2021年4月18日 (日)

「21ブリッジ」 ボーズマンの遺作ではあるが、出来は平凡

昨年急逝した「ブラックパンサー」のチャドウィック・ボーズマンの最後の主演作です。
彼はこの作品の撮影中も闘病をしていたということですが、それを分かって見てみると、彼の姿も少しやつれているように見えます。
それでも劇中で逃亡犯を追いかけたりするところでは、すごい勢いで走ったりしていたので、撮影は大変だったのでないかと思いました。
とても魅力的な俳優でしたので、亡くなったのはとても残念です。
<ここからネタバレあり>
さて、作品自体の評価ですが、悪くはないが良くもないというような平凡なものであるかと思いました。
主要な登場人物としてJ・K・シモンズが演じる警察署長が出てきますが、彼が演じるといった時点で怪しさマックスです。
普通な警察署長であるわけがない。
J・K・シモンズには悪いですが・・・。
となると作品冒頭で起こった事件も裏があることは明白で、そこには警察の汚職があるというのも簡単に想像がつきます。
事件を追っている警察が組織を守るために、犯人を抹殺しようとするという展開は今までも数々の作品で見られました。
そのようなプロットを使ってはいけないというわけではありませんが、配役によってみえみえになってしまうのはいかがなものかなと。
最初から警察が怪しいことが分かってもいいという話の進め方もありますが、それにしてはその後の展開も平凡です。
ボーズマン演じる主人公は非常に中立的な存在で事件を追っていきますが、もう少し彼にドラマがあっても面白かったかもしれません。
冒頭の入り方では、そのようなドラマがあるかと思いましたが、その後は彼についてはあまり語られていませんでしたね。

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2021年4月17日 (土)

「騙し絵の牙」 編集力

現在の出版業会の状況が生々しく描かれていました。
出版不況と言われてずいぶんと経っています。
私が10数年前に雑誌広告の担当をしていた時にもすでに雑誌の発行部数は右肩下がりで、出版業界の先行きに不透明感が出てきていました。
その頃すでにアマゾンなどが進出して、本屋業界に逆風が吹いていました。
また「活字離れ」などと言われ、本を読まない人が増えているとも言われていました。
その後、欲しい情報はネットで手に入るようになってわざわざ雑誌を買わなくなったり、サブスクリプションサービスなどが出てきたりと、まさに出版業界は嵐の真っ只中です。
個人的には、本はデジタルよりは紙が好きで、読みたい本は必ず紙を買います。
また雑誌も好きなので結構買う方だと思うのですが、現在雑誌はどれも部数が減るばかりで苦労しているようです。
それでは雑誌というものが、全てネットの情報サイトのようなものに置き換わるかというとそうでもないかなと思っています。
個人の趣味を抜きに考えると、紙の雑誌がそのまま残り続けるかというとかなり厳しいと言わざるをえません。
では全くなくなってしまうかというと、そうではないと思います。
雑誌の価値は、そこに載っている情報そのものだけでなく、その情報をどのように編集してわかりやすい形で提供するかという「編集力」にあると考えているからです。
ネットには生の情報がたくさんありますが、あまりに情報がありすぎて、どれが自分にとって価値があるかを判断するのが難しい。
しかし、雑誌では編集者が情報をわかりやすく整理してくれているのですね。
ですので自分の感覚に合う雑誌があると、そこに載っている情報は自分にとって価値がある確率が高いわけです。
雑誌の価値は載っていう情報そのものよりは「編集力」にあると言っていいでしょう。
コンテンツ力と言っても良いかもしれません。
本作の劇中で「トリニティ」という雑誌の編集会議の場面があります。
編集者が色々なアイデアを出しているのですが、無難な提案を主人公である編集長速水がバッタバッタと却下していきます。
いつも通りの情報の提示では新しさがない。
その雑誌ならではの新鮮な切り口を提供する。
それが雑誌の持つ本当の力「編集力」だからです。
この「編集力」、情報を整理し理解しやすいように提示するということですが、別の言い方をすると編集側のストーリーに誘導しているとも言えます。
同じような事実からででも書き手によって全く違うように受け取れるようになる、これは発進する側のストーリーラインが異なるからです。
主人公速水は一級の編集者であり、だからこそ彼が描くストーリーラインに人を巻き込み、そのように行動させてしまうという手管を持っているとも言えます。
本作に登場する人物たちは表面に見えている顔と、その裏にある本当の自分の狙いの両方を持っている人たちが多い。
彼ら表も裏も速水に読まれて、いいように操られていく。
これは見ていても爽快なところです。
しかし、その速水すらも最後には出し抜かれてしまう。
ここもまた爽快です。
編集者の仕事の本質をしっかり描きながら、それを題材にして二転三転のミステリーに仕立てているこの作品、見応えありました。
原作者は「罪の声」の塩田武士さん。
「罪の声」の映画も面白かったので、この作家に興味が出てきました。
今度読んでみようかな。
紙の本で。

