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2024年11月23日 (土)

「風都探偵 仮面ライダースカルの肖像」おやっさん、カッコいいです

いやあ、おやっさん、カッコいいです。
私は自他ともに認める「仮面ライダー」ファンですが、その中でも一、二を争うほどに好きなのが「仮面ライダーW」なんですよね。
この作品が放映されたのは15年以上も前(!)なのですが、その後日談が今もコミックで連載されていて、アニメ化もされ、舞台も作られ、そしてとうとう映画まで作られました。
私以外にも多くのファンに愛されていることがわかります。
ちょうどコミックの最新刊では、主要キャラクターの一人であるときめの”ビギンズナイト”が語られたところで、本作では主人公翔太郎とフィリップの”ビギンズナイト”が語られるわけで、何か感慨深いものがあります。
彼らの”ビギンズナイト”とは、二人が仮面ライダーWに初めて変身した夜のことであり、そしてそれは二人の運命を大きく変えた夜でもありました。
その二人の運命に影響を与えるのが、鳴海荘吉ことおやっさんです。
”ビギンズナイト”は「仮面ライダーW」の劇場版「仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010」でも描かれていました。
その時、鳴海荘吉を演じていたのが吉川晃司さんでした。
それが本当に激シブでカッコ良かったんですよね。
まさにハードボイルドを体現しているようでした。
吉川さんは本作でも主題歌を担当していますが、「仮面ライダーW」のドラマの劇中歌「Nobody’s Perfect」がとても渋くていい曲で、ドラマの中でも何回か使われましたが、実際何度も泣かされました。
「Nobody’s Perfect」は本作でも劇中歌として使われており、条件反射的に泣きそうになりました・・・。
「風都探偵」は「仮面ライダーW」の正統な続編なので、描かれる”ビギンズナイト”は実写版に準拠していてリスペクトを感じます。
鳴海荘吉が仮面ライダースカルに変身する場所も劇場版のセットを意識していたように見えましたし、最後の戦いの場面もそうでした。
同じ場面をアニメで描いていながら、本作は十分な尺で描いているので、登場人物たちの心情がより細やかに描かれます。
翔太郎がおやっさんの遺志を継ぐ覚悟を決め、フィリップが自分の道を歩み始めた夜の彼らの気持ちが痛いほどに伝わります。
「風都探偵」の続編についてはまだ情報が出ていないですが、期待できますかね。
映画の最後にはジョーカードーパントの姿も現れたので、ときめの”ビギンズナイト”まで行ってもらいたいものです。

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2024年11月22日 (金)

「スマホを落としただけなのに 最終章 ファイナル ハッキングゲーム」納得の着地点

予告を見てみたら東京にミサイルが発射されるなどのシーンがあって、ちょっとびっくりしました。
元々第1作目は、スマホを落としてしまう、という出来事から始まり、恐ろしい事件に発展していくということが描かれていました。
スマホを落とす、忘れる、というのは誰しも一度はやったことがあるようなことだと思うので、それが加速度的に恐ろしい展開になっていくので、サスペンスとしてとても自分事感があったと思いました。
そういう1作目は好きだったので、冒頭に書いたようなスケール感になってしまうと、無理やり続編を作るためにスケールアップしているようにも思え、ちょっと違うのではと感じたのが、予告を見た時の印象でした。
そのため期待度としては低めに設定していたと思います。
「スマホを落としただけなのに」はシリーズではあるのですが、主人公は変わっていきます。
一作目は犯人浦野に執拗に狙われてしまう女性、麻美。
二作目は浦野を追っている刑事、加賀谷。
そして最終作である本作は浦野が主人公です。
浦野というキャラクターは今までのシリーズでも描かれていたように非常に複雑な人物です。
自分の母親から虐待された経験から、母親に似た女性への執着心が異常に強く、また愛情を与えられなかったため他人を傷つけることに対しても禁忌がありません。
ただ人一倍孤独も感じているからか、自分と同じような境遇であった加賀谷に対しては、共感も持っています。
彼はモンスターでありながらも、人から愛されることに対して渇望している人間らしさも併せ持っているのです。
彼は、彼や加賀谷と同じように親に虐待された経験を持つスミンと出会います。
彼も、そして彼女も互いに同じ境遇であったことから、シンパシーを感じていきます。
本作は彼のそういった人間らしい側面に光を当てていき、複雑な彼の人物が立体的に描かれているように感じました。
このような作品がシリーズ化していく時にありがちなのが、極端なアウトローが次第に”いい人間”になっていくことがあります。
それはやや興醒めに感じる時があるので、見ている途中はそのような懸念も感じていました。
しかし、です。
ラストについては書けませんが、個人的には納得の結末でした。
伏線もうまく回収してきたと思います。
万事がうまくいくハッピーエンドは興醒めしてしまうので、非常にうまい着地点であったと思いました。

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2024年11月16日 (土)

