2018年2月 5日 (月)

「スリー・ビルボード」 怒りと後悔と

DVな夫と別れ、二人の子供を育てている母親、ミルドレッド。
ある日彼女の娘、アンジェラがレイプされた上に殺されてしまう事件が起こる。
所轄署が事件を捜査するものの、操作は進展しない。
半年以上経った時、ミルドレッドは道路沿いの3枚のビルボードに署長ウィロビー宛の広告を掲出する。
その広告がミズーリの田舎町に様々な波紋を引き起こす。

ミルドレッドは娘が殺された日に、たわいもないことで喧嘩をする。
売り言葉に買い言葉。
ティーンの娘を持つ母親なれば、誰も経験があるような口喧嘩だ。
しかし、言ってしまった言葉にミルドレッドはその後、激しい後悔をする。
自分があんなことを言ってしまったから、悲劇が娘に起こってしまったのかもしれない、彼女はそのように思ったかもしれない。
いたたまれない、そんな自分自身への怒りを、彼女は何かに向かって吹き出さずにはおられなかったのだろう。
その怒りは事件を解決することができない警察へ向いたのだ。
しかし警察の署長は業務怠慢なわけではなく、むしろ住民に愛される善人であった。
そして彼は癌を患い、死を目前にしていた。
ミルドレッドの容赦のない攻撃は、署長に味方する人々の怒りを引き起こす。

「怒りは怒りをきたす」という言葉が劇中で引用される。

まさにミルドレッドの自己への怒り、そしてそれが翻った他社への怒りが、また他の者の怒りを引き起こしてしまう。
例えば、警官のディクソンのように。
彼は親愛する署長を攻撃するミルドレッドに敵意を燃やす。
そのような中、ウィロビーは自死をしてしまう。

ミルドレッドは自らが断罪したウィロビー署長の自殺と彼の手紙によって、自分の怒りを見つめ直す。
またディクソンは自らが怒りに任せて広告業の男レッドを突き落としたことを、自分が炎で焼かれ、憐れみをかけられた時に悔いる。
彼らが感じているのは後悔だ。
怒りに任せて振る舞った自分の行為に対する後悔。

けれど怒りの炎は己では完全には消す事はできない。
なぜなら後悔がまた自己への激しい怒りを生んでいるからだ
怒りが怒りを産み、後悔をもまた生む。
そして後悔が怒りを生む。
まさに怒りは怒りをきたす、だ。

同じような怒りと後悔を持った二人が最後に行く道を同じくするのは、必然であったのかもしれない。

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2018年1月29日 (月)

「祈りの幕が下りる時」隠された切ない想い

東野圭吾さんの人気シリーズ「加賀恭一郎」シリーズの完結作の映画化作品です。
テレビドラマの「新参者」から阿部寛さんの加賀がスタートしたので、「新参者」シリーズとも言われますね。
私はその「新参者」シリーズの初劇場作品の「麒麟の翼」が初めての「新参者」シリーズでした。
確か「泣けるミステリー」と言われていたと思いますが、宣伝通りにとても泣けたのを記憶しています。
それからテレビシリーズやスペシャル版をレンタルして全部観たのですが、どれも泣けてくるのですよね。
東野圭吾さんの作品はミステリーといってもトリックだけが重要ではありません。
それよりも、事件の背後にある人の情を描いているのですよね。
悪意で事件が起きるのではなく、誰かが誰かのことを大切に思い、そのことによって事件が起きてしまう。
その隠された想いが加賀の手によって明らかにされていき、その想いの深さによって心が揺さぶられるのだと思います。
「麒麟の翼」でも父親の子供への想いがキーとなっていました。
そして本作もやはり親と子の想いがキーとなります。
本作は加賀シリーズの完結作というだけあって、彼がなぜ日本橋署にいるのか、そして「赤い指」でも触れられた母親の失踪にも話が及びます。
この事件では加賀自身の親子関係、そしてその想いが重要なファクターです。
そしてもうひとつの親子の想いも。
「麒麟の翼」を観たときは、独り身であったのですが、それから時が経ち、自分自身が結婚して、子供もできました。
幼い子供を見ていると、月並みですが何ものにも代え難いという思いになります。
子供を守るためならば、なんでもしたいと思います。
独身の時は想像しかできなかったのですが、自分がそういう立場になると、まさにそのとおりだと感じます。
本作ではある親子の互いへの強い想いが描かれます。
親はまさに自分の人生を欠けて子を守ります。
子はその想いに答えようと生き、そして最後は親の願いを叶えようとします。
それが悲劇につながってしまうのですが、そこの強い思いに心が揺さぶられました。
今の自分の立場でまた「新参者」シリーズを見直したら、印象が変わって受け止めるかもしれません。
また東野圭吾さんの原作にもチャレンジしてみたくなりました。

