2021年11月 9日 (火)

「DUNE/砂の惑星(2021)」壮大なプロローグ

デイヴィッド・リンチの「DUNE」が公開されたのは自分が高校生の頃だったと思います。
すでにその頃はSF好きではあったので、「DUNE」の存在は知っていましたが、高校生には独特のセンスを持つデイヴィッド・リンチの敷居は高かった。
品の評判も芳しくなかったため、結局見ずじまいになっていました。
その頃の評価としてはまとまりがないということだったと思いますが、作品のボリュームが多く、「映画化不可能」の作品と言われていたことも後で知りました。
なので「DUNE」というと個性的であり、難解なイメージが自分の中でできてしまいました。
そして今回再び「DUNE」の映画化にトライしたのはドゥニ・ヴィルヌーブです。
監督をドゥニがやることを知った時、私はしっくりとした感じがしました。
書いたように私の中では「DUNE」はSF映画と言っても「スター・ウォーズ」のような万人受けするタイプではなく、よりマニアックで個性的なイメージがあったからです。
ドゥニは今までの作品でも彼独特の映像センスと難解さを持っているように感じていて、それはデイヴィッド・リンチにも通じるように思います。
「複製された男」も「メッセージ」も好きな作品です。
今、SF作品も非常に大衆的な作品が多いですが、これらは非常にハードなSFらしい作品でした。
また、「ブレードランナー」の続編も成功させており、デイヴィッド・リンチよりは一般受けするようなバランス感覚は持っていると思います。
ですので、個人的には非常に期待しておりました。
公開されてしばらく経っていますが、日本での評価はイマイチなようです。
個人的には嫌いではありません。
今までの作品同様にドゥニの乾いたような硬質な映像のテイストは他の監督にはないものであったと思います。
後半で物語が動き始めたところは続きが見てみたいという気持ちを起こさせました。
しかし、如何せん前半が非常に重い。
おそらくここが「DUNE」を「映画化不可能」と言わせているところだと思います。
まず物語の舞台となる世界の状況を観客に理解させるまでに非常にエネルギーを使わなければなりません。
「スター・ウォーズ」などはあの世界の状況をわからなくても、主人公の周りで展開される物語を追っていけば十分楽しめます。
オープニングのタイトルのところで状況説明をさらっとやって済むわけですね。
ですが、本作の場合は主人公自身がこの世界の状況に対して深く関わっていくため、状況がわからないとなかなか主人公の気持ちなどが理解しにくくなってしまいます。
おそらくデイヴィッド・リンチ版はこの辺がまとめきれなかったのではないかと思われます。
本作では物語の破綻は起こっていなかったと思いますが、その分、前半はなかなかストーリーが展開せず非常に重いバランスになってしまっていると思います。
本作は「DUNE」のプロローグで終わってしまったという印象は少なからずあります。
その辺りが低評価につながってしまっているのではないかと思います。
ファストムービーなどと言われているように、長い時間を映画を見ることに耐えられない人が多くなっているのかもしれません。
個人的にはドゥニらしい映像を楽しめましたし、後半の展開は続きを期待させるところもあり、悪くないと思いました。
Part2の製作は決定したということなので、そちらを期待したいと思います。
ドゥニの「DUNE」はPart1だけで判断するのではなく、Part2まで見たところで評価すべきではないかなと思いました。

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2021年11月 5日 (金)