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2021年3月17日 (水)

「太陽は動かない」 アクションサスペンスとしてしっかりできている、が・・・

藤原竜也さん、竹内涼真さんというホリプロの二枚看板によるアクションサスペンス。
二人が演じる産業スパイが所属するのは、AN通信という謎の組織で、彼らは心臓にチップを埋め込まれており、24時間毎の定時連絡が途切れるとそれが爆発してしまうのだ。
ある技術を巡り、彼らと別の産業スパイ、そして中国の企業が互いに騙し合い、裏をかき、戦いながら秘密情報を奪取しようとする。
彼らは香港、ロシア、ブルガリアなど世界各国を股にかけ、情報を奪い合う。
海外ロケをしっかりと行ったことによる映像のグローバル感、チップに埋め込まれた爆弾というタイムリミットサスペンスの要素、敵味方が目まぐるしく変わるストーリー、主人公鷹野の過去のエピソードなどスパイ映画として盛り上げる要素はしっかりと埋め込まれています。
メガホンを取るのは「海猿」「MOZU」など数々のアクション映画を撮っている羽住英一郎監督です。
一流の俳優・スタッフ、その他の物語の要素としてもアクションサスペンスとしてしっかりと作られており、本作は面白くない訳ではありません。
劇場で一度見ていて、つまらないとは思いませんでした。
ただ記憶に残っていく作品かというと、そうとはなかなか言えません。
邦画としては頑張っている、という印象でしょうか。
10数年前だったらもっと満足できたのかもしれません。
世界のアクションサスペンスのレベルはもっと上の方に行ってしまっている気がします。
公開が延期されていますが長年シリーズとして続いている「007」は、新たなボンド像を築き、時代に合わせたアップデートに成功しています。
「M:I」はアクションシーンに貪欲に今まで見たことがないものを目指しています。
「TENET」はアクションサスペンスを超えた衝撃を与えました。
こういう進化を観客である我々は目にしているで、確実に舌が肥えてきてしまっているのだと思います。
本作は決して面白くない訳ではなく、脚本なりアクションシーンなりは非常に頑張っていて見ていて面白くない訳ではありません。
しかし、新しい驚きがあったかというとそういうことはありません。
スパイアクションサスペンスのとして構築はされているとは思いますが、そこの枠組みから超えてはいないように思うのです。
その点がなかなか満たされない印象に繋がってしまったのかもしれません。
なかなか邦画では難しいのですけれどね・・・。
こちらの作品はWOWOWの方でも前日譚が放送されたとか(見てはいませんが)。
もしかするとそういう連続シリーズの方が向いているかもしれません。

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2020年12月 6日 (日)

「STAND BY ME ドラえもん 2」 ドラ泣きではなかったが、ジーン

2014年に公開された初の「ドラえもん」3DCG映画「STAND BY ME ドラえもん」の続編です。
前回の宣伝コピーは「ドラ泣き」でしたが、そのコピーの期待を裏切らず泣かせてもらいました。
ドラえもんの数あるエピソードの中でも泣ける回を複数構成したものでしたので、泣かないわけにはありません。
さて今回の2作目ですが、前作の後日談(のび太としずかちゃんの結婚式を描く)を中心にしつつ、その他原作の中のジンとくるエピソードを組み合わせた構造となっています。
前作ほどに「泣けた」かというとそうではありませんが、ノスタルジックな気持ちにはなりました。
のび太が自身の結婚式を前に不安になり、自分が生まれてから生きてきた人生を振り返るという構成になっています。
自分が生まれてきたことがいかに家族にとってかけがえのない事であったか、自分自身が存在する意味を気づくという事ですね。
1作目を見た時はまだ独身で、本作が公開された今は自分にも家族もでき子供もいます。
子供はまだ幼く、わがまま放題で叱ったりすることもありますが、それでもかけがえの無い存在であることはのび太のお父さん・お母さんと同じです。
そういえばこの間に父も亡くなったのでした。
生まれたばかりの孫を父がとても可愛がっていたのを思い出します。
いつか自分の子もそのような気持ちであることに気づいてくれるといいなと思いました。
自分もそうですが、そういうのに気づくのは子供ができてからだったりするのですけれどね・・・。
子供よりもいい大人が見て、改めて気づくという作品であったと思います。

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2020年11月19日 (木)

「ドクター・デスの遺産-BLACK FILE-」 真犯人の正体は?

