2022年9月 3日 (土)

「TANG タング」親は子供によって育てられる

主人公の健は子供のまま成長を止めてしまったようなところがあります。
不幸な出来事があり、社会に出て、そして大人として責任を背負うことに恐れを持ってしまったのかもしれません。
弁護士の奥さんに収入の面でも、その他のことについてもおんぶに抱っこ。
奥さんからすれば、彼は夫ではなく、手のかかる子供のようであったのでしょう。
そんな健のところに突然現れたTANG。
記憶を失ったこのロボットは生まれたばかりの赤ちゃんのよう。
健と旅を続ける中で、TANGはまるで子供のように成長していきます。
このロボットは特殊なAIを持っており、そのため人の情緒を学習していくようです。
TANGは子供が親になつくように健に懐いていきます。
コーヒー好きな健のためになけなしの100円を持って買ってくるところは良い場面でした。
自分の子供もこういうようなエピソードありましたが、大好きな親のためにやってくれようとする気持ちが伝わってくるとギュッとしたくなりますよね。
子供からの愛を与えられることにより、親も子供に愛を与える。
このようなやり取りの中で子供の情緒は成長していきます。
TANGのように。
そして、子供と一緒に親も成長していきます。
自分のことですが、子供を持つまでは自分でもあまり子供好きではないと思っていました。
しかし、子供が成長していく過程のなかで、自分にも親としての自覚と愛情がどんどん深まっていくのですね。
不思議なものです。
同じように健にも変化が訪れます。
子供のようだった彼は、TANGと一緒にいる中で、このロボットに愛しさを感じるようになります。
何事からも逃げてきた彼は、さらわれたTANGを救うために自ら行動を起こします。
彼はTANGによって、親として、大人としての自覚が目覚め、成長していくのです。
成長した彼は、ようやく過去と折り合いをつけ、そして妻との関係にも向かい合う勇気ができました。
親は子供によって育てられる、と言いますが、まさにその通りですね。

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2022年8月10日 (水)

「暴太郎戦隊ドンブラザーズ THE MOVIE 新・初恋ヒーロー」濃いキャラクターたち、楽しめます

前作「機界戦隊ゼンカイジャー」がそれまでのスーパー戦隊シリーズの集大成といった趣でしたが、それを次ぐ「暴太郎戦隊ドンブラザーズ」はスーパー戦隊のフォーマットをことごとく破り、新しさを全面に出して、可能性を一気に広げている意欲作となっています。
シリーズ当初は見ていて戸惑いもありましたが、キャラクターの濃さ、予期せぬ展開に、次第に病みつきになってしまいました。
その劇場版が本作となります。
通常夏映画は「仮面ライダー」と同時上映で、「スーパー戦隊」は30分弱ぐらいの尺となっており、テレビとほぼ長さは変わりません。
ですので今までは、映画ならではの特別な敵などを登場させるとどうしてもテレビシリーズに比べると慌ただしく、内容としても薄くなりがちでした。
本作はプロデューサー曰く、特別な敵と戦うといった映画ならではの展開は「仮面ライダー」に任せ、前座として賑やかに、あくまで「ドンブラザース」らしさを全面に出すということを狙ったそうです。
それはうまくいっていて、テレビシリーズと同様のはちゃめちゃな展開で楽しく見れました。
「ドンブラザース」の魅力は濃いキャラクターたちと書きましたが、その中でも特別にいい味を出しているのが、メンバーの一人であるオニシスターに変身する鬼頭はるか。
演じるのは志田こはくさんですが、なにしろすごくいい。
ポジションとしてはヒロイン役ではあるのですが、体を張っているというか、若いのに変顔も出し惜しみなく、稀有なコメディエンヌぶりを発揮しています。
今回は映画の中で映画を撮るという劇中劇の体となっていますが、その中での役も通常よりも輪をかけて崩してきてます。
本作はドンモモタロウこと桃井タロウが主役で間違いありませんが、主役を食うほどの存在感は素晴らしい。
男の子向けの「スーパー戦隊」でここまで女性キャラクターが存在感を出しているのは初めてではないでしょうか。
小さい男の子はどう受け取っているのでしょう。
こういうお姉さんは好きそうですけれどね。
最近のスーパー戦隊は脚本がスマートな作品が多い印象があります。
見やすいのは間違い無いのですが、ちょっと物足りない時もあります。
本作を担当しているのは井上敏樹さんで、ベテランだからこその従来からジャンプしたストーリーで毎回意表をつかれます。
はちゃめちゃな展開も「スーパー戦隊」シリーズの面白さでもあるので、そのようなDNAも大事にしていってほしいです。
無茶苦茶やってもストーリーとしては破綻していないのが、さすが大御所な感じです。