「映画 トロピカル〜ジュ!プリキュア 雪のプリンセスと奇跡の指輪!」夢を持つということ

5歳の娘と一緒に行ってきました。
うちの娘は幼稚園で「将来になりたいのはプリキュア」と書くぐらいのプリキュア好き。
ですので、私も日曜の朝は付き合って見ているので、相当詳しくなっています。
現在放映中のプリキュアは「トロピカル〜ジュ!プリキュア」で、タイトルからも伝わってくるように南国のように明るいトーンが特徴です。
昨年の「ヒーリングっど プリキュア」は恐ろしいほどにコロナ禍の状況にシンクロしていましたが、「トロピカル〜ジュ!プリキュア」は世間に蔓延している鬱屈した気持ちを吹き飛ばすように底抜けの明るいのです。
子供たちも親や周りの人々のモヤモヤした気分を察知していて子供なりにストレスを感じていると思う中、好きなテレビを見ているときは明るい気分になれるのはいいですよね。
制作者もそのような意図でこの作品を企画したのではないかと思っています。
「トロピカル〜ジュ!プリキュア」の主人公はキュアサマーこと夏海まなつという中学生の少女。
「トロピカってる?」というのが口癖ですが、これは今とっても楽しい気分でイキイキとしているか、ということを言っているのですね。
まさに今を大切に生きている女の子で、エネルギーに溢れています。
まなつと共にもう一人の主人公とも言うべき存在が、グランオーシャンという人魚の国からやってきたローラという人魚です。
彼女もキュアラメールというプリキュアに変身します。
ローラはまなつと違い自分の将来の夢をしっかりと持っている少女です。
その夢とはグランオーシャンの女王になり、皆を幸せにしたいということ。
ローラ自身は自信家で少々鼻持ちならないところもありますが、彼女の夢に対しての思いは真っ直ぐです。
今回の映画はまなつというよりは、ローラが主役と言ってもいいストーリーとなっています。
彼女たちは不思議な生き物に招待され、雪の国のプリンセスが女王となる戴冠式に向かいます。
そこでローラは雪の国のプリンセス、シャロンに出逢います。
まなつはローラの夢を応援してくれているものの、その夢の大きさを叶えることの大変さ、重さは本当にわかっているかわかりません。
シャロンは同じような大望を持っているという点でローラが共感できる存在でした。
ストーリーは後半大きく動きます。
詳しくは書きませんが、自分の夢を叶えるために他の人を犠牲にして良いか、というテーマに行き着きます。
そしてもし夢に敗れた時、忘れられていってしまうかもしれないという恐ろしさ。
でも本当に忘れられるのではなく、誰かはきっと夢を叶えるための頑張りは見てくれている。
そういう救いも語られます。
うちの娘の将来の夢は今のところプリキュアです。
夢というのは恐ろしい側面もあり、ある種の呪いともなります。
叶えられなくて苦しくなるのだったら、そもそも夢なんて持たない方がいいと考えるかもしれません。
でも夢があるからこそ、「今」という時間が充実したものにもなってきます。
彼女の夢は叶うかどうかわからないけど、夢はずっと持っていってほしい。
そこに行き着こうと頑張る姿をお父さんは見ています。

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2021年10月19日 (火)

「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」 新しい価値観でアップデート

<ネタバレあります>
ダニエル・クレイグ版の「007」の第5作目にして完結作です。
「カジノ・ロワイヤル」は2006 年の作品ですから、もう15年も経ったのですね、早いものです。
ダニエル・クレイグが新しいジェームズ・ボンドを演じることが発表された時、金髪であるなど従来のボンドのイメージと違うなど否定的な意見がありました。
私自身もイメージが違うなと思いましたが、「カジノ・ロワイヤル」を見たあとは、彼が演じる新しいボンド像に惹かれました。
それまでの007シリーズではジェームズ・ボンド自身が掘り下げられることはほとんどありませんでした。
殺しのライセンスを持つ一流のスパイで、タフでありながらスタイリッシュ。
女性たちを魅了するプレイボーイでもあります。
ある意味、彼は男たちが憧れる理想のアイコンのような存在だったのかもしれません。
現実的には彼のような男はそうそういるはずはなく、まさにフィクションとしての存在でした。
アイコンであるボンドの背景にはマッチョな男と美しい女性といった、男性中心の価値観は明らかにあって、それが2000年以降の時代における価値観とマッチしなくなってきていたのは確かだと思います。
そのような中、ダニエル・クレイグ版のボンドは、若々しくそして悩み深き男として登場しました。
全て完璧に仕上がっている男ではなく、荒削りで傷つきもする男でした。
そんなボンドはとても生き生きとしていて、初めてアイコンではなく、人間として描かれたように感じました。
「カジノ・ロワイヤル」以降、ボンドはさまざまな経験をし、次第に成熟した男に成長していきます。
それまでのボンドはある意味仕上がった形でしか存在していませんでしたが、ダニエル版のボンドが成長していく姿を我々は目撃してきたのです。
彼自身の出自にまつわるエピソード、信頼できる仲間との出会い、別れ・・・。
おおよそ、前作の「スペクター」で成熟した男としてのボンドに仕上がってきたように感じました。
「カジノ・ロワイヤル」からボンドの人生を追ってきたようにも感じられますが、本作「ノー・タイム・トゥ・ダイ」では、彼の人生の最後を目撃することになります。
今までのボンドでは決してありえない終わり方でした。
しかし、ダニエル版のボンドとしては非常に納得できる終わり方でもありました。
従来のボンドは女性とのアバンチュールはあっても、本当に女性を愛しているのか(たとえ一度結婚していても)わからない印象はあります。
人間的な愛情をボンドに持たせると、冒頭に書いたアイコン性はなくなってしまうということはあったかもしれません。
しかし、ダニエル版ボンドは、今までの人生で愛を得たけれども、悲劇的な結果となり、それを引きずって生きてきました。
その傷が癒えさせてくれる女性と出会いますが、再び彼女を失う危険が迫ります。
ボンドは彼女を愛する者として、自分の命をかけて彼女を守ります。
一人の女性と、そして自分の子供のために命を捨てるボンド。
従来のボンドではあり得ません。
しかし、現代の価値観を背景にした新しいボンドにとってはそれは違和感はありません。
007というコンテンツは20世紀の価値観を背景にしていたため、時代に置いていかれる可能性もあったと思います。
しかし、ダニエル版のボンドは思い切って人間としてのボンドを描くことにより、現代的な価値観にマッチした新しい007像をアップデートすることに成功しました。
今後もこのコンテンツを作り続けていく基礎ができたように思います。
ダニエル・クレイグのボンドはこれで終わりだと思いますが、エンドロール後のメッセージにあったように「007 will return」です。
人としての007を描くという可能性を開いたので、ダニエル版よりももっと新しいボンドが登場する可能性があります。
本作でも示唆としてありましたが、女性版の007もなくはないと思います。
どのような新しいボンドが提示されるか、戻ってくるのを楽しみに待ちたいと思います。

