2021年8月11日 (水)

「映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園 」 いつも一生懸命

初めて「クレヨンしんちゃん」を劇場で見てきました。
5歳になったばかりの娘がぜひ見に行きたい!と言ってきたもので。
そもそも「クレヨンしんちゃん」がアニメ化されたのが1992年、この時はすでに社会人になっていたため全く馴染みがありませんでした(そりゃそうだ)。
しんちゃんの天真爛漫なキャラクターが、世の真面目な父兄から「こんな下品なアニメを放映するとは何事か」的な抗議を受けたという話は小耳に挟んでおりました。
最近の娘はネットフリックスを駆使して、好きなアニメなどを勝手に見ているのですが、最近のお気に入りがこちらの「クレヨンしんちゃん」。
映画の「爆盛!カンフーボーイズ」は一時期毎日見るというヘビーローテションとなっておりました。
影響を受けてか「おしりブリブリ〜」とか突然やり出すので、抗議をしていた父兄の気持ちはちょっとわからなくもないですが、一緒に見ているとお話はしっかりと作られていて、かつ意外とグッとくるようなところもあり、これだけ長年愛されているのもわかります。
さて本作についてです。
「クレヨンしんちゃん」の映画は切り口がバラエティに富んでいます。
先程の「カンフーボーイズ」はカンフー映画へのオマージュたっぷりですし、「失われたひろし」はインディ・ジョーンズですしね。
今回は実は「クレヨンしんちゃん」では初めてのミステリーです。
娘は「おしり探偵」にもハマっていて(おしりばっかりだな・・・)、犯人当てなどにも興味津々ですので、ぴったりでありました。
ミステリーのトリックや犯人なども意外や意外でしっかりと考えられたもので驚きました。
しかしよく考えてみると「クレヨンしんちゃん」は意外な切り口を持ってきますが、その題材に関してはいつもかなり真剣に挑んでるんですよね。
「カンフーボーイズ」などもアクションシーンのアニメのパートはなかなか見応えがありました。
本作では野原家ではなく、カスカベ防衛隊のメンバーたちが大活躍します。
意識高くて向上心がある風間くん、オマセで仕切りたがりのネネちゃん、臆病者だけどスイッチ入るとキャラが変わるマサオくん、いつもほんわか優しいボーちゃん。
この子たち、みんないい子ですよね。
そんなかでもしんちゃんに対してツンデレ感のある風間くんは結構好きなんですよね。
自由奔放に生きるしんちゃんに対する妬みと憧れみたいなものがあって、なんか自分自身に似ている部分もあって共感してしまいます。
映画を見終わって娘とエスカレーターを降りていると、ちょうど後ろにカップルが立っていました。
彼らも「しんちゃん」を見ていたらしく、感想を述べていました(デートで「しんちゃん」をセレクトするのはすごいなと思いましたが)。
彼女さんが「しんちゃんっていつも最後一生懸命走っているよね!」と言うと、彼氏さんが「そうそう、前も東京タワーを登ってたよね!」と応えてました。
そうでした「オトナ帝国の逆襲」でもしんちゃんは両親を助けるためにすごい勢いで東京タワーを駆け上がっていました。
この二人の指摘は正しく、しんちゃんはいつも一生懸命なんですよね。
おふざけするときも、遊んでいる時も、その時しんちゃんが大事だと思うことに一生懸命。
今回も大事な友達である風間くんを助けるためにしんちゃんはがんばりました。
一生懸命やるって言うのはなかなかできないことです。
なんだかんだ言い訳作って諦めてしまう。
そういうことに慣れきってると、しんちゃんのがんばりがとても清らかに見えてグッときてしまうのですよね。
子供たちはまだ諦めることを知らないから素直に見れるのかもしれないですが、大人は逆に諦めてばかりなので、意外と心に刺さる。
一生懸命やることの大切さを思い出させてくれる。
最初に書いた抗議をしていた父兄は、ちゃんと物語を見たことがなかったのかもしれませんね。
表面的な「おしりブリブリ〜」の現象だけを見て、文句を言っていたのかな。
子供はもっと大事なことを学んでいたのかもしれないのに。
先程のカップルさんも子供の頃から「しんちゃん」を見てきてたのかな。
もう30年近くもアニメをやっているわけですから、子供の頃から「しんちゃん」に親しんできた二人が子供を作る世代にもなっていますよね。
あの頃抗議していた父兄の心配は杞憂に終わったということでしょうか。