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2018年1月27日 (土)

「デトロイト」 疑心暗鬼の戦場

「ハート・ロッカー」「ゼロ・ダーク・サーティ」といった非常に硬派な作品を作っている女性監督キャスリン・ビグローの最新作です。
今回の作品のベースとなった出来事は今から40数年前のデトロイトで起こりました。
警察の取り締まりから端を発した小競り合いから、一部の市民が暴徒化し、やがて大規模な暴動となったのです。
州政府は事態を収拾するために、州警察や州兵なども投入し、まさにデトロイトは戦場のようになったということです。
本作の後半は、デトロイトのモーテルで白人警官が黒人を射殺した事件を中心に扱っています。
今も(というより最近はまた分断が顕在化している)アメリカで問題となっている、人種差別をテーマとしているとも言えるのですが、この記事ではそこは語りません。
今回は監督キャスリン・ビグローについて書きたいと思います。
本作も入れた直近の3作はいずれも政治色の強い作品となっています。
とはいえ、何が正しいかということを言っている作品ではありません。
人々の価値観や主義主張の違い、そしてその違いによる疑心暗鬼が噴出するのが、戦場であるとするならば、いずれの作品も戦場をテーマにしています。
彼女の作品はどの作品も半端なく緊張感があります。
本作も長尺で140分以上もあるのですが、長いにもかかわらず、ずっと高い緊張感で作品を見続けることになります(なので、終わるとどっと疲れます)。
その緊張感というのは、なにがどうなっていくかわからないという不安と緊張なのかなと感じました。
まさに疑心暗鬼ということですね。
「ハート・ロッカー」にしてもいつどこで爆弾が爆発するかもしれないという緊張感。
「ゼロ・ダーク・サーティ」はアメリカが対するのは今まで相手をしていたとは異なるアルカイダというゲリラ。
今までのやり方が通用しないという緊張感があります。
そして本作「デトロイト 」ですが、この作品においては登場人物たちが白人も黒人も相手が何を考えているかわからないという緊張感の中でひと夜を過ごしています。
白人警官も差別主義者であり、暴力的であったわけですが、逆に多くの黒人たちが自分たちに逆らってきたらどうしようもないという恐怖感があったのではないかと感じます。
だから暴力に訴えてしまう。
黒人からすれば、暴力的に振る舞う白人の心に恐怖があるとは想像できません。
暴力を振るわれる自分たちがそう感じることがあっても、相手もそう思っているとはわかりませんよね。
これは今もなおアメリカで続いてることであるかと思います。
疑心暗鬼で作られた戦場。
そして戦争のテンションの中では、さらに疑心暗鬼が深まっていく。
アメリカだけでなく、まさに世界中で同じことが進んでいるような気もします。

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「劇場版 マジンガーZ / INFINITY」 どこまでオリジナルにこだわるのが正解なのか?