終盤のどんでん返しでちょっと驚きました。
が、エンドロールの原作者に中山七里さんの名前を見つけて、納得しました。
さすが「どんでん返しの帝王」です。
中山七里さんの作品は大好きで何作も読んでいるのですが、多作な方なので全然読むのが追いつきません。
どれも仕掛けがあって読んでいて驚くことが多いです。
本作の原作については未読でした。
最近は小説を原作として映画化することも多いのですが、根本的に違うところがあります。
当たり前ですが、それは映像です。
小説で登場する人物の姿は読者が頭の中に想像するだけですので、実際に見ることはできません。
叙述ミステリーなどはそのことを上手に使ったものも多いですよね。
原作のミステリー小説がテキスト媒体であることの特性を用いた仕掛けをしているものであると、その映像化は難度が上がります。
映像ですから、見るだけでわかってしまいますからね。
本作も誰が真犯人であるか、がどんでん返しのポイントです。
実は真犯人はかなり早いタイミングで登場しているのですが、「気配」を感じさせません。
映画の場合は、真犯人には名が売れたキャストを当てることが多いですが、そのこと自体が観客に「あの人物が怪しい」と疑わせることが起こります(あえて無名のキャストを当てるということもありますが)。
これはある種の映像作品の制約とも言えるでしょう。
本作でも真犯人は有名な方が演じているのですが、初めに登場するときは全く有名俳優であることのオーラを消し去っていることに驚きました。
正直、無名の方が平凡な役を演じているだけのように見ていたわけですが、後々にその人物が真犯人だと分かったときに、「え、あの人だったの?」とびっくりしました。
特殊メイクをしているとかそういうわけではなく、メイクと衣装と演技のみであれだけ有名俳優のオーラを消せるということ自体が凄いことだと思いました。
その方の名前は公式サイトなどでも紹介されていないので、制作サイドは小説と映画のメディアの差を十分意識して作っていたことがわかります。
映画のテーマは安楽死。
これは非常に重いテーマで、すぐに答えが出るものではなく、見ていて辛いところもありました。
特に主人公とその娘に真犯人が迫ってくる(それもその犯人らしい心理的な攻め口で)ところは苦しい感じさえしました。
自分にも娘がいるからかもしれませんが。
ほんとに真犯人が怖いのですよ・・・。

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2020年11月 8日 (日)

「罪の声」大人のエゴ

時効となったグリコ・森永事件をモチーフとした原作小説の映画化作品です。
この事件の当時はすでに高校生くらいだったので覚えてはいますが、脅迫に子供の声が使われていたのは忘れていました。
結局犯人は誰だったかというところも気になりますが、確かに脅迫に使われていた子供は今、何をしているのか、謎ですよね。
本作ではグリコ・森永事件に関して今までいくつかあった事件の仮説を複合したような形で、架空の事件であるギン萬事件の犯人グループに迫っています。
その中で、脅迫に使われた子供たちの現在も描きます。
主人公の一人は脅迫に使われた声の本人である曽根俊也。
彼は偶然、古いテープを発見し、それを再生したところ自分の子ででギン萬事件の脅迫文が録音されていたことに気がつきます。
誰が自分の声を録音したのか、自分はどう事件に関わったのか、彼は独自に調査を始めます。
もう一人の主人公は阿久津英士。
彼は大日新聞の記者であり、時効になったギン萬事件の再取材を命じられます。
彼らが事件を掘り起こす中で、次第に俊也の他にも声を使われた子供たちの存在が明らかになっていきます。
また犯人グループたちの姿も。
最終的に彼らは事件の首謀者たちに迫ることができ、直接彼らから話を聞き出すことに成功します。
これについてはネタバレになるので、こちらでは書きません。
ただし触れたいのは、大人たちのエゴにより、人生を滅茶苦茶にされた子供たちの存在です。
主人公である俊也はたまたま何も知らずに幸せな人生を生きてくることができました。
けれども事件に人生を翻弄された子供たちもいたのです。
大人たちは自分たちがやってきたことはちゃんとした理由があると言います。
世の中を変えたかった、既得権益層に一矢報いたかったなど。
けれども子供たちにはそんなことは一切関係がありません。
大人が自分の責任で自分の主義主張を通すのはまだわかる(事件を起こし、被害を出すのはもってのほかですが)。
ただそれに無関係の子供たちを巻き込むのは許しがたい。
大人は失敗しても自分としてはやり切ったという気持ちはあったかもしれません。
そんなことも子供には関係がありません。
大人のエゴが子供の人生に影響を与える。
自分も子の親ですから、ちょっといろいろ考えることがありました。
こんなふうに育ってもらいたいという親としての理想もあったり、自分の都合で子供にいろいろ言ったりすることもあります。
けれど、子供には子供が生きたいように生きる権利があります。
親の無理強い、エゴの押し付けなどをするのもあまり良くないなとも感じました。
本作で描かれている大人とエゴとその結果の子供の人生というのは極端な例ではありますが、少なからずどの家にもあることかもしれないとは感じました。

