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2025年11月17日 (月)

「君の顔では泣けない」運命共同体

男女入れ替わりと言えば大林宣彦監督の「転校生」がまず思い浮かぶ。
「転校生」では主人公の男女(一夫と一美)の入れ替わりが起こるが、それは中学生のある期間だけで、最後には無事に元に戻ることができる。
本作では入れ替わりが起こった二人(陸とまなみ)はにわかに元に戻ることはできず、その後も入れ替わったままの人生を送っていくことになる。
入れ替わりが起こったのが15歳で、現在の30歳までその状態が続いているのだ。
本作では二人の15年が時間を遡って語られていく。
「転校生」以来、男女入れ替わりというアイデアは数々の映画やドラマで使われてきた。
しかし、入れ替わったまま元に戻れない、というアイデアはありそうでなかったのではないだろうか。
「転校生」の二人と同様にいつか戻るかもしれないと思い、陸とまなみはそれぞれ相手になりきって生活していくことにする。
その生活がずっと続くとは思わずに。
最初のうち、二人は入れ替わっていることがバレないように振る舞っていくことに苦労していた。
しかし、入れ替わり期間が長く続くにつれ、二人は大きなものを背負っていかなくてはならないことを自覚していく。
人生を、いつか戻れることを前提に他人として生きていかなければならない。
それはすなわち、自分自身の人生だけでなく、相手の人生にも責任を持たなくてはいけなくなってしまったのだ。
劇中で陸がこう表現するが、二人は「運命共同体」になってしまったのだ。
入れ替わりによって、二人は相手の人生も背負うだけでなく、普通に人生を生きていれば経験していくはずのことを、相手に奪われてしまうことになってしまう。
初めての恋人、セックス、一人暮らし、結婚・・・。
運命共同体でありながら、入れ替わりが長く続くほどに、相手に自分の人生、大切な時間を搾取されているようにも思えてくるのだ。
陸は自分の居場所を奪われてしまったように感じていく。
まなみは元々の愛想の良さからか、陸の家族とも良い関係を築き、そして本当の親にもまなみの友人の陸として家族のように扱われている。
対して陸は、本当の親には他人として邪険にされ、まなみの親とはチグハグとした関係になってしまう。
陸は、実家で自分の姿をしたまなみが楽しそうにしているのを覗き見、そこから立ち去る。
まなみはまなみで、自分の体を奪われてしまったような感じている。
ずっと借り物の体を生きているかのようだ。
成長していくにつれ、どんどん男になっていく自分の体。
そして女として綺麗になっていく本来の自分の体。
彼女の中で女である精神と男である肉体の不整合のようなものが生じていく。
彼女は次々と相手を変えていくプレイボーイのように暮らしていくが、それは男として振る舞っていかなくてはいけないという、女性である精神のアンバランスさが現れていたのではないだろうか。
「君の顔では泣けない」。
このタイトルに近しいセリフがある場面が2箇所ある。
いずれも二人の真の思いが現れたシーンとなっている。
陸は父親の死を知り、まなみの姿で弔問に訪れる。
しかし、父親への思いが溢れてきても、そこでは陸は泣きたくても泣くことはできない。
なぜならまなみの姿をしているから。
赤の他人の女が、泣くのはおかしなことだから。
いつか戻ることがあると信じ、そしてまなみの人生への責任感もあるから、「君の顔では泣けない」のだ。
これはまなみにしても同様である。
女にできて、男に絶対にできないこととは子を産むことである。
陸は結婚をして妊娠するが、切迫早産となり入院してしまう。
その恐怖のあまり、彼はまなみに電話をする。
まなみは陸を力付けようとするが、その内心はどのようであっただろうか。
このシークエンスの直前、まなみは小さい頃は結婚することが夢であったと語る。
その夢である結婚、そして子をなすことを奪われてしまったともまなみは感じたのではなかったのではなかろうか。
それでもまなみは陸を励ます。
私の顔で泣くんじゃない、と言う。
無事に赤ちゃんは産まれ、陸は新しい居場所を手に入れる。
「入れ替わったのが水村でよかったと思った」
「私も今、同じことを言おうと思ってた」
元に戻れるかもしれない最終チャンスの時、二人はこのような会話を交わす。
二人は互いの人生を生きる運命共同体でありながら、互いに相手に人生を奪われたという思いもある。
それでありながら、このように言えるのは、やはり二人が相手の思いに真摯に向き合おうとしてきたからだろう。
喫茶店でお互いの話をする時、激しいやり取りをする時ですら、二人は相手がどう思っているか、感じているか、聞こうとする。
相手の言うことをちゃんと聞き、自分の中で消化し、自分の思いを口にする。
お互いの思いを尊重しようとしているのだ。
二人は本当の意味で運命共同体であったのだろう。
だからこのような会話ができたのであると思う。
最後のチャンスの結果はわからない。
しかし、どんな結果であろうと、二人の笑顔を見れば、二人にとってよい選択であったのだろうと思えてくる。

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