2020年12月30日 (水)

「映画 えんとつ町のプペル」 同調圧力

「鉄コン筋クリート」などで知られるSTUDIO4℃制作のアニメーション。
元々画作りは丁寧でクオリティが高いプロダクションですが、今回は初の全編3DCGで挑みました。
3DCGアニメでありがちなCGライクなタッチではなく、絵本のような肌触りのある作品でした。
本作を見てもはや3DCGでのリアリティさというのは差別化ポイントではなく、作品のタッチなどが重要になってくる時代になっていると認識を改めてしました。
海外ものでは「スパイダーマン:スパイダーバース」などが独自のタッチを出していましたが、技術レベルが上がってくるとその技術の差ではなく、表現の個性が改めて大切になってくるのだと思います。
 
今年一年を振り返ってみると、コロナ禍という状況において、さまざまな人の習性が見れたようにも思えます。
「自粛警察」なんて言葉も新語・流行語大賞にノミネートされていましたが、同調を強いるようなこともしばしば耳にしました。
色々と考えた上で同調を求めるのであればまだいいのですが、あまり何も考えずに強要することは問題がありますよね。
ある意味それは思考停止状態とも言えるわけです。
先が見通せない状況であるからこそ考えなくてはいけないわけですが、単純に同調するということは、すなわち考えなくていいということなので楽でもあるのです。
本作の舞台となるえんとつ町の人々の多くは勤勉に仕事をして生きている印象を受けます。
彼らの姿からは充実している印象を受け、ささやかながらも幸せに暮らしているように見えます。
ただ一つのタブーは、年中煙に覆われた空の向こうに何があるか、また海の先に何があるか、を問うこと。
主人公のルビッチは父の作ってくれた物語を信じ、空の向こうにある星をいつか見てみたいと思っています。
しかし、そう思うこと自体を周りの人々からは否定され、肩身の狭い思いを感じています。
これはまさに同調圧力ですよね。
真実とは異なるかもしれない、だけど皆がそう言っているからそのように思わなければいけない。
幼馴染であるアントニオはルビッチに対し強く当たりますが、実は彼は一度星を見た事がありました。
けれど、それは「ありえない」ことで自分自身でそれを否定してしまった。
だからこそ、ずっと信じていられるルビッチのことが疎ましかったのだと思います。
アントニオのエピソードは一瞬でしたが、これが本作の一番言いたかったことを集約したものであると感じました。
与えられた常識を疑うことをしない、すなわち思考停止状態に我々は自らを置いてしまう時があります。
けれどそれにより停滞しまったり、先に対して夢を持つこともできなくなってしまう。
無茶かもしれないけれど、考えて、自分が信じることをやってみる。
それが現状を打破することに繋がるかもしれない。
ルビッチの行動が、なんとなく同調をしていた人々の心の奥にあったモヤモヤに光を当てました。
きっかけを与えられ人々は考え始めたのだと思います。
エンディングでルビッチたちは海を渡ろうとしていることがわかります。
その先に何があるかわかりません。
けれど前には進んでいる。
考えて、先に進もうとすることが大事なのですよね。

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2020年10月31日 (土)