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2021年7月11日 (日)

「ゴジラVSコング」共通の敵

前作「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」のレビューで、本作についてちょっと触れていました。
ゴジラは地球の守護者であって、人類の守護者ではない。
対してキングコングは人類と感情的なふれあいを持つ、人類の守護者という立ち位置である。
ゴジラとキングコングが戦うのは、人類が地球に対して害をなそうとした時に、彼らの立ち位置の違いによって生じるのではないかと。
これはあながちハズレではなかったですね。
モンスタバースに存在する巨獣たちは戦い合う本能を持っています。
モンスタバース1作目の「ゴジラ」でもゴジラはムートーに引きつけられ、戦いを挑みます。
前作のギドラに対しても同じです。
ゴジラの行動は場合によっては人類を助けているようにも見えますが、地球の守護者である怪獣王に君臨するために行動しているのです。
本作の冒頭でゴジラはいきなりある企業の施設を攻撃しますが、それには理由がありました。
彼らはギドラの残骸を使い、ゴジラに対抗するメカゴジラを開発しようとしていたのです。
事前情報をあまり見ていなかったので、メカゴジラが出てくるとは思っていなかったので、ちょっとびっくりしました。
しかし、よく考えてみるとメカゴジラの登場は必然でもあるかと思いました。
宇宙怪獣であるギドラを倒した後、地球における怪獣王はゴジラでした。
しかし、その地位に挑戦を挑むものが現れました。
それは人類です。
その象徴がメカゴジラなのでしょう。
新たなモンスターを生み出す存在をゴジラは敵とみなしたわけです。
しかし、人類はそのような悪の側面だけしか持っていないわけではありません。
他者や他の生物、そして地球を思いやることができる存在、それも人類。
人類の善の側面を象徴するのが、キングコングなのですね。
人類は彼とコミュニケートし、気持ちを通じ合わせていた。
ゴジラとコングの戦いは、人類の悪の側面を正そうとする者と、善なる側面を守ろうとする者の戦いとも言えるわけです。
ゴジラもキングコングも映画界の大スターでありますから、どちらかの勝利で終わるという結末は描きにくいと思います。
なので、どのように勝負を決着つけるのだろうか、と思っていました。
そのために投入されたのが、共通の敵であるメカゴジラだったわけです。
上記で書いたようにメカゴジラは人類の悪の側面の象徴。
地球の守護者であるゴジラ、人類の守護者であるコングの共通の敵として相応しい。
残念なのはメカゴジラのデザイン。
腰高で細っこくてあんまり強そうじゃないんですよね。
やっぱり東宝のメカゴジラの印象が強いので、ちょっとデザイン的には役不足感がありました。
上記で色々書きましたが、本作は人間のドラマ部分は潔いくらいに深さがありません。
大怪獣同士のバトルを見てくれ!ということでしょうか。
バトルそのものはかなり迫力があり堪能できました。
これ、次回作はあるんですかねえ。

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2021年6月17日 (木)

「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」 内包する矛盾

コロナのため度重なる公開延期の憂き目にあった「閃光のハサウェイ」ですが、ようやく公開されました。
「逆襲のシャア」以降の宇宙世紀の歴史を描いていこうとする「UC NexT 0100」プロジェクトの一つです。
タイトルのハサウェイはあのブライト・ノアの息子である主人公の名です。
彼は多感な13歳の時に初恋の人の死、また自ら手をかけて人を殺めるという経験をしました。
またアムロとシャアという先駆的なニュータイプ同士の戦いも間近で見ました。
彼は二人の遺産を継ぐ存在となったのです。
アムロからは「ガンダム」を、シャアからは「地球の保全」という意志を。
これはハサウェイの中に二つの対立する要素を内包することになったのだと思います。
本作の中でもハサウェイは地球環境を守るためにテロすら厭わないという意志を持ちつつも、目の前で苦しむ人を救いたいという気持ちの間で揺れ動きます。
本作ではモビルスーツ戦の視点が今までと違う印象を受けました。
後半、市街地での戦闘が描かれますが、視点が地上の人からの視点であることが多いのです。
通常、このようなモビルスーツ同士の戦いの視点はパイロット視点であったり、客観視点であるわけですが、それとは違う。
モビルスーツが人間よりも非常に大きな兵器であり、それが街を破壊し、人々を追いやることが今まで以上に感じられ流のです。
その視点の多くはハサウェイからのものでもあります。
彼はこの戦闘の仕掛け人でありながらも、それを被害者の目線で見ているわけですね。
矛盾のある視点なのす。
目の前で人が苦しむのはそもそも彼らのテロが原因であり、この矛盾を彼は内包しているのです。
この物語がどのように展開していくのかは原作を読んでいないので知らないのですが、彼が内包する矛盾が彼を追いやっていくような予感があります。
本作に登場するΞガンダム、ペーネロペーともに異形のガンダムでした。
設定的にはミノフスキーフライトを装備しているため、あれほど大型化したということで、やはり機動している動きは他のモビルスーツとは違いましたね。
とはいえ、もう少し見てみたいという気分もありましたが、一作目ということで控えめでした。
ここは次回作に期待ということでしょうか。

