2018年5月12日 (土)

「アベンジャーズ/インフィニティ・ ウォー」 無限に続く戦いか

ある意味、今までのマーベル・シネマティック・ユニバースの総決算とも言える作品ですね。
事前に観た方はかなりの高評価をしていたので、期待して観に行ってきました。
個人的には今までとは異なり、かなり重い展開であることと、登場人物が多くてやや話が忙しいのが気にはなりましたが、マーベルファンに対してのイベント映画としてはしっかりと堪能できました。
総決算と言えるくらいだけあって、登場するヒーローの数も半端ありません。
なかなかこれだけ出てくると、それぞれのキャラクターのことを描くのに時間がないと思うのですが、なんとかまとめあげていたと思います。
中でもアイアンマン、ソー、スターロードあたりが中心に話が進んで行きます。
とはいえ、真の主役と言ったら敵役のサノスになるのではないでしょうか。
登場したキャラクターの中でも最も時間をかけて語られていたのは彼ではなかったかと思います。
サノスについては今までのマーベルムービーの中でも名前は何度となく語られてきました。
曰く宇宙最強の敵と。
なので私はサノスはただただ無慈悲な完全な悪の存在であるというようなイメージを持っていました。
しかし、本作を観るとサノスは純粋な悪といった単純な人物ではありませんでした。
彼は容赦なく人々を殺していきますが、それは彼の中では慈悲でありました。
増えすぎた生き物がやがて資源の枯渇に滅びて行く。
そうなれば全ての生物が絶滅してしまう。
だから生き物を半分にし、余裕を持って行きていけるようにする。
宇宙のバランスを保つということを大義としています。
これは歪んだ考えであることは間違いありませんが、彼は彼なりの考えを持っているということがわかります。
そしてそれはある側面では説得力を持っているということがあります。
そしてまた彼は人としての感情、愛情を持っている(歪んではいますが)こともわかります。
ただただ単純な悪ではない。
彼なりに正しいと思う信念をサノスは持っています。
だから彼は強い。
強大なパワーを持っているから彼が強いわけではなく、彼が信念を曲げないから強いのですね。
それに対し、アベンジャーズたちは常に押されます。
かつてないほどの劣勢に彼らは立たされます。
そして衝撃的なラストを迎えます。
当然これでマーベル・シネマティック・ユニバースが終わるわけはないでしょう。
キーとなるのはドクター・ストレンジが持っていたタイムストーンかと思います。
インフィニティ・ウォーというタイトルからすると無限に続く戦いということですから、時間がポイントになるかと思うのですよね。
今はサノスの手に渡っていますが、これにドクター・ストレンジを何か仕掛けを施したような気がします。
タイムストーンなので、時間を巻き戻してしまうとか(アメコミではよく使われる手)。
もしくは人々を半減させるということで、片方はもう一つの宇宙(ユニバース)に移ったとか。
何かびっくりするような解決方法を見せてくれることでしょう。
劇場では「アントマン&ワスプ」の予告が入っていましたが、こちらはこのインフィニティ・ウォーより後の時間軸なのかな?
それでしたら、何かしらの答えが用意されているかもしれませんね。

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2018年4月30日 (月)