「映画 プリキュアミラクルリープ みんなとの不思議な1日」 キャラの扱いが丁寧で好感

「プリキュア」の映画を生まれて初めて見に行ってきました。
4歳になる娘が「行きたい!」と言ったので。
こちらの映画は現在放映中の「ヒーリングっど♥プリキュア」とその前作「スター⭐︎トゥインクルプリキュア」、前々作「HUGっと!プリキュア」のクロスオーバー作品となっています。
これは「仮面ライダー」の「ライダー大戦」などでもお馴染みの東映が得意な企画なので、個人的には全く違和感はありません。
ちなみに「スター⭐︎トゥインクルプリキュア」は子供に付き合ってほとんど見ていて、思いの外、面白かった印象がありました。
ヒーリングっど♥プリキュア」は所々齧って見ている感じで、「HUGっと!プリキュア」に関しては全く見ていません。
すなわち今回は子供の付き合いで見に行ったわけですが、想像していたよりもストーリーもしっかりしていて大人でも楽しめるしっかりとした作りになっておりました。
同じ1日を何度も繰り返す、という設定は私としては「うる星やつら ビューティフルドリーマー」を思い出してしまうわけですが、年齢を感じさせますね・・・。
「プリキュア」初心者の私ですが、フォーマットとしては女児向け「スーパー戦隊」のようなものでしょうか。
「スーパー戦隊」ではチームの中心に立つのは概ね「レッド」ですが、「プリキュア」はピンクなのですね。
戦隊の方はリーダーとなるレッドについては、毎年いろいろなタイプのキャラクターが登場します。
熱血タイプ、冷静なリーダータイプ、底抜けポジティブタイプなど様々です。
私がちゃんと見ていた「スター⭐︎トゥインクルプリキュア」のピンクはキュアスターこと星奈ひかるですが、彼女は底抜けポジティブタイプでしたね。
彼女は基本的にポジティブで揺るぎがない。
自分が夢見ることが必ず叶うと信じられている。
それが彼女の強さであると見ていて感じていました。
現在放映中のヒーリングっど♥プリキュア」、そして本作の主人公であるのはキュアグレースこと花寺のどか。
彼女は幼い頃病気になってずっと入院していたこともあり、ちょっと自分に対して自信がないようなところがあるように感じていました。
ただずっと周りの人の優しさに支えられてきたこともあり、彼女自身も周りの人々を気遣う心を持っています。
それが彼女の力の源泉になっているのでしょう。
本作には過去のプリキュアたちが登場するものの、同じ日を繰り返させるリフレインという謎の存在により、彼女たちは昼の12時を迎えるとそれまでの記憶を失ってしまいます。
そのため、時の妖精ミラクルンのライトをもらった「ヒープリ」の3人のプリキュアは彼女たちの力だけで、リフレインと戦わなければなりません。
皆を救いたいという強い気持ちはあるものの、何度も負けてしまうキュアグレースは心が折れそうになるものの、それを支えたのがキュアスターの底抜けのポジティブさでした。
単純に過去のキャラクターが登場するお祭り的な映画かと思いきや、キャラクターの性格をしっかりと物語に絡めて、コラボレーションとして丁寧に作ってあることに好感が持てました。
敵となるリフレインにも寂しさがある背景が設定されており、そのあたりの回収も上手にできていると思いました。
ヒーリングっど♥プリキュア」はタイトルの通りテーマは病魔に蝕まれる地球をお手当てすること(キメ台詞は「お大事に」!変身シーンにも白衣を着るようなイメージがありますね)。
放送開始は2月でしたが、その後すぐに世界中がコロナ禍に。
まさに現実世界の地球が病魔に蝕まれている状況で、コロナを「予言」したとも言われていましたね。
ちょっと最近はテレビの方は見ていないので、現実の状況を受け、どのようにストーリーが展開しているのか、映画を見て改めて気になった次第です。
娘が録画しているのを見直そうかな・・・。

