2017年6月24日 (土)

「キング・アーサー(2017)」 聖剣無双・・・、気持ちはわかる

ガイ・リッチー監督といえば、どんな題材を選んでも彼流に染め上げてしまうように感じます。
「シャーロック・ホームズ」では19世紀を舞台としながらも、アクションシーンは現代的というかロックな感じがバリバリしましたものね。
スーパークイックなカット割り、かと思えばスーパースローを合わせて使う極端な緩急のアクションシーンは、ガイ・リッチーならでは。
最近はどの映画も同じような印象で監督の個性が感じにくいものも多いですが、ガイ・リッチーは見ていても彼らしい感じがにおいますよね。
今回の作品ではアーサーが聖剣エクスカリバーを持って戦うシーンが見どころですが、ここに彼らしいアクションの演出が冴えています。
エクスカリバーを振り回すアーサーは一撃で群がる敵の騎士たちを吹っ飛ばすのですが、このシーンでは「まるで三国無双!」と思ったりしました。
そんなことを考えてたら、後で本作の邦題は「キング・アーサー 聖剣無双」だったと知りました。
急遽公開前にタイトルが変わったようですが、ゲームの開発元からクレームがあったのかな。
でも、映画を見ると「無双」ってタイトルをつけたくなる気持ちもわかる(笑)。
ストーリーについては、大味この上ないのですが、まあアクションシーンは楽しめたのでいいかなという感じですね。

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2017年6月17日 (土)

「グレートウォール」 才能の無駄使い

公開時には劇場に行けなかったのですが、旅行中の飛行機内で鑑賞しました。
結論から言ってしまうと、お金を払って観るほどの作品ではなかったということです。
監督はチャン・イーモウで、それが公開時に観に行こうかと思ったポイントであったのですが、本作には今までの彼の作品らしさというものが感じられなく、数多あるハリウッド映画のバッタもんといった印象でした。
彼の作品を全て観ているわけではないのですが、「HERO」「LOVERS」などのアクション映画においても、画作りが非常に美しいというのが、特徴であったかと思います。
鮮やかな色を配色した画面、スピードやカメラを巧みに使った独特なリズム。
アクションシーンであってもまるで絵画のような印象を持たせる彼の作風は、他の監督にはない特徴でありました。
しかし、本作においてはそのような彼の画作りの特徴はほとんど感じられませんでした。
万里の長城を守る禁軍の軍団がそれぞれ赤、青、紫と鎧の色が鮮やかにつけられているのは彼の作品らしいところではあります。
しかし、アクションシーンはチャン・イーモウらしい緩急をつけた華麗さはなく、安っぽいモンスターのCGも相まって、まるでハリウッドのモンスター映画のようでした。
バブル景気の時期に日本の企業がハリウッドに投資をしたのはよく知られていますが、最近では中国企業の進出が目立ちます。
本作の製作はレジェンダリー・ピクチャーズですが、この企業も中国企業に買収されました。
レジェンダリー・ピクチャーズは大衆受けするブロックバスタームービーを得意としますが、この手の作風は中国本土でも人気があるようです。
そのため、ハリウッドとしても中国マーケットを無視するわけにはいけません。
ただし、中国では海外の作品を公開する本数に制限があるようなので、中国企業が作った中国の映画であることも、中国で成功するには必要なのでしょう。
しかし、チャン・イーモウのように世界と勝負できる独自のスタイルを持っている監督にハリウッド映画的な作品を作らせるというのはいかがなものかと思います。
もし中国マーケットへ供給させるためのハリウッド映画的なものが必要なのであれば、他の監督に撮らせればいいかなと。
ま、チャン・イーモウ自体がこういう映画を撮りたいのであれば、仕方がないですが、才能の無駄使いのような感じがしてなりません。

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2017年6月 3日 (土)

