「おーい、応為」同士であり、親子
冨嶽三十六景などで知られる浮世絵師葛飾北斎には、その才覚を受け継いだ絵師である娘がいました。
それがお栄、号が葛飾応為です。
応為は「おうい」と読み、これは北斎がお栄をいつも「おーい」と呼んでいたことから付けられたとも言われています。
応為の作品はそれほど残されていませんが、そのいくつかが劇中でも登場しています。
それらが「吉原格子先之図」「夜桜美人図」「百合図」です。
私は応為の絵は見たことがなかったのですが、特に「吉原格子先之図」「夜桜美人図」は光と闇の使い方が印象的かつ特徴的で、レンブラントのようにも思えました。
北斎とはまた違った才能を見ることができます。
応為の作品数が少ないのは、北斎作品と呼ばれているものの中にも、彼女が描いたものもあるとも言われ、実際共作もあったようです。
さて、本作はその応為が主人公となる作品です。
今までも北斎が登場する映画は数々あり、そこには応為も登場していましたが、このようにスポットが当たるのは初めてではないでしょうか。
応為は北斎の弟子と結婚するものの、夫の絵の拙さに我慢がならず貶したところ離縁されたという逸話を持つ女性。
男っぽいものを好み、当時としては破天荒なタイプの女性であったと思います。
江戸時代の女性と言えば、生まれてから親に従い、夫に従い、子供従い、と一生の間、自分では物事を決められない立場でした。
応為は離縁後は北斎の元で、好きな絵を生業として絵師として活躍します。
劇中、応為は北斎のことを「鉄蔵」と呼び、まるで親らしく扱っていません。
一緒に暮らしているものの、北斎、応為はそれぞれの創作に夢中であり、雑多な生活に関わることには無関心の様子です。
親子というよりは、それぞれ自立したアーティストとして生き、刺激を受けているという状況でしょうか。
それぞれの創作を追求するという点では、互いにリスペクトしているようにも思います。
それぞれの口が悪いのは、親子としての屈託のなさでしょうか。
彼らは親子でありつつ、創作に取り憑かれた同士でもあったのでしょう。
北斎は晩年、応為に自分が死んだら、自由に生きていいと伝えます。
彼はアーティストとしての応為を尊敬し、一緒に刺激しながら創作をしてきたことに満足しつつも、親として娘の一生を奪ってきたのではないかと考えたのです。
それに対し、応為は元々自分はこのように生きたいから生きてきたと返します。
親だから世話しなくてはいけないから一緒に暮らしてきたわけではなく、身近にいる最も優れたアーティストとして尊敬する北斎のそばにいて、刺激を受けたかったからだということでしょう。
その当時としての女としての幸せではないかもしれない。
しかし、それは自分が生きたかった人生であると。
応為にとって、北斎はどうしようもない親で目を離せない存在でもありましたが、最も尊敬する芸術家でもあったのでしょう。
応為は、アーティストとしても、女性としても自立した考えを持った人物であったのかもしれません。
北斎の死後、応為の行く末に正説はないようです。
一人になった彼女の作品がどのように変わっていったのか、知りたいですね。

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