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2021年4月18日 (日)

「21ブリッジ」 ボーズマンの遺作ではあるが、出来は平凡

昨年急逝した「ブラックパンサー」のチャドウィック・ボーズマンの最後の主演作です。
彼はこの作品の撮影中も闘病をしていたということですが、それを分かって見てみると、彼の姿も少しやつれているように見えます。
それでも劇中で逃亡犯を追いかけたりするところでは、すごい勢いで走ったりしていたので、撮影は大変だったのでないかと思いました。
とても魅力的な俳優でしたので、亡くなったのはとても残念です。
<ここからネタバレあり>
さて、作品自体の評価ですが、悪くはないが良くもないというような平凡なものであるかと思いました。
主要な登場人物としてJ・K・シモンズが演じる警察署長が出てきますが、彼が演じるといった時点で怪しさマックスです。
普通な警察署長であるわけがない。
J・K・シモンズには悪いですが・・・。
となると作品冒頭で起こった事件も裏があることは明白で、そこには警察の汚職があるというのも簡単に想像がつきます。
事件を追っている警察が組織を守るために、犯人を抹殺しようとするという展開は今までも数々の作品で見られました。
そのようなプロットを使ってはいけないというわけではありませんが、配役によってみえみえになってしまうのはいかがなものかなと。
最初から警察が怪しいことが分かってもいいという話の進め方もありますが、それにしてはその後の展開も平凡です。
ボーズマン演じる主人公は非常に中立的な存在で事件を追っていきますが、もう少し彼にドラマがあっても面白かったかもしれません。
冒頭の入り方では、そのようなドラマがあるかと思いましたが、その後は彼についてはあまり語られていませんでしたね。

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2021年4月17日 (土)

