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2025年4月27日 (日)

「アマチュア」スパイの成長

アクションスパイ映画というと「007」「ミッション・インポッシブル」「ボーン・アイデンティティ」などが浮かびます。
これらの主人公は超絶な肉体的能力・スキル、明晰な頭脳、そして精神力を持った、いわばスーパーマンです。
ですので、ありとあらゆるピンチでも彼らは自分の能力を最大限活かして、その危機を乗り越えます。
見ている方としては彼らがスーパーマンなのは知っているので、ある意味、安心して彼らのピンチを楽しめます。
対して本作の主人公はCIAの分析官チャーリー。
彼は天才的な頭脳は持っているものの、基本はデスクワーカーであり、スパイの現場に赴いたことはありません。
しかし、彼は出張に出かけた妻がテロに巻き込まれて死んでしまったことをきっかけに、テロリストたちに復讐を誓います。
しかし、彼が持つのは頭脳だけ。
肉体的・スキル的にもスパイには向かない平凡なデスクワーカーであり、タフネスを支えるのは妻への愛だけです。
彼は組織にテロリストを追ってほしい、と願いでますが、受け入れられず、単独行動を取り始めます。 冒頭に書いたようにスパイ映画の主人公たちは、絶対に死なないという安心感がありますが、チャーリーはそこが担保されていません。
いつ殺されてもおかしくない。
それが他の作品にはない緊張感を生み出します。
また、逃亡しながらテロリストを追っていく中で、彼自身も変わり始めます。
肉体的な能力は変わりませんが、明らかにタフネスさを身につけていく。
辛い別れも経験しつつ、修羅場を乗り越えていく中で、精神的にも逞しく、一人前のスパイとして成長していきます。
明らかに完成しているスパイヒーローとは異なり、その変わってく過程がこの作品をユニークにしていると思います。

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2025年4月19日 (土)

「ミッキー17」彼らの解放運動

主人公ミッキーは借金取りに追われる身であったため、追っ手から逃れるために植民星に向かう宇宙船に乗り込もうとします。
その時、うっかり契約してしまったのが、とんでもない契約。
人類は人間の記憶を保存し、3Dプリンタのように出力した人間の体にインストールする技術を開発していました。
つまり、死んでも何度でも生き返るということです。
ミッキーは、死んでも何度でも生き返り、仕事を続けなければいけない、という契約にサインしてしまったのです。
死んでも何度でも生き返る、っていうのは一見「死なない」ってことと同義のように聞こえて、素晴らしい感じに思えなくもないですが、実際のところはとんでもない。
命というのは死んだら終わり、一回きりのもの、という前提があるからこそ、貴重であるわけですが、それが何度でもやり直しができるとなると、その重みは自然と軽くなってしまいます。
ミッキーはまさに「エクスペンダブル(消耗品)」と呼ばれ、モルモットのように実験台にされ、消費されていきます。
人間を出力する機械は、少し前のプリンタのように少し出したら引き戻して、重ねて印刷をするというような動きをしていて、最新式機械とは思えないアナログさを醸し出しています。
これは印刷を失敗したコピー紙をぐちゃぐちゃにしてポイ捨てしてしまうような感覚に繋がり、ミッキーそのものもその程度の重みでしかないことを印象付けます。
ただし、ミッキーも契約するまでは正真正銘の人間であって、ただサインをしてしまっただけでこのような人間扱いされない状態になってしまうのも不条理ではあります。
友人であったティモなどは特にひどく、彼のためにミッキーは借金を減ってしまったわけなのに、エクスペンダブルになったミッキーに対して、全く人間扱いをしません。
彼にとってはミッキーは別の生き物になってしまったかのようです。
これも歴史的には珍しいことではなく、かつての奴隷も同じような扱いであったのかもしれません。 ミッキーは奴隷のメタファーなのかもしれません。
ちょっとした手違いからミッキー17は死んだものと見做され、ミッキー18がプリントアウトされます。
本来彼らは同時に存在してはならず、そのため彼らは殺されそうになります。
そして搾取され続けることに嫌気がさしたミッキー18は移民団の支配者であるマーシャルを殺そうとします。
まさに彼らの奴隷解放運動です。
ミッキーの恋人であるナーシャだけは彼を人間として愛しており、彼の戦いを援護します。
結果、彼らの企みは成功し、マーシャルからミッキーは解放され、そして改めて本名であるミッキー・バーンズを名乗ります。
これも奴隷解放によって苗字を手に入れた黒人に通じるものがありますね。 本作は韓国の巨匠、ポン・ジュノが監督。
彼らしいブラックなユーモアがところどころにありますが、全体的にマイルドではあります。
彼の作品は見るのにかなりエネルギーを消耗するのですが、そういう点において気軽には見れます。
本来の彼の作品が好きな方には少々物足りないかもしれませんね。

