2018年3月 4日 (日)

「空海−KU-KAI− 美しき王妃の謎」 豪華絢爛な映像と異質感のある演技

夢枕獏さんの「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」を原作として、チェン・カイコーが映画化した作品です。
原作は随分前に読んだので、細かいストーリーは忘れてしまったのですが、かなりボリュームのある作品であったと記憶しています(厚いハードカバーで4巻くらい)。
なので、映画化する時にはかなりイメージが変わるのではないかと思いました。
この作品の原題「妖猫传(Legend of the Demon Cat)」から受ける印象は、日本のタイトルの「空海」とは異なり、怪しげな猫が引き起こす事件そのものをテーマにしているように思います。
確かに内容もその通りで、空海はその謎を紐解くナビゲーターのような役割になっているかと思います。
その方がボリュームのある原作をまとめるには都合がいいかもしれませんね。
ただ日本のタイトルの印象で身始めるとあまり空海が主役っぽく見えないかもしれません。
空海と白楽天の関係性は夢枕獏さんの作品にある典型的なパターンですね。
例えば「陰陽師」シリーズの安倍晴明と源博雅の関係性が近しいと感じました。
非常に論理的で様々な道理に詳しい安倍晴明と、対照的に己の心に素直に物事を眺めることができる源博雅の関係は、そのまま空海と白楽天の関係に映し出されているように思います。
そういう意味では夢枕獏さんの作品の忠実な映画化作品であるなと感じました。
しかし映像スタイルとしては、非常に中国的で豪華で圧倒的なものになっているので、邦画とはまた異なる感じがしますね。
画面全体がキラキラしている感じと言いましょうか。
また俳優さんの演技のスタイルもちょっと芝居っ気がある感じなのですよね。
京劇の影響とかがあるのでしょうか。
そのようなテイストとしてはあまり得意な方ではなかったので、作品としてはちょっと好きかというとそうでもない感じです。
ただ日本とは異なる感覚を感じますので、そういうところを楽しめばいいのであるのだろうと思いました。
ちょっとひどいなと思ったのは、吹き替えですかね。
有名な俳優さんたちが吹き替えをしていたのですが、あまり皆さんうまくない。
そういうところで人を呼びたいというのはわかるのですが、やはりここは得意な声優さんとかにやってもらった方が良かったのではないでしょうか。
特に向こうの俳優さんの演技が日本とはちょっと違うので、そこに割と平坦な声を当ててしまうとなんか盛り上がらない感じを受けたのですね。
だったら字幕の方が良かったです。
とはいえ、日中合作の大作ですので、これがうまくいって次に続くといいですね。

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2018年2月24日 (土)