「レッド・ワン」ギャップを楽しもう

あと一月ほどでクリスマス。
クリスマスを舞台にしたり、題材にした作品も数々ありますが、本作はまた一風変わったアプローチです。
サンタクロースが子供たちにプレゼントを配るのを年に一度の一大ミッションとし、そのために存在する軍隊のような秘密の組織。
そのトップがサンタクロースで、そのコールサインが「レッド・ワン」。
アメリカ大統領の専用機のコールサインがエアフォース・ワンですが、まさにそんな感じですね。
クリスマス、サンタクロースというとほのぼのしたファンタジーなイメージですが、本作はアクション・テクノスリラーといった感じ。
そのアンマッチ感が楽しいです。
本作はこのようなアンマッチ感がところどころにありますね。
主人公の一人でサンタクロースの護衛隊長カラムを演じるのはドウェイン・ジョンソン。
言わずと知れた”ロック様”ですが、彼の役回りは今まで演じてきたキャラクターのイメージそのままです。
ですが、その役割がサンタクロースを守り、無事にクリスマスのイベントを成し遂げること、というところにギャップがありますよね。
もう一人の主人公はジャック・オマリーで演じるのはクリス・エヴァンス。
クリスはこちらは正義感あふれる”キャップ”のイメージが強いですが、本作で演じるジャックはダメダメな父親です。
この場合は、役者としてのイメージと演じる役のギャップがあります。
このように本作は至る所にパブリックなイメージと愛はするギャップを用意していて、その落差が楽しいです。
お話としてはそれほど複雑ではなく、子供から大人まで楽しめます。
子供はギャップの前提となるパブリックイメージは持っていないと思いますが、それがなくても素直に楽しめると思います(実際、一緒に見た小学生の娘はとても楽しんでいました)。
大人は上で書いたギャップがわかるので、それはそれで楽しい。
クリスマスシーズンに向けてのいいファミリー映画だと思います。
途中で登場したサンタクロースの義理の弟と言われるクランプスという半神は全く知りませんでしたが、ヨーロッパではクリスマスの時期に悪い子に罰を与える伝説があるようですね。
その辺りもうまくストーリーで拾っています。
なんか日本のナマハゲみたいですね。
ビジュアルも含めて。

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2024年11月 9日 (土)

「十一人の賊軍」正義と正義の戦い

はみ出し者たちが勝ち目のない戦いに挑むという物語は「七人の侍」をはじめ時代劇に限られずいくつもありますが、燃える設定です。
彼らの運命は破滅に向かう予感が漂いながら、それでもそれぞれが信じるものに従って、生きる。
命を燃やし尽くすという生き様に心が揺さぶられるのでしょうか。
本作もそういう心揺さぶられる作品の一つとなると思います。
特筆したいのは、主人公の一人である鷲尾を演じる仲野大賀が素晴らしく良いです。
今まで数々の作品に出演していて、いずれでもいい味を出しているバイプレイヤーというイメージがありましたが、本作では堂々の主演です。
最後の戦いに挑むときのまさに鬼気迫ると形容できる彼の様子はまさに魂が揺さぶられました。
信じていたものに裏切られ、その上で自分の信念に殉ずる潔さ。
彼はNHK大河ドラマ「豊臣兄弟」でも主演を務めることが決まっているので、これからも活躍が期待されますね。
本作の舞台となる時代は江戸末期。
異なる価値観が大きくぶつかり合う、激動の時代であり、多くのドラマが生まれています。
正義という言葉はどの立場に立つかで変わるもので、この時代も幕府側に立つか、新政府側に立つかで同じ出来事でも大きく見え方が変わります。
正義というものが立場によって変わるということを示しているのが、阿部サダヲが演じる家老溝口。
彼は小藩である新発田藩が激動の時代の中で生き残るために策を弄します。
彼は藩と領民を守るために動いているため、その立場から見れば正義と言えます。
彼は、彼が信じる正義のためであれば、人として非道であることも断行しようとします。
しかし、本作で描かれる決死隊から見れば、義を通さず、信を裏切る行為です。
彼らから見れば、溝口こそが悪であり、討ち果たさなければならない敵となります。
溝口から見れば、決死隊の面々は悪を成したものであり、最後にその命を正しいことに使うことは何も恥ずることではないと思っているのでしょう。
異なる立場からの正義のぶつかり合いが最後の戦いでヒリヒリとした緊張感のある肌触りとなっていました。

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2024年11月 4日 (月)

