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2025年8月 2日 (土)

「スーパーマン」(2025)「正義」は古くさいわけではない

スーパーマンは正義の人である。
しかし「正義」とは何か、と考えていくと途端に難しさに直面する。
現代社会は複雑さの極みである。
様々な価値観を持っている人がいる。
国がある。
それぞれにとって「正義」は異なる。
「正義」というものをある立場だけから語るのは危険がある。
だからこそ、MCUで描かれるヒーローは多様性があり、それぞれ価値観も異なっている。
そのため時には対立もするし、和解もする。
そこがMCUの持つダイナミズムであり、それが受け入れられてきたからこそ、ここまでシリーズが続いているのだと思う。
複雑さを持ったMCUのヒーローたちに対して、スーパーマンはやはり正義の人である。
上述した通りの価値観が多様化している現代において「正義」を真正面から唱えるのは、古くささを伴う。
が、「正義」というのものは古くさいものなのだろうか。
弱いものを守る。
虐げられたものを守る。
これはどのような価値観においても大切にされるべきものであり、複雑さが支配する世の中において、この単純であり基本的なことを訴えるスーパーマンの言葉はかえって力を持つように感じた。
しかし「正義」「正論」を唱えることは、人は危うさを感じてしまう。
そのようなことを訴えてきた詐欺師たちに人々はほとほとうんざりしているからだ。
だからこそ、そこに乗じたフェイクに人々は乗ってくる。
日本に限らず、世界でも正論を唱えた人々が謂れのないフェイクニュースによって攻撃されてしまう。
本作においてスーパーマンが直面するのは、そういった正しいことに対する得体の知れない悪意である。
本作のヴィランであるレックスがその悪意が具現化した人物であるが、彼がスーパーマンを異常に敵視する理由はただ一つである。
彼が自分たちとは異なるものであるからだ。
そしてさらには自分たちよりもあらゆる面で優れているからだ。
権力志向が強い彼だからこそ、スーパーマンの存在に恐怖する。
異質なものを排斥しなくてはいけないと考える。
レックスと同じように考える人間も多い。
しかし、上述した基本的な価値観、弱いものを守る、虐げられたものを守るということをただまっすぐに貫こうとするスーパーマンの姿に心を動かされるものも多いのだ。
「正義」は決して古くさいものではない。
今こそまさに「正義」が必要なのかも知れない。
複雑化している現代において、スーパーヒーローの原型でもある「スーパーマン」は素朴である。
その素朴さ、「正義」をまっすぐに訴えることを大切にし、「スーパーマン」を現代に復活させたジェームズ・ガンの手腕を評価したい。

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