2025年2月 9日 (日)

「アンダーニンジャ」薄い福田印(いい意味で)

こちらで何度か書いているのですが、福田雄一監督の作品はどうも合わない。
独特のゆるいギャグが面白いという方もいると思いますが、合わないのですから仕方がありません。
今までも何度かトライしてはいるものの、やっぱり合わないということを確認して帰ってくるのです。
ですので、昨年末に公開された「聖☆おにいさん」もスルーしました。
出演者がすごかったので悩みましたが、結果的に他の方の評を見てみると、いつもと同様の感想になったと思います。
さて、その福田雄一監督の作品が立て続けに公開しました。
「アンダーニンジャ」です。
上記で延々と書いてきたように福田作品は合わないので、スルーするところですが、今回は劇場に足を運びました。
その理由はいくつかあります。
一つはなんと言っても、浜辺美波さんが出演しているということですね。
なんだかんだと、私は彼女のもはやファンと言っても良いので、なるべく見にいきたいわけです。
福田作品であったとしても。
割と清楚な感じの見かけの浜辺さんですが、今回は金髪の女子高生役。
そして福田監督ですので、変顔も連発させられています。
一部では「浜辺美波の無駄使い」と言われていますが、私もそう思います(笑)。
ですが、ちょっと天然な感じの浜辺さんも可愛いのでよしとしましょう。
あとは忍者ものであるということですね。
私は無類の忍者好き。
学生の頃から、山田風太郎の忍法帖シリーズを制覇したほどですので。
本作は現代社会に生きる忍者たちの戦いを描くということで、かなりアクションに気合が入っています。
主演は山崎賢人さんで、彼はアクションには定評がありますから、自ずと期待度は上がります。
期待に違わず、アクションは見応えありました。
近接戦闘はスピーディかつトリッキーで、現代的な忍者というコンセプトをわかりやすく表現したアクションでした。
全体的な尺の中でもアクションのシーンがかなり比重を占めていて、忍者好きとしては満足感がありました。
さて懸念の福田監督のギャグですが、座付き俳優的なムロツヨシさん、佐藤二郎さん中心に、相変わらずの見せ場がありました。
ただこれについてはやはり波長が合わず、そのシーンは拷問のようでした。
特に山崎賢人さんとムロツヨシさんの押し入れの件はきつかったです。
あれの面白さがどうにもわかりません。
ただし、全体的には本作はアクションパートの印象がかなり強く、福田印は相対的にかなり薄い印象です。
福田監督ファン的には物足りないところでしょうが、私個人としてはこれで十分くらいです。
久しぶりに福田監督作品で満足して劇場を後にすることができました。

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2025年2月 2日 (日)

「アプレンティス ドナルド・トランプの創り方」師を越えた化物に

先日再びアメリカ大統領に選出されたドナルド・トランプ。
良くも悪くも歴代の大統領の中でも個性的で独特な考え方を持つトランプですが、彼がどうやってあのような人物となったかを描くのが、本作です。
タイトルの「アプレンティス」というのは見習いという意味です。
本作で若き日のドナルド・トランプはロイ・コーンという弁護士からビジネスの世界で生きる術を学んでいきます。
その立場を「アプレンティス」というタイトルで表現しているのでしょう。
加えてかつてドナルド・トランプは「アプレンティス」というリアリティショーにも出演しており、そこでは出場者(見習い)に課題を出す方の役割で、その番組名にもかけています。
ロイ・コーンが教えるのは、自分の欲望に忠実であること、そしてそのためにはあらゆるものを利用し、そして敵は完膚なきまでに叩き潰すことです。
トランプは見習いとして優秀であり、ロイ・コーンの流儀をみるみるうちに吸収し、そして成功を手にしていきます。
彼は親や妻などの家族も利用し、使い物にならないと見るや兄も切り捨てます。
そしてロイ・コーンが同性愛者であることを知ると彼とは距離をとり、彼が病気で苦しんでいても彼を退けていきます。
ついにドナルド・トランプは師を越えて、より権力に取りつかれた巨大な怪物となっていったのです。
本作で目を見張るのは主人公ドナルド・トランプを演じたセバスチャン・スタンの演技でしょう。
セバスチャン・スタンといえば、マーベルのウィンター・ソルジャーことバッキーですが、それとは全く異なる印象です。
実物のトランプは仕草やしゃべり方に特徴がある人物ですが、彼のクセを非常によくつかみ、再現しています。
風貌はよく見れば全然違うのですが、見ているうちに本物のトランプに見えてくるほどです。
役者というのはここまで、完璧にクセなどを盗むのだと非常に驚きました。

