2020年11月19日 (木)

「ドクター・デスの遺産-BLACK FILE-」 真犯人の正体は?

終盤のどんでん返しでちょっと驚きました。
が、エンドロールの原作者に中山七里さんの名前を見つけて、納得しました。
さすが「どんでん返しの帝王」です。
中山七里さんの作品は大好きで何作も読んでいるのですが、多作な方なので全然読むのが追いつきません。
どれも仕掛けがあって読んでいて驚くことが多いです。
本作の原作については未読でした。
最近は小説を原作として映画化することも多いのですが、根本的に違うところがあります。
当たり前ですが、それは映像です。
小説で登場する人物の姿は読者が頭の中に想像するだけですので、実際に見ることはできません。
叙述ミステリーなどはそのことを上手に使ったものも多いですよね。
原作のミステリー小説がテキスト媒体であることの特性を用いた仕掛けをしているものであると、その映像化は難度が上がります。
映像ですから、見るだけでわかってしまいますからね。
本作も誰が真犯人であるか、がどんでん返しのポイントです。
実は真犯人はかなり早いタイミングで登場しているのですが、「気配」を感じさせません。
映画の場合は、真犯人には名が売れたキャストを当てることが多いですが、そのこと自体が観客に「あの人物が怪しい」と疑わせることが起こります(あえて無名のキャストを当てるということもありますが)。
これはある種の映像作品の制約とも言えるでしょう。
本作でも真犯人は有名な方が演じているのですが、初めに登場するときは全く有名俳優であることのオーラを消し去っていることに驚きました。
正直、無名の方が平凡な役を演じているだけのように見ていたわけですが、後々にその人物が真犯人だと分かったときに、「え、あの人だったの?」とびっくりしました。
特殊メイクをしているとかそういうわけではなく、メイクと衣装と演技のみであれだけ有名俳優のオーラを消せるということ自体が凄いことだと思いました。
その方の名前は公式サイトなどでも紹介されていないので、制作サイドは小説と映画のメディアの差を十分意識して作っていたことがわかります。
映画のテーマは安楽死。
これは非常に重いテーマで、すぐに答えが出るものではなく、見ていて辛いところもありました。
特に主人公とその娘に真犯人が迫ってくる(それもその犯人らしい心理的な攻め口で)ところは苦しい感じさえしました。
自分にも娘がいるからかもしれませんが。
ほんとに真犯人が怖いのですよ・・・。

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2020年11月 8日 (日)

「罪の声」大人のエゴ

時効となったグリコ・森永事件をモチーフとした原作小説の映画化作品です。
この事件の当時はすでに高校生くらいだったので覚えてはいますが、脅迫に子供の声が使われていたのは忘れていました。
結局犯人は誰だったかというところも気になりますが、確かに脅迫に使われていた子供は今、何をしているのか、謎ですよね。
本作ではグリコ・森永事件に関して今までいくつかあった事件の仮説を複合したような形で、架空の事件であるギン萬事件の犯人グループに迫っています。
その中で、脅迫に使われた子供たちの現在も描きます。
主人公の一人は脅迫に使われた声の本人である曽根俊也。
彼は偶然、古いテープを発見し、それを再生したところ自分の子ででギン萬事件の脅迫文が録音されていたことに気がつきます。
誰が自分の声を録音したのか、自分はどう事件に関わったのか、彼は独自に調査を始めます。
もう一人の主人公は阿久津英士。
彼は大日新聞の記者であり、時効になったギン萬事件の再取材を命じられます。
彼らが事件を掘り起こす中で、次第に俊也の他にも声を使われた子供たちの存在が明らかになっていきます。
また犯人グループたちの姿も。
最終的に彼らは事件の首謀者たちに迫ることができ、直接彼らから話を聞き出すことに成功します。
これについてはネタバレになるので、こちらでは書きません。
ただし触れたいのは、大人たちのエゴにより、人生を滅茶苦茶にされた子供たちの存在です。
主人公である俊也はたまたま何も知らずに幸せな人生を生きてくることができました。
けれども事件に人生を翻弄された子供たちもいたのです。
大人たちは自分たちがやってきたことはちゃんとした理由があると言います。
世の中を変えたかった、既得権益層に一矢報いたかったなど。
けれども子供たちにはそんなことは一切関係がありません。
大人が自分の責任で自分の主義主張を通すのはまだわかる(事件を起こし、被害を出すのはもってのほかですが)。
ただそれに無関係の子供たちを巻き込むのは許しがたい。
大人は失敗しても自分としてはやり切ったという気持ちはあったかもしれません。
そんなことも子供には関係がありません。
大人のエゴが子供の人生に影響を与える。
自分も子の親ですから、ちょっといろいろ考えることがありました。
こんなふうに育ってもらいたいという親としての理想もあったり、自分の都合で子供にいろいろ言ったりすることもあります。
けれど、子供には子供が生きたいように生きる権利があります。
親の無理強い、エゴの押し付けなどをするのもあまり良くないなとも感じました。
本作で描かれている大人とエゴとその結果の子供の人生というのは極端な例ではありますが、少なからずどの家にもあることかもしれないとは感じました。

