2017年2月 3日 (金)

「ドクター・ストレンジ」 次期アベンジャーズのキーマン?

マーベルのニューヒーロー「ドクター・ストレンジ」を観てきました
個人的にはまったくこちらのヒーローについては知らなかったのですが、アイアンマンにしてもソーにしても同じ状況だったので、すぐに馴染むでしょう。
マーベルのヒーローをよくよく見てみると次のように大別できるかと思います。
1.テクノロジーによってパワーを補強するもの(アイアンマンとかアントマン等)
2.鍛錬などによって人間離れしたスキルを身に着けるもの(ブラック・ウィドゥとかホークアイ等)
3.テクノロジーとは異なる異次元のパワーを持っているもの(ソーとかスカーレット・ウィッチ等)
今回のドクター・ストレンジは3番目のカテゴリーですかね。
ドクター・ストレンジは空間と時間を自在に操る力を持っています(時間についてはアイテムが必要なのと、リスクを伴うために自在にとはいかないかもしれないですけれども)。
空間を自在に操るという力は今回の作品でもいくつもそういう場面があり、「インセプション」のように空間がねじられるような描写は映像的にも見ごたえがありました。
3Dで観たので、けっこうくらっときましたよ。
マーベル・シネマティック・ユニバースでは数々の超人が登場してきましたが、時間と空間を操る力を持つヒーローはいなかったと思います。
私の予想では今後「アベンジャーズ」などで「X-MEN」シリーズのようなタイムリープ的なエピソードが出てくるのではないかと思います。
今回のラストもまさに時間を遡る力で相手を打ち倒しましたから(というよりは根負けさせる)。
相手を倒すのではなく、あきらめさせるという結末は新鮮でした。
本作でも並行宇宙というキーワードが何回か出てきましたし、時間に関わる話になりそうな予感があります。
また空間を操る力を持っているということで銀河の彼方にいる「ガーディアン・オブ・ギャラクシー」の面々を呼び寄せることもできますよね。
ドクター・ストレンジは次期「アベンジャーズ」のキーマンになりそうな気がします。
物語としてはドクター・ストレンジの登場篇ということで、物語的にはそれほど変わったところはなく定番のヒーローものとして仕上がっていたと思います。
本作のヒロインはレイチェル・マクアダムス。
好きな女優さんなので、もうちょっと出てほしかったですけれど。
歳を重ねていっても可愛らしい女優さんです。

エンディングを観るとドクター・ストレンジはソーの新作に出そうな感じですね。
両方ともマジック的なパワーを使うので、相性はいいかも。
「アベンジャーズ」の新作にも出るのかな。
そのときはスタークとストレンジのゴーマン対決が見ものですね。

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2016年11月19日 (土)

「デスノート Light up the NEW world」 二人のいない「デスノート」は・・・

大ヒットした「DEATH NOTE」シリーズの10年振りの続編です。
キラ「デスノート Light up the NEW world」=藤原竜也、L=松山ケンイチは物語上すでに姿を消しているわけですが、その後継者たちによるデスノートを巡る争奪戦が描かれます。
今回の監督は「GANTZ」「図書館戦争」の佐藤信介さんで、原作ものの映画化には定評がある方なのでちょっと期待をしていました(「L change the WorLd」は残念な出来であったので不安はありましたが)。
旧「DEATH NOTE」のヒットの要因の一つは二人の天才(キラとL)の個性あるキャラクター性、それを血肉ある存在として演じる俳優の力であったと思います。
藤原竜也さんは演技に込められるエネルギーは他の俳優とはレベルが違う印象がありますし、また松山ケンイチさんは原作のLのイメージそのままの完コピっぷりに驚きかされたものでした。
今回の続編では、今までとは異なり3人が主人公的ポジションとなっており、誰がキラの後継者であるか(またはキラは死んでいないのか)が謎のひとつとなっています。
しかしこの3人については、やはりキラやLのキャラクターの強さと比べるとどうしても個性が薄い。
キャラクター設計にしても、演技にしてもいろいろとがんばっているとは思うのですが、前作の二人を意識してがんばっているように見えすぎてしまうところがちょっとつらいところです。
もともと原作においてもLが死んでからは全体がトーンダウンしてしまったことは否めず、「DEATH NOTE」という物語はやはりこの二人がいてこそということはあるのかなとは思いました(「L change the WorLd」を観てわかるように片方だけでも難しい)。
そのため彼らがいないこの物語は「DEATH NOTE」であって「DEATH NOTE」にあらずという感じになっているようにも感じました。
また「DEATH NOTE」はデスノートを巡る知的なバトルという点が新しいポイントであったと思います。
バトルもので数々の成功を収めていた「少年ジャンプ」の中では珍しいタイプの漫画ではありましたが、その本質は「ジャンプ」らしいバトルです。
本作においても知的なバトルという点については十分に考慮してストーリーが作られていたと思いますが、謎の解明やどんでん返しなどが後半に集中されており、そこまでがやや盛り上がりに欠けるところがあります。
実際はそこまでの展開は観客をミスリードさせるためのものであったのですが、後半がバタバタしてしまった感はあります。
個人的には「デスノート」は最初っから最後までキラとLの丁々発止のやり取りでどちらが勝つかわからない予想の出来なさこそが魅力かと思っていて、どんでん返しではないような気がしているのですよね。
そう考えると二人のいない「デスノート」というのは、やはり難しいのだなと再確認してしまいますね。

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2016年6月19日 (日)

「10 クローバーフィールド・レーン」 既視感のあるごちゃ煮

J・J・エイブラムス製作でタイトルに「クローバーフィールド」とあり、事前にあまり情報が出ていなったという点で、「クローバーフィールド/HAKAISYA」と類似していて、関連が気になる作品です。
実際観てみると、本作と「クローバーフィールド/HAKAISYA」は関係があるようにも見えるし、ないようにも見えます。
「クローバーフィールド/HAKAISYA」の巨大生物は何物であるかはわからないのですが、本作における襲い来る物もその背景は謎なので、世界各地を異生物が同時に襲ってきたという設定で繋がっているかもしれません。
とはいえ何もわからないので、違う物語かもしれません。
こういう何だかわからないシチュエーションでもサバイバルを描く物語を「クローバーフィールド」というそれだけでは意味がない言葉でくくっているだけかもしれません。
個人的には「クローバーフィールド/HAKAISYA」との関連性を云々するよりは、個別の作品として観るほうがいいのではないかと思います。
主人公が何物かに襲われ、サバイバルするという物語ですが、本作はその相手は怪物というよりは、人間であると言っていいでしょう。
主人公ミシェルにとって、気がついた時にすでに囚われていたシェルターの主人と、そのシェルターの外にいるかもしれない異生物というのが恐怖の対象となります。
本作の印象は過去の様々な作品がミックスされている印象がありますね。
サイコなホストによって監禁まがいのことをされ、そこをそこをいかに脱出するかという物語(「ミザリー」とか)や、謎の異生物に襲われサバイバルをしていく物語(「サイン」とか「宇宙戦争」とか)などが、ぐちゃぐちゃっと一緒に合わさっている感じです。
よくよく考えればJ・J・エイブラムスが名を挙げた「LOST」も、そういう不可思議な物語のごちゃ煮的なセンスはあったわけで、こういう謎を謎のまま解明せず、引っ張っていく物語が好きなのかもしれません。
物語中で謎が提示されると、その謎が解明されることを観る側は求めるので、そこに物語のエネルギーは割かれることになります。
また解明されないとある種のフラストレーションも観客は持つことになりますよね。
そういうフラストレーションも含め、観客に尻の座らない感じを持たせ、主人公の不安定な状況を同じように感じさせているのかもしれません。
とはいえ、既視感のあるものをごちゃっと合わせて観せられたような感じはしました。

「奴らはあらゆるフォームでやってくる」って日本版の宣伝コピーは的外れな感じがしますね。
全く意味がよくわかりません。

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2016年6月11日 (土)

「デッドプール」 ある意味大人なヒーロー

マーベルのヒーローだと言うから、いずれ「アベンジャーズ」に参加してくるのかと思ったら「X-MEN」の系列だったのね。
そちらの方でクロスオーバーがあるのかしらん?
「X-MEN」では生真面目で深刻な背景を持っているキャラクターが多く登場するので、デッドプールは完全に異端児ですよね。
かき回してくれたらそれはそれで面白そうですが、なかなか扱いが難しそうなキャラです。
実はこの作品に海外に出張していた時に現地で上映していたので、英語の勉強で観ようかと思ったりしたのですが、なんだかんだと忙しくて時間が取れませんでした。
いや、観てもさっぱりわからなかっただろうなあ。
スラングだらけですものね。
観た現地の人は絶賛していました。
デットプールを一言で言えば、ヒーローらしくないヒーロー。
超人的な能力を持っているという点ではヒーローなのですが、その言動と精神はおよそヒーローらしくない。
人を守るために戦うとか、平和のために戦うとか、そういうことは一切考えてない(といって悪さをするわけではないけれど)。
最近のヒーローが持っている内面的な葛藤とは無縁です。
悩みと言えば、醜い姿になり大好きな彼女に振られてしまうのではないかということだけ(それが彼が戦う原動力だったりするわけで)。
キャプテン・アメリカはきっと彼と会ったら顔をしかめることでしょう。
デッドプールは「X-MEN」の世界観に属するキャラのようですが、冒頭にも書きましたがこの世界のキャラは深刻な背景を持っている者が多いですよね。
「X-MEN」シリーズ自体が、差別ということをテーマにしているわけですし。
それだからこそ物語が重厚になるのだとは思いますが、息苦しい感じもちょっとするのも確か。
そういうマジメなヒーローに対して、おふざけに徹するヒーローというのはとっても新鮮でした。
ある種の爽快感がありましたね。
子供向けと思われていたヒーローものが大人の鑑賞にも耐えられるようになって久しいですが、それは登場人物の内面を描くことの深みが出てきたからだったり、ストーリーがテーマを持って語られるようになったからだと思います。
本作「デッドプール」は別の意味で大人のための映画(?)になっていますよね(間違って子供さん連れてきたら、びっくりするかしらん)。
エンドロール後のおまけを見ると、次回作もあるようですが、どんな感じになるのでしょう(「デットプール」なので予告までフェイクという可能性もありますが)?
期待したいのは「X-MEN」の面々との共演。
マジメなヒーローたちをかき回してもらいたい。
しかし、デッドプールの主観で語られない形式は、彼にはなじまないですかね。
第4の壁も突破しにくいですし。
個人的に一番ウケたのはウィルソンが手術の前に言った「グリーンのコスチュームはやめてくれ!」でしたね。
グリーン・ランタンはどこに行ったのだろう?

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2016年5月29日 (日)

「殿、利息でござる!」 つつしみの掟

タイトルからもっとコメディ色が強い作品かと思っていたのですが、どちらかといえば泣かせるタイプの作品に仕上がっていました。
自分としては「超高速参勤交代」くらいをイメージしていたのですが・・・。
ま、泣かせタイプの作品だったら、もう少しストレートに泣かせて欲しかった気もしますが。

現代の日本では「つつしみの掟」というものは無くなって久しい感じがします。
面接で学生時代に打ち込んだことを「盛って」自己アピールする就活生。
自撮りした写真をSNSにアップして、いかに「リア充」しているかを伝えようとしたり。
仕事でも成果主義が導入されたあたりから、目立つ仕事の方が評価されやすくなったりもしています。
誰も彼もが自己アピール。
それ自体は悪いことではないのですけれど、度を過ぎていくと周囲との軋轢が生まれギスギスとしていきます。
それはそうで、強いエゴ同士が接触すれば、それは何か摩擦が生まれますよね。
昔は大したことをやった人も、自分の成果だと主張するのではなく、「謙譲の美」であまりアピールしないものでした。
それは皆が自己主張することによりギスギスとした関係が生まれてしまうことに対しての生活の知恵なのかもしれません。
自己主張すること自体は悪いことではないけれど、それを過度にやりすぎるといやらしさが出てきます。
そのいやらしさが日本人的な美の感覚とは違うのでしょうね。

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2016年5月 8日 (日)