「いぬやしき」 ヒーローの本質

奥浩哉さん作の漫画が原作で、「GANTZ」同様に佐藤信介監督がメガホンを取っています。
「GANTZ」は原作も映画も非常にタッチが硬質なのですよね。
圧倒的な状態に対して、無常感というか、自分ではどうしようもない感じがあります。
そのような環境の中で、人は人らしく生きて戦えるか、状況に飲み込まれて人らしさを失っていってしまうかというところが描かれていたと思います。
そういう点において、本作「いぬやしき」も同じようなテーマを感じました。
あるときに、何者かによって人間ではないものに作り変えられてしまった獅子神という高校生と、犬屋敷という中年サラリーマン。
彼らが得たのは同じ能力ですが、二人はその力を全く異なることに使います。
獅子神の状況は不幸なものであることには間違いないですが、言ってしまえば不幸であるのは彼だけではない。
しかし、もともと自分の心の中にあった鬱屈した思いを吐き出すことができる力を得てしまったおかげで、彼は変わってしまいます。
そして一線を越えてしまったおかげで、どんどんと周りの者も不幸に巻き込んでいってしまいます。
彼の中には「こんなはずじゃなかった」という思いがあったのだと思います。
そしてまたその鬱屈した思いが、他への攻撃という形で現れてしまった。
そういう点で言えば、彼は非常に幼い心の持ち主であったのかもしれません。
かたや犬屋敷という男も幸せではありません。
家庭でも職場でも蔑ろにされており、ただそういう自分を諦めて生きています。
しかし、彼が獅子神と違っていたところは、人の不幸も幸せも自分のことのように感じることができる共感性でしょう。
これは人が持つ人らしい力であるのですが、それを獅子神は持っていなかった。
犬屋敷は人の持つ当たり前の共感性という力を持っていたのですが、人のために役に立つ能力を今までは持っていなかった。
それを彼は得ることができ、その力を人のために使った。
それまで人の役に立てなかったからこそ、それが彼の生きがいのようになったのでしょう。
人は誰かの役に立ちたいという思いは普通に持っているものなのですよね。
そういう意味では犬屋敷が特別な人間ではあったわけではありません。
当たり前の男なのですよね。
獅子神は世の中をわかっているような感じで見ていますが、その実何もわかっていませんでした。
人がどのように喜び、悲しむかということを想像できなかった。
自分のことだけで、他人のことを考えることができなかった。
犬屋敷は人に対して共感できる心を持っていた。
誰かが喜ぶこと、悲しむことに思いを馳せることができた。
それがこの二人の違い。
それが一人を悪役にし、一人をヒーローにした。
ヒーローにとって大事なのは見かけやその能力なのではなく、人としての心であるわけです。
設定としては非常に変わった作品でしたが、描いているのはヒーローの本質でした。

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2018年4月14日 (土)

「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」 乱世の男

昨年クリストファー・ノーランの「ダンケルク」で第二次世界大戦の初期のダイナモ作戦が題材となり、ダンケルクから脱出しようとする兵士たちの姿が描かれました。
本作はちょうど同じ時代、イギリスサイドの話です。
ウィンストン・チャーチルは、それまでドイツに宥和的な態度をとっていたチェンバレンに代わりイギリス首相になりました。
本作を見て感じたのは、チャーチルは極めて政治家らしい政治家であるということ。
政治家としての野心を隠そうとはしませんし、ドイツや政敵にも容赦はしません。
しかしながら、国を思い、国民を思う気持ちは他のどの政治家よりも持っています。
彼は聖人君子ではありません。
ことば巧みに国民を戦争に導く扇動者にも見えます。
彼は複雑な人間であり、一筋縄ではいきません。
フランスが降伏するに至り、チャーチルが追い込まれ庶民の声を聴く場面があります。
彼はドイツには屈服したくないという国民の意見を直接聞き、勇気をもらいます。
人民の声は彼を弱気から救っただとは思いますが、チャーチルはその意見を政治的に利用もします。
その後、閣外大臣に演説をするときにも庶民の声と言っている部分に巧みに自分の意見をのせているのですね。
この辺りは議員たちを自分が進みたい方向に上手に誘導しているわけです。
その後彼らの指示を背景に国会で演説を行い、挙国一致内閣はドイツに対し徹底抗戦の方針を決めます。
彼は彼自身の理想を持ち、強引に、そして犠牲を厭わず邁進します。
しかし、その犠牲にも心を痛め弱気になるところも持ち合わせています。
彼は演説し言葉で人々を先導しますが、また周りの人々の言葉に救われもします。
彼は完璧な人間ではありません。
近くに居たら、非常に扱いにくい人間でしょう。
しかし、強い理想があり、それを推し進める強さがある。
それがかつて見たことのない状況において諦めない力を人々に与えるのでしょう。
彼は乱世に生きる人だったのかもしれません。
彼は第二次世界大戦を戦い抜きドイツを屈服させ、その後戦争終了後は首相の座を追われます。
平和なときには彼の性格は過激に過ぎたのかもしれません。
ただ世の中が混乱しているときは強力な個性、リーダーシップが求められるものです。
確かに、彼は乱世の男だったのです。

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2018年1月29日 (月)