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「浅田家!」写真のチカラ

いろいろあって鑑賞してから記事を書くのに1ヶ月かかってしまいました。
今回は鑑賞した時のことを思い出しつつ、になってしまいます。
まずは本作を見た時、かなりの部分で泣いてしまったのを思い出します。
数年前ではそんなことにはならなかったかもしれないですが、自分で家族を持ち、子供ができたことが大きいかと思います。
脳腫瘍の子供を持った家族のエピソード。
死が間近に迫っている子供を持つ親御さんの気持ちは如何ばかりか。
自分だったら耐えられない。
主人公であるカメラマンの浅田が撮った写真がこれがまたとてもよく。
幸せそうに眠る子供を両親が挟んで川の字で寝転んでいる姿。
平和な一枚だけど、それはずっと続くものではないというのはわかっている。
それでも子供たちを見て優しく微笑んでいるご両親の顔。
泣けてきました。
あとは、後半の東日本の震災の時の写真を持ち主に返すボランティアのエピソード。
このボランティアは報道か何かで聞いたことがありました。
それに浅田さんも関わっていたのですね。
こちらのメインのエピソードとなる女の子のお話にも涙を流してしまいました。
少女は毎日のように写真を再生しているボランティア現場を訪れて、写真を探します。
自分たちの写真は見つかりましたが、亡くなったお父さんの写真だけが見つからない。
少女はお父さんは自分たちのことが好きでなかったから、写真が出てこないのではないかと言います。
けれどそうではありませんでした。
お父さんは家族の幸せな時を切り取った写真を撮ることに夢中になり、自分の写真は残していなかったのです。
確かにそうだ、と思いました。
私も時折iPhoneで家族の写真を撮りますが、確かに自分の写真はほとんどありません。
子供の笑顔とかそういう瞬間を残したい、とばかり思ってしまうのですよね。
浅田が家族写真を撮りたいと少女の願いをかなえるところも素敵でした。
お父さんはもういない。
だから一緒に写真に写ることはできません。
けれどいつも、お父さんがつけていた腕時計を浅田は腕に巻き、シャッターを切ります。
いつも少女のお父さんがそうしていたように。
少女にとっては、いつものように写真を撮ってくれていたお父さんを感じながら写真に写ることができたのではないでしょうか。
浅田さんが家族のインタビューをしてから、写真の構想を考えるというやり方はとっても素敵だなと感じました。
家族の歴史、思い出、夢、関係性、そして未来が一枚の写真の中に凝縮されています。
まさに一枚の写真のチカラはとてつもないものがあると感じました。
映画を見てから、今まで撮ってきた家族の写真を見返しました。
写真を見るだけでその時の情景が蘇るのですよね。
子供がこんなこと言っていたとか、そういうようなことが。
まさに写真のチカラです。

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2020年6月19日 (金)

「エジソンズ・ゲーム」 ジョブズの姿を見た

原題は「The Current War」で、直訳すると「電流戦争」になりますね。
ここでいう電流とは直流/交流のことです。
乾電池などは直流、家庭に電力会社から送られてきてくるのは交流というのは、学校で習ったことがありますよね。
本作ではエジソンが電球を発明し、その後急速にアメリカに電気が普及している時代における、直流式と交流式の覇権争いを描いています。
まさに電流のデファクト・スタンダードをどちらが取るかという争いです。
皆さんもよく知るトーマス・エジソンが直流派。
そして交流を主張するのが、ジョージ・ウェスティングハウスです。
意外だったのが、本作で描かれるエジソン像です。
エジソンといえば「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」という名言で有名ですよね。
私も子供の頃、偉人伝でエジソンの話を読んで、努力家で高潔なイメージがあったのですが、本作のエジソンは全く違います。
天才であることは間違いありませんが、どちらかと言えば自己中心的で、部下に厳しく、また敵となる相手には非常に攻撃的に当たります。
そして名誉欲・自己顕示欲も高いパフォーマーで、仕事を優先して家庭を顧みない人物。
正直言って一緒にお仕事したくないタイプです。
相手となるウェスティングハウスは終始紳士的で、名誉よりは社会へどれだけ貢献できるかということを考えている人物のように見えました。
電力の普及により、社会が大きく変わろうとしている時代、二つのシステムが大きく覇権を争う様が描かれるのが、この作品です。
鑑賞しながら、本作におけるエジソンをどこかで見たことがあるという既視感を持ち始めました。
よくよく考えて見ると、本作のエジソンは、アップルを創業したスティーブ・ジョブズに非常に似ているなと思いました。
彼もまた自己中心的で、周囲に対して非常に厳しい人物でありました。
そして自己顕示欲も高いパフォーマーでもあったのは、皆さんもよく知っているところです。
彼はパーソナルコンピューターやスマートフォンを発明し、その後の社会のありようを大きく変えたというところが、まさに本作のエジソンのようです。
しかし、パーソナルコンピューターにしてもスマートフォンにしても、彼が作ったMacやiPhoneがデファクト・スタンダードになったわけではありません。
主流になったのは、Windowsであり、Androidであったのです。
交流に負けてしまったエジソンと通じるところがありますよね。
そういえば、ジョブズもアイデアを盗まれたと言ってWindowsを訴えたことがありました。
本作で描かれたのは「電流戦争」ですが、スティーブ・ジョブズのMacとビル・ゲイツのWindowsの覇権争いは「OS戦争」とも言われました。
パーソナルコンピューターの登場、そしてスマートフォンが登場も、社会を変容させる圧倒的なインパクトがありました。
その衝撃度は今を生きる我々は知っているわけですが、電力が普及し始めた時の衝撃はさらに凄いものだったのでしょうね。
時代を作る人物には、それを生み出すだけのエネルギーを生み出すことができるエジソンのようなエキセントリックさが必要なのかもしれません。
そしてまたそれを広く遍く普及させるには、ウェスティングハウスのような粘り強さが必要なのかもしれません。