「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス」 チームというよりファミリー

超サイコーに面白かった!
実は前作の「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」はそれほど面白いとは思わなかったのだけれど、今回はツボにはまった。
前作の時のレビューを読み直してみると、「紹介編?」というタイトルになっていました。
おそらく初出のそれぞれのキャラクターを紹介していることに尺を取られて、あまりストーリーに深みを感じなかったということだったのかな。
その点、2作目である本作ではキャラクターやガーディアンズのメンバーの関係性を紹介する必要はないので、そのぶんお話に深みがあったように思います。
キャラクターもそれぞれがより個性が強くなっていっているようで、いわゆるキャラが立ってきた感じがします。
ドラックスはあんなに筋肉バカみたいな感じだったけとか、ガモーラのツンツンぶりも際立ってきているなとか、ありますが、後々合流するといわれる「アベンジャーズ」の面々にも負けない個性が出てきたかと思います。
個性強すぎのガーディアンズのメンバーで、それぞれがお互いのことをクソみそに言っていますが、その裏には強い信頼感があるというのが、窺えるのが本作の魅力。
なんだかんだと言って、お互いのことを心配しているのですよね。
本作はファミリー(もしくはチーム)っていう要素がかなり強く描かれている気がします。
意外とこれは他のマーベル作品ではなかった要素かもしれません。
「アベンジャーズ」のようなチームはありますが、あれはそれぞれの主義・考えで集まった大人の集団。
ガーディアンズはそういう頭で考えて集まったチームというよりは、ファミリーという印象が強い。
今回のメインに描かれる、クイルとエゴのエピソードがそれを強く印象付けます。
血でつながっているから本当の親子なのか、ファミリーなのか。
それよりもお互いの情の強さが、ファミリーの絆を作っているのではないのか。
ガーディアンズの面々は生まれも育ちも人種(?)すら違うけれども、強い結束力を持っています。
まさにファミリーと言えるほどに。
このファミリーの絆を持つメンバーと、アベンジャーズとの対比というのが、合流した時の見どころの一つになるかもしれませんね。
前作のレビューではただのスペースオペラと書いていましたが、本作はスペースオペラが本気になっていました。
実際最近ではスペースオペラ的な作品というのはほとんど見かけません。
「スターウォーズ」はスペースオペラ的ではありましたが、最近の作品はもっとまじめな感じがします。
スペースオペラという言葉の持つ派手さ、荒唐無稽さみたいなものを本作は持っていて、ワクワクドキドキしながら楽しめました。
しかし何と言っても、オープニングのアクションシーンでのベビー・グルートの無邪気っぷりに瞬殺されました。
彼が本作の影の立役者でしょう。
エンディングで登場した思春期のグルートもなかなかに興味深い。
次回作はひねくれたグルート少年とクイルのエピソードになるのかな。

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2017年4月28日 (金)

