「侍タイムトリッパー」滅びゆくもの
「カメラを止めるな」の再来と呼ばれる「侍タイムストリッパー」を見てきました。
少数の劇場からスタートして、次第に大手のシネコンでも公開が始まり、私が見た時も公開からしばらく経っていましたが、かなり人は入っていました。
時代劇というジャンルは衰退期に入っています。
劇中でも言われていましたが、私が子供の頃は毎日のようにテレビでは時代劇が放送されていました。
私の場合も母親が時代劇好きで、学校から帰ってきたらおやつを食べながら再放送の「水戸黄門」やら「大岡越前」を見ていたのを覚えています。
ですので、時代劇というジャンルには個人的にも思い入れがあり、最近時代劇が少ないのはちょっと寂しい気もします。
本作の主人公高坂は会津藩士で、京で討幕を企む長州藩士の動きを探っていました。
長州藩士風見を討とうとした時、突然落雷に見舞われ、気がつくと高坂は現代にタイムスリップしていたのです。
彼はその事実に困惑しながら、偶然知り合った京都撮影所の助監督優子の助けを借りて、時代劇の切られ役として暮らしを始めます。
本作では滅びゆくものへの想いが語られているように思いました。
一つは時代劇です。
冒頭で書いたようにかつては毎日のように放送されていた時代劇ですが、今は斜陽。
それに関わっていた人々もそれは感じつつ、それでしか生きていけないという気持ちと、その文化を守っていきたいという思いを持ちながら生きています。
時代劇を離れるということは、それまでの自分を否定することにもなりますから、辛いですよね。
そしてもう一つは幕府を守りながら滅んでいった会津藩。
数々のドラマや映画で会津藩の顛末については語られています。
幕府に対する恩を感じ、衰退する幕府に殉じていった会津藩士たち。
時代が変わりつつあることを理解しつつも、それに抗った者たち。
時代劇にこだわり続ける人々と会津藩士たちには相通じるものがあります。
そしてその切なさを両方持っているのが主人公高坂なのですね。
高坂は会津藩が信じるものに殉じて滅んでいったことを知ります。
それはもう過去であり、変えることはできない。
そして自分が第二の人生で、愛するようになった時代劇。
それも滅びようとしています。
一つはもう取り戻せない。
自分は何もできなかったという後悔の気持ちが彼にはある。
しかし、もう一つは自分も抗うこともできるかもしれない。
そして、彼の宿敵として立つ風見は、会津を滅ぼした新政府軍の長州藩の藩士であり、そしてまた時代劇を捨てた男でもありました。
高坂は自分が失い、失いそうになるものを滅ぼし、捨てた風見が許せなかった。
それが最後の真剣での勝負につながります。
そして、剣を切り結ぶ中で、風見もまた多くを失ってきた者であるということを理解するのです。
言葉でなく、剣を通じながら相手を理解するという展開も胸が熱くなります。
お二人の演技も熱がありました。
時代劇の熱さを感じさせてくれる作品になっていたと思います。
斜陽と呼ばれるジャンルでも時折、このような熱くなれる映画が作られます。
西部劇などもそうですよね。
それが脈々と文化を繋いでいくように思います。
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