「マッドマックス:フュリオサ」ドラマは感じる。もっと狂気が欲しい
思い返せば前作の「マッドマックス 怒りのデスロード」はたった三日間を描いた話だった。
そこには細やかなストーリーなど気にさせないほどのエネルギーと狂気があった。
荒廃した世界で欲望のみに生きる人間の獣のような争いの中で、マックスとフュリオサが戦い抜く。
獣のような人間が登場する中で唯一人間性を持ち、そしてこの野獣のルールの中でも逞しく生きようとしているのがフュリオサであった。
前作では脇役ながらあの世界での唯一無二のキャラクターが光り、主人公を食うほどの存在感を持っていた。
そのフュリオサが本作の主人公となる。
前作はたった三日間の抗争が描かれていたが、本作ではフュリオサという戦士がどのように生まれたのかを描く物語となっている。
彼女の少女時代から前作の時代に至る、フュリオサの人生が描かれるのだ。
彼女の人生は苛烈であった。
度々大切な人を失い、そしてそれに手を下した本人に囲われるという屈辱。
しかし強い意志により、彼女は虐げられた環境から脱出し、復讐と母親の願いを叶えようとする。
まさに生命など全くない砂漠でおいても、強く生きようとするように、枯れることのない生命力が彼女の力であった。
人生を自分の力のみで切り拓こうとするフュリオサのドラマはあまりに過酷であるけれども、その逞しさに目を奪われる。
しかし、そのようなドラマ性は強く感じるものの、その反面前作のような狂気じみたエネルギーはどうしても弱く感じてします。
狙いどころが変わっているのは理解しているものの、前作に魅了された者としては、どうしても物足りなさは感じてしまった。
| 固定リンク
コメント