「仮面ライダー×スーパー戦隊 超スーパーヒーロー大戦」 史上最低

昨年春の東映特撮の劇場版は「仮面ライダー1号」ということで、例年と異なりオールスター登場企画ということではなく、仮面ライダー1号=本郷猛に焦点を当てて描いた作品となっていました。
そのためか全体的には大人っぽくもあり、渋めではあったので、もしかすると子供たち受けという点では弱かったのかもしれません。
そういうこともあってか、今年の春の劇場版は久しぶりに仮面ライダーとスーパー戦隊のコラボ規格であるスーパーヒーロー大戦が復活していました。
派手にスーパーヒーローがたくさん登場するほうが子供たちに受けやすいという判断でしょうか。
いままでも○○大戦シリーズは、テンションが上がるお祭りムービーに仕上がっている作品もたくさんありました。
しかし、今回の作品は正直言っていただけない。
個人的には今までの平成仮面ライダーの劇場版の中では最低レベルの仕上がりではないかと思いました。
今までは異なる世界観を持つ仮面ライダーや、さらに異なるスーパー戦隊がひとつの物語の中にいるということに対し、納得ができる説明があったのですが、この作品ではもはやそのような丁寧さは感じません。
とりあえずたくさんヒーローを出しておけばいいのではないかというような安易さを感じてしまいます。
「アベンジャーズ」を初め、多くのヒーローが一つの映画に登場する作品はたくさんありますが、それぞれのキャラクターへのドラマがあるからこそ、納得性を感じさせることができるのだと思います。
それぞれのライダーなり、スーパー戦隊が薄っぺらく描かれると、彼らに対して愛情が感じられず、ただ消費しているだけのような感じを受けます。
そのせいか、登場するライダーにしても、なんでこのキャラクターが登場するのかという必然性はあまり感じられず、だからこそ出ているライダーも微妙なラインナップだったりします。
チームエグゼイドとかいって、あのメンバーはなんでああいうラインナップなのとか思いますもん。
色が合ってて、とスケジュールがあった人を出しているだけかーみたいな。
またたくさんライダーや戦隊を出すために対戦ゲーム的な要素を設定的に盛り込み、ストーリーとしてはエイトを中心にしたドラマが主軸になっているものの、他の要素が多すぎて、全体的にドラマとしてわかりにくい。
ごちゃごちゃしている印象がとても強かったです。
最後の決戦もドローンを使ったり、ゴープロ的な映像にしてみたりとチャレンジは感じますが、造成地での大勢でのド突き合いにしか見えず、「ウルトラファイト」かという感じを受けました。
こういうレベルにしかならないのであれば、無理に春の映画は作らなくてもいいし、と思ってしまいます。
東映さん、がんばって!

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2017年4月 2日 (日)

「キングコング: 髑髏島の巨神」 東洋と西洋の邂逅

この作品、タイトルを見ると1933年の「キング・コング」のリメイクのような感じがするけれど(ピーター・ジャクソンの「キング・コング」はそうでした)、本作はどちらかというと東宝の「キングコング対ゴジラ」に登場するコングのイメージでした。
途中で大ダコと対決しますし。
アメリカのコングは大きくなったゴリラというイメージで、あくまでも動物の範疇であったような気がします。
それに対し、東宝のキングコングは猿型の怪獣というイメージですかね。
これ、似ているようで結構違う概念であると思います。
アメリカのコングはあくまで動物ですので、人間サイドから見るとあくまでモンキー。
誤解を恐れずに言えば、人間様よりも格下の大きなだけの動物という見方をしているように思います。
しかし、日本のキングコングは怪獣であり、なぜか日本人はそこに神を見るのですよね。
「キングコング対ゴジラ」でもコングは島の人々からは魔神として崇められていますし。
ゴジラもそうですが、巨大で人間のコントロールが及ばないものに対して神性を感じてしまう気性が日本人にはあります。
今回の「キングコング:髑髏島の巨神」は、髑髏島の住民から神として崇められているという点からしても、その存在は東宝版キングコングに近いかと思います。
その神性を主人公のジェームズやカメラマンのメイソンは感じますが、同行する軍人のパッカード大佐はそうは思わない。
彼は自分の部隊に対する脅威とだけ捉え、どちらかというと大猿ごときが優秀は人間を追い込むことに我慢がならないというように感じているように見えます。
これは巨大でコントロールできない物事に対し、それを受け入れ共存すること求めるか、逆に完全にコントロール下に収めようとするかという見方の違いと言えるでしょう。
東洋的なものの見方と西洋的なものの見方とも言えるかもしれません。
冒頭の第二次世界大戦のシーンはなぜあるのかということを考えると、最初からこの東洋的視点、西洋的視点が交錯するということを提示していたということなのかとも思えます。

レジェンダリーフィルムは今、「モンスターバース」というプロジェクトを進めているのだそう(初めて知った)。
これは巨大生物が存在する世界の一連のシリーズのようです。
アメリカ版「ゴジラ」の次回作はキングギドラとラドンが登場する予定で、その後本作のキング・コングとゴジラは対決するらしい。
まさに東宝怪獣映画の全盛期のような様相になってきています。
日本的な怪獣映画のシリーズがアメリカで作り続けられようとしていることが不思議な感じがしますね。

