2023年5月31日 (水)

「クリード 過去の逆襲」相手役の存在感

元々「ロッキー」シリーズのスピンオフとして始まりましたが、最新作「クリード 過去の逆襲」にはロッキー・バルボアは登場しません。
主人公のクリードも本作で一度引退し、後進を育てる立場となっており、もうロッキーシリーズというよりは、クリードシリーズと言ってもいいかもしれません。
アドニス・クリードはロッキーとは異なり、引退してもスマートで私生活は順風満帆のようです。
アドニスを演じるマイケル・B・ジョーダン自身がスタイリッシュな人物なので、これはしっくりします。
しかし、彼の前に幼馴染デイミアンが現れ、様子が変わります。
デイミアンはアドニスが天塩にかけて育てたチャンプに挑戦し、ダーティ・ファイトの末、彼を倒します。
このデイミアンを演じるのが、ジョナサン・メイヤーズ。
「アントマン」の最新作でヴィラン、カーンを演じました。
ジョナサン・メイヤーズはその厳しい風貌から独特の圧を持った俳優で、カーンを演じた時も存在感がありましたが、本作でもそれは変わりません。
スマートなクリードに対し、デイミアンはハングリーであり、かつ狡猾です。
デイミアンが刑務所に入っていた十数年に対してアドニスは負い目を感じており、そのこと自体をデイミアンもわかっていて、その気持ちを利用します。
狡猾さという点は、ロッキーシリーズ、クリードシリーズ通じてもあまりない相手役の特徴で、その点においてジョナサン・メイヤーズ演じるデイミアンは強い印象を残したように思います。
本作を監督したのは、主演でもあるマイケル・B・ジョーダンです。
ライアン・クーグラーによる一作目では長回しなども使った迫力のあるファイトシーンが見応えありました。
本作のファイトシーンは、試合中に二人だけが抽象空間にいるような演出もあり、不思議な感じもしましたが、これはマイケル・B・ジョーダンが日本のアニメにインスパイアされたところだとか。
個人的にはリアルなファイト感の方が好きではあるのですが、新鮮にも見えました。

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2023年5月21日 (日)

「最後まで行く」最後まで止まらない

藤井道人監督によるノンストップクライムサスペンスです。
主人公である刑事の工藤は、危篤の母親の元に駆けつけようと雨のなか車を飛ばしていましたが、突然飛び出してきた男をはねてしまします。
パトカーが近くを通ったことにたじろぎ、慌てて死体をトランクに隠してしまいますが、そこから工藤には次から次へと危機が降りかかり、最後まで息をつく暇がないほど物語がドライブしていきます。
この疾走感に加え、登場人物のアクの強さ、時折織り込まれるバイオレンス、まさに最後まで瞬く間に一気に引っ張られていきます。
見る前には知らなかったのですが、本作は韓国映画のリメイクということです。
確かにこれは韓国ノワールのテイストです。
藤井監督の作風はこのテイストによく合うなと思いました。
本作の主人公は工藤ではありますが、もう一人の重要な登場人物は綾野剛さんが演じる矢崎です。
この矢崎のキャラクターが狂っていて、主人公を喰うほどの存在感があります。
矢崎は中盤で、工藤に対して俺たちは似ていると言いますが、確かにそうかもしれません。
二人とも自分を取り囲む状況の中でもがきながら死力を尽くして生き残ろうとする。
生き残るという本能で突き動かされ、それは狂気的にもなっていく。
ラストは狂気すら超えて、なぜか純粋さすら感じました。
<ここからネタバレあり>
岡田准一さん演じる工藤の、追い込まれ、情けなさを出しつつも、必死に生き残ろうとする様も迫力ありましたが、やはり本作は綾野剛さんの矢崎です。
綾野剛さんはこの手の常軌を逸したキャラクターを演じた時の迫力はなかなかのものですが、矢崎はその中でも白眉かと思いました。
「お前はターミネーターか!」と言いたくなるほどに、しつこく工藤を追う矢崎。
本当はすでに死んでいて、執念だけで追いかけてきているのではないかと思うほど。
あまりの狂気さに爽快さまで感じたほどでした。

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2023年5月20日 (土)

「ワイルド・スピード/ファイヤーブースト」最終章に向けてのスタートダッシュ!

