可能ですが(例えば「仮面ライダー電王」の時など)、劇場版を観ないとTVシリーズの方がよくわからない展開になるというのも不親切です。
なので、本編にあまり影響のないサイドストーリーとならざるを得ないのですが、本編が力がある物語になっているとどうしてもサイドストーリー的な弱さが出てしまいます。
先に書いた「仮面ライダーW」の劇場版は、劇場版として独立させてもとても見応えのある作品に仕上がっていたと思うのですが、なかなかいつもこのようにうまくはいきません。
本作「仮面ライダービルド」の劇場版はあまりうまくはいっていなかったかなという印象です。
映画として劇場版がよくできていなかったというつもりはなく、どうしても本編の方が力強すぎて映画の方が傍流感が出てしまった感じですかね。
悪役でブラッド族というものが出て来ますが、凶悪さでいったらTVシリーズのエボルトの方が一枚も二枚も上手。
エボルトが圧倒的な悪役だからこそ、TVシリーズが盛り上がっているとも言えるわけです。
なかなか仮面ライダーたちがエボルトに勝てそうにないという緊迫感がたまらないのです。
そのエボルトに比べるとブラッド族の3人は役不足。
この辺りが本編の力強さに敵わないという理由でしょうか。

気になったのは、次回作「仮面ライダージオウ」です。
平成仮面ライダー20作目、最後の平成仮面ライダーとして、今までのライダーの力が使える究極のライダーとして登場するということは、すでにリリースなどで発表されています。
本作が映像で初登場となるわけですが、なかなかに期待ができそうな感じがします。
節目のライダーといえば10作目の「仮面ライダーディケイド」が思い出されます。
この作品でもそれまでのライダーの力を使えるというコンセプトがあり、また「ライダー大戦」という圧倒的なビジュアルインパクトのあるオープニングで圧倒されました。
今回のジオウ初お披露目となる場面は、その「ライダー大戦」の場面と同じロケ場所でしたね。
そしてそこでも大勢のライダーが戦っている。
これは意味がある場面なのですよね・・・。
「ディケイド」の時の「ライダー大戦」がまた再現されるのか。
「ビルド」のラストも気になりますが、「ジオウ」の初登場の時も気になります。

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「快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー en film」 TVシリーズをグレードアップ

そして人々と正義を守るために日夜ギャングラーと戦う警察戦隊パトレンジャー。
彼らはそれぞれに信念があり、ギャングラーたちと戦います。
また泥棒と警察官という立場ですから、彼ら同士でも戦うこともあり、ギャングラーと合わせて三つ巴の戦いになることも。
これが物語的にもアクション的にも緊張感を高め、30分の番組でありながら非常にエンターテイメントとして完成度の高いスーパー戦隊となっています。
劇場の監督を務めるのは、TVシリーズのパイロット監督も務めた杉原監督。
「ルパパト」のテイストを作った杉原監督ですので、劇場版もスピーディで見応えのある一本に仕上がっていました。
スーパー戦隊の映画は劇場版とはいえ、尺はほとんど30分程度なので、盛り込む内容が多すぎると破綻しやすいのですが、今回の作品は普通のTVシリーズと同じようなエピソードであったので、コンパクトで観やすかったです。
TVシリーズでは共闘することがあまりないルパンレッドとパトレン1号が一緒に戦うというのが、劇場版ならではの特別感ですかね。
あとTVシリーズでも特徴的であったアクションシーンでの、非常に動きのあるカメラワークもかなり使っていましたね。
これはゴープロとかを使っているのかな?
TVシリーズではこのような場面はやや画面の劣化が感じられましたが、劇場版ではそのほかのシーンと遜色のない画質のように見えました。
機材も奮発しているのかな。
あとロボ戦でも着ぐるみとCGを上手に使い分け、キャラクターのアクションシーンと同様にスピード感の感じられる戦いになっていました。
「ルパパト」は全体的にテンポがスピーディで小気味好いですよね。
劇場版だからと言って特別なことをするのではなく、いいところをグレードアップしている感じがします。
TVシリーズも今後の展開が楽しみです。