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2022年6月23日 (木)

「峠 最後のサムライ」古臭い価値観

母親が時代劇が好きで、子供の頃からよく見ていたせいか、このジャンルのものは嫌いじゃない。
特に幕末期は時代が変わろうとする時であり、さまざまなドラマのある作品が作られてきていて、魅力的であると思う。
古来より続く日本人的な価値観、進歩的で自由な価値観、どちらが正しいということではなく、その両方が今の日本人のベースになっているようにも感じる。
だから幕末期は倒幕派、佐幕派のどちらの立場に立っても共感できるドラマを感じることができる。
本作の主人公河井継之助は幕府譜代の長岡藩の家老である。
彼は戊辰戦争において新政府軍と戦い、結果敗れ、その時に負った怪我のために死ぬ。
義のために戦い死ぬ、というサムライらしい生き様をした人物として描かれている。
が、私が映画で描かれているこの人物を見たときに感じた印象は「古くさい」であった。
映画そのものもオーソドックスな時代劇であり、別段何か優れているものがあったという感じがなかったということもひとつかもしれないが、この主人公にあまり共感することがなかったのだ。
個人的には昔気質の日本人にある、義に生きるという価値観は嫌いじゃない。
そのようなドラマを見て、グッとくることも多々ある。
しかし、本作についてはそうは思わなかったのだ。
まず、彼は最初は迫ってくる新政府軍を前にし、長岡藩はスイスのような中立的な立場をとるという判断をする。
しかし、天下がひっくり返ろうとしている時に、そのようなことを新政府軍が認めるわけがない。
継之助は西洋の制度にも明るく新しいことを取り入れる人物のようだが、あまり状況が読みきれていないようにも思える。
政府軍との交渉はうまくいかず、結果的に長岡藩は新政府軍と戦闘に入る。
その時も継之助は可愛がっていた宿の娘に「勝てはしないが負けもしない」と言うが、結果敗退をしてしまう。
長岡軍は会津へ向かい、長岡は西軍に蹂躙される。
継之助は理想を持ち、義を大事として、戦うものの、先読みができているとは言えず、そのため藩民は苦難を味わう。
本人はいいかもしれない。
理想を追い、正義を貫き、死ぬのだから。
本望かもしれない。
しかし、それについていった者たちは・・・。
ある意味、自分勝手といってもいいだろう。
夫(もしくは上司)は我を通して、妻(部下)は黙ってそれに付き従う。
あまりに古臭い価値観で辟易としてしまったのが、正直なところ。
見にいった劇場の観客の方々もかなり高齢者の方が多く、見終わった時にそこに納得してしまったりもしたものである。

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2022年6月 4日 (土)

