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2024年12月31日 (火)

「映画 ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」欲望との付き合い方

今年最後に鑑賞した映画です。
娘が好きで、原作読んだりアニメ版を見ているんです。
アニメ版は時折一緒に見たりしているので、おおまかに設定はわかっていますが、今回は実写版を一緒に見に行ってきました。
予告で天海祐希さんが紅子を演じていて驚きました。
素の天海さんはスラっとスマートなので、紅子の見た目とは全く違いますが、特殊メイクでかなり印象は近くなっていました。
見た目だけではなく、天海さんはお芝居も貫禄があるので、想像以上に役柄に合っているように思えました。
原作が子供向けの小説なので、子供向けの内容かと思いきや、大人が見ても考えさせられるところもあり、ドラマとしても見応えありました。
それもそのはずで、スタッフを見れば脚本は吉田玲子、監督は中田秀夫とベテランの布陣で、しっかりとした作りになっているのも納得です。
アニメも含めた「銭天堂」シリーズの私の印象は、ややブラックなテイストの「ドラえもん」というところでしょうか。
銭天堂で売られているお菓子って「ドラえもん」の秘密道具っぽいところがあると思いませんか。
この駄菓子を食べると不思議な力が身について、望んだことが叶えられますが、いい気になって使っていくとこっぴどくしっぺ返しを受けてしまう。
「ドラえもん」でのび太はいつも秘密道具を使って、欲張りすぎて失敗してしまいますが、「銭天堂」でも何人かのお客はのび太のように欲に流されて、大変な目に遭ってしまいます。
アニメ版を見ていると、意外と救われないまま終わってしまう時もあり、思っていたよりブラックな印象なんですよね。
そういう意味では「笑ゥせぇるすまん」に近いかもしれないですね。
実写版でも主人公小太郎の大学の後輩である相田さんなどは自分の欲望がコントロールできない状態になってしまいます。
その様は買い物依存症ぽくもあり怖くなります。
願いを叶えたいという欲望は人が行動を起こすモチベーションとなり、それ自体は悪いものではありません。
しかし、欲望に支配され、人生全てに優先されてしまうと不幸になります。
そして欲望に支配されると、自分と他人を比べたくなります。
もっともっと欲しくなる。
人よりももっともっと。
その欲は周りの人も、そしてその人自身も不幸にしてしまう。
そもそも欲望は自分の中から湧き起こるものですが、いつの間にやら自分自身を支配してしまう。
作品の中でも悪意と呼ばれるものは自分の中から湧き出る黒い煙のように描かれていますが、それが自分も、人も飲み込んでいってしまいます。
欲望の力を知りながら、それをうまくコントロールしていく術を身につけていかなくてはいけません。
主人公の小太郎は幼い頃、願望を叶え、その力をうまく使って、良き大人になりました。
完璧ではないけれど、自分の願いを力にして善良な人間として生きてきました。
彼のように生きていきたいものです。

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2024年12月28日 (土)

「私にふさわしいホテル」権威なんて何するものぞ

忖度ばかりの世の中で、自分が生きたいように生きる主人公が爽快ですね。
主人公は新人作家中島加代子。
新人賞を取ったりしているので、おそらく才能はあるだろうこの御仁、とにかく自分に自信があって、思ったままに道を突っ走る。
賞は取ったものの、その作品がベテラン作家に酷評されたおかげで、その後は鳴かず飛ばず。
愛してやまない山の上ホテルで自主カンヅメしているとき、偶然、仇の作家東十条に遭遇します。
彼もカンヅメされていて、その日は締切日。
彼が原稿を落としてしまえば、恨みも晴らせるし、自分にも原稿を載せられるチャンスが、と妨害作戦を加代子は開始します。
彼女はやることなすこと突拍子もなく、そして歯に衣着せぬ物言いで、普通にその辺にいたらとんでもない人なのでしょうけど、なんか憎めない。
本作の舞台となっているのは昭和でそれも伝統のある文壇。
今でこそ女性が活躍していますが、まだまだ男尊女卑が色濃く残っている時代です。
そんなしがらみでがんじがらめの世界で、加代子は一人気を吐きます。
権威なぞ何するものぞ、と強引に突破していく様は気持ちがいい。
加代子を演じているのはのんさんで、彼女は見た目が可愛いのにこういう突き抜けた役がとても似合います。
とにかく痛快なので、年末を締めくくるにはいい作品かもしれないです。