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2020年3月20日 (金)

「映画 賭けグルイ」 ハイテンション!ハイリアクション!

公開時に気になっていた作品だったのですが、見ていなかったTVシリーズを受けての作品だったようで、鑑賞を断念。
改めてNetflixでテレビシリーズを全て見てからの鑑賞となりました。
本作の舞台となる私立百花王学園は生徒会を頂点としたギャンブルによる階級制度があります。
そこに主人公蛇喰夢子が転向してきます。
彼女は一見古風なお嬢様のようにも見えますが、真性のギャンブル狂で、賭事に挑むときは性格が一変します。
まさに「賭けグルイ」です。
この蛇喰夢子を演じるのが現在売り出し中の浜辺美波さん。
普通の少女から、深窓のお嬢様、そしてちょっとズレたような変わり者まで幅広く演じることができる女優さんですが、本作での振れ幅はかつて無いほどのレベルですね。
ギャンブルをテーマとした作品としては「カイジ」シリーズが思い浮かびます。
そこで主人公カイジを演じる藤原竜也さんの演技も、非常にハイテンションでしたが、その藤原さんにも負けるとも劣らないほどのテンションで浜辺さんは夢子を演じます。
彼女の演技の振れ幅は最近の若手女優の中でNo.1と呼べるものだと思います。
夢子以外のキャラクターに関しても、全てがハイテンション・ハイリアクションの演出で通されています。
漫画にもある表現なのだと思いますが、ショックを受けたときの文字通り「目が点」になる時の表現はまさにその究極。
全編的にコミック的な大仰な演出になっていますが、それがギャンブルという究極の心理戦においてははまっています。
全体のトーンはかなり独特でこれは英勉監督のセンスの賜物でしょう。
映画版で描かれる賭け事は大掛かりなものではなく、カードゲームが主体となり、大掛かりな装置によるギャンブルがメインの「カイジ」と好対照ですが、とは言っても地味ということではありません。
シンプルなカードゲームであるということで、より心理戦にフォーカスされ余計にドキドキさせられます。
浜辺さんに負けず劣らずの振れ幅を見せるのが、テレビではあまり姿を表さなかったキャラクター歩火を演じる福原遥さん。
彼女の演技も見ものでした。
前半と後半は全く異なるキャラクターのよう。
浜辺さんと福原さん、この二人の演技だけでも見る価値はあります。
最後は夢子と生徒会長のバトルになるのかと思いきや、そこまでは至らず。
またテレビシリーズなり、映画があるということでしょうか。
夢子が何者であるかも明らかにされておりません。
今後また彼女たちに会えることを期待したいと思います。

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2020年2月23日 (日)