「トップガン マーヴェリック 」前作へのリスペクト溢れる

社会現象ともなった「トップガン」から35年以上経っての続編の公開です。
当時私は高校生で、もちろん「トップガン」にはハマりました。
本物の戦闘機F-14トムキャットを使った空中戦のシーンにはまるでコクピットにいるかのような感覚になりましたし、ドラマ自体は複雑ではないので高校生的にも分かりやすいながらも、最高峰を目指すパイロットたちの戦いと友情に胸熱になったものでした。
自分のミスによる事故によって親友でありバディでもあるグースを失い、打ちひしがれる主人公マーヴェリックは、ライバルであるアイスマンや恋に落ちる女性教官チャーリーに支えられ立ち直ります。
今考えると非常に少年漫画のようなキャラ設定ではありますが、だからこそ分かりやすく皆に受け入れられたような気がします。
そのような非常に思い入れの強い作品の続編(特にすごく前の作品)は、自ずとそのハードルが上がっていきます。
また新解釈などにより、自分が好きであった部分が変わってしまうことへの心配などもあります。
しかし、本作では海外評もかなり絶賛であったので、ひとまず安心しておりました。
そして鑑賞してみると、前作へのリスペクトあふれ、そしてさらに映像表現は超えてくるものとなっておりました。
まず、オープニングで製作会社のタイトルが出るところで驚きがありました。
ドン・シンプソン&ジェリー・ブラッカイマーとなっています。
この二人は当時のプロデューサーですが、ドン・シンプソンは既に亡くなっているため、現在はジェリー・ブラッカイマーしか名前が出てきません。
しかし、本作に限って今回は当時のまま二人の名前が入っています。
そしてオープニングですが、夕方での空母での戦闘機の離着陸シーンから始まります。
BGMはもちろん「Danger Zone」。
戦闘機はF-14からF/A-18となっているものの、アングルなども当時と同じようなところを狙っていて、見ていると一気に「トップガン」の世界に戻っていきます。
このオープニングによって、今回の製作陣が前作に対して非常にリスペクトを持っていることを感じさせてくれました。
前作へのオマージュを感じるシーンは他にもいくつもありました。
トムがカワサキのバイクで疾走するシーン、ビーチで戦闘機乗りたちがアメフトをするシーン(旧作はビーチバレーでしたが)、バーで海兵たちが歌を歌うシーンなど。
特にバーで海兵たちが歌うシーンは印象的でした。
前作ではマーヴェリックの相棒であったグースがピアノを弾きながら歌う曲を今回は、その息子であるルースターが同じように歌っているのです。
そのシーンに前作のシーンがフラッシュバックのように重なります。
その時のマーヴェリックが感じている気持ちを見ている我々も同じように感じることができるシーンでした。
前作と同じようなシーンが重なると、ただなぞっているだけにも見えかねません。
しかし本作はマーヴェリックが過ごしてきた年月を感じることができます。
それがマーヴェリックとルースターの関係性です。
マーヴェリックは父親を奪ってしまったという負い目を感じ、ルースターを危険からなるべく遠ざけようとしてきました。
しかし、それはルースターが望むことではなく、それにより彼らの関係はギクシャクしたものとなっていました。
それはまさに疑似的な親子関係のようなものであり、本作は父が息子を認め、息子も父に対して改めてリスペクトを持つという、関係性修復の物語でありました。
それは前作にはない要素で、ただなぞっているわけではないという点です。
この二人の関係性は前作を見ている者からすれば非常に納得できるもので、新たな要素でありながらも心から受け入れられ、共感できるものでありました。
当時見ていた我々の多くが親になっているからかもしれません。
35年経っての新作ということへの納得性がある素晴らしいストーリーであったと思います。

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2022年5月 7日 (土)

「ホリック xxxHOLiC」胎内からの旅立ち

原作の「xxxHOLiC」は全く未見ですが、絵柄は印象的で記憶がありました。
アニメ的な絵柄なイメージだったので、蜷川実花監督が撮ると聞いて意外な感じがしましたが、映画の印象はまさに監督らしい絵作りになっていました。
原作未読ですので、原作との違いは語れませんので、本作を見ての印象を書きたいと思います。
蜷川監督の作品なので、色彩的にも毒々しいと言えるほどに鮮やかで、画面を埋め尽くすほどのモノの密度があります。
これは彼女のスタイルなので、これを受け入れるかどうかは好みになりますね。
個人的にはちょっと苦手ですが。
さて内容についてです。
ちょうど昨日ニュースで最近の日本の若者は自己肯定感が少ないという話が紹介されていました。
「自分なんかが何かできるわけがない」
そう思う子供が多くなっているとのことです。
それは自分で決めることを幼い頃からさせていなかったからということらしいのですが、そのことが本作にも通じているように思いました。
主人公四月一日君尋は人の闇に取り付くアヤカシが見れることにより通常の人と同じような生活ができず、自分の先のことも考えられずに生きてきました。
しかし、あるとき侑子という人の望みを叶えることができるという女性と出会い、彼女の元で暮らすようになります。
四月一日の姿はまさにニュースで紹介されていた自己肯定感の少ない若者と重なりました。
自分で決められない、あきらめて逃げてしまう、結果自分自身も大切にすることができない。
また四月一日は幼い頃に自分のせいで母親を死なせてしまったと感じています。
それも彼の無気力さの一因になっているようです。
侑子は彼と暮らしながら、彼が自分を大切にし、自分の進むべき道を決めていけるように導いているように思いました。
四月一日は友と呼べる存在を得て、初めて大切なものを手に入れました。
彼がはまってしまったループの1日はその大切なものが全て詰まった1日です。
そこでは何も考えないまま、心地の良い日が繰り返されていきます。
登場人物であるアカグモが言ったようにまさに母親の胎内のように心地の良い日々。
そしてそこから出ようとする四月一日を導くのはやはり侑子でした。
彼女は四月一日の母親的な役割を果たしていたのでしょう。
もしかすると彼の母親の思いが現れた存在なのかもしれません。
心地よい胎内の外には、シビアな現実が待っている。
けれどそこで人は自分で決めて歩んでいかなければならない。
ずっと閉じこもっていた四月一日を侑子は導いたのです。
侑子の存在も現実であったか、それとも幻想であったか。
どこが現実でどこが幻想かわからない物語。
現実感のない蜷川実花監督の映像は合っていたのかもしれません。