「祈りの幕が下りる時」隠された切ない想い

東野圭吾さんの人気シリーズ「加賀恭一郎」シリーズの完結作の映画化作品です。
テレビドラマの「新参者」から阿部寛さんの加賀がスタートしたので、「新参者」シリーズとも言われますね。
私はその「新参者」シリーズの初劇場作品の「麒麟の翼」が初めての「新参者」シリーズでした。
確か「泣けるミステリー」と言われていたと思いますが、宣伝通りにとても泣けたのを記憶しています。
それからテレビシリーズやスペシャル版をレンタルして全部観たのですが、どれも泣けてくるのですよね。
東野圭吾さんの作品はミステリーといってもトリックだけが重要ではありません。
それよりも、事件の背後にある人の情を描いているのですよね。
悪意で事件が起きるのではなく、誰かが誰かのことを大切に思い、そのことによって事件が起きてしまう。
その隠された想いが加賀の手によって明らかにされていき、その想いの深さによって心が揺さぶられるのだと思います。
「麒麟の翼」でも父親の子供への想いがキーとなっていました。
そして本作もやはり親と子の想いがキーとなります。
本作は加賀シリーズの完結作というだけあって、彼がなぜ日本橋署にいるのか、そして「赤い指」でも触れられた母親の失踪にも話が及びます。
この事件では加賀自身の親子関係、そしてその想いが重要なファクターです。
そしてもうひとつの親子の想いも。
「麒麟の翼」を観たときは、独り身であったのですが、それから時が経ち、自分自身が結婚して、子供もできました。
幼い子供を見ていると、月並みですが何ものにも代え難いという思いになります。
子供を守るためならば、なんでもしたいと思います。
独身の時は想像しかできなかったのですが、自分がそういう立場になると、まさにそのとおりだと感じます。
本作ではある親子の互いへの強い想いが描かれます。
親はまさに自分の人生を欠けて子を守ります。
子はその想いに答えようと生き、そして最後は親の願いを叶えようとします。
それが悲劇につながってしまうのですが、そこの強い思いに心が揺さぶられました。
今の自分の立場でまた「新参者」シリーズを見直したら、印象が変わって受け止めるかもしれません。
また東野圭吾さんの原作にもチャレンジしてみたくなりました。

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2017年12月15日 (金)

「オリエント急行殺人事件(2017)」 原作を読んでいても楽しめる

アガサ・クリスティーのミステリーは大好きで、もちろん原作も読んでいます。
この作品の結末は実に驚くべきもので、初めて読んだときはポアロの謎解きの内容にひっくり返りそうになった覚えがあります。
驚くべきところは、謎の答えは非常にシンプルでありながら、(それゆえに)それまで誰も思いつかなかったというところでした。
ミステリーの謎解きというと、複雑な仕掛けがあったりというイメージがありますが、単純な答えこそ人は見逃しがちであるということがわかります。
「オリエント急行殺人事件」以降は同じような答えのミステリーを誰も書けなくなるほどのものであったと思います。
それだけオリジナリティのあるアイデアでした。
アガサ・クリスティーは他にも「アクロイド殺し」など、驚くべきトリックが仕掛けられている作品がいくつもあるので、この映画を観てミステリーに興味が出た方は、手にとってはいかがでしょうか。
(「アクロイド殺し」はその仕掛け上、映画化は難しそうですが・・・)
結末を知っているので、映画を楽しめなかったかというと、そんなことはありませんでした。
「オリエント急行殺人事件」は以前にも豪華キャストで映画化されていますが、本作も出演者は豪華でしたね。
主人公の探偵「灰色の脳細胞」を持つエルキュール・ポアロはテレビシリーズのぽっちゃりなイメージが強く残っていたのですが、ケネス・ブラナーが演じるポアロもなかなかに良かったです。
ポアロはやや偏執狂的にきっちりとした人間で、だからこそ人が見逃しそうな些細な違いにも違和感を感じ、それを手掛かりにして論理的に推理を組み立てていくというアプローチをしていきます。
最近でも古典と言えるくらいに古くなったクリスティーの作品ですので、ポアロのことを知らない人も多いかと思うのですが、オープニングのエルサレムのくだりで彼の性格が簡潔に描写されていました(卵の大きさが揃っていないと気に入らないという場面)。
また彼はベルギー人であり、彼の活躍の場となるイギリスでは異邦人ということになります。
そのためか、非常に客観的な立場の目線で事件を見ることができるわけですね。
この辺りはクリスティの設定の妙でしょう。
他の出演者もまさに主役級を集めていると言ってもいいですね。
ジョニー・デップ、ミッシェル・ファイファー、ペネロペ・クルス、ジュディ・ランチ、ウィレム・デフォー、そして「スター・ウォーズ」のレイ役で注目を集めたデイジー・リドリー。
誰が犯人でもおかしくないというところがミソになるので、やはり登場人物もこれだけ豪勢でないとこの作品は成り立ちません。
以前に読んでいて結末は知っていたとはいえ、細かい部分は忘れているので、観ていて素直にハラハラしました。
最近は本格ミステリーの映画は少ないので、堪能できました。
ラストではポアロがエジプトに呼び戻されるようなところで終わりました。
「ナイル殺人事件」に繋がったりして・・・と思いましたが、本当に作るらしいですね。
本作のヒットを受け、そのようなことになったようです。
ケネス・ブラナーのポアロは良かったので、再び彼でやってくれるといいなあ。