「1917 命をかけた伝令」 超絶技巧の撮影

全編がワンカットで構成された超絶技巧の戦争映画です。
実際はいくつかの長回しを編集したものですが、どこで繋いだのかはなかなかわかるものではないでしょう。
それだけ計算され尽くした撮影だったということです。
通常のカットを重ねていく映画であれば、不都合なところや難しいところは編集でうまく逃れるということができます。
しかし長回しの場合は、演技やカメラの動き、そして天候などのコンディションが合わなかった場合は、それで全てやり直しとなってしまいます。
メイキング映像を見ましたが、前半の延々と続く塹壕でのシーンは模型を作り、俳優とカメラの動きを何度もチェックしたということです。
机上での計算を経て、それを実際のスケールのセットを作り、実際の俳優が要求されるタイミングで演技できるようにリハーサルを重ねます。
非常に根気のいる作業であったと思います。
カメラは俳優たちとともに歩き、時にはカメラマンからワイヤーに、そして自動車に受け渡され、延々と彼らの動きを追っていきます。
ただ単純な長回しでは、観客は退屈してしまいます。
自在なカメラワークがあってこその長回しです。
見ていて驚いたのは戦闘地域の街でのナイトシーンで、闇の中を移動する主人公の周囲に照明弾が次々と上がるシーンでした。
ご存知の通り照明弾は打ち上げれて激しい光を放ち、そしてゆっくりと地上に向かって落ちていくものです。
光源が移動するので、照らされている部分と影の部分も動いていきます。
そしてこの作品は長回しなので、俳優もカメラも動いています。
俳優、カメラ、照明といった画面を構成する全てが動いている。
どれかのタイミングが合わなければ成立しません。
全てを計算し、それを本番でぴったりと再現できたらこそこの表現ができているのです。
長回しは技術的な卓越性を表現するだけのためではいけません。
本作では長回しのカメラが捉えているのは主人公だけです。
基本的にカメラはずっと主人公を追いかけます。
それにより見ている我々も彼と一緒の目線となります。
特に中盤から彼が一人となってからは、彼の焦りと不安をともに感じるようになります。
夜の街の陰から敵が突然現れるかもしれない。
砲撃により吹き飛ばされてしまうかもしれない。
そういった恐怖を感じつつも、進み続ける主人公の強い意思をともに感じることができます。
客観的に描くカメラではできない、臨場感があります。
主観視点のカメラとも違います。
まさに寄り添う視点でのカメラです。
本作は今年のアカデミー賞で撮影賞、視覚効果賞、録音賞を取りましたが、それも納得できる結果だと思いました。

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2020年2月15日 (土)

「AI崩壊」 テーマはタイムリー、しかし・・・

「2001年宇宙の旅」(1968年)のHAL、「ターミーネーター」(
1984年)のスカイネットと、昔から映人間に害を与えようとする人工知能が映画の中で描かれてきました。
しかし、その当時はまだそれは夢物語でしたが、2020年の現在、AI=人工知能はリアルな技術として社会に浸透し始めています。
AIという言葉を聞かない日はないほどですが、HALやスカイネットのように自律的に作動するマシンにはなっておりません。
しかし、シンギュラリティ(技術的特異点:自律的に作動する機械的知性が誕生すること)は間近であるという説もあります。
本作に登場するAI「のぞみ」は人間のヘルスサポートから発展したAIですが、ある日突然暴走し、人間の峻別をしようとします。
それぞれの人が生み出す生産物・効率性、その人が生きるためにかかるコストから算出し、生きるべき人間と、生きていくべきでない人間とを区別し、そして生きていくべきでないと判断された人間を抹殺しようとするのです。
厳密には「のぞみ」は意思を持っているわけではありません。
AIは学習することにより、的確な答えを出していくように成長していくわけですが、「のぞみ」に対して人間のネガティブな面を学習させていくことにより、人間を峻別するという結論に導く悪意が裏にあったのです。
ちょうど現在オンエア中の「仮面ライダー」シリーズの最新作「仮面ライダーゼロワン」もAIがテーマとなっており、その敵となっているAI「アーク」も人間の悪意をラーニングすることにより、人類を抹殺するという結論に達しています。
機械そのものが悪ということではなく、悪を学習させた人間の悪意があるということです。
この二作品は共通のテーマであると言えるでしょう。
また本作は最近見た別の作品と別の観点で共通点があると思いました。
それは「カイジ ファイナル・ゲーム」です。
この作品でも国家が、赤字財政・格差の拡大・貧困の増加などを背景に、下級国民を峻別し搾取する様が描かれています。
本作も生きるべき人とそうでない人を峻別しようとしているという点では同じです。
「上級国民」という言葉が昨年はキーワードとして出てきましたが、国民の中で確実に格差というものが認識されてきているということでしょう。
一億総中流という時代はいまは昔ということです。
映画というのは確実に作られた時代の影響を受けているので、同じような時期に同じようなテーマの作品が作られたということで、今の時代の空気が感じられます。
AI、格差社会といった現代を表すテーマをタイムリーに取り上げ、エンターテイメントとして作ったのは評価できると思います。
しかし、それが映画として面白いかどうかというのは別問題です。
映画としては全体として、御都合主義感を感じる脚本であったと思います。
サスペンスとして盛り上げるためでしょうが、いくつか真犯人ではない人間へのミスリードがあるのですが、あまりにあからさまなので、ミスリードされません。
「カイジ」を見ていると大体背景が想像できるので、真犯人も大体わかってしまいます。
テーマは悪くないだけに、もう少しストーリーはなんとかならなかったのかと思ってしまいます。
最後にAI「のぞみ」のデザインはよかったです。
従来のスーパーコンピュータの無味乾燥さがなく、有機的で美しい。
人間のDNAの二重らせんのようでもあり、花弁のようでもあります。
ライティングにより禍々しくも見えたり、優しくも見えたりもする。
エンティングでピンク色に証明され、それが桜の花びらとオーバーラップするところは演出上の狙いがはっきりと伝わってきました。
返すがえすもストーリーが残念です。