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2021年6月12日 (土)

「映画 賭ケグルイ 絶体絶命ロシアンルーレット」 キャラクターがさらに磨きがかる

浜辺美波さん主演の「賭ケグルイ」の劇場版第2作です。
もともと浜辺さんの振り切った演技が見たくて、放映したあと遅れてNetflixでTVシリーズを鑑賞し、その後劇場版を見ました。
すっかりこのシリーズにハマり、続いてアニメ版を第二期まで見て、最後は原作コミックへ。
通常とは違って遡っている感じですね。
前回の劇場版と同様に今回も劇場版のオリジナルストーリーです。
このシリーズの魅力はキャラクターの過剰なまでのハイテンションぶりと、ギャンブル勝負の際のジリジリとした緊迫感です。
前作劇場版はドラマ要素の方が強い印象を受けましたが、今回は上記の2点にフォーカスしているように感じました。
より「賭ケグルイ」らしい印象です。
キャラクターに関しては、浜辺さん演じる蛇喰夢子はコミックやアニメとはまた違う進化をしているような感じがします。
コミックの夢子はかなりグラマラスでセクシャルなのに対して、浜辺さんはご自身のイメージがそのような感じではありませんので、掴みどころのない夢子(ちょっと幼児退行しているようなふしぎちゃん)という実写版オリジナルな個性が出ているキャラクターとして確立しています。
早乙女芽亜里役の森川葵さん、鈴井涼太役の高杉真宙さんも同様ですが、まさにハマり役となっています。
また今回は生徒会長、桃喰綺羅莉もギャンブル勝負に参加し、ガッツリと登場しています。
実写版では存在感は示しつつも、自身がギャンブルをするシーンはなかったですが、今回は夢子と共にギャンブルに挑みます。
彼女を演じている池田エライザさんもまさにイメージがぴったり。
そしてギャンブルの方も緊迫感があって面白かったです。
ギャンブルを扱った映画としては「カイジ」シリーズがありますが、命懸けのギャンブルという点では「カイジ」の1作目、2作目に通じる緊張感がありました。
夢子、綺羅莉の賭ケグルイっぷりがよく出ており、次元の違うキャラクターの強さを感じました。
非常に面白く鑑賞できたので、続きが見たいなと思っていたところでのあのエンディング。
原作やアニメで描かれた生徒会長選に突入しそうな終わり方。
続編ありそうですね。
滾ってしまいます。

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2021年6月 4日 (金)

「劇場版 ポリス×戦士ラブパトリーナ!~怪盗からの挑戦!ラブでパパッとタイホせよ!」 監督はあの・・・

4歳娘に付き合って行ってきました。
自分の影響か、着実に映画好きとなっている娘が自分からこの作品を見に行きたいとのお願いがありましたもので。
しかし、TVシリーズは見ていないのだが・・・。
どうも幼稚園のお友達がこのシリーズ好きで色々話聞いているらしい。
それとこそこそ見ているYoutubeの動画などでも情報を仕入れている様子。
さすがデジタルネイティブ世代・・・。
しかし、プリキュアくらいまではついていけるが、このシリーズはちょっとなぁ・・・と思っていたら、監督はなんとあの三池崇史。
そういえば、以前美少女特撮ものをやるというのは聞いていたような・・・。
このお方、以前「ウルトラマンマックス」や「ケータイ捜査官7」を監督したこともあったので、特撮やるのは違和感はないのですけれどね。
子供向けでは「忍たま乱太郎」も撮っていたか・・・。
さて登場する少女戦士は全てオーディションで選ばれた子とうこと。
ですので、大人目線だと演技はかなり見ていてしんどい・・・。
シナリオもまあ子供向けではあります。
とはいえ娘は十分に楽しんだ様子。
女の子的にはカワイイ服の女の子が出てきて、悪い奴をやっっつけて、歌やダンスもあってで、好きなものが詰め込まれているんですよね。
とはいえ、所々三池監督テイストは忍び込まさせられていました。
さすがに血飛沫が飛んだりはしていなかったですが・・・。
敵の怪人(?)が特殊な力を持つラブダイヤモンドなるものを飲み込んでしまうのですが、それをう○こ的な状態で排出してしまうシーンがありました。
子供向けでありながら、こういうシーンを持ってくるのは三池監督らしい。
じゃ子供の反応はどうかというとバカウケでした。
子供はう○ことか大好きですからね!
自分としては見ていて疲れるなぁという感じだったのですが、娘は満足していたようなので、まあいいかという感じです。