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2018年6月 9日 (土)

「仮面ライダーアマゾンズ THE MOVIE 最後ノ審判」 二人の背負う十字架

「仮面ライダー」シリーズの劇場版となりますが、いわゆるテレビで放映されている平成仮面ライダーシリーズとは異なり、非常に大人向けの内容となっています。
そもそも「仮面ライダーアマゾンズ」とはアマゾンプライムでのネット配信用に作られたシリーズで、そのため色々なテレビでの表現上の制約(残酷描写など)から解き放たれて、かなりチャレンジングな内容となっています。
脚本は小林靖子さんで、仮面ライダーシリーズでは「仮面ライダー龍騎」で脚本を担当、13人の仮面ライダーが登場し、お互いに最後の一人になるまで戦い合うという当時としては非常にセンセーショナルな内容でした。
最近では「進撃の巨人」のアニメのシリーズ構成を担当しており、ご存知の通り、こちらも色々な意味でのセンセーショナルさを持っている作品でした。
本作で登場する怪人はアマゾンと言われる人工生命。
彼らは人間の科学によって生み出されたあたかも人間のような姿形をした生命ですが、彼らは人を喰う。
研究所から脱走したアマゾンズは人間社会の中に隠れ、人を喰らいます。
彼らを狩るために、アマゾンズを開発した科学者、鷹山仁は自らにアマゾン細胞を注入し、アマゾン化、アマゾンアルファとなります。
また人間とアマゾン細胞から生み出されたアマゾン、水澤悠はアマゾンでありながらも人を喰うことを厭います。
実はアマゾンの中にも人を喰わず、静かに暮らしたいと考える者もいたのです。
悠はアマゾンオメガとなり、人もアマゾンも守ろうとします。
「仮面ライダーアマゾンズ」はこの二人の物語です。
鷹山はアマゾンが誰であろうと(自分の子であろうと)、彼らを抹殺するという強迫観念を持っています。
彼のアマゾンへの行為は苛烈であり、彼の新年は半ば狂気のようになっています。
それが彼らを生み出してしまった自分の責任であると考えているのです。
彼は「生み出した者」として、十字架を背負ってしまったのです。
そして悠はアマゾンとして「生み出されてしまった者」です。
彼が人を喰うこといかに厭っても、その本能は抑えられない。
そのように生まれてしまったことに彼は責任はないのですが、しかしそういう自分を受け入れなければいけません。
彼はまた違った意味での十字架を背負っているのです。
このシリーズは善と悪との戦いを描いているわけではありません。
生き物が生きるか死ぬかという極限の中に追い込まれ、そのような状況においても尚、生きることを求めてしまうという生命が持つ業を描いているように思います。
劇場版においては鷹山も悠もそれぞれが持っていた「越えてはいけない一線」をも越えます。
鷹山は人を喰うアマゾンを滅ぼすために、アマゾンを抹殺しようとしていたわけですが、その彼が人間を殺してしまう。
また食らうことを忌避していた悠は鷹山を止めるため、アマゾンを喰らいます。
そこまで二人は追い込まれるわけです。
そこまでして二人は生きること、自分が存在している意味を果たそうとするわけです。
「越えてはいけない一線」を越えることは自分が守るべきことと矛盾が起こるわけですが、その矛盾を抱えることを承知で(さらに業を抱えることを承知で)、彼らは戦いに向かいます。
まさに生きるためにはなんでもする、生命の本質を彼らは体現しているのです。
スッキリとした答えが出る作品ではありません。
悶々とするところもあります。
それは理性や倫理、ルールという枠組みで見る味方に慣れているからかもしれません。
生命とはもっと生々しいものであるのでしょう。
「仮面ライダー」シリーズとしては非常に異質感のある作品です。
しかしある種の型ができてきているテレビシリーズに対するアンチテーゼでもあるのでしょう。
そういう作品を作れる「仮面ライダー」はまだまだ懐が深く、可能性を持っているシリーズであると感じました。

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2018年5月24日 (木)