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2019年12月27日 (金)

「アナと雪の女王2」 新しい価値観の提示

一人で字幕版を、続いて日本語吹き替え版を娘と一緒に、都合2回観てきました。
そう言えば前回も字幕版と吹き替え版を1回ずつ観たような。
正直言うと、個人的には2作目よりも1作目の方が好きではあるのですが、評判を聞くといろいろですね。
同僚の女子二人は「2」の方を圧倒的に支持していました。
私の娘の場合は「1」の方がしっかりと観ていた気がします。
歌は「1」の方が歌いやすそうですよね。
さてなぜ私と女子二人の評価が別れてしまったかですが、今回の作品におけるエルサとアナに現代を生きる女性が共感しやすい要素があったのではないかと思いました。
今回の「2」でエルサがどうしてあのような特殊な力を得たのか、秘密が明らかになります。
ただそのエピソードが彼女たちの心を掴んだのではなく、二人の生き様が共感性を呼んだのではないかと考えました。
エルサはその能力と長女ということで、女王として大きな責任を背負っています。
彼女は非常真面目な性格であり、その危険を伴うかもしれない責任を自分一人で背負おうとします。
社会に出て、以前に比べて責任感のあるポジションにつくこともあったり、家庭のことについてもいまだに多くの部分を背負っている彼女たちは、エルサの感じているプレッシャーを自分ごとのように捉えたのかもしれません。
またアナについては、エルサとは異なり特殊な能力を持っているわけではない普通の女性です。
彼女の性格はとてもポジティブで前向きではあるますが、エルサと比べると何でもない人間であるという自覚があります。
それでも何かをしなくてはいけないという思いは強く、挫けそうになりながらも一歩一歩進んでいこうとします。
この辺りも現代の女性が共感しやすい点であるような気がします。
本作についてはエルサとアナは途中から別行動をとりますが、それぞれが歩む道筋で彼女たちは自分たちの責任感、使命感を試されます。
そして家族や友への思いも。
それらを力にして、彼女たちは進み続けます。
決して挫けずに。
昔に比べ女性も色々と背負うものが増え、そして前進することが求められる。
みなプレッシャーを感じていると思うのですが、本作のエルサとアナの姿を観ると、少し前向きな気持ちになれるのかもしれません。
また本作については自分たちのいる環境が、古い価値観により築き上げられたものであったということをエルサとアナは知ります。
それは男性的なものの考え方で築き上げらた価値観であったと言えます。
それを二人は文字通りぶち壊します。
女性らしい多様なものを受け入れる新しい価値観を新しい王国に二人は導入するのです。
鉄壁のように作られた男性主体の価値観に対しての彼女たちの新しい生き方の提示なのですね。
その辺りも女性に支持された理由ではないかと思いました。

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2019年11月25日 (月)

「イエスタデイ」 伝わってくる肯定感

<ネタバレがあります>
クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」、エルトン・ジョンの「ロケットマン」とアーティストを主人公としたヒットを続けています。
本作「イエスタデイ」は名前から分かるようにビートルズを題材にした作品です。
ただし先の2作とは異なり、ビートルズ自身の物語ではありません。
ある日、突如として世界中が大停電となります。
その時ちょうど事故に遭ってしまい意識を失っていたジャックは、目が覚めてしばらくたった時、世の中からビートルズの存在が消え去っていることに気づきます。
彼は、誰も知らないビートルズの曲を歌い、レコードをリリースして話題となり、一気に時の人となります。
そしてそのままスターダムにのし上がろうとしますが、それと引き換えに大切なものを失ってしまいます。
この流れは先にあげた2作の展開を想起させます。
若者がその才能を見いだされ、皆に注目されて、成り上がり、そしてその成功と引き換えに何かを失ってしまい、孤独となる。
最後は自分が失ったものに気づき、取り戻そうとするが、時はすでに遅い、という展開。
本作においてもこの構造が展開されますが、大きく異なることは主人公にはフレディ・マーキュリーやエルトン・ジョンのような天才的な才能はないということ。
彼らは自分の才能により、その地位を得たとも言えますが、ジャックは違う。
彼自身もそれはわかっています。
フレディやエルトンは自身が才能があることもわかっていて、そしてそれを発露することは才能が持つ者として当然のことで、止めることはできません。
それをやめてしまったら、彼ら自身ではなくなってしまうから。
つまりは天才ゆえに破滅への道も決まっていたとも言えるかもしれません。
けれどもジャックは偶然により、というよりも結果的にはズルにより、自身の才能以上の成功を得てしまった。
そのことに対する罪の意識と、その上に大切なものの喪失感の二つを感じてしまうわけです。
フレディとエルトンの場合は成功は自信に裏付けられていますが、ジャックの場合は成功すればするほど罪の意識を感じてしまう。
その罪への罰として孤独を与えられているようにも彼は感じてしまったのかもしれません。
この作品が粋であると思ったのは、彼の罪の意識を救ってあげた方法です。
劇中でジャックと同様にビートルズの存在を知っていると思しき人間が出てきます。
彼らはついにジャックのコンサートの前に彼のところにやってきます。
ジャックを断罪するかと思いきや、彼らはお礼を述べるのです。
誰も知らなかったビートルズの歌を世の中に残してくれて、と。
彼らにとって、そもそもビートルズの歌はジャックだけのものではないとの思いであったのでしょう。
ビートルズの歌は皆のもの。
誰かがそれによって利益を得るのがどうこうということではない。
皆に聞いてもらうことが大切で、これは人類の財産なのだと。
とても素敵な考え方をするなと思いました。
このストーリーから製作者のビートルズに対する愛を感じました。
ジョン・レノンが登場してきたところも粋でした。
この世界はビートルズのメンバーがいない世界ではない。
なにかボタンがかけ違ってたまたまビートルズが結成されなかったということなのでしょう。
そのために、ジョンは凶弾に撃たれることはなく、幸せに人生をまっとうしようとしていました。
それは私たちが知っているジョンの人生ではないかもしれない。
けれど彼が幸せに生きてこれたのであったら、それはそれで悪い世界ではないのかもしれないと思える。
「ボヘミアン・ラプソディ」や「ロケットマン」では生きていくことの苦しさ、自分の才能で生きていき、自分が選んで生きているのにもかかわらず、次第に追い詰められていく息苦しさを感じました。
しかし本作からは、生きることや世界を受け入れられる、とても肯定的なスタンスが伝わってきました。

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2019年10月 5日 (土)

