2024年7月12日 (金)

「トラペジウム」イタさも含めて人間らしさ

先日結婚を発表した元乃木坂46の高山一実さんの小説のアニメ化作品です。
そもそもアイドルにはほとんど興味がなかったのですが、予告編を見て気になって見に行ってきました。
タイトルのトラペジウムとは聞きなれない言葉ですが、調べると不等辺四角形という意味のようです。
これは本作の中心となるアイドルグループ「東西南北」の四人のメンバーのことを指しているのでしょう。
また、オリオン星雲の中にある4つの重星もその形からトラペジウムと呼ばれるそうです。
そういえば、映画の中でもオリオン座を映すカットがいくつかありました。
不等辺四角形とは4つあるどの辺も並行でない四角形のことです。
これは四人のメンバーが違った方向に歩んでいくことを意味しているのでしょうね。
主人公であるメンバーの中心人物、東ゆうは本作の中で色々な面を見せてくれます。
彼女は幼い頃より、アイドルになりたい、という夢を持ち続けそれに向かって邁進してきました。
そのための努力は惜しまず、やるべきことがあれば突き進んでいく行動力もあります。
このような面は非常に主人公らしい主人公であると言えます。
けれども、彼女のそういう一面だけではなく、本作では非常に人間らしい側面も描かれます。
彼女はプロデューサー気質で、リーダーとして引っ張っていこうとしますが、メンバーの一人一人に気を配る余裕はありません。
彼女にとって自分の夢が最も優先されるべきであり、メンバーそれぞれがどう考えているか、というところまで思いを馳せることができていないのです。
悪く言えば、打算的であり、メンバーのことを駒の一つとしてしか見ていないとも言えます(そう意識していないにせよ)。
メンバーも自分と同じ夢を見ている、と思い込んでいる節もあります。
これは社会人になってからの通常の会社組織でもあって、部員のベクトルがあっていない事に気づかない管理職はよく見かけます。
これは外から見ていると相当にイタいわけですが、本人はそれに気づくことができないということが割とありますね。
そのような点も含め、ゆうは非常に人間的で、よくあるアニメのような類型化されたキャラクターではなかった点が良かったですね。
キャラクターの絵柄がいわゆる萌え的なタッチだったので、このような展開であるとは思っていなかった分、しっかりと人間のイタい部分まで触れられていて、作品として見応えがありました。

| | コメント (0)

2024年5月20日 (月)