「GODZILLA 決戦機動増殖都市」 諦めか、融和か、支配か

アニメーション版ゴジラ3部作の2作目です。
1作目は想像していたよりも、近年稀に見るSF色が強い作品でした。
前作のラストではようやく無敵のゴジラを倒したと人類が歓喜したその時、それは本当のゴジラではないことが判明、さらに巨大なオリジナルのゴジラが登場し、愕然としたところで物語は終わりました。
そしてさらに地球上には人類の子孫と思しき人々がおり、またかつて対ゴジラ決戦兵器と開発されたものの、開発途上でゴジラに破壊されたと思われていたメカゴジラが存在するかもしれないということが暗示された終わり方でした。
さては2作目はゴジラVSメカゴジラかと思ったわけですが、本作は予想を斜め上にいく展開でした。
本作におけるメカゴジラの本質はそれを構成するナノメタルでした。
これは自己増殖し、進化することができる金属素材です。
いわば金属でできたゴジラ細胞ともいうべきものでしょう。
ナノメタルはゴジラの目を逃れ増殖し、対ゴジラ用の要塞都市メカゴジラシティとなっていました。
人類らはこのメカゴジラシティを使い、再びゴジラに決戦を挑みます。

この3部作のSF色を強くしている設定の一つがゴジラに戦いを挑み、負け、放浪する羽目になったのが、人類だけではなく、エクシフ、ビルサルドという種族も一緒であるということです。
エクシフもビルサルドも故郷を追われ、地球にやってきました。
優れたSF作品は現実の社会問題などを暗示しているものが多いですが、この設定もそのようなものと受け止めることができます。
本作で明らかになるように人類と同様に、エクシフも怪獣「ギドラ」に故郷を滅ぼされました。
ギドラが彼らの技術によって生み出されたものであるかわかりませんが、彼らはその滅びからの学びによって自己犠牲や献身を解く宗教を持つようになります。
一方ビルサルドはやはり自らのテクノロジーで自分たちの世界を追われますが、彼らはあくまでテクノロジーで自然をコントロールできるという考え方を持っています。
本作において、彼らの考え方は顕著に表れ、自らの技術が生み出したナノメタルを使いゴジラと戦います。
しかし、劇中でも指摘されているように彼らの技術がゴジラに勝ったとても、それが新たなゴジラとなる危険性を孕んでいました。
これら3種族はともにテクノロジーの進化の過程で、自然・世界から大いなるしっぺ返しをくらい、滅びに面します。
その経験の中で、生物はどう学ぶことができるのかというこの作品は描いています。
その学びを経た上で生物はより進化することができる。
諦めるのか。
融和するのか。
支配するのか。
ビルサルドはあくまで自然を支配することを目指し、結果より圧倒的な力によってねじ伏せられます。
所詮力では自然を制することはできません。
ゴジラは野蛮で暴力的です。
それだからこそ自然の力を象徴したものとも言えます。
無限とも言える自然を征服することはできません。
それではただその力に屈服して、滅びを待つのか。
それとも融和の道はあるのか。
一つその可能性が見出せるのが、本作に登場した新たな種族フツアです。
彼らは人類の子孫と思われ、ゴジラに支配された世界に適応しています。
フツアはその遺伝子に昆虫のものも取り込んだと思われ、それによりゴジラ化した世界に順応したのです。
まさに融和と言えるでしょう。

圧倒的なゴジラになすすべもない3種族。
そして次回作ではエクシフを滅ぼした「ギドラ」の登場も暗示されます。
ゴジラVSギドラとなるのか。
はたまた再び斜め上を行く展開となるのでしょうか。
なかなか展開は読めませんが、そこがこのシリーズの面白いところ。
さらにハードなSF的な展開を期待したいと思います。

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2018年3月 4日 (日)

