2017年5月20日 (土)

「ワイルド・スピード ICE BREAK」 ファミリーという軸

何気にどんどん出演者が豪勢になっていくこのシリーズ。
シリーズが進むにつれてトーンダウンしていくものが多いなか、逆にどんどんパワーアップしていく「ワイルド・スピード」シリーズを出世魚シリーズと言いたい。
今回の敵役はシャーリーズ・セロンで、さらにはヘレン・ミレンも登場。
二人とも主役級の女優だし、豪勢です。
前回敵役のジェイソン・ステイサムもかなり見せどころがありましたし、もしかするとレギュラーになるのかと思う活躍っぷり。
ジェイソン・ステイサム好きなんですよ、実は。
刑務所を脱走する場面とか、飛行機の中のアクションは魅せてくれましたよ、キレキレでカッコいいです。
レギュラーであったポール・ウォーカーの死を乗り越えた前作ではアクション映画でありながらも、ジンと来るものがありました。
とはいえ、主役の一人がいなくなってシリーズを続けられるのかと思いましたが、本作はパワーダウンすることなくテンションアゲアゲでいってしまうところはやはり「ワイルド・スピード」らしい。
今となって車を使う「ミッション・インポッシブル」のようになって世界を股にかけているシリーズとなりましたが、毎回よくいろいろ考えるなと思うくらい、カーアクションもスケールアップしていますね。
次はどんなところに車で行ってしまうのかと期待してしまいます(海とか宇宙とか行っちゃうんじゃないか)。
派手なカーアクションがこのシリーズの見せどころであるのは間違いはないとは思うのですが、ここまで続いているのはシリーズを通してのテーマというか軸がしっかりと出来ているところでしょう。
最初の3作まではそれほど意識はされていなかったと思いますが、4作目以降に次第に強くなってきているのは、「ファミリー」というテーマですね。
これがあるからこそ「ワイルド・スピード」というシリーズは息が長いのでないかと思います。
主人公のドムが口にする「ファミリー」という概念は、ただ血縁があるというだけではなく、心の底から信頼できる仲間を包含しています。
このシリーズでは、すべての作品に出ているキャラクターはいないのではないのでしょうか。
しかし、ドムやブライアンを中心にして本当に信頼できる仲間たちが事あるごとに集まってくる。
それぞれは独立しているけれど、心が繋がっているからこそ、距離が離れていても決して絆は切れない。
だから登場人物が多少出たり出なかったりしても、シリーズとしては「ファミリー」という概念で繋がっている。
これは後付けのテーマかもしれないですが、非常に重要なものとなっています。
今回も前回の敵役であったデッカードとも強い絆をドムは結びました。
前までの敵が仲間になるって、「少年ジャンプ」の漫画かよとも思いますが、いいんです。
男の子はこういうの好きなのですから。
キャラクターを大事にしている感じがありますよね。
本作でもドムが自分の子供にブライアンて名前をつけた時、ホロリときてしまいましたよ。
ここまで続いてきているこのシリーズ、どんどん作っていってほしいと思いますが、実はあと2作らしい。
本作はシリーズ完結の3部作の1作目らしいです。
どんな結末を迎えるのでしょうか。
最後は今までのメンバー全員でてほしい。
期待して待ってます。

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2017年5月 6日 (土)

