2018年3月30日 (金)

「ちはやふる –結び–」 一瞬を永遠に

「上の句」「下の句」ともに好きな作品で、2作見終わってから彼らのその後が見たいと思っていたところでした。
確か映画を公開中に続編を作ることが発表され、公開されるのを心待ちにしてい作品でした。
監督も変わらずなので、前作の良さをそのまま引き継いでいる作品になっており、また題材が百人一首であることを踏まえた良いまとめになっていたと思います。
特に今回印象的であったキャラクターが競技かるたの最高峰にいる周防名人ですね。
比較的熱い思いを持ったキャラクターが多い中で、一人冷静でかつ前向きではない人物で非常に印象に残りました。
彼が異質感を持っているというところもありますが、競技かるたのど真ん中にいるにも関わらず、一人離れた位置に立っているとも言える立ち位置みたいなものからくるのかもしれません。
離れた位置に立っているからこそ、物事の真理が見えているのか、彼が話す言葉には非常に重みがありました。
彼が並外れた「感じ」を持っているのは、特異な超能力のようなものではなく、皆が同じように聞いている音の本質を何もフィルターにかけずに聞いているからなのですね。
人は先入観や思い込みなどで、自然にリミッターをかけて、音を峻別してしまう。
そのリミッターを外してしまえば、音の本質が、そのものが聞こえてくる。
これは音に限った話ではないのでしょう。
自分の能力、自分の未来、いろいろなものに自分でリミッターをかけてしまっている。
そのリミッターやフィルターを外せば、一瞬の時も永遠になる。
限界がなくなる。
それは百人一首そのものが示しているのでしょう。
一千年も前の人の詠んだ歌で、今でもその当時の人々の気持ちがそこにあるように思える。
一瞬が永遠になっている。
これは限界がなくなったということなのですよね。
太一は自分の能力の限界をずっと気にしていました。
彼は勉強もスポーツも万能な男ですが、かるたにおいては天才的な新や千早には叶わないとずっと考えていました。
だから彼らの中に本当に入っていけない苦しさを持っていたのですよね。
しかし、それは彼が彼で設定していたリミッターでした。
彼は周防の言葉によって、自分が設定していたリミッターを外すことができました。
また千早はどちらかというと一瞬に生きていた女の子だったかもしれません。
その時、かるたをやっている瞬間が楽しい。
そのために頑張っている。
しかしその自分の一瞬のために人々が力を貸してくれたことに気づいた。
東京予選で負けそうになった時、その一瞬がなくなることに彼女は愕然としました。
しかし仲間の頑張りによって、その一瞬が続くことができるのだと知りました。
彼女は素晴らしい一瞬を永遠につなぐために、頑張ろうと思うようになったのです。
ラストで彼女がやがて先生となり、後輩たちを指導する立場になり、かるたを引き継いでいこうとしていることが示唆されます。
これは良いラストだなと思いました。
限界を取り払い、一瞬を永遠にする。
それだけの可能性を人は持っている。
ただの青春映画ではないメッセージを持っている気がしました。

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2018年1月27日 (土)

