「クレイヴン・ザ・ハンター」輝くための相手がほしい
SSUの存続が危ういと話が出ている中で公開された「クレイヴン・ザ・ハンター」。
確かにSSUというシリーズは狙いがはっきりとしていない印象があります。
MCUのような共通した大きな世界観を作り上げようとする野望があるようにも見えないですし、個性が溢れる個別の作品が輝くということでもない。
MCUのビジネスモデルがうまくいった後、⚪︎⚪︎ユニバースと銘打った企画がいくつか立ち上がりましたが、あまりうまくいっているものはないように見受けられます。
SSUもそのようなユニバースの一つとなるのでしょうか。
ただシリーズとして狙いがはっきりしていなくても、個々の作品の評価はまた別。
世間からはあまり評判が良くないようですが、個人的には「マダム・ウェブ」は楽しめました。
クレイヴン・ザ・ハンターはコミックではスパイダーマンの敵役となるヴィランです。
そのヴィランを主役にするという点では「ヴェノム」や「モービウス」と同じですね。
マーベルのヴィランは個性的で、サノスのように敵役ながら人気が出てくるキャラクターが多いですよね。
彼らがヴィランであるのに共感性があるのは、行為自体は認められないものの彼らは彼らなりに信念を持っているところであると思います。
それは主人公側との対比があるからこそ、さらに存在感を増すのです。
SSUでヴィランを主人公にした作品が、個人的に魅力的に感じるものが少ないのは、その対比構造が薄いのからではないかと思います。 本来はヒーロー側との対比でヴィランとしての魅力を描いた後に、スピンオフというのが流れとしては良かった気がします(いろいろ大人の事情でやれないのかもしれないですが)。
SSUのヴィランシリーズで共通しているのは、主人公の敵役となる相手がどうしても格下っぽく感じてしまうことです。
圧倒的な強さを誇る敵ではないため、なかなか主人公が輝けない。
本作においても敵としてライノやザ・フォーリナーが登場しますが、あまりに役不足(ザ・フォーリナーにおいてはサブキャラに倒されてしまうという情けない始末)。
本作の最大の敵役は、クレイブン・ザ・ハンターことセルゲイの父親ニコライなのでしょうね。
古来神話では男の成長譚として父親殺しというのがありますが、本作もその系譜に属すると思います。
父親の強い影響を受け、弱肉強食の世界を生き抜く術を身につけたセルゲイですが、父親の残虐な振る舞いには嫌悪感を抱きます。
自分の中に流れる血に嫌悪感を持ちつつ、自分の中に父親の影響は確実にある。
セルゲイのその葛藤は描けていたように思います。
SSU自体の中途半端さは気になるものの、それを気にせず単体の作品として見るならば父と子の物語としては十分に成立していると思います。
ラストに仄めかされたこれから起こる可能性としてある兄と弟の確執もドラマとして展開が気になるところではあります。
後日談が語られるかどうかはSSUの成り行き次第というところでしょうか。
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