「空海−KU-KAI− 美しき王妃の謎」 豪華絢爛な映像と異質感のある演技

夢枕獏さんの「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」を原作として、チェン・カイコーが映画化した作品です。
原作は随分前に読んだので、細かいストーリーは忘れてしまったのですが、かなりボリュームのある作品であったと記憶しています(厚いハードカバーで4巻くらい)。
なので、映画化する時にはかなりイメージが変わるのではないかと思いました。
この作品の原題「妖猫传(Legend of the Demon Cat)」から受ける印象は、日本のタイトルの「空海」とは異なり、怪しげな猫が引き起こす事件そのものをテーマにしているように思います。
確かに内容もその通りで、空海はその謎を紐解くナビゲーターのような役割になっているかと思います。
その方がボリュームのある原作をまとめるには都合がいいかもしれませんね。
ただ日本のタイトルの印象で身始めるとあまり空海が主役っぽく見えないかもしれません。
空海と白楽天の関係性は夢枕獏さんの作品にある典型的なパターンですね。
例えば「陰陽師」シリーズの安倍晴明と源博雅の関係性が近しいと感じました。
非常に論理的で様々な道理に詳しい安倍晴明と、対照的に己の心に素直に物事を眺めることができる源博雅の関係は、そのまま空海と白楽天の関係に映し出されているように思います。
そういう意味では夢枕獏さんの作品の忠実な映画化作品であるなと感じました。
しかし映像スタイルとしては、非常に中国的で豪華で圧倒的なものになっているので、邦画とはまた異なる感じがしますね。
画面全体がキラキラしている感じと言いましょうか。
また俳優さんの演技のスタイルもちょっと芝居っ気がある感じなのですよね。
京劇の影響とかがあるのでしょうか。
そのようなテイストとしてはあまり得意な方ではなかったので、作品としてはちょっと好きかというとそうでもない感じです。
ただ日本とは異なる感覚を感じますので、そういうところを楽しめばいいのであるのだろうと思いました。
ちょっとひどいなと思ったのは、吹き替えですかね。
有名な俳優さんたちが吹き替えをしていたのですが、あまり皆さんうまくない。
そういうところで人を呼びたいというのはわかるのですが、やはりここは得意な声優さんとかにやってもらった方が良かったのではないでしょうか。
特に向こうの俳優さんの演技が日本とはちょっと違うので、そこに割と平坦な声を当ててしまうとなんか盛り上がらない感じを受けたのですね。
だったら字幕の方が良かったです。
とはいえ、日中合作の大作ですので、これがうまくいって次に続くといいですね。

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2018年2月24日 (土)

「グレイテスト・ショーマン」 THIS IS ME

音楽は全く詳しくないのですが、ミュージカル映画は好きという私ですが、予告編でミュージカル映画らしい高揚感を感じた本作を観に行ってきました。
予告編で使っていた「THE GRATEST SHOW」という曲でオープニングが始まります。
うん、ヒュー・ジャックマンがカッコいい。
「レ・ミゼラブル」で彼がミュージカル映画に相性が良いことがわかりましたが、ダンスもきびきびしていて絵になります。
彼が演じるのは、P.T.バーナムという興行師。
全く知らなかったのですが、実在の人物でサーカスという興行を確立させたのが、彼だったのですね。
予告を観た時は、彼が挫折から這い上がり、栄光を手にするアメリカン・ドリームの映画だと思っていました。
もちろん、そういう側面もありますし、また彼の家族愛を描く面もあります。
成功、家族愛といったアメリカ映画の王道のテーマの映画と言えるわけですが、もうひとつ大きなテーマがありました。
それが先に書いたサーカスという場にあります。
サーカスは昔は見世物小屋的な言われ方をし、普通ではない人々(奇形者など)を見せる悪趣味な興行という見方をされていました。
彼らはその見た目から差別され、忌避されていた存在であったわけです。
違うということを白眼視してしまうことは人にはあります。
そしてそのように見られる立場になかなかなることはできません。
自分の目の前に立つなと言われる気持ちとはどのようなものなのか。
自分の存在を否定される言葉や目線に晒される気持ちとはどのようなものなのか。
この映画では他の人とは異なる外見も個性であると言います。
そのような考え方は今、だんだんと浸透してきていますが、まだまだ色々な意見を持っている人がいるテーマであります。
なかなか難しいテーマを選んだチャレンジングな作品であると思いました。
そのような難しいテーマを選びながらも、高揚感を感じ、重苦しくないのは、彼らユニークな個性をもつ人々の気持ちを描いた歌「THIS IS ME」があったからかなと思います。
この歌は、自分たちが他の人とは異なることを自分らしさと認め、それに恥じることなく、堂々と生きていくという気持ちを歌い上げたものです。
この歌は非常に堂々としていて、自分自身を認める気持ちというのは、だれでも共感できるのではないでしょうか。
誰でも人とは違う、人より劣っていると思い、くよくよすることはあるかと思います。
けれどもそれでもいい、そういう自分も認めてあげるという気持ちは非常に前向きなんですよね。
これが多くの人に共感を呼んだポイントではないかと思います。
違う人を哀れむとか、差別をしてしまってはいけないという視点で語るのではなく、みんなが自分のことのように感じることができるこの歌の力は強かったと思いました。
バーナムの描き方も一つ間違うと金儲けのために奇形者を利用する山師的なものに見えてしまいそうですが、そのような人物には見えなかったですね。
彼は確かに成功を求める男でしたが、ただそれだけに純粋に成功を求めていたから、彼らユニークな人々も同等に扱っていた。
途中成功に酔い、それを忘れてしまった時期もありましたが、彼は失敗を通じて学びました。
彼も出身により差別された男でもあったわけです。
だから自分自身だけを信じ、がむしゃらに突っ走った。
そういう意味ではサーカスのファミリーとバーナムもいっしょなわけですね。
おそらく誰でもコンプレックスなり、引け目なりがあるのだと思います。
しかし、それこそが個性、それこそが自分と認めることが前向きに生きていくことにつながるのかなと感じました。

