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2025年7月22日 (火)

「F1/エフワン」究極のチームスポーツ

2ヶ月ほど前、生まれて初めてカーレース(e-フォーミュラ)を見てきました。
お台場の街中を走るレースだったため、道路に面した観客席から見る、走り抜けていくレースカーは想像以上に間近でエキサイティングでした。
私は自分で車を運転するのは好きじゃない(色々気を使うのが疲れる)のですが、レースゲームは好きだったりします。
何度かこちらでも書いてるのですが「グランツーリスモ」は長年に渡ってやっていて、この映画でレーサーたちが転戦していく実際のサーキットはゲーム上で何度も走ったことがあります。
主人公ソニーのチームメイトであるジョシュアがクラッシュするモンツァ・サーキットのコーナーは「グランツーリスモ」をプレイしていてもなかなかやりにくいところなんですよね。
ハイスピードを出せる直線の後にくる割とRが大きいカーブで、Rもカーブの途中で変わるので、減速の加減が難しい。 緩めのRなので高速でも入れるかと思うのですが、Rがキツくなったりするので、早すぎると劇中にあるようにすぐコースアウトしてしまうんですよ。
さて本作は「トップガン マーベリック」の製作スタッフが関わっているということで、レースのリアルさにも徹底的にこだわったと聞いています。
レーシングカーのコクピットから見る景色などは本当にレースしているかのような迫力があり、鳥肌が立ちました。
最近でレースを扱った映画というとゲームを映画化した「グランツーリスモ」がありますが、あちらはあちらでゲーム的な映像センスも入っていてカッコよかったのですが、本作はリアリティを重視していてそこにいるかのような感覚になりました。
レースシーンだけでも一見の価値があると思います。
さてストーリーとしても見応えありました。
ソニーは若かりし頃、レース中に大事故に遭い生死の境を彷徨います。
その後、レースからは離れていましたが、結局はレースが好きであることに気づき、その後様々なレースを流しのように参加していきます。
そしてかつてのチームメイトがオーナーを務める弱小F1へ参加することになります。
本作を見て改めて思ったのはF1レースは究極のチームスポーツであるということです。
車を走らせるのはレーサーですが、いくら彼の腕が良くても勝てません。
車を設計するエンジニア、状況の変化に合わせて車をセッティングする、メカニック。
また刻々と変わる戦況に合わせて、作戦を変えていく戦略性も必要です。
いつピットに入らせるのか、タイヤのセッティングはどうするか、二人のチームレーサーのどちらを勝たせるか・・・。
ツアー最終戦のバトルはレース描写自体の迫力もさることながら、この戦略性も描ききっていました。
このような戦略性を描いているレース映画はあまり記憶がありません。
彼らは一つのゴールを目指して、連携していかなくてはなりません。
誰かがミスをしてもそれを他で埋め合わせるようなことも必要です。
ソニーが入る前は彼らはバラバラでした。
彼がチームの勝利に固執する様を見て、チームメンバーも次第に志を一つにしていくのです(ソニーはレース前にコースをランニングをするのを習慣としていて、最初は一人で孤独に走っていましたが、次第にメンバーが参加していく様子が描かれています)。
ツアーの最終戦、壮絶なバトルの結果、ソニーがチェッカーフラッグを受けます。
チームメイトでずっと対立していたジョシュアがソニーに声をかけます。
「You did it」(お前やったな!)
それに対して
「Yes,we did it」(ああ、俺たちがやった)
と答えます。
これこそがF1がチームスポーツであることを表しています。
ブラット・ピット演じるソニーは最終戦後チームを一人離れていきます。
そして再びレースを渡り歩く生活へ。
なんだかカーボーイのようでもありました。

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2025年7月18日 (金)

「ドールハウス」巧みなストーリテリング

ホラー映画というのは全般的に苦手でして。
血飛沫が出てくるスプラッターは当然ダメなんですが、いわゆるジャパニーズホラーも得意ではありません。
背筋が寒くなる感じがなんとも・・・。
ですので本作は通常だったらスルーするところなんですが・・・、見に行ってきました。
なぜかというと理由は二つ。
まずは娘(8歳)が見に行きたいと言ったからです。
「これ、絶対怖いやつだから。夜トイレに行けなくなるよ」と言ったのですが、何度も見たいと言っていて。
どうも予告で見たアヤちゃんが気になっていたようです。
もう一つの理由は矢口史靖監督だったこと。
矢口監督といえば「ウォーターボーイズ」「スウィングガールズ」「ロボジー」など割とコメディの要素もある映画を撮っている監督です。
この映画もホラー映画と思わせておいての、コメディテイストではないかと思ってみたりしました。
ということで、娘と二人で見に行ってきたのですが・・・。
ガチじゃん!
全然コメディ要素なかったです。
前半は人形の得体の知れなさからくる怖さ、そして中盤がは謎が解け始めてから人形がアグレッシブになって迫ってくる怖さ、そして後半は現実が歪んでいくような怖さ。
怖さのてんこ盛り!
書いたように怖さも色々な種類が盛られていて、ただ驚かせるだけ、気持ち悪いだけ、というわけではない巧みさも感じました。
また本作はホラー映画でありながらも、人形の正体を探っていく件はミステリーの要素もあり、また家族を描いている側面もあります。
そのような要素を巧みなストーリーテリングでまとめているのはさすが矢口監督だと思いました。
後半はハッピーエンドかと思ったら「!」、という展開が何度も繰り返されて、まさにジェットコースターに乗っっているようでした。
最終盤、島に行ってからの展開がちょっとわかりにくかったのか見終わった後、娘から質問がありました。
ネットでも「どういうこと?」みたいな意見も見かけたので、私の解釈を書いてみます。
<ネタバレです>
佳恵と忠彦はアヤを母親の墓に納めたと思い込んでいますが、実のところ彼らはアヤを連れて帰ってきていましたのです。
墓に収めようとした時に母親の霊のようなものに襲われた時、それを救ったのが彼らの子供の芽衣の霊でした。
二人は芽衣の霊と共に帰ってきた(三人で手を繋いで島から帰ってくるシーン)と思い込んでいますが、それはアヤだったわけです。
家に帰ってきた後、フラッシュバックのような幻想をみます。
忠彦がドラム式洗濯機(これは現在は違うはず)に閉じ込められている芽衣を救おうと、洗濯機を壊します。
このシーンは島のシーンのフラッシュバックで、ドラム式洗濯機=母親の墓であり、アヤを入れて一旦閉じた墓を彼らはもう一度開けたのではないか、と思います。
最後に二人が芽衣をベビーカーに乗せて外出していくシーンがあります。
うちの娘は鋭くて、「こんな大きいのにベビーカー乗るの変だよね」と小声で言ってました。
それもそのはず、この芽衣は実はアヤなので、歩くことはできないのでベビーカーに乗らざるを得ないのです!
ということで最後はなんとも後味の悪い結末でした。
とはいえ最後までグイグイと引っ張っていく巧みな脚本であったと思います。
最後にうちの娘はどうだったかと言いますと。
見ている途中は、ほんと怖かったようで「怖い、怖い」とずっと言ってました。
ですが、最後の展開はなかなか引きつけられたようで、終わった後色々聞かれたわけです。
挙げ句の果てにもう一回見たい!と言っておりました。
いえいえ、パパはもういいです・・・。

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2025年7月13日 (日)

「フロントライン」見えない敵

コロナという当時正体不明の感染症が中国から広がり始めていた2020年初頭、その後世界中がこの病気で大混乱に陥ることを想像していた人はとても少なかったと思います。
今でこそこの病気は研究され、様々な対策がとられてるようになり、一般的なインフルエンザのような感じに落ち着いてきていますが、当時はこの病気に対して「得体が知れない」ゆえに恐怖心ばかりが先行していたような気がします。
私も2020年後半に感染し、その後ホテル隔離、そして病院に搬送された経験があります。
意識はありましたが、高熱や咳などはあり、体中が筋肉痛のように痛いという症状でした。
入院して1週間程度は酸素吸入をしていました。
完全隔離の病室で入院は1ヶ月弱にも及びました。
退院する時に先生と面談すると、入院当初は肺のレントゲンを取ると真っ白でひどい肺炎だったということです。
まだそのころは有効な薬も見つかっておらず、対処療法で患者を支えて回復を待つというところだったと思いますし、対応していただいた医師や看護士の方は、自分も感染するかもしれないというなか、しっかりとした対応をしていただいたと思っています。
本作で描かれるダイヤモンドプリンセスでの出来事は、コロナが発生した当初のお話です。
まだ日本国内に本格的に感染が広がり始める前であったと記憶しています。
この時期、コロナに関しては何も分かっていないのも同然でした。
しかし医師や看護士の目の前でどんどん感染者は広がっていく。
わからないから何もしないというわけにはいかない。
その時、その時でできることをやっていくしかない。
何が完璧な対応であるかなんかわかるわけがない。
その中で考えられる中での最良てを打っていくしかない。
正体がわからない敵(コロナ)に対しての戦いは、非常に困難で苦しいものであったと思います。
もう一つ彼らが戦っていた正体がわからない敵がいました。
世間の無理解という敵です。
当時は医師たちだけでなく、世間全般としてコロナに対して何も分かっていませんでした。
まだ本格的に日本に入ってくる前でしたので、対岸の火事的なものの見方もあったでしょう。
わからないものであるがゆえ、ネットでは正しい話も正しくない話も一緒くたに語られていました。
人はわからないものは忌避します。
触れたくないと思います。
人を救うために最前線(フロントライン)で働いている彼らもその忌避の対象となりました。
精神的には彼らにとってこちらの敵の方がきつかったのではないかと思います。
そのような困難さの中でも彼らはその最前線から逃げなかった。 自分の業務に対しての倫理観、そもそも人を救う仕事に就こうとした志に対して正直であったのでしょう。
志を同じくする人々が、それぞれが戦い、そして連携して巨大な敵と戦っていく姿に感動いたしました。
DMATのリーダーであり厚労省との窓口であった結城、彼の右腕であり最前線で指揮を取る仙道のやりとりなども心揺さぶられるところあります。
結城は世間とのフロントラインに立っていて、マスコミや風評・政治と向き合っています。
自分たちが大切にしていることとは全く異なる思惑や思考に対し、自分たちが正しいと思うことを通していくことに軋轢を感じています。
時折妥協してしまいそうになる時に、コロナのフロントラインにたつ仙道と話す中で医者として、そしてDMATとしての志に立ち返ることができました。
仕事というものに向き合っていくためにはやはり志が大切なのですね。
そしてその志を共有する仲間がいるということが。
今というタイミングでこの映画が作られたことには意味があると思います。
コロナが普通の病気になってしまい、あの頃のことが急速に風化しています。
ただ病気に限らず、まさに未曾有の出来事というのは今後も発生すると思います。
その時、何もわからない中、それでも進んでいかなければならない。
最善策は何かと止まっている暇はなく、その時の最良手を進めていくしかない。
その時の考えの礎になるのが、やはり志ではないかと私は思いました。

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2025年7月 5日 (土)

「リロ&スティッチ」実写化する意味

オリジナルのアニメーション「リロ・アンド・スティッチ」が公開されたのは、2003年。
そのころはディズニーのアニメーションはほとんど見ていなかったため、オリジナルの知識はほとんどありません。
この数年、ディズニーは過去のアニメーションのヒット作の実写版をリリースしています。
これはある程度、ヒットが見込めるというマーケティング的な思惑があるのだと思います。
ただ「白雪姫」が大ドボンをしたように、その思惑も必ずしも叶えられるわけではないというのもこの最近の傾向です。
実写で作る場合も、そうする意味合いがきちんとあることが重要なような気がしています。
オリジナルが古い作品であれば現代的に再解釈するという意味合いもあるでしょうし、実写版ならではの画面のゴージャスさ(「アラジン」など)で魅せるというのもあるでしょう。
本作の場合はどうでしょうか。
まずスティッチなんですが、これはご存知のように宇宙からやっってきた遺伝子操作されたスーパー生物になります。
とってもアニメ的なキャラクターですが、これを実写版にしても毛並みなどはリアルになりますが、アニメ的であるのは変わりません。
昨今の3Dアニメーションのテクスチャがよりリアル感を持って描かれているので、なおさらそれらと実写版であるスティッチの見た目上の差が感じにくいのです。
「美女と野獣」でベルをエマ・ワトソンを演じたという明確な差がないということです。
その他のキャストについては、当然役者が演じているので、よりリアリティが増しているのは間違いありません。
オリジナルを見ていないため、オリジナルとストーリーを比較することはできませんが(とはいえ他のレビューを見ると概ねストーリーラインは同じらしい)、保護局とのやり取りやそれに伴うナニの感情などはよりリアリティを感じるものになっていたのではないかと思います。
ただそれもアニメーションだと伝わらないものであるかというとちょっと疑問でもあります。 そのためわざわざ実写にする意味合いというのが映像的に感じにくいと言わざるを得ません。
それとオリジナルは2003年なので、まだリメイク作品するとしても最近なので、大きく価値観などはその頃と変わっていないので、リメイクをして新たな切り口を提示するということでもなかったような気がしています。
前述しているように大きくストーリーラインは変わっていないようですので、この点でもわざわざ語り直す必要があるのかという気持ちになります。
これはストーリーが良くないとい言っているわけではなく、むしろ本作で語られているのは、普遍的な家族愛であり、それは元々の作品でも表現できていた(だからこそヒットした)のではないかということです。
最近のディズニーにあった昔ヒットしたアニメを実写化という流れは、「白雪姫」の一件で、一旦考え直されているようですが、実写化自体が悪いわけではありません。
考えなしに実写化するのが良くないのであって、実写化するのであれば、そこにやる意味を見出してやってもらいたいものです。

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