2020年12月 6日 (日)

「STAND BY ME ドラえもん 2」 ドラ泣きではなかったが、ジーン

2014年に公開された初の「ドラえもん」3DCG映画「STAND BY ME ドラえもん」の続編です。
前回の宣伝コピーは「ドラ泣き」でしたが、そのコピーの期待を裏切らず泣かせてもらいました。
ドラえもんの数あるエピソードの中でも泣ける回を複数構成したものでしたので、泣かないわけにはありません。
さて今回の2作目ですが、前作の後日談(のび太としずかちゃんの結婚式を描く)を中心にしつつ、その他原作の中のジンとくるエピソードを組み合わせた構造となっています。
前作ほどに「泣けた」かというとそうではありませんが、ノスタルジックな気持ちにはなりました。
のび太が自身の結婚式を前に不安になり、自分が生まれてから生きてきた人生を振り返るという構成になっています。
自分が生まれてきたことがいかに家族にとってかけがえのない事であったか、自分自身が存在する意味を気づくという事ですね。
1作目を見た時はまだ独身で、本作が公開された今は自分にも家族もでき子供もいます。
子供はまだ幼く、わがまま放題で叱ったりすることもありますが、それでもかけがえの無い存在であることはのび太のお父さん・お母さんと同じです。
そういえばこの間に父も亡くなったのでした。
生まれたばかりの孫を父がとても可愛がっていたのを思い出します。
いつか自分の子もそのような気持ちであることに気づいてくれるといいなと思いました。
自分もそうですが、そういうのに気づくのは子供ができてからだったりするのですけれどね・・・。
子供よりもいい大人が見て、改めて気づくという作品であったと思います。

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2020年11月19日 (木)

「ドクター・デスの遺産-BLACK FILE-」 真犯人の正体は?

終盤のどんでん返しでちょっと驚きました。
が、エンドロールの原作者に中山七里さんの名前を見つけて、納得しました。
さすが「どんでん返しの帝王」です。
中山七里さんの作品は大好きで何作も読んでいるのですが、多作な方なので全然読むのが追いつきません。
どれも仕掛けがあって読んでいて驚くことが多いです。
本作の原作については未読でした。
最近は小説を原作として映画化することも多いのですが、根本的に違うところがあります。
当たり前ですが、それは映像です。
小説で登場する人物の姿は読者が頭の中に想像するだけですので、実際に見ることはできません。
叙述ミステリーなどはそのことを上手に使ったものも多いですよね。
原作のミステリー小説がテキスト媒体であることの特性を用いた仕掛けをしているものであると、その映像化は難度が上がります。
映像ですから、見るだけでわかってしまいますからね。
本作も誰が真犯人であるか、がどんでん返しのポイントです。
実は真犯人はかなり早いタイミングで登場しているのですが、「気配」を感じさせません。
映画の場合は、真犯人には名が売れたキャストを当てることが多いですが、そのこと自体が観客に「あの人物が怪しい」と疑わせることが起こります(あえて無名のキャストを当てるということもありますが)。
これはある種の映像作品の制約とも言えるでしょう。
本作でも真犯人は有名な方が演じているのですが、初めに登場するときは全く有名俳優であることのオーラを消し去っていることに驚きました。
正直、無名の方が平凡な役を演じているだけのように見ていたわけですが、後々にその人物が真犯人だと分かったときに、「え、あの人だったの?」とびっくりしました。
特殊メイクをしているとかそういうわけではなく、メイクと衣装と演技のみであれだけ有名俳優のオーラを消せるということ自体が凄いことだと思いました。
その方の名前は公式サイトなどでも紹介されていないので、制作サイドは小説と映画のメディアの差を十分意識して作っていたことがわかります。
映画のテーマは安楽死。
これは非常に重いテーマで、すぐに答えが出るものではなく、見ていて辛いところもありました。
特に主人公とその娘に真犯人が迫ってくる(それもその犯人らしい心理的な攻め口で)ところは苦しい感じさえしました。
自分にも娘がいるからかもしれませんが。
ほんとに真犯人が怖いのですよ・・・。

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2020年11月 8日 (日)