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2020年10月31日 (土)

「映画 プリキュアミラクルリープ みんなとの不思議な1日」 キャラの扱いが丁寧で好感

「プリキュア」の映画を生まれて初めて見に行ってきました。
4歳になる娘が「行きたい!」と言ったので。
こちらの映画は現在放映中の「ヒーリングっど♥プリキュア」とその前作「スター⭐︎トゥインクルプリキュア」、前々作「HUGっと!プリキュア」のクロスオーバー作品となっています。
これは「仮面ライダー」の「ライダー大戦」などでもお馴染みの東映が得意な企画なので、個人的には全く違和感はありません。
ちなみに「スター⭐︎トゥインクルプリキュア」は子供に付き合ってほとんど見ていて、思いの外、面白かった印象がありました。
ヒーリングっど♥プリキュア」は所々齧って見ている感じで、「HUGっと!プリキュア」に関しては全く見ていません。
すなわち今回は子供の付き合いで見に行ったわけですが、想像していたよりもストーリーもしっかりしていて大人でも楽しめるしっかりとした作りになっておりました。
同じ1日を何度も繰り返す、という設定は私としては「うる星やつら ビューティフルドリーマー」を思い出してしまうわけですが、年齢を感じさせますね・・・。
「プリキュア」初心者の私ですが、フォーマットとしては女児向け「スーパー戦隊」のようなものでしょうか。
「スーパー戦隊」ではチームの中心に立つのは概ね「レッド」ですが、「プリキュア」はピンクなのですね。
戦隊の方はリーダーとなるレッドについては、毎年いろいろなタイプのキャラクターが登場します。
熱血タイプ、冷静なリーダータイプ、底抜けポジティブタイプなど様々です。
私がちゃんと見ていた「スター⭐︎トゥインクルプリキュア」のピンクはキュアスターこと星奈ひかるですが、彼女は底抜けポジティブタイプでしたね。
彼女は基本的にポジティブで揺るぎがない。
自分が夢見ることが必ず叶うと信じられている。
それが彼女の強さであると見ていて感じていました。
現在放映中のヒーリングっど♥プリキュア」、そして本作の主人公であるのはキュアグレースこと花寺のどか。
彼女は幼い頃病気になってずっと入院していたこともあり、ちょっと自分に対して自信がないようなところがあるように感じていました。
ただずっと周りの人の優しさに支えられてきたこともあり、彼女自身も周りの人々を気遣う心を持っています。
それが彼女の力の源泉になっているのでしょう。
本作には過去のプリキュアたちが登場するものの、同じ日を繰り返させるリフレインという謎の存在により、彼女たちは昼の12時を迎えるとそれまでの記憶を失ってしまいます。
そのため、時の妖精ミラクルンのライトをもらった「ヒープリ」の3人のプリキュアは彼女たちの力だけで、リフレインと戦わなければなりません。
皆を救いたいという強い気持ちはあるものの、何度も負けてしまうキュアグレースは心が折れそうになるものの、それを支えたのがキュアスターの底抜けのポジティブさでした。
単純に過去のキャラクターが登場するお祭り的な映画かと思いきや、キャラクターの性格をしっかりと物語に絡めて、コラボレーションとして丁寧に作ってあることに好感が持てました。
敵となるリフレインにも寂しさがある背景が設定されており、そのあたりの回収も上手にできていると思いました。
ヒーリングっど♥プリキュア」はタイトルの通りテーマは病魔に蝕まれる地球をお手当てすること(キメ台詞は「お大事に」!変身シーンにも白衣を着るようなイメージがありますね)。
放送開始は2月でしたが、その後すぐに世界中がコロナ禍に。
まさに現実世界の地球が病魔に蝕まれている状況で、コロナを「予言」したとも言われていましたね。
ちょっと最近はテレビの方は見ていないので、現実の状況を受け、どのようにストーリーが展開しているのか、映画を見て改めて気になった次第です。
娘が録画しているのを見直そうかな・・・。