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2024年12月31日 (火)

「映画 ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」欲望との付き合い方

今年最後に鑑賞した映画です。
娘が好きで、原作読んだりアニメ版を見ているんです。
アニメ版は時折一緒に見たりしているので、おおまかに設定はわかっていますが、今回は実写版を一緒に見に行ってきました。
予告で天海祐希さんが紅子を演じていて驚きました。
素の天海さんはスラっとスマートなので、紅子の見た目とは全く違いますが、特殊メイクでかなり印象は近くなっていました。
見た目だけではなく、天海さんはお芝居も貫禄があるので、想像以上に役柄に合っているように思えました。
原作が子供向けの小説なので、子供向けの内容かと思いきや、大人が見ても考えさせられるところもあり、ドラマとしても見応えありました。
それもそのはずで、スタッフを見れば脚本は吉田玲子、監督は中田秀夫とベテランの布陣で、しっかりとした作りになっているのも納得です。
アニメも含めた「銭天堂」シリーズの私の印象は、ややブラックなテイストの「ドラえもん」というところでしょうか。
銭天堂で売られているお菓子って「ドラえもん」の秘密道具っぽいところがあると思いませんか。
この駄菓子を食べると不思議な力が身について、望んだことが叶えられますが、いい気になって使っていくとこっぴどくしっぺ返しを受けてしまう。
「ドラえもん」でのび太はいつも秘密道具を使って、欲張りすぎて失敗してしまいますが、「銭天堂」でも何人かのお客はのび太のように欲に流されて、大変な目に遭ってしまいます。
アニメ版を見ていると、意外と救われないまま終わってしまう時もあり、思っていたよりブラックな印象なんですよね。
そういう意味では「笑ゥせぇるすまん」に近いかもしれないですね。
実写版でも主人公小太郎の大学の後輩である相田さんなどは自分の欲望がコントロールできない状態になってしまいます。
その様は買い物依存症ぽくもあり怖くなります。
願いを叶えたいという欲望は人が行動を起こすモチベーションとなり、それ自体は悪いものではありません。
しかし、欲望に支配され、人生全てに優先されてしまうと不幸になります。
そして欲望に支配されると、自分と他人を比べたくなります。
もっともっと欲しくなる。
人よりももっともっと。
その欲は周りの人も、そしてその人自身も不幸にしてしまう。
そもそも欲望は自分の中から湧き起こるものですが、いつの間にやら自分自身を支配してしまう。
作品の中でも悪意と呼ばれるものは自分の中から湧き出る黒い煙のように描かれていますが、それが自分も、人も飲み込んでいってしまいます。
欲望の力を知りながら、それをうまくコントロールしていく術を身につけていかなくてはいけません。
主人公の小太郎は幼い頃、願望を叶え、その力をうまく使って、良き大人になりました。
完璧ではないけれど、自分の願いを力にして善良な人間として生きてきました。
彼のように生きていきたいものです。

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2024年12月21日 (土)

「アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師」丁寧に計算された構成

「カメラを止めるな!」の上田耕一郎監督作品なので、奇想天外な展開になることを期待して見に行ってきました。
ジャンルとしてはコンゲームですよね。
このジャンルは脚本の構成が命。
主人公サイドが嵌めるつもりだったのが、裏をかかれて、さらにそれを大逆転するという展開が醍醐味です。
見ている側も含め、どれだけ大胆に嘘をつき、そして張られた伏線を回収するかというのが、腕の見せどころになります。
その点において、本作はとてもよくできています。
特に最後の最後に明らかになるある人物の正体は、入念に伏線とミスリードが仕掛けられていて、それが回収されるところは見事でした。
このようなコンゲームものは主人公サイドはプロフェッショナルであることが多く、先の先まで読んで仕掛けがされています。
ただどうしても全てをコントロールできるはずもなく、不確定要素が彼らをピンチに陥れるというところが物語のピークになります。
それをいかに知恵を使って乗り越えるというのが、このジャンルの見どころの一つ。
その不確定要素というのが、本作では主人公そのもの。
なにしろ主人公は真面目そのものの公務員です。
人を騙したこともない人物で、いかに詐欺の練習をしたとしても馬脚を表す可能性がある。
主人公そのものが不確定要素というのは面白いところです。
この主人公熊沢を演じるは内田聖洋さん。
この方は演じる役の振れ幅が広くて驚きます。
本作では真面目で気弱な公務員ですが、狂気的で非情な悪人を演じることもあれば、オネエな役もできる。
がっちりした体型なのに、佇まいが変わって見えるというのはすごいです。
「カメ止め!」のようなトリッキーな形ではないですが、コンゲーム作品としてとても丁寧に構成されているなと思いました。
細かいところではいくつか気になったところがありましたが、1回見ただけなので、もう一度見直せばちゃんと整合取れているような気もします。
そういうところもあって何度見ても楽しめそうな作品ですね。

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2024年11月 4日 (月)

「ヴェノム:ザ・ラストダンス」完結作ではあるが、物足りない

「ヴェノム」シリーズは長尺化の傾向があるスーパーヒーロームービーの中にあって、コンパクトな長さの作品です。
それにより見やすくなっているとは思いますが、キャラクターなどの深堀が甘いことにも繋がっていると思います。
本作ではエディとヴェノムのバディムービーで、彼らの別れが描かれます。
彼らは政府から追われる逃亡者です。
政府の目を掻い潜りながら、彼らはニューヨークを目指しますが、その過程はバディムービーによくあるロードムービーのよう。
個人的にはもう少し二人の別れはエモーショナルにしても良かったのでないかという印象です。
尺がコンパクトだったせいもあるかもしれませんが、割とあっさりしていたようにも思います。
完結作ではありますが、少々物足りないですね。
二人の関係性は今までの2作で作られているので、前半はもう少し簡潔にして、後半戦をじっくり描いても良かったのでないでしょうか。
ちょっとバランス悪い感じがしました。
あと、バランスの悪さはキャラクターの描き方にも感じました。
今回エディとヴェノム以外は初出のキャラクターですが、彼らの描き方が中途半端に感じました。
一緒に旅する家族はまだいいのですが、政府側がいかにも中途半端。
シンビオートの研究をしているペイン博士はティーンの頃のトラウマが最初に触れられますが、それ以外彼女のキャラクターは深掘りされません。
過去のエピソードが描かれるため彼女は重要そうなキャラクターに見えますが、出来事に対して彼女の気持ちが深く描かれることはあまりなく消化不良に感じます。
これなら、過去エピソードを入れてこなくてもいいのではないかと思いました。
もう一人パンフレットに名前も出ていないキャラクター、クリスマスの人です。
彼女は自らシンビオートを寄生させ、ヴェノムと共闘しますが、彼女に関してはその動機すら描かれません。
これだと話の都合上のいい宿主でしかなく、キャラクターの扱いとしては乱暴のような気がしました。
また今回登場したヌルについても、ラスボスではなく、こけおどしのような印象です。
サノスのような思わせぶりな登場で、今後SSUの中で重要な役割を背負うのかもしれませんが・・・。
ポストクレジットであったようにSSUでもヴェノムのカケラは残っているようなので、また新しいシリーズが立ち上がる可能性はあるかもしれません。
MCUのアース616にもヴェノムのカケラは残っていたと思うので、あちらの展開も依然として気になります。

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2024年9月 8日 (日)

「エイリアン:ロムルス」強かった1作目のプロット

1979年の「エイリアン」は衝撃的でその後のSF映画に大きな影響を与えました。
この作品はSF映画の世界観でありながら、ホラー映画のようなスリラー的なエッセンスも盛り込んだという意味で新しかったように思います。
その後「エイリアン2」はジェームズ・キャメロンがさらに進化させ、スリラーというよりは戦争アクション映画としてアプローチしました。
2作目が1作目とは異なるアプローチをするというのは、斬新であったと思います。
その後、3、4と続編が作られましたが、勢いは失速。
それぞれの監督が新基軸で挑戦していることは理解しつつも、リプリーが神がかったきたりなど、やや方向性としては迷走していたように感じます。
その後、リドリー・スコットがエイリアンの始まりを描く「プロメテウス」「エイリアン:コヴェナント」を送り出しましたが、哲学的な内容ということもあり、そもそもの「エイリアン」が持っていたテイストは薄かったように思います。
本作「エイリアン:ロムルス」は時代的には「エイリアン」と「エイリアン2」の間に位置するということで、そもそもの始まりである「エイリアン」に原点回帰した内容となっています。
本作の冒頭で「エイリアン」でリプリーがエイリアンと死闘を繰り広げたノストロモ号の残骸が登場します。
リプリーが始末したはずのエイリアンをウェイランドユタニ社が回収し、秘密裏に研究をしていたのです。
本作の主人公たちは劣悪な環境の植民地星から脱出をしようとしている若者たち。
彼らは廃棄された宇宙船を使い脱走しようとしますが、その宇宙船こそウェイランドユタニ社がエイリアンを研究していた施設だったのです。
施設は破壊されひとっこ一人いません。
彼らが乗り込んだことにより、再びフェイスハガーたちが活動を初め、彼らに襲い掛かります。
基本的にプロットは1作目とほぼ同じです。
圧倒的なエイリアンたちに対して、若者たちは無力です。
仲間たちが少しずつ倒されていく中で、主人公のレインが生き残りをかけた戦いをサバイブしていきます。
そもそもレインはどちらかというと慎重派で、植民地からの脱出についても流されていった感じがあります。
しかしサバイバルを通じて、より生に執着し、そのために戦うということで、覚醒していく様はリプリーに通じます。
つまりは同じプロットを繰り返ししているわけではありますが、決してつまらないわけではありません。
どのように彼らがエイリアンと戦っていくかという部分は本作ならではのアイデアもあり、飽きさせません。
元々のプロットが非常に強かったということでしょう。

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2024年9月 1日 (日)

「劇場版 アナウンサーたちの戦争」背負う十字架

本作はNHKスペシャルで放映されたドラマの劇場版となります。
劇場で公開されるまで、このようなドラマがあったことは知りませんでした。
現代でも世界各地で戦争は行われていて、以前よりもさらにも増して重要になってきているのが、情報戦です。
インターネットを使って虚偽情報を流したり、敵国の世論を誘導したり、また自国に対しては不利な情報を隠匿したり。
原始的な手法では、韓国が北朝鮮に対して、韓流ドラマが収録されたDVDを蒔くというのもありました。
太平洋戦争においても、旧日本軍は情報戦に力を入れていました。
圧倒的に物理的な戦力が足りない中、欺瞞情報や敵国の戦意喪失へ、情報戦、特にラジオを使った電波戦は有効であると考えたのです。
当時、そのような軍の方針に従ったのが、現在のNHK、日本放送協会です。
軍が占領地を東南アジアに広げていくのに従い、日本放送協会のアナウンサーたちが前線での電波戦に駆り出されました。
そして、また日本に残ったアナウンサーたちは国民の戦意高揚のためにその声を使ったのです。
本作では戦争というものに巻き込まれていったアナウンサーたちの姿を描きます。
アナウンサーの言葉は真実を伝えるべきものであるのに関わらず、軍の都合が良いことを話さなければならないことに苦悩する人。
言葉の力に溺れ、日本国のために言葉を武器として使おうとする人。
そして言葉の無力さを思い知った人。
自ら望むと望まらずにも関わらず、当時のアナウンサーたちは戦争に加担しなくてはいけない状況でした。
それは否定できないこと。
彼らの言葉によって、戦地に向かっていた者も多くいたことでしょう。
このような物語を、そこに関与していたNHKが語るというのは勇気がいることだと思います。
当時の人々はすでにいないわけですが、自組織の汚点を語るわけですから。
ただ組織として、しでかしてしまったことを、反省する気持ちを表する事は大切な事だと思います。
昨今、テレビ局などがいろいろしでかしてしまった不始末が多くあります。
普段、誰かが起こした事件などは根掘り葉掘り報道するわけなのに、自組織のしでかしたことに対しての反省は驚くほど弱い。
そのほとんどは民放が多いのですが、彼らは全て戦後作られた組織です。
NHKが背負っている、戦争に加担してしまったという十字架は彼らにはない。
逆にNHKは十字架があるからこそ、その態度は真摯にならざるを得ない。
この違いが、不手際が起こった時の、各社の態度に出ているような気がしました。

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2024年8月24日 (土)

「インサイド・ヘッド2」良いところも、悪いところも自分自身

感情のキャラクター化ということにチャレンジし、見事なストーリーを紡ぎ出した前作「インサイド・ヘッド」。
米国でも日本でも興行は好調のようです。
それもさりありなん、続編である本作も前作同様に見事な出来栄えです。
少女ライリーの頭の中でヨロコビ、カナシミ、イカリ、ビビリ、ムカムカはワンチームで、ライリーの幸せのために奮闘していました。
しかし、突然司令室に鳴り響く警報!
それは思春期警報でした。
皆、経験あるように思春期は心の様相が大きく変わる時期です。
そしてそのこと自体に自分自身も翻弄されます。
そんな思春期を迎えたライリーの中に現れたのが、新しい感情たち。
シンパイ、ダリィ、イイナー、ハズカシです。
シンパイはネガティブな未来のことばかりを考えてしまう感情。
これは悪いわけではなくて、予想される未来に対して何か対策をしようという原動力にもなります。
ただ心配ばかりしてしまうと、かえって何も動けなくなったりもします。
ダリィは不貞腐れて、冷めた感情ですね。
これも思春期ならではでわかります。
イイナーは人を羨ましがる気持ち。
憧れる気持ちかもしれません。
これは行動力にもつながるかもしれませんが、空回りしてしまうことも。
そしてハズカシ。
これはあまり目立ちたくないという気持ち。
人と比較してしまい、自分の悪いところ、いけてないところばかりが気になってしまう気持ちですね。
いずれも思春期らしい感情で、それが魅力的なキャラクターになっています。
従来の感情に加え、この新しい感情がバランスをとっていく、というのが大人になっていくということなのでしょう。
でも思春期というのは、そのバランスがうまく取れないという時期なのですね。
その感情の混乱が本作では描かれます。
ヨロコビたちは自分たちがライリーの美しい<ジブンラシサのはな>を守ろうとします。
しかしシンパイたちは新しいライリーの<ジブンラシサの花>を育て始めます。
その花は不安定で、揺らぎがあります。
この揺らぎは思春期の不安定さを表しています。
この時期は自分自身が他の人と比較して、優れていると思えることもあれば、逆に全く箸にも棒にもかからない人間とも思えてしまうことがあります。
最高と最悪の間を揺れ動く感じですよね。
特に最悪の気分の時は、自分が欠点だらけのダメ人間に思えてしまいます。
この最高と最悪を行き来することが、<ジブンラシサの花>の揺らぎで表現されているのでしょう。
ヨロコビたちは完璧な花こそがライリーらしさと初めは考えていますが、いい部分も悪い部分も不安定さも含めてライリーらしさと気づきます。
まさにこれは人が思春期を経て、自分らしさということを見出していく過程でしょう。
良いところも、悪いところも含めて、自分自身として受け入れられる。
それが大人になるということなのですよね。
自分のことで言ってしまうと、自分のインサイドヘッドでは、おそらくシンパイがリーダーのようになっているんだろうなと思います(笑)。
良くも悪くも心配性なので。それでうまくいく場合もしんどい場合もありますよね。
それも自分。

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2024年8月23日 (金)