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2017年10月14日 (土)

「亜人」 割り切りがしっかりできていて小気味いい

例によって原作は未読で鑑賞してきました。
最近、原作の映画は結構長尺のものが多くなってきていますよね。
長い原作をコンパクトに映画をするのは大変ですし、登場人物を説明していく段取りなどもあるので、長くなりがちです。
特に登場人物の説明は丁寧にすればわかりやすくはなりますが、展開が遅くなって冗長な感じがしてくるので、バランスが難しいところです。
その点において本作「亜人」はかなり割り切って描いているかなと思います。
オープニングから主人公永井の佐藤による救出作戦が開始され、その後すぐに二人は対立し、バトルシーンに突入します。
ある意味、イントロなしでクライマックスに入った感じもあり、一気に作品世界に引き込まれる感じがしました。
と言いながら、ただバトルをしているだけでキャラクターの背景が全く不明かというとそういうことでもなく、ちょっとしたシーンであったり、台詞であったりでその登場人物がどんな人間なのかを伝えることは行なっていると思います。
永井なり、佐藤なりの過去話など掘ればいくらでも掘れそうだと思いますが、そこをあえて掘らず、映画としての展開のスピードを重視した潔い構成になっていると思います。
亜人研究所とか、政府の黒幕とか色々ありそうですけど、この辺りもあっさり切っていて小気味がいいです。
どうして亜人は存在するのかということなども描きたくなるとは思いますが、そのあたりもそういうものだという割り切りにの中で話が進んでいきますよね。
そのため映画全体は見ていて非常にスピード感があり、また比重の多いアクションについても亜人という特性を活かしたアクションとなっていて見応えがありました。
普通は死んだら負けということが前提にアクションが組み上げられていますが、本作の亜人の戦いは死んだら元々の完璧な状態で復活します。
劇中ではリセットと言っていましたが、まさに言い当てていますよね。
リセットボタンに手をかけながらゲームをしている感じ。
彼らにとって最悪なのは、リセットできない状態になること。
死んではいないけれども、動けない状態になると彼らは負けなのですよね。
ゲームの前提が違うから、アクションも通常のものとは変わるはずです。
そのあたりのルールの違いがよく劇中のアクションシーンで描かれていました。
そういう点では見たことがないアクションになっていたと思います。
割り切りがしっかりできていて、やりたいことが明確になっている作品に仕上がっていると思います。

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2017年9月30日 (土)

「エイリアン:コヴェナント」 ミッシング・リンク

<ネタバレ含みますので、ご注意です>

前作「プロメテウス」は「エイリアン」シリーズの前日譚として、様々な謎が解決されると思いましたが、逆に色々と謎を置いていった印象で、ややスッキリした感じがしなかった印象でした。
本作「エイリアン:コヴェナント」は「プロメテウス」を引き継ぐ内容で、そしてその後の「エイリアン」に続くエピソードとなっており、シリーズのミッシング・リンクであるとも言えます。
本作ではそもそもエイリアンという存在は何ものなのか、なぜあのような生物が存在するのかという謎、そして人類とは何者であるのかという謎が明らかになります。
そもそも人類はエンジニアという異星人が、自分たちの遺伝子を種として地球に蒔いたことが起源となっていました。
彼らが人類の創造主であるわけです。
そして人類は文明を発展させ、やがてアンドロイドという新たな生命というべき存在を産みだしました。
アンドロイドは死なないという点において、人類よりも「完全な」存在と言えます。
そのようなアンドロイドの一体、デイビッドらはプロメテウス号でエンジニアの存在を発見します。
そしてまた、彼らの創造物の一つであるエイリアンとも遭遇するのです。
本作で明らかになるのは、デイビッドがそのエイリアンをさらに改良し、完全なる生命体を作り上げていたということです。
攻撃的な性質、頑強な肉体、強酸性の血液、そして宇宙空間ですら生きることができるパーフェクトな生命体である、エイリアン。
アンドロイドである彼は不完全な存在である人類に作られました。
しかし、より完全であるはずの彼らは、不完全である人類に恭順をしなくてはいけませんでした。
デイビッドの中に人類を越え、さらに完全なる者を生み出したいという欲望が目覚めたのでしょうか。
この欲望は他者を征服し、自分たち以外を排除する弱肉強食の論理です。
デイビッドはその不完全さゆえに人類は存続するべきではないと言っていました。
結果的にはアンドロイドのデイビッドを経由して、自分たちの存在を脅かす存在を生み出してしまったわけです。
そしてそれはエンジニアもそうなのかもしれません。
生物というものはそのように新たな種が前の覇者を駆逐していくものなのでしょうか。

