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2025年9月28日 (日)

「宝島」希望は失われた

沖縄の基地問題は度々ニュースで報じられていて、沖縄の方々が激しく抗議をしている様子を見てきました。
沖縄だけが基地負担を強いられていることへの怒りは分かりつつも、現在の東アジア情勢を考える限り、基地自体を無くすこともまた難しいと思っています。
なので、どうしてもここまで激しく抵抗をするのだろうか、冷静に考えれば違った答えになるかもしれないのに、と感じていました。
本作では自分も含め多くの内地の人間が知らない、戦後の沖縄が語られています。
戦中の話は、今までも映画や報道なので度々触れてきました。
しかし、本作を見て、戦後から本土復帰までの年月はほぼ知らなかったことに気付かされました。
当時の沖縄はアメリカの占領下でした。
駐留しているアメリカ兵が何か犯罪をしても、ほぼ罪に問われることはありません。
そしてまた日本政府も沖縄返還を目指しつつも、沖縄の人々の苦しみに寄り添っているわけではありません。
沖縄はアメリカと日本に二重に虐げられていたとも言えます。
こういう経験をしてきたのであれば、現在においても沖縄の人々が基地に対して大きな抵抗感を持っているというのは納得できます。
現在の東アジアの状況と合わせて、決着させるのは相当に難儀であるということを改めて認識しました。
主人公たちは、米軍から物資を奪い住民に配っていて、戦果アギヤーと呼ばれていました。
そのリーダーがオンちゃんと呼ばれる若者です。
若者たちが米軍たちへの憂さ晴らし的な意味合いで戦果アギヤーをやっている中、彼の目線は未来へ向かっていました。
得た物資を売り払った金で学校を作ったりしていたのです。
皆で米軍に忍び込んだ時に兵隊に見つかり散り散りになる中、オンちゃんは行方不明になりました。
残った若者たちは、さまざまな道を歩きます。
オンちゃんを探すために刑事なるグスク。
米軍への怒りを晴らすためにヤクザからテロリストとなるレイ。
オンちゃんを待ち続けるヤマコ。
そしてキーとなるのが、彼らが何かにつけ気にかけることになる浮浪児のウタ。
彼はハーフであり身寄りのない子です。
沖縄ですから、アメリカ兵と沖縄の女性の間に生まれ、捨てられた子であろうと思われます。
そういう意味では彼はまさにアメリカと沖縄の歪んだ関係の象徴とも言える存在です。
誤りの子であるとも言えます。
しかし終盤になり、ウタをオンちゃんが育てていたことがわかります。
オンちゃんは、ウタを産みなくなった女性が持っていたペンダントから少なくとも愛しあった二人の間から生まれたということを知ります。
ウタは誤りの子ではなく、愛の子であった。
オンちゃんはウタに希望を見たのではないでしょうか。
不幸な関係にあるアメリカと沖縄にもいつか幸せな関係になれると。
しかし、オンちゃんは亡くなり、またウタも死んでしまいます。
希望が失われてしまった。
幸せな関係は築けなかった。
それは今現在の沖縄の人々がアメリカに抱く感情につながります。
再び、希望を持つことはできるのでしょうか。

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2025年9月27日 (土)

「大長編 タローマン 万博大爆発」思想には共鳴、映像は?

話題になっているということで「タローマン」を見てきました。
こちらの作品はNHKの深夜枠で放映されていた特撮ドラマの劇場版ということですが、全く知りませんでした。
1970年ごろに放映されていた特撮ドラマの体で作られていて、デザインや映像、特撮の技術などはその頃のテイストを意識して作り込まれています。
特撮好きの私としては、本来は大好物のジャンルではあるのですが、なぜか本作にはあまり乗れないかったのです。
なぜだろう?
考えますに、70年代の特撮ドラマを再現するというところをかなり真剣にやっているあまりに「あざとい」感じを受けてしまったのかもしれません。
「こういうの好きだよね?」というようなウケ狙いのような印象を受けてしまったようにも思います。
もちろん制作者の方々はそういうやましい気持ちはなかったのだとは思います。
インタビュー記事などを見ると、岡本太郎の思想を表現するのための適切な手法を選んだということなのでしょう。
とはいえ、個人的に(捻くれているのかもしれませんが)、「あざとさ」を感じてしまい乗り切れなかったということになります。
とはいえ、作品の狙い自体には共感するところもありました。
仕事でもなんでも人は皆が考えそうなことで満足しがちです。
そのほうが安心するからでしょうか。
しかし、実際人の心を動かすのは、誰も思いつかなかったことであり、そのような発想は初めて口に出した時は「べらぼう」な印象を与えるものです。
ただし真に人の心を動かすアイデアには、ただ突飛なだけではなく、人の真理のようなものが隠れていたりするのです。
岡本太郎の思想としては、大衆がなんと言おうと、その真理に遠慮なく臆することなくタッチしにいくべきであるということだと思います。
その考え自体には共感しますし、そのため本作のテーマ自体は全く自分もその通りだと思います。
つまりは表現自体が私個人にとっては、あまり性に合わなかったということなのだけかもしれません・・・。
そういえば岡本太郎の思想には共鳴しますが、彼の作品自体は別に好きでも嫌いでもありませんでした・・・。

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2025年9月25日 (木)

「ブラック・ショーマン」新境地開けず

主演・福山雅治、原作・東野圭吾と言えば「ガリレオ」シリーズです。
テレビドラマ、映画と展開され、人気シリーズとなりました。
ドラマはそれまでの福山さんのイメージとは異なる理系キャラである湯川がハマり役となり、ユニークなトリックや豪華なキャストが演じる犯人との対決が見どころでした。
映画は、事件に関わる人たちの心情を深く掘り下げ、心を打つ物語が展開されて、ドラマとはまた違った趣の作品になっていたと思います。
そのタッグが再び組まれ、新しい物語が展開されるのですから、期待しないわけにはいきません。
福山さんが演じるのは天才マジシャン、神尾武史。
マジシャンですので、人の心理の隙をつくのを得意とし、実の兄が殺された事件の謎解きに挑みます。
理系でロジカルモンスターの湯川とは逆の人物のようでありますが、人を食ったような物言い、マイペースで捜査をしていく様は共通しているところもあります。
そのためか、また福山さんが演じているからか、神尾というキャラクターは新しさはあまり感じません。
「ガリレオ」を初めて見た時のような新鮮さを感じなかったのが正直なところです。
東野圭吾さんのドラマは事件の背景にある関係者たちがそれぞれ悲しみや葛藤を持っていることが多いです。
その隠された思いが次第に明らかになっていき、本当の思いにたどり着いた時に心を揺さぶられます。
本作においても登場人物たちの隠された思いはあり、それを神尾は明らかにしていきます。
しかし、それに触れた時、今までの「ガリレオ」シリーズにあったような身を切るような悲しみを感じるまでにならなかったというのが、正直な感想です。
その原因がどこにあるのか、私はわかりませんでした。
ミステリーらしく、探偵役が関係者を集め、真相を順々に明らかにしていく場面があります。
そこでは主人公がマジシャンならではで、派手な演出が仕込まれており、それに目をくらませられた登場人物たちが真実を口にし始めるわけです。
その派手な演出が、隠された思いの切なさを相殺してしまっているようなことが起こっている感じがしました。
フジテレビ的にはシリーズにしたかったんだろう、とは思いますが、なかなか厳しそうです。

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2025年9月23日 (火)

