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2025年5月10日 (土)

「パディントン 消えた黄金郷の秘密」良質なファミリー映画

前作2作は未見なのですが、娘が見たいというので一緒に行ってきました。
ユーモアあり、冒険あり、ハートウォーミングありと、良質なファミリームービーという印象です。
前2作はロンドンが舞台だったということですが、今回はパディントンの故郷であるペルーに舞台を写しています。
そのためアドベンチャー要素が増しているようですが、「インディ・ジョーンズ」などの80年台の冒険ものが好きな私としては見ていて楽しかったです。
なんとなく懐かしい気分にもなりました。
娘の方は途中途中で挟み込まれてくるユーモア要素がツボだったようで、楽しそうに笑って鑑賞していました。
私も、遺跡にアイテムを投入したら、自販機のように吐き出されるという件などは笑ってしまいました。
冒頭にあったフリをここで回収してくるとは!
前2作を見ていなかったため、パディントンとブラウン一家の関係について深くわかっていなかったので、ラストについては見ていたらもっとグッときていたのだろうな、と想像していた次第です。
アントニオ・バンデラスやヘイリー・アトウェルなど脇のキャストも充実しておりました。
冒頭に書いたように、ファミリームービーとしてさまざまな要素がバランスよく構成されているので、大人から子供まで安心して楽しめる作品に仕上がっていると思います。

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2025年5月 6日 (火)

「爆上戦隊ブンブンジャーVSキングオージャー」異なる個性の化学反応

毎年恒例のVS戦隊です。
いつもは劇場公開はスルーして配信で見ているのですが、今回は娘が行きたいと言ったので、一緒に行ってきました。
脚本は「ブンブンジャー」のメインライターである冨岡淳広さんです。
「VS」シリーズは違う世界観の戦隊が一緒に戦うのがコンセプトの一種お祭りムービーなので、ややもすると大味になりやすい。
特に今回は歴代の中でも最もSFファンタジー的世界観が強い「キングオージャー」と、王道回帰の「ブンブンジャー」の組み合わせなので、なかなか組み合わせは難しそう。
しかし冨岡さんはベテランの方なので、短い尺の中でも両戦隊をいいバランスで組み上げていたと思います。
それぞれの作品の中のエピソードも上手に拾いながら、本作の中に取り込んでいました。
唸ったのは、今回ダグデドを復活させるために必要な3つの聖なるレガリア(3種の神器のようなもの)が、夏の劇場版「ブンブンジャー」に登場したゲスト二コーラのつけていたペンダント(珠)、「キングオージャー」のオージャーカリバーゼロ(太刀)、そして鏡として星球魂
を持ってきたところですね。
それぞれがシリーズ、映画の中で重要なアイテムだったわけですが、それを3つ揃えて三種の神器にしてしまうっていうのはなかなかのアイデアです。
また、VSシリーズは違う作品の個性あるキャラクターを無理やりに組み合わせて生まれる化学反応も見所の一つ。
薄々気づいてましたが、ジェラミーと玄蕃は話しっぷりが似ていると思っていましたが、これを組み合わせてきますし、面白い。
女性陣三人+イターシャもなかなかよし。
最も良かったのはギラと大也でしょうか。
大也は理想を目指して戦ってきましたが、大人たちの都合で翻弄されて裏切られてきたとも言えます。
ギラの国、シュゴッダムを訪れて、自分の理想とも言える世界を見た時、無条件にそれを成し得たギラにリスペクトを感じます。
しかしギラはそれでもそこは完全でないし、完全にはなり得ないと大也に説きます。
つまりは大也の地球もまだまだ理想を目指すことができるということですね。
大也はいわば挫折を経験したヒーローですが、ギラと出会い、再び理想を追い求めるエネルギーを得られたような気がします。
このようなメッセージも込められつつ、基本的にはバトルも見応えありますし、VSシリーズらしい爽快感もあり、満足度の高い作品でした。
今回の敵はマンホールグルマーでしたが、マンホールを投げまくっていたので、どこかで釈由美子さんが出てくれるのではないかと思いましたが、出てこなかったですね(泣)。

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2025年5月 3日 (土)