「罪の声」大人のエゴ

時効となったグリコ・森永事件をモチーフとした原作小説の映画化作品です。
この事件の当時はすでに高校生くらいだったので覚えてはいますが、脅迫に子供の声が使われていたのは忘れていました。
結局犯人は誰だったかというところも気になりますが、確かに脅迫に使われていた子供は今、何をしているのか、謎ですよね。
本作ではグリコ・森永事件に関して今までいくつかあった事件の仮説を複合したような形で、架空の事件であるギン萬事件の犯人グループに迫っています。
その中で、脅迫に使われた子供たちの現在も描きます。
主人公の一人は脅迫に使われた声の本人である曽根俊也。
彼は偶然、古いテープを発見し、それを再生したところ自分の子ででギン萬事件の脅迫文が録音されていたことに気がつきます。
誰が自分の声を録音したのか、自分はどう事件に関わったのか、彼は独自に調査を始めます。
もう一人の主人公は阿久津英士。
彼は大日新聞の記者であり、時効になったギン萬事件の再取材を命じられます。
彼らが事件を掘り起こす中で、次第に俊也の他にも声を使われた子供たちの存在が明らかになっていきます。
また犯人グループたちの姿も。
最終的に彼らは事件の首謀者たちに迫ることができ、直接彼らから話を聞き出すことに成功します。
これについてはネタバレになるので、こちらでは書きません。
ただし触れたいのは、大人たちのエゴにより、人生を滅茶苦茶にされた子供たちの存在です。
主人公である俊也はたまたま何も知らずに幸せな人生を生きてくることができました。
けれども事件に人生を翻弄された子供たちもいたのです。
大人たちは自分たちがやってきたことはちゃんとした理由があると言います。
世の中を変えたかった、既得権益層に一矢報いたかったなど。
けれども子供たちにはそんなことは一切関係がありません。
大人が自分の責任で自分の主義主張を通すのはまだわかる(事件を起こし、被害を出すのはもってのほかですが)。
ただそれに無関係の子供たちを巻き込むのは許しがたい。
大人は失敗しても自分としてはやり切ったという気持ちはあったかもしれません。
そんなことも子供には関係がありません。
大人のエゴが子供の人生に影響を与える。
自分も子の親ですから、ちょっといろいろ考えることがありました。
こんなふうに育ってもらいたいという親としての理想もあったり、自分の都合で子供にいろいろ言ったりすることもあります。
けれど、子供には子供が生きたいように生きる権利があります。
親の無理強い、エゴの押し付けなどをするのもあまり良くないなとも感じました。
本作で描かれている大人とエゴとその結果の子供の人生というのは極端な例ではありますが、少なからずどの家にもあることかもしれないとは感じました。

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2020年9月28日 (月)

「TENET」 カーチェイスシーン解説

「Tenet」の2回目を見てきました。
2回目の鑑賞で全体の構造はよく分かったのですが、やっぱりわかりにくかったのはカーチェイスシーンの部分です。
このシークエンスは登場人物が順行の人、逆行の人が入り乱れるで、とてもわかりにくい・・・。
見てただけじゃわからなかったので、図式化して整理してみました。
それぞれの登場人物の矢印がその人にとっての時間の流れです。
図の上から下への流れが世界の時間の流れ(順行)ですね。
たぶん、これで合っているはず・・・。

<図はクリックすると大きくなります>

Tenet_20200928232301
・「名もなき男」視点
 基本的に映画の中で語られている順の通りに進みます。

・セイター視点
こうやって図式化してみると、このシークエンスで登場するセイターはほぼ逆行しているんですよね。
逆行を知り尽くしている彼は、逆行している自分が順行者からどう見えるかが分かっています。
キャットを撃つときも弾丸が発射された後の拳銃を取り、負傷したキャットを逆行弾で打ちます。
高速道路で名もなき男を脅かす時も、名もなき男から見れば「3、2、1」とカウントダウンされているように見えますが、逆行セイターからすれば「1、2、3」と数えているわけですね。
逆行している途中でベンツからアウディに乗り換えるところがちょっとややこしい。