「美女と野獣(2017)」 愛の理想形

ディズニーアニメの「美女と野獣」が大ヒットした時(かれこれ25年以上前)、多くの人が観に行ったと思うのですが、自分は劇場には足を運びませんでした。
それからDVDとかでも観てないんですよね。
その頃はディズニーのアニメというと、言い方は悪いですが「女子供が観るもの」という先入観があったのですよね。
もちろん今はそんなことはなく、ディズニーアニメのクオリティは信頼していて、新作ができると観にいくようになったのですけれども。
「美女と野獣」については、最近フランスで作られた実写版も観なかったので、ストーリーもよく知りません。
という前提でこの作品の感想を書きますが、思っていたよりもよくて感動してしまいました。
元々のストーリーがとてもよくできているのでしょうね。
「美女と野獣」は愛というものの本質を正面切って描いているところに多くの人が感動をするのでしょうね。
人を好きになる時、見かけというのは重要なきっかけにはなるとは思うのですけれど、やはり愛することを続けていくには相手の内面を好きになれるかどうかというのが大事なのですよね。
見た目があまり良くなかったり、人とは違う趣味で変人と思われたりといった世間の評価というのは気になるものです。
「なんでこんな人と付き合っているの?」って言われるのが嫌というのは素直であると思います。
けれど「そんなの関係ない、この人がいいの!」と言い切れる自信にも皆憧れるところはあるのではないでしょうか。
それは相手の良いところを見つけられているという自分の判断に対する揺らぎなさみたいなものをなかなか人は持ちにくいからかもしれません。
だからこそベルや野獣が相手の良さを見つけ、それを愛することができるということに憧れるのでしょう。
あと、愛の本質という点では、自己犠牲でしょうか。
自分自身のことよりも相手のことを優先できるかどうか。
野獣は父親思いのベルの気持ちを大事にして、彼女を自由にしてあげた。
ベルは野獣を守るために危険が待っている城に戻っていった。
現実にはなかなか相手のためだけに行動するということはできないものです。
愛する人が相手でも利己的な気持ちは出てしまうもの。
ベルも野獣もなかなかできないことをやっているということで、理想を体現しているわけで、憧れになるのでしょうね。
「美女と野獣」は愛の本質、理想の姿を直球で描いているという点が共感できるところなのかもしれないです。
今の時代、ちょっとひねた目線で物事、愛などに関しても見てしまいがちですが、理想をまっすぐに描くというのはかえって目新しく、新鮮に感じるように思えました。

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2017年4月29日 (土)

「無限の住人」 派手ではあるが大味

久しぶりに試写会にて映画を鑑賞。
5月に公開予定の三池崇史監督の「無限の住人」です。
最近、テレビ番組の中でも宣伝してますよねえ。
三池作品ははちゃめちゃな感じがあって好きなのですけれど、最近の作品(「極道大戦争」「テラフォーマーズ」とか)は脱線感がありすぎて、観ている方が置いてきぼりになってしまった印象がありました。
「無限の住民」は不死となった剣士、万次がバッタバッタと敵を切り殺していくチャンバラが見どころの時代劇です。
激しいチャンバラが見どころの三池監督の時代劇と言えば、「十三人の刺客」がありました。
この作品は結構好きで、最後の決戦の長いチャンバラシーンにはカタルシスを覚えました。
「無限の住人」もラストで圧倒的な数の差の敵味方による大剣劇があります。
これはこれで見応えはあるとは思うのですが、観ていて疲れる・・・。
なんでなんだろうと観終わったあと考えたのですが、この作品のチャンバラは迫力はあるのですけれど、大味なのです。
万次は不死なわけなので、切られても死なない。
なので、命をかけた緊迫感が今ひとつ感じにくい。
命をかけた勝負においては、相手の動き方、自分の動き方、ちょっとしたことで命がやりとりされてしまうことがあるでしょう。
だからこそ剣と剣との間にはピリピリとした緊迫感がある。
昔のチャンバラは激しく剣を交わらせるところと、静かに相対するところとがあったように思います。
緩急とでも言いますか、これが緊張感を演出していたように思います。
けれども本作のチャンバラは敵も味方を刀をブンブン振り回しているだけのように見え、派手ではあるのですけれど、緊迫感は感じにくかったです。
本作についてはチャンバラシーンが非常に多い。
それを売りにしているとは思いますし、三池監督なのでサービス精神が満載なのでしょう。
けれども先ほど書いたような大味さがあるので、最後の方にはお腹いっぱいな気分になってきました。
作品全体でも2時間半弱であったと思うので、長尺な上に大味という・・・。
おそらく最初に編集した時は3時間くらいになっていたのではないでしょうか。
ドラマ部分で、ジャンプしているような箇所が散見されたので、かなりカットされているように見受けられました。
そのためにチャンバラパートがさらに比重が高く感じられたような気がします。
サービス精神旺盛で三池監督らしいなと思いつつも、やや大味感に食傷してしまったという印象です。

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2017年4月28日 (金)