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2020年9月28日 (月)

「TENET」 カーチェイスシーン解説

「Tenet」の2回目を見てきました。
2回目の鑑賞で全体の構造はよく分かったのですが、やっぱりわかりにくかったのはカーチェイスシーンの部分です。
このシークエンスは登場人物が順行の人、逆行の人が入り乱れるで、とてもわかりにくい・・・。
見てただけじゃわからなかったので、図式化して整理してみました。
それぞれの登場人物の矢印がその人にとっての時間の流れです。
図の上から下への流れが世界の時間の流れ(順行)ですね。
たぶん、これで合っているはず・・・。

<図はクリックすると大きくなります>

Tenet_20200928232301
・「名もなき男」視点
 基本的に映画の中で語られている順の通りに進みます。

・セイター視点
こうやって図式化してみると、このシークエンスで登場するセイターはほぼ逆行しているんですよね。
逆行を知り尽くしている彼は、逆行している自分が順行者からどう見えるかが分かっています。
キャットを撃つときも弾丸が発射された後の拳銃を取り、負傷したキャットを逆行弾で打ちます。
高速道路で名もなき男を脅かす時も、名もなき男から見れば「3、2、1」とカウントダウンされているように見えますが、逆行セイターからすれば「1、2、3」と数えているわけですね。
逆行している途中でベンツからアウディに乗り換えるところがちょっとややこしい。

・キャット視点
キャットは逆行していないので、彼女自身の動きはシンプル。
しかし、劇中で描かれているときは逆行セイターと一緒なのでとても複雑に見えます。
劇中に描かれているのは「名もなき男」視点ですので。
彼女は順行セイターに蹴られた後、フリーポートから連れ出されますが、連れ出すのは逆行セイター。
つまりAudiに彼女が乗せられた時、セイターから見ればキャットを下ろしたということになります。
劇中でもチラッとそこが映りますが、ちょっと動きが不自然な感じがあるんですよね(順行主人公と逆行主人公の格闘シーンのような)。
同様にAudiから「名もなき男」と一緒に連れ去られるところは、セイター視点で言えば(逆行弾で回復した後の)キャットをAudiの乗せたというようになります。

ややこしい・・・。
一応整理できたような気がするので、もう一回見るか・・・。

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2020年9月21日 (月)

「TENET テネット」考えるな、感じろ

クリストファー・ノーランの最新作です。
時間の逆行を題材にするという話は聞いていたので、「メメント」「インセプション」「インターステラー」的な複雑な構造の作品かと思い、伏線などを見逃さないようかなり集中して鑑賞しました。
にもかかわらず、中盤くらいまでは劇中で起こっていることが理解できずにいました。
というのも、世界の時間全体が逆行するわけではなく、時間が順行する中に、逆行する人や物があるという状況がなぜ起こっているかがわからなかったからです。
途中まで話が進んだ時に、これは考えながら見てはいけない、とふと思いました。
なぜこういう状況になっているかという謎解きの部分を考えながら見ていると、そこが気になってストーリーから振り落とされると気づいたのです。
この作品はノーランが語る物語に身を任せて、見ていった方がいい。
まさに「考えるな、感じろ」です。
語りに身を任せて見てみると、ストーリーはそれほど複雑でないことに気づきます。
主人公である「名もなき男」も最初は全容がわからないままに、絡まった紐を解くかのように任務を進めていきます。
彼と同じように、訳がわからないままに物語を見ていけばいいのです。
ストーリーテリングはノーランにしてはとても親切なので(設定が複雑なためそのようにしたのか?)、ついていく事は難しくないと思います。
 