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2017年1月15日 (日)

「この世界の片隅に」 当たり前のこと、大切なこと

昨年後半よりしみじみと話題になってきていたアニメ映画「この世界の片隅に」を見てきました。
ほのぼのとしたタッチの絵柄ではあるのですが、描いているのは太平洋戦争の頃で、なかなかに深そうなテーマであるので、観にいくのを躊躇していたところもあるのですよね。
結果的には最後に滝の涙になってしまいました。
主人公のすずは戦争という時代の中でも、日々ご飯を作ったり、着物を縫ったり、家族や旦那さんのお世話をしたりととても日常な生活を毎日繰り返しています。
配給がどんどん厳しくなって手に入るものが少なくなってきたり、空襲警報のサイレンが鳴り響くタイミングが間がなくなってきたりと戦争が間近になってきているわけですが、それでも日々の生活を暮らすための日常的な仕事は代わりません。
それを家族のためにしっかりと行っていくことが、すずの生活の全てであったのですね。
けれどもそういったすずの世界の外では戦争が着実に進んでいます。
幼馴染の晢が一時帰ってきた時はそういった変わらないすずの姿を彼は愛しく感じました。
多分彼が戦っている南方は非人間的な行為も行われていたことでしょう。
だからこそ晢は変わらない日常の象徴であるすずが愛おしく感じたのでしょうね。
夫の周作にしてもすずがいる場所が彼の戻るべきところでした。
しかし、すずのお母さん(おばあさんだったか?)がこのような意味のことを言っていたと思うのですが、「(戦争になって)驚くようなことが起こったが、それに驚かなくなってきている」、つまりは非日常的な戦争が次第に普通の生活の中にも次第に侵食してきているということなのですよね。
すずが営んできていた普通の生活、それは呉への空爆で決定的な変化を強いられます。
すずは姪の晴美を目の前で失い、そしてまた自分の右手も失ってしまいます。
彼女の右手は大好きな絵を描くための手、そして家族のお世話をするための手。
右手は平和で日常的な日々を営むことの象徴でした。
それは強引に奪われてしまいました。
自分にも子供ができたからか、日々の当たり前のような生活がとても愛おしい。
そういった普通の日々がずっと続いてもらいたい。
世の中に影響力があるような大それた人物なんかでなくてもいい、この世界の片隅で当たり前の生活を送れていればそれでいいと感じます。
それを強引に終わらすようなことが起こらなければいいと、強く感じました。
すずが玉音放送を聞いた後に怒りに囚われたのは、そんな大切な日常を奪ったのにもかかわらず、あっさりと配線を認めてしまった人々へ思わず沸き立ったものなのでしょう。
自分の右手、晴美のいのち、母や兄のいのち、そんな掛け替えのないものがなくなったのに・・・。
戦争はとかくマクロな視点で語られます。
それは仕方がないことではあると思います。
しかし、とてもミクロな視点で眺めることもかたや大切なのですよね。
そこに普通に生きる人々がどのようになっていくのか。
どう感じるのか。
当たり前はいつも同じようにあるから、その大切さを感じにくいものですが、なくなった時それがかけがえのないものであることがわかる。
この映画を観て、自分の周りにある当たり前のこと、そしてそれがどんなに大切なものであるかを改めて感じました。

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2016年12月16日 (金)