「グレイテスト・ショーマン」 THIS IS ME

音楽は全く詳しくないのですが、ミュージカル映画は好きという私ですが、予告編でミュージカル映画らしい高揚感を感じた本作を観に行ってきました。
予告編で使っていた「THE GRATEST SHOW」という曲でオープニングが始まります。
うん、ヒュー・ジャックマンがカッコいい。
「レ・ミゼラブル」で彼がミュージカル映画に相性が良いことがわかりましたが、ダンスもきびきびしていて絵になります。
彼が演じるのは、P.T.バーナムという興行師。
全く知らなかったのですが、実在の人物でサーカスという興行を確立させたのが、彼だったのですね。
予告を観た時は、彼が挫折から這い上がり、栄光を手にするアメリカン・ドリームの映画だと思っていました。
もちろん、そういう側面もありますし、また彼の家族愛を描く面もあります。
成功、家族愛といったアメリカ映画の王道のテーマの映画と言えるわけですが、もうひとつ大きなテーマがありました。
それが先に書いたサーカスという場にあります。
サーカスは昔は見世物小屋的な言われ方をし、普通ではない人々(奇形者など)を見せる悪趣味な興行という見方をされていました。
彼らはその見た目から差別され、忌避されていた存在であったわけです。
違うということを白眼視してしまうことは人にはあります。
そしてそのように見られる立場になかなかなることはできません。
自分の目の前に立つなと言われる気持ちとはどのようなものなのか。
自分の存在を否定される言葉や目線に晒される気持ちとはどのようなものなのか。
この映画では他の人とは異なる外見も個性であると言います。
そのような考え方は今、だんだんと浸透してきていますが、まだまだ色々な意見を持っている人がいるテーマであります。
なかなか難しいテーマを選んだチャレンジングな作品であると思いました。
そのような難しいテーマを選びながらも、高揚感を感じ、重苦しくないのは、彼らユニークな個性をもつ人々の気持ちを描いた歌「THIS IS ME」があったからかなと思います。
この歌は、自分たちが他の人とは異なることを自分らしさと認め、それに恥じることなく、堂々と生きていくという気持ちを歌い上げたものです。
この歌は非常に堂々としていて、自分自身を認める気持ちというのは、だれでも共感できるのではないでしょうか。
誰でも人とは違う、人より劣っていると思い、くよくよすることはあるかと思います。
けれどもそれでもいい、そういう自分も認めてあげるという気持ちは非常に前向きなんですよね。
これが多くの人に共感を呼んだポイントではないかと思います。
違う人を哀れむとか、差別をしてしまってはいけないという視点で語るのではなく、みんなが自分のことのように感じることができるこの歌の力は強かったと思いました。
バーナムの描き方も一つ間違うと金儲けのために奇形者を利用する山師的なものに見えてしまいそうですが、そのような人物には見えなかったですね。
彼は確かに成功を求める男でしたが、ただそれだけに純粋に成功を求めていたから、彼らユニークな人々も同等に扱っていた。
途中成功に酔い、それを忘れてしまった時期もありましたが、彼は失敗を通じて学びました。
彼も出身により差別された男でもあったわけです。
だから自分自身だけを信じ、がむしゃらに突っ走った。
そういう意味ではサーカスのファミリーとバーナムもいっしょなわけですね。
おそらく誰でもコンプレックスなり、引け目なりがあるのだと思います。
しかし、それこそが個性、それこそが自分と認めることが前向きに生きていくことにつながるのかなと感じました。

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2018年1月27日 (土)

「劇場版 マジンガーZ / INFINITY」 どこまでオリジナルにこだわるのが正解なのか?

初めて「マジンガーZ」がテレビでオンエアされてから45年。
それだけの年月を経て、新作「劇場版 マジンガーZ / INFINITY」が公開されました。
その頃は私は幼児であったので、楽しみに見ていたのを覚えています。
そう言えば、落書きなどでもマジンガーZを描いていましたね。
おそらく今でも描けます(笑)。
劇場に行ったところ、観客のほとんどが40〜50代くらいであったように思います。
やはりノスタルジーですかね。
ということで、期待半分、不安半分というところで観てきました。
期待については、やはり懐かしいマジンガーZがどのような形でアップデートされているかというところで、また逆に不安なところはオリジナルの良さが改変されていないかというところでした。
そういう気持ちで身始めましたが、なんとも微妙な気持ちになりました。
オープニングでいきなり水木一郎アニキの主題歌だったので、嫌が応にも気分は高まります。
作品の世界観もオリジナルを踏襲していました。
様々な設定、キャラクターの衣装や機械獣のデザインなど、今見ると野暮ったいデザインなのですが、それらも基本的には踏襲しています。
通常、昔の作品をリブートするときは、昔のデザインの考え方を踏襲しつつも、モダンにアレンジするというのがよくあるパターンです。
しかし、本作はオリジナルへのリスペクトなのか、かなり頑固にデザインを守っていましたね。
個人的にはそのあたりは違和感を感じたのですよね。
今の視点でそれらを見ると、どう見ても野暮ったくなってしまいます。
それというのも、物語の設定などは今っぽくアップデートされていたりするのですよね。
光子力エネルギーの安全性云々について議論が空転して混乱する様は、原子力の安全性についての議論であったり、国会やまた国連理事会などで議論がまとまらない様子などを想起させ、現代っぽく感じます。
Dr.ヘルについてもただ単に「世界征服」を目指しているのではなく、地球や人間についての好奇心により彼は動いているという設定になっていました。
キャラクターに関しも、ものの考え方自体が大人になってきています(彼らが設定上も歳をとって成長をしているということなのですが)。
そういう現代ぽさがある中で、古臭いデザインがあるというのに、違和感を感じたのですよね。
また変なところで現代風、というより現代のアニメファンに媚びているような箇所もありました。
重要なキャラクターとして位置付けられているリサはいかにも現代のアニメに出てきそうなキャラクターであり(見かけとか設定とか喋り方とか)、それ以外がオールドスタイルな中で異彩を放っていました。
戦闘シーンなどの映像はスーパーロボットらしくありつつも、CGを活用した迫力のあるものに仕上がっていたと思います。
その点は見応えがありました。
アレンジするのであれば、もっと大胆にしていいのかなと思ったりしたのですが、それはそれでコレジャナイ感が出ちゃうのでしょうか。
なかなかスーパーロボットという荒唐無稽な存在を世界観の中でうまく処理をするのは難しいのかもしれません。

