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2025年11月24日 (月)

「果てしなきスカーレット」 許せ

SNS等では批判的な評価が多いと聞く。
確かに今までの細田守監督作品とはかなりテイストが異なるのも確かだ。
作画的には今までの細田作品は手書きのフラットな印象がある。
日本のアニメーションでは立体感を出すために明るい部分と暗い部分を塗り分ける表現が多いが、細田作品はあまりそのような表現を用いてこなかった。
色使いはシンプルなのだが、細田作品はその分、キャラクターがよく動く。
アニメーション的なデフォルメで、表情もくるくるとよく変わるところが魅力的であり、それにより生き生きとしたキャラクター表現ができている。
しかし今回の「果てしなきスカーレット」では、これまでと異なり、かなりの部分でCGを使っている。
この表現は「竜とそばかすの姫」のネット空間での表現の発展系であろう。
3DCGであっても手書き的な雰囲気を残そうとしているが、今までの作品のような表情の豊かさは減じている。
かなり工夫と努力をしているが、手書きに及ばない部分ではある。
しかし、CGの活用によってダイナミックなカメラワークが可能になったことは見逃せない。
本作は今まで細田作品ではなかったような暗い死後の世界を描いていて、大軍勢が衝突するような大規模な戦争シーンもある。
細田監督のイメージを定着するには、通常の手書きでは表現しきれないのだったのだろう。
「鬼滅の刃」の表現でもわかるようにCGの活用は悪いことではない。
もう一つ今までと異なる印象を与えるのは世界観である。
細田作品はファンタジーやSFの要素を持ちながらも、その立脚点のベースはあくまでも日常であった。
日常の中のささやかな営み、特に家族へフォーカスが当たっていた。
しかし、本作においては我々の日常が描かれることはない。
現代の渋谷の街並みが描かれるシーンがあるが、これはスカーレットにとってのファンタジーであり、我々の日常ではない。
本作は死後の世界を舞台にしており、ほぼ荒野のようなシーンが続く。
そしてそこは死者たちが、死んでもなお己の欲望を満たそうとしている絶望的な世界である。
今までも細田作品では世界を揺るがすような危機的な出来事は起こっていた。
しかし、それがなんとかなりそうな楽観が作品にはあった。
本作は終盤に至るまで絶望的な状況が続いていく。
細田作品の楽観さを好きだった人たちは、悲観的な展開に胸が苦しくなったかもしれない。
このような違いから、見た人が「これは違う!」という声をあげたくなるのもわからなくもない。
最後の最後に至るまで本作の着地点が見えないために、不安になるのもわかる。
しかし、ルックスや世界観が今までの細田作品とは大きく異なるものの、私は本作は紛れもなく、細田作品だと感じた。
その理由を二つ述べたい。
細田作品の特徴の一つが、現実世界とリンクしている異世界が影響し合いながら存在している設定である。
「サマーウォーズ」や「竜とそばかすの姫」では異世界はネット空間として描かれる。
本作もその構造は同じだと考える。
違うのはその比率である。
「サマーウォーズ」は基本的には現実世界がベース、「竜とそばかすの姫」では50:50かもしれない。
対して本作はほぼほぼ異世界での物語が大半を占める。
しかし、それは現実世界と繋がっているのだ(最後にわかる)。
そして異世界に住むのは顔の見えない群衆である。
彼らは大勢に流されていく。
我々の現実世界でもあるように、容易く扇動されてしまう。
細田監督の危機感をそこにあると私は感じる。
本作でもスカーレットの仇であるクローディアスは死後の世界でも群衆を煽り、我が意を押し通そうとする。
先導されてスカーレットに襲いかかる兵士たちの大概は、兜で顔が見えないことが多い。
これはネット社会の顔が見えず、匿名であるアバターにも通じる。
その匿名の群衆たちに希望をさし示し、導くのが細田作品のヒロインである。
「サマーウォーズ」しかり「竜とそばかすの姫」しかり。
本作のスカーレットもだ。
希望を指し示せば、心ある人々たちは立ち上がる。
そこに全く希望がないとは思っていない、と細田監督は考えているのだろう。
本作でも終盤の「見果てぬ場所」で同様のことが示される。
続いてもう一つの細田作品の特徴についてである。
「許せ」というキーワードが出てくる。
実弟の陰謀により処刑されたスカーレットの父王が死ぬ間際に口にしたとされる言葉だ。
主人公スカーレットはこの言葉をどういう真意で父が言ったのかを考える。
国を誤って導いた自分の罪を許せと言っているのか、それとも自分を陥れた弟を許せと言っているのか。
その意味は物語が進んでいってもなかなかわからない。
が、スカーレットは最終盤に至った時、天啓のようにその意味を悟る。
これはスカーレットに対し「父親の復讐をやり遂げられなかった自分を許しなさい」と意味だったのだと。
平和だった日々、父王は幼かったスカーレットに、自分がやりたいように、なりたいように生きなさい、と言ってきていた。
親から子へのメッセージだ。
細田監督作品には、彼が経験した人生の、中でも家族に関して感じてきたことが反映されていることがある。
「サマーウォーズ」では細田監督が結婚した時にお相手の方が大家族だったことがアイデアの元になった聞く。
「おおかみこどもの雨と雪」「バケモノの子」「未来のミライ」は子育てする中で彼が感じ、考えたことが表れている。
家族を持ち、子供を育てるときに、誰でも感じる喜びや葛藤などが作品の中に練り込まれている。
だから、細田作品は共感を生む。
私は本作でもそのような子育てで感じる親の葛藤が描かれているように思う。
小さい頃は、多かれ少なかれ親が正しいと考えるように、子供を導いてきた。
子供たちが大きくなり、自分の意思で決められるようになる年頃。
親はどう思うか。
やはり親が正しいと思うようにやらせるか。
それとも子供がやりたいと思うことをやらせるか。
父王はスカーレットがなりたいように生きなさい、と言う。
彼は自身が死んでしまうことにより、スカーレットが呪いをかけられるのがわかった。
父の復讐をしなくてはいけない、という呪いを。
しかし、そのためにスカーレットは自分の人生を生きられなくなる。
それを恐れ、彼は「許せ」と言ったのだろう。
おそらく細田監督もそのように考えているのだろう。
子供は自分の生きたいように生きてほしい。
彼の親子感、子育て感が語られている。
紛れもなく、「果てしなきスカーレット」は細田作品である。

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