・キャット視点
キャットは逆行していないので、彼女自身の動きはシンプル。
しかし、劇中で描かれているときは逆行セイターと一緒なのでとても複雑に見えます。
劇中に描かれているのは「名もなき男」視点ですので。
彼女は順行セイターに蹴られた後、フリーポートから連れ出されますが、連れ出すのは逆行セイター。
つまりAudiに彼女が乗せられた時、セイターから見ればキャットを下ろしたということになります。
劇中でもチラッとそこが映りますが、ちょっと動きが不自然な感じがあるんですよね(順行主人公と逆行主人公の格闘シーンのような)。
同様にAudiから「名もなき男」と一緒に連れ去られるところは、セイター視点で言えば(逆行弾で回復した後の)キャットをAudiの乗せたというようになります。

ややこしい・・・。
一応整理できたような気がするので、もう一回見るか・・・。

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2020年9月21日 (月)

「TENET テネット」考えるな、感じろ

クリストファー・ノーランの最新作です。
時間の逆行を題材にするという話は聞いていたので、「メメント」「インセプション」「インターステラー」的な複雑な構造の作品かと思い、伏線などを見逃さないようかなり集中して鑑賞しました。
にもかかわらず、中盤くらいまでは劇中で起こっていることが理解できずにいました。
というのも、世界の時間全体が逆行するわけではなく、時間が順行する中に、逆行する人や物があるという状況がなぜ起こっているかがわからなかったからです。
途中まで話が進んだ時に、これは考えながら見てはいけない、とふと思いました。
なぜこういう状況になっているかという謎解きの部分を考えながら見ていると、そこが気になってストーリーから振り落とされると気づいたのです。
この作品はノーランが語る物語に身を任せて、見ていった方がいい。
まさに「考えるな、感じろ」です。
語りに身を任せて見てみると、ストーリーはそれほど複雑でないことに気づきます。
主人公である「名もなき男」も最初は全容がわからないままに、絡まった紐を解くかのように任務を進めていきます。
彼と同じように、訳がわからないままに物語を見ていけばいいのです。
ストーリーテリングはノーランにしてはとても親切なので(設定が複雑なためそのようにしたのか?)、ついていく事は難しくないと思います。
 
<ここからややネタバレ>
 
原題の「TENET」とは信条という意味ですが、文字の並びが怪文となっています。
回文とは頭から読んでも、後ろから読んでも同じように読めるという文章のことを言います。
まさにこの物語は回文の構造となっています。
時間の通常の過去から未来へという通常の流れと、逆の未来から過去へという流れが混在している様を描きます。
本作の中で時間を逆行させることができる装置として「回転ドア」が出てきます。
その「回転ドア」を中心にして時間の流れが逆行する。
「回転ドア」を回した時が特異点のようになります。
このような時間の中での特異点がいくつか物語の中で登場しますが(オスロの空港のシークエンスなど)、物語全体で見た時の時間の中での折り返し地点と現在の中間にある特異点が、クライマックスでのシベリアでの爆発になるのでしょう。
ここが全ての出来事の終わりとも言えますが、全ての出来事も始まりとも言えます。
主人公は日本のパンフレットでは「名もなき男」と書かれていますが、タイトルの英語では「protagonist」とあります。
「protagonist」」とは「主役」という意味であり、「主唱者」という意味でもあります。
まさに本作の冒頭ではただの駒、パーツとして扱われていた男こそが、この壮大な作戦を作り上げた「主役」であることが明らかになるのです。
「主唱者」でもある彼は「TENET(信条)」を唱える者でもあったわけです。
基本的には主人公たちの時間の流れ(順行)で物語は進みますが、彼らが見たり体験したことは逆行してきた者たちが引き起こしたことであることがわかります。
そうなると、この物語はあらかじめ決められた出来事を追っているということなのかもしれません(運命論的な)。
とはいえ、この物語は全てがうまくいったというバージョンのものかもしれず、彼らの作戦が失敗したという幾つもの他のバージョンがある(いわゆるマルチユニバース的な)見方もあるかもしれません。
最初に見るときは、あまり考えずに感じるままに見るのが正解で、見終わった後に考察して、その後もう一回見るのがいいのかもしれません。
映像に関しては文句なし。
これはどうやって撮っているのだ?と考える場面が所々にあります。
順行の者と逆行の者の格闘シーンなどもどうやって撮ったのかさっぱりわかりません。
クライマックスの戦闘シーンも全くどうやっているだか・・・。
ノーランの頭の中はどうなっているか一度見てみたい。