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2022年5月 6日 (金)

「ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス」 まさにマッドネス、まさに狂気

「ノー・ウェイ・ホーム」でマルチバースの扉を開けたドクター・ストレンジが本作では狂気のマルチバースに本格的に挑みます。
監督は「スパイダーマン」3部作の巨匠サム・ライミ。
本作について言えば「死霊のはらわた」のサム・ライミと言った方が相応しいかもしれません。
事前よりMOMはホラーテイストがあると言われていましたが、中盤の「追っかけ」はほぼホラーです。
追っかける「あの人」は顔面血まみれで「キャリー」っぽいですしね。
前作の「ドクター・ストレンジ」も映像表現的にはミラーディメンションなどかなり個性的な表現を攻めていましたが、本作はさらにダークで狂気的な映像となっていました。
この辺りもサム・ライミのセンスが現れているところなのでしょう。
今までもフェイズ4のMCUでマルチバースに触れたのはテレビシリーズの「ロキ」、「ホワット・イフ」、そして映画の「スパイダーマン/ノー・ウェイ・ホーム」ですが、それらで起こった出来事と本作の事件は直接的な因果はありません。
本作の出来事の発端となるのは新キャラクターのアメリカ・チャベスです。
彼女は生まれながらにしてマルチバースを渡る能力を持っています。
本作において彼女の背景についてはあまり多くは語られません。
今後のMCUの中で語られていくのでしょうか。
「ホークアイ」で登場したケイト・ビショップ、また公開待たれる「ミズ・マーブル」ら若手のキャラクターたちと今後絡んでいくようになるかもしれませんね。
ドクター・ストレンジについてはトニー・スタークやキャプテン・アメリカなき今、指導者的役割を背負うことになるかと思いますが、本作でも描かれているように彼は一人でことを成し遂げようとする傾向がありました。
しかし、アメリカとの出会いにより、人を信じ、育て上げることに目覚めたようにも感じます。
スタークとピーターのような指定関係が、ストレンジとアメリカの間でも築かれていくような予感はありますね。
さて、これ以上はネタバレなしで書くのが難しいので、ネタバレ全開でいきます。
<ここからネタバレあり>
本作でヴィラン的な立ち位置になるのはなんとワンダ=スカーレット・ウィッチです。
ここにはちょっと驚きました。
「ワンダヴィジョン」で彼女は真の「スカーレット・ウィッチ」としての能力に目覚めした。
そして物語のラストで彼女が手にしていたのは禁断の書「ダークホールド」。
「ダークホールド」の影響により、ワンダは子供を失った悲しみ(彼女が創造したものとは言え、彼女にとっては本物の子だった)から歪んだ願望を増幅させてしまい、恐ろしいスカーレット・ウィッチに支配されてしまっていたのです。
失った子供を取り戻したいという親の気持ちは誰でも共感できるものですが、世界最強の力を持つと言われ、かつ現実を改変する能力もある彼女が暴走した時、世界そのものが失われる危険性が出てきたのです。
結果、彼女は自分の過ちに気づき、その元凶となった「ダークホールド」の原本もろとも滅びようとしました。
暴走するほどに彼女が追ってしまった悲しみ、双子の兄、愛する夫、かけがいのない息子たちを失った悲しみはいかに深かったか。
世界を破壊しそうになったことを収束させるためとは言え、ワンダが悲しみを背負ったまま退場したのは非常に切なかったです。
しかし史上最強の魔女である彼女ですから、いつかまた登場することを期待したいです。