初めて「マジンガーZ」がテレビでオンエアされてから45年。
それだけの年月を経て、新作「劇場版 マジンガーZ / INFINITY」が公開されました。
その頃は私は幼児であったので、楽しみに見ていたのを覚えています。
そう言えば、落書きなどでもマジンガーZを描いていましたね。
おそらく今でも描けます(笑)。
劇場に行ったところ、観客のほとんどが40〜50代くらいであったように思います。
やはりノスタルジーですかね。
ということで、期待半分、不安半分というところで観てきました。
期待については、やはり懐かしいマジンガーZがどのような形でアップデートされているかというところで、また逆に不安なところはオリジナルの良さが改変されていないかというところでした。
そういう気持ちで身始めましたが、なんとも微妙な気持ちになりました。
オープニングでいきなり水木一郎アニキの主題歌だったので、嫌が応にも気分は高まります。
作品の世界観もオリジナルを踏襲していました。
様々な設定、キャラクターの衣装や機械獣のデザインなど、今見ると野暮ったいデザインなのですが、それらも基本的には踏襲しています。
通常、昔の作品をリブートするときは、昔のデザインの考え方を踏襲しつつも、モダンにアレンジするというのがよくあるパターンです。
しかし、本作はオリジナルへのリスペクトなのか、かなり頑固にデザインを守っていましたね。
個人的にはそのあたりは違和感を感じたのですよね。
今の視点でそれらを見ると、どう見ても野暮ったくなってしまいます。
それというのも、物語の設定などは今っぽくアップデートされていたりするのですよね。
光子力エネルギーの安全性云々について議論が空転して混乱する様は、原子力の安全性についての議論であったり、国会やまた国連理事会などで議論がまとまらない様子などを想起させ、現代っぽく感じます。
Dr.ヘルについてもただ単に「世界征服」を目指しているのではなく、地球や人間についての好奇心により彼は動いているという設定になっていました。
キャラクターに関しも、ものの考え方自体が大人になってきています(彼らが設定上も歳をとって成長をしているということなのですが)。
そういう現代ぽさがある中で、古臭いデザインがあるというのに、違和感を感じたのですよね。
また変なところで現代風、というより現代のアニメファンに媚びているような箇所もありました。
重要なキャラクターとして位置付けられているリサはいかにも現代のアニメに出てきそうなキャラクターであり(見かけとか設定とか喋り方とか)、それ以外がオールドスタイルな中で異彩を放っていました。
戦闘シーンなどの映像はスーパーロボットらしくありつつも、CGを活用した迫力のあるものに仕上がっていたと思います。
その点は見応えがありました。
アレンジするのであれば、もっと大胆にしていいのかなと思ったりしたのですが、それはそれでコレジャナイ感が出ちゃうのでしょうか。
なかなかスーパーロボットという荒唐無稽な存在を世界観の中でうまく処理をするのは難しいのかもしれません。

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2018年1月20日 (土)