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2020年8月13日 (木)

「ドラえもん のび太の新恐竜」

「ドラえもん」という漫画は、絵を描くことや映像への興味、歴史や科学への好奇心という今の私を形作る重要なファクターとなっていると思う。
発売されるコミックは何度も何度も読み返したし、毎日放映されたアニメはテレビの前にカセットレコーダーを構えて全て録音をしていた。
その「ドラえもん」が映画になった時、ワクワクしながら見に行ったのを覚えている。
同時に連載をしていたコロコロコミックも毎月発売日を心待ちにしていた。
「のび太の恐竜」は長編であるだけに舞台も壮大で、かつドラマチックであった。
短編の「ドラえもん」しか知らなかった私にとって、「ドラえもん」の可能性が広がったのを感じたのを覚えている。
しかし、3、4作を見たあとは劇場版の「ドラえもん」を見に行くことがなくなった。
その頃はもう中学生となっていたから、「卒業」をしていたのだ。
しかし「のび太の恐竜」から40年の時を経て、私は再び「ドラえもん」の映画を見に行くことになった。
今度は4歳の娘と一緒である。
今回の「ドラえもん」の映画のテーマを 奇しくも一作目と同様に恐竜。
本作は川村元気さんによるオリジナル脚本ということだが、冒頭からの展開は「のび太の恐竜」と類似している。
のび太が育てるのはフタバスズキリュウのピー助ではなく、始祖鳥のように羽毛を持つ双子の恐竜キューとミュー(ピー助はちらりと本作にも登場します)。
4歳児の娘と見に行ったのだが、本作の尺は2時間弱、最後まで耐えられないだろうと思っていた。
昨年見に行った「アンパンマン」ではふらふらと席を離れてしまっていたから(「アンパンマン」の場合は OKなのだが)。
しかし、今回は基本的にしっかりと席に座り、最後まで映画を観賞してくれていた。
物語をきちんと理解する力がついているのだなと、子供の成長を実感した。
「のび太の恐竜」でもあった描写だが、のび太が育てた恐竜を白亜紀の仲間の群れに戻そうとする描写がある。
現代で育てられた恐竜はすぐには群れに馴染みにくい。
「のび太の恐竜」ではそこはわりとあっさりと描かれるのだが、本作では違う。
飛ぶことができず体が小さいキューは同じ種である恐竜たちに攻撃されてしまうのだ。
同族ではないと思われたのか、それとも異なる者は排斥されるのかは分からない。
うちの娘はこの場面で泣いていた。
他にも恐竜が襲ってくる場面があって怖がってはいたが、泣いてはいなかった。
この場面は他者と異なる者が、仲間外れにされる場面である。
泣いた理由を聞いたら、かわいそうだからと言っていた。
登場人物に共感できる優しい気持ちを持っていていい子に育っていると私は感激した。
この場面は本作が「のび太の恐竜」とは異なるオリジナル作品としても重要である。
現代ではダイバーシティの価値観が重要視されているが、なかなかそれが実践できているとは言い難い。
見かけが違う者、能力が違う者、価値観が異なる者が排斥されるのは日本に限らず世界各国で見られている。
異なる他者を受け入れることが大切であるのに、それがなかなかできない。
その異なることがもしかすると次のイノベーションにつながる可能性もあるかもしれないのに。
無様な動きで滑空ができなかったキューが、羽ばたきを覚え鳥への進化の道筋を作ったように。
そう考えるとこの作品のテーマはダイバーシティだと思う。
多様性こそがディープインパクトという世界を滅ぼすような出来事があっても、生物種は生き延びた。
異なる者を排斥することは、結果的に我々自体の生き延びる選択肢を狭めることにつながっているかもしれない。

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2020年6月20日 (土)