「騙し絵の牙」 編集力

現在の出版業会の状況が生々しく描かれていました。
出版不況と言われてずいぶんと経っています。
私が10数年前に雑誌広告の担当をしていた時にもすでに雑誌の発行部数は右肩下がりで、出版業界の先行きに不透明感が出てきていました。
その頃すでにアマゾンなどが進出して、本屋業界に逆風が吹いていました。
また「活字離れ」などと言われ、本を読まない人が増えているとも言われていました。
その後、欲しい情報はネットで手に入るようになってわざわざ雑誌を買わなくなったり、サブスクリプションサービスなどが出てきたりと、まさに出版業界は嵐の真っ只中です。
個人的には、本はデジタルよりは紙が好きで、読みたい本は必ず紙を買います。
また雑誌も好きなので結構買う方だと思うのですが、現在雑誌はどれも部数が減るばかりで苦労しているようです。
それでは雑誌というものが、全てネットの情報サイトのようなものに置き換わるかというとそうでもないかなと思っています。
個人の趣味を抜きに考えると、紙の雑誌がそのまま残り続けるかというとかなり厳しいと言わざるをえません。
では全くなくなってしまうかというと、そうではないと思います。
雑誌の価値は、そこに載っている情報そのものだけでなく、その情報をどのように編集してわかりやすい形で提供するかという「編集力」にあると考えているからです。
ネットには生の情報がたくさんありますが、あまりに情報がありすぎて、どれが自分にとって価値があるかを判断するのが難しい。
しかし、雑誌では編集者が情報をわかりやすく整理してくれているのですね。
ですので自分の感覚に合う雑誌があると、そこに載っている情報は自分にとって価値がある確率が高いわけです。
雑誌の価値は載っていう情報そのものよりは「編集力」にあると言っていいでしょう。
コンテンツ力と言っても良いかもしれません。
本作の劇中で「トリニティ」という雑誌の編集会議の場面があります。
編集者が色々なアイデアを出しているのですが、無難な提案を主人公である編集長速水がバッタバッタと却下していきます。
いつも通りの情報の提示では新しさがない。
その雑誌ならではの新鮮な切り口を提供する。
それが雑誌の持つ本当の力「編集力」だからです。
この「編集力」、情報を整理し理解しやすいように提示するということですが、別の言い方をすると編集側のストーリーに誘導しているとも言えます。
同じような事実からででも書き手によって全く違うように受け取れるようになる、これは発進する側のストーリーラインが異なるからです。
主人公速水は一級の編集者であり、だからこそ彼が描くストーリーラインに人を巻き込み、そのように行動させてしまうという手管を持っているとも言えます。
本作に登場する人物たちは表面に見えている顔と、その裏にある本当の自分の狙いの両方を持っている人たちが多い。
彼ら表も裏も速水に読まれて、いいように操られていく。
これは見ていても爽快なところです。
しかし、その速水すらも最後には出し抜かれてしまう。
ここもまた爽快です。
編集者の仕事の本質をしっかり描きながら、それを題材にして二転三転のミステリーに仕立てているこの作品、見応えありました。
原作者は「罪の声」の塩田武士さん。
「罪の声」の映画も面白かったので、この作家に興味が出てきました。
今度読んでみようかな。
紙の本で。

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2021年3月17日 (水)

「太陽は動かない」 アクションサスペンスとしてしっかりできている、が・・・

藤原竜也さん、竹内涼真さんというホリプロの二枚看板によるアクションサスペンス。
二人が演じる産業スパイが所属するのは、AN通信という謎の組織で、彼らは心臓にチップを埋め込まれており、24時間毎の定時連絡が途切れるとそれが爆発してしまうのだ。
ある技術を巡り、彼らと別の産業スパイ、そして中国の企業が互いに騙し合い、裏をかき、戦いながら秘密情報を奪取しようとする。
彼らは香港、ロシア、ブルガリアなど世界各国を股にかけ、情報を奪い合う。
海外ロケをしっかりと行ったことによる映像のグローバル感、チップに埋め込まれた爆弾というタイムリミットサスペンスの要素、敵味方が目まぐるしく変わるストーリー、主人公鷹野の過去のエピソードなどスパイ映画として盛り上げる要素はしっかりと埋め込まれています。
メガホンを取るのは「海猿」「MOZU」など数々のアクション映画を撮っている羽住英一郎監督です。
一流の俳優・スタッフ、その他の物語の要素としてもアクションサスペンスとしてしっかりと作られており、本作は面白くない訳ではありません。
劇場で一度見ていて、つまらないとは思いませんでした。
ただ記憶に残っていく作品かというと、そうとはなかなか言えません。
邦画としては頑張っている、という印象でしょうか。
10数年前だったらもっと満足できたのかもしれません。
世界のアクションサスペンスのレベルはもっと上の方に行ってしまっている気がします。
公開が延期されていますが長年シリーズとして続いている「007」は、新たなボンド像を築き、時代に合わせたアップデートに成功しています。
「M:I」はアクションシーンに貪欲に今まで見たことがないものを目指しています。
「TENET」はアクションサスペンスを超えた衝撃を与えました。
こういう進化を観客である我々は目にしているで、確実に舌が肥えてきてしまっているのだと思います。
本作は決して面白くない訳ではなく、脚本なりアクションシーンなりは非常に頑張っていて見ていて面白くない訳ではありません。
しかし、新しい驚きがあったかというとそういうことはありません。
スパイアクションサスペンスのとして構築はされているとは思いますが、そこの枠組みから超えてはいないように思うのです。
その点がなかなか満たされない印象に繋がってしまったのかもしれません。
なかなか邦画では難しいのですけれどね・・・。
こちらの作品はWOWOWの方でも前日譚が放送されたとか(見てはいませんが)。
もしかするとそういう連続シリーズの方が向いているかもしれません。

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2020年12月 6日 (日)