「ワンダヴィジョン」で登場した魔女アガサについては、ドラマの方で新作が作られるということですので、そちらでの登場を期待したいです。
そういえば「ダークホールド」については「ワンダヴィジョン」に登場した時にちょっと驚きました。
以前ドラマの「エージェント・オブ・シールド」を見ていた時にも登場していたからです。
本のデザインは全く違っていました。
私は未見ですが、別のドラマである「ランナウェイズ」(これもMCU)にも「ダークホールド」が登場していたようです。
MCUに「ダークホールド」が3冊?
ちょっと変だなと思っていましたが、本作を見て納得がいきました。
本作のラストでワンダが破壊するのは「ダークホールド」の原本です。
その前にワンダが持っていた本はその写本とのことでした。
つまり「エージェント・オブ・シールド」や「ランナウェイズ」に登場していた「ダークホールド」も別の写本と解釈することはできますね。
最後にあの方々「イルミナティ」です。
コミックの「イルミナティ」とはストレンジたちも参加するヒーローのチームとのこと。
予告編で「X-MEN」のチャールズ・エグゼビアらしき人物が映っていたため、その登場が噂されていました。
結果的にはMCU世界での「イルミナティ」ではなく、他のユニバースでの「イルミティ」でしたが。
そのメンバーはなかなかのものでした。
まずはすでに名前を出したチャールズ・エグゼビア。
演じるのはパトリック・スチュワートで、オリジナルの「X-MEN」からの登場です。
この辺は予想通り。
続いてはキャプテン・カーター。
アニメ「ホワット・イフ?」で別のユニバースでスティーブの代わりに血清をペギー・カーターが打ち、超人兵士となったのがキャプテン・カーターです。
こちらも「キャプテン・アメリカ」でペギーを演じていたヘイリー・アトウェルが演じています。
実写でキャプテン・カーターが見れるとは!
驚いたのはブラックボルトです。
このキャラクターはドラマ「インヒューマンズ」に登場したインヒューマンズの王です。
ちょうど私は「インヒューマンズ」を見ていたところだったので知っていましたが、多くの人には馴染みがないかもしれません。
「インヒューマンズ」はたった1シリーズで不幸にも打ち切りとなってしまいました。
マーベルテレビジョンとマーベルスタジオのゴタゴタのせいかもしれません。
最近マーベルスタジオはマーベルテレビジョン制作のMCU作品についても積極的に取り込もうとする姿勢があります(「デアデビル」に登場したキャラクターが再登場するなど)。
その傾向の一つかもしれないですね。
キャプテン・マーベルはキャロル・ダンバースではなくマリア・ランボーになっていました。
これも「ホワット・イフ?」的な「もしも」でしょうか。
この宇宙ではキャロルがSWORDを立ち上げているかもしれません。
そしてミスター・ファンタスティック。
言わずと知れた「ファンタスティック4」のリーダーです。
演じていたのはジョン・クラシンスキーで、今まで何作か作られた「ファンタスティック4」でミスター・ファンタスティックを演じた方とは違います。
「ファンタスティック4」は今後MCUで作られることが決まっていますが、そのままジョン・クラシンスキーでいくのかはわかりませんね。
最後はマスター・モルド。
彼は「ドクター・ストレンジ」で袂を分かったモルドとは別人です。
ですので、あのモルドは本作には一度も出ていません。
今後あのモルドはストレンジに絡んでくることはあるのでしょうか?
あとミッドクレジットで出てきた人物。
びっくりしました、シャーリーズ・セロンじゃないですか!
彼女が演じているのはクレアというキャラクターらしいです。
今後も何か波乱がありそうですね・・・。
ざっと見ただけでも色々見るべき点がある本作。
まだまだネタがあるかもしれません。