「サンダーボルツ*」ある意味MCUらしい

ある意味、MCUらしいと言ってもいいかもしれません。
MCUの第1作目「アイアンマン」でトニー・スタークは冒頭で紛争地域で自分の会社のミサイルが人々の命を奪っているのも目の当たりにし増田。
彼は自らの行為を悔い、人々を守るために戦おうとしたのです。
トニーと一緒に戦い続けたブラック・ウィドウことナターシャ・ロマノフもかつて暗殺者として多くの人々を手にかけてきたことを悔い、最後には人々のために自分の命を犠牲にするのです。
MCUに登場する多くのヒーローは、自らの内面に悔いと葛藤を抱えながら、戦ってきました。
「サンダーボルツ*」に登場する面々は、さらにその思いを強く持ちます。
本作のキャラクターの多くは、今までの作品の中で敵役として登場してきた者たちが多い。
ウィンター・ソルジャーことバッキー・バーンズ、姉と同じくウィドウであったエレーナ・べロワ、かつてアントマンと戦ったゴーストことエイヴァ・スター、手を血で汚した元キャプテン・アメリカ、ジョン・ウォーカー、ナターシャ・エレーナ姉妹と戦ったタスクマスター、そしてソビエトのキャプテン・アメリカ的存在レッド・ガーディアンことアレクセイ・ショスタコフ。
いずれも脛に傷を持つ面々です。
「サンダーボルツ*」の企画が始動したことを聞いた時、マーベル版の「スーサイド・スクワッド」になるのかと思いましたが、全く違いました。
ヴィランたちが暴れまくる作品ではなく、心に傷を持つ彼らが自らの過去を見つめ、そして再び生きる意義を見つけるという物語となっています。
彼らは罪を背負っています。
そしてそれを一人で背負おうとしていました。
背負うものは非常に重く、彼らはそれに押し潰されそうになっていたのです。
しかし、偶然にも彼らは一つのところに集まり、そして危機を乗り越えようとする中で、自分と同じように他のメンバーも背負っていることを知ります。
彼らには互いに、それぞれが背負っているものの真の重さがわかり、共感できる。
それに気づいた時、彼らは初めて仲間を得たのです。
彼らが戦うのは、強大な力を持つセントリーという超人ですが、これも一癖も二癖もある存在です。
セントリーはヴォイドという裏の側面を持っており、それが暴走し、人々を襲います。
その攻撃はまさに精神攻撃とも呼ぶべきもので、人々が抱える闇=トラウマの中に封じ込めてしまうというものでした。 サンダーボルツたちは、自らのトラウマと相対し、そしてセントリー自身も救おうとします。 彼らは互いに許し、許されるのです。 <ここからネタバレあり>
「サンダーボルツ*」の「*(アスタリスク)」の意味は最後の最後にわかります。 「ニュー・アベンジャーズ」になるということですね!
タイトルを見た時、彼らと二代目キャプテン・アメリカことサム・ウィルソンは合わないだろうな、と思っていたら、やっぱり揉めていることがミッドクレジットで明らかになります。 次の「アベンジャーズ」はサムが率いる正統な「アベンジャーズ」と「ニュー・アベンジャーズ」の2つのアベンジャーズが登場するのでしょうか。 カマラらも「ヤング・アベンジャーズ」を結成するような動きを見せいたので、もしかして3つ? 「ファンタスティック4」もアース616に来るような展開も示唆されましたね。 最後にタスクマスターがあっさり退場したのは、ちょっっと驚きでした。 オルガ・キュレンコ、顔見せ1カットだけでしたね・・・。