「ツイスター」かわいい人

この夏、続編「ツイスターズ」が公開されますが、そのオリジナルとなります。
制作総指揮はスティーブン・スピルバーグ、脚本はマイクル・クライトン、そして監督はヤン・デ・ポンという錚々たるメンバーの制作陣です。
ヤン・デ・ポンは「スピード」に続く監督第二作目で、公開当時、非常に期待していたのを覚えています。
最近は異常気象のためか、日本でも竜巻被害が多く見られるようになりました。
何年か前に関東地方でも大きな被害がありましたが、竜巻の通り道に沿って家屋が被害を受けている映像を見て、驚きました。
そんな日本よりも、さらにアメリカの中南部は大規模な竜巻が起こることが多く、被害も甚大です。
そのような竜巻による被害を避けるために、そのメカニズムを解き明かそうとする科学者たちが本作の主人公です。
彼らは「ストーム・チェイサー」と呼ばれ、竜巻に先回りして、小さなセンサーを竜巻に飲み込ませることにより、その構造を明らかにしようとしています。
公開時、先に書いたような陣容だったので、個人的には期待し、かつ楽しめました。
巨大竜巻の表現は現在の目で改めて見ると、アラも見えるのですが、当時としてはかなり頑張っていたように思います。
竜巻自体は自然現象ではあるのですが、禍々しさもあり、モンスターのようにも見えてきます。
人が制御できるところまでは程遠く、日本のゴジラのような存在のようにも見えますね。
ストーリーとしては複雑なところはなく、どんでん返しのような展開はないので、そこがヒットに結び付かなかった要因のようにも思えますが、私が魅力的だと思ったのは、キャラクターです。
特によかったのが、ヘレン・ハントが演じる主人公ジョーです。
ジョーは幼い頃、竜巻被害により実の父親を失いました。
冒頭、その回想シーンが描かれますが、彼女が見た竜巻はまさにモンスターのようでもありました。
彼女はその体験により、竜巻研究にのめり込みます。
劇中ではジョーは、同僚であり師でもある夫ビルと離婚間際な状態です。
ビルは再婚しようと考えており、そのためにジョーに離婚届にサインをさせようとして彼女の元を訪れますが、ジョーはのらりくらりと躱そうとします。
この様子がなんとも可愛いのですね。
彼女にとって、ビルは同じ志を持つ同士でもあり、同じ人生を歩むことができる伴侶です。
ただそれを彼女は素直に表すことができず、非常に不器用なところがとても愛らしい。
また彼女は竜巻が出現すると、のめり込むように危険を度外して竜巻に向かってしまう。
それは子供の頃に父親を失ってしまったことにより、父親を追いかけ続けているのかもしれません。
彼女の行動はそういう意味では非常に幼く、危なっかしい少女のようにも見えます。
ビルはそんな彼女を放っておけず、結局は一緒に巻き込まれていくのですが、彼にとって彼女は守ってあげなければいけない存在のようなのでしょう。
彼女を愛おしく思う気持ちは、今改めて見てみるとさらによくわかるような気がします。
私が当時、本作に惹かれたのは、この点であったのだと思います。
さて、新作はこの夏公開されます。
ビルを演じていたビル・パクストンはもう亡くなっていますし、キャストは全て新しくなるのでしょう。
ストーリーも前作を引き継いでいるものなのか、リメイクなのかはまだわかりません。
とはいえ、30年近く経っての新作ですので、どのような展開になるのか、興味を持って待っていたいと思います。

| | コメント (0)

2024年4月 7日 (日)

「デューン 砂の惑星 PART2」リアリティと幻想

前作の自分のレビューを見てみたら「壮大なプロローグ」というタイトルをつけていましたが、本作を鑑賞してみるとそれは的確に表現をしているなと改めて思いました。
PART2についてはそのようなプロローグを経ることにより、主人公ポールが戦う理由が明確になっており、本作では彼がどのようにハルコネン家と皇帝に対して戦いを挑んでいくかが描かれることにフォーカスされており、2時間半以上の長尺でありながら、非常に見やすいと思いました。
監督は前作に引き続きドゥニ・ヴィルヌーヴです。
彼の映像は独特で「メッセージ」にしても「ブレードランナー2049」にしても現在とは異なる世界を描いていながらも、非常にリアリティがあるのですね。
SF映画というのは昨今は特にCGの発達がすごいので、驚くような映像が作れるのですが、その分、箱庭感のような感触も拭いきれません。
しかし、ドゥニの映像はその世界に立っているような空気感があるように感じます。
多用される実風景を使ったロングショットや、砂埃でむせてしまうような空気感によって、見ている観客もデューンに立っているような感覚にさせてくれます(対局はザック・スナイダーとかでしょう)。
このような空気感を感じさせてくれる監督は最近はめっきり減りましたね。
そういったリアリティもある反面、ドゥニは幻想的なイメージもあります。
「メッセージ」での異星人との非言語によるコミュニケーション、「複製された男」が「ブレードランナー2049」でも不確かな記憶の描写などは非常に幻想的であり、ある種の不安を見ている者に感じさせます。
本作においても予知幻視などは同様の感覚にさせられます。
ドゥニの作品は確固たるリアリティがありながら、そのような幻想的な側面もあるため、より一層今の現実の不確かさが際立ちます。
そのような不確かさの中で主人公がどのような選択をしていくかのドラマが見応えのあるものになっていきます。
またドゥニの撮る映像はどのショットも構図も色も何から何までこだわり抜いているという印象がありますね。
抜き出して1枚絵になりそうなショットがいくつもあります。
アングルや構図にこだわり抜く姿勢は庵野監督などとも通じるもののような気がします。
彼が見せてくれる絵画のようなショットだけでも見る価値があると思います。
ドゥニの映像がリアリティと幻想というある意味逆の要素を持っている話をしましたが、本作の主人公も二つの価値観の中で揺れ動きます。
一つはデューンの民(フレメン)の一員として、帝国に対して反旗を翻し、星を取り戻そうとすること。
もう一つはアトレイデス家の生き残りとして、ハルコネン家と皇帝家への復讐を果たし、代わりに皇帝となること。
この目標は途中経過としてはハルコネン家と皇帝家の打倒ですが、ゴールは違います。
この異なる二つは劇中でも人物として象徴されていて、前者はポールの恋人だるフレメンのチャニであり、後者はポールの母親であるレディ・ジェシカとなります。
ポールは本作ではずっと前者の価値観で行動していたように見えますが、最後予知能力を持つようになってからは、後者の価値観で行動し始めたようにも見えます。
とはいえ、チャニへの思いも残っているようですので、彼の本心はまだ本当のところはわからないですね。
本作はここまででもデューンを開放したということで一旦の結末となったとも言えますが、上で書いたようにポールの真意がわからないという点ではモヤモヤが残ります。
本作は世界的には大ヒットしているということで、なんと先日PART3が制作されるということが発表されました。
ポールが皇帝となった後の物語となるとのことですが、彼の真意がそこではわかるのでしょうか。
何年後になるか分かりませんが、気になりますね。