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2018年1月20日 (土)

「キングスマン:ゴールデンサークル」 相変わらずのノリの良さ

「キック・アス」で有名なマシュー・ヴォーン監督の最新作「キングスマン:ゴールデンサークル」です。
前作がキレキレのアクションとスパイ映画らしいガジェット満載で楽しめたので、続編も楽しみにしていました。
期待に違わず、たいへん面白く仕上がっていたと思います。
マシュー・ヴォーンの作品はどれもノリがいいんですよね。
アクションにしてもストーリーにしてもテンポがいい。
今回はオープニングのアクションシークエンスからして、非常にノリが良くて、一気に「キングスマン」の世界に引き込まれました。
彼の作品は映像的なノリの良さだけではなくて、ストーリーも変化があり、かつテンポが良いと思います。
今回の脚本もいろいろな要素が盛り込まれているのですが、見ていてさほどストレスを感じません。
ストーリーが小気味好く進んでいくので、要素が多くてもそれほど複雑な感じはしません。
かといって中身が薄いかというとそうではなく、登場人物たちも個性的ですし、そしてその人物の背景なども、上手にコンパクトに、しかし効果的に見せているので、どの人物も魅力的に見えます。
ジュリアン・ムーアが演じているポピーが、かなりぶっ飛んでいるのが印象的です。
彼女は単純に怖いという人物というのはなく、一般人とはちょっとずれているというところが気味の悪い違和感を醸し出していて、それだけに何をしでかすかわからない恐ろしさというものをだしていました。
前作のサミュエル・L・ジャクソンが演じていた悪役もそういったずれている怖さがありましたね(「キック・アス」もそうだった)。
マシュー・ヴォーンは重要そうなキャラクターもあっさりと殺すところがありますが、今回も最初からキングスマンが壊滅するという展開になっています。
前作でコリン・ファース演じるハリーがけっこうあっさりと殺されて、びっくりしたのを思い出しました(本作で復活しますけれども)。
このあたりはマシュー・ヴォーンは割り切りが良いので、ある意味、予定調和的な展開にならないので、見ていても予断を許しません。
新たに登場するステイツマンというのも面白いアイデアでした。
一気に「キングスマン」の世界観が広がる可能性が見えました。
さらにシリーズ化もありそうですよね。
最後のシーンでチャニング・テイタム演じるステイツマン、テキーラがばっちり英国風のスーツをキメていたので、今度は彼がイギリスで活躍するのかもしれませんね。

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2017年12月28日 (木)

「カンフー・ヨガ」 点心×カレーライス

タイトルからしてビデオリリース作品的な突飛な感じがするので、普通でしたらスルーするところですが、ジャッキー出るからなあ。
世代的にはバッチリとジャッキー・チェンの洗礼を受けているので、彼の作品となると観に行きたくはなります。
また社会人になった頃、インド映画ブームがあっていくつか観たのですが、ダンスと歌のハイテンションなノリにしばらくはまっておりました。
そういうことで、カンフーとヨガという異色の組み合わせ、いわば点心とカレーライスを一気に頼む的な欲張り気分で観にいってきました。
最初のハードルを思いっきり下げていったので思ってたよりはちゃんとしていたという印象です。
監督はベテランでジャッキーと何度も組んでいるスタンリー・トンですから、ちゃんとまとめあげていました。
点心(カンフー映画)とカレー(インド映画)のミックスという印象なのだろうと思っていたら、さらに「インディ・ジョーンズ」や「ワイルド・スピード」的な調味料もふりかけてありました。
ジャッキーたちが探そうとしている宝物の隠し場所の仕掛けはほぼ「レイダース」と一緒。
「パクリじゃーん」と思ったら、ジャッキーが「I love Indiana Jones」と言っていました。
ほぼ確信犯ですな。
考古学者という設定も丸かぶりです。
ドバイでのカーチェイスシーンは「ワイルド・スピード」のようにスーパーカーが勢ぞろい。
パトカーまでスーパーカーなので、「そんなバカな」と思ったら、実際のドバイでもランボルギーニのパトカーがあるそう。
逃走者もスーパーカーの可能性もあるから、パトカーもそうでないと務まらないのかな?
日本とレベルが違う。
字幕版で見ましたが、彼らが話している言葉は中国語、ヒンドゥー語、英語と国際色豊か。
ジャッキーもインドの俳優さんもしちゅえーしょんごとに話す言葉を変えていて、何気にグローバル感が漂っています。
英語もアジア人の彼らが喋っているので、欧米系の俳優さんたちよりは日本人としては聞き取りやすかったです。
中国、インドの双方の文化へのリスペクトも感じられたので、バランス感覚がよかった感じもしますね。
この辺りは国際都市香港出身のジャッキー・チェン、スタンリー・トン監督の感覚なのかな。
正月映画としてあまり何も考えずに観るのにはいいかもしれないですね。

