「セプテンバー5」メディアの責任
テレビが登場する前は、世界のどこかで起きた出来事を別の場所でリアルタイムに見るということは不可能でした。
それまではその場所に居合わせた人々の話を聞き、それを構成したものをメディアが伝え、それを一般の人々が知るという手順でした。
当然その情報は整理され、加工されているわけで、事実そのものとは異なることがあるかもしれません。
ただメディアはそれを避けるため、何十にもファクトチェックをし、その情報を発信していたのです。
リアルタイムで中継される情報は、リアルタイムであるが故に、ファクトチェックをする余裕がありません。
それは「生」の情報であるからその必要はないという考え方もありますが、カメラに映し出されている情報はカメラで切り取られているため、「すべての」情報が明らかになっているわけではなく、「一部の」情報であるという認識は持っていなくてはいけません。 何らかの意図を持って切り取る、ということもできないわけではありません。
また、ファクトチェックをしている暇がないということで、伝える側の憶測などが入ってくる可能性もあります。
本作でもスタッフの一部は他の情報源も確認したほうがいいと意見を述べますが、スクープという成果に目が眩み、勇足をしてしまいます。
それが世紀の大誤報につながってしまうのです。
テレビが当時すでに大きなメディアパワーを持ってしまったため、その影響は世界中に及びます。 さて、現代ですが、リアルタイムでの情報拡散はマスメディアにとどまりません。
「切り取り動画」というものも話題になっていますし、ファクトニュースという言葉が聞かれるようになっても久しいです。
メディアはまだファクトチェックという点では仕組みとして機能していますが(怪しいところもあるが)、個人においてはその限りではありません。
本作で起こったような出来事が、個人のライブ中継で起こりうる可能性は十分にあります。 個人それぞれがメディアとしての意識を持たなければいけない時代になったのかもしれません。
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