<ここからややネタバレ>
 
原題の「TENET」とは信条という意味ですが、文字の並びが怪文となっています。
回文とは頭から読んでも、後ろから読んでも同じように読めるという文章のことを言います。
まさにこの物語は回文の構造となっています。
時間の通常の過去から未来へという通常の流れと、逆の未来から過去へという流れが混在している様を描きます。
本作の中で時間を逆行させることができる装置として「回転ドア」が出てきます。
その「回転ドア」を中心にして時間の流れが逆行する。
「回転ドア」を回した時が特異点のようになります。
このような時間の中での特異点がいくつか物語の中で登場しますが(オスロの空港のシークエンスなど)、物語全体で見た時の時間の中での折り返し地点と現在の中間にある特異点が、クライマックスでのシベリアでの爆発になるのでしょう。
ここが全ての出来事の終わりとも言えますが、全ての出来事も始まりとも言えます。
主人公は日本のパンフレットでは「名もなき男」と書かれていますが、タイトルの英語では「protagonist」とあります。
「protagonist」」とは「主役」という意味であり、「主唱者」という意味でもあります。
まさに本作の冒頭ではただの駒、パーツとして扱われていた男こそが、この壮大な作戦を作り上げた「主役」であることが明らかになるのです。
「主唱者」でもある彼は「TENET(信条)」を唱える者でもあったわけです。
基本的には主人公たちの時間の流れ(順行)で物語は進みますが、彼らが見たり体験したことは逆行してきた者たちが引き起こしたことであることがわかります。
そうなると、この物語はあらかじめ決められた出来事を追っているということなのかもしれません(運命論的な)。
とはいえ、この物語は全てがうまくいったというバージョンのものかもしれず、彼らの作戦が失敗したという幾つもの他のバージョンがある(いわゆるマルチユニバース的な)見方もあるかもしれません。
最初に見るときは、あまり考えずに感じるままに見るのが正解で、見終わった後に考察して、その後もう一回見るのがいいのかもしれません。
映像に関しては文句なし。
これはどうやって撮っているのだ?と考える場面が所々にあります。
順行の者と逆行の者の格闘シーンなどもどうやって撮ったのかさっぱりわかりません。
クライマックスの戦闘シーンも全くどうやっているだか・・・。
ノーランの頭の中はどうなっているか一度見てみたい。

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2020年8月13日 (木)