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2021年2月 3日 (水)

「劇場版 美少女戦士セーラームーン Eternal 前編」 セーラームーン初体験

誰もが知っている「美少女戦士セーラームーン」ですが、しっかり見るのはこれが初めて。
なぜ見に行ったかというと・・・。
4歳になる娘が「プリキュア」にどハマりで、ネットフリックスやアマゾンプライムで過去作まで遡って見ていまして、それらの原点とも言える「セーラームーン」まで手を出し始めているのです。
その「セーラームーン」の映画をやることを聞きつけた娘がぜひ行きたいということで、そのお供でありました。
アニメの「セーラームーン」は初めてではありますが、実は東映が制作した実写版の「セーラームーン」(まだ無名だった北川景子や泉里香など錚々たるメンバーが出演している伝説の特撮)は見ていまして、主なキャラクターは知っていたので、ついていけるかなと。
まず見て感じたのは思っていたより恋愛要素が強いのね、ということですね。
元々少女漫画ですものね。
娘に付き合って「プリキュア」を散々見ているのですが、あちらは中学生設定ですが、あまり恋愛要素はありません。
「セーラームーン」も中学生くらいの設定(本作は高校生になったところ)ですが、結構大人っぽい。
恋愛要素の強い少女漫画は苦手なので、個人的にはあまりグッとくるところはありませんでした。
今回登場する敵は、うさぎ以外のセーラー戦士の心を惑わし、戦士としての力を削ごうとします。
セーラーマーキュリーこと亜美ら戦士たちはそれぞれその惑いを跳ね返すわけですが、この辺りのエピソードの積み重ねが少々たるい。
テレビシリーズで一話ずつ各戦士の戦いを描いていくのであれば良かったと思いますが、映画というフォーマットには向かなかったかもしれません。
うちの娘もこの辺りは退屈していたようです。
まだ恋愛のなんたるかもわかっていないので、恋愛要素にも娘的にはあまり気持ちは惹かれなかったようですね。
断然「プリキュア」の方が食いつきが良いです。
後編はどうしようかな・・・?
娘が行きたいといえば行ってみると思います。
劇場に行ってみると、小さな子たちもいましたが、大きなおともだち(お姉さん)も結構いましたね。
やはり子供の頃見ていて好きだったという方たちでしょうか。
私も子供の頃好きだったものが今でも好きなので、その気持ちわかります。
 
「月にかわっておしおきよ!」はさすがに私でも知っていましたが、他の戦士にも決め台詞があったとは知りませんでした。
その中でも気に入ったのはセーラーマーキュリーの「水でもかぶって反省しなさい!」です。
これは娘も気に入って、しばらく私らの間でプチブームとなりました(笑)。

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2021年1月 4日 (月)

「劇場版「鬼滅の刃」無限列車編」 負けない強さ

遅まきながら劇場版「鬼滅の刃」を見に行ってきました。
昨年のブーム真っ只中の時は完全に出遅れていたのです。
その時は幼稚園生の娘が「禰󠄀豆子!」とか「炭治郎!」とか言っていて、「家で見せていないのになぜ知っている?」と驚いていたのですよね。
彼女たちが幼稚園で話題にするくらい流行っているのかと。
少々ひねくれているところもある私は流行っていると、いいやと思ってしまうところもあり、ずっとスルーをしていたのですが、年末に会社の社長との来年度以降の打ち合わせの時に「こんな時代に『鬼滅の刃』が流行っている理由を考えた方が良い」というような趣旨の発言をされて、これまた驚いたわけです。
幼稚園生から社長まで魅了する「鬼滅の刃」、押さえない訳にはいかないと。
ということで冬休みに入ってから幼稚園生の娘と「鬼滅の刃」を一気見、そして年始早々劇場版に足を運んだというわけです。
 