「キングスマン:ゴールデンサークル」 相変わらずのノリの良さ

「キック・アス」で有名なマシュー・ヴォーン監督の最新作「キングスマン:ゴールデンサークル」です。
前作がキレキレのアクションとスパイ映画らしいガジェット満載で楽しめたので、続編も楽しみにしていました。
期待に違わず、たいへん面白く仕上がっていたと思います。
マシュー・ヴォーンの作品はどれもノリがいいんですよね。
アクションにしてもストーリーにしてもテンポがいい。
今回はオープニングのアクションシークエンスからして、非常にノリが良くて、一気に「キングスマン」の世界に引き込まれました。
彼の作品は映像的なノリの良さだけではなくて、ストーリーも変化があり、かつテンポが良いと思います。
今回の脚本もいろいろな要素が盛り込まれているのですが、見ていてさほどストレスを感じません。
ストーリーが小気味好く進んでいくので、要素が多くてもそれほど複雑な感じはしません。
かといって中身が薄いかというとそうではなく、登場人物たちも個性的ですし、そしてその人物の背景なども、上手にコンパクトに、しかし効果的に見せているので、どの人物も魅力的に見えます。
ジュリアン・ムーアが演じているポピーが、かなりぶっ飛んでいるのが印象的です。
彼女は単純に怖いという人物というのはなく、一般人とはちょっとずれているというところが気味の悪い違和感を醸し出していて、それだけに何をしでかすかわからない恐ろしさというものをだしていました。
前作のサミュエル・L・ジャクソンが演じていた悪役もそういったずれている怖さがありましたね(「キック・アス」もそうだった)。
マシュー・ヴォーンは重要そうなキャラクターもあっさりと殺すところがありますが、今回も最初からキングスマンが壊滅するという展開になっています。
前作でコリン・ファース演じるハリーがけっこうあっさりと殺されて、びっくりしたのを思い出しました(本作で復活しますけれども)。
このあたりはマシュー・ヴォーンは割り切りが良いので、ある意味、予定調和的な展開にならないので、見ていても予断を許しません。
新たに登場するステイツマンというのも面白いアイデアでした。
一気に「キングスマン」の世界観が広がる可能性が見えました。
さらにシリーズ化もありそうですよね。
最後のシーンでチャニング・テイタム演じるステイツマン、テキーラがばっちり英国風のスーツをキメていたので、今度は彼がイギリスで活躍するのかもしれませんね。

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2018年1月 5日 (金)

「DESTINY 鎌倉ものがたり」 いつも一緒にいるからこそ

2018年の最初の鑑賞はこちら、「DESTINY 鎌倉ものがたり」です。
山崎貴さんの作品ですが、私は実は「ALLWAYS」を観ていなかったりするので、予告でもあまり食指が動きませんでした。
ただ今日はたまたま時間があったので、こちらの作品を観たのですが、想像していたのとは違って良かったです。
予告を観た感じだと、山崎監督らしくCGをふんだんに使って、ファンタジー色が強いのかなと思ったのですが、しっかりと夫婦の物語になっていました。
夫婦というのは好きあって結婚するわけですが、一緒に暮らしていると付き合っているときは見えなかった不満などが色々と出てくるわけで、いつまでもラブラブというわけにはいかないものですよね。
そういう不満や、もちろん愛情もあって一緒に暮らしていく中で、こなれた夫婦になっていくと思うのですが、日々だと細かい不満が出てくるものです。
かくいう私もそういうときはありますね。
主人公の夫婦の妻、亜希子が夫正和に彼の両親のことを聞こうとする場面があります。
正和にとっては触れられたくないことであったので、温厚な彼にしては珍しく妻に強い言い方をして拒絶してしまいます。
それにびっくりした亜希子はちょっと泣いて、軽く喧嘩のようになってしまう場面があります。
私も似たようなことはあり、言ってしまった後の相手の反応に、強く言い過ぎたなと思うときもありますね。
別に嫌いだからそう言ったわけではないのですけれど。
逆に強い言い方をされて、驚くこともあります。
夫婦だからずっと一緒にいるので日々の細かい不満などにばかり目が行きがちで、互いにイライラするときもあります。
本作を観て、それでもベースとしては互いに愛情があるのだよね、ということを改めて考えさせられる感じがしました。
いつも一緒にいるからそれが当たり前になって、そのこと自体に甘えてしまっているところがあります。
けれど突然相手がいなくなってしまうとしたら・・・。
そう考えたら、泣けてきました。
正和の担当編集者の本田のエピソードにもグッとくるところありますよね。
自分が突然死ぬことになったら、妻や子供のことが心配で心配でならない、リアルにそう感じました。
映画を見て、自分としてもちょっと反省するところもあり、日頃から相手に対してちゃんと感謝の気持ちをいうのが大事だなと思いました。

脚本的にも良くできていたと思います。
最初の方が鎌倉らしい不思議なエピソードの積み重ねなのですが、実はそこここにラストの正和の妻を救う大冒険に繋がる伏線が引いてあったんですよね。
あともちろん山崎監督なので、CGや特殊メイクなども効果的に使われていました。
CGだけでなくて、特殊メイクなどから感じるアナログ感もよかったです。
ちょっと昔の昭和な雰囲気にアナログ感が効果的であったように感じました。