「仮面ライダー×スーパー戦隊 超スーパーヒーロー大戦」 史上最低

昨年春の東映特撮の劇場版は「仮面ライダー1号」ということで、例年と異なりオールスター登場企画ということではなく、仮面ライダー1号=本郷猛に焦点を当てて描いた作品となっていました。
そのためか全体的には大人っぽくもあり、渋めではあったので、もしかすると子供たち受けという点では弱かったのかもしれません。
そういうこともあってか、今年の春の劇場版は久しぶりに仮面ライダーとスーパー戦隊のコラボ規格であるスーパーヒーロー大戦が復活していました。
派手にスーパーヒーローがたくさん登場するほうが子供たちに受けやすいという判断でしょうか。
いままでも○○大戦シリーズは、テンションが上がるお祭りムービーに仕上がっている作品もたくさんありました。
しかし、今回の作品は正直言っていただけない。
個人的には今までの平成仮面ライダーの劇場版の中では最低レベルの仕上がりではないかと思いました。
今までは異なる世界観を持つ仮面ライダーや、さらに異なるスーパー戦隊がひとつの物語の中にいるということに対し、納得ができる説明があったのですが、この作品ではもはやそのような丁寧さは感じません。
とりあえずたくさんヒーローを出しておけばいいのではないかというような安易さを感じてしまいます。
「アベンジャーズ」を初め、多くのヒーローが一つの映画に登場する作品はたくさんありますが、それぞれのキャラクターへのドラマがあるからこそ、納得性を感じさせることができるのだと思います。
それぞれのライダーなり、スーパー戦隊が薄っぺらく描かれると、彼らに対して愛情が感じられず、ただ消費しているだけのような感じを受けます。
そのせいか、登場するライダーにしても、なんでこのキャラクターが登場するのかという必然性はあまり感じられず、だからこそ出ているライダーも微妙なラインナップだったりします。
チームエグゼイドとかいって、あのメンバーはなんでああいうラインナップなのとか思いますもん。
色が合ってて、とスケジュールがあった人を出しているだけかーみたいな。
またたくさんライダーや戦隊を出すために対戦ゲーム的な要素を設定的に盛り込み、ストーリーとしてはエイトを中心にしたドラマが主軸になっているものの、他の要素が多すぎて、全体的にドラマとしてわかりにくい。
ごちゃごちゃしている印象がとても強かったです。
最後の決戦もドローンを使ったり、ゴープロ的な映像にしてみたりとチャレンジは感じますが、造成地での大勢でのド突き合いにしか見えず、「ウルトラファイト」かという感じを受けました。
こういうレベルにしかならないのであれば、無理に春の映画は作らなくてもいいし、と思ってしまいます。
東映さん、がんばって!

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2017年4月 2日 (日)

「キングコング: 髑髏島の巨神」 東洋と西洋の邂逅

この作品、タイトルを見ると1933年の「キング・コング」のリメイクのような感じがするけれど(ピーター・ジャクソンの「キング・コング」はそうでした)、本作はどちらかというと東宝の「キングコング対ゴジラ」に登場するコングのイメージでした。
途中で大ダコと対決しますし。
アメリカのコングは大きくなったゴリラというイメージで、あくまでも動物の範疇であったような気がします。
それに対し、東宝のキングコングは猿型の怪獣というイメージですかね。
これ、似ているようで結構違う概念であると思います。
アメリカのコングはあくまで動物ですので、人間サイドから見るとあくまでモンキー。
誤解を恐れずに言えば、人間様よりも格下の大きなだけの動物という見方をしているように思います。
しかし、日本のキングコングは怪獣であり、なぜか日本人はそこに神を見るのですよね。
「キングコング対ゴジラ」でもコングは島の人々からは魔神として崇められていますし。
ゴジラもそうですが、巨大で人間のコントロールが及ばないものに対して神性を感じてしまう気性が日本人にはあります。
今回の「キングコング:髑髏島の巨神」は、髑髏島の住民から神として崇められているという点からしても、その存在は東宝版キングコングに近いかと思います。
その神性を主人公のジェームズやカメラマンのメイソンは感じますが、同行する軍人のパッカード大佐はそうは思わない。
彼は自分の部隊に対する脅威とだけ捉え、どちらかというと大猿ごときが優秀は人間を追い込むことに我慢がならないというように感じているように見えます。
これは巨大でコントロールできない物事に対し、それを受け入れ共存すること求めるか、逆に完全にコントロール下に収めようとするかという見方の違いと言えるでしょう。
東洋的なものの見方と西洋的なものの見方とも言えるかもしれません。
冒頭の第二次世界大戦のシーンはなぜあるのかということを考えると、最初からこの東洋的視点、西洋的視点が交錯するということを提示していたということなのかとも思えます。

レジェンダリーフィルムは今、「モンスターバース」というプロジェクトを進めているのだそう(初めて知った)。
これは巨大生物が存在する世界の一連のシリーズのようです。
アメリカ版「ゴジラ」の次回作はキングギドラとラドンが登場する予定で、その後本作のキング・コングとゴジラは対決するらしい。
まさに東宝怪獣映画の全盛期のような様相になってきています。
日本的な怪獣映画のシリーズがアメリカで作り続けられようとしていることが不思議な感じがしますね。

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2017年3月25日 (土)

「モアナと伝説の海」 社会のためという動機

こちらの作品もディズニーのプリンセスものの系譜に属するものになるのかな。
「プリンセスと魔法のキス」あたりから、つまりはジョン・ラセターがディズニーの作品に絡むようになってから、ディズニーのヒロインの性格は大きく変わってきたと思います。
ヒロインが王子様と結ばれてめでたしめでたしとなるのではなく、彼女たちは自分たちの力で自分の進む道を見つけていくようになってきました。
相手役の男性たちは、彼女たちの行動に引っ張られていく存在になってきました。
これは女性がたくましく自分の意思で行動していくという強さを持ってきている社会を反映しているのかもしれません(男性の草食化も)。
昔のディズニープリンセスはまさにお姫様で、良き夫を得ることが幸せであるという昔の価値観を表していたものかもしれないです。
本作の主人公モアナもまさに自分で自分の生き方を決めていく女性ですし、相手役のマウイも見てくれは強面ながら、やはり彼女に導かれていくわけです。
そういう意味で「モアナと伝説の海」も最近のディズニープリンセスの系譜にあると言えます。
とは言え「アナと雪の女王」ほどのカタルシスを感じられたかというと、それほど強くはなかったように思います。
なんでかなと考えたのですが、「アナ」や「ラプンツェル」はパーソナルな愛情であったり葛藤であったりをテーマの中心においているので、感情移入しやすいということがったのかなと感じました。
「アナ」は二人主人公で、姉妹それぞれの思いのすれ違いであったり、特にエルサの心の中の葛藤が物語をドラマチックにしていました。
「ラプンツェル」は自由や愛などの気持ちもありながらも、それを封じ込めようとする母へ愛情も持っているという葛藤がテーマでありました。
本作についてはモアナ自身の誰かへの感情というものが彼女を動かしているのではありません。
彼女は社会的な責任(世界を救いたいという思い)を果たそうということで、旅に出かけます。
これは今までのディズニーのヒロインにはなかった動機であると思います。
しかし、モアナは自分のため、自分の感情のためというよりも、社会のために行動しているためか、今までのディズニーのような感情移入しやすさはなかったように思います。
ただこれが悪いわけではなく、この作品が掲げているテーマは内に内にと籠っていこうとする社会の流れ(保守的な動き)に対して、新しいことにチャレンジすること、広い世界に目を向けることの大切さを訴えているものであると感じました。
自分のことばかり考えがちな社会の中で、社会のために行動するヒロインは今の時代を反映しているものなのかもしれません。

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2017年3月 8日 (水)

「ラ・ラ・ランド」 ミュージカルの力

以前はミュージカル映画をあまり好きではなかった。
映画の中で進んでいたドラマの途中で、突如出演者たちが歌い始めるのが、奇妙であるような感じがしたのだ。
劇中で歌うということを描くミュージカルはリアリズムとは対極の表現だと思う。
リアリズムの視点で言えば、日常の生活の中で突然歌いはじめる者などいるわけがない(いたら相当にアブナイ)。
ミュージカルは、人の行動としてはとっても不自然なことをしているわけだ。
そういう視点で自分にとってミュージカルは馴染みにくいジャンルだったわけなのだが、現在はそのような印象は持っていない。
というよりミュージカル映画は好きなジャンルになっている。
いつごろからかと思い返すとおそらく「シカゴ」あたりからだと思う。
それまで個人的にミュージカル映画の印象は古臭いイメージがあったのだが、「シカゴ」は映画的な派手なゴージャスな画作りで自分の中でイメージを一新した。
食わず嫌い的なハードルがなくなって素直に観れるようになると、意外にもミュージカルの劇中歌とはストレートにキャラクターの気持ちを伝えることができるものだということがわかってきた。
普通のセリフとしていうとかえって大仰に感じたりしてしまう言葉でもミュージカルならば言えてしまえるし、心情もストレートにそのまま口にすることができる。
だから人の気持ちを素直にまっすぐに描きたい物語はミュージカルに向いていると言える。
その視点において、本作「ラ・ラ・ランド」はミュージカルの良さを存分に発揮していると思う。
この映画は凝ったストーリー展開で観客を魅了するタイプの映画ではない。描かれているのは人が人を愛しているときの幸せな気持ちや、別れの後の切なさというとても普遍的なこころ。
セブとミアの二人が出会ったときの対立、愛し合い幸せに満ちた日々、すれちがいと挫折、その時々の気持ちが二人の歌にのせて表現されている。
歌を通じて二人の幸せや、切なさが素直に心に響いてくる。
このダイレクトに心に響かせることができるのが、ミュージカルの力なのだろう。
二人が出会い、愛し合い、そして別れるプロセスは誰しも経験したことがあるような典型的な恋愛だと思う。
だからこそその時々に感じた気持ちは観客の心の中にしまわれていて、セブやミアの素直な気持ちがのった歌に揺さぶられるのだろうと思う。
「ラ・ラ・ランド」はミュージカルでなければ陳腐な恋愛ドラマになっていたかもしれないが、ミュージカルとして作られたことにより、多くの観客の共感性を得られる作品になることができたのだろう。