「8番出口」親になるまでの旅路

ボレロとおじさんが印象的な予告でした。
原作となるのはインディーズゲームだそう。
延々と地下鉄の通路をループしながら異変を見つけて脱出するというゲームらしい。
登場人物は非常に少なく、その中で主人公となるのが二宮和也さん演じる男。
彼はある日、地下鉄通路のループに迷い込んでしまいます。
そこはなんの変哲もないただの地下通路。
しかし、歩いていくと奇妙な出来事、異変が起こります。
明らかに異変であるのがわかるのもあれば、ほんのちょっとの違いであることもある。
それを見つけられなければ、また最初からやり直し・・・。
この無限ループは彼の心象とも言えます。
彼はこの無限ループに入る直前、恋人から妊娠したことを告げられます。
彼は激しく動揺をします。
子供を産ませるべきか、それともやめさせるべきか、そういう思いがぐるぐると巡っていたのでしょうか。
それともただ流され、その決断ですら、恋人に丸投げしようと思ったのでしょうか。
冒頭、電車の中で子連れの若い母親がサラリーマンに怒鳴り散らされる場面に彼は遭遇しています。
彼はそれを見ないようにし、イヤホンをして自分の殻に入りました。
このことから彼はあまり周囲に対して無関心であり、事なかれ主義であり、自ら決断するようなタイプでもないことがわかります。
そんな彼の目の前に突如現れた問題。
それは見てみないようにできる類のものではありません。
ぐるぐると巡る迷いが、まさに迷宮となった地下通路として表出しているように思います。
彼は喘息持ちらしく、ループに入り込んだ時は頻繁に咳き込み、よろよろと吸入器を使います。
地下通路に加えてこの描写は観る者に、強い閉塞感を感じさせる効果がありました。
男は彷徨う中で一人の少年と出会います。
彼は心細いこともあったのか、少年と行動を共にします。
その少年は、未来に彼が持つことになるかもしれない子供のメタファです。
子供と一緒に行動するようになってから、彼は咳き込むこともなくなり、足取りも確かなものになっていった印象があります。
そしてある命の危険を感じるほどの大きな異変があった時、男は少年を救おうと自分を犠牲にする行動をとります。
地下迷宮を巡る旅は、彼が父親としての自覚と成長を得る旅路なのかもしれません。
彼がはっきりと父親としての自覚を持った時、無限ループは終了するのです。
初めて親になる時は誰でも初めての経験です。
自分が親の役割を果たせるのか、考えます。
考えながら、そして動きながら、次第に親としての自覚が出てきます。
ゴールがはっきりとしているわけではないので、何をしたら正解なのかも若rない。
失敗しながら親をやっていく過程こそが、自覚を作る。
地下通路の無限ループは親として成長していく過程の象徴なのですよね。
こう書いてみると、おじさんパートの映画の中での意味合いがちょっとわからなかったですね。
無限ループの緊迫感を印象付ける、という意味はあったと思いますが、主人公の男の親としての成長にどう結びつくのかがちょっとわからなかった。
もう一回見るとわかるかな・・・?

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2025年9月22日 (月)

「ベスト・キッド:レジェンズ」自分を縛る自分からの解放

リメイク版が作られたのが2010年ですので、かなり前になりますね。
本作ではそのリメイク版とオリジナルの「ベスト・キッド」が合流します。
すなわちリメイク版のカンフーの師匠を演じたジャッキー・チェンとオリジナルでダニエル少年のラルフ・マッチオが本作に登場します。
それで「レジェンズ」というわけですね。
オリジナルの「ベスト・キッド」については最近では「コブラ会」というドラマシリーズがあったようで、こちらにラルフ・マッチオがダニエル役で出ているようです。
こちらにリメイク版が合流したということになります。
ご存知のように「ベスト・キッド」は原題は「Karate Kid」で空手を題材にしていますが、リメイク版はジャッキーが出ていることからもカンフーを題材にしています。
この違いをどうやって関連づけるのかと思ったら、ダニエルの師匠であるミヤギの先祖が中国に渡り、カンフーを学んでいたという設定が登場しました。
現在の日本の空手の源流である琉球空手も、カンフーに影響を受けているという話もありますから、あながち荒唐無稽という話ではありません。
今までの「ベスト・キッド」は素人の少年が空手やカンフーを学びながら成長していく様が描かれてきましたが、本作の主人公のリーは北京でジャッキー演じるハン師範からカンフーを教わっており、元々かなりの実力者です。
しかし彼はある事件(兄が殺された事件)からカンフーを封じていましたが、空手の大会に出場することになり、改めて空手を学び始めるというところになります。
今までは主人公は武術を通して、さまざまな物事には武術に通じる真理があることを学びます。
本作ではリーは自分を縛っているものから解放されることを学びます。
兄の事件もあり母親からはカンフーを禁じられます。
しかし、そのことだけが彼を縛り付けているわけではなく、本当に彼を縛っているのは自分自身の無力感なのだと思います。
しかし、ニューヨークの人々との交流を通じて、自分の力が人のために役立つことを再認識し、そしてそれこそが本当に自分がやりたいことであると、自分に素直になることを学ぶのです。
彼が学ぶのは自分自身の解放です。
主人公リーはカンフーの使い手ということもあり、序盤からアクション的な見せ所は多いです。
これは今までの「ベスト・キッド」シリーズとは違うところですね。
ストーリー自体は上記のような工夫はあるものの、少年の成長物語いうところもあり、突飛なところはありません。

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2025年9月15日 (月)

「バレリーナ:The World of John Wick」アナの美しさと強さを堪能しましょう

アクション映画は大好きなのですが、「ジョン・ウィック」シリーズはなぜか見ていません。
理由もなくたまたまなんですが、人気が出てシリーズが続いて公開するたびに、最初から見ないと、と思いながら今に至ります。
ではなんで「ジョン・ウィック」シリーズのスピンオフ「バレリーナ」を見たかと言いますと、女性が主役のアクション映画が好きなんですよね。
体格のいい男性のアクション映画もパワフルで好きなんですが、女性のアクションは体格が細い分、体格の差を埋めるような閃きがあって、トリッキーであったりしていて目が離せません。
女性らしい美しさがあるアクションも多いですよね。
「ニキータ」とかシャーリーズ・セロン主演の「イーオン・フラックス」とか、「アンダーワールド」シリーズとか、そういうのです。
もう一つは主演がアナ・デ・アルマスであったこと。
彼女を初めて見たのは「ブレードランナー2049」ですが、人間離れした美しさに驚きました(人間の役じゃなかったですが)。
その後「007」のボンドウーマンでブレイクしたのは皆さんが知るところです。
現在37歳ということですが、年に比べて童顔で、幼さと色気が混じり合ったような雰囲気が他の女優さんとは違います。
その彼女が主演でのアクション映画なので見ないわけにはいかんでしょう、というわけです。
「ジョン・ウィック」シリーズのスピンオフということで、最初から最後までアクションの見せ場は大変多いです。
冒頭のクラブでのアクションもアナの美しさと強さが際立ち見応えがあります。
後半はある街を舞台にしたアクションであり、街ごと全住民が彼女の敵となるという設定。
予告では火炎放射器に放水で対抗するという場面が流されていましたが、その前では双方火炎放射器を装備しての撃ち合いというが描かれました。
火炎放射器同士の立ち合いというアクションは自分が知る限り初めて見ました。
銃弾というのは当たらなければどうということはないわけですが、火炎放射器というのはあるエリアが焼き尽くされるわけで、その射線上に入ったらすなわち負けになるわけです。
いかに相手に放たせず、自分の間合いで放てるかというのが勝負になります。
相手が火を放つ場合は、その間合いから素早く逃げるという機転も必要です。
これは今まで見たことがないアクションで、アイデアが詰まっていたと思いました。
ストーリーはそれほど重要ではない作品です。
アナの美しさとアクションを堪能する映画だと思います。
監督はレン・ワイズマンで、「アンダーワールド」の監督でした。
美しい女性のアクションを撮るのはお手のものですね。

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2025年9月14日 (日)