「海賊とよばれた男」 今を創業者はどう感じるのだろうか

本作の主人公国岡鐡造は、石油元売業者出光興産の創業者、出光佐三氏をモデルとしています。
出光興産はユニークな会社で、創業時より「大家族主義」を掲げ、タイムカードや定年がありません。
出光が標榜する「大家族主義」とは社員を家族同様に処遇するという考え方で、制度として定年がないということは、家族に定年などはないという意味なのでしょうね
劇中でも鐡造が社員を家族のように扱い、会社が苦境の時も首は切らないと言っていました。
これは昨今の人件費をコスト(固定費)とする考え方とは一線を画するもので、個人的には小さな商店としてならばいざ知らず、大企業となったときはこのやり方が経営としてコントロールしやすいのかどうかというのは疑問にもつところはありますが、企業のトップとして社員を大切にするという姿勢は素晴らしいことだと思いました。
本作では戦後、日本に進出してくる石油メジャーと鐡造率いる国岡商店が激しく鍔迫り合いをする様が描かれます。
鐡造は石油を日本復興のためのキーマテリアルであると考え、それを外国に掌握されることの危険性を認識し、あくまで民族系石油会社として独立を貫くことにこだわります。
現在、石油の安価安定を受け石油元売業者は厳しい状況にあり、そういった環境変化に対応すべく出光興産と昭和シェル石油は経営統合するべく調整をしていますが、創業家(出光家)の反対により頓挫しています。
出光佐三氏はいわゆるカリスマ創業者であり、その個性と会社があまりに強く結びついていたので、創業家としては創業者の意志に逆らうようなことはできないということなのでしょうか。
かつて石油メジャーと戦い続けた出光としては、宿敵と組むのは潔しとはできないのでしょうね。
とはいえ、グローバル化が進む現在においては、提携せずに単独で邁進するということも難しいかとも思います。
映画で描かれている鐡造の本質は、既成概念にとらわれず、常識はずれと言われそうなことにも果敢にくじけずにチャレンジをしていったことだと思います。
それぞれのエリアが決まっていたときに船上での取引をしてみたり、不可能と言われたタンク底をさらってみたり、どこの国も取引ができなかったイランにタンカーを送ってみたり。
現在の出光創業家は創業者が掲げたポリシーのこだわるあまり、変化することに抵抗しているようにも見えなくはありません。
もしくは会社が生き残ること(すなわち社員を守ること)をするためになにをすべきかを考えずに、原理原則にこだわっているようにも思います。

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2016年12月11日 (日)

「仮面ライダー平成ジェネレーションズ Dr.パックマン対エグゼイド&ゴーストwithレジェンドライダー」 久しぶりのカタルシス

この時期の「仮面ライダー」の劇場版は、現役ライダーと先代ライダーの共演という「ライダー大戦」というフォーマットが定番でしたが、今回からは現役ライダー、先代ライダーに加え、5世代のライダーが共演という仕立てになりました。
これからはこういうスタイルで通していくのかな?
以前のライダーが出演となると、ただちらっと出て客演的な取扱いになるかと思いきや、結構ストーリーに絡んでくる感じであったことに好感が持てました。
世界観も違う作品なのでまとめるのはなかなか難しいかと思いますが、上手に構成できていたと思います。
特にうまく扱えていたのは先代ライダーの「ゴースト」でしょうか。
本作を観て、改めて気づいたのは「ゴースト」の主人公、タケルはまだ高校生であったという設定。
現役ライダー「エグゼイド」の主人公、永夢は若者ながらも研修医なので、タケルよりは年齢が上なのですね。
タケルは死んで仮面ライダーゴーストとなり、ようやく再び生を得ることができました。
だからこそ若くはありますが、命の大切さを人よりもよく知っている。
永夢は医者であるからこそ命を重んじるわけですが、そういったタケルの姿勢に、年下でありながらも感銘を受けます。
またタケルも、人を救うことに懸命である永夢の振る舞いを尊敬します。
ライダーとしては先輩でありながらも、ナチュラルに永夢の考えに共感するタケルに素直な若者だなと好感を持てました。
二人がライダーとしてというより、人として互いにその生き方にリスペクトし合うというのが、新鮮でしたね。
あとタケルとアカリの関係も幼馴染みの弟と姉的な関係よりも、ちょっと進んだ感じもあるのかなと思わせるところも良かったかな。
そしてもう一つ、「ドライブ」の進之介にも子供ができたという場面が描かれていて、これも「ドライブ」劇場版に繋がるエピソードであってファンとしては嬉しい。
来年登場することがあれば、子供を抱いている場面があるかな。