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2018年1月27日 (土)

「劇場版 マジンガーZ / INFINITY」 どこまでオリジナルにこだわるのが正解なのか?

初めて「マジンガーZ」がテレビでオンエアされてから45年。
それだけの年月を経て、新作「劇場版 マジンガーZ / INFINITY」が公開されました。
その頃は私は幼児であったので、楽しみに見ていたのを覚えています。
そう言えば、落書きなどでもマジンガーZを描いていましたね。
おそらく今でも描けます(笑)。
劇場に行ったところ、観客のほとんどが40〜50代くらいであったように思います。
やはりノスタルジーですかね。
ということで、期待半分、不安半分というところで観てきました。
期待については、やはり懐かしいマジンガーZがどのような形でアップデートされているかというところで、また逆に不安なところはオリジナルの良さが改変されていないかというところでした。
そういう気持ちで身始めましたが、なんとも微妙な気持ちになりました。
オープニングでいきなり水木一郎アニキの主題歌だったので、嫌が応にも気分は高まります。
作品の世界観もオリジナルを踏襲していました。
様々な設定、キャラクターの衣装や機械獣のデザインなど、今見ると野暮ったいデザインなのですが、それらも基本的には踏襲しています。
通常、昔の作品をリブートするときは、昔のデザインの考え方を踏襲しつつも、モダンにアレンジするというのがよくあるパターンです。
しかし、本作はオリジナルへのリスペクトなのか、かなり頑固にデザインを守っていましたね。
個人的にはそのあたりは違和感を感じたのですよね。
今の視点でそれらを見ると、どう見ても野暮ったくなってしまいます。
それというのも、物語の設定などは今っぽくアップデートされていたりするのですよね。
光子力エネルギーの安全性云々について議論が空転して混乱する様は、原子力の安全性についての議論であったり、国会やまた国連理事会などで議論がまとまらない様子などを想起させ、現代っぽく感じます。
Dr.ヘルについてもただ単に「世界征服」を目指しているのではなく、地球や人間についての好奇心により彼は動いているという設定になっていました。
キャラクターに関しも、ものの考え方自体が大人になってきています(彼らが設定上も歳をとって成長をしているということなのですが)。
そういう現代ぽさがある中で、古臭いデザインがあるというのに、違和感を感じたのですよね。
また変なところで現代風、というより現代のアニメファンに媚びているような箇所もありました。
重要なキャラクターとして位置付けられているリサはいかにも現代のアニメに出てきそうなキャラクターであり(見かけとか設定とか喋り方とか)、それ以外がオールドスタイルな中で異彩を放っていました。
戦闘シーンなどの映像はスーパーロボットらしくありつつも、CGを活用した迫力のあるものに仕上がっていたと思います。
その点は見応えがありました。
アレンジするのであれば、もっと大胆にしていいのかなと思ったりしたのですが、それはそれでコレジャナイ感が出ちゃうのでしょうか。
なかなかスーパーロボットという荒唐無稽な存在を世界観の中でうまく処理をするのは難しいのかもしれません。