いくつかまだ積み残しの謎もあるように思いました。
本作の結末でコヴェナントが向かうのは元々の目的地であったオリエガ6だと思われます。
「エイリアン」でノストロモ号が到着したのは、オリエガ6なのでしょうか、それとも本作の舞台となっていた惑星なのでしょうか。
エンジニアの宇宙船があるということから本作の惑星であると思うのですが、ノストロモ号乗組員を襲うのはデイビッドの研究室の地下にあったエイリアンの卵なのですかね・・・?
その時デイヴィッドの痕跡が一つもないのはちょっと気になりますが。
そうだった場合は、オリエガ6の方にもデイビッドが持っていったエイリアンが2体いるはずなのですよね。
その後のデイビッドも気になります。
あと、エンジニアは(デイビッドに酷似した)王らしき人物に滅ぼされますが、これがデイビッドの妄想なのか(?)、現実のことなのかはわかりません。
現実のことであると彼は何者であるか、そして彼はその後どうなったのかというのが気になります。
彼はエンジニアたちに生み出されたアンドロイド的なものであったのかもしれません。
そうなると生物というものは自ら自分たちよりも優れたものを生み出し、そして滅ぼされていくという運命にある存在なのかもしれないとも考えられます。
意外と哲学的な話になったものですね。

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2017年8月22日 (火)

「宇宙戦隊キュウレンジャー THE MOVIE ゲース・インダベーの逆襲」 短いながらも密度が濃い

本作は「スーパー戦隊」シリーズの第41作 「宇宙戦隊キュウレンジャー」の劇場版作品です。
「キュウレンジャー」ではいままでのシリーズとは異なる新しい試みが行われていますが、中でも一番インパクトがあったことはメンバーが最初から9人いるというところでしょう。
今までの「スーパー戦隊」シリーズでは、チームの初期メンバーは3人や5人であることが多く、途中で追加戦士が1人もしくは2人加わっていくというのが通常でした。
けれども「キュウレンジャー」では初期メンバー9人、加えて現時点では3人の追加戦士が加わり、総勢12人という大所帯となっています。
これだけの人数がいるとそれぞれのキャラクターの描き分けが難しいと思うのですが、この作品においては非常にうまく個性を出せているように思います。
ヒューマノイドや、獣人や、ロボットや、子供・・・、見た目も性格も個性あるキャラクターが配置されていますが、これは大人数であるからこそしっかりと計算されてキャラクターが丁寧に設計されているという印象を受けます。
人数が増えることにより、物語の展開にも今までの「スーパー戦隊」シリーズとは異なるものが見られます。
わかりやすいところでいえば、劇中の事件の進行に合わせてメンバーが複数の別チームに分かれて行動し、やがて合流していくという新しい展開があげられます。
この劇場版でもケルベロスの力を手に入れるために、キュウレンジャーは3チームに分かれ、3つの石(三頭のケルベロスなので3つ集めなければいけない)の探索を行います。
3チームの行動が同時並行的に描かれるので、物語が立体的になった印象を受けました。
事件に対応すべく出撃するチームのメンバーは毎回くじ引き(!)で選ばれるという設定になっていて、そのため毎回メンバーが変わる(レッドのシシレッドは強運の持ち主のため毎回メンバーに選出されるという設定)ので、キャラクター同士の絡みも変化が出てきます。
そのため12人いるキャラクターの個性がしっかりと出しやすい仕掛けになっています。
劇場版は30分程度の尺しかないのですが、3チームを並行で描くというアイデア、さらにはタイムリミットシチュエーションによって、短い尺ながらも密度の濃い物語の展開があったと思います。
最近の「スーパー戦隊」シリーズの劇場版の中においてもレベルの高い作品に仕上がっていたと思いました。