「テラフォーマーズ」 火星でどつき合い

三池監督は嫌いではないのだが・・・。
どうにもこの作品はあまりいいところを見出せなかった。
昆虫人間とテラフォーマーズが延々どつき合いをしているだけの映画にしか見えなかったのですよね。
三池さんにあまり深い意味合いのストーリーとか、キャラクターの心情の描写とかは元々求めているわけではないのです。
ただそれならそれで、キャラクターの個性がもっとエッジが立っていればいいとは思いますが、そうでもない。
登場人物が多いため、それぞれのキャラクターを描く時間がなかったのでしょうか。
小栗さんの演じる博士は見かけはエキセントリックではありますが、ちょっとクセを出そうとしているのが痛々しい感じもしますしね。
舞台設定は面白いと思うのです。
火星をテラフォーミングする時に送り込んだゴキブリが超進化して人類の敵になるとか、人間の遺伝子に昆虫の遺伝子を混合して戦闘力を強化するとか。
それならばこの設定をもっと活かしてほしかった。
余計な舞台設定を説明するのはうっとおしいというのは三池さん流なのかもしれないのですが、それだったらこの作品は向いていないかもしれません。
昆虫人間とゴキブリ進化体の殺し合いを見せられ続けても、ねえ。
最近の「仮面ライダー」の劇場版の方がもっとしっかりストーリーができてます。
もう少しストーリーでハラハラさせられる工夫はできた感じがしました。
あえて、しなかったのか、わかりませんけれども。
原作は面白いと評判のようですが、映画だけが面白くないのか、それとも原作もこんな感じなのか・・・。
変な意味で興味が出てきました。

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2016年4月30日 (土)

「ちはやふる 下の句」 彼女はちはやぶる

上の句では、主人公千早が集めたかるた部員たちが団体戦を通して、本当の仲間になっていく過程を描いていました。
今回の下の句では、いろいろなことで焦る千早が個人戦と戦うことで仲間のことを見失い、しかし再びその絆を得るところが語られます。
自分にかるたの楽しさを教えてくれた新にまたかるたをやってほしいという想い、また自分の実力では到底かなわないクイーンの存在による焦り。
千早はなかなか思いどおりにいかないことに苛立ち、自分自身の周囲に目を配ることができなくなっていました。
個人戦では仲間に頼ることはできない。
だからこそ自分の力でなんとかしなくてはいけない。
そんな想いが彼女を空回りさせていました。
もちろん個人戦を戦うのは、個人です。
誰も試合では助けてはくれません。
クイーン詩暢は自分は一人で黙々とかるたを続けてきたから、強いと言っています。
けれど、そこで戦う千早の力には仲間たちから得たものが活かされている。
肉まんくんはサウスポー対策を伝授し、奏は歌の意味を教え、机くんは相手のデータを分析する。
そして太一と新はかるたが最も楽しかった時の思い出を。
それら仲間たちから得たことが、千早の力になっている。
それを千早は自覚します。
だからこそ彼女は「ちはやぶる」。
やみくもに荒れ狂うのではなく、今の自分は自分の力だけではないと自覚ができたからこそ、芯の通った猛々しさを持つことができたのでしょう。
競技シーンで彼女がそれに気づいた一連のシークエンスは、脚本も演出も良かったですね。
ラストシーンはこの先、彼女たちが歩んでいくであろう未来が描かれていました。
その時のみんなが心底かるたを楽しんでいそうなところが印象的でした。
もっとこの先が見たいなと思ったのですが、続編が作られるようですね!
あのシーンに至る過程が早く観てみたいです。

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2016年3月27日 (日)