「クレヨンしんちゃん オラたちの恐竜日記」モアおバカ度

「クレヨンしんちゃん」の映画というと割とナンセンスというか、おバカな設定というイメージがあったので、テーマが恐竜と聞いた時は、真っ当だなという印象でした。
子供たちと子供の恐竜の交流というと「ドラえもん」的なイメージがあるんですよね。
普通のサラリーマン一家の家に恐竜がいるっていうのも十分非日常ではあるのですが、ロボとーちゃんとか、世界サンバ化計画とかに比べると、おバカ度が少ないというか・・・。
個人的に「しんちゃん」に期待しているのは、おバカ度がどのくらいかというところがあるので、その点では物足りない印象でした。
「しんちゃん」の映画の魅力はおバカであるのにも関わらず、なぜか泣かされるという落差にあると思っているのです。
本作ももちろん泣かされるところはあります。
ただ、先ほど書いたような落差はないので、「ドラえもん」的な感動といった感じで、「しんちゃん」らしさは薄かったかな。
好きだったのはしんちゃんの愛犬シロの描写で、自分の境遇と重ね合わせて恐竜ナナに気を遣っている様子が、何とも可愛らしかったです。
ラストはしんちゃんより、シロの方に共感してしまいました。
当然、来年も「しんちゃん」の映画はあると思うので、その時はもう少しおバカな感じでお願いしたいものです。

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2024年7月20日 (土)

「違国日記」二人の成長

子供からある時、大人になるっていうものではないのかもしれない。
子供から大人への変化はグラデーションで、徐々に徐々に変わっていく。
主人公の一人、朝はある時、両親の事故により子供から大人にならなければいけない環境に放り込まれます。
けれど、突然大人になれるわけもなく、子供のような不安を抱えながら、もう一人の主人公槙生やさまざまな人々と出逢いながら成長していきます。
朝はとても大事に育てられたようで、周りの高校生に比べてちょっと精神的にも幼い感じもありますが、性格的には非常に素直で交流をしながら、学んでいくのです。
朝を演じている早瀬憩は映画主演は初めてということですが、フレッシュさもありながら、大人にならなけれいけない不安と子供らしい無邪気さを両立させた演技もできており、今後期待できますね。
もう一人の主人公槙生という少女小説家。
彼女は朝の母、つまり自分の姉に対して許せないという気持ちをずっと持ち続けています。
槙生は子供の頃より、普通の人のようにきっちりと物事をやるということができない子で、ひたすら物語を書いていました。
設定では、槙生は発達障害的な要素があるようです。
姉はそんな普通じゃない妹が認められなかったのですね。
そのような自分の境遇からか、槙生は朝に対しては、子供のようには接しません。
子供ではなく、一人の人間として対等に相対します。
いくら子供であっても、槙生は自分の気持ちをごまかさず話します。
自分の中でも整理できないこともなんとか言葉にしようとして、真摯に向き合います。
いいからやりなさい、とは言いません。
朝がさまざまな出来事に直面し、悩み、傷ついても、彼女と対等な立場で意見を言います。
自分が正しいとは言いません。
自分はこう思うと言います。
このようにひとりの人間として朝を扱うことが、結果として朝を成長させていきます。
そして槙生も、次第に朝に対して愛情を感じていくようになっていきます。
憎んでいる姉の娘であっても。
そして朝と暮らしていく中で、姉も娘を深く愛していたことに気づきます。
愛し方は違っても、朝を愛しているという点において、初めて槙生は姉を許容できるようになります。
それは槙生にとっても成長であるかもしれません。
この槙生を演じているのが新垣結衣さんですが、昨年の「正欲」に続いて、明るさを抑えたぶっきらぼうな演技で、最近の新垣さんは新境地を開拓しているように思えます。
自分にも子供がいますが、成長していくに従い自我が強くなり、ぶつかることも出てきます。
親はどうしても、こうしなさい、と言いたくなりますが、やはり子供の個性は潰したくないという思いもあり、グッと堪えようとしてます。
槙生と朝の関係は一つの理想的な関係であるなと思いました。

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