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2022年5月 5日 (木)

「とんび」子育ては繋がっていく

最近親子ものにはとことん弱い・・・。
事故によって妻を亡くし、男手一つで息子アキラを育て上げたヤッさんの物語。
ヤッさんはいかにも昭和な不器用な男ですが、子供のことを考え、一人前に育て上げました。
子供が成長するに従い、ぶつかり合うこともありますが、そのような中で子供と共に彼も成長していきます。
完璧でないところが、見ている自分も共感できますね。
うちの娘はまだ5歳なので「パパ、パパ」とくっついてきますが、もう5年も経てば距離を置かれてしまうのだろうな、とか考えて見てました。
親としての心得に触れている箇所もいくつかありました。
例えば、和尚がヤッさんに向かって言う「海になれ」という言葉は奥が深いですよね。
悲しみを子供の中に積もらせてはいけない、悲しみすらも飲み込んでしまう海のように親はならなければいけない。
親も人間ですから、かなり大変ではありますが、親となる覚悟を言ったものでしょう。
その後、ヤッさんはアキラに嘘を言いますが、それは全て息子のため。
そのことによりヤッさんは責められますが、全てを飲み込んでいる。
子供の時は親の苦労なんてさっぱりわかりませんが、大人になるとその時は大変だったんだろうと想像することは私もありました。
親の事業は割と大変だったようで、私が就職が決まった時、店を畳むと父親が言ったのです。
自分で仕事をするようになったんだから自分の手で生きろ、もう面倒は見ないから、ということでした。
私は逆にそこまで踏ん張って面倒を見てくれていたんだと思いました。
その父も亡くなってしまいましたが、ちゃんとお礼を言えてなかったな、と。
ヤッさんが自分を捨てた父親に会った時の場面も印象的でした。
恨みつらみを言うのではなく、彼が口にしたのは感謝の言葉でした。
ヤッさんは「生まれてさせてくれて幸せな人生をありがとうございました」と言ったのです。
決して彼の人生は平穏ではなかったことは見ている我々もわかります。
けれど、色々ありつつも息子を育て上げたことによる充実感はやはり何ものにも変え難い幸せなんですよね。
私も子供を育て上げた時、そのように感じられるといいなと思いました。
息子のアキラもその後、所帯を持ち、子供も生まれます。
彼の人生も波乱はありますが、それでもラストシーンからは彼もまた充実感を味わっているように感じました。
そうやって親から子へ、そこからまたその子へ、と繋がっていく。
親に感じた感謝を、親には返せなくても、子供に伝える。
それが繋がっていく。
子育てってそういうことかもしれないと思ったりもしました。

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2022年3月19日 (土)

「映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争2021」今、自分にできること

昨年春、公開寸前でコロナの感染がひどくなり延期となってしまった「ドラえもん」の新作映画。
ですので、タイトルは「2022」ではなく「2021」となっています。
今年もまた公開直前にロシアによるウクライナ侵攻という世界的事件が起こり、物語と現実が妙にシンクロナイズしている感じもいたします。
子供時代に「ドラえもん」にハマり、映画も欠かさず見ていましたが、中学生になるくらいには当たり前のように卒業。
前回の作品から再び娘と一緒に観にいくようになりました。
前作である「のび太の新恐竜」も過去作のリメイクでしたが、本作も同様にリメイクです。
しかし、前作が公開されていた時は私はすでに卒業をしていたので、初めて見る物語となります。
「ドラえもん」という作品は子供向けではありますが、人にとってとても大事なことを伝えようとしているところがあります。
私も子供の頃に色々と学びました。
本作では戦争や独裁ということをどう考えるかということがテーマであるかと思います。
冒頭で書いたように今の世界情勢に妙にシンクロしてしまうところですが、独裁というものの危うさ、正しいことを正しいと言えなくなることの不自然さを子供たちにも感じ取ってもらいたいと思います。
それに対抗するために戦え、ということまでは言えません。
ただ本作で登場人物たちが何度か言っていたように「今、自分にできることをやる」という考えは大切だと思います。
現在世界で起こっていることに対し、もちろん義勇兵に参加せよ、などと言うつもりはないのですが、それでも自分ができることは何だろうと考えれるようになってほしい。
人道支援のための寄付をするでもいい。
正しくないことにちゃんとモノを申し、自分ができることをちゃんとやる、そういう小さいけど大切なことはしていってほしいと思いました。