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2016年12月10日 (土)

「インフェルノ」 シリーズの中では一番

観てから2週間も経ってしまった・・・。
本作「ダ・ヴィンチ・コード」「天使と悪魔」 に続くラングドンシリーズの第3弾になります。
前2作は原作も読んでいたのですが、そちらと比べるとハリウッド映画調のアクションサスペンスに仕上がっていたような印象で、原作が持っていた暗号解読的な謎解きの面白さというのはなかったように感じました。
ですので残念ながら特に面白い作品であるという認識にはなりませんでした。
そのため本作も観ようかどうか迷っていたのです。
しかしうまくタイミングがあって、結局観に行ったのですが、大変面白いと感じました。
まず、こちらについては原作を読んでいないで映画を観たということはあるかもしれません。
全く展開を知らなかったので、素直に観れたということはあります。
前2作についても原作を読んでいなかったら、もっと採点は変わったかもしれませんね。
ある謎が提示され、それは世界的な陰謀に絡んでいて、謎を解いていくたびに新たな謎が提示されていく。
ラングドンはそれをたまたま相棒となった美女とともに解き世界の旧跡を巡っていく。
そしてまた謎の組織が彼らを追っていく。
基本的にラングドンシリーズというのはこのような構成です。
「インフェルノ」もまさしくこのような展開ではあるのですが、退屈だとは思いませんでした。
ラングドンと行動をともにするシエナの正体が明らかになったあたりは、不意を衝かれた感じで「おっ!」と思ってしまいました。
よく考えるとこの手のサスペンスではありがちな展開ではあるのですが、いいタイミングで見せたという感じでしょうか。
この辺はさすがベテラン、ロン・ハワードというところでしょう。
シエナを演じている女優さんは綺麗な方で、どっかで観たことがあるようなないようなと思いながら観ていたのですが、調べてみると「ローグ・ワン」の主演なのですね。
「ローグ・ワン」の予告を観ていたから記憶に残っていたのか・・・。
いい女優さんに思えたので「ローグ・ワン」も期待したいです。

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2016年9月19日 (月)

「X-MEN:アポカリプス」 エンターテイメントと思想のバランス

「X-MEN」新三部作の最終章です。
前作「フューチャー&パスト」ではタイムトラベル要素が入ってきたので、間が空いてから見るとタイムラインがわからなくなります。
しかし今回はジーンやサイクロップス、ストームなど「X-メン」の主なキャラクターが登場し、旧三部作と新三部作のリンクが明快になってきます(実際は前回過去の改変を行っているから、タイムライン的には別になりますが)。
ジーン、サイクロップス、ストームは旧三部作から俳優陣も若々しくなっています(過去を描いているので当たり前か)。
とはいえ助っ人として登場するあの人は変わらず。
他の誰が演じてもブーイングが来そうなので、なかなか変えづらいですよね。
不死の体だから老けないってことで。
「X-MEN」シリーズは登場人物も多いし、超能力もド派手なものが多いので、話のスケールがかなり大きくなりがちです。
ともすると大味になりやすいのですが、さすがブライアン・ジンガーは手堅くまとめ、その辺もバランス良くしていますね。
強大な力を持つ適役が登場すると、従来のキャラクターがこじんまり見えたり、妙なパワーアップをしたりと、話がインフレを起こしやすい。
今回などはX-MENサーガの時系列としては真ん中辺になるので、無理はパワーアップは先に繋がらなくなりますし、手加減が難しいところです。
究極に個の力を高めることにより、それ以外の人間を支配し、平和を実現しようとするアポカリプス。
彼が見ている世界は戦いがなく平和なのかもしれないですが、それぞれの人間は抑圧されている世界です。
しかし、プロフェッサーXが目指しているのは、誰でもがその違いにかかわらず平和に暮らしていける社会です。
旧三部作に比べ、ミュータントが象徴するマイノリティの苦しみ の描き方は新三部作薄いですが、それが「X-MEN」シリーズの描く思想であることは間違いないでしょう。
大作のアメコミ映画としてエンターテイメント感は強く出しつつも、「X-MEN」らしい思想は保っている作品となっていると感じました。
さてこれで「X-MEN」サーガは繋がったわけですが、次回はどういう風に展開しますかね。
個人的にはミスティークとマグニートがどう合流していくかが見てみたいところです。
(それとも新しいタイムラインでは合流しないのか?)

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