「不思議の国でアリスと -Dive in Wonderland-」大好きをたいせつに

大人になると、周りに合わせていく、ということが習い性のようになってきたりします。
そうしないと周りから浮いていってしまうし、みんなと同じことはちゃんとアピールしないと使えないやつ、って思われてしまうかもしれないし。
それでいて、個性がどうとか、君のやりたいことは何なのか、とも聞かれたりもするので、混乱もしますよね。
主人公のりせは就活真っ最中であり、まさに社会と自分のすり合わせに初めて悩んでいるところです。
自分の子供を見ていると、まだ彼女は世間に合わせるということはまだあまり考えていないようで、自由に振る舞っています(まさにアリスのように)。
りせは就活で悶々としていた時、祖母が作ったアトラクションのテストに参加します。
そこは「不思議の国のアリス」をAIで再現したまさにワンダーランド。
その世界でお馴染みのキャラクターやアリスと出会います。
不思議の国はまさに不条理の世界。
そこにはそこの常識があるのかもしれませんが、りせにとってはまさに不条理。
そこは子供たちが初めて触れる社会のメタファーかもしれません。
わけもわからず不条理に縛られていってしまい、息苦しさを感じてしまう。
合わせていくほどドツボにハマる。
そこでアリスはそんな不条理などものともせず、自分のやりたいように振る舞って、不条理を突破していってしまいます。
縛られるってなんでしょう。
自分から縛られにいっているのかもしれない。
やりたいようにやれば、いいんじゃない。
不思議の国から帰ってきた時、りせとアリスはそれぞれ自分が好きなことを語ります。
他の人はわかってくれないかもしれない、けど自分が大好きなことを。
大好きなことがあるから、不条理の中でも頑張れる。
自分も会社に入った頃はちゃんとしないと、と気張っていたような気がします。
元々オタク気質ではあって、アニメとか特撮とか好きですが、そんなことは会社ではおくびにも出さず。
でも、最近は「推し」という文化が定着してきたので、次第にオープンにしたのですが、意外と他の人たちもそれぞれマイナーな「大好きなこと」があって。
そういうのがわかると、その人のこともより親しく感じたりもします。
大好きを、たいせつに。
縛られなくっていいんじゃない。

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2025年9月 7日 (日)

「雪風 YUKIKAZE」雪風という組織

「雪風」。
太平洋戦争の激戦に参加しながら、多くの戦艦・巡洋艦・駆逐艦が沈んでいく中、最後まで生き抜いた艦です。
それだけでなく、戦いの中で沈没した船から投げ出された戦友たちを救いました。
「雪風」はいつしか「幸福艦」と呼ばれるようになります。
こういったエピソードは詳しくは知らなかったのですが、なぜか「雪風」という船名は記憶の中にあるのです。
「雪風」という船の名は昔から数々の物語で使われてきていて、そのため私の記憶の中に残っているのだと思います。
「宇宙戦艦ヤマト」で古代進の兄、守の乗艦が「ゆきかぜ」でした。
「ゆきかぜ」はガミラスとの初戦を戦い抜きましたが、その終盤で沖田を逃すため自らが犠牲になりました。
最近の例では「ゴジラ-1.0」の終盤「海神作戦」の旗艦となるのが「雪風」です。
これはまさに太平洋戦争を生き残っていて武装解除されていた「雪風」を運用するというものでした。
あとは神林長平さんの小説「戦闘妖精・雪風」に登場する戦闘機「雪風」です。
このAIを搭載した戦闘機はジャムと呼ばれる異星体との戦いに出撃するも、必ず帰還する戦闘機です。
これら「雪風」に共通するのは、戦いを最後まで生き残るというイメージかもしれません。
「雪風」という船はなぜ数々の激戦を生き抜くことができたのでしょうか。
映画を見ていて感じたのは、「雪風」という組織がトップから下まで一つのあるべき姿を共有し、そのために行動することにコンセンサスが得られていたということにある気がしました。
「最後まで生き抜く」「仲間はすべて助ける」といった組織としてのいわば「パーパス」が上から下に至るまで共有されているように思います。
主人公の一人、「雪風」艦長寺澤はすでに出来上がったいた組織のパーパスを理解し、受け入れ、自分の判断もそれを第一に行います。
中間管理職とも言える早瀬専任伍長は、幹部と現場をつなぐハブとして、まさに行動で艦のパーパスを具現化します。
新任の水雷員、井上は早瀬の行動を見ていく中で、そのパーパスを自分ごととして理解し、継承していこうとしています。
このように上から下まである一定の目的に向かって進むというコンセンサスができており、そのために予期せぬ事態となっても、組織全体が一つの生き物のようにブレずに進むことができていたのではないでしょうか。
現実的に多くの会社がパーパスやポリシーを掲げていますが、これはいざという時に機能するかがポイントになります。
いざという時に機能しないのは、本当に組織全体にその理念が自分ごととして行き渡っていないということなのだと思います。
「雪風」はこれができていた。
故に数々の激戦を生き残れたのではないでしょうか。

