「平場の月」夢みたいなこと
「お前、あの時何考えてたの?」
「夢みたいなことだよ。夢みたいなことをね、ちょっと」
この時、須藤が考えていた「夢みたいなこと」とはなんだったんだろうか。
主人公の青砥は妻と離婚をし、母親の介護もあって、実家に戻り一人暮らしをしていた。
結婚生活は彼にとって相当なストレスだったようで、離婚をした後は慎ましくも平穏な日々を過ごしていた。
そして、青砥の中学校の同級生で初恋の相手であった須藤は、夫と死別し、彼女もまた故郷に戻っていた。
地元に戻った二人はある日偶然再会し、互いに惹かれあっていく。
本作は主人公である青砥の視点で語られていく。
彼の須藤に対する思い、その深さ、切なさ、そして彼が感じる悲しみは、自分自身が男であり、年頃も同じであるからか、深い共感を感じる。
心底、彼には幸せになってもらいたいと思った。
彼が愛する須藤もそのつっけんどんさも含め、可愛らしいとも思う。
しかし、一歩踏み込もうとすると彼女との間に生じるバリアにもどかしさも感じる。
そこで、冒頭にあげた疑問である。
須藤はあの時、何を考えていたのか。
二人は距離を縮めていく中でもお互いの呼び方は、中学生の頃と変わらず「須藤」であり、「青砥」のままの苗字呼びである。
中学生時代、同級生の異性の呼び方は苗字であったというのは誰しも経験があるだろう。
自分でも覚えがあるが、異性であることを意識するし始める年頃で、子供の頃のように名前で呼ぶのが何か気恥ずかしいと思う気持ちがあったように思う。
彼らが苗字呼びをしているのは、一歩踏み込むことを躊躇するような、関係性を深めることを恐れるような気持ちがあるのかもしれない。
互いにいい歳であると言うこと、伴侶と別れているという経験もその理由の一つかもしれない。
しかし、もっと深いところ、特に須藤の内面にその理由があるような気がする。
中学生時代に一度、青砥は須藤に告白をしている。
しかし、須藤はそれを拒絶する。
「ひとりで生きていくと決めている」と。
中学生がこのような発言をするのは余程のことだ。
物語が進むにつれ、回想シーンで須藤の実家の実情が明らかになっていく。
彼女の母親は若い男に夢中になり、父親と自分、そして妹を捨てて出ていってしまった。
そして数年後、男に捨てられたのか再び家に戻りたいと懇願をしてきた。
そんな母親を中学生時代の須藤は冷たい目で見ていた。
青砥に須藤は母親を軽蔑していたと言う。
だからこその「ひとりで生きていくと決めている」という思いであっただろう。
しかし、もしかしたら中学生の頃からすでに、須藤は自分自身でも薄々わかっていたのかもしれない。
母親のようになりたくないのであれば、自分はあのような振る舞いはしないと決心すればいいだけだ。
「ひとりで生きていく」という思いの裏には、誰かといたら、その人に甘え、溺れ、軽蔑する母親のようになってしまうかもしれないという予感があったのかもしれない。
案の定、彼女は大人になり、母親の轍を踏むような行動をとってしまう。
須藤は同僚の夫を愛し、その人を略奪して結婚をする。
そして夫の死後、若い男に夢中になり、彼に貢いで財産の大半を失ってしまう。
おそらく、須藤は思っただろう。
自分も、母親と同じじゃないか、と。
「自分を一番軽蔑している」と須藤は、青砥に言っている。
須藤のことを周りの男たちは「太い」と例える。
これは意志の強さ、揺るぎない感じ、どんなことをしても倒れないような、まさに根を張って大地に力強く立っている太い木のようなイメージなのだろう。
しかし、それは須藤の本質ではないと思えてくる。
彼女の本質は、愛情が深く、相手を愛しすぎてしまうことなのではないか。
愛しすぎてしまうが故に、周りが見えなくなってしまう。
愛している時間そのものは彼女にとって幸せである。
しかし、それによって周りの人々を不幸にしてしまう。
それでは自分が軽蔑している母親と何も変わらない。
だからこそ、彼女は「一人で生きていく」。
自分の周りにバリアを張る。
揺るぎないイメージを身に纏う。
苗字呼びで距離を確保する。
しかし、青砥は彼女の内面の葛藤をはっきりとではなくても、感じ取っていたのではないかと思う。
彼はその葛藤を丸ごと受け止めたいと思った。
彼女が自分自身に感じている恐れ、それを感じているからこそ、無理やりに距離を詰めようとはしない。
彼女に寄り添って、穏やかな時間を過ごそうとする。
だからこそ、須藤は徐々に青砥に対して心を開いていったのだろうと思う。
そして最初の問いである。
須藤が考えていた「夢みたいなこと」とはなんだったんだろうか。
彼女にとっては、好きな人といっしょに穏やかに暮らすということが、夢のようなことだったのだろう。
強すぎる愛情によって嵐のようになってしまうのではなく、あくまで穏やかに静かに。
これこそが彼女が考える「夢のようなこと」なのではないだろうか。
青砥は須藤に月のヘッドがついたペンダントを渡した。
彼女はこれを喜び、お守りのように身につけていた。
なんでもない平穏な日々、まさに平場の上にポツンと浮かぶ月が彼女にとって幸せの象徴であったのかもしれない。
やがて須藤は自身の癌が再発したことを知る。
しかし、そのことを青砥には告げず、二度と合わないと言う。
青砥は動揺するものの、須藤の思いを受け入れ一年待つと告げるのだ。
中学時代の二人の回想シーンで、青砥は「すごい大人になる」と言う。
それを須藤は微笑みながら聞いている。
男はロマンチストであり、女はリアリストなのだ。
男は未来に対して夢を見る。
金持ちになる、すごい発明をする、好きな女と一緒にいつまでも幸せに暮らす。
しかし、女は現実的だ。
好きな人と暮らしたくとも、それは長続きしないだろう。
自分が持っている業のようなものある、そして自分の体のこともある。
それを言っても青砥なら、それでも一緒に暮らして支えたいと言うだろう。
男はロマンチストだから。
しかし須藤はその過程で、お互いに不幸になってしまうことを恐れる。
女はリアリストなので、不幸な結末が見えてしまう。
青砥を不幸にしたくない。
そして自分も幸せであった日々を、そのままにしておきたい。
互いに思いやるが故に、不器用な二人。
二人には幸せになってほしかった。
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