四半世紀にも及ぶ「ワイルド・スピード」シリーズですが、いよいよ最終章を迎えるようです。
そしてその最終章は2部作(3部作になるという話もあり)で、本作については無茶苦茶ヒキのある形で終了します(次期作が見たい!)。
「ワイルド・スピード」シリーズの魅力というのは、過去作で語られたエピソードや登場人物が、その後の作品にも絡んでいくことでしょう。
まさか最初から伏線として設定されているとは思いませんが、魅力的なキャラクターがその後も活躍していくのはファンとしても嬉しく、それがこのシリーズが愛される理由でしょう。
そもそもドムの”ファミリー”自体がそうやって仲間を増やしてきたわけです。
ドムとブライアンは1作目では対立する役回りでしたし、現在のメンバーであるローマン、テズ、ラムジーらもその後のシリーズのゲストキャラでしたが、ファミリーのメンバーとして重要なレギュラーとなりました。
魅力的な悪役も生き残り、デッカードやサイファーも本作でも登場します。
死んだかと思っていたら生きていた!というのも本作では全然ありで3作目で死んだことにされていたハンも前作で見事復活。
同じようなことも本作で起こるかも!?。
最後までしっかり見逃さないでくださいね。
このシリーズのテーマは「ファミリー」で本作でも重要な要素となっています。
今回のヴィランであるダンテは、4作目の事件で家族を失ったため、ドムに復讐を仕掛けます。
ドムの強さの源泉はファミリーですが、それは弱点でもあります。
ダンテはそこを突いてきます。
しかし、本作はドラマとして「ファミリー」の部分を今までのように深めに描いているようには思えませんでした。
どちらかというと最終章の前半ということで、ヒキのあるアクションの釣瓶打ちという感じで、2時間以上の間ずっとカーアクションで展開されているように感じます。
いずれのアクションも派手で度肝を抜くもので、見応えがあり、「これぞワイスピ!」と言いたくなるものになっていると思います。
4作目で金庫を2台の車で牽引していくカーアクションは、当時見た時はやりすぎでは?と思いましたが、宇宙まで行っちゃうくらいのシリーズですから、今見ると全然ありですね。
ラストには驚く場面が2つほどあり、続編への期待はさらに高まるばかりです。
ああ、次が早く見たい!

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2023年5月 7日 (日)

「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3」見事な大団円

ジェームズ・ガン監督による「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズ、本作にて3部作の完結となります。
まさに大団円と言っていいでしょう。
1作目公開当時はマーベルのヒーローの中でも無名と言っていいこのチームですが、それから9年経ち誰もが知るヒーローとなりました。
これまではこのチームの中でも主人公であるスター・ロードことピーター・クイルの物語が中心でしたが、本作で中心となるのはロケットです。
本作では彼の悲しい過去のエピソードが紐解かれ、彼の運命に大きく関わっていたマッド・サイエンティスト、ハイ・エボリューショナリーがヴィランとなります。
今までのMCUのヴィランの中には、気持ちに共感できる者もいましたが、ハイ・エボリューショナリーについては全く共感できる点がありません。
彼が目指すのは”完璧な種族”。
それを生み出すために、彼は実験を繰り返し、多くの生物を犠牲にします。
その一人がロケットだったわけです。
彼は今の生物は不完全であり、それに手を加えることにより”完全な種族”を生み出せると信じて疑いません。
ハイ・エボリューショナリーは自分に歯向かうロケットに対しその理由を問います。
それに対し、ロケットは「ありのままを否定した」からだと答えます。
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの面々は、いわばはぐれ者です。
彼らは皆、何かを失い、世の中から爪弾きにされた者なのです。
彼らはガーディアンズを家族のように感じています。
彼らだけが、自分のありのままを受け入れてくれているからなのでしょう。
ドラックスは”破壊者(デストロイヤー)”と呼ばれた鼻つまみ者でした。
ネヴュラは世界を一度滅ぼしたサノスの手先となり殺戮を繰り返してきました。
マンティスもエゴの命令のまま従い、生きてきました。
他のメンバーも皆、多かれ少なかれはぐれ者です。
ガーディアンズだけが、自分をありのままに受け入れてくれた場所であり、家族であったのです。
完結編となる本作で、ガーティアンズたちは家族の一員であるロケットのため、命懸けで戦います。
本作が大団円であったというのは、メンバーの皆が一度は失ったものを手に入れることができ、幸せになることができそうであったからです。
ドラックスは多くの孤児たちの父親として生きていくこととなり、かつて愛娘を失ったことによる心の傷が癒やされていくのでしょう。
クラグリンは、尊敬するヨンドゥから引き継いだ矢を操るようになり、正真正銘の後継者となることができました。
ロケットもかつて友たちを救えなかった無念を乗り越え、はみ出し者たちの拠点ノーウェアのリーダーとなりました。
そしてピーターは地球に戻り、唯一の家族である祖父と暮らすことに決めたのです。
監督のジェームズ・ガンはこのシリーズでも、そしてDCの「ザ・スーサイド・スクワッド」でもはみ出し者たちを好んで描きます。
ありのままを受け入れてくれる場所、家族を描きます。
ガンはDCに移籍しましたが、次回作は「スーパーマン」の若かりし頃を描くということ。
ガンらしい「スーパーマン」を期待したいところです。
またガーディアンズのメンバーの多くは離脱してしまいましたが、ロケット率いる新生ガーディアンズにはアダム・ウォーロックや、フィラが加わっているので、こちらも何かしら物語が続くのを期待したいところですね。

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「せかいのおきく」狭いがしあわせ

本作の舞台となるのは江戸末期。
時代としては諸外国が日本に開国を迫っている頃で、日本人にとって世界が急速に広がっていこうとしている時になります。
本作の主人公は元武家の娘おきく、そして下肥買いの中次、その兄貴分の矢亮です。
彼らの世界には開国などは全く関係のない出来事で、本作の中でも全く触れられることはありません。
現在はインターネットで地球上のどこでも繋がることができ、さまざまな交通機関でどこでも行くことができます。
現代の世界という概念は非常に広い。
主人公たちの生きる世界は江戸とその周辺部のみ。
彼らの世界は驚くほどに狭い。
主人公のおきくは中盤で声を失い、さらに彼女の世界は狭くなります。
しかし、狭い・広いが重要なのでしょうか。
おきくと中次は身分を越えて、互いに惹かれ合います。
言葉を発することができないおきくに、中次は賢明に伝えようとします。
「おれはせかいでいちばんおまえがすきだ」と。
インターネットで世界が広がり見ず知らずの人から非難され、世界に絶望してしまうこともある現代。
動ける範囲も、知り合う人も圧倒的に狭い時代でも、本当に自分のことを思う人がいる世界は狭くても、幸せな世界なのかもしれません。
「おきくのせかい」は彼女にとって十分に幸せな世界なのでしょう。

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2023年5月 5日 (金)

「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」任天堂のIP戦略

世界中で最も愛されているゲームのキャラクターと言っても過言ではないスーパーマリオブラザーズ。
それをリリースしている任天堂と、「怪盗グルーの月泥棒」などで有名なアニメーションスタジオ、イルミネーションがコラボして作ったのが本作「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」です。
公開されるや、世界中で大ヒットとなっている本作を見てきました。
まず言っておきますと、個人的にはスーパーマリオにはあまり思い入れがなかったりします。
世代的にはファミコン世代ではあるのですが、横スクロールゲームが苦手でほとんどやったことはありません。
最近は娘とマリオカートをやったりはしているのですが。
ですので、あまりキャラクターも詳しくなかったりします。
まずイルミネーションが制作しているので、アニメーションの品質は申し分ありません。
さらには任天堂でマリオシリーズを生み出した宮本さんがプロデューサーとして入っていて品質を担保しているためか、よくあるゲーム原作映画のようにゲームファンが「これじゃない!」と悲しむようなことはありません。
最近、任天堂はゲーム以外のIP活用に積極的な感じがしています(USJのスーパー・ニンテンドー・ワールドもよくできている)が、ただ権利を活用するだけでなく、品質もしっかり管理できているように思います。
本作が評価が高いのは、多くのファンを抱えるスーパーマリオというコンテンツが期待を裏切らない作りになっているからだと思いました。
正直、ストーリーとしては凡庸なものであると思いますが、ゲームなどでは描ききれない行間の部分を映画で表現できたのかなと思いました。
それにより、ゲームのキャラクターがより生き生きと感じられるようになったという点が本作が評価されたポイントなのでしょう。
本作を通じてマリオやその他のキャラクターは、ゲームよりさらに高精細化され掘り下げられました。
これはおそらくこれからのゲームにもフィードバックされ、よりスーパーマリオという世界がより豊かになっていくと思われます。
今回の成功により、この手法はスーパーマリオ以外の任天堂のIPにも適用される可能性もあるかと思います。
ゲーム、映画、スーパー・ニンテンドー・ワールドのような体験的施設などが充実していくことにより、さらにコンテンツとしてのパワーが上がっていきます。
これはディズニーが長年にわたりやってきたことで、ニンテンドーは日本のディズニーになる可能性もあるかもしれないですね。