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2017年12月16日 (土)

「仮面ライダー平成ジェネレーションズFINAL ビルド&エグゼイド with レジェンドライダー」 シリーズファンとして満足度高し

今年の冬の仮面ライダー劇場版は久しぶりに公開第1週目のランキングが1位だったとか。
最近のライダー映画はやや苦戦が続いていたと聞いていたので、ファンとしては嬉しい限り。
それも納得な作りでした。
昨年の冬の劇場版も良いできであったのですが、それには理由があります。
冬の劇場版は「ディケイド」以来、その時の現役ライダーと一昨前のライダーの競演というフォーマットとなり、それにその前のライダーも絡んでくるというのが最近の定番となりました。
このこと自体は「仮面ライダー」ファン向けのお祭り映画であるので構わないのですが、過去ライダーが出てくれば出てくるほど、その扱いはちょっとした客演くらいな扱いになってしまうのが残念なところでした。
やはりそれぞれのライダーにはそれぞれのライダーの物語があるわけで、そこを大事にしてほしいというところがファンとしてはあるわけです。
しかし、昨年の冬の劇場版では登場する過去ライダーのウィザードやドライブにも、彼ららしい役割が与えられていて、そこが満足度が高かった理由であったと思います。
そして今年の冬の劇場版では、タイトルに入っているビルド、そしてエグゼイドに加え、オーズ、フォーゼ、鎧武、ゴーストが登場します。
今回についても過去のライダーたちにもそれぞれの物語を経て数年たったという描き方になっており、彼らのシリーズが好きであったファンも満足できるものになっていると思います。
またそれぞれのライダー役を演じていた俳優陣もしっかり素面で登場しているところもよかったですね。
過去ライダーが登場するときはスーツだけっていうのも過去には多かったですから。
「仮面ライダー」出身の主演俳優はその後ブレイクする方も多く、なかなか登場が叶わないので、かなりスタッフの方達も頑張ったのではないかと思います。
「フォーゼ」の如月弦太朗役の福士蒼汰さんなどは結構難しいかなと思ったのですが、いやいやどうしてあの時の弦太朗の雰囲気そのままで驚きました。
それぞれのライダーのアクションシーンで流れるBGMもその時のシリーズで使われていた音楽が使われていて、否が応でもファン的には盛り上がります。
今回の監督は平成「仮面ライダー」シリーズの助監督をしていた堀内佳寿也さんなので、それぞれのライダーに対する愛情が感じられました。
現在オンエア中の「仮面ライダービルド」も個人的には久しぶりに毎週楽しみな作品になっています(昨年の「エグゼイド」は複雑すぎてやや冷めてしまっていました)。
劇場版も含めて復活の兆しのある平成「仮面ライダー」シリーズ、元号が変わったとしてもこの調子で今後もいい作品を作っていってほしいです。

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2017年11月19日 (日)