ライダー映画としては、やはり4人のライダー(鎧武は設定の都合上難しい)が揃って変身するシーンは、ライダーファンとしてはやはりゾクゾクするものがありますね。
本作は坂本浩一監督ですが、こういったケレン味のある見せ方が非常にうまい。
この方はご自身が本当にヒーロー映画を観ることが好きなのだろうなと思います。
だからこそファン目線ですごくかっこいいシーンを撮ることができるのだろうと。
ジャッキー・チェンがアクションの世界に入るきっかけであったと読んだことがありますが、まさに見せ所をしっかりと作っているジャッキーの作品のよう。
5人のライダーがフォームチェンジをしながら、次から次へと敵と戦っていくシーンも鳥肌が立ちます。
「仮面ライダーW」劇場版でガイアメモリー、「仮面ライダーフォーゼ」劇場版でアストロスイッチを次々に使ってフォームチェンジを繰り返す見せ場を坂本監督は作っていますが、本作もそれらに勝るとも劣らない興奮がありました。
ほんとにこういう見せ場を作るのが上手です。
あと坂本監督といえば、格闘美女を出すというのが定番ですが、本作でも登場しています。
敵役の一人武田上葉を演じている山本千尋さんですが、中国武術をやっていて、世界的な大会でも優勝した経験を持っているとのこと。
なかなかに華麗な格闘シーンを見せてくれました。

このところ「仮面ライダー」の劇場版は詰め込みすぎで消化不良な作品が多かった気がしますが、本作は久しぶりにファンとしてカタルシスを感じる作品に仕上がっていたと思います。

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2016年10月 6日 (木)

「君の名は。」 吟味し抜いた107分

<ネタバレを含みますので、要注意>

知り合いのお子さん(10代男子)が5回見て、5回泣いたと言っていた本作、ようやく観に行ってきました。
良くできている作品だとは思うのですが、泣いたかと言われると泣かなかったのですよね。
たぶん40代男子はすれちゃっていてダメなんだろう。
というのは冗談で、こちらの作品を観ているとよく考えられて作っているなと感じるところがいくつかあり、感心して観ていたというところでしょうか。
わりと客観的に観てしまったため、泣けなかったというか。
新海誠監督は「秒速5センチメートル」等を作った方ですが、実は彼の作品を観るのは初めて。
デビュー作「ほしのこえ」は新海監督が監督・脚本・演出・作画・美術・編集をほとんど一人でやったということを以前聞いてびっくりした覚えがあります。
本作を観て思ったのは、この監督はきっちり計算して作品を作っているのではないかということ。
どういうふうな構成、演出であれば、観客は理解しやすいか、感情移入をしやすいかということを考えて、計算づくで(悪い意味ではなく)作っているように感じました。
作品のターゲットも10代の男女ときっちり設定しているのではないでしょうか。
おそらくこのターゲットはそれほど映画を観ている層ではないでしょう。
本作のように人が入れ替わったり、タイムラインが交錯したりする物語は複雑になりがちですが、観客側が頭を使って整理をしなくても、ストーリーの流れに身を任せていれば理解できる。
中身の入れ替え、時間のずれなども他の映画ではそこを解き明かすまでに時間がかかったりしますが、この作品ではそのあたりはわりとすんなりわかってしまう。
その仕掛け自体が重要であるという認識なのでしょう。
あと、先にハッピーエンドになりそうな予感があるのも10代にもいいかと。
冒頭に大人になった二人がすれ違うシーンがあるので、三葉が死ぬということは避けられるだろうということはわかります(よほどひねくれたストーリーでなければ)。
個人的には頭で結論が想像できるのはもったいないのでは、もっとハラハラさせたほうがよいのでは、と最初は思ったのですが、たぶんこちらのほうが安心して映画を観ることはできるかもしれないと思いました。
深い映画ファンでない若い世代は凝ったストーリーとか、どんでん返しを期待しているのではなく、ハッピーな気持ちになれるこを望んでいるのかもしれない。
そういう点で、この作品はきっと幸せな気持ちにさせてくれるという安心感が感じられるのですよね。
途中ハラハラする場面はあるのですけれど、なんだか悲劇的な結末には至らないという安心感があります。
どんでん返しを作品の肝にしているわけではなく(どんでん返しの肝の作品は二回目は見たいとあまり思わない)、主人公二人が困難を越えてハッピーになる物語なので、何度でも繰り返し観たいという気持ちになりやすい。
冒頭に紹介した10代男子のようにリピーターがこの作品には多いというのもそういう理由からではないでしょうか。
日経新聞に載っていた記事では監督あh作品の長さにもこだわりをもっているようです。
観客のことを考えなるべく作品の長さは短くすることを考えているようです。
監督が脚本から編集までをご自身で担当していることも、計算され吟味された無断がなくわかりやすい作品づくりにつながっているかもしれません。