「アド・アストラ」孤独に焦がれ、孤独を恐れる

本作はスペース・アクションと銘打たれているが、その本質は違う。
確かにオープニングの宇宙エレベーター(?)のシークエンスや、月面車でのチェイスシーンは今まで見たことがない、宇宙でのアクションシーンとは言えるし、舞台の多くは宇宙である。
しかし、本作はそのようなシーンをことさらに見せたかったわけではない。
どちらかと言えば、何が起こっても異常なほどに沈着冷静であるロイというキャラクターを描くためにあったと言ってよい。
私は本作のテーマは「孤独」であると考える。
その反対の「繋がり」であると言ってもいいだろう。
宇宙というシチュエーションはその「孤独」を描き出すには最適の舞台であるがゆえの選択であるように思う。
これが「深海」であっても成立するような気もするが、ただ後に描く理由により、やはり宇宙の方がベターであるだろう。
主人公ロイは孤独な男である。
普通に社会生活をおくれているようであっても、彼はその内面を他の者にされけだすことはない。
妻であった女性にもそれは同じであり、それ故に彼女は彼から離れていった。
ロイは劇中の多くのシーンで宇宙服を着ているが、まさに宇宙服が彼と他の人々との関係性を象徴している。
自分を守る厚い皮膜、直接触れることができない関係性だ。
彼は自身のそのような性向に気づいているものの、それをどのように解消していいかわからない。
またそのような状態でいる方が心地よいとも感じてしまう。
これは個人的にはわからない感覚ではない。
自分もどちらかというと内面をさらけ出す方ではないし、一人を好む性向がある。
直接的な感情表現をする人は付き合っていても苦手であるのだ。
一人になりたいということもしばしばある。
もう一人の主要な登場人物はロイの父親であるクリフォードだ。
彼は地球外生命体の探索のため、遠く海王星まで遠征し、そこで消息を絶った。
彼を探しに行くことが、ロイのミッションとなる。
クリフォードは地球外生命体の探索に異常なほどの熱意を燃やす。
結果、彼の方針についていけないプロジェクトのクルーを殺害してしまったほどだ。
そのプロジェクトは努力にも関わらず、成果をあげられなかったようだ。
すなわち人類以外の知的生命体の痕跡を見つけられなかったということだ。
それは人類がこの宇宙において唯一の知的生命体であったということ意味する。
それをクリフォードは認められない。
なぜか。
彼は人類が「孤独」であることを知るのを恐れたのであろう。
孤独であることは恐怖を伴う。
なぜならば自分が存在することに誰にも気づいてもらえないことを意味するからだ。
そうなると自分が存在する意味はあるのかという根源的な問いに至ってしまう。
一方、クリフォードは妻と子を捨て、宇宙へ旅立った男でもある。
彼は自分のやりたいことのため、しがらみを一切捨てたのだ。
この感覚もわからないではない。
家族は愛しているものの、一人になりたいと渇望することもあるものだ。
つまり人間には孤独になりたくないという気持ちと、孤独になりたいという気持ちは同時に存在しているのだ。
ロイは父親を見つけるために深太陽系を目指す旅の中で、地球から離れるほどに精神的に不安定になる。
より孤独になる環境に向かう中で、人々との繋がりが薄れることによるのだろう。
孤独になりたいという気持ちは遠心力だ。
また繋がりたいという気持ちは引力だ。
ロイは遠心力で深宇宙に旅をしていったが、より孤独が深まる中で、人と人とをつなぐ引力が切望するようになったのかもしれない。
遠心力と引力のバランスが取れた場所が軌道である。
人間は孤独になりたいという気持ちと、孤独になりたくないという気持ちのバランスが取れた軌道を見つけなくてはいけないのかもしれない。
そしてそれはパートナーと同じ軌道に入れることが望ましいのだ。
ロイは旅路の果てにそのバランスを見つけることができた。
クリフォードの場合は正反対になる。
彼が恋焦がれるのは、つまり引力の方向が外宇宙なのだ。
彼は他の生命体とのコネクトを求めている。
その方向性が引力で、地球に向かう方向性は彼からすると遠心力なのだ。
結局、彼は強い引力に引かれ一人宇宙に旅立った。
冒頭に書いた宇宙を舞台にしたことの意味はここにある。
人間の関係性における遠心力と引力を描くためのメタファーとして宇宙が適しているのだ。
人との関係性の遠心力と引力のバランスが取れた軌道を見つけられれば、人は心地よく安らかに生きていけるのだろう。

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