| | コメント (0)

2024年3月20日 (水)

「映画ドラえもん のび太の地球交響楽」生命讃歌

今年の「ドラえもん」劇場版は音楽がテーマ。
宇宙や恐竜などの冒険がテーマになることが多い「ドラえもん」シリーズですが、音楽がテーマというのは珍しい印象です。
わかりやすく冒険が描けるわけではないので、なかなか劇場版としてエンターテイメントと仕上げるのが難しそうだと思いましたが、なかなかどうして非常に楽しめる作品に仕上がっていました。
音楽はとても原始的でありながら、人の生命力が表現される芸術であると思います。
原始的であるというのは、この芸術はとても身体的であるからだと思います。
ただ何かを叩んでリズムを刻むというのも音楽ですから。
今回の作品で最終的にドラえもんたちが戦うのは、宇宙の星々を飲み込んでいくノイズという存在。
ノイズは生命が奏でる音楽(ファーレ)が苦手であり、ドラえもんたちは音楽で立ち向かっていきます。
音楽はまさしく生命の象徴。
ドラえもんたちが音楽を演奏しながらノイズと戦っている時に、地球上の人間たちが日常の営みから奏でられる音が重ねられていきます。
お料理を作るときの包丁の音。
家を建てる時のノコギリの音。
人が、生命が生きている時に奏でる音、音楽が、すべての生命を飲み込もうとするノイズに対抗していくのです。
まさに生命讃歌です。
ドラえもんたちがノイズと戦う時の音楽とその映像表現も見事で、なかなか映像化しにくい音楽をダイナミックに表現できていたと思います。
ストーリーとしても凝ってい益田、
のび太たちは共にノイズと戦うことになるミッカという異星の少女と出会います。
ミッカたちはノイズに滅ぼされた星から宇宙船で逃げ出してきて、地球の近くに長年隠れ住んでいた種族です。
古代にその種族は一族を途絶えさせないために、ミッカの妹を地球に送り込みました。
彼女は古代人とやがて結ばれ、そしてそこから地球にもファーレ(音楽)が根付いていくのです。
そしてその子孫である歌姫ミーナも、のび太やミッカに手を貸すことになります。
連綿と続いていく生命、そして音楽。
これもまた生命讃歌ですね。
「ドラえもん」の映画として見ると、ややドラえもんとその秘密道具の印象は薄く、そこを期待した方からすると少々物足りないところもあるかもしれませんが、いつもと異なる冒険を描こうとする心意気は私としては支持次第です。

| | コメント (0)

2023年10月22日 (日)

「沈黙の艦隊」満を持しての実写化

コミック「沈黙の艦隊」は学生から社会人になった20代の頃、リアルタイムに読んでいました。
そのストーリーは現実に米ソの間の冷戦構造と核抑止があるという時代をベースに作られていましたが、まさに連載中にソ連崩壊、それに伴う冷戦構造の終結という大きな変化の中で展開されていきました。
その後、世界は米国への一極化、そしてテロ事件の勃発などがあり多極化へ変化していきます。
本作が映像不可能と言われてきたのは、潜水艦そして艦隊との戦いを描くのが難しいのもありますが、現実世界の状況が原作の頃と大きく変わってきたのもあったかと思います。
しかし、ロシアが仕掛けたウクライナ戦争により、再び核による恫喝が現実的になってきたということもあり、再び本作で語られてきた考え方に注目がいくようになったのでしょう。
映像についても、今回は自衛隊の協力が得られたこと、そしてCGなどの技術の発達がありクリアでき、まさに満を持しての実写化ということでしょう。
主人公海江田を演じるのは大沢たかおであり、考えを読ませない得体の知れなさをうまく表現していたと思います。
「キングダム」もそうですが、大沢さんはコミックのキャラクターを再現するという点で、非常にテクニックを持っていると思います。
ストーリーも終始緊張感を持たせながら展開しており、ややもすると政治色が強くなり会議室での会話劇が中心になりがちなところ、バランスよく潜水艦戦、艦隊戦を入れてきているので、エンターテイメントとしても見やすくできているかと思います。
惜しいのは、というより長い原作を映画化するということで仕方がないところはあるのですが、本作で描かれるのはほんのさわりのところで、本作だけでは海江田の意図というのはほとんど分かりません。
まさに導入部分というところなので、本作の評価は本作だけではできないように思います。
次回作ができるかどうかのアナウンスは聞こえてこないのですが、この作品の本当の評価は次回作を観て、ということになるでしょうね。

| | コメント (0)

2023年8月16日 (水)

「トランスフォーマー/ビースト覚醒」エモーショナルと派手さのバランス

「トランスフォーマー」シリーズも早いもので第7作目となリマス。
第1作目を見た時は自動車がロボットにガチャガチャと変形するCGに度肝を抜かれましたが、その後はこの手の映像も見慣れてしまい、新鮮味が薄れてしまいました。
シリーズを追うごとにストーリーもスケールアップしていき、いつしか人類置いてけぼりの大風呂敷を広げた状態となり収拾がつかなくなってきた感もありました。
そうなってくるとマイケル・ベイの迫力のある演出もやや大味にも感じられ、食傷気味となったのも事実です。
これは皆が持った印象だったのか、前作ではリブート的な位置付けで「バンブルビー」が公開されました。
こちらの作品はマイケル・ベイ的な派手な演出は抑えられ、少女とバンブルビーの間の友情が描かれるハートウォーミングなジュブナイルとなっていました。
これはこれで非常に新鮮で、新たな「トランスフォーマー」を見せてくれたと思います。
そして本作「ビースト覚醒」ですが、タイムライン的には「バンブルビー」の後のようです。
80年代的であった「バンブルビー」から本作は90年代的な要素を持った作品になっています。
「バンブルビー」は少女とバンブルビーに焦点を絞ったため、従来の「トランスフォーマー」的な派手なアクションは少なかったと思いますが、本作はリブート版の人間とオートボットの繊細な関係性と従来路線の派手さのバランスを上手に取ろうと苦労した感じがしています。
加えて新しい要素として動物型のトランスフォーマーも登場し、描くべき要素は格段に前作から増していると思います。
その苦労は概ね成功しているのはないでしょうか。
主人公ノアとオートボットミラージュの関係性は力を入れて描かれており、クライマックスでの二人のコラボレーションへの納得性を高めています。
後半のユニクロンと人間、オートボット、マクシマルとの戦いは従来の「トランスフォーマー」的な派手さがあり、映像的に見応えありました。
今までの作品でもラストバトルでは、どうしても人間が置いてきぼりになりがちなのを、ノアがミラージュを装着することで回避するというのもなかなかのアイデア。
これがクレジットの時の映像に繋がるというのも興味深かったです。
本作の制作にはトランスフォーマーを販売しているハズプロが入っていますが、ここの主力商品にG.I.ジョーがあります。
「G.I.ジョー」については今までも何度か映画化されていますが、本作で「トランスフォーマー」とクロスオーバーする可能性が示唆されています。
これはマーベル的なユニバースを狙っているということでしょうか。
また風呂敷を大きくして、畳めなくなってしまうという懸念はありますが、期待もしてしまいますね。

| | コメント (0)

2023年6月 7日 (水)

「TAR/ター」権力の誘惑

ケイト・ブランシェット演じる主人公リディア・ターはベルリンフィルハーモニー初の女性指揮者です。
彼女は音楽に対しての深い理解と、その表現において卓越した才能があり、輝かしい経歴を持っています。
そして世界有数のオーケストラの首席指揮者として絶大なる権力を持っています。
彼女自身はその地位は自分の才能に対して相応しいものであるという強い自負を持ちつつも、いつかそこから転落するかもしれないという恐怖感が彼女を苛みます。
自分が理解した通りに音楽を奏でたいという点において、彼女は強欲であり、支配的でもあります。
彼女は音楽にのみ忠実なのです。
そして、彼女はその権力をオーケストラという場だけなく、周囲にも振るうようになっていきます。
長年勤め上げていた副指揮者も彼女の思惑で首にし、長年サポートしていた助手には人参をぶら下げながら献身を求めます。
彼女の周囲も彼女の振る舞いに気付きながらも、それを見て見ぬふりをしていたようにも見えます。
史上初の女性指揮者という看板は興行的にも有利ということもあるでしょう。
彼女に逆らったら居場所がなくなるという恐怖もあるでしょう。
周囲のそのような態度はターが自分の行動が許されるものであると思い込んでいくことにつながっていったかもしれません。
そして教え子であった若手音楽家へセクシャルハラスメントを行い、挙句その若手は自殺をしてしまいます。
そのような出来事により、次第に彼女は精神的に追い込まれていきます。
ストーリーに挟み込まれてくるターの隣人のエピソードがあります。
その隣人は実の母親を椅子に縛り付けて虐待し、挙げ句の果てに殺してしまいます。
それに対してターは激しく嫌悪感を抱きますが、実のところ彼女が周囲に対してやっていることもさほど変わりがありません。
現在の座を約束する代わりに、彼女が思うままにコントロールしようとするわけですから。
本作は権力というものが持つ恐ろしさ、そこに座った者をいかに変えていってしまうかということを描いています。
非常に本作がユニークな点は、今まで権力というものは男性的なものとして描かれることが多かったのですが、女性が権力に溺れてしまうところを描いている点です。
つまり、権力というものは男性であっても、女性であっても、溺れる可能性があるものであるということです。
ターの物言いは女性らしく柔らかいものでありつつも、そこには有無を言わさぬ調子があります。
それこそが権力であり、それに溺れた者は無意識にそれを使ってしまうのです。
権力自身は彼女自身も蝕んでいたのでしょうか。
全てを失った彼女が辿り着いた場所で、タクトを振っている姿は原点に立ち返ったような清々しさを感じました。

| | コメント (0)

2023年4月26日 (水)

「ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り」キレのいいテンポの良さ

食わず嫌いですみません!
予告を見た時はよくあるファンタジー映画と思い、全く食指が動きませんでしたが、思いの外ネットでは評判がよく、ようやく見に行ってきました。
評判通り、想像以上によくできていて、非常に楽しめました。
そもそも「ダンジョンズ&ドラゴンズ」というのは、テーブルトークRPGというボードゲームです。
RPGというと「ドラゴンクエスト」とか「ファイナルファンタジー」を思い浮かべますが、その元祖と言っていいゲームです。
実際、劇中でもシーフ、バーサーカー、ソーサラー、マジシャン、パラディン(聖騎士)などRPGでお馴染みの言葉が出てきますが、その元ネタは「ダンジョンズ&ドラゴンズ」なんですね。
しかしゲーム原作の映画というのは、少数を除いて、外し気味の作品が多いのも確か。
その辺りも惹かれなかったところです。
本作の一番の良さと言えば、テンポの良さでしょうか。
このテンポの良さというのは2つ意味があって、一つはストーリー自体の進行が非常にさくさく進んでいくことです。
ファンタジー映画というのは、進行が遅いイメージがあります。
日常とは異なる世界を描くため情報量が多いというのもあるでしょうし、登場人物が多いということもあるでしょう。
その最たるものが「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズで、面白いとは思いつつも、進行の遅さにイライラした覚えがあります。
それに対して本作は話の展開が非常に早く、良いテンポで見ることができます。
世界観についてもそもそもがこのようなファンタジーの元祖であるので、あまり説明する必要もないということもあるかもしれません。
また基本的にストーリーは主人公エドガンを中心に一本道を進んでいくので、迷子になることもありません。
もう一つのテンポの良さは編集です。
アクションシーンも多いですが、これらの編集が非常にキレがあります。
またそのキレはアクションだけでなく、本作の要素の一つのコメディ部分にも生かされており、特に墓場のシークエンスは編集が笑いに直結していたように思います。
このようにストーリーの展開の早さ、編集の小気味良さでストレスなく鑑賞できるというのが、本作の良さではないかと思います。
テンポよく進むということだと、キャラクターが描ききれていないかもと思う方もいるかと思いますが、意外とそうではありません。
本作はコメディ色が強く、登場するキャラクターもクセがある者が多いです。
主人公エドガン、彼とパーティを組むメンバーたちは主人公側と思えないほどの負け犬感が漂っています。
それぞれ過去の様々な経験により、自分に自信が持てなくなったり、人を信じられなくなったりしているわけですが、そのような彼らが一緒に旅を続ける中で、お互いに影響され、自信を取り戻していく様子が描かれます。
先に書いたようにストーリーとしては一本道なので、まさに彼らが自信を得ていく過程に寄り添っている感じもし、彼らへの思い入れがどんどん強くなっていく感じがしました。
エドガンは負け犬ながらもポジティブな気持ちを常に持っていて、彼が言ったセリフ「失敗したためことをやめたら、ほんとうに失敗する」はメモをしたくなるような名言だと思いました。
RPGというのは、パーティを組んで旅をしていくという形式が多いですが、まさに自分もパーティの一員となって彼らと旅している気分になれるように感じます。
本作は出演陣も意外にも豪華です。
主人公のエドガンのクリス・パイン、その相棒ホルガのミシェル・ロドリゲスがは見る前から認識していましたが、悪役(?)をヒュー・グラントが演じています。
またカメオでブラッドリー・クーパーが出てきて、びっくりました。
どこに出てくるかは、見てのお楽しみです。
あと、パーティの一人ドリックを演じていたのが、エイミー・アダムスではないかと一瞬思ったのですが、年齢的にちょっと合わない。
確認したらソフィア・リリスという別人でした。
しかしソフィアはドラマでエイミー・アダムスが演じた役の若かりし頃を演じたこともあるようで、やっぱりみんな似ていると思っているのですね。

| | コメント (0)

2023年3月18日 (土)

「映画ドラえもん のび太と空の理想郷」原作者へのリスペクト

劇場版の「ドラえもん」の最新作で、久しぶりのオリジナルストーリーです。
脚本家は現在大河ドラマ「どうする家康」を執筆している古沢良太さんです。
「ドラえもん」らしくタイムマシンを使った伏線も張ってありますが、この辺は元々デビュー当初から「キサラギ」などでしっかりとした構成力を見せていた古沢さんらしさも感じました。
さて本作ですが、オリジナルストーリーでもありますが、劇場版の「ドラえもん」の多くがそうであるように、日常とは異なる世界(それは過去であったり、宇宙であったり、地底であったりしますが)にのび太たちが冒険に行くという立て付けになっています。
タイトルにある「空の理想郷(ユートピア)」とは、空中都市パラドピアで、この都市は時空を調節する力を持っていて、そこに暮らす人々は平和で穏やかな生活を送ることができています。
本作のテーマは現代らしくズバリ多様性となるでしょう。
パラドピアの人々は皆、優秀で穏やかです。
そこで暮らし続けると、都市を照らす光の影響を受け、皆そのようになっていくのです。
しずかちゃんやジャイアン、スネ夫もその光の影響を受け、みな「いい人」になっていきますが、さすがのび太は一人だけダメな子のままです。
皆が画一化され、管理されている未来都市というイメージは今までも数々のSF映画でも語られてきました。
一見ユートピアに見えるが、その実は人間性を否定したディストピアであるというテーマですね。
本作もそのテーマをなぞっているように思います。
多くのこのテーマの作品は前半よりユートピアの皮を被ったディストピアであることは醸し出されているのですが、本作が巧みであるのは、途中までは本当にユートピアとして見えるように描いていながら、中盤くらいで一気にものの見方を180度変えるような出来事を置いているということでしょうか。
そのため多様性というテーマがより強調してわかりやすくなったと思います。
ラストのスペクタクル感も十分にありましたし、見応えのある劇場版に仕上がっているかなと思いました。
古沢良太さんは原作者の藤子・F・不二雄さんを強くリスペクトしているようで、その思いが伝わってくる作品となっています。