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2018年1月 1日 (月)

2017年を振り返って<映画>

2018年に入ってしまいましたが、今年の映画の振り返りをお送りしたいと思います。
今年は45本の劇場鑑賞となりました。
昨年とほぼ同じくらいの数です。
子供の世話などをしつつなので、まあこのくらいの数かなと思います。
一緒に劇場に行けるくらいまで大きくなればまた変わるのかなあ。
映画の英才教育をしないとですね。

1.「ワンダーウーマン」
2.「ブレードランナー2049」
3.「この世界の片隅に」
4.「ラ・ラ・ランド」
5.「メッセージ」
6.「スター・ウォーズ 最後のジェダイ」
7.「美女と野獣」
8.「ローガン」
9.「GOZIRRA 怪獣惑星」
10.「オリエント急行殺人事件」

今回は観る前に思っていたのと異なる印象を与えてくれた映画がランクインしてきた感じがしますね。

1.「ワンダーウーマン」
DC作品はマーベル作品に比べて、ややもするとダーク、そして箱庭っぽい作り物めいた感じがあるところが個人的にはあまり好きではありませんでした。
しかし、本作は主演ガル・ガトットの魅力も非常に高かったですし、いつものザック・スナイダーっぽさみたいなものが薄れていてキャラクターが魅力的に見えました。
同じ演者で出ている他の作品のワンダーウーマンより断然この作品の彼女は魅力的でした。
そのため、この後の「ジャスティス・リーグ」で失望するわけですが・・・。

2.「ブレードランナー2049」
何十年もの歳月を経ての続編。
やはりSF映画の金字塔とも言えるオリジナルがあるので、その後を誰が継ぐのかというが問題であったと思います。
本来はリドリー・スコット自身がやるのがいいと思うのですが、本作では新進気鋭のドゥニ・ヴィルヌーヴが監督を担当します。
ドゥニ・ヴィルヌーヴといえば、映像がスタイリッシュでまたある種の突っつきにくさがあるところが個性だと思います。
結構彼の作品を観ているのですが、好きな作品が多いですね。
予告編を観る限り、彼らしさと「ブレードランナー」らしさは良い具合に馴染みそうでした。
本編についても非常によくオリジナルの雰囲気を出しつつ、ドゥニらしさを出したものに仕上がっていました。
一般の方も観るので、彼特有の分かり難さのようなものもうまく制限していたと思います。
それを取りすぎるとただのハリウッド映画になってしまうので、そのさじ加減は絶妙だったかな。

3.「この世界の片隅に」
本来は昨年のランキングに入るべきなのですが、2017年に入って見てしまったので、こちらにランクイン。
ぽわっとした絵面でありながらも、語られているのはある一般の人の戦争体験の生々しい現実でした。
戦争という状態が普通で、それが当たり前になっている世界。
人の価値観もまるで違います。
それでも人は懸命に生きます。
そしてその戦争が終わった時、人はそこに何を見るでしょうか。
あくまで一般人の目線を貫いたというところが本作の魅力であり、共感性が高さはここから来るのでしょう。
ノンさんの声もよかったです。

4.「ラ・ラ・ランド」
アカデミーをとったということで、期待度は高めで見に行きましたが、しっかりと期待に応えてくれました。
音楽も良かったですし、主演のライアン・ゴズリング、エマ・ストーンも共に良かったです。
男と女が出会い、そして別れ別々の道を歩み始める。
ありふれているのかもしれませんが、そこに音楽が絡み、誰もが味わう幸せさ、そして喪失感がとてもよく表されていました。