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2018年1月20日 (土)

「キングスマン:ゴールデンサークル」 相変わらずのノリの良さ

「キック・アス」で有名なマシュー・ヴォーン監督の最新作「キングスマン:ゴールデンサークル」です。
前作がキレキレのアクションとスパイ映画らしいガジェット満載で楽しめたので、続編も楽しみにしていました。
期待に違わず、たいへん面白く仕上がっていたと思います。
マシュー・ヴォーンの作品はどれもノリがいいんですよね。
アクションにしてもストーリーにしてもテンポがいい。
今回はオープニングのアクションシークエンスからして、非常にノリが良くて、一気に「キングスマン」の世界に引き込まれました。
彼の作品は映像的なノリの良さだけではなくて、ストーリーも変化があり、かつテンポが良いと思います。
今回の脚本もいろいろな要素が盛り込まれているのですが、見ていてさほどストレスを感じません。
ストーリーが小気味好く進んでいくので、要素が多くてもそれほど複雑な感じはしません。
かといって中身が薄いかというとそうではなく、登場人物たちも個性的ですし、そしてその人物の背景なども、上手にコンパクトに、しかし効果的に見せているので、どの人物も魅力的に見えます。
ジュリアン・ムーアが演じているポピーが、かなりぶっ飛んでいるのが印象的です。
彼女は単純に怖いという人物というのはなく、一般人とはちょっとずれているというところが気味の悪い違和感を醸し出していて、それだけに何をしでかすかわからない恐ろしさというものをだしていました。
前作のサミュエル・L・ジャクソンが演じていた悪役もそういったずれている怖さがありましたね(「キック・アス」もそうだった)。
マシュー・ヴォーンは重要そうなキャラクターもあっさりと殺すところがありますが、今回も最初からキングスマンが壊滅するという展開になっています。
前作でコリン・ファース演じるハリーがけっこうあっさりと殺されて、びっくりしたのを思い出しました(本作で復活しますけれども)。
このあたりはマシュー・ヴォーンは割り切りが良いので、ある意味、予定調和的な展開にならないので、見ていても予断を許しません。
新たに登場するステイツマンというのも面白いアイデアでした。
一気に「キングスマン」の世界観が広がる可能性が見えました。
さらにシリーズ化もありそうですよね。
最後のシーンでチャニング・テイタム演じるステイツマン、テキーラがばっちり英国風のスーツをキメていたので、今度は彼がイギリスで活躍するのかもしれませんね。

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2017年12月28日 (木)

「カンフー・ヨガ」 点心×カレーライス

タイトルからしてビデオリリース作品的な突飛な感じがするので、普通でしたらスルーするところですが、ジャッキー出るからなあ。
世代的にはバッチリとジャッキー・チェンの洗礼を受けているので、彼の作品となると観に行きたくはなります。
また社会人になった頃、インド映画ブームがあっていくつか観たのですが、ダンスと歌のハイテンションなノリにしばらくはまっておりました。
そういうことで、カンフーとヨガという異色の組み合わせ、いわば点心とカレーライスを一気に頼む的な欲張り気分で観にいってきました。
最初のハードルを思いっきり下げていったので思ってたよりはちゃんとしていたという印象です。
監督はベテランでジャッキーと何度も組んでいるスタンリー・トンですから、ちゃんとまとめあげていました。
点心(カンフー映画)とカレー(インド映画)のミックスという印象なのだろうと思っていたら、さらに「インディ・ジョーンズ」や「ワイルド・スピード」的な調味料もふりかけてありました。
ジャッキーたちが探そうとしている宝物の隠し場所の仕掛けはほぼ「レイダース」と一緒。
「パクリじゃーん」と思ったら、ジャッキーが「I love Indiana Jones」と言っていました。
ほぼ確信犯ですな。
考古学者という設定も丸かぶりです。
ドバイでのカーチェイスシーンは「ワイルド・スピード」のようにスーパーカーが勢ぞろい。
パトカーまでスーパーカーなので、「そんなバカな」と思ったら、実際のドバイでもランボルギーニのパトカーがあるそう。
逃走者もスーパーカーの可能性もあるから、パトカーもそうでないと務まらないのかな?
日本とレベルが違う。
字幕版で見ましたが、彼らが話している言葉は中国語、ヒンドゥー語、英語と国際色豊か。
ジャッキーもインドの俳優さんもしちゅえーしょんごとに話す言葉を変えていて、何気にグローバル感が漂っています。
英語もアジア人の彼らが喋っているので、欧米系の俳優さんたちよりは日本人としては聞き取りやすかったです。
中国、インドの双方の文化へのリスペクトも感じられたので、バランス感覚がよかった感じもしますね。
この辺りは国際都市香港出身のジャッキー・チェン、スタンリー・トン監督の感覚なのかな。
正月映画としてあまり何も考えずに観るのにはいいかもしれないですね。

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2017年12月16日 (土)

「仮面ライダー平成ジェネレーションズFINAL ビルド&エグゼイド with レジェンドライダー」 シリーズファンとして満足度高し

今年の冬の仮面ライダー劇場版は久しぶりに公開第1週目のランキングが1位だったとか。
最近のライダー映画はやや苦戦が続いていたと聞いていたので、ファンとしては嬉しい限り。
それも納得な作りでした。
昨年の冬の劇場版も良いできであったのですが、それには理由があります。
冬の劇場版は「ディケイド」以来、その時の現役ライダーと一昨前のライダーの競演というフォーマットとなり、それにその前のライダーも絡んでくるというのが最近の定番となりました。
このこと自体は「仮面ライダー」ファン向けのお祭り映画であるので構わないのですが、過去ライダーが出てくれば出てくるほど、その扱いはちょっとした客演くらいな扱いになってしまうのが残念なところでした。
やはりそれぞれのライダーにはそれぞれのライダーの物語があるわけで、そこを大事にしてほしいというところがファンとしてはあるわけです。
しかし、昨年の冬の劇場版では登場する過去ライダーのウィザードやドライブにも、彼ららしい役割が与えられていて、そこが満足度が高かった理由であったと思います。
そして今年の冬の劇場版では、タイトルに入っているビルド、そしてエグゼイドに加え、オーズ、フォーゼ、鎧武、ゴーストが登場します。
今回についても過去のライダーたちにもそれぞれの物語を経て数年たったという描き方になっており、彼らのシリーズが好きであったファンも満足できるものになっていると思います。
またそれぞれのライダー役を演じていた俳優陣もしっかり素面で登場しているところもよかったですね。
過去ライダーが登場するときはスーツだけっていうのも過去には多かったですから。
「仮面ライダー」出身の主演俳優はその後ブレイクする方も多く、なかなか登場が叶わないので、かなりスタッフの方達も頑張ったのではないかと思います。
「フォーゼ」の如月弦太朗役の福士蒼汰さんなどは結構難しいかなと思ったのですが、いやいやどうしてあの時の弦太朗の雰囲気そのままで驚きました。
それぞれのライダーのアクションシーンで流れるBGMもその時のシリーズで使われていた音楽が使われていて、否が応でもファン的には盛り上がります。
今回の監督は平成「仮面ライダー」シリーズの助監督をしていた堀内佳寿也さんなので、それぞれのライダーに対する愛情が感じられました。
現在オンエア中の「仮面ライダービルド」も個人的には久しぶりに毎週楽しみな作品になっています(昨年の「エグゼイド」は複雑すぎてやや冷めてしまっていました)。
劇場版も含めて復活の兆しのある平成「仮面ライダー」シリーズ、元号が変わったとしてもこの調子で今後もいい作品を作っていってほしいです。

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