こんな時代に「鬼滅の刃」が流行っている訳。
社長から出されたお題は色々な人が論じています。
炭治郎が置かれた状況は客観的に見てとても苦しい状況で、それをコロナ禍における辛さに人々が重ね合わせたという説もありました。
それは確かにそうだと思います。
ただそれだけではなく、そういう辛い状況への炭治郎の対し方に共感が湧いたのだと考えます。
炭治郎は決して強いわけではありません。
そして家族を守りきれなかったという後悔を常に持ち続けています。
そして全ての人に対して等しく(鬼でさえも)尊重する思いを持っています。
今回の映画の中で炭治郎の深層心理の情景は冴え渡る一面の青空でしたが、まさに彼には影がない。
彼が戦う鬼は自分のために人を食う。
コロナ禍において、社会がギスギスとしていることを感じていた方も多かったと思います。
年配者は若者を酷く言い、若者は年配者を悪く言う。
自粛警察といった正義感を振りかざす人たちもいました。
ネットでの誹謗中傷も多かったと思います。
これら悪意はまさに鬼のように、感染して拡大していきます。
そのような悪意が蔓延していく状況の中で炭治郎という少年の生き様は希望のように感じたのかもしれません。
彼は鬼にすら同情をする。
鬼が背負ってきた悲しみを感じることができる。
計算高いわけではなく、大きく広く、悲しみや辛さをありのままに受け止めることができる。
彼は柱ほど強くはない。
鬼に叩きのめされることもある。
彼自身も己の不甲斐なさを自覚している。
けれども決して弱いわけではない。
彼は負けないのだ。
劇場版でも彼の凄まじい強さを感じさせる場面がある。
今回劇場版に登場する鬼は相手に幸せな夢を見せ、夢に留まらせる力を持つ。
その夢から脱出するには夢の中で自刃するしかない。
炭治郎はそれに気づく。
目覚めても鬼は炭治郎に何度も術をかける。
その度ごとに炭治郎は何度も夢の中で自刃をするのだ!
夢の中とはいえ、自分に刃を向けることは大変な苦痛だろう。
しかし彼は人々を救うために何度でもそれを行う。
彼は一撃で鬼を滅する圧倒的な強さを持っているわけではない。
彼が持っているのは決して負けないという強さなのだ。
コロナ禍において精神的に追い込まれることがあった人も多かったと思います。
そんな中で炭治郎の負けない強さというのは、一つの支えになったのかもしれませんね。
 
強いと言えば今回劇場版の最後に圧巻の戦いをした炎柱の煉獄杏寿郎です。
彼は実力的にも鬼殺隊随一の剣士ですが、上弦の鬼である猗窩座
と死闘を繰り広げ敗れます。
猗窩座は煉獄の力を認め、鬼になるよう勧めますが(まるで「魔界転生」のようだ!)、彼はそれを拒否します。
彼は幼い頃より類稀なる実力を持った人間の責任として、人を救うために生きてきた。
だからこそ己の業のために生き人を害する存在になるよりは、人を守って死んでいくことを選んだ。
そしてその意思を後身に伝えようとした。
まさに天晴れな生き様であり、炭治郎とは違う圧倒的な強さを見せてくれました。
4歳娘はこの場面で泣いていましたね。
彼女が映画を見て泣くというを見たのも初めてでした。
「なんで泣いたの?」と聞いたら「悔しかったから」と言っていました。
「あの鬼は逃げてずるい」と。
確かにその通り。
上弦とはいえ、結局は己の身を大事にし、戦いを捨て彼は逃げた。
煉獄は己を犠牲にしても戦いから逃げなかったわけです。
 
あと「鬼滅の刃」がヒットした理由として、家族愛をあげる方もいます。
周囲の女性に聞くとこの意見は多かったように思いました。
劇場版においてそれを強く感じた場面が一つあり、とても印象的でありました。
炭治郎に鬼が夢を見せますが、次第により過酷な夢を見せようとします。
愛する家族が炭治郎を責め、傷つけようとする言葉を投げつけます。
それによって鬼は炭治郎の心を壊そうとしたのでしょう。
しかし、炭治郎はかえってそれが夢であることを見破ります。
彼は「バカにするな!俺の家族はそんなことを言うわけがない!」と言います。
そう、彼は彼の家族を心の底から信じているのです。
それには惑いとようなものは一片たりともない。
彼がどれだけ家族を思い、信じているかを伺わせるセリフであったと思います。
鬼たちの絆は全て恐怖によってなされているもの。
そうではない絆が炭治郎にはあるということですね。
 