「GODZILLA 怪獣惑星」 意外にもハードSFな仕上がり

アニメーションでゴジラ映画?
それでもって未来の設定?
予告を観た時は「エッ?」となりましたが、意外や意外、最近の日本では珍しいハードSFの傑作として仕上がっていました。
こういう世界観だと実写よりもアニメーションの方が向いていそうな感じがします。
思い切ったSF設定ですけれど、昨年「シン・ゴジラ」があったから、あえて違う切り口というのも良かったのではないでしょうか。
前半は本作の設定や世界観を伝えるものとなっていて、かなりハードSF色が強いのであまり慣れていない方にはしんどいかもしれません。
後ろの席の女の子は「ずっとゴジラが出てこなかった!」と言っていました(笑)。
そもそもゴジラはあまり最初から出てこない作品が多いですけれどね。
どうしてもゴジラ映画は「こんなのゴジラじゃない!」という意見は出やすいですが、ここまで跳ねているとそういう文句はつけにくい。
作られる方は勇気がいったとは思いますが。
脚本は虚淵玄さん。
いやー、ストーリーが虚淵さんっぽいですよね。
「色々課題が解決されてめでたしめでたし」という感じには絶対にならない。
あれだけ苦労して戦ったのにね・・・。
細い設定の作り込みも虚淵さんらしいです。
最近のゴジラ映画のトレンドとしては、ゴジラが圧倒的な破壊者として描かれることが多いですが、本作のゴジラは中でも圧倒的。
勝てる気がしない。
それなのに、さらに・・・。
エンドロールが終わって、おまけ映像がありました。
そこで初めてこれがシリーズ作品だとわかりました。
そりゃあんな終わり方じゃね・・・。
エンドロールでは虚淵さんが脚本とシリーズ構成となっていたので、「シリーズ?」と思ったんですよね。
シリーズは3部作になるとか。
そういえばメカゴジラもちらりと出ていたし。
なるほどね。
2作めのサブタイトルは「決戦機動増殖都市」ということ。
神林長平の小説のタイトルみたいです。
虚淵さんぽくもある。
やはりハードSFっぽいテイストを感じます。
楽しみに待ってます。

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2017年8月26日 (土)

「カーズ/クロスロード」 成長を見守る喜び

人気のピクサーのアニメ「カーズ」の第三作目です。
一作目はマックイーンが主人公で、二作目では彼の友人のメーターが主役。
今回の三作目では再びマックイーンが主役になっています。
三作目まで観ると、二作目はサイドストーリーのような感じに見えてきますね。
それで一作目、三作目を一つのシリーズとして見ると、マックイーンの人生の物語のように感じられます。
まるで「ロッキー」もしくは「スターウォーズ」を見ているような。
才能ある若者が自分の道を見つけられないでいるときに師に出会い、自分の進むべき道を見つけて栄光を勝ち取る。
しかし、その栄光は永遠には続かず、やがて若者も歳をとり、再び自分の進むべき道を決めなくてはいけない時期がやってくる。
そのとき才能ある若者に出会い、彼は自分の持っているものを全て教えようとする
「ロッキー」シリーズであれば、師はミッキーで、弟子はドニー(「クリード」)、「スターウォーズ」であるならば、師はヨーダで、弟子はレイになるでしょうか。
これは映画に限らず誰しもが直面する普遍的な話なのですよね。
自分の行く道に迷い、そしてまた退くときに迷う。
退くときに自分が身につけていた技術、知恵、または想い(実はこれが一番大切)というものを、後進たちに引き継げればいかに幸せか。
それはすなわち前線に立っていなくても、自分もそこにい続けていられるような気がするから。
この気分は自分でもわかるんですよね。
この歳になると、現場の仕事はなくなりマネージメントに仕事は写ってきています。
若手と一緒に仕事をしますが、彼らに自分の得てきたものをなんとか伝えたいと思うようになってきました。
それで彼らが活躍して成果を出せればとても嬉しいし、そういうことに喜びを感じることができるんだとも思うようになりました。
おそらくマックイーンもクルーズの中に才能を見つけ、彼女が成長して成果を出せることに喜びを感じられるようになったのでしょう。
ピクサーのアニメって、見た目は子供向けなのですけれど、それが描いている本質の部分はとても大人の心をがっちり捕まえるものになっているのですよね。
だから多くの人に見られる作品になっているのだと思いました。

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2017年8月22日 (火)

「劇場版 仮面ライダーエグゼイド トゥルー・エンディング」 大切な人のためにできること

現在放映中の「仮面ライダーエグゼイド」の単独映画です。
テレビのほうは来週(8/27)に最終回を迎える予定ですが、その前後にまたがる形での劇場版を公開するという珍しい状況になっています(例年は9月末がテレビの最終回でした)。
今まで「仮面ライダー」の劇場版は公開がテレビ本編終了の直前であることが多いことから、テレビの展開との整合性を避けるためパラレルワールドとかアナザーストーリーという設定であることが多いのですが、本作は「トゥルー・エンディング」とタイトルにあるように、テレビ本編と地続きの世界観となっています。
時系列としてはテレビ本編の最終回の1年後という設定のようです。
この劇場版で特徴的なのは、映画に登場する少女まどかが小児脳腫瘍になっており、余命がないかもしれないという設定でしょう。
テレビシリーズ「仮面ライダーエグゼイド」は医療とゲームをモチーフとして作られている作品です。
医療を題材としていますが、テレビシリーズは基本的に子供たちを対象にしているため、直接的に「死」というものを描いているわけではありません(なかなか難しい匙加減であったと思いますが)。
しかし劇場版ではあえて踏み込んで具体的に死を感じさせる病気を具体的に取り上げています。
まどかは手術が非常に難しい脳腫瘍を患っています。
そのような中、突如現れた仮面ライダー風魔は人々とまどかをVRゲーム空間に引き込み、そこで現実とは異なる仮想現実を作ります。
実は仮面ライダー風魔こそ、まどかの実の父親の南雲影成であり、彼は余命いくばくもないまどかが最後は苦しまず楽しい時を過ごせるように仮想空間を作ったのでした。
けれどもその仮想空間は他の人々の人生を犠牲にして成立しているため、仮面ライダーエグゼイドらはそれを阻止すべく戦い、やがて仮想空間はっ消滅します。
けれども消滅する仮想空間のなかで、まどかひとりだけはそこにとどまろうします。
彼女の病気は天才外科医である鏡飛彩の手術により治せるのですが、そのためには意識が現実世界に戻らなければなりません。
まどかは彼の実の父親が彼女のために仮想空間を作ったと知っており、父親が喜ばせるためにそこにとどまろうとしたわけです。
やり方が間違っているにせよ父親がわが子のことを想い、また子も親のことを想う。
テレビシリーズとは異なり死というもの間近に描き、そういう状況においても親と子がそれぞれに想い合うというところに、ほろりときてしまいました。
自分に子供ができたからかもしれません。
親が子供のためにすべてを犠牲にしても何かを行おうとする、そういうことを描く物語は今までもいくつも見たわけですが、それを頭ではわかっていても、子供がいなかったときはそれを実感として感じられていたかというと疑問です。
やはり実際に子供ができると、理屈を抜きにしてそのように子供を想うということが身に染みてわかるようになりました。
また子供からもそのように自分のことを想ってもらえたと感じられたとき、どんなに幸せな気持ちになるかということも。
「エグゼイド」という作品は登場人物が多く、物語も複雑なので、テレビシリーズも劇場版も表面的にはとっつきにくいところがあります。
またゲームという題材の側面からくるポップさ、トリッキーさみたいなところも目立つのですが、その根本は医療からくる命の大切さ、人々がそれぞれを想う気持ちにあるように思います。
大切な人のために自分は何ができるのか、ということ。
それが「エグゼイド」のテーマかなと。
そのテーマが強く出ていた劇場版となっていました。

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2017年6月24日 (土)

「キング・アーサー(2017)」 聖剣無双・・・、気持ちはわかる

ガイ・リッチー監督といえば、どんな題材を選んでも彼流に染め上げてしまうように感じます。
「シャーロック・ホームズ」では19世紀を舞台としながらも、アクションシーンは現代的というかロックな感じがバリバリしましたものね。
スーパークイックなカット割り、かと思えばスーパースローを合わせて使う極端な緩急のアクションシーンは、ガイ・リッチーならでは。
最近はどの映画も同じような印象で監督の個性が感じにくいものも多いですが、ガイ・リッチーは見ていても彼らしい感じがにおいますよね。
今回の作品ではアーサーが聖剣エクスカリバーを持って戦うシーンが見どころですが、ここに彼らしいアクションの演出が冴えています。
エクスカリバーを振り回すアーサーは一撃で群がる敵の騎士たちを吹っ飛ばすのですが、このシーンでは「まるで三国無双!」と思ったりしました。
そんなことを考えてたら、後で本作の邦題は「キング・アーサー 聖剣無双」だったと知りました。
急遽公開前にタイトルが変わったようですが、ゲームの開発元からクレームがあったのかな。
でも、映画を見ると「無双」ってタイトルをつけたくなる気持ちもわかる(笑)。
ストーリーについては、大味この上ないのですが、まあアクションシーンは楽しめたのでいいかなという感じですね。

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