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2017年3月 3日 (金)

「ミス・ペレグレンと奇妙なこどもたち」 他の人と違うことは弱みではなく、個性

ティム・バートンらしい作品。
彼の作品には、周囲になじめない奇妙な人々が登場することが多い。
「シザーハンズ」しかり「バットマン」シリーズしかり。
これらの作品では、社会になじめない人々は他の人とは何か違うというだけで、社会的に隅に追いやられてしまうことが描かれている。
最近の作品では「ビッグ・アイズ」の主人公マーガレットも社会になじめなかった人とも言える。
ティム・バートンの目線はそのような奇妙な人々に対してのシンパシーに満ちている。
彼は変わっていること自体をおおらかに、その人の個性として尊重して描いている。
透明人間であろうが、空気よりも軽かろうが、すべてを燃やしてしまう力を持っていようが、それはその子の個性であると肯定している。
聞くところによればティム・バートン自身も相当に変わっていた子供だったようなので、それが彼の作風にも表れているのだろう。
トランプ政権後のアメリカ社会、また最近のヨーロッパ等ではマイノリティに対して、以前よりもさらに厳しい態度をとるようになってきている。
日本でもヘイトスピーチを巡る問題が上がってきているが、同様な雰囲気を感じる。
非寛容さが蔓延してきている社会の行く末を想像すると恐ろしくもある。
ティム・バートンの初期作品では異端者・異能者は迫害されたり、搾取されたりした中で、割と悲劇的な方向の結末である印象がある。
それが彼特有のもの悲しさを作品全体にトーンとして与えていたように思うのだが、最近はちょっと変わってきている印象もある。
どのあたりからかとは明確には言えないのだが(「アリス」あたりかと思うが)、異端者・異能者が虐げられる弱者としてではなく、最後には反撃することができる人物に成長していくさまが描かれているように思う。
これは主人公たちが自分自身を認めることができる力を持つことができるようになってきているとも言える。
変わっていることにより迫害され弱者として生き続けるのではなく、自分はこうであると認め、それを周囲にも認めてもらうことができる自立できる人間として描こうというような印象を受けるのだ。
本作でもジェイクは自分自身と子供たちのために、彼らを搾取する人々と戦う。
世の中の雰囲気は非寛容へと触れていて、社会になじめにくい人々はより一層生きにくい社会になってきているわけではあるが、それらに対し、自分自身を主張できる強さは持っていたいというメッセージなのかもしれないと思う。
他の人と違っていることは個性であり、個性は大事な力であるのだろう。

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2017年2月 6日 (月)

「マグニフィセント・セブン」 「七人の侍」の素晴らしさを再確認

「荒野の7人」のリメイク作品です。
監督はアントワーン・フークアなので男っぽい雰囲気に仕上がっていて好感が持てます。
「荒野の7人」自体がそもそも黒澤明監督の「七人の侍」をベースに作っているわけですが、本作を観ると「七人の侍」のプロットがすばらしく優れているということが改めてわかりますね。
無法者に搾取されている村の農民たちが、七人のアウトローを雇い、悪人たちを追い払おうとします。
アウトローたちは農民たちのなけなしの金を受け取り、彼らのために戦いますが、ひとりまた一人と命を落としていきます。
そのおかげで彼らと農民は無法者たちを追い払うことができ、村には平和が訪れます。
これが「七人の侍」のプロットですね。
まず優れているのがアウトローたちがそれぞれに個性的であること。
様々なバックボーンを持った男たちが偶然に集まり、無法を許さず村人たちを守るということのために戦います。
本作においても、若者から壮年まで年齢も幅広く、白人・黒人・東洋人・メキシカン、・ネイティブアメリカンなど人種も様々、南北戦争で南軍に属していた者、北軍にいた者など出自もいろいろです。
バックグラウンドが違う彼らですが、目的のためにいつしか固い絆を作っていきます。
それぞれ戦うことに関してはプロフェッショナルであり、それぞれにリスペクトを持っていくわけです。
七人の男たちが次第に結束を高めていくプロセスによって観る者が共感を高めていけるんですよね。
また決戦において一人またひとりと命を落としていく姿もぐっとくるものがあります。
自分の信じる正義のために戦い、そのために命を落とすというのは、やはり男のロマンのようなところはありますよね。
そういう姿は素直にかっこいいと思ってしまうところはあります。
そして最後には悪は敗れ、平和が訪れるというのも見ている側としてカタルシスを感じます。
七人のメンバーが全員死んでしまうというわけではないというもいい。
あまりに悲劇に寄りすぎても、ハッピーな気分にはなれないので。
こう見るとこの作品を観ていいなと思うところはすべて「七人の侍」のプロットに含まれていることなのですよね。
いかにこのプロットが優れているかどうかがわかります。
「七人の侍」にあってこの作品にないのは、実は農民は子狡く、そしてたくましく生きているということ。
ここに黒澤明は生命力のようなものを重ねていたように思いますが、この感覚は本作にはありません。
アメリカ人にはわかりにくい感覚かもしれないですね。

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2017年2月 3日 (金)

「ドクター・ストレンジ」 次期アベンジャーズのキーマン?

マーベルのニューヒーロー「ドクター・ストレンジ」を観てきました
個人的にはまったくこちらのヒーローについては知らなかったのですが、アイアンマンにしてもソーにしても同じ状況だったので、すぐに馴染むでしょう。
マーベルのヒーローをよくよく見てみると次のように大別できるかと思います。
1.テクノロジーによってパワーを補強するもの(アイアンマンとかアントマン等)
2.鍛錬などによって人間離れしたスキルを身に着けるもの(ブラック・ウィドゥとかホークアイ等)
3.テクノロジーとは異なる異次元のパワーを持っているもの(ソーとかスカーレット・ウィッチ等)
今回のドクター・ストレンジは3番目のカテゴリーですかね。
ドクター・ストレンジは空間と時間を自在に操る力を持っています(時間についてはアイテムが必要なのと、リスクを伴うために自在にとはいかないかもしれないですけれども)。
空間を自在に操るという力は今回の作品でもいくつもそういう場面があり、「インセプション」のように空間がねじられるような描写は映像的にも見ごたえがありました。
3Dで観たので、けっこうくらっときましたよ。
マーベル・シネマティック・ユニバースでは数々の超人が登場してきましたが、時間と空間を操る力を持つヒーローはいなかったと思います。
私の予想では今後「アベンジャーズ」などで「X-MEN」シリーズのようなタイムリープ的なエピソードが出てくるのではないかと思います。
今回のラストもまさに時間を遡る力で相手を打ち倒しましたから(というよりは根負けさせる)。
相手を倒すのではなく、あきらめさせるという結末は新鮮でした。
本作でも並行宇宙というキーワードが何回か出てきましたし、時間に関わる話になりそうな予感があります。
また空間を操る力を持っているということで銀河の彼方にいる「ガーディアン・オブ・ギャラクシー」の面々を呼び寄せることもできますよね。
ドクター・ストレンジは次期「アベンジャーズ」のキーマンになりそうな気がします。
物語としてはドクター・ストレンジの登場篇ということで、物語的にはそれほど変わったところはなく定番のヒーローものとして仕上がっていたと思います。
本作のヒロインはレイチェル・マクアダムス。
好きな女優さんなので、もうちょっと出てほしかったですけれど。
歳を重ねていっても可愛らしい女優さんです。

エンディングを観るとドクター・ストレンジはソーの新作に出そうな感じですね。
両方ともマジック的なパワーを使うので、相性はいいかも。
「アベンジャーズ」の新作にも出るのかな。
そのときはスタークとストレンジのゴーマン対決が見ものですね。

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