5.「メッセージ」
「ブレードランナー2049」のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の作品です。
日本での公開はこちらの方が先でした。
彼の監督は難解なものが多いのですが、この作品を観た時に自分でそのあたりのさじ加減が調節できる監督なのだなと確信しました。
元々の原作小説もSFらしいSFでなかなか一般の方にはわかりにくいと思うのですが、それをいい具合にわかりやすくそしてまたドゥニ監督らしくまとめ上げていました。
これを観たとき、「ブレードランナー」は大丈夫だと思いました。

6.「スター・ウォーズ 最後のジェダイ」
やはり「スター・ウォーズ」作品は入ってくるのですが、ややランクは低め。
個人的には「フォースの覚醒」の方が好きでした。
ルークにまつわるストーリーは良く、そして彼のために彼の人生を描き切ったとは思います。
そういう側面も「スター・ウォーズ」には求めたいのですが、またエンタメとしても高揚感も欲しいところなのですよね。
前作のファルコン号での追いかけっことか、森の中での決闘のような興奮はあまり感じられなかった。
最後の塩原での決戦がそうだったのかもしれないですが、あれならば「帝国の逆襲」の雪原の戦いの方が迫力あると思うんですよねー。

7.「美女と野獣」
実はアニメ版は観ていません、ストーリーは大筋知っていましたが。
今更実写化ということもあってあまり期待感はしていなかったのですが、想像以上によかった。
これは持っているストーリーそのもののせいなのか、主演を務めるエマ・ワトソンの魅力なのかはわかりませんでしたが。
ディズニーアニメを語る際「美女と野獣」は大きなターニングポイントとして語られましよね。
主人公の女性がただ守られるだけの存在ではなくなり、行動する女性として描かれるようになった。
そういう役柄にエマ・ワトソンはぴったりだったと思います。

8.「ローガン」
ヒュー・ジャックマンのウルバリンはこれで最後と言われています。
なので、今までの「X-MEN」シリーズとはかなり雰囲気が代わり、ダークであり、外連味がありません。
超能力は持つものの、今まさに死のうとしているローガンがどのように次の世代に自分が得たことを引き継いで行けるかということが描かれます。
引き継ぐものは技術や知識といったものではなく、己の心といってもいいかもしれませんね。
ローガンは不器用なので、それを戦いでしか伝えられない。
自分の命をかけた戦いを通じて、少女に伝える。
彼がどう生きてきたかを。
ウルバリンの大往生として非常にうまくまとまった作品になっていると思います。
最後の十字架が傾いて、「X」になったシーンはホロリときます。

9.「GOZIRRA 怪獣惑星」
最近は日本もアメリカでもハードなSFというものが作られにくいです。
バジェットがかかる割に一般受けしないからということでしょうか(「ブレードランナー2049」は特別)
本作はなんとアニメでゴジラをやるということでまずびっくり。
そしてそれが未来の地球であることで二度びっくり。
それでもまだ期待はしておらず、「シン・ゴジラ」があったから変化球勝負なのだろうと思って観にいったのです。
確かに変化球ではありましたが、近年珍しいハードSF的な仕上がりでまた驚きでした。
なるほどこういう手があったとは。
次回作も予定があるということでメカ・ゴジラに期待です。

10.「オリエント急行殺人事件」
ハードなSF作品がいくつかあったというのが、2017年の収穫でしたが、本格ミステリーがあったというのも一つの収穫ですね。
「オリエント急行殺人事件」です。
中身は知ってはいるわけですが、豪華キャストでしっかりとハラハラドキドキしてみれました。
メインのプロットしていてもこうなのですから、知らなかったら非常にびっくりするのではないでしょうか。
ミステリーはやはり豪華出演陣が似合いますよね。
次回作は「ナイルに死す」だとか?
期待したいですねー。

さてワーストの方です。
3作ですね。
「仮面ライダー×スーパー戦隊 超スーパーヒーロー大戦」
 基本的に東映特撮には甘めなのですが、これは良くなかったバカにしとる。
「無限の住人」
 最近三池さん良くないですね。殺陣が長すぎ。話をはしょりすぎ。
「ジャスティス・リーグ」
 「ワンダー・ウーマン」でDCを見直したのに。やっぱりダメだった。