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「浅田家!」写真のチカラ

いろいろあって鑑賞してから記事を書くのに1ヶ月かかってしまいました。
今回は鑑賞した時のことを思い出しつつ、になってしまいます。
まずは本作を見た時、かなりの部分で泣いてしまったのを思い出します。
数年前ではそんなことにはならなかったかもしれないですが、自分で家族を持ち、子供ができたことが大きいかと思います。
脳腫瘍の子供を持った家族のエピソード。
死が間近に迫っている子供を持つ親御さんの気持ちは如何ばかりか。
自分だったら耐えられない。
主人公であるカメラマンの浅田が撮った写真がこれがまたとてもよく。
幸せそうに眠る子供を両親が挟んで川の字で寝転んでいる姿。
平和な一枚だけど、それはずっと続くものではないというのはわかっている。
それでも子供たちを見て優しく微笑んでいるご両親の顔。
泣けてきました。
あとは、後半の東日本の震災の時の写真を持ち主に返すボランティアのエピソード。
このボランティアは報道か何かで聞いたことがありました。
それに浅田さんも関わっていたのですね。
こちらのメインのエピソードとなる女の子のお話にも涙を流してしまいました。
少女は毎日のように写真を再生しているボランティア現場を訪れて、写真を探します。
自分たちの写真は見つかりましたが、亡くなったお父さんの写真だけが見つからない。
少女はお父さんは自分たちのことが好きでなかったから、写真が出てこないのではないかと言います。
けれどそうではありませんでした。
お父さんは家族の幸せな時を切り取った写真を撮ることに夢中になり、自分の写真は残していなかったのです。
確かにそうだ、と思いました。
私も時折iPhoneで家族の写真を撮りますが、確かに自分の写真はほとんどありません。
子供の笑顔とかそういう瞬間を残したい、とばかり思ってしまうのですよね。
浅田が家族写真を撮りたいと少女の願いをかなえるところも素敵でした。
お父さんはもういない。
だから一緒に写真に写ることはできません。
けれどいつも、お父さんがつけていた腕時計を浅田は腕に巻き、シャッターを切ります。
いつも少女のお父さんがそうしていたように。
少女にとっては、いつものように写真を撮ってくれていたお父さんを感じながら写真に写ることができたのではないでしょうか。
浅田さんが家族のインタビューをしてから、写真の構想を考えるというやり方はとっても素敵だなと感じました。
家族の歴史、思い出、夢、関係性、そして未来が一枚の写真の中に凝縮されています。
まさに一枚の写真のチカラはとてつもないものがあると感じました。
映画を見てから、今まで撮ってきた家族の写真を見返しました。
写真を見るだけでその時の情景が蘇るのですよね。
子供がこんなこと言っていたとか、そういうようなことが。
まさに写真のチカラです。

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2020年9月28日 (月)

「TENET」 カーチェイスシーン解説

「Tenet」の2回目を見てきました。
2回目の鑑賞で全体の構造はよく分かったのですが、やっぱりわかりにくかったのはカーチェイスシーンの部分です。
このシークエンスは登場人物が順行の人、逆行の人が入り乱れるで、とてもわかりにくい・・・。
見てただけじゃわからなかったので、図式化して整理してみました。
それぞれの登場人物の矢印がその人にとっての時間の流れです。
図の上から下への流れが世界の時間の流れ(順行)ですね。
たぶん、これで合っているはず・・・。

<図はクリックすると大きくなります>

Tenet_20200928232301
・「名もなき男」視点
 基本的に映画の中で語られている順の通りに進みます。

・セイター視点
こうやって図式化してみると、このシークエンスで登場するセイターはほぼ逆行しているんですよね。
逆行を知り尽くしている彼は、逆行している自分が順行者からどう見えるかが分かっています。
キャットを撃つときも弾丸が発射された後の拳銃を取り、負傷したキャットを逆行弾で打ちます。
高速道路で名もなき男を脅かす時も、名もなき男から見れば「3、2、1」とカウントダウンされているように見えますが、逆行セイターからすれば「1、2、3」と数えているわけですね。
逆行している途中でベンツからアウディに乗り換えるところがちょっとややこしい。

