« 「ビートルジュース ビートルジュース」彼が戻ってきた! | トップページ | 「侍タイムトリッパー」滅びゆくもの »

2024年10月11日 (金)

「シビル・ウォー アメリカ最後の日」真の分断

社会的分断が課題として語られて数年、ちょうどアメリカは大統領選挙の年でさらにその点についてフォーカスされており、非常にタイムリーなタイミングで公開されました。
ただ本作は何かしらの政治的価値観が語られているわけではありません。
どちらかというと他人の価値観を受け入れられない社会となった場合、どれだけ人が不寛容になってしまうのかということを描いているように思います。
そしてその社会を良い悪いという価値観ではなく、客観的に描いているため、より一層リアリティが増して感じられます。
その語り手としての役を担うのが主人公たち。
彼らはジャーナリストであり、内戦のきっかけを作った大統領への単独インタビューを行うため、ワシントンを目指します。
主人公リーは実績のあるジャーナリストであり、常に客観性持つことを意識しています。
彼女は目の前でどれだけ凄惨な出来事が起ころうとも、冷静にその事実をカメラに収めます。
冷徹とも言えるかもしれません。
戦場カメラマンとして彼らは軍隊とともに活動しますが、本作を見ているとカメラマンと射撃主の使う言葉が同じであることに気づきます。
シュート、リロード・・・。
シャッターを切ることもシュート、引き金を聞くこともシュート。
カメラにフィルムを詰めるのもリロード、銃に弾丸を込めるのもリロード。
彼らはレンズを通して相手を冷静に見つめ、その姿を捉えるという行為は全く同じです。
彼らが目にするのは人間性など感じられない行為かもしれません。
それにレンズを向ける時、人間的な感情は持っては耐えられないのでしょう。
リーたちがワシントンへの旅の中で、排他的な価値観に支配された武装集団と遭遇します。
彼らの理屈は許容できるはずもないのですが、それが何の疑問もなく実行されているところに恐怖を感じます。
彼らは狂っているわけではなく、彼らの価値観において正しく行動しているだけなのです。
正しさというのは、それぞれ基準があり、その基準自体がずれてしまった時、なす術がないということが恐ろしい。
意見を調整するという余地もない。
調整する必要すら感じられていない。
これが真の分断なのでしょう。
結局本作の物語においては、分断を違憲のすり合わせで解決したわけではなく、暴力によって制圧したということになります。
制圧された大統領はファシスト的であったため、見ている我々としては正義が遂行されたように感じますが、もしかすると逆になっている可能性もあるわけです。
現実の世界でも中東は非常にきな臭くなっていますが、それぞれの正義が主張され、調整することなく力で決着しようとしているように見えます。
本作はフィクションですが、ありうる未来とも言えます。
これが現実とならないよう、異なる価値観にも寛容でありたいと思いました。

|

« 「ビートルジュース ビートルジュース」彼が戻ってきた! | トップページ | 「侍タイムトリッパー」滅びゆくもの »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 「ビートルジュース ビートルジュース」彼が戻ってきた! | トップページ | 「侍タイムトリッパー」滅びゆくもの »