「デトロイト」 疑心暗鬼の戦場

「ハート・ロッカー」「ゼロ・ダーク・サーティ」といった非常に硬派な作品を作っている女性監督キャスリン・ビグローの最新作です。
今回の作品のベースとなった出来事は今から40数年前のデトロイトで起こりました。
警察の取り締まりから端を発した小競り合いから、一部の市民が暴徒化し、やがて大規模な暴動となったのです。
州政府は事態を収拾するために、州警察や州兵なども投入し、まさにデトロイトは戦場のようになったということです。
本作の後半は、デトロイトのモーテルで白人警官が黒人を射殺した事件を中心に扱っています。
今も(というより最近はまた分断が顕在化している)アメリカで問題となっている、人種差別をテーマとしているとも言えるのですが、この記事ではそこは語りません。
今回は監督キャスリン・ビグローについて書きたいと思います。
本作も入れた直近の3作はいずれも政治色の強い作品となっています。
とはいえ、何が正しいかということを言っている作品ではありません。
人々の価値観や主義主張の違い、そしてその違いによる疑心暗鬼が噴出するのが、戦場であるとするならば、いずれの作品も戦場をテーマにしています。
彼女の作品はどの作品も半端なく緊張感があります。
本作も長尺で140分以上もあるのですが、長いにもかかわらず、ずっと高い緊張感で作品を見続けることになります(なので、終わるとどっと疲れます)。
その緊張感というのは、なにがどうなっていくかわからないという不安と緊張なのかなと感じました。
まさに疑心暗鬼ということですね。
「ハート・ロッカー」にしてもいつどこで爆弾が爆発するかもしれないという緊張感。
「ゼロ・ダーク・サーティ」はアメリカが対するのは今まで相手をしていたとは異なるアルカイダというゲリラ。
今までのやり方が通用しないという緊張感があります。
そして本作「デトロイト 」ですが、この作品においては登場人物たちが白人も黒人も相手が何を考えているかわからないという緊張感の中でひと夜を過ごしています。
白人警官も差別主義者であり、暴力的であったわけですが、逆に多くの黒人たちが自分たちに逆らってきたらどうしようもないという恐怖感があったのではないかと感じます。
だから暴力に訴えてしまう。
黒人からすれば、暴力的に振る舞う白人の心に恐怖があるとは想像できません。
暴力を振るわれる自分たちがそう感じることがあっても、相手もそう思っているとはわかりませんよね。
これは今もなおアメリカで続いてることであるかと思います。
疑心暗鬼で作られた戦場。
そして戦争のテンションの中では、さらに疑心暗鬼が深まっていく。
アメリカだけでなく、まさに世界中で同じことが進んでいるような気もします。

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2018年1月 5日 (金)

「DESTINY 鎌倉ものがたり」 いつも一緒にいるからこそ

2018年の最初の鑑賞はこちら、「DESTINY 鎌倉ものがたり」です。
山崎貴さんの作品ですが、私は実は「ALLWAYS」を観ていなかったりするので、予告でもあまり食指が動きませんでした。
ただ今日はたまたま時間があったので、こちらの作品を観たのですが、想像していたのとは違って良かったです。
予告を観た感じだと、山崎監督らしくCGをふんだんに使って、ファンタジー色が強いのかなと思ったのですが、しっかりと夫婦の物語になっていました。
夫婦というのは好きあって結婚するわけですが、一緒に暮らしていると付き合っているときは見えなかった不満などが色々と出てくるわけで、いつまでもラブラブというわけにはいかないものですよね。
そういう不満や、もちろん愛情もあって一緒に暮らしていく中で、こなれた夫婦になっていくと思うのですが、日々だと細かい不満が出てくるものです。
かくいう私もそういうときはありますね。
主人公の夫婦の妻、亜希子が夫正和に彼の両親のことを聞こうとする場面があります。
正和にとっては触れられたくないことであったので、温厚な彼にしては珍しく妻に強い言い方をして拒絶してしまいます。
それにびっくりした亜希子はちょっと泣いて、軽く喧嘩のようになってしまう場面があります。
私も似たようなことはあり、言ってしまった後の相手の反応に、強く言い過ぎたなと思うときもありますね。
別に嫌いだからそう言ったわけではないのですけれど。
逆に強い言い方をされて、驚くこともあります。
夫婦だからずっと一緒にいるので日々の細かい不満などにばかり目が行きがちで、互いにイライラするときもあります。
本作を観て、それでもベースとしては互いに愛情があるのだよね、ということを改めて考えさせられる感じがしました。
いつも一緒にいるからそれが当たり前になって、そのこと自体に甘えてしまっているところがあります。
けれど突然相手がいなくなってしまうとしたら・・・。
そう考えたら、泣けてきました。
正和の担当編集者の本田のエピソードにもグッとくるところありますよね。
自分が突然死ぬことになったら、妻や子供のことが心配で心配でならない、リアルにそう感じました。
映画を見て、自分としてもちょっと反省するところもあり、日頃から相手に対してちゃんと感謝の気持ちをいうのが大事だなと思いました。

脚本的にも良くできていたと思います。
最初の方が鎌倉らしい不思議なエピソードの積み重ねなのですが、実はそこここにラストの正和の妻を救う大冒険に繋がる伏線が引いてあったんですよね。
あともちろん山崎監督なので、CGや特殊メイクなども効果的に使われていました。
CGだけでなくて、特殊メイクなどから感じるアナログ感もよかったです。
ちょっと昔の昭和な雰囲気にアナログ感が効果的であったように感じました。

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2017年12月24日 (日)

「探偵はBARにいる3」 男は女を理解できない

最近の邦画では珍しく作り続けられているシリーズですね。
和風なテイストではありますが、ハードボイルドな物語であることも昨今の中では珍しい。
本作の「探偵」のようなハードボイルドな男は最近ではあまり見かけませんが、だからこそこういう生き方もカッコいいと思ってしまいます。
ハードボイルドだけなのではなくて、それを押し切れない情けなさみたいなところに共感性もあったりします。
ススキノにあるバー「ケラー・オオハタ」にたむろする「探偵」のところに謎の美女からの依頼がやってくるというのが、このシリーズの基本的なフォーマット。
女は悪女なのか、それとも聖女なのか?
女というものはその間を自由に行き来することするから、男は翻弄されますよね。
男というのは不器用なもので、ハードボイルドな生き方しかできないといったように、自分のスタイルというものにかえって縛られてしまうものです。
だから女のことを理解することはできない。
この作品でも「探偵」は女に翻弄されます。
過去、自分が言ったことで生き方を変えた女に。
ハードボイルドなだけに女に振り回されてしまう「探偵」に少なからず、男は共感してしまうものですよね。
今後もこのフォーマットを守っていけばいくらでも話を作っていけそう。
あとはコンビを組む高田くん。
予告では彼と「探偵」のコンビが解消されてしまうような感じが漂っていましたが、やはりそういうことはなく。
やはり高田と「探偵」は無二のバディですよね。
このバディというのも一つの大事なフォーマットです。
フォーマットを大事にしながらも、新しい事件が巻き起こっていく。
これがこのシリーズが続いていくコツなのでしょうね。
以前のシリーズに登場した人物もさりげなく絡んでくるところもシリーズの魅力となっています。
今後もこのシリーズには期待していきたいと思います。

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2017年9月23日 (土)

「ダンケルク」 英雄と卑怯者

クリストファー・ノーランの作品にしては短い!
とは言いながら今回の作品は時間に追われるタイムサスペンス的な色合いも強いので、長くすることを良しとしなかったのでしょうね。
また本作はノーラン初の戦争実話ものなのですが、ただの戦争映画とならず彼らしさも感じられます。
この映画は大きく3つの場面を描きますが、それぞれのシーンの時間の進み方が微妙にずれています。
起きる出来事がそれぞれの場面でリンクしているのですが、同じ事象を映画上の同じ時間に別の場面からの視点で出すということはあまりないので、一瞬戸惑いますね。
映画の時間の進み方の中では、同じ出来事が行ったり来たりしているように見えるということです。
そこさえ慣れてしまえば、最近のノーラン作品よりは見やすいものになっていると思います。

本作には様々な人物が登場します。
描かれているダンケルクという街は、第二次世界大戦中、ドイツ軍に包囲された英仏連合軍が大脱出作戦を行うところです。
刻々と狭まるドイツ軍の包囲網。
そういった状況の中での様々な人々の行動を描きます。
ただただ自分が生き延びるために行動する者。
人々の命を救うために自分の命を投げ出そうとする者。
強き者。
弱き者。
強いからといって、人のために戦う人ばかりではない。
弱いからといって、逃げる人ばかりではない。
高地連隊という戦いの猛者でありながら、生き延びるためによそ者を蹴落とそうとする者。
その時の状況に合わせて機転を利かせて、生き延びようとする者。
か細い少年でありながら、誰かの役に立ち、尊敬されるような男になりたいと考えている者。
屈強の空の戦士であり、兵士たちを救うために一機で戦いを挑む者。
戦争という究極の状況の中、人々は英雄的行動をとったり、卑怯者的な行動をとったりします。
それぞれの心の中で葛藤があり、ちょっとした振れ幅で英雄となったり、卑怯者になったりします。
そしてその振れ幅は彼らのその後の人生に大きく影響を与えることとなるのです。
この映画では「その後」は描かれませんが、そうに違いありません。
ドイツ軍の捕虜となってしまったパイロットは、辛い状況にあっても今後は誇りを持ってそれに立ち向かえるでしょう。
無事イギリスに帰還できた若い兵たちは、今後自分は生き残ってよかったのであろうかと悩むことになるでしょう。
彼らの決断を決める一瞬の振れ幅は誰の中にも起こり得ます。
それは人間の中で常に善と悪が戦い続けているからだと思います。
ノーラン作品にはうちにある善と悪との戦いというのは裏のテーマであると思います。
バットマンはヒーローではありますが、そのうちには悪の要素を抱えて葛藤を続けています。
その悪の部分が表出化したのがジョーカーであり、彼とバットマンは裏表とも考えられます。
このように人の中には英雄と卑怯者が同居しており、ノーランはそれを描き続けてきているのだと思います。