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2022年2月 6日 (日)

「大怪獣のあとしまつ」怪獣映画としては見てはいけない、三木映画として見るべき

本作、軒並みレビューサイトでの評価が低評価です。
この評価わからないわけではないですが、作品を見るにあたり何を期待していたか、ということに大きく関わっていると思います。
この低評価の原因の一つは事前の宣伝などによるミスリードであったような気がします。
ちなみに私はこのブログを読めばわかるように、特撮ファンであり、かつ本作の三木聡監督のファンでもあります。
この作品、三木監督を知っているか(好きか)で大きく評価が分かれると思います。
まず特撮ファンの視点として。
「シンゴジラ」や海外作品の「パシフィック・リム」やモンスターバースシリーズなどで、怪獣をリアルに捉えようとする流れが最近あり、ヒットもしています。
「シンゴジラ」であればもし今の日本に怪獣が現れたら、政府や自衛隊はどのように対応するのか、といったシミレーションが描かれていました。
本作は怪獣を倒した後について同様なリアルな視点を持ち込んでいます(ように見える)。
怪獣を倒した後どうなるのかというのは、今まであまり描かれたことはありません。
「ウルトラマン」では毎週、ビルの大きさほどある怪獣が倒されますが、翌週では綺麗さっぱり片付いています。
怪獣の処理を描くというのは目の付け所が新しく、そこをどうリアルに描けるかというのは、映画の題材として面白いと特撮ファンの私も思いました。
結構、面白くなりそうじゃないか、と。
そんな時、予告で監督のところに三木聡さんの名前を見たときに「?」となりました。
三木聡監督?
怪獣映画でこの人の名前を見る?
知らない人もいるかと思いますが、この監督の代表作としてはオタギリジョーさん主演の「時効警察」などがあります。
私はこのシリーズが大好きでありまして、なんとも言えぬシュールさであったり、ナンセンスさが独特で、病みつきになりました。
このセンスがわかる人とわからない人はいるかと思います。
三木監督のセンスが怪獣映画というジャンルにそぐうかどうかというのが、ちょっとわからなかったので、頭の中に「?」が出たのですね。
予告的には「シンゴジラ」的な怪獣をリアルな世界観で描くというような印象だったので、こんな映画を三木監督が撮るのであろうか、と。
見るまで自分としても怪獣映画として見るか、三木作品として見るかスタンスははっきりしていませんでした。
見始めたあたりは普通の怪獣映画で、その時の印象としては三木監督も普通な映画を撮るのだなあというようにちょっと残念な気持ちで見ていました。
しかし、「シンゴジラ」的な内閣の閣議のシークエンスになったあたりからちょっとその世界観が歪み始めます。
出演しているのは岩松了さんや、ふせえりさんなど三木組の癖のある面々です。
このシーンで繰り広げられるナンセンスで、それぞれがズレた会話のやり取りこそが三木監督らしさであり、それがふんだんに出ていました。
三木監督作品に馴染んでる私としては「やってる、やってる」という感じだったのですが、この辺りがサイトで低評価をつけている方の癪に触ったようですね。
「ギャグが上滑りしている」「会話が回収できていない」
そういったことが書かれています。
まさに、その通り。
それが三木監督らしさなのです。
本作は怪獣映画として挑むと肩透かしを食らいます(多くの人が食らってる)。
本作は壮大なスケールで描かれている三木映画です。
本作の構造は先ほど代表作で挙げた「時効警察」に非常によく似ています。
「時効警察」は一見、刑事ドラマや探偵もののようなミステリーの体ですが、彼らは全く犯人を逮捕しません。
彼らは時効となった事件をただ趣味で捜査しているだけなのです。
繰り広げられる会話にも溢れんばかりの脱力感があります。
刑事ドラマのフォーマットを三木流にパロディとしているのが「時効警察」なんですよね。
本作も同様で、「シンゴジラ」的な怪獣映画のフォーマットを三木流にパロディとしているわけです。
ですので本作は怪獣映画ではありません。
怪獣映画はただのモチーフなのです(馬鹿馬鹿しいほどんいそこにエネルギーを費やしていますが)。
本作は怪獣映画として見るのではなく、三木映画として見るのが正しいと思います。
本作の不幸は宣伝などが、まさに「シンゴジラ」的な作品であるという印象を強く出していたため、多くの人がまともに怪獣映画を見ようというスタンスで臨んだことでしょう。
そのスタンスでいけば、「これはないよ」という感想を抱くのは無理もありません。
本来的には三木聡がこんな馬鹿馬鹿しい映画を撮ってしまったくらいな予告の方がよかったのでしょうね。
まあ、それだとあまりお客さんは入らないかもしれないですが。