・キャット視点
キャットは逆行していないので、彼女自身の動きはシンプル。
しかし、劇中で描かれているときは逆行セイターと一緒なのでとても複雑に見えます。
劇中に描かれているのは「名もなき男」視点ですので。
彼女は順行セイターに蹴られた後、フリーポートから連れ出されますが、連れ出すのは逆行セイター。
つまりAudiに彼女が乗せられた時、セイターから見ればキャットを下ろしたということになります。
劇中でもチラッとそこが映りますが、ちょっと動きが不自然な感じがあるんですよね(順行主人公と逆行主人公の格闘シーンのような)。
同様にAudiから「名もなき男」と一緒に連れ去られるところは、セイター視点で言えば(逆行弾で回復した後の)キャットをAudiの乗せたというようになります。

ややこしい・・・。
一応整理できたような気がするので、もう一回見るか・・・。

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2020年9月21日 (月)

「TENET テネット」考えるな、感じろ

クリストファー・ノーランの最新作です。
時間の逆行を題材にするという話は聞いていたので、「メメント」「インセプション」「インターステラー」的な複雑な構造の作品かと思い、伏線などを見逃さないようかなり集中して鑑賞しました。
にもかかわらず、中盤くらいまでは劇中で起こっていることが理解できずにいました。
というのも、世界の時間全体が逆行するわけではなく、時間が順行する中に、逆行する人や物があるという状況がなぜ起こっているかがわからなかったからです。
途中まで話が進んだ時に、これは考えながら見てはいけない、とふと思いました。
なぜこういう状況になっているかという謎解きの部分を考えながら見ていると、そこが気になってストーリーから振り落とされると気づいたのです。
この作品はノーランが語る物語に身を任せて、見ていった方がいい。
まさに「考えるな、感じろ」です。
語りに身を任せて見てみると、ストーリーはそれほど複雑でないことに気づきます。
主人公である「名もなき男」も最初は全容がわからないままに、絡まった紐を解くかのように任務を進めていきます。
彼と同じように、訳がわからないままに物語を見ていけばいいのです。
ストーリーテリングはノーランにしてはとても親切なので(設定が複雑なためそのようにしたのか?)、ついていく事は難しくないと思います。
 
<ここからややネタバレ>
 
原題の「TENET」とは信条という意味ですが、文字の並びが怪文となっています。
回文とは頭から読んでも、後ろから読んでも同じように読めるという文章のことを言います。
まさにこの物語は回文の構造となっています。
時間の通常の過去から未来へという通常の流れと、逆の未来から過去へという流れが混在している様を描きます。
本作の中で時間を逆行させることができる装置として「回転ドア」が出てきます。
その「回転ドア」を中心にして時間の流れが逆行する。
「回転ドア」を回した時が特異点のようになります。
このような時間の中での特異点がいくつか物語の中で登場しますが(オスロの空港のシークエンスなど)、物語全体で見た時の時間の中での折り返し地点と現在の中間にある特異点が、クライマックスでのシベリアでの爆発になるのでしょう。
ここが全ての出来事の終わりとも言えますが、全ての出来事も始まりとも言えます。
主人公は日本のパンフレットでは「名もなき男」と書かれていますが、タイトルの英語では「protagonist」とあります。
「protagonist」」とは「主役」という意味であり、「主唱者」という意味でもあります。
まさに本作の冒頭ではただの駒、パーツとして扱われていた男こそが、この壮大な作戦を作り上げた「主役」であることが明らかになるのです。
「主唱者」でもある彼は「TENET(信条)」を唱える者でもあったわけです。
基本的には主人公たちの時間の流れ(順行)で物語は進みますが、彼らが見たり体験したことは逆行してきた者たちが引き起こしたことであることがわかります。
そうなると、この物語はあらかじめ決められた出来事を追っているということなのかもしれません(運命論的な)。
とはいえ、この物語は全てがうまくいったというバージョンのものかもしれず、彼らの作戦が失敗したという幾つもの他のバージョンがある(いわゆるマルチユニバース的な)見方もあるかもしれません。
最初に見るときは、あまり考えずに感じるままに見るのが正解で、見終わった後に考察して、その後もう一回見るのがいいのかもしれません。
映像に関しては文句なし。
これはどうやって撮っているのだ?と考える場面が所々にあります。
順行の者と逆行の者の格闘シーンなどもどうやって撮ったのかさっぱりわかりません。
クライマックスの戦闘シーンも全くどうやっているだか・・・。
ノーランの頭の中はどうなっているか一度見てみたい。