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2025年4月 6日 (日)

「映画おしりたんてい スター・アンド・ムーン」魅力的なキャラクターたち

やはり永遠のライバルのような関係の名探偵と怪盗はいいですよね。
古くは明智小五郎と怪人二十面相、シャーロック・ホームズとモリアーティ教授と枚挙に暇はありません。
「おしりたんてい」で言えば、それはおしりたんていと怪盗Uでしょう。
彼らは永遠のライバルですが、お互いに不思議なリスペクトがあります。
本作の原作はちょうど先日、新刊が発売されていまして、ユニークな2冊同時刊行となっていました。(先に娘は原作を読んでいたため、一緒に見ていた時、ネタバレを言いそうになるのを止めるのに難儀しました・・・)
一つがスターサイドと言って、おしりたんていを中心としたストーリー。
もう一つがムーンサイドと言って、怪盗U中心のストーリーになっています。
映画はこれらを合体させたものになっています。
テレビシリーズの方では、アルファベットのつく怪盗たちが登場してきています。
怪盗Bや怪盗K、怪盗Zなどといったように。
それぞれユニークなキャラクターとなっていますが、彼らはみんな「怪盗アカデミー」という機関の卒業生になります。
そして本作はそのアカデミーの出身者である怪盗Gがおしりたんていの敵となります。
前作はおしりたんていの過去に触れたストーリーとなっていましたが、本作では怪盗U、そして助手のブラウンの過去に触れていきます。
そして怪盗Uの正体にもチラリと垣間見ることができます。 敵となる怪盗Gについても、彼は彼なりにある作戦を進める理由があり、そのこと自体には共感できる部分もあります。
そのように、今回はさまざまなキャラクターに関して掘り下げられており、ストーリーとしても見応えあるものに仕上がっていると思います。 怪盗Uに関してはまだまだ語られるべきストーリーもありそうなので、こちらも今後に期待したいですね。

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2025年4月 5日 (土)

「少年と犬」温かいものが残る読後感

瀬々監督の作品はいつも泣かされることが多く、人の琴線に触れてくるのが上手な監督だと思います。
通常は動物ものはあまり好きではないので、食指は動かないのですが、瀬々監督なので鑑賞しに行きました。
予想通りというか、案の定というか、やはり本作でも泣かされました。
本作は東日本大震災後から始まります。
現代日本が経験したことがない、大災害である東日本大震災。
圧倒的な自然の力に対して、人間は無力であることを改めて認識した方も多かったのではないでしょうか。 本作には何人もの人物が登場しますが、それぞれ一人の力では抗いきれない出来事に直面します。
一つだけにとどまらず、次から次へと。
それぞれの人物の行き先決してハッピーエンドとは言えません。
ただし、彼らが不幸であったかというと、そうではないのかもしれません。
主人公の一人である和正は、心ならずも悪事に手を染めてしまい、家族から非難され居場所を失います。
しかし、迷い犬である多聞と出会い、そして美羽と出会っていく中で自分が生きていきたい道を見出します。 もう一人の主人公である美羽も、望んだ結果ではないけれども人として究極の悪事を行なってしまいます。
しかし和正と多聞と出会うことで自らその罪を償う決心をし、彼女もまた生きる希望を見出します。 結果としては二人の希望は果たされないわけですが、不幸せであったかというと違うような気がします。
多聞と出会うことを心待ちにしていた少年が、そしてまた多聞を失うときに、心の中にいると言います。 それは和正にとっても、美羽にとっても同じで、状況としてはつらくても、心の中に大切なものがあればそれは生きる希望となり、不幸せではないということなのでしょう。
そういう人々(や動物)と出会えたことが人生の幸せなのですよね。
彼らの運命は過酷で、見ていながら感情移入してしまったため、とても辛く、泣けてきました。
ですが、読後感は決して悪くなく、何か希望のような温かいものが残ったような気もします。