「STAND BY ME ドラえもん 2」 ドラ泣きではなかったが、ジーン

2014年に公開された初の「ドラえもん」3DCG映画「STAND BY ME ドラえもん」の続編です。
前回の宣伝コピーは「ドラ泣き」でしたが、そのコピーの期待を裏切らず泣かせてもらいました。
ドラえもんの数あるエピソードの中でも泣ける回を複数構成したものでしたので、泣かないわけにはありません。
さて今回の2作目ですが、前作の後日談(のび太としずかちゃんの結婚式を描く)を中心にしつつ、その他原作の中のジンとくるエピソードを組み合わせた構造となっています。
前作ほどに「泣けた」かというとそうではありませんが、ノスタルジックな気持ちにはなりました。
のび太が自身の結婚式を前に不安になり、自分が生まれてから生きてきた人生を振り返るという構成になっています。
自分が生まれてきたことがいかに家族にとってかけがえのない事であったか、自分自身が存在する意味を気づくという事ですね。
1作目を見た時はまだ独身で、本作が公開された今は自分にも家族もでき子供もいます。
子供はまだ幼く、わがまま放題で叱ったりすることもありますが、それでもかけがえの無い存在であることはのび太のお父さん・お母さんと同じです。
そういえばこの間に父も亡くなったのでした。
生まれたばかりの孫を父がとても可愛がっていたのを思い出します。
いつか自分の子もそのような気持ちであることに気づいてくれるといいなと思いました。
自分もそうですが、そういうのに気づくのは子供ができてからだったりするのですけれどね・・・。
子供よりもいい大人が見て、改めて気づくという作品であったと思います。

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2020年11月19日 (木)

「ドクター・デスの遺産-BLACK FILE-」 真犯人の正体は?

終盤のどんでん返しでちょっと驚きました。
が、エンドロールの原作者に中山七里さんの名前を見つけて、納得しました。
さすが「どんでん返しの帝王」です。
中山七里さんの作品は大好きで何作も読んでいるのですが、多作な方なので全然読むのが追いつきません。
どれも仕掛けがあって読んでいて驚くことが多いです。
本作の原作については未読でした。
最近は小説を原作として映画化することも多いのですが、根本的に違うところがあります。
当たり前ですが、それは映像です。
小説で登場する人物の姿は読者が頭の中に想像するだけですので、実際に見ることはできません。
叙述ミステリーなどはそのことを上手に使ったものも多いですよね。
原作のミステリー小説がテキスト媒体であることの特性を用いた仕掛けをしているものであると、その映像化は難度が上がります。
映像ですから、見るだけでわかってしまいますからね。
本作も誰が真犯人であるか、がどんでん返しのポイントです。
実は真犯人はかなり早いタイミングで登場しているのですが、「気配」を感じさせません。
映画の場合は、真犯人には名が売れたキャストを当てることが多いですが、そのこと自体が観客に「あの人物が怪しい」と疑わせることが起こります(あえて無名のキャストを当てるということもありますが)。
これはある種の映像作品の制約とも言えるでしょう。
本作でも真犯人は有名な方が演じているのですが、初めに登場するときは全く有名俳優であることのオーラを消し去っていることに驚きました。
正直、無名の方が平凡な役を演じているだけのように見ていたわけですが、後々にその人物が真犯人だと分かったときに、「え、あの人だったの?」とびっくりしました。
特殊メイクをしているとかそういうわけではなく、メイクと衣装と演技のみであれだけ有名俳優のオーラを消せるということ自体が凄いことだと思いました。
その方の名前は公式サイトなどでも紹介されていないので、制作サイドは小説と映画のメディアの差を十分意識して作っていたことがわかります。
映画のテーマは安楽死。
これは非常に重いテーマで、すぐに答えが出るものではなく、見ていて辛いところもありました。
特に主人公とその娘に真犯人が迫ってくる(それもその犯人らしい心理的な攻め口で)ところは苦しい感じさえしました。
自分にも娘がいるからかもしれませんが。
ほんとに真犯人が怖いのですよ・・・。

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2020年11月 8日 (日)

「罪の声」大人のエゴ

時効となったグリコ・森永事件をモチーフとした原作小説の映画化作品です。
この事件の当時はすでに高校生くらいだったので覚えてはいますが、脅迫に子供の声が使われていたのは忘れていました。
結局犯人は誰だったかというところも気になりますが、確かに脅迫に使われていた子供は今、何をしているのか、謎ですよね。
本作ではグリコ・森永事件に関して今までいくつかあった事件の仮説を複合したような形で、架空の事件であるギン萬事件の犯人グループに迫っています。
その中で、脅迫に使われた子供たちの現在も描きます。
主人公の一人は脅迫に使われた声の本人である曽根俊也。
彼は偶然、古いテープを発見し、それを再生したところ自分の子ででギン萬事件の脅迫文が録音されていたことに気がつきます。
誰が自分の声を録音したのか、自分はどう事件に関わったのか、彼は独自に調査を始めます。
もう一人の主人公は阿久津英士。
彼は大日新聞の記者であり、時効になったギン萬事件の再取材を命じられます。
彼らが事件を掘り起こす中で、次第に俊也の他にも声を使われた子供たちの存在が明らかになっていきます。
また犯人グループたちの姿も。
最終的に彼らは事件の首謀者たちに迫ることができ、直接彼らから話を聞き出すことに成功します。
これについてはネタバレになるので、こちらでは書きません。
ただし触れたいのは、大人たちのエゴにより、人生を滅茶苦茶にされた子供たちの存在です。
主人公である俊也はたまたま何も知らずに幸せな人生を生きてくることができました。
けれども事件に人生を翻弄された子供たちもいたのです。
大人たちは自分たちがやってきたことはちゃんとした理由があると言います。
世の中を変えたかった、既得権益層に一矢報いたかったなど。
けれども子供たちにはそんなことは一切関係がありません。
大人が自分の責任で自分の主義主張を通すのはまだわかる(事件を起こし、被害を出すのはもってのほかですが)。
ただそれに無関係の子供たちを巻き込むのは許しがたい。
大人は失敗しても自分としてはやり切ったという気持ちはあったかもしれません。
そんなことも子供には関係がありません。
大人のエゴが子供の人生に影響を与える。
自分も子の親ですから、ちょっといろいろ考えることがありました。
こんなふうに育ってもらいたいという親としての理想もあったり、自分の都合で子供にいろいろ言ったりすることもあります。
けれど、子供には子供が生きたいように生きる権利があります。
親の無理強い、エゴの押し付けなどをするのもあまり良くないなとも感じました。
本作で描かれている大人とエゴとその結果の子供の人生というのは極端な例ではありますが、少なからずどの家にもあることかもしれないとは感じました。

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2020年9月28日 (月)

「TENET」 カーチェイスシーン解説

「Tenet」の2回目を見てきました。
2回目の鑑賞で全体の構造はよく分かったのですが、やっぱりわかりにくかったのはカーチェイスシーンの部分です。
このシークエンスは登場人物が順行の人、逆行の人が入り乱れるで、とてもわかりにくい・・・。
見てただけじゃわからなかったので、図式化して整理してみました。
それぞれの登場人物の矢印がその人にとっての時間の流れです。
図の上から下への流れが世界の時間の流れ(順行)ですね。
たぶん、これで合っているはず・・・。

<図はクリックすると大きくなります>

Tenet_20200928232301
・「名もなき男」視点
 基本的に映画の中で語られている順の通りに進みます。

・セイター視点
こうやって図式化してみると、このシークエンスで登場するセイターはほぼ逆行しているんですよね。
逆行を知り尽くしている彼は、逆行している自分が順行者からどう見えるかが分かっています。
キャットを撃つときも弾丸が発射された後の拳銃を取り、負傷したキャットを逆行弾で打ちます。
高速道路で名もなき男を脅かす時も、名もなき男から見れば「3、2、1」とカウントダウンされているように見えますが、逆行セイターからすれば「1、2、3」と数えているわけですね。
逆行している途中でベンツからアウディに乗り換えるところがちょっとややこしい。

・キャット視点
キャットは逆行していないので、彼女自身の動きはシンプル。
しかし、劇中で描かれているときは逆行セイターと一緒なのでとても複雑に見えます。
劇中に描かれているのは「名もなき男」視点ですので。
彼女は順行セイターに蹴られた後、フリーポートから連れ出されますが、連れ出すのは逆行セイター。
つまりAudiに彼女が乗せられた時、セイターから見ればキャットを下ろしたということになります。
劇中でもチラッとそこが映りますが、ちょっと動きが不自然な感じがあるんですよね(順行主人公と逆行主人公の格闘シーンのような)。
同様にAudiから「名もなき男」と一緒に連れ去られるところは、セイター視点で言えば(逆行弾で回復した後の)キャットをAudiの乗せたというようになります。

ややこしい・・・。
一応整理できたような気がするので、もう一回見るか・・・。

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