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「ミッドウェイ(2019)」 エメリッヒ印

太平洋戦争時、日米が激突したミッドウェイ海戦を題材にした作品で、ローランド・エメリッヒが監督。
彼らしいと言えば彼らしいのですが、やはり人間ドラマが希薄。
登場人物が多く、それぞれのキャラクターに深く共感することができずに、物語が進行していきます。
キャラクターの数が多いため、それぞれのエピソードにも深みがありません。
暗号解読部隊などはそれだけで一本映画作れそうな気もしましたが、扱いはあっさりです。
出来事を追っていくということが中心になりすぎているようなきらいがありました。
これは初期作品の「インディペンデンス・デイ」にも言えることなので、監督自身はそれほど感情描写には興味がないのかなとも思ったりもします。
確かに映像は技術の進化もあり迫力はあるものの、昨今はどの作品でもかなり映像的にはレベルが上がっているので、それだけでは評価する事は難しいかと思います。
またこのような太平洋戦争の戦闘をテーマにした作品は、世界各国で公開されることを前提とすると、それぞれの国民心情を配慮したものになると思います。
本作については中国資本が入っているので、日本人の描き方が云々という意見も見られますが、個人的にはこの時代の日本人のメンタリティとしてはフェアな描き方をしているようには思えました。
その分、それぞれの国民感情を踏み込みすぎず、何も言われないようにバランスを気にしすぎているようにも思え、そのため人物描写が表面的でなかなか感情移入がしにくかったようにも思えます。
同じように太平洋戦争の戦闘を題材にしたクリント・イーストウッドの「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」はそれぞれアメリカ目線、日本目線で割り切って描いたことにより、深く感情に訴えかけるものになっていたように思います。
迫力のある映像を中心に楽しみたいという方にはお勧めではありますが、やはりドラマが見たいという方には物足りない作品であるかと思います。

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2020年9月12日 (土)

「1/2の魔法」 前へ向かって

本作は3月に公開予定だったピクサーの新作ですが、コロナ感染拡大の影響で公開が延期に。
ようやく8月になって公開となりました。
パンフレットを買ったら「ムーラン」の広告が載っていましたが、こちらも元の公開日の4月の日付が。
公開延期が決定前に、もう刷っていたのだろうなあ・・・。
「ムーラン」は劇場公開はしないことが決定してしまい、残念(ディズニープラスで見れるようになったけどプレミアム料金で2980円かかるらしい・・・。高くない?)。
さて本作の話。
予告を見たときの印象としては、父と子の絆を描いたファンタジーかなという感じでした。
毎回、ユニークな切り口でありながらエモーショナルな作品を提供をしてきたピクサーにしては、オーソドックスな路線できたなと感じました。
16歳になった時、主人公のイアンは亡くなった父が残してくれた魔法の杖を母親から渡されます。
杖に添えてあった父親のメモには亡くなった人を復活させることができる呪文が書いてありました。
イアンと兄のバーリーはその呪文を試しますが、復活したのは父親の下半身だけでした。
全身を復活させるのには「不死鳥の石」が必要で、また呪文の効果は次の日の日没まで。
二人は父親を復活させるために冒険の旅に出ます。
主人公イアンは何事にも自信がない少年です。
冒険の旅の中で、兄の助けもありながら次第に魔法使いとして自信をつけていきます。
この物語はイアンの成長物語でもあります。
兄のバーリーは調子が良くて、ドジなところもあり、しばしばイアンの足を引っ張ります。
しかし、弟を思う気持ちは本物でした。
ただイアンは急速に子供から大人に成長していく一方、そんな調子の良い兄を疎んじる気持ちも芽生えてきてしまいます。
旅の途中で二人は喧嘩別れをしてしまいますが、イアンはバーリーの本当の気持ちを知ることとなります。
父親が亡くなったとき、イアンはまだ赤ん坊で全く記憶はありません。
しかし、バーリーは父親が亡くなった時の気持ちをずっと忘れてはいませんでした。
父親が失われるという恐ろしさのため、ちゃんとお別れの挨拶ができなかったことが、ずっと彼の中にわだかまりとして残っていたのです。
原題の「Onward」とは「前へ向かって」という意味があります。
これはずっと心にわだかまりを持っていて前へ進むことができなかったバーリーが、やっと父親に別れを告げることができることにより、前へ進むことができたという話でもありました。
もちろん主人公イアンもそんな兄の気持ちを理解し、父親に合う機会を兄に譲るということで思いやりのある大人に成長します。
「1/2の魔法」は主人公イアンだけの成長の物語だけではなく、バーリーとイアンの兄弟の成長物語なのです。
一見、一人の少年の成長物語かと思わせておきながら、実は兄弟二人の成長物語であったという構成は非常に巧みであり、エモーショナルであったなと感じました。
この辺りはさすがピクサーといった感じを受けました。

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2020年8月13日 (木)

「ドラえもん のび太の新恐竜」

「ドラえもん」という漫画は、絵を描くことや映像への興味、歴史や科学への好奇心という今の私を形作る重要なファクターとなっていると思う。
発売されるコミックは何度も何度も読み返したし、毎日放映されたアニメはテレビの前にカセットレコーダーを構えて全て録音をしていた。
その「ドラえもん」が映画になった時、ワクワクしながら見に行ったのを覚えている。
同時に連載をしていたコロコロコミックも毎月発売日を心待ちにしていた。
「のび太の恐竜」は長編であるだけに舞台も壮大で、かつドラマチックであった。
短編の「ドラえもん」しか知らなかった私にとって、「ドラえもん」の可能性が広がったのを感じたのを覚えている。
しかし、3、4作を見たあとは劇場版の「ドラえもん」を見に行くことがなくなった。
その頃はもう中学生となっていたから、「卒業」をしていたのだ。
しかし「のび太の恐竜」から40年の時を経て、私は再び「ドラえもん」の映画を見に行くことになった。
今度は4歳の娘と一緒である。
今回の「ドラえもん」の映画のテーマを 奇しくも一作目と同様に恐竜。
本作は川村元気さんによるオリジナル脚本ということだが、冒頭からの展開は「のび太の恐竜」と類似している。
のび太が育てるのはフタバスズキリュウのピー助ではなく、始祖鳥のように羽毛を持つ双子の恐竜キューとミュー(ピー助はちらりと本作にも登場します)。
4歳児の娘と見に行ったのだが、本作の尺は2時間弱、最後まで耐えられないだろうと思っていた。
昨年見に行った「アンパンマン」ではふらふらと席を離れてしまっていたから(「アンパンマン」の場合は OKなのだが)。
しかし、今回は基本的にしっかりと席に座り、最後まで映画を観賞してくれていた。
物語をきちんと理解する力がついているのだなと、子供の成長を実感した。
「のび太の恐竜」でもあった描写だが、のび太が育てた恐竜を白亜紀の仲間の群れに戻そうとする描写がある。
現代で育てられた恐竜はすぐには群れに馴染みにくい。
「のび太の恐竜」ではそこはわりとあっさりと描かれるのだが、本作では違う。
飛ぶことができず体が小さいキューは同じ種である恐竜たちに攻撃されてしまうのだ。
同族ではないと思われたのか、それとも異なる者は排斥されるのかは分からない。
うちの娘はこの場面で泣いていた。
他にも恐竜が襲ってくる場面があって怖がってはいたが、泣いてはいなかった。
この場面は他者と異なる者が、仲間外れにされる場面である。
泣いた理由を聞いたら、かわいそうだからと言っていた。
登場人物に共感できる優しい気持ちを持っていていい子に育っていると私は感激した。
この場面は本作が「のび太の恐竜」とは異なるオリジナル作品としても重要である。
現代ではダイバーシティの価値観が重要視されているが、なかなかそれが実践できているとは言い難い。
見かけが違う者、能力が違う者、価値観が異なる者が排斥されるのは日本に限らず世界各国で見られている。
異なる他者を受け入れることが大切であるのに、それがなかなかできない。
その異なることがもしかすると次のイノベーションにつながる可能性もあるかもしれないのに。
無様な動きで滑空ができなかったキューが、羽ばたきを覚え鳥への進化の道筋を作ったように。
そう考えるとこの作品のテーマはダイバーシティだと思う。
多様性こそがディープインパクトという世界を滅ぼすような出来事があっても、生物種は生き延びた。
異なる者を排斥することは、結果的に我々自体の生き延びる選択肢を狭めることにつながっているかもしれない。