「ドラえもん のび太の新恐竜」

「ドラえもん」という漫画は、絵を描くことや映像への興味、歴史や科学への好奇心という今の私を形作る重要なファクターとなっていると思う。
発売されるコミックは何度も何度も読み返したし、毎日放映されたアニメはテレビの前にカセットレコーダーを構えて全て録音をしていた。
その「ドラえもん」が映画になった時、ワクワクしながら見に行ったのを覚えている。
同時に連載をしていたコロコロコミックも毎月発売日を心待ちにしていた。
「のび太の恐竜」は長編であるだけに舞台も壮大で、かつドラマチックであった。
短編の「ドラえもん」しか知らなかった私にとって、「ドラえもん」の可能性が広がったのを感じたのを覚えている。
しかし、3、4作を見たあとは劇場版の「ドラえもん」を見に行くことがなくなった。
その頃はもう中学生となっていたから、「卒業」をしていたのだ。
しかし「のび太の恐竜」から40年の時を経て、私は再び「ドラえもん」の映画を見に行くことになった。
今度は4歳の娘と一緒である。
今回の「ドラえもん」の映画のテーマを 奇しくも一作目と同様に恐竜。
本作は川村元気さんによるオリジナル脚本ということだが、冒頭からの展開は「のび太の恐竜」と類似している。
のび太が育てるのはフタバスズキリュウのピー助ではなく、始祖鳥のように羽毛を持つ双子の恐竜キューとミュー(ピー助はちらりと本作にも登場します)。
4歳児の娘と見に行ったのだが、本作の尺は2時間弱、最後まで耐えられないだろうと思っていた。
昨年見に行った「アンパンマン」ではふらふらと席を離れてしまっていたから(「アンパンマン」の場合は OKなのだが)。
しかし、今回は基本的にしっかりと席に座り、最後まで映画を観賞してくれていた。
物語をきちんと理解する力がついているのだなと、子供の成長を実感した。
「のび太の恐竜」でもあった描写だが、のび太が育てた恐竜を白亜紀の仲間の群れに戻そうとする描写がある。
現代で育てられた恐竜はすぐには群れに馴染みにくい。
「のび太の恐竜」ではそこはわりとあっさりと描かれるのだが、本作では違う。
飛ぶことができず体が小さいキューは同じ種である恐竜たちに攻撃されてしまうのだ。
同族ではないと思われたのか、それとも異なる者は排斥されるのかは分からない。
うちの娘はこの場面で泣いていた。
他にも恐竜が襲ってくる場面があって怖がってはいたが、泣いてはいなかった。
この場面は他者と異なる者が、仲間外れにされる場面である。
泣いた理由を聞いたら、かわいそうだからと言っていた。
登場人物に共感できる優しい気持ちを持っていていい子に育っていると私は感激した。
この場面は本作が「のび太の恐竜」とは異なるオリジナル作品としても重要である。
現代ではダイバーシティの価値観が重要視されているが、なかなかそれが実践できているとは言い難い。
見かけが違う者、能力が違う者、価値観が異なる者が排斥されるのは日本に限らず世界各国で見られている。
異なる他者を受け入れることが大切であるのに、それがなかなかできない。
その異なることがもしかすると次のイノベーションにつながる可能性もあるかもしれないのに。
無様な動きで滑空ができなかったキューが、羽ばたきを覚え鳥への進化の道筋を作ったように。
そう考えるとこの作品のテーマはダイバーシティだと思う。
多様性こそがディープインパクトという世界を滅ぼすような出来事があっても、生物種は生き延びた。
異なる者を排斥することは、結果的に我々自体の生き延びる選択肢を狭めることにつながっているかもしれない。

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2020年6月20日 (土)

「ドクター・ドリトル」 ぜひ親子で鑑賞を

ロバート・ダウニーJr.がMCUを卒業して、次に選んだのはドクター・ドリトルです。
原作は世界中で愛されている有名な「ドリトル先生」シリーズ。
古典を選んできたところは意外ですが、彼は「シャーロック・ホームズ」でもシャーロックをそれまでとは違った新しいイメージで演じているという実績があります。
私は原作は未読なのですが、映画のドリトル先生もかなり原作のイメージとは違うようですね。
原作のドリトル先生は英国紳士として描かれているようですが、ロバートのドリトルはそれとはかなり外れたイメージで、ユーモアのある人物として描かれています。
シャーロックもトニー・スタークもそうでしたが、このユーモア感というのはロバート・ダウニーJr.らしいところなのかもしれません。
原作は子供向けの物語のイメージがあったので、本作も子供向けの作品だと思って見に行きました。
しかし、これも意外だったのですが、大人が見ても結構楽しめます。
もちろん子供も十分楽しめると思います。
ストーリー自体は複雑ではなく、わかりやすいですし、喋る動物たちとドリトル先生のやりとりも面白い。
子供たちが自身を投影しやすい助手のスタビンズ少年というキャラクターもいます。
前半の方から見せ所のアクションもあり、割といいタイミングで飽きさせないように盛り上がりを作っています。
それほど長い作品でもないので、子供も飽きずに最後まで楽しめるのではないでしょうか。
とはいえ、大人だと楽しめないかというとそうでもないと思いました。
もちろんストーリーはとてもシンプルなので、複雑な物語を好む方は合わないかもしれません。
ただ本作のドリトルは妻を亡くしてしまったため、人との接触を断ち、ずっと一人で暮らしてきた人物です。
ユーモアを絡めて話す彼ですが、その心の奥底は悲しみで満たされています。
それがあるきっかけで冒険に旅立つことになり、その旅路で動物たちやスタビンズ少年との交流の中で次第にその悲しみが癒されていきます。
誰でも大切な人を失って悲しみに暮れることはあるかと思います。
そこから立ち直っていくときのきっかけは、やはり周囲の家族や友人たちとのだったりするのですよね。
ですので、このお話は大人でもキャラクターに共感を持てるものになっていると思います。
本作は元々春休み映画で公開される予定でした。
親子で見に行くには絶好の作品だと思います。

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