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「正体」間違いだらけのこの世界で

藤井道人監督の作品にはなぜか惹かれてしまう。
全ての作品を見ているわけではないですが、最近の作品だと「ヤクザと家族 The Family」「最後まで行く」「青春18×2 君へと続く道」を見ています。
それぞれ語っているストーリーもジャンルも違うのですが、何か藤井監督らしさというものが共通しているように感じます。
それぞれの作品の主人公は背負ってしまったものがあります。
それは一人で背負うには重すぎるもので、主人公はみっともない姿になりながらも抗い続けます。
その抗い続ける過程で主人公たちの本質が掘り下げられていきます。
そしてハッピーエンドとは言えない物語ではありますが、読後感としては何かしら希望を感じるように終わるのが、共通しているようにも感じます。
人間性を深く描くこれらの作品をまだ30代の藤井監督が撮れるなんて驚きです。
本作「正体」はまさに抗い続ける男の物語です。
主人公鏑木は殺人事件で死刑が確定した男。
しかし彼は刑務所から脱走し、名前を変え、顔を変え、逃亡を続けます。
彼が背負っている状況は、一人の人間が背負うにはあまりに重すぎる。
しかし、彼は一人だけでそれに抗います。
彼は逃亡していく先で、さまざまな人に出逢います。
人を避け名前も風貌も変えていますが、彼らしさは出てしまいます。
彼と接した人々は、彼の本質に触れ、彼が殺人事件の犯人だと知っても、彼を助けようとします。
彼らが希望です。
藤井監督の作品は見ている時は追い込まれていくようなとても辛い気持ちになります。
主人公に共感し、彼らが背負っているあまりに過酷なものを感じてしまう。
ただ彼らと一緒に争い続ける中で、希望の光も感じます。
本作のラストで彼を追い続けた刑事が鏑木になぜ逃亡を続けたか問いかけます。
鏑木は「この世界を信じたいから」と答えました。
それこそが希望です。
現実世界も非常に辛いことも多いですが、それでもその中に希望を見つけることはできるように思います。
そんな希望の輝きを印象付けてくれるのが、藤井作品であるように思いました。

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2024年12月27日 (金)

「はたらく細胞」実写ならではを貪欲に追求

そもそも細胞たちを擬人化させるという原作のアイデアが秀逸過ぎます。
そのためコミックは非常にエンターテイメント性もあって楽しめつつ、情報量が多くて知的好奇心が満たされる作品人になっています。
そのコミックの実写化作品が本作。
色々すごいところが本作はいくつもあります。
まずはキャスティング。
本作で主人公格となるのは赤血球と白血球(好中球)です。
それぞれ永野芽郁さん、佐藤健さんが演じていますが、原作の再現度レベルがかなり高いです。
白血球はバイ菌を倒す役割なのでコミックでもそういったシーンがありますが、本作では実写ならではの立体感のあるキレのアクションが見られます。
佐藤健さんなので「るろうに剣心」を彷彿とさせるような立ち回りもあり、アクションだけでも見る価値があります。
永野芽郁さんは見習い赤血球のドジっ子ぶりを見事に再現。
それでありながら最後は成長した姿も演じきっており、泣かれます。
まさか赤血球に泣かされるとは・・・。
お二人だけでなくその他のキャラクターも素晴らしい。
キラー細胞の山本耕史さん、NK細胞の仲里依紗さん、マクロファージの松本若菜さん、と色々挙げられますが、キリがないですね。
見た目の再現度が高ければいいというものではないのですが、外見も内面も含めてキャラクターの再現度が高いのですよね。
コミックのキャラクターたちがイキイキと動いている様は、実写映画にする意味だと思います。
これがすごいところの一つ目。
二つ目は世界観です。
本作では細胞をキャラクター化し、人体を一つの世界・施設・装置のような舞台装置としています。
コミックでもそれは描かれていますが、実写映画となるとスケールが違います。
体内を一つの世界として描いたのは「ミクロの決死圏」が思い浮かびますが、それに勝るとも劣らないオリジナリティ溢れる人体の内部が描かれます。
ロケなども多く行い、非常にスケール感が大きく描かれているため、人体というものがとても複雑なシステムであるということが、見ているだけで伝わってきます。
このビジュアルの力は非常に大きい。
本作はキャラクターに目が行きがちですが、この世界観を作り上げたことは特筆されるべきことだと思います。
最後にあげるすごいところはストーリー。
原作コミックはさまざまな人体の機能を単発エピソードにしています。
しかし、それでは長編映画としてはやりにくい。
そこで映画オリジナルとして、細胞たちが働いている人体のその人を登場させています。
それが茂と日胡の親子です。
この二人の親子の物語が縦軸となっているため、映画としてのストーリーの芯がしっかりとできています。
そしてそのストーリーが泣かせてくれるのです。
病気に負けぬよう戦う父娘と、その体内の中にいる細胞たちの戦いがシンクロします。
そして病気を治療するためのさまざまな方法は、細胞たちへも悪影響を与えます。
確かに抗がん剤も放射線治療も体へのダメージは非常に高い。
それすらもストーリーに織り込んでいくのは、なかなかの発想だと思いました。
本作は人気漫画をただ実写化しただけにとどまらず、実写ならではの表現、実写だからこそできることを貪欲に追求していると思いました。
今年の締めくくりの月にいいものを見せてもらいました。

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「小学校〜それは小さな社会〜」そこでみんな学んでいく

久しぶりにシネスイッチに行きました。
このところ、ずっとシネコンが多かったもので。
なぜわざわざシネスイッチまで足を運んだかというと、この映画を見たかったから。
本作「小学校〜それは小さな社会〜」について書かれている記事を見て、ぜひ見たくなりました。
その記事は監督の山崎エマさんのインタビューだったと思います。
監督はハーフで幼い頃は日本で暮らし、小学校の時は普通の公立小学校、中学校からインターに行ったとのこと。
その後、大学はアメリカで就職も向こうだったようです。
その際、向こうの人からはとても真面目で、時間に正確で、責任感が強いと褒められたということでした。
山崎さんは普通にやっているだけなのにと思ったそうですが、その時にこれは日本人全体に言える特徴で、それが育まれたのは小学校であったのではないかと考えたそうです。
それが本作を撮ったきっかけだそうです。
本作はドキュメンタリーである小学校の一年間を映し出します。
その中でも入学した一年生と、これから卒業する六年生の数名を主に追いかけます。
私の子供も小学校低学年ですが、学校の様子は事業参観の時くらいしか見ることはできません。
子供がどのように学校生活を送っているのかはなかなかわからないですよね。
ある一年生の男の子は入学したての頃は、先生の注意なんてあまり聞いていません。
けれど一年経って3月には先生の代わりに率先してみんなに話を聞いてって言えるようになるのです。
ある一年生の女の子は新一年生のための演奏で役を任されますが、練習をあまりしなかったため、上手にできません。
それを先生に厳しく注意されて、悔し涙を流します。
うまくできないのが怖くて舞台に上がるのも嫌になります。
それでも頑張って、見事演奏を終えた時の晴れがましい顔と言ったら!
この女の子が凹んでいる時にクラスメートの子たちはそれぞれ優しく声をかけてくれます。
お友達も素敵です。
ああ、うちの子もこんなふうに学校生活を送っているかな、と思ったら、泣けてきました。
六年生の男の子は運動会の縄跳びの演技が上手くできません。
彼は放送部で毎日話して入るものの、おそらく引っ込み思案なのだと思います。
相方の女の子がいない時はちょっと戸惑っていましたものね。
けど、彼も頑張って運動会当日まで練習し、しっかりと演技をやり終えました。
放送部の仕事も含め、彼もしっかりと責任感を持ってやり遂げたのです。
やっていることは大人からしたら大したことないかもしれません。
でも彼らは彼らなりに責任感を持って、努力をしてやり遂げているのです。
こういった小さな成功体験を学校生活で送っていくことで、冒頭に書いたような日本人の勤勉性などが培われていったのでしょうね。
本作では先生も描かれます。
子供たちへの指導の仕方に彼らもそれぞれ悩みます。
あえて厳しく接する先生、突き放してみる先生、そっとギュッと抱きしめてくれる先生。
色々な先生がそれぞれ子供たちのことをちゃんと考えてくれるからこそ、子供たちは小さなチャレンジを積み重ねていけるのだろうと思いました。
これをうちの子が見たらどう思うんだろう。
今度子供と一緒にもう一度見に行ってこようと思います。

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2024年12月25日 (水)

「モアナと伝説の海2」強いヒロイン

2017年に公開された「モアナと伝説の海」の続編です。
前作ではどのような感想を書いていたのかと、前回レビューを見直してみました。
それまでにディズニープリンセスの系譜とはモアナは異なり、自分自身のパーソナルな問題を解決すべく行動するのではなく、社会のために行動すると書いていました。
本作を見てみて改めて、同じように感じました。
モアナは人々のために行動を起こします。
そして今回は故郷の島の人々のためでなく、広い海の中でバラバラになってしまった人々を再び繋ぎ、繁栄をもたらすために行動を起こします。
前作と異なるのは、モアナには心強い仲間たちがついていること。
以前はたった一人で行動を起こしましたが、今回は彼女に共感し一緒に旅をしようとする仲間たちがいます。
前回はためらいもあり、挫折も経験しましたが、今回のモアナには揺らぎがありません。
人々を再び繋ぐことは皆にとって必ず良いことが起こると確信しています。
だからこそモアナは強い。
最近のディズニーのプリンセスは強い女性が多いですが、その中でも群を抜いて強いのがモアナであると思います。
人々のつながりを断つために伝説の島モトゥフェトゥを沈めたのはナロという神です。
しかし、ナロはなぜそのようなことをしたのでしょうか。
その理由は本作の中では明らかにされていません。
人と人が交わることにより、文化は発展していきます。
しかし、それがきっかけとなり争いも起こる。
本作は続編も示唆されるような終わり方でした。
人々が再びつながり合ったその後、モアナのいる世界にはどのようなことが起こるのでしょうか。
それが次回で語られるのかもしれません。

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2024年12月22日 (日)

「クレイヴン・ザ・ハンター」輝くための相手がほしい

SSUの存続が危ういと話が出ている中で公開された「クレイヴン・ザ・ハンター」。
確かにSSUというシリーズは狙いがはっきりとしていない印象があります。
MCUのような共通した大きな世界観を作り上げようとする野望があるようにも見えないですし、個性が溢れる個別の作品が輝くということでもない。
MCUのビジネスモデルがうまくいった後、⚪︎⚪︎ユニバースと銘打った企画がいくつか立ち上がりましたが、あまりうまくいっているものはないように見受けられます。
SSUもそのようなユニバースの一つとなるのでしょうか。
ただシリーズとして狙いがはっきりしていなくても、個々の作品の評価はまた別。
世間からはあまり評判が良くないようですが、個人的には「マダム・ウェブ」は楽しめました。
クレイヴン・ザ・ハンターはコミックではスパイダーマンの敵役となるヴィランです。
そのヴィランを主役にするという点では「ヴェノム」や「モービウス」と同じですね。
マーベルのヴィランは個性的で、サノスのように敵役ながら人気が出てくるキャラクターが多いですよね。
彼らがヴィランであるのに共感性があるのは、行為自体は認められないものの彼らは彼らなりに信念を持っているところであると思います。
それは主人公側との対比があるからこそ、さらに存在感を増すのです。
SSUでヴィランを主人公にした作品が、個人的に魅力的に感じるものが少ないのは、その対比構造が薄いのからではないかと思います。 本来はヒーロー側との対比でヴィランとしての魅力を描いた後に、スピンオフというのが流れとしては良かった気がします(いろいろ大人の事情でやれないのかもしれないですが)。
SSUのヴィランシリーズで共通しているのは、主人公の敵役となる相手がどうしても格下っぽく感じてしまうことです。
圧倒的な強さを誇る敵ではないため、なかなか主人公が輝けない。
本作においても敵としてライノやザ・フォーリナーが登場しますが、あまりに役不足(ザ・フォーリナーにおいてはサブキャラに倒されてしまうという情けない始末)。
本作の最大の敵役は、クレイブン・ザ・ハンターことセルゲイの父親ニコライなのでしょうね。
古来神話では男の成長譚として父親殺しというのがありますが、本作もその系譜に属すると思います。
父親の強い影響を受け、弱肉強食の世界を生き抜く術を身につけたセルゲイですが、父親の残虐な振る舞いには嫌悪感を抱きます。
自分の中に流れる血に嫌悪感を持ちつつ、自分の中に父親の影響は確実にある。
セルゲイのその葛藤は描けていたように思います。
SSU自体の中途半端さは気になるものの、それを気にせず単体の作品として見るならば父と子の物語としては十分に成立していると思います。
ラストに仄めかされたこれから起こる可能性としてある兄と弟の確執もドラマとして展開が気になるところではあります。
後日談が語られるかどうかはSSUの成り行き次第というところでしょうか。

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2024年12月21日 (土)

「アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師」丁寧に計算された構成

「カメラを止めるな!」の上田耕一郎監督作品なので、奇想天外な展開になることを期待して見に行ってきました。
ジャンルとしてはコンゲームですよね。
このジャンルは脚本の構成が命。
主人公サイドが嵌めるつもりだったのが、裏をかかれて、さらにそれを大逆転するという展開が醍醐味です。
見ている側も含め、どれだけ大胆に嘘をつき、そして張られた伏線を回収するかというのが、腕の見せどころになります。
その点において、本作はとてもよくできています。
特に最後の最後に明らかになるある人物の正体は、入念に伏線とミスリードが仕掛けられていて、それが回収されるところは見事でした。
このようなコンゲームものは主人公サイドはプロフェッショナルであることが多く、先の先まで読んで仕掛けがされています。
ただどうしても全てをコントロールできるはずもなく、不確定要素が彼らをピンチに陥れるというところが物語のピークになります。
それをいかに知恵を使って乗り越えるというのが、このジャンルの見どころの一つ。
その不確定要素というのが、本作では主人公そのもの。
なにしろ主人公は真面目そのものの公務員です。
人を騙したこともない人物で、いかに詐欺の練習をしたとしても馬脚を表す可能性がある。
主人公そのものが不確定要素というのは面白いところです。
この主人公熊沢を演じるは内田聖洋さん。
この方は演じる役の振れ幅が広くて驚きます。
本作では真面目で気弱な公務員ですが、狂気的で非情な悪人を演じることもあれば、オネエな役もできる。
がっちりした体型なのに、佇まいが変わって見えるというのはすごいです。
「カメ止め!」のようなトリッキーな形ではないですが、コンゲーム作品としてとても丁寧に構成されているなと思いました。
細かいところではいくつか気になったところがありましたが、1回見ただけなので、もう一度見直せばちゃんと整合取れているような気もします。
そういうところもあって何度見ても楽しめそうな作品ですね。

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2024年12月14日 (土)

「六人の嘘つきな大学生」残った棘

大手IT企業の最終面接に残った六人の就活生。
彼らはその過程で絆を育んでいったが、最終面接で次々と明らかになっていく彼らの過去の暴露から、脆くも関係性が崩れていってしまう。
自分自身も採用の面接をしたりすることがあるのだけれども、就活生は自分のいいところを見せようとするものです。
それは当たり前で、就活に限らず、特に知らない人に対しては自然とそうなってしまうのが人間です。
就活生もしっかりと準備をしてくるので、採用する側はより深く深く質問をしていき、少しでも相手の本質を引き出そうとするわけなので、就活はある種の心理戦とも言えるかもしれないですね。
心理ミステリーとして就活という場はいい選択だと思いました。
人には裏表があるということ、そしてさまざまな伏線が回収されていくということで、私は2007年の「キサラギ」という作品を思い浮かべましたが、本作はそれを演出した佐藤祐市監督なんですね。
ですので、その辺りの伏線回収などは上手です。
中盤の彼らの過去が暴露されていくところは、見ていてもしんどいところがありました。
その前の事前面接や自主的なワークショップの彼らを見ているとしっかりしている子たちに見えましたが、それでもまだ彼らは社会人になる前の子供ともいえます。
なので、予期せぬ過去が晒された時、彼らは一様に動揺します。
この動揺っぷりが見ていて苦しい。
そこまで彼らを追い込まなければいけないのかと。
人の裏の醜さを暴露していく様子は、あまり邦画にはない感じだなと思いました。
どちらかと言えば韓国映画(私は苦手)のようなドロドロとしたような印象を受け、居心地の悪さを感じました。
しかし、終盤にかけては彼らの本当の本当の姿も明らかにされ、救われます。
この辺りの伏線回収と安心感は名作「キサラギ」の監督ならではと思いました。
中盤の追い込みがあるからこそ、終盤の救いがより印象的になります。
ただ気になったのは、真犯人の動機です。
動機は終盤に明らかになりますが、個人的にはここまでする動機とは思えないところもありました。
彼にとっては「それほど」のことだったのかもしれませんが、そうなってしまう彼のバックボーンはもう少し語られてもいいかと思いました。
救いがあると書きましたが、ある登場人物にだけは救いはありません。
見終えた時には救いはありそうな印象にもなるのですが、けど改めて考えると彼の人生は救われなかった。
その点が可哀想で、ちょっと棘が残ったような気分になったのも確かです。

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2024年12月 7日 (土)

「室井慎次 生き続ける者」透かし見える商売っ気

青島が登場する新作の発表があり、非常に驚いているところです。
本作のラストにも登場していて、もしかしたらと思っていたところでもありましたが。
さて、本作です。
こちらは10月に公開された「室井慎次 敗れざる者」の続編です。
そちらのレビューでも書いた通り、前作は前振りのような位置付けであるため、見終わったあとは消化不良感がありました。
ですので、本作ではその感覚が解消されることを期待していました。
けれどもその期待は叶いませんでした。
本作は室井慎次というキャラクターの生き方を描き切るという目的で書かれたものだとは思います。
それであれば、真っ直ぐに彼の生き様を描けばよかったように思います。
本作はもともとBSのドラマとして企画されていたということなので、その頃はそうであったのかもしれません。
しかし、冒頭に書いたような青島が復帰し、シリーズが再起動するということが見えていた時に、本作をその呼び水にしたいという商売っ気が出てしまったような気がします。
前作を見た時から気になっていたことの一つとして、過去作品からの引用が多いというものでした。
昔からのファンからすると過去のキャラクターに関わるエピソードが出てくるのは嬉しいものです(本作でもすみれのその後に触れられていました)。
そもそも「踊る大捜査線」というシリーズがヒットした要因の一つとして、多種多様のキャラクターたちのサブエピソードが織りなすリンクが挙げられます。
ファンであればあるほど楽しめるこういった仕掛けは、MCUなどでも見られます。
こういった仕掛けは昔のファンも見に行ってみようという気持ちにさせる動機になります。
本作の事件は、室井の自宅の近くにレインボーブリッジ事件の犯人の一人の死体が埋められていたというものです。
そしてまた室井の家に転がり込む娘、杏が、日向真奈美であることもわかります。
これらは上に書いたリンクの要素です。
お客を呼ぶ仕掛けです。
しかし、それらの仕掛けは全く本作が描こうとしている室井慎次の生き様には関係がありません。
そしてタチが悪いのは、そのリンクの部分が本作のメインの筋に大きく関わっているように見えることです。
レインボーブリッジの事件から繋がるような気配がある死体遺棄事件は、結局は昔の仲間同士の仲間割れであり、室井の家の近くに埋めるように指示をした真奈美の意思はよくわからないままです。
杏のエピソードについても、母親が真奈美でなくても成立します。
かえって真奈美が刑務所で子供を産むという力技を駆使して、違和感を生み出しています。
前作では大きく事件が展開されるというような振りで終わりましたが、その結末は期待はずれでした。
客を呼び込もうと商売っ気で、伝えたかった物語な酷く濁っているように思います。
MCUはスーパーヒーロー疲れという現象に対し、従来ファンを意識したリンクの要素を以前より少なくし、それぞれのキャラクターのドラマを描く方向に舵を切っています。
それに対して「踊る」シリーズは、まさにかつてのMCUが歩んだ道を行こうとしているように見えます。
これを続けるといづ「踊る」疲れになるような気がします。

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