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2023年5月 1日 (月)

「AIR/エア」ブランドが生まれる時

1980年代初期NIKEはランニングシューズは名が通ってきていたものの、現在のような大ブランドとしては確立していませんでした。
確かに私も最初にNIKEというブランドを見た時、ナイキと読むとは思わず「ニケ?なのかな」と思ってました。
(これはあながち間違いではなく、我々が親しんでいる「ニケ」とはギリシアの女神の名前で、ナイキの社名の由来もこの神の名からです。英語読みではナイキと読むのです)
バスケットボールシューズのマーケットでも当時はコンバース、アディダスに続く、3番手でした。
そのブランドが一気に世界ブランドになっていくきっかけとなるのが、「エア・ジョーダン」です。
本作ではこの靴が生まれる時の物語が語られます。
「ブランド」とは何か?
数多くのマーケティングの本で語られています。
初心者が勘違いしやすいネーミングとブランドの違いとはなんでしょうか。
ネーミングは文字通り名前です。
名前は付けただけでは価値が宿っていません。
まだ「ネームバリュー」はないわけです。
ネーミングに価値、そして物語がついてくるとブランドになります。
その価値とは何か。
その価値とは消費者がその商品そのものと購入したことから得られる経験から感じる便益です。
そしてそれが得られるという確信が持てそうな物語があることでブランドになっていきます。
この物語をブランドに持たせることがなかなかに難しい。
長年生き残ってきているブランドには、その歴史から醸し出される物語があります。
しかし、新しいブランドにはその歴史がない。
そのため物語を外から導入する必要があります。
「エア・ジョーダン」における物語とはまさにマイケル・ジョーダンそのものです。
彼の才能、生き様が全て物語になり、「エア・ジョーダン」というブランドを形作っていきます。
契約の過程において、マイケルの母親デロリスは売上の一部を報酬として要求します。
これは当時としては破格の要求ではありましたが、マイケル・ジョーダンの人生そのものを物語として提供するわけですから、相応であったのかもしれません。
それほどまでにブランドにとって物語は必要なのです。
物語があると、それに魅せられ、信じる消費者が出てきます。
ロイヤリティ・ユーザーですね。
「エア・ジョーダン」でも自分では全部履かないのにコレクションをする人というのもたくさんいます。
「アップル」などもこのような物語をうまく使う会社です。
本作は新しいブランドが生まれ、新しいマーケティングのスタイルが生まれた時を描いた作品です。
マーケティングに興味がある人が見ても面白いかもしれないですね。

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2023年4月26日 (水)

「ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り」キレのいいテンポの良さ

食わず嫌いですみません!
予告を見た時はよくあるファンタジー映画と思い、全く食指が動きませんでしたが、思いの外ネットでは評判がよく、ようやく見に行ってきました。
評判通り、想像以上によくできていて、非常に楽しめました。
そもそも「ダンジョンズ&ドラゴンズ」というのは、テーブルトークRPGというボードゲームです。
RPGというと「ドラゴンクエスト」とか「ファイナルファンタジー」を思い浮かべますが、その元祖と言っていいゲームです。
実際、劇中でもシーフ、バーサーカー、ソーサラー、マジシャン、パラディン(聖騎士)などRPGでお馴染みの言葉が出てきますが、その元ネタは「ダンジョンズ&ドラゴンズ」なんですね。
しかしゲーム原作の映画というのは、少数を除いて、外し気味の作品が多いのも確か。
その辺りも惹かれなかったところです。
本作の一番の良さと言えば、テンポの良さでしょうか。
このテンポの良さというのは2つ意味があって、一つはストーリー自体の進行が非常にさくさく進んでいくことです。
ファンタジー映画というのは、進行が遅いイメージがあります。
日常とは異なる世界を描くため情報量が多いというのもあるでしょうし、登場人物が多いということもあるでしょう。
その最たるものが「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズで、面白いとは思いつつも、進行の遅さにイライラした覚えがあります。
それに対して本作は話の展開が非常に早く、良いテンポで見ることができます。
世界観についてもそもそもがこのようなファンタジーの元祖であるので、あまり説明する必要もないということもあるかもしれません。
また基本的にストーリーは主人公エドガンを中心に一本道を進んでいくので、迷子になることもありません。
もう一つのテンポの良さは編集です。
アクションシーンも多いですが、これらの編集が非常にキレがあります。
またそのキレはアクションだけでなく、本作の要素の一つのコメディ部分にも生かされており、特に墓場のシークエンスは編集が笑いに直結していたように思います。
このようにストーリーの展開の早さ、編集の小気味良さでストレスなく鑑賞できるというのが、本作の良さではないかと思います。
テンポよく進むということだと、キャラクターが描ききれていないかもと思う方もいるかと思いますが、意外とそうではありません。
本作はコメディ色が強く、登場するキャラクターもクセがある者が多いです。
主人公エドガン、彼とパーティを組むメンバーたちは主人公側と思えないほどの負け犬感が漂っています。
それぞれ過去の様々な経験により、自分に自信が持てなくなったり、人を信じられなくなったりしているわけですが、そのような彼らが一緒に旅を続ける中で、お互いに影響され、自信を取り戻していく様子が描かれます。
先に書いたようにストーリーとしては一本道なので、まさに彼らが自信を得ていく過程に寄り添っている感じもし、彼らへの思い入れがどんどん強くなっていく感じがしました。
エドガンは負け犬ながらもポジティブな気持ちを常に持っていて、彼が言ったセリフ「失敗したためことをやめたら、ほんとうに失敗する」はメモをしたくなるような名言だと思いました。
RPGというのは、パーティを組んで旅をしていくという形式が多いですが、まさに自分もパーティの一員となって彼らと旅している気分になれるように感じます。
本作は出演陣も意外にも豪華です。
主人公のエドガンのクリス・パイン、その相棒ホルガのミシェル・ロドリゲスがは見る前から認識していましたが、悪役(?)をヒュー・グラントが演じています。
またカメオでブラッドリー・クーパーが出てきて、びっくりました。
どこに出てくるかは、見てのお楽しみです。
あと、パーティの一人ドリックを演じていたのが、エイミー・アダムスではないかと一瞬思ったのですが、年齢的にちょっと合わない。
確認したらソフィア・リリスという別人でした。
しかしソフィアはドラマでエイミー・アダムスが演じた役の若かりし頃を演じたこともあるようで、やっぱりみんな似ていると思っているのですね。

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2023年4月22日 (土)

「仕掛人・藤枝梅安(二)」因果応報と業

2月に公開された1作目に続いての2作目となります。
とはいえ、話としては独立しているので本作だけを鑑賞しても全く問題ないと思います。
前作では昨今珍しい正統派の時代劇を見せてもらったと感じました。
本作はそこはしっかりと押さえつつ、「仕掛人」という物語の独自性を色濃く描いています。
仕掛人の独自性とは他の時代劇とは異なり、ダークヒーローであるということです。
仕掛人は悪を裁く者でありながら、人を殺すという悪を行う者です。
彼らは人を殺めているわけですから、それにより誰かの恨みを買う。
梅安にしても彦次郎にしても、いつかは誰かに殺されるという思いを持ちつつ、この稼業を続けています。
本作ではかつて梅安が手をかけた女の夫、井上半十郎に、梅安が命を狙われます。
井上もまた仕掛人となっておりました。
まさに因果応報です。
梅安もただ座して殺されるのを待つわけでなく、井上と対峙します。
殺される、生き残る、それは紙一重。
人を殺す稼業であることの宿命と梅安は静かに向かい合います。
また本作では人の業というものも強く描きます。
金が欲しい、女を抱きたい、そのような欲に、それを持つ人間そのものが支配される。
梅安はその生い立ちから女という存在を疎みつつも、人間の男として激しく女を求めてしまう。
本作で梅安のターゲットとなる井坂惣一はその業に呑まれた男です。
梅安にしても井坂にしても業に呑まれている点では同じで、何かの加減でそうなってしまったというだけに過ぎないのかもしれません。
人は多かれ少なかれ、自分の中にある欲、すなわち業に翻弄されてしまうのです。
「仕掛人・藤枝梅安」は人間が背負ってしまった業に翻弄される人々を描いていると思います。
そこに人は自分の奥底にある部分に共通なものを感じ、心を揺さぶられるのでしょう。
驚いたのは最後に鬼平が登場するところ。
エンドロールに鬼平の名前があり、「あれ、出てたっけ?」と思ったのですが、ポストクレジットでの登場でした。
調べたら「鬼平犯科帳」も映画になるのですね。
こちらも期待したいところです。