「ちはやふる 上の句」 隠された深い想い

若い子たちがみんなで力を合わせて一つのことに一所懸命に頑張る姿にめっぽう弱い私。
それぞれのメンバーが胸に秘めた悩みや想い、焦りと不安、そうしたものを自分の努力と仲間たちの励ましで越えていく姿は見ていて清々しいですよね。
それに加えて少女漫画らしくほのかに恋心も絡んでくるので、この手のジャンルの映画としてはとても良い出来ではないでしょうか。
さすが「カノジョは嘘を愛しすぎてる」の小泉監督です。
主演の広瀬すずさんは「海街diary」のおとなしい性格の女の子から一転、変顔まで見せるという積極的で一本気な千早をイキイキと演じていました。
競技かるたというものがあるということは知ってはいましたが、この作品を観てこんなに激しいものなのだと驚きました。
百人一首の歌が頭に全て入っているのは基本中の基本として、音を聞き分ける能力、集中力と反射神経、そしてまた戦略性が必要になる競技、というかここまでくるとスポーツに近いですよね。
っていうか「素振り」まであるなんて・・・。
また物語の折々に挟まれてくる百人一首の歌の解説も良かったです。
百人一首といえば、子供の頃に授業で幾つか覚えさせられたので、2、3の歌は未だに覚えていたりします(それこそ「ちはやふる」とか)。
けれど、その歌に込められた想いというものまでに考えを及ばせたことはなかったですね。
劇中でも「ちはやふる」の歌から、千早がその歌に込められたイメージを膨らますシーンがありますが、まさにそのように想像力を刺激する力が歌にはあるなと思いました。
短い言葉だからこそ、そこに深い思いが隠されている。
詠んだ人のその隠れた思いを察し、その気持ちに触れられた時の嬉しさというのがありますね。
まさに日本語らしさがあらわていると思います。
よくよく考えてみれば、チームちはやのメンバーは胸にちょっとした隠れた想いを持っています。
そういうところも和歌の本質とリンクしているような気がしますね。
ちょっと和歌に興味が出てきたので、ちょっと勉強してみようかな。
その前に原作漫画を読まないと(笑)。
続編「下の句」も間を空けずに公開するということで、そちらにも期待したいと思います。

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2015年12月 7日 (月)

「007 スペクター」 成熟したボンド

ダニエル・クレイグの「007」シリーズも本作で4作目。
サブタイトルが過去の「007」でも登場した国際犯罪組織「スペクター」ということで、過去のシリーズへのオマージュが感じられます。
オープニングからしてあのガンバレル・シークエンスから始まるので、ここからもそれを感じます。
実はダニエル・クレイグの「007」でオープニングでガンバレル・シークエンスが登場するのは初めてなのですよね。
そもそもダニエル・クレイグ版の最初の作品「カジノロワイヤル」はそれまでの「007」シリーズとは異なる方向を目指そうという意気込みを感じました。
まずキャスティングが今までの英国紳士然としていて色気の感じるタイプから、どちらかというとワイルドな方向のダニエル・クレイグを起用したところで、新しくしたいという意思を感じます。
このキャスティングは発表された時は、いろいろ言われましたが、蓋を開けてみれば新しいボンド像を作ることができたかなと思います。
ボンド像も、どちらかといえば青さがあり、まだ若さが残るような印象があったのも、新しかったです。
シリーズを追うごとにだんだんとボンドが成熟したスパイになっていくのが、わかります。
ダニエル・クレイグ版はボンド映画のお約束と言えるガンバレル・シークエンスをなくしたことにより、新しいボンドを作りたいという意思をはっきり示したと思いました。
それから4作目の本作「スペクター」の印象は、良くも悪くも「007」シリーズの王道に回帰したかなと感じます。
ボンド自身が、過去の経緯を乗り越え、スパイとして成熟してきたこと。
今回の敵が、今まで過去にボンドが戦ってきた組織の元締めであるスペクターであったこと。
これらはクレイグ版007以前のボンド映画の状態に回帰したように感じさせます。
クレイグ版ボンド以前は、ボンド自身のパーソナリティーをそれほど深く掘り込むことはしませんでした。
過去の作品で描かれるボンドは、男としてもスパイとしても完成されている男なのですよね。
仕事は完璧にこなす、あらゆる女性にもモテる。
男がこうありたいと思える完璧な男。
けれどもクレイグ版ボンドが最初に登場した時は、男としてもスパイとしても未成熟でした。
それがとても新鮮だったのですよね。
人間味を感じさせるボンドが。
しかし彼も数々の事件、そして自身に関わるような出来事も乗り越え、完成された男になっていったのです。
本作「スペクター」で描かれるボンドは、僕たちがよく知ったボンドになっていると思います。
ただそれゆえに、全体的に今まで観たような感じが漂ってきたところもありました。
面白くないわけではありません。
ハラハラドキドキのスパイエンターテイメントなのです。
けれどクレイグ版ボンドで感じた新鮮さというよりは、往年のボンド映画で感じた面白さの方に近いような感じがします。
本作ラストでボンドはスパイを辞めます。
彼は再び戻ってくるのでしょうか。
それとも新しいボンドでリスタートされるのでしょうか。
新しいボンド、また一段ハードルが上がるような気がしますね。

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2015年10月31日 (土)

「図書館戦争 THE LAST MISSION」 表現の自由を守るために

2013年に公開された「図書館戦争」の続編になります。
原作は何作にも及ぶシリーズですのでエピソードもたくさんありますが、その中でも「図書館危機」の茨城県展警備を中心に組み立てられています。
茨城県展警備は映画としても見せ所があるエピソードですし、図書館隊の存在意義を問う話でもあるので、ここにスポットを当て、余計な要素を排除したのは、シナリオとして正解であったかなと思います。
もともと原作の「図書館戦争」シリーズは大好きな作品で、その面白さはいくつも理由があります。
一つは主人公笠原とその教官堂上のベタ甘ラブコメの要素。
そしてもう一つは「表現の自由」とそれを守る戦いといった図書館隊の存在意義そのものを扱ったシリアスなテーマです。
今回の劇場版は比較的後者の方に比重を置き、加えて実写ならではの大規模戦闘シーンなどを見どころを加味していて、うまくまとめています。
劇中でも手塚の兄、彗が言っているように「表現の自由」には幾つかの課題もあります。
確かに「表現の自由」という名目のもと、現代は信ぴょう性のない記事や、人を傷つける言葉、興味本位だけのくだらない内容の書物などが溢れています。
そういった言葉により傷つく人もいるわけで、そういったことを規制しなくてはいけないと思う気持ちもわかります。
しかし、難しいのは何を持って規制とするかというガイドラインです。
これは慎重に決めていかなくてはいいけないし、それを作り、また見直し、運用していくために社会のいくつも知識・良識が動員されるべきです。
このシリーズに登場するメディア良化隊という組織がスタートした課題意識はそれほど間違っていない。
けれどその判断を、一つの組織が決めていくということに問題があります。
その判断にはどこかで恣意的な要素が入ってくるかもしれないし、また組織が組織として存続していくために本来の目的から逸脱してきてしまうということも多々あることです。
そしてまたその判断に迎合していく「自主規制」という行動も問題があります。
公的機関(最近では世論・クレームなども)に言われなくするために、表現を当たり障りのないものにしていってしまう。
個人的には様々なことで表現の規制を加えようとする行政や市民団体の動きにはあまり賛成できません。
ガイドライン的なものがいることはわかりますが、それが政治的だったりある特定の考え方による恣意的なものになってしまうことを恐れます。
多様性という言葉をよく聞くようになりましたが、その点からいっても様々なものがあることは良いことだと思います。
子供達に教えていかなければいけないのは、そう言った様々な考え方、情報をいかに取捨選択できるようにしていくかということなのだと思うのです。
もちろん人を傷つける内容は問題外ですが、神経質に対応しすぎることにより、結果的に物申せない環境を自ら作ってしまうという危険性があります。
この物語で図書隊を覆う環境は優しいものではありません。
メディア良化隊の創設時の課題はある種の納得性があり、また彗が言う指摘点もある側面では正しい。
また世間が「表現の自由」を当たり前のものとして受け止めていて、それがどのように守られているかを知らない。
一部の図書隊員が無意味さを感じるのも無理はないという状況も確かです。
けれど、国民の全員が全員認めてくれるものではないかもしれない。
でも何人かの人々は自由に本を読めるということのありがたさを感じてくれている人もいる。
その人たちのためにも戦うという決心をしている図書隊員の姿が頼もしく、彼らが劣勢の中でも戦い続けている姿に泣けてきました。

この作品、かなり自衛隊の協力も入ってましたね。
原作者の有川さんは自衛隊員を主人公とした小説を何本も書いているのでそのコネクションがあるからかもしれませんが、今回描かれる図書隊の立場はまさに日本における自衛隊の立場とも酷似します。
現場の自衛隊員が悩むこと(自らの組織の存在意義、世間の無関心)と共通する図書隊の悩みに共感したのかもしれないですね。

笠原と堂上のラブコメ要素もなくなったわけではなく、アクションやシリアスなテーマの間にいい感じで挟み込まれて、ほんわかと安らぐ気持ちになりました。
例によって岡田さんのアクションシーンは目を見張ります。
ここまでやれる俳優さんはなかなか日本にはいないですよね。

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