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2021年11月 9日 (火)

「DUNE/砂の惑星(2021)」壮大なプロローグ

デイヴィッド・リンチの「DUNE」が公開されたのは自分が高校生の頃だったと思います。
すでにその頃はSF好きではあったので、「DUNE」の存在は知っていましたが、高校生には独特のセンスを持つデイヴィッド・リンチの敷居は高かった。
品の評判も芳しくなかったため、結局見ずじまいになっていました。
その頃の評価としてはまとまりがないということだったと思いますが、作品のボリュームが多く、「映画化不可能」の作品と言われていたことも後で知りました。
なので「DUNE」というと個性的であり、難解なイメージが自分の中でできてしまいました。
そして今回再び「DUNE」の映画化にトライしたのはドゥニ・ヴィルヌーブです。
監督をドゥニがやることを知った時、私はしっくりとした感じがしました。
書いたように私の中では「DUNE」はSF映画と言っても「スター・ウォーズ」のような万人受けするタイプではなく、よりマニアックで個性的なイメージがあったからです。
ドゥニは今までの作品でも彼独特の映像センスと難解さを持っているように感じていて、それはデイヴィッド・リンチにも通じるように思います。
「複製された男」も「メッセージ」も好きな作品です。
今、SF作品も非常に大衆的な作品が多いですが、これらは非常にハードなSFらしい作品でした。
また、「ブレードランナー」の続編も成功させており、デイヴィッド・リンチよりは一般受けするようなバランス感覚は持っていると思います。
ですので、個人的には非常に期待しておりました。
公開されてしばらく経っていますが、日本での評価はイマイチなようです。
個人的には嫌いではありません。
今までの作品同様にドゥニの乾いたような硬質な映像のテイストは他の監督にはないものであったと思います。
後半で物語が動き始めたところは続きが見てみたいという気持ちを起こさせました。
しかし、如何せん前半が非常に重い。
おそらくここが「DUNE」を「映画化不可能」と言わせているところだと思います。
まず物語の舞台となる世界の状況を観客に理解させるまでに非常にエネルギーを使わなければなりません。
「スター・ウォーズ」などはあの世界の状況をわからなくても、主人公の周りで展開される物語を追っていけば十分楽しめます。
オープニングのタイトルのところで状況説明をさらっとやって済むわけですね。
ですが、本作の場合は主人公自身がこの世界の状況に対して深く関わっていくため、状況がわからないとなかなか主人公の気持ちなどが理解しにくくなってしまいます。
おそらくデイヴィッド・リンチ版はこの辺がまとめきれなかったのではないかと思われます。
本作では物語の破綻は起こっていなかったと思いますが、その分、前半はなかなかストーリーが展開せず非常に重いバランスになってしまっていると思います。
本作は「DUNE」のプロローグで終わってしまったという印象は少なからずあります。
その辺りが低評価につながってしまっているのではないかと思います。
ファストムービーなどと言われているように、長い時間を映画を見ることに耐えられない人が多くなっているのかもしれません。
個人的にはドゥニらしい映像を楽しめましたし、後半の展開は続きを期待させるところもあり、悪くないと思いました。
Part2の製作は決定したということなので、そちらを期待したいと思います。
ドゥニの「DUNE」はPart1だけで判断するのではなく、Part2まで見たところで評価すべきではないかなと思いました。

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