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2023年4月10日 (月)

「Winny」組織と個人

WinnyとはP2P技術を使ったファイル共有ソフトです。
P2PとはPeer to Peerの略で、クライアントサーバなどを解さずに、端末同士が直接ファイルをやり取りする仕組みです。
現在LINEや仮想通貨などでも使われている技術です。
このソフトが発表されたのは2002年とのことです。
私は仕事柄著作権について気をつけるようにしているので、このソフトを使ったことはなかったのですが、コンピュータの雑誌などで話題になったのは覚えています。
当時このソフトを使って違法に著作物をやり取りした事案が多く発生し、何人か著作権法違反で逮捕者が出ましたが、このソフトの開発者である金子勇さんが逮捕されたことで、大きく取り上げられました。
金子さんは著作権法違反の幇助ということで逮捕されましたが、これが議論を呼びます。
劇中でも例として挙げられますが、包丁で人を刺した時、刺した人間は当然罪になりますが、包丁を作った人間は罪になることはありません。
金子さんについても同様のことが言えるのではないか、ということですね。
警察・検察は、金子さんに著作権という仕組み自体を否定する意思があり、それはすなわち社会テロであるという筋をたていました。
それに対して弁護側は技術者として高いハードルを越えて新しい技術を開発しようとするのは、技術者としての本分であり、このように開発者を逮捕することが前例となれば、未来の技術者が萎縮し、日本が新しい技術を開発しにくい社会になると訴えます。
この事件については私は経緯について、あまり詳しくなかったのですが、本作を見る限り警察・検察は新しい技術による新しい事案に対応しきれなかった感はありますね。
対応しきれなかったので、著作権違反の土壌となっているWinny自体を止めようとしたということでしょうか。
ただこれは非常に乱暴な対応で、結果的にはあまり効果はなかったように思います。
当時の記憶ですが、WInnyと同様の機能を持ったソフトは他にもたくさん出てきていたように思います。
一旦ソフトとして発表されれば、ソースコードをなどを見れば他の技術者も同様のソフトは開発できるでしょう。
検察などは悪い筋であったと途中で思ったとしても、大きな組織ということで止まれなかったのかもしれません。
組織の慣性の法則が働いてしまったのでしょうか。
同様に組織の慣性の法則が働いていた例として、本作には愛媛県警の裏金事件もWinny事件と並行して描かれます。
この事件のことも私は覚えていて、現職警察官が内部告発したことに驚きました。
これも皆が悪いこととしてわかりながらも、組織としてはそれを止めることができなかった、悪い慣性の法則の例だと思います。
組織の慣性の法則は、得てして個人の価値観なども踏み潰します。
個人は大きな組織と対することはなかなかできません。
劇中で金子さんがWinnyを開発することになった動機として、強固な匿名性を挙げていました。
組織と対等に立つための、個人を守るものとしての匿名性。
匿名であれば、組織に対して安心して物を申すことが出来る。
個人を守るための最大の防具ということですね。
これはその通りだと思います。
ただこの防具は、今では武器となっていることも問題になっているようにも思えます。
匿名であれば何もやっても平気、という気分が次第に広がっていったようにも思えます。
いわゆるバイトテロや迷惑系動画などはそのような気分が暴走した事例かもしれません。
おそらく金子さんは性善説でものを見る方だったのでしょうね。
ここまで匿名を使って悪さをする人が増えてくるとは想像もしていなかったのではないでしょうか。
とはいえ、このような状況であってもTwitterやInstagramの開発者を逮捕しよう、などと言い出す人は皆無なわけで、金子さんの逮捕が今の感覚からするとやはりおかしいという感じはしますね。
本作では派手さはないですが、俳優陣も非常にいい演技をしていたと思います。
金子さんを演じていた東出昌大さんは、癖などを再現していて、彼の個性(自分のことを話すのは苦手ながらも、意外とユーモアもある)を醸し出していたように思いました。
金子さんをサポートした壇弁護士を演じていた三浦貴大さんもよかったです。
役作りでしょうか、普段よりはかなりふっくらした体型にしていて、壇さんの思いなどがはっきりと伝わってきました。

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