アニメで描かれているのはまだまだ漫画では序盤とのこと。
今後の展開を楽しみに待ちたいと思います。

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2020年12月20日 (日)

「劇場版 仮面ライダーゼロワン REAL×TIME」 かつてない敵

テレビシリーズ放映中にコロナ禍によって撮影中断となってしまい、大幅に話数が減ってしまったという不運があった「仮面ライダーゼロワン」。
それにも関わらず終盤のストーリー展開はハードかつ濃密であり、令和ライダー一作目の名に恥じない出来となっていました。
通常夏に単独映画として「仮面ライダー」シリーズは公開されますが、それも見送られ、ようやく冬の映画として公開されました。
メガホンを取るのはテレビシリーズのパイロットを担当し、「ゼロワン」の世界観を確立した杉原輝昭監督、脚本はメインライターであった高橋裕哉さんのタッグです。
この作品を熟知しているお二人が担当されているということもあり、またテレビシリーズオンエア中に公開される単独映画ではないため変な仕掛け・ギミックもないため、純粋に「ゼロワン」の世界観が味わえる作品として仕上がっていました。
歴代の単独ライダー映画の中でも非常に高いレベルに仕上がっていたと思いますが、いくつか魅力的な点を挙げていきましょう。
まずはアクションですね。
アクションを担当されているのは渡辺淳監督。
数々の仮面ライダーを演じたスーツアクターでもあり、「ゼロワン」で一年間通しのテレビシリーズを初担当されました。
テレビ第一話のアクションシーンで、凄まじいカメラワークのアクションを展開して視聴者の度肝を抜き、新しいライダーのアクションを確立しましたが、本作でもそのテイストは健在。
スピーディで斬新なアクションシーンには目を見張りました。
驚きのゼロワン、ゼロツーの共闘シーンは息を吐く暇もないほどのアクションのラッシュです。
バルキリーのバイクアクションも見応えありました。
カメラワーク、カット割りなど従来のアクションとは違うセンスが光り、新しい息吹を感じます。
次にキャラクターたちです。
元々テレビシリーズでもレギュラーのキャラクターはそれぞれに魅力的でした。
彼らが自分なりの考えを持ち、共闘し、そしてまた対立し、そして最後には認め合うようになる過程は胸が熱くなるものがありました。
それらテレビシリーズをしっかり踏まえたキャラクターの描き方になっているので、安心しました。
主人公飛電或人の真っ直ぐに人とAIの両方を信じる気持ち、そして彼を支えるイズ。
イズはテレビシリーズでずっと或人を支えていたVerが破壊されてしまったため、新たなイズではあるのですが、本作の中でその古いVerのイズの気持ちを引き継ぐことにより、改めて彼女自身の判断で或人を支えることを決心します。
それがゼロワン、ゼロツーの共闘につながることになるのですが、ここも胸熱ポイントになりますね。
<ここからネタバレあり>
あと巧妙であり、また非常に現代社会を捉えていると思ったのが、敵の設定です。
テレビシリーズの最終回で”エス”=仮面ライダーエデンとして伊藤英明さんがチラリと出て、彼が新しい敵であるような示唆がありました。
しかし結果的に或人たちが戦う最終の敵とはネットなどで一般の匿名の人々が持つ悪意であったのです。
今年は誹謗中傷により有名人が自殺してしまうなどの痛ましい事件がありました。
ネットでのいじめなどもあとをたちません。
匿名であることをいいことに悪意を誰かにぶつけ、そしてそれが拡散していく、そういったことをよく見受けられます。
まさにテレビシリーズでのラスボスであったアークは、人々の悪意が生み出した存在でありました。
それをさらに発展させ、それぞれの人々の悪意こそが人々を傷つけてしまうということを問題提起しているようにも思いました。
最終的に敵となるのはそれぞれネットで悪意のある書き込みなどを行なっていた一般人であったのです。
ちょっとしたワンカットでしたが、敵のライダー軍団の幹部の一人の正体がただの主婦で、ネットに熱中するあまり子供を放ったらかしにしている場面はショッキングでありました。
このような状況で皆それぞれ鬱々とした気持ちを抱えていることでしょう。
しかし、匿名で自分の身は安全にしたまま、それを誰かにぶつけるいいわけがありません。
現代が抱える問題を正面切って取り上げるのは「仮面ライダー」としてはかつてないアプローチであり、脚本の目の付け所が素晴らしいと思いました。