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2016年9月 9日 (金)

「ゴーストバスターズ(2016)」 オリジナルのテイストを大切にしてる

1984年に公開されて世界中でブームとなった「ゴーストバスターズ」。
公開当時、自分は高校生でこの映画を観てすごく楽しかった覚えがあります。
最近のハリウッドは昔のヒット作のリメイクものが多いので、こちらの作品もそういう要請によるものなのでしょうね。
昔の作品が好きだったりすると、リメイクやリブートであまりに改変されているとがっかりするものですが、本作は想像以上にオリジナルに忠実だと感じました。
大きく変わっている部分は、主人公ゴーストバスターズたちが男性から女性になったところです。
ただ大きく変わっているのはそこくらいで、4人のメンバーの役割もおおむね印象は同じでしたね。
ちなみにオリジナルと今回の作品のキャラクターの対比はこんな感じでしょうか。


ピーター(♂)  : エリン(♀)
レイモンド(♂) : アビー(♀)
イゴン(♂)   : ジリアン(♀)
ウィンストン(♂): パティ(♀)
ディナ(♀)   : ケヴィン(♂)


作品の雰囲気がオリジナルと大きく変わらなかったのは、旧作に関わっているメンバーがかなり関与しているからでしょうか。
オリジナルの監督であったアイヴァン・ライトマンが製作、出演者の一人であったダン・エイクロイドは製作総指揮を務めています。
ビル・マーレイはゴーストに懐疑的な研究者として劇中に、シガーニー・ウィーバーもエンディングでカメオ出演出演していました。
本作のパティのおじ役でちらりと顔をだしたのは、オリジナルで4人目のゴーストバスターズであったアーニー・ハドソンでしたね。
びっくり。
唯一旧ゴーストバスターズで出演していなかったのは、ハロルド・ライミス。
2年前に亡くなったようで、この作品は彼に献じられていました。
旧作とのイメージを大切にしているのは他にも。
ゴーストバスターズたちが出動するときに乗っていく車もイメージはオリジナルと一緒。
たぶんナンバープレートも同じじゃないかな?
あとオリジナルでゴーストバスターズの事務所だった旧消防所もちらり出てきました。
ちらりだけどけっこう重要なポジションでしたよね。
あれはオリジナルで使ったのと同じ場所なのかな?
オリジナルではシガニー・ウィーバーが演じたヒロインのディナがゴーストたちの憑代になっていましたが、本作では観賞用ヒーロー(ヒロイン?)であるケヴィン(クリス・ヘムズワース)が同じ役回り。
あまりにおバカな役っぷりでなかなか良かったです。
ストーリーの展開もオリジナルとは大きな隔たりはなかったので、旧作育ちの自分としては安心して観ることができました。
ラストでは「ズールー」というあの言葉が登場・・・。
リブートでも「ゴーストバスターズ2」もあるのかな。

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