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2025年4月 1日 (火)

「白雪姫」安易なアップデートによる違和感

色々と話題になっている実写版の「白雪姫」です。
ディズニーのプリンセスものには大きく二つの流れがあると思います。
まずアニメーションについては、以前は守られ、まさに「白馬の王子様」を待つ存在であったプリンセスが、「ラプンツェル」くらいからか自分の意思を持ち、自分の人生を生きていこうという存在に変わっていったという流れがあります。
これは現代の女性の意識の変化に基づいていて、「アナと雪の女王」で非常に顕著になり、その後最新作の「モアナと伝説の島2」まで続いています。
これは非常に成功していて、現代女性の意識にマッチした現代的なプリンセスは多く受け入れられていると思います。
もう一つはプリンセスには限らないですが、かつてのディズニーアニメーションのヒット作を実写化するという流れです。
プリンセスものでいうと「美女と野獣」や「アラジン」などが該当します。
これは元々ヒット作をベースとしていることで、当たるという確度が高いためディズニーとしても割りのいい案件ではないかと思います。
実写化する場合も、アニメ版公開の時から時間が過ぎているので、現代女性の意識に合わせて、描かれるプリンセス像もアニメーションと同様アップデートされていることが常です。
先にあげた2作はそのアップデートをいい塩梅で行っていたと思います。
そこで本作「白雪姫」です。
こちらも実写版では大きくプリンセス像を現代的にアップデートしています。
すなわち、白雪姫は見かけがただ美しいだけの女性だけでなく、内面も美しいとされています。
また、彼女を眠りから覚ますのは、ただ美しい姫を好きなった白馬の王子様ではなく、悪政から民を解放したいという志を同じくする盗賊になっていたりします。
実写化するにあたり、プリンセスのアップデートをしようとしたのは今までの成功体験からしても、致し方ない結論のような気がします。
ただその元となった「白雪姫」がまさに「白馬の王子様」を待つ女性であるということが、ストーリーの設定の根本であるわけですが、現代女性にアップデートをするということは、その根本を変えていくということになるわけです。
元々の「白雪姫」は1937年公開で90年近く前の作品です。
時代で言えば太平洋戦争前夜です。
古い価値観をベースにしていた物語なので、それを無理矢理に現代的な女性の物語に変容させてしまったために何かチグハグな印象を与えてしまっているような気がします。
時代のギャップをどう埋めていくか、という点をあまり配慮せず、安易にアップデートしているように思いました。 ディズニーのプリンセスものの実写化でうまくやっているのは「マレフィセント」かもしれません。
これの原案は「眠れる森の美女」で、これに登場するオーロラ姫もまさに古い価値観に基づいたプリンセスといえます。
あえてプリンセスを主役とせず、その敵役を主人公にしたというのはアイデアであるように思います。
意外に敵役はキャラクターとして掘り下げられていないため、描く余地があります。
その余地に今まで知らなかった現代女性的な側面を描けたわけです。
最近の「ウィキッド」の西の魔女などもそうかもしれません。
本作は大筋の流れはそのままにわかりやすいところだけを現代的にアップデートしてしまい、そこで様々な違和感が発生しているように思いました。

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