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2017年9月 2日 (土)

「トランスフォーマー/最後の騎士王」 ここまできたら最後まで付き合います

「トランスフォーマー」シリーズもすでにもう5作目。
あと2作は作るということになっているので、もうここまできたら最後まで付き合います。
しかし、相変わらずの盛り混み具合で、ここまで盛り込むのはマイケル・ベイか、ローランド・エメリッヒかというくらいですよ。
オープニングは「トランスフォーマー」らしからぬアーサー王と円卓の騎士たちの戦いが描かれます。
実は人類の歴史にトランスフォーマーは大きく関与していたということらしい。
いやいや、それはもう後付けだよね、とツッコミたくなりますが、このシリーズについては野暮というもの。
そうなのねー、と寛大な気持ちで受け止めてあげましょう。
映像的にはすごいことになっているますが、一作目を観たときほどの衝撃はすでにありません。
最初はこういう密度感があるCGというのは新鮮でしたが、他の作品でもこういう映像は多く使われるようになり、もう見慣れてしまったというのもあります。
あとはもう画面の動きが早すぎちゃって人の認識の速度を超えちゃってます。
最近のこのシリーズは人間が主人公というよりも、オプティマス・プライムが主人公という描かれ方をしていますが、個人的にはこれになかなか馴染めません。
巨大ロボットが主人公という発想に馴染めない(これは日本のアニメなどのイメージが刷り込まれているからかもしれません)。
もうすでに描かれ方としてはロボットというよりは、金属の鎧的なものを身につけている異星人という感じですよね。
ロボットを抜きにしてもオプティマスの性格があまりに高潔で面白みがないからかもしれないです。
真面目すぎるのよ、彼は。
アメリカ人はこういう理想のリーダーというキャラクターが好きなのかもしれないですが、キャラクターに面白みが感じられません。
お話的にはあまりツッコミを入れることを諦めたので、この作品においては思いの外、途切れず見ることができました。
マーク・ウォールバーグなど随所に演技で魅せられる人を入れているからかもしれませんね。
書いて見ると文句ばかりな感じになりますが、ここまできたら最後まで見て観たくなりますね。
どうやって収拾つけるのかなー。

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2017年2月 3日 (金)

「ドクター・ストレンジ」 次期アベンジャーズのキーマン?

マーベルのニューヒーロー「ドクター・ストレンジ」を観てきました
個人的にはまったくこちらのヒーローについては知らなかったのですが、アイアンマンにしてもソーにしても同じ状況だったので、すぐに馴染むでしょう。
マーベルのヒーローをよくよく見てみると次のように大別できるかと思います。
1.テクノロジーによってパワーを補強するもの(アイアンマンとかアントマン等)
2.鍛錬などによって人間離れしたスキルを身に着けるもの(ブラック・ウィドゥとかホークアイ等)
3.テクノロジーとは異なる異次元のパワーを持っているもの(ソーとかスカーレット・ウィッチ等)
今回のドクター・ストレンジは3番目のカテゴリーですかね。
ドクター・ストレンジは空間と時間を自在に操る力を持っています(時間についてはアイテムが必要なのと、リスクを伴うために自在にとはいかないかもしれないですけれども)。
空間を自在に操るという力は今回の作品でもいくつもそういう場面があり、「インセプション」のように空間がねじられるような描写は映像的にも見ごたえがありました。
3Dで観たので、けっこうくらっときましたよ。
マーベル・シネマティック・ユニバースでは数々の超人が登場してきましたが、時間と空間を操る力を持つヒーローはいなかったと思います。
私の予想では今後「アベンジャーズ」などで「X-MEN」シリーズのようなタイムリープ的なエピソードが出てくるのではないかと思います。
今回のラストもまさに時間を遡る力で相手を打ち倒しましたから(というよりは根負けさせる)。
相手を倒すのではなく、あきらめさせるという結末は新鮮でした。
本作でも並行宇宙というキーワードが何回か出てきましたし、時間に関わる話になりそうな予感があります。
また空間を操る力を持っているということで銀河の彼方にいる「ガーディアン・オブ・ギャラクシー」の面々を呼び寄せることもできますよね。
ドクター・ストレンジは次期「アベンジャーズ」のキーマンになりそうな気がします。
物語としてはドクター・ストレンジの登場篇ということで、物語的にはそれほど変わったところはなく定番のヒーローものとして仕上がっていたと思います。
本作のヒロインはレイチェル・マクアダムス。
好きな女優さんなので、もうちょっと出てほしかったですけれど。
歳を重ねていっても可愛らしい女優さんです。

エンディングを観るとドクター・ストレンジはソーの新作に出そうな感じですね。
両方ともマジック的なパワーを使うので、相性はいいかも。
「アベンジャーズ」の新作にも出るのかな。
そのときはスタークとストレンジのゴーマン対決が見ものですね。

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2016年11月19日 (土)

「デスノート Light up the NEW world」 二人のいない「デスノート」は・・・

大ヒットした「DEATH NOTE」シリーズの10年振りの続編です。
キラ「デスノート Light up the NEW world」=藤原竜也、L=松山ケンイチは物語上すでに姿を消しているわけですが、その後継者たちによるデスノートを巡る争奪戦が描かれます。
今回の監督は「GANTZ」「図書館戦争」の佐藤信介さんで、原作ものの映画化には定評がある方なのでちょっと期待をしていました(「L change the WorLd」は残念な出来であったので不安はありましたが)。
旧「DEATH NOTE」のヒットの要因の一つは二人の天才(キラとL)の個性あるキャラクター性、それを血肉ある存在として演じる俳優の力であったと思います。
藤原竜也さんは演技に込められるエネルギーは他の俳優とはレベルが違う印象がありますし、また松山ケンイチさんは原作のLのイメージそのままの完コピっぷりに驚きかされたものでした。
今回の続編では、今までとは異なり3人が主人公的ポジションとなっており、誰がキラの後継者であるか(またはキラは死んでいないのか)が謎のひとつとなっています。
しかしこの3人については、やはりキラやLのキャラクターの強さと比べるとどうしても個性が薄い。
キャラクター設計にしても、演技にしてもいろいろとがんばっているとは思うのですが、前作の二人を意識してがんばっているように見えすぎてしまうところがちょっとつらいところです。
もともと原作においてもLが死んでからは全体がトーンダウンしてしまったことは否めず、「DEATH NOTE」という物語はやはりこの二人がいてこそということはあるのかなとは思いました(「L change the WorLd」を観てわかるように片方だけでも難しい)。
そのため彼らがいないこの物語は「DEATH NOTE」であって「DEATH NOTE」にあらずという感じになっているようにも感じました。
また「DEATH NOTE」はデスノートを巡る知的なバトルという点が新しいポイントであったと思います。
バトルもので数々の成功を収めていた「少年ジャンプ」の中では珍しいタイプの漫画ではありましたが、その本質は「ジャンプ」らしいバトルです。
本作においても知的なバトルという点については十分に考慮してストーリーが作られていたと思いますが、謎の解明やどんでん返しなどが後半に集中されており、そこまでがやや盛り上がりに欠けるところがあります。
実際はそこまでの展開は観客をミスリードさせるためのものであったのですが、後半がバタバタしてしまった感はあります。
個人的には「デスノート」は最初っから最後までキラとLの丁々発止のやり取りでどちらが勝つかわからない予想の出来なさこそが魅力かと思っていて、どんでん返しではないような気がしているのですよね。
そう考えると二人のいない「デスノート」というのは、やはり難しいのだなと再確認してしまいますね。

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2016年6月19日 (日)

「10 クローバーフィールド・レーン」 既視感のあるごちゃ煮

J・J・エイブラムス製作でタイトルに「クローバーフィールド」とあり、事前にあまり情報が出ていなったという点で、「クローバーフィールド/HAKAISYA」と類似していて、関連が気になる作品です。
実際観てみると、本作と「クローバーフィールド/HAKAISYA」は関係があるようにも見えるし、ないようにも見えます。
「クローバーフィールド/HAKAISYA」の巨大生物は何物であるかはわからないのですが、本作における襲い来る物もその背景は謎なので、世界各地を異生物が同時に襲ってきたという設定で繋がっているかもしれません。
とはいえ何もわからないので、違う物語かもしれません。
こういう何だかわからないシチュエーションでもサバイバルを描く物語を「クローバーフィールド」というそれだけでは意味がない言葉でくくっているだけかもしれません。
個人的には「クローバーフィールド/HAKAISYA」との関連性を云々するよりは、個別の作品として観るほうがいいのではないかと思います。
主人公が何物かに襲われ、サバイバルするという物語ですが、本作はその相手は怪物というよりは、人間であると言っていいでしょう。
主人公ミシェルにとって、気がついた時にすでに囚われていたシェルターの主人と、そのシェルターの外にいるかもしれない異生物というのが恐怖の対象となります。
本作の印象は過去の様々な作品がミックスされている印象がありますね。
サイコなホストによって監禁まがいのことをされ、そこをそこをいかに脱出するかという物語(「ミザリー」とか)や、謎の異生物に襲われサバイバルをしていく物語(「サイン」とか「宇宙戦争」とか)などが、ぐちゃぐちゃっと一緒に合わさっている感じです。
よくよく考えればJ・J・エイブラムスが名を挙げた「LOST」も、そういう不可思議な物語のごちゃ煮的なセンスはあったわけで、こういう謎を謎のまま解明せず、引っ張っていく物語が好きなのかもしれません。
物語中で謎が提示されると、その謎が解明されることを観る側は求めるので、そこに物語のエネルギーは割かれることになります。
また解明されないとある種のフラストレーションも観客は持つことになりますよね。
そういうフラストレーションも含め、観客に尻の座らない感じを持たせ、主人公の不安定な状況を同じように感じさせているのかもしれません。
とはいえ、既視感のあるものをごちゃっと合わせて観せられたような感じはしました。

「奴らはあらゆるフォームでやってくる」って日本版の宣伝コピーは的外れな感じがしますね。
全く意味がよくわかりません。

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2016年6月11日 (土)

「デッドプール」 ある意味大人なヒーロー

マーベルのヒーローだと言うから、いずれ「アベンジャーズ」に参加してくるのかと思ったら「X-MEN」の系列だったのね。
そちらの方でクロスオーバーがあるのかしらん?
「X-MEN」では生真面目で深刻な背景を持っているキャラクターが多く登場するので、デッドプールは完全に異端児ですよね。
かき回してくれたらそれはそれで面白そうですが、なかなか扱いが難しそうなキャラです。
実はこの作品に海外に出張していた時に現地で上映していたので、英語の勉強で観ようかと思ったりしたのですが、なんだかんだと忙しくて時間が取れませんでした。
いや、観てもさっぱりわからなかっただろうなあ。
スラングだらけですものね。
観た現地の人は絶賛していました。
デットプールを一言で言えば、ヒーローらしくないヒーロー。
超人的な能力を持っているという点ではヒーローなのですが、その言動と精神はおよそヒーローらしくない。
人を守るために戦うとか、平和のために戦うとか、そういうことは一切考えてない(といって悪さをするわけではないけれど)。
最近のヒーローが持っている内面的な葛藤とは無縁です。
悩みと言えば、醜い姿になり大好きな彼女に振られてしまうのではないかということだけ(それが彼が戦う原動力だったりするわけで)。
キャプテン・アメリカはきっと彼と会ったら顔をしかめることでしょう。
デッドプールは「X-MEN」の世界観に属するキャラのようですが、冒頭にも書きましたがこの世界のキャラは深刻な背景を持っている者が多いですよね。
「X-MEN」シリーズ自体が、差別ということをテーマにしているわけですし。
それだからこそ物語が重厚になるのだとは思いますが、息苦しい感じもちょっとするのも確か。
そういうマジメなヒーローに対して、おふざけに徹するヒーローというのはとっても新鮮でした。
ある種の爽快感がありましたね。
子供向けと思われていたヒーローものが大人の鑑賞にも耐えられるようになって久しいですが、それは登場人物の内面を描くことの深みが出てきたからだったり、ストーリーがテーマを持って語られるようになったからだと思います。
本作「デッドプール」は別の意味で大人のための映画(?)になっていますよね(間違って子供さん連れてきたら、びっくりするかしらん)。
エンドロール後のおまけを見ると、次回作もあるようですが、どんな感じになるのでしょう(「デットプール」なので予告までフェイクという可能性もありますが)?
期待したいのは「X-MEN」の面々との共演。
マジメなヒーローたちをかき回してもらいたい。
しかし、デッドプールの主観で語られない形式は、彼にはなじまないですかね。
第4の壁も突破しにくいですし。
個人的に一番ウケたのはウィルソンが手術の前に言った「グリーンのコスチュームはやめてくれ!」でしたね。
グリーン・ランタンはどこに行ったのだろう?

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