「ヴェノム:ザ・ラストダンス」完結作ではあるが、物足りない

「ヴェノム」シリーズは長尺化の傾向があるスーパーヒーロームービーの中にあって、コンパクトな長さの作品です。
それにより見やすくなっているとは思いますが、キャラクターなどの深堀が甘いことにも繋がっていると思います。
本作ではエディとヴェノムのバディムービーで、彼らの別れが描かれます。
彼らは政府から追われる逃亡者です。
政府の目を掻い潜りながら、彼らはニューヨークを目指しますが、その過程はバディムービーによくあるロードムービーのよう。
個人的にはもう少し二人の別れはエモーショナルにしても良かったのでないかという印象です。
尺がコンパクトだったせいもあるかもしれませんが、割とあっさりしていたようにも思います。
完結作ではありますが、少々物足りないですね。
二人の関係性は今までの2作で作られているので、前半はもう少し簡潔にして、後半戦をじっくり描いても良かったのでないでしょうか。
ちょっとバランス悪い感じがしました。
あと、バランスの悪さはキャラクターの描き方にも感じました。
今回エディとヴェノム以外は初出のキャラクターですが、彼らの描き方が中途半端に感じました。
一緒に旅する家族はまだいいのですが、政府側がいかにも中途半端。
シンビオートの研究をしているペイン博士はティーンの頃のトラウマが最初に触れられますが、それ以外彼女のキャラクターは深掘りされません。
過去のエピソードが描かれるため彼女は重要そうなキャラクターに見えますが、出来事に対して彼女の気持ちが深く描かれることはあまりなく消化不良に感じます。
これなら、過去エピソードを入れてこなくてもいいのではないかと思いました。
もう一人パンフレットに名前も出ていないキャラクター、クリスマスの人です。
彼女は自らシンビオートを寄生させ、ヴェノムと共闘しますが、彼女に関してはその動機すら描かれません。
これだと話の都合上のいい宿主でしかなく、キャラクターの扱いとしては乱暴のような気がしました。
また今回登場したヌルについても、ラスボスではなく、こけおどしのような印象です。
サノスのような思わせぶりな登場で、今後SSUの中で重要な役割を背負うのかもしれませんが・・・。
ポストクレジットであったようにSSUでもヴェノムのカケラは残っているようなので、また新しいシリーズが立ち上がる可能性はあるかもしれません。
MCUのアース616にもヴェノムのカケラは残っていたと思うので、あちらの展開も依然として気になります。

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2024年11月 2日 (土)

「八犬伝」虚と実の対決

原作は山田風太郎の「八犬伝」。
学生の頃、山田風太郎にハマっていて所謂「忍法帖シリーズ」を古本屋で買い集めて読んでいました。
「八犬伝」おそらくその頃、新刊として発売されて手に取った覚えがあります。
「八犬伝」は滝沢馬琴と葛飾北斎の交流が描かれる実の世界と、馬琴が書いた「南総里見八犬伝」の世界が交互に描かれます。
そもそもなぜ、山田風太郎の作品をよく読んでいたかというと、その頃は夢枕獏や菊地秀行といった作家による伝奇ロマンというジャンルが流行っていてよく読んでおり、彼らの原点とも言えるのが山田風太郎作品であったので、そちらにも手をだしたためでした。
伝奇ロマンというジャンルは明確な定義はないと思いますが、SFや時代劇、ファンタジーというジャンルに、オカルト的な妖しげな要素が掛け合わされたものであったと思います。
山田風太郎作品でいえば、「魔界転生」などが挙げられると思います。
そのような伝奇ロマンの日本における原点とも言えるのが、滝沢馬琴による「南総里見八犬伝」です。
ですので「八犬伝」は山田風太郎が、その原点に対して挑んだ意欲作と言えるでしょう。
さて前段が長くなりましたが、映画についてです。
原作を読んだのが何十年も前なのでほぼ記憶にないのですが、映画の展開は原作に則っているように感じました。
虚の八犬伝パートは、非常にわかりやすく描かれており、馴染みがない方にも理解しやすいと思います。
若手が中心に八犬士を演じており、イキイキと描かれていました。
ただ狙いかどうかがわからないのですが、映像としてはやや安っぽいというか、書き割り感もあり、作り物のような印象がありました。
このパートは「虚」なので、この作り物感は意図しているものである可能性もあるのですが、個人的には安っぽさが気になりました。
もう少し、時代劇らしい重厚さがあっても良かったかと思います。
対して、滝沢馬琴と葛飾北斎が登場する「実」のパートは役所広司、内野聖陽というベテランを配置し、動きはないながらもドラマとして見応えありました。
特に感心したシーンは、歌舞伎座の奈落での馬琴と鶴屋南北とのやりとりです。
このシーンは馬琴と南北のそれぞれの「物語る」ということに対する、真逆の価値観がぶつかり合う場面で非常に緊迫感がありました。
馬琴は実の世界には正義はなく、そのために虚の世界で本来あるべき正義の世界を描きたいと考えます。
そのため馬琴は正義がなされる物語「忠臣蔵」を好んでいるわけですが、南北はこのような正義こそそもそもありえないと否定します。
「東海道四谷怪談」は「忠臣蔵」をベースとしておりますが、南北の狙いは「忠臣蔵」で描かれる正義を虚とすることにありました。
彼らの主義のぶつかりは静かながらも、緊張感あるもので見応えがありました。
この場面の演出も冴え渡っていたと思います。
真っ暗な奈落に立っている馬琴に対し、南北は舞台から首だけを出して逆さまのまま馬琴と対峙します。
南北自体が首だけの存在のように見え、虚のような感じもしました。
馬琴が対峙しているものが、悪魔のようにも見えるわけです。
結果、南北の言葉は馬琴に染み入り、彼自身が自分の生き方、価値観に疑問を持つきっかけとなるのです。
ところどころ気になるところはありましたが、2時間半という長尺ながら見せ切るパワーのある作品であったと思います。
改めて原作を読み直したい気分になりました。

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