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「劇場短編 仮面ライダーセイバー 不死鳥の剣士と破滅の本」仕方ないところもあるが食い足りない

今年はコロナ禍の影響で夏の「仮面ライダー」劇場版はありませんでした。
通常冬のライダー映画はオンエア中の現役ライダーと前作ライダーのコラボレーションの形を取ることが多いのですが、今年の冬は「ゼロワン」と「セイバー」は別の作品としての同時上映となりました。
コロナ禍なので仕方がないかという部分と、この2作品は作風が全く異なるので、同一世界の中で描くというのもかなり難しいかと思うので、この判断はありだと思います。
「ゼロワン」の劇場版は夏がなかったということもあり、かなり力の入った作品となっていました。
が、「セイバー」については上映時間がかなり短い(通常の夏の劇場版でのスーパー戦隊と同じ位置付けか)ということもあり、ストーリーが云々という評価はできないかと思いました。
「セイバー」は久しぶりの多人数ライダーの作品ということもあり、現時点でセイバー側のライダーは合わせて6人。
彼らのバトルシーンを楽しむというというのが、メインの見どころとなるでしょう。
ですので変身前の出演者が登場する場面はとても短く、スーツアクターの方がかなり活躍しているという「仮面ライダー」としては珍しい作品になっています。
ですのでちびっ子ファンは大満足かもしれませんが、大きなお友達からするとちょっと物足りない。
テレビシリーズはストーリーが大きなうねりを出し始めているところなので、その分劇場版は食い足りない感はありましたね。
これは尺が足りないということに全て起因することなので、致し方なしというところでしょう。
夏の単独映画に期待したいところです。

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2020年3月21日 (土)

「仮面病棟」 ややご都合主義

<ネタバレ含みます>
ある病院を舞台にしたサスペンスです。
 
主人公速水がある病院の当直医として1日限りのバイトをしていた晩、突然ピエロの面を被った強盗が病院に押し込み立てこもります。
一緒に彼に撃たれた女子大生、瞳もやってきました。
他に病院内にいるのは認知症の患者たちと、院長と二人の看護師。
ピエロが病院に来たのは偶然ではなく、何か目的があるらしい。
そして院長や看護師たちの動きにも不審な点が。
この病院には何か秘密があると速水は感じ始めた・・・。
最後のどんでん返し自体は意外性もあり楽しむことができますが、いくつか気になる点もあり、謎解きの部分は全て納得できたわけではありません(私が見逃しているところがあるかもしれませんが)。
そもそも普通の市民である犯人らが物騒な拳銃を持っている理由が示されていません。
そして大きなトリックの一つである瞳の腹部の銃槍について、元々あった傷を素人が致命的にならず隠蔽するようにつけるなんてことができるのかという点。
瞳は患者の一人であったというわけですが、化粧や髪型を変えただけでいつも世話をしている看護師たちが気づかないというのも不自然です(一人は気付きましたが)。
彼女と姉が病院に担ぎ込まれた時は、身元不明であったということです。
一時的に記憶を失っていたということでしょうか。
それとも怪我によって意識不明であったということでしょうか?
もし意識不明な状況であったのに臓器摘出手術をしたとすると、意識が戻ってしまったら院長らはどうする気だったのでしょう?
絶対に記憶が戻らない自信があった?
また記憶が戻った瞳はなぜ自分の身元を告げないまま、身元不明のまま病院で過ごしたのか?
姉の復讐をするため?
そうすると目覚めた時から、大体の計画は彼女の頭に浮かんだということなのでしょうか?
 
というようにいくつも気になる点があり、ミステリーとしては納得性がありませんでした。
何人かいる身元不明者のネームプレートを写したり、全ベットが埋まっているはずなのに開いていたベットがあったということをさりげなく見せるなど、フェアでありたいという姿勢はいくつも感じるのですが、全体的にはご都合主義な感じは否めません。
もうちょっと丁寧さがあればもっと良い仕上がりになったように思います。

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