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「#真相をお話しします」”今”のテーマに切り込む

現代のネット、特にSNSの暗部に鋭く切り込んだテーマで想像していたよりも見応えがありました。
もちろん、トリッキーな展開自体もよく練られていて、先行きが全く予想ができませんでしたが、やはり本作はテーマ性だと思います。
<ここから先はネタバレしないで書く自信がないので、注意です。>
うちの子供が好きで、赤ちゃんの成長記録っぽい配信をしている動画も一緒に見たりしたりしますl。
ただ、この子が成長した時、この動画のことをどう思うのかなという思いがよぎる時もあります。
親からすれば可愛い我が子をみんなに見てもらいたい、という気持ちかもしれないですが、子供のプライバシーの権利からするとどうなのかなとも思います。
また、生臭い話で言うと配信でお金も入るわけで、そのためにという気持ちが出てくるのも否めません。
以前、親子youtuberの親が子供が車内に閉じ込められてしまった様子を配信してしまい、炎上してしまったという事件もありました。
本作の中で報道されない事実を暴露することにより、投げ銭を得るという企画が展開されます。
この行為は、言論の自由、真実の探究、知る権利などといった基本的人権に則っているとも言えます。
ただ、これは他人のプライバシーを容赦無く晒している行為でもあり、その点では基本的人権を侵しているとも言えます。
つまり、非常にデリケートな領域なのです。
マスコミなど既存メディアは時として”マスゴミ”などと揶揄されるところはあるものの、これらについては一定のルールを定めながら、報道をしています。
そして何かルールを違反したり、権利侵害があった場合は、会社として責任を追及されるわけです。
しかし、ネットにおいては、個人においては上記のような法律的意識が少ない場合が多いですし、そもそも匿名のためペナルティを課せられる可能性が低い。
安全圏から好き勝手を言っていいという、非常に不均衡な関係性になっているのです。
基本的人権はすべての人々に認められているものですが、それぞれの権利は時にぶつかり合うこともあります。
そこは非常に判断が難しいところであるわけで慎重に考えなくてはいけません。
皆がそのようなリテラシーがあればいいのですが、ほとんどの人々はそのようなことを考えることはなく、安易にネット上で行動します。
そこに切り込んだという点で本作は非常にタイムリーな作品であると感じました。
本作のラストはいわゆるオープンエンドで、作品として結末で答えを出していません。
皆が、それぞれ考えてください、ということですね。
上記に書いた通り、多くの人はリテラシーがなく、考えてもらいたいという制作者側のメッセージはわからなくもありません。
ただ作品として純粋に見ると、投げっぱなしであるという感はありました。
繰り返しますが、本作は非常にセンシティブな問題をテーマにしています。
答えは一つではなく、何か正解なのかわからない、わけですが、だからこそ作品としては答えを出すべきだとは思いました。
その答えに対して色々な意見は出るでしょう。
だからこそ、人々が考えるきっかけにはなるような気がします。
オープンエンドは逃げている印象を残してしまいました。

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2025年5月 2日 (金)

「マインクラフト/ザ・ムービー」映画にも受け継がれるゲームの思想

マイクラ好きの娘と行ってきました。
ちなみに娘はクリエイティブ派で色んな建物を作っていて、私はサバイバル派で色んなところ冒険行って、掘りまくるのが好き。
マインクラフトというゲームは場を与えているだけであって、それ以外はルールがありません。
自分がしたいようにプレイをする。
娘は建物を作りますし、私は冒険をする。
楽しみ方はそれぞれ。
個性、自由、創造がマイクラを表すキーワードになると思います。
映画版もゲームが持っている思想をちゃんと押さえたものとなっていました。
登場する人びとは社会からちょっとはみ出した人たち。
かつて有名ゲーマーで今は借金まみれの中年。
頭はいいけど、学校に居場所がないもやし少年。 日常に飽き足らず、夢を追いかけてマイクラの世界に住み着いてしまった男、などなど。
うまく社会に適応できなかった人びとが主人公です。
彼らがマイクラの世界で自分たちの個性を発揮しながら、ネザーからの侵略を食い止めようとします。
現実世界は多様性と皆が言っていた時から、逆戻りしている感じがありますね。
違う価値観をお互いに認め合うというより、相手を攻撃する方に向かっていると思います。
そんな中で社会的に適応できない人たちははみ出していってしまいます。
本作では彼らが主人公です。
マイクラというゲームのもう一つのキーワードは無限だと思います。
クリエイティブモードでは資源は無限に使えますし、サバイバルモードは世界の果てはなくどこまでも行くことができる。
無限だからこそ、制約がなく、自分がやりたいようにやれる。
自分の個性を遠慮なく発揮できる。
映画でも登場人物はそれぞれの個性によって危機を乗り越え、そしてそれをお互いにリスペクトしています。
ちゃんとマイクラの思想が現れているなと思いました。
CGもよくできていて、あのマイクラの世界観がいい塩梅でリアリティで表現されていました。
クリーパーとかスケルトンとかマジ怖いです。
娘的には前段の現代パートが長かったようで、「これ、マイクラの映画?」と言っておりました。 マイクラの世界に行ってからは、楽しく見れたようです。 前半は私も少々長い感じもしましたが、あれがないと人物の成長が描けないんでね・・・。
娘よ、いつかはわかると思う。

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