| | コメント (0)

2022年10月10日 (月)

「映画 デリシャスパーティ♡プリキュア 夢みる♡お子さまランチ!」大人は穢れか、憧れか

6歳になる娘が大好きな「プリキュア」。
現在放映中の「デリシャスパーティ♡プリキュア」の劇場版に、もちろん娘と一緒に行ってきました。
どのくらい娘が好きかというと、七夕の短冊に将来の夢で「ぷりきゅあになりたい」と書くくらいです。
突然ですが、本作はコメコメが主役と言ってもいい。
コメコメとは主人公の和実ゆい=キュアプレシャスのペア妖精です。
「プリキュア」シリーズはお約束として、プリキュアたちをサポートする妖精が登場するのですが、コメコメもそのような立ち位置になります。
大体の作品においてこの妖精はプリキュアをサポートする立場というか、ガイド役のような存在となります(前作のくるるんは何もしなかったです・・・)。
本作でのガイド役はレギュラーで登場しているローズマリーが担っているので、デパプリの妖精たち、特にコメコメはちょっと立ち位置が違うように感じています。
コメコメだけ人間への変身能力を持っていて、当初は赤ちゃん、そして幼児、本作では少女になっています。
コメコメはキュアプレシャスに憧れており、彼女のようになりたいと願っています。
これはこの映画の主題になります。
まさにコメコメの立ち位置は、私の娘のように「プリキュアになりたい」と思っている子供たちそのものなんですよね。
映画独自キャラクターとしてケットシーという登場人物がいます。
ネタバレにはなりますが、彼は幼い頃から天才であり、大人たちに利用されて研究を続けてきました。
彼は大人たちから逃げ出してきた時に、幼い頃の和実ゆいに出会っています。
彼はその後も大人に利用され続け、やがて大人を憎むようになります。
代わりに(幼いゆいに会ったこともあってか)子供の純真さを絶対視するようになります。
そんな彼が子供たちのために作ったのが、ドリーミアというテーマパークで、ここには大人は入ることができません。
子供たちだけのテーマパークなのです。
コメコメはキュアプレシャスに憧れ、彼女の役に立ちたいと思いますが、幼いからか思うようにいきません。
コメコメは早く大人になりたいと願う少女なのです。
そんなコメコメにケットシーは「そのままでいい」と言いますが、それは彼の過去の経験からくる大人への不信が言わせています。
彼に対する大人の扱いは虐待と言ってもいいでしょう。
彼にとって大人は穢れた存在なのでしょう。
それに対し、コメコメにとっては大人は憧れの存在。
大人と言ってもゆいは中学生なのですが、少女にとっては憧れの大人に見えますよね(本作はプリキュアの年齢設定を非常にうまく使っていると思います)。
ゆいはおばあちゃんに「ご飯は笑顔」と言われ、食べること=生きることを大切に素直に育ってきました。
そんな彼女に憧れるコメコメもとても素直な子です。
大人を穢れと見るか、憧れと見るか。
正反対なケットシーの育てられ方、ゆいの育てられ方を見るにつけ、子供たちの周りの大人たちの日頃の接し方が重要であると思いました。
子供たちが少なくとも、こんな大人になりたいという希望を持てるような接し方をしたいと思います。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