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2025年9月 6日 (土)

「ジュラシック・ワールド/復活の大地」生き物としての禍々しい恐竜

「ジュラシック・ワールド」シリーズの最新作です。
最初に「ジュラシック・パーク」を見た時の衝撃は大変なものでした。
子供の頃、男の子ですから恐竜は好きで図鑑やらアニメ(「ドラえもん のび太の恐竜」!)やらを見て、想像力を膨らませていました。
その恐竜が、まるで生きているかのように動いているのですから!。
CGによって生き生きと表現された恐竜が、人間たちを襲ってくる描写は、生々強い恐竜の存在感を印象づけました。
ヴェロキラプトルの鼻息がドアのガラスを曇らせる描写に、スピルバーグは天才!と思ったものです。
あまりに「ジュラシック・パーク」がヒットしたため、その後続編が作られていきますが、作られていけばいくほどに、最初の衝撃との差を改めて感じるようになりました。
話としてはスケールは大きくなっていくものの、恐竜の存在感が相対的に落ちていくように感じました。
恐竜たちが、まさにテーマパークの中に組み込まれている恐竜のロボットのように、決められた役割を演じている仕掛けのように感じられるようになったのです。
見ている我々が恐竜たちに慣れてしまったのかもしれません。
まさに本作でも、冒頭で世界中(人間のテリトリー)に溢れた恐竜に人間たちが慣れてしまっている様子が描かれています。
しかし、恐竜そのものが変わってしまったわけではありません。
恐竜は人間に迎合するわけではなく、野生の本能のまま生きています。
本作は改めて、それを伝えるべく、登場人物たちは恐竜たちのテリトリーにで恐竜と遭遇します。
これはすなわち原点回帰になります。
あまりに世界は大きく、人間のテリトリーは強力で、その中では恐竜たちが矮小化されてしまう。
恐竜を改めて生々しく描くには、恐竜のテリトリーに人間たちが向かわなければならないのです。
そういう狙いから考えると、本作はその狙い通りの効果を出せていると思います。
本作で登場人物を恐竜たちが襲っていきますが、この時の緊張感・ハラハラ感は一作目にも通じるところだと思います。
すごい演出だと思ったのが、メンバーが島に上陸したシーンです。
船から落とした装備をビーチに引き上げようとしている場面ですが、彼らを襲っていたスピノサウルスが画面奥にチラリと見えてから、装備品の影に隠れます。
ワンカットのまま引き上げようと苦心している女性をカメラが捉え続けますが、突然装備の影からスピノサウルスが出現し、瞬く間に女性をくってしまうのです。
恐竜の凶暴さ、生々しさを1カットで巧みに表現していました(ギャレス・エドワーズ天才!)。
このような描写が数多くあり、改めて恐竜たちを生物として恐怖の対象と描けたと思います。
個人的に少々気になったのは遺伝子操作で生み出された新種の恐竜です。
異形感あふれるデザインとなっていましたが、これが恐竜らしさを逸脱してしまっているように感じました。
恐竜というよりは、怪獣のように見え、それまでリアルに描けてきた恐竜が急にフィクションのように感じられてしまったのです。
せっかく生き物としての恐竜が描けていたのに、勿体無いと思いました。
そこだけが残念です。

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