昨年もレスがほとんど遅れず失礼しました。
今年もこんな感じになっちゃうと思います。
今年もよろしくお願いします。

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2017年12月28日 (木)

「カンフー・ヨガ」 点心×カレーライス

タイトルからしてビデオリリース作品的な突飛な感じがするので、普通でしたらスルーするところですが、ジャッキー出るからなあ。
世代的にはバッチリとジャッキー・チェンの洗礼を受けているので、彼の作品となると観に行きたくはなります。
また社会人になった頃、インド映画ブームがあっていくつか観たのですが、ダンスと歌のハイテンションなノリにしばらくはまっておりました。
そういうことで、カンフーとヨガという異色の組み合わせ、いわば点心とカレーライスを一気に頼む的な欲張り気分で観にいってきました。
最初のハードルを思いっきり下げていったので思ってたよりはちゃんとしていたという印象です。
監督はベテランでジャッキーと何度も組んでいるスタンリー・トンですから、ちゃんとまとめあげていました。
点心(カンフー映画)とカレー(インド映画)のミックスという印象なのだろうと思っていたら、さらに「インディ・ジョーンズ」や「ワイルド・スピード」的な調味料もふりかけてありました。
ジャッキーたちが探そうとしている宝物の隠し場所の仕掛けはほぼ「レイダース」と一緒。
「パクリじゃーん」と思ったら、ジャッキーが「I love Indiana Jones」と言っていました。
ほぼ確信犯ですな。
考古学者という設定も丸かぶりです。
ドバイでのカーチェイスシーンは「ワイルド・スピード」のようにスーパーカーが勢ぞろい。
パトカーまでスーパーカーなので、「そんなバカな」と思ったら、実際のドバイでもランボルギーニのパトカーがあるそう。
逃走者もスーパーカーの可能性もあるから、パトカーもそうでないと務まらないのかな?
日本とレベルが違う。
字幕版で見ましたが、彼らが話している言葉は中国語、ヒンドゥー語、英語と国際色豊か。
ジャッキーもインドの俳優さんもしちゅえーしょんごとに話す言葉を変えていて、何気にグローバル感が漂っています。
英語もアジア人の彼らが喋っているので、欧米系の俳優さんたちよりは日本人としては聞き取りやすかったです。
中国、インドの双方の文化へのリスペクトも感じられたので、バランス感覚がよかった感じもしますね。
この辺りは国際都市香港出身のジャッキー・チェン、スタンリー・トン監督の感覚なのかな。
正月映画としてあまり何も考えずに観るのにはいいかもしれないですね。

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2017年12月24日 (日)

「スター・ウォーズ 最後のジェダイ」 ジェダイとは何か?