「ドクター・ドリトル」 ぜひ親子で鑑賞を

ロバート・ダウニーJr.がMCUを卒業して、次に選んだのはドクター・ドリトルです。
原作は世界中で愛されている有名な「ドリトル先生」シリーズ。
古典を選んできたところは意外ですが、彼は「シャーロック・ホームズ」でもシャーロックをそれまでとは違った新しいイメージで演じているという実績があります。
私は原作は未読なのですが、映画のドリトル先生もかなり原作のイメージとは違うようですね。
原作のドリトル先生は英国紳士として描かれているようですが、ロバートのドリトルはそれとはかなり外れたイメージで、ユーモアのある人物として描かれています。
シャーロックもトニー・スタークもそうでしたが、このユーモア感というのはロバート・ダウニーJr.らしいところなのかもしれません。
原作は子供向けの物語のイメージがあったので、本作も子供向けの作品だと思って見に行きました。
しかし、これも意外だったのですが、大人が見ても結構楽しめます。
もちろん子供も十分楽しめると思います。
ストーリー自体は複雑ではなく、わかりやすいですし、喋る動物たちとドリトル先生のやりとりも面白い。
子供たちが自身を投影しやすい助手のスタビンズ少年というキャラクターもいます。
前半の方から見せ所のアクションもあり、割といいタイミングで飽きさせないように盛り上がりを作っています。
それほど長い作品でもないので、子供も飽きずに最後まで楽しめるのではないでしょうか。
とはいえ、大人だと楽しめないかというとそうでもないと思いました。
もちろんストーリーはとてもシンプルなので、複雑な物語を好む方は合わないかもしれません。
ただ本作のドリトルは妻を亡くしてしまったため、人との接触を断ち、ずっと一人で暮らしてきた人物です。
ユーモアを絡めて話す彼ですが、その心の奥底は悲しみで満たされています。
それがあるきっかけで冒険に旅立つことになり、その旅路で動物たちやスタビンズ少年との交流の中で次第にその悲しみが癒されていきます。
誰でも大切な人を失って悲しみに暮れることはあるかと思います。
そこから立ち直っていくときのきっかけは、やはり周囲の家族や友人たちとのだったりするのですよね。
ですので、このお話は大人でもキャラクターに共感を持てるものになっていると思います。
本作は元々春休み映画で公開される予定でした。
親子で見に行くには絶好の作品だと思います。

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2020年3月14日 (土)

「チャーリーズ・エンジェル」(2020年) 女性の美しさとは

2000年、2003年とキャメロン・ディアス、ドリュー・バリモア、ルーシー・リュー主演、マックG監督で公開された「チャーリーズ・エンジェル」のリブート版です。
リブートと言っても、設定的にはそれらを受け継ぐ形となっており、写真でキャメロンたちの姿を見ることができます。
基本的にはスパイ美女たちが事件を解決していくというフォーマットはテレビシリーズ、マックG版と変わらないのですが、やはりディテールは現代的にアップデートされています。
元々テレビシリーズのエンジェルたちは、金髪グラマーというアメリカンな美女たちでしたが、マックG版で初めてアジア系がメンバーに入り、そして本作でもよりメンバーも多様性を広げています。
本作のエンジェルの一人サビーナを演じるのはクリスティン・スチュワートです。
私生活で彼女は女性と付き合っていることをオープンにしていますが、本作のサビーナも同性愛者であるという設定のようです。
本作の監督はエリザベス・バンクスで、本作では重要なキャラクターとしても出演もしています。
シリーズ初の女性監督ということですね。
「チャーリーズ・エンジェル」というシリーズは時代とともに変わっていく女性の立ち位置をキャッチアップして進化してきていると言えるでしょう。
テレビシリーズの頃は、女性に求められるものというのは表面的な美しさ、それもステレオタイプなパツキングラマーというものでした。
しかし2000年の映画では、個性が異なり、また見た目もかなり違う3人が主人公となり、それぞれの女性がそれぞれの美しさを持っているということをメッセージとして持ち始めたと思います。
それはプロデューサーでもあったドリュー・バリモアの考えであったのかもしれません。
それが本作ではその考えがさらに強まり、それぞれ女性の生き方は自分で決めていくことが、その人の生き方の美しさであるというメッセージになっていると思います。
サビーナは裕福な生まれであったようですが、その価値観故にドロップアウトしたようです。
またメンバーの一人ジェーンはMI6に属していましたが、その組織の冷徹さが受け入れられず、エンジェルになります。
そして事件の中心人物となるエレーナも属する組織の考え方に疑問を持ち、それと戦おうとします。
彼女たちは自分自身で考え、その考えに基づき自ら選び行動する。
表面的な美しさではない、生き方の美しさこそが女性の美しさだということなのかもしれません。
アクション映画としても見どころとしてはまずまず。
ストーリーも終盤で捻りも入りますので、退屈しません。
出演者はキャメロン・ディアスのような華やかさはちょっとないので、映画としてのゴージャスさはちょっと足りない感じはありますが、合格点だと思います。

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2019年11月23日 (土)

「ターミーネーター/ニューフェイト」 正統な続編ではあるが、越えてはいない

「ターミーネーター2」の正統な続編として宣伝されている本作。
「2」以降のこれまでのシリーズはなかったことにされているわけですが、それは今回に限ったわけではありません。
逆に言えば「2」が革新的であったため、その後の作品がそれを越えることができなかった歴史と言うこともできます。
果たして「正統な続編」である本作は「2」を越えることができたのでしょうか?
興行的には人は入っているようですが、私見では本作は偉大な「2」を越えることはやはりできなかったと思います。
と言うよりは、本作については様々な点で既視感があり、「2」を焼き直したように感じたのです。
「ターミネーター2」が革新的であったのは、成功した一作目をそのまま発展させるのではなく、思い切って新たな切り口を用意して提示したことによります。
一番のポイントは敵役であったアーノルド・シュワルツェネッガー演じるターミーネーターを一転して主人公たちの守護者として描いたことです。
公開当時、私はその展開にとても驚いたことを覚えています。
あまつさえ、そのターミネーターが死ぬ(あえてこう書きますが)シーンでは、泣けてきさえしたのです。
ターミネーターが死ぬシーンで涙を誘われるとは!
もちろん液体金属でできた新型ターミネーターのCGの描写にも驚かされました。
激しい攻撃にも頑丈さで不死身の強さを見せていた旧型ターミネーターに対し、柔軟さと変幻自在さで対抗するというのも発想の転換で面白かったです。
この作品はコンピューターグラフィックスの使い方でその後の作品に計り知れない影響を与えました。
続編に前作とは全く異なるアプローチをするのは、ジェームズ・キャメロンが「エイリアン2」でも見せていたところです。
今まで見たことのないSFホラーとして仕上げられ大ヒットした一作目を、SFミリタリーとし、さらにはリプリーをタフな女性ヒロインとして描きました。
これも予想外の展開でしたが、それゆえに革新的でした。
ジェームズ・キャメロンは「アバター」でも3Dといった新しい表現方法に挑むなど、常に革新的なアプローチをするクリエーターです。
今回は彼がプロデューサーに名を連ねているということで期待もあったのですが、しかしそれは期待通りにはいかなかったと感じました。
本作においての敵である新しいターミネーターは二つに分裂することができるという新しい能力を持っているとは言え、「2」でT-1000が登場したときの衝撃度には全く及びませんでした。
それは本作においてだけではなく、歴代の「ターミネーター」シリーズが越えられなかった点でもあります。
それだけ「ターミネーター2」のアイデアが秀逸であったことの証左でしょう。
未来から刺客が送り込まれ、また未来から来た戦士がそれを守るという構造も今までのシリーズと同様です。
「2」は前作で刺客であったT-800の役割を守護者とし、全く逆にしたところがアイデアとして優れていました。
その後のシュワルツェネッガーが演じるT-800は守護者となり、それは本作でも変わっていません。
そのため細かいディテールは変わっていたとしても、基本的には「ターミネーター2」と同じような物語に見えたのです。
 
<ここからネタバレ>
 
見る前にエドワード・ファーロングが出ているといった噂を聞いていて、本作を観始めた冒頭で、なるほどこれか、と驚きました。
さらにはその後の展開ではさらに驚きました(悪い意味で)。
「エイリアン3」を観たときのざわざわした気持ちになったのですよね。
あの映画でも「エイリアン2」でリプリーが必死な思いをして救った少女ニュートがいきなり死んだことにされていました。
本作でもそうです。
「エイリアン2」も「ターミネーター2」にも思い入れが強くあり、登場するキャラクターにも深い愛着を感じていたので、このような展開をされるとぞんざいに作品を扱われた感じをしてしまいます。
その時点で私の本作に対しての心象は悪くなったことは否定しません。
 
「ターミネーター2」と同じような話が繰り返された意味を深く解釈してみましょう。
「2」でサラ・コナーはジョンを守り抜くことにより、「審判の日」を回避することができました。
しかし本作では「審判の日」を迎えなかった未来からの刺客が別の人間を殺すためにやってくるのです。
ターミネーターを作ったのはスカイネットではなく、別の覚醒したAIでした。
つまりいくらターミネーターを作ったコンピューター(AI)を破壊したとしても、いずれ別のAIが覚醒し人類を滅ぼうそうとするということになるのではないかということです。
つまりニューフェイトとは、人類が進むであろう運命、それも悲劇の運命を表しているとも読めるかもしれません。
昨今AIの開発が進み、近い未来にシンギュラリティが訪れるとも言われています。
その時にコンピューターは人類をどう見るのか。
そういうことを考えると、「今」を掴んだテーマであるかもしれません。

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2019年8月23日 (金)

「ダンスウィズミー」 自分の解放

「ウォーターボーイズ」「スウィングガールズ」の矢口史靖監督の最新作です。
今回の題材はミュージカルです。
ミュージカル映画好きなんですよね。
自分では歌ったり踊ったりするのは苦手なのですが、なぜかミュージカル映画は好きなのです。
でも昔はあまり好きではありませんでした。
主人公の静香が劇中で言っているように、それまで普通に会話していた人たちが歌い出すっていうのに違和感を感じていたのです。
しかし、映画「シカゴ」を観たあたりから好きになって、ミュージカル映画が公開されると劇場に足を運んでしまうのです。
でもなんでミュージカル映画が好きになったのかが本作を観てわかりました。
静香は東京の洒落たマンションに住んでいて、大手の企業に就職できた勝ち組OLです。
仕事もできるらしい。
彼女は幼い頃の大失敗のトラウマからミュージカルが大嫌い。
にも関わらず、ふとしたことから催眠術にかかってしまい、歌を聴くと歌って踊ってしまうミュージカル体質になってしまいます。
仕事中でもデート中でも音楽が流れると踊ってしまう。
それは大層困りもの。
そのため彼女は自分に催眠術を解いてもらおうと催眠術師を探し出すために旅をすることになってしまいます。
彼女は音楽が流れると踊ってしまうという困った体質になってしまいますが、旅を続け、いろいろな人に関わり、歌って踊っているうちに、彼女の表情が次第にイキイキとしていくことに気づきます。
自分でも気づかなかった本当の自分に彼女自身が気づいていくような。
思えば歌うこと、踊ることというのは自己表現なのですね。
自分の娘も3歳になると、日々歌って踊っている。
何か自分の気分を表現したいという衝動があるような感じがします。
大人になるにつれ、恥ずかしさとかを覚えてそういうことはしなくなると思うのですが、歌と踊りには自分を解放するという作用があるのかもしれません。
自分がミュージカル映画が好きなのも、映画を観ている時は、自分も歌って踊っているような気分になれるからかもしれません。
確かにミュージカル映画を観た後は、気分がスッキリしているような気がします。
 
主人公静香を演じているのは子供の頃より子役で活躍している三吉彩花さん。
最近は雑誌のモデルなどをしていたようです。
すらりと背が高く、そして手足が長いので、ダンスをしている時の様子はとても映えますね。
実は彼女は子役の頃をちょっと知っていて、随分と大きくなってそして綺麗になっていて驚きました。
これからの活躍に期待です。

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