« 2024年5月 | トップページ | 2024年7月 »

2024年6月30日 (日)

「マッドマックス:フュリオサ」ドラマは感じる。もっと狂気が欲しい

思い返せば前作の「マッドマックス 怒りのデスロード」はたった三日間を描いた話だった。
そこには細やかなストーリーなど気にさせないほどのエネルギーと狂気があった。
荒廃した世界で欲望のみに生きる人間の獣のような争いの中で、マックスとフュリオサが戦い抜く。
獣のような人間が登場する中で唯一人間性を持ち、そしてこの野獣のルールの中でも逞しく生きようとしているのがフュリオサであった。
前作では脇役ながらあの世界での唯一無二のキャラクターが光り、主人公を食うほどの存在感を持っていた。
そのフュリオサが本作の主人公となる。
前作はたった三日間の抗争が描かれていたが、本作ではフュリオサという戦士がどのように生まれたのかを描く物語となっている。
彼女の少女時代から前作の時代に至る、フュリオサの人生が描かれるのだ。
彼女の人生は苛烈であった。
度々大切な人を失い、そしてそれに手を下した本人に囲われるという屈辱。
しかし強い意志により、彼女は虐げられた環境から脱出し、復讐と母親の願いを叶えようとする。
まさに生命など全くない砂漠でおいても、強く生きようとするように、枯れることのない生命力が彼女の力であった。
人生を自分の力のみで切り拓こうとするフュリオサのドラマはあまりに過酷であるけれども、その逞しさに目を奪われる。
しかし、そのようなドラマ性は強く感じるものの、その反面前作のような狂気じみたエネルギーはどうしても弱く感じてします。
狙いどころが変わっているのは理解しているものの、前作に魅了された者としては、どうしても物足りなさは感じてしまった。

| | コメント (0)

2024年6月23日 (日)

「碁盤斬り」自分の生き方を斬る

草彅剛演じる柳田格之進は故郷である彦根藩を追われ、娘お絹と共に江戸で長屋暮らしをしていた。
日々、身は浪人暮らしとなろうとも、格之進は武士らしく清廉に生きていた。
遊びなど一切しない格之進が唯一嗜むのが碁であった。
その碁は、彼の生き様を表しているようで、その打ち筋は精錬であり、実直だった。
彼が故郷を追われたのは、その実直さ故でもあった。
格之進はその実直さから殿様に重用されていたが、その几帳面さは同僚たちの細かい不正にも目を瞑ることができなかった。
そんな折、城での碁の手合わせの中で、彦根藩随一の碁の名手柴田兵庫と勝負し、その結果刃傷沙汰が起こる。
それを根に持った兵庫が格之進を冤罪に陥れ、彼は藩を追われることとなったのだ。
加えて、格之進は兵庫との不貞を疑われて、自害してしまう。
そのような出来事があっても彼の生き方は揺るがない。
武士らしく、実直で清廉であること。
それは彼の生き方を規定している。
故郷を追われ、妻を失っても、彼は自分の生き方が間違っているとは微塵も思わない。
藩を追われるところは劇中では描かれていないが、彼は自分の主張はしつつ、それが受け入れられないとわかると、静止を振り切って藩を飛び出してきたのだろうと思われる。
一人娘がいるにも関わらずそのような行動に出たのは、自分は間違っていないという思いが強かったのだろう。
やがて江戸で暮らす中で、碁を通じて商人の萬屋源兵衛と親交を結ぶようになる。
そこで番頭見習いで奉公する弥吉と娘のお絹は互いを憎からず思うようになっていく。
しかし、そのような日々の中である事件が起こる。
源兵衛が持っていた50両が紛失したのだ。
その時、彼と一緒の部屋にいた格之進が疑われる。
それに対して格之進は激昂する。
格之進は劇中、ずっと寡黙であり静かな男であった。
しかし、この時の激昂はまるで別人のような様子だった。
清廉潔白であることを常に生きてきた格之進にとって、この疑いは自分自身を否定されるようなものであったのだろう。
激昂した彼は、弥吉に対し、もし疑いが間違っていたならば、自身と源兵衛の首を差し出せと言う。
おりしも、格之進に冤罪をなすりつけ、その後彦根藩を出奔した兵庫が姿を現したという報も受ける。
お絹は自らが吉原に行き50両を用立て、仇討ちに旅立つ格之進を送る。
娘を売ってまで、自らのプライドを通そうとする格之進には狂気すら感じる。
清廉潔白であり、実直であることは素晴らしいことではあるが、そのために融通が効かなくなることにより、周囲の人を苦しめていく。
お絹は父の性格を知った上で愛しており自ら決断するのだが、友人とも言える関係になった源兵衛や、娘が愛する男に対しても苛烈な態度で望むのは常軌を逸しているようにも見える。
結果、格之進は見事仇討ちを果たし、娘の身売りの期限の大晦日にまで吉原に戻ろうとするも間に合わなかった。
なくなっていた50両は煤払いの際に見つかり、格之進の無実は証明された。
そのため格之進は源兵衛と弥吉の首を差し出せと詰め寄る。
源兵衛は跡取り同然の弥吉を庇い、弥吉は父親のような源兵衛を救おうとする。
しかし、格之進はそのような二人の言葉に耳を傾けず、刀を振りかぶる。
そして、振り下ろされた刀が切ったのは二人の首ではなく、源兵衛と格之進が勝負をしていた碁盤であった。
兵庫との仇討ち勝負の際、格之進はかつて藩で彼の実直さにより不正を暴いた同僚たちのその後を聞く。
彼らは皆、職を奪われ、苦しい生活を送っていた。
やったことは悪かったかもしれないが、そこまで追い込まれなくてはいけなかったのか。
初めて格之進は自分自身の生き方に疑問を持つのであった。
彼は源兵衛と弥吉の首を切らなかった。
以前の自分の生き方に不動の自信を持つ格之進であればあり得なかっただろう。
彼の生き方は碁盤のように四角四面で固いものであった。
彼は自らの生き方を象徴するものを、自ら断ち切った。
これから、彼の碁の打ち筋も変わっていくのかもしれない。

| | コメント (0)

2024年6月 9日 (日)

「猿の惑星/キングダム」繰り返される所業

リブートされた「猿の惑星」シリーズ3部作に続く、第4作目です。
しかし、前作までの主人公であったシーザーは既に亡くなり、その死から300年が経過しています。
前作でもその予兆があった通り、人間はウイルスに犯され退化して野生化しており、変わって猿たちが地上の覇者となっています。
本作の主人公はノアという名のチンパンジーで、彼の種族は緑豊かな地で平和に暮らしていました。
一方、「キングダム」とタイトルにあるように、シーザーという猿が強権的な王国を築いており、彼は人類が残した遺産(兵器と見られる)を利用し、さらに覇権を広げようとしています。
これまでの3部作では人類VS猿の覇権争いが描かれていましたが、本作では人類の存在は後退し、エイプ同士の戦いが描かれます。
シーザーは人類の善良さも愚かさも知っていた指導者であり、彼はそれを踏まえて平和な世界を築こうとしていましたが、結果的はエイプの中でもかつての人類のような覇権主義の考えを持つ者たちが現れたわけです。
もはや、これは知能というのものは、いずれそのような道を歩まざるを得ないということを表しているのでしょうか。
人類が表舞台を退いても、エイプたちは同じことを繰り返しています。
シーザーがこれを知ったら、どう思ったでしょう?
ノアたち一族がシーザーの王国に移住させられ、強制労働させれられるのはバビロン捕囚のようでもあります。
主人公ノアは、シーザーに比べれば未熟で、猿の王国で自らも同族の仲間たちが虐げられる中、リーダーとして目覚めていきます。
本作はノアの成長譚とも言えるかもしれません。
本作は上記のようなエイプたちの争いが中心に描かれますが、その中で特異な存在がメイという女性で、ノアたちと行動を共にするようになります。
当初は他の人類と同様、退化し言葉を使えないと思われていましたが、実は言葉も操り、かつての人類と同様の高い知能を持っていることが明らかになります。
彼女は彼女の思惑があり、ノアたちと共に行動しており、それがエイプたちの戦いというストーリーに変化を与えています。
彼女の思惑とