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2024年11月 2日 (土)

「八犬伝」虚と実の対決

原作は山田風太郎の「八犬伝」。
学生の頃、山田風太郎にハマっていて所謂「忍法帖シリーズ」を古本屋で買い集めて読んでいました。
「八犬伝」おそらくその頃、新刊として発売されて手に取った覚えがあります。
「八犬伝」は滝沢馬琴と葛飾北斎の交流が描かれる実の世界と、馬琴が書いた「南総里見八犬伝」の世界が交互に描かれます。
そもそもなぜ、山田風太郎の作品をよく読んでいたかというと、その頃は夢枕獏や菊地秀行といった作家による伝奇ロマンというジャンルが流行っていてよく読んでおり、彼らの原点とも言えるのが山田風太郎作品であったので、そちらにも手をだしたためでした。
伝奇ロマンというジャンルは明確な定義はないと思いますが、SFや時代劇、ファンタジーというジャンルに、オカルト的な妖しげな要素が掛け合わされたものであったと思います。
山田風太郎作品でいえば、「魔界転生」などが挙げられると思います。
そのような伝奇ロマンの日本における原点とも言えるのが、滝沢馬琴による「南総里見八犬伝」です。
ですので「八犬伝」は山田風太郎が、その原点に対して挑んだ意欲作と言えるでしょう。
さて前段が長くなりましたが、映画についてです。
原作を読んだのが何十年も前なのでほぼ記憶にないのですが、映画の展開は原作に則っているように感じました。
虚の八犬伝パートは、非常にわかりやすく描かれており、馴染みがない方にも理解しやすいと思います。
若手が中心に八犬士を演じており、イキイキと描かれていました。
ただ狙いかどうかがわからないのですが、映像としてはやや安っぽいというか、書き割り感もあり、作り物のような印象がありました。
このパートは「虚」なので、この作り物感は意図しているものである可能性もあるのですが、個人的には安っぽさが気になりました。
もう少し、時代劇らしい重厚さがあっても良かったかと思います。
対して、滝沢馬琴と葛飾北斎が登場する「実」のパートは役所広司、内野聖陽というベテランを配置し、動きはないながらもドラマとして見応えありました。
特に感心したシーンは、歌舞伎座の奈落での馬琴と鶴屋南北とのやりとりです。
このシーンは馬琴と南北のそれぞれの「物語る」ということに対する、真逆の価値観がぶつかり合う場面で非常に緊迫感がありました。
馬琴は実の世界には正義はなく、そのために虚の世界で本来あるべき正義の世界を描きたいと考えます。
そのため馬琴は正義がなされる物語「忠臣蔵」を好んでいるわけですが、南北はこのような正義こそそもそもありえないと否定します。
「東海道四谷怪談」は「忠臣蔵」をベースとしておりますが、南北の狙いは「忠臣蔵」で描かれる正義を虚とすることにありました。
彼らの主義のぶつかりは静かながらも、緊張感あるもので見応えがありました。
この場面の演出も冴え渡っていたと思います。
真っ暗な奈落に立っている馬琴に対し、南北は舞台から首だけを出して逆さまのまま馬琴と対峙します。
南北自体が首だけの存在のように見え、虚のような感じもしました。
馬琴が対峙しているものが、悪魔のようにも見えるわけです。
結果、南北の言葉は馬琴に染み入り、彼自身が自分の生き方、価値観に疑問を持つきっかけとなるのです。
ところどころ気になるところはありましたが、2時間半という長尺ながら見せ切るパワーのある作品であったと思います。
改めて原作を読み直したい気分になりました。

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