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2020年7月24日 (金)

「ステップ」 共感、ただ共感

しばらく前に予告編を見た時から泣けてしまった作品です。
というのも自分も3歳の娘の子育て真っ盛りで、やはり自分のことのように感じてしまうのですよね。
主人公の健一は娘が1歳半の時に病気で妻を亡くしてしまったシングルファーザー。
それから男手ひとつで娘を育てていく様子が、娘が小学校を卒業するまで描かれます。
うちは夫婦二人で育てているのにも関わらず、子育てには悪戦苦闘です。
それをたった一人で仕事をしながらと考えると、その苦労は想像できないくらいです。
私も自分の親の世代に比べてみれば、断然子育てに関与しているとは思います。
イクメンという言葉が普通になり、父親が子育てにちゃんと関わるというのが一般的になっていたので、そのことにはあまり抵抗はありませんでした。
とは言いつつも、妻との家事分担ではそれぞれ言い分があり、喧嘩もしますし、また子供のことでイレギュラーなことが発生するとやはり大変です。
本作でも健一が仕事と娘の世話の両立がうまくできない時に「ああ、もう無理かもしれない」と呟く場面がありますが、こういうのは分かりますね。
彼ほど大変ではないにせよ、仕事と家庭の負担が一気にくると泣き言の一つでも言いたくなるというのは、子育てしているお母さん、お父さんは一度ならずあるのではないでしょうか。
とは言いつつも、それでも子育てを続けていけるのは、やはり子供の成長を感じられるからだと思います。
うちは今3歳ですが、もう会話は大人並みで、基本的に体が小さいだけで基本的にはもう大人と中身はそうそう変わらないのではいかと思うくらいです。
お友達と喧嘩したらちょっとボヤいたりしていますし、泣いている子がいたら慰めたりもする。
赤ちゃんに対してはお姉さんぽく世話をしてみたりする。
私が玄関にくつを出しっぱなしにしたりすると片付けて、と注意してきますし。
いろいろな場面でそういう成長を感じられる時、日々の苦労は忘れてしまいます。
世の中の風潮的に男性の育児参加が普通になってきたということもあるのですが、娘が生まれた時になるべく子育てには関わろうと思っていました。
私は結構歳をとってからの子供でしたので、二人目はあまり考えられませんでした。
ですので、子供の成長を見られるのは一度きり。
子供の成長は早いので、そのたったひとつの機会を見逃したくないと思ったのです。
もしかすると娘が成人する時まで生きているのかしらとも思ったりも時々思うのですよね。
先日、初めて娘が補助輪なし自転車に乗りました。
他の子に比べて圧倒的に早いタイミングなのですが、ほとんど苦労することなくパッと乗れたんです。
その瞬間に立ち会っていたのですが、結構感動したのですね。
こういう瞬間があるからこそ、親は頑張れる。
本作でも健一が日々仕事と子育ての両立に苦労しながらも、やっていけるのは娘の成長を感じられたからだからこそだとも思います。
ずっと一緒にいるからこそ、他の父親は見過ごしてしまったことを彼は見ることができた。
それは彼にとって宝物だと思います。
本作は2歳頃の娘、6歳ごろの娘、12歳頃の娘との日々が描かれます。
自分の子供の頃はあまりしっかりしていた記憶はないのですが、子供は子供ながらにしっかりと考えているというのは、自分の子供を見ていても思います。
6歳くらいになったら、こんな大人びたことを言うようになるのかなと思ったりしながら見ていました。
ありふれた言い方ですが、やはり優しい子になってもらいたいと思いますね。
本作の健一の娘も、親の愛情、そして周囲の人からの愛情を受けて育ったからこそ、優しい心根の女の子に育ちました。
自分が子供の親になるまでは全く実感は持っていなかったですが、子供が成長し、それを助けられることにこそ自分が存在する意味があるのだということを本気で思うようになりました。
そのようなことは映画や本などで見たり聞いたりして、表面的にはそうだなと思っていたのですが、リアルに自分の気持ちとしてそう思っているのです、今は。
本作も子供がいない時に見ていたら、違う感想になっていたかもしれません。
この作品は親の感じる気持ちを本当にストレートに素直に描いてくれて、そのため直球で心に響いた作品でした。
 
死んだ奥さんが残した壁のマジックの跡。
これの使い方が非常に印象的でした。
こういうセンスがある監督さん、いいですね。

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