<ネタバレ要素があるのでご注意です>

「スター・ウォーズ」シリーズにおいて欠かせない「フォース」そして「ジェダイ」という存在について、やや哲学的であるにせよルークの口からしっかりと語られていたと思います。
私の解釈としては、「フォース」は世界を作り上げている「理(ことわり)」のようなものであると感じました。
その理とはモノとモノとの物理学的な関係性だけにとどまらず、出来事の因果や運命といったものも含まれるもののように思います。
そしてその理を感じることができ、そしてそれに何かしら影響を与える力を持っている者が、「スター・ウォーズ」世界においては、ルークなどの「ジェダイ」であると言えるでしょう。
しかし、フォースを扱える者=「ジェダイ」であるわけではないということです。
これも個人的な解釈になるのですが、「ジェダイ」という存在は武道で言う所の「○○流」といったような意味合いであると思います。
フォースを正しく扱う力を身につける技術体系を継承していく流派が「ジェダイ」ということではないでしょうか。
師匠と弟子という関係性でジェダイという組織が成り立っているということもその考えを補足すると思います(Ⅰ〜Ⅲなどの過去作で「ジェダイ」が和風テイストであったのも武道の一流派というイメージを想起させます)。
ルークが「ジェダイが滅びることでフォースがなくなることはない」と言った意味はここにあると思います。
あくまで「ジェダイ」は「フォース」を正しく扱う一つの流派な訳です。
「ジェダイ」の対極にあるのが「シス」というわけですね。
「シス」は「フォース」を暗黒面で使う流派というわけです。
「スター・ウォーズ」シリーズはⅠ〜Ⅵまでいわばスカイウォーカー家の歴史とも言える物語となっています。
そのためにスカイウォーカー家の者が「フォースを操れる者」の第一人者というイメージが強くなっていますが、決してそうではありません。
マスターヨーダとか、オビワンとかもスカイウォーカー家ではないですから。
今回、新たな3部作の主人公であるレイがスカイウォーカー家と縁もゆかりもないことが明らかになりました。
それはそれで衝撃的な事実ですが、それゆえに「フォース」がスカイウォーカー家の特別な力ではないということが明らかになりました。
それゆえに「スター・ウォーズ」シリーズはスカイウォーカー家の縛りから解き放たれたとも言えます。
今後新たに「ジェダイ」に変わるライトサイドのフォースの力を操る者が登場してくるかもしれません。
物語の世界が一気に広がり、スピンオフなども作りやすい環境になったと思います。

スペースオペラ作品としては、前回の「フォースの覚醒」の方が上だった感じがします。
今回はルークの話、レイの話、反乱軍の話など複数の物語が並行して語られるので、仕方がないかなとも思うのですが、スペースオペラ映画としての爽快感は前作に及ばない感がありました。
とはいえ、上記のような「フォース」についてしっかり語られることも今まではなかったので、「スター・ウォーズ」シリーズとしては重要な節目の回であったと思います。
ルークの最後も穏やかで良かったと思いました。
彼が最後を迎える星では太陽が二つあり、一つが雲に隠れ、もう一つが雲から現れるという描写がありました。
これはルークの時代が終わり、それをレイが引き継ぐことを暗示しているのでしょう。
彼にフォースが共にあらんことを。

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「探偵はBARにいる3」 男は女を理解できない

最近の邦画では珍しく作り続けられているシリーズですね。
和風なテイストではありますが、ハードボイルドな物語であることも昨今の中では珍しい。
本作の「探偵」のようなハードボイルドな男は最近ではあまり見かけませんが、だからこそこういう生き方もカッコいいと思ってしまいます。
ハードボイルドだけなのではなくて、それを押し切れない情けなさみたいなところに共感性もあったりします。
ススキノにあるバー「ケラー・オオハタ」にたむろする「探偵」のところに謎の美女からの依頼がやってくるというのが、このシリーズの基本的なフォーマット。
女は悪女なのか、それとも聖女なのか?
女というものはその間を自由に行き来することするから、男は翻弄されますよね。
男というのは不器用なもので、ハードボイルドな生き方しかできないといったように、自分のスタイルというものにかえって縛られてしまうものです。
だから女のことを理解することはできない。
この作品でも「探偵」は女に翻弄されます。
過去、自分が言ったことで生き方を変えた女に。
ハードボイルドなだけに女に振り回されてしまう「探偵」に少なからず、男は共感してしまうものですよね。
今後もこのフォーマットを守っていけばいくらでも話を作っていけそう。
あとはコンビを組む高田くん。
予告では彼と「探偵」のコンビが解消されてしまうような感じが漂っていましたが、やはりそういうことはなく。
やはり高田と「探偵」は無二のバディですよね。
このバディというのも一つの大事なフォーマットです。
フォーマットを大事にしながらも、新しい事件が巻き起こっていく。
これがこのシリーズが続いていくコツなのでしょうね。
以前のシリーズに登場した人物もさりげなく絡んでくるところもシリーズの魅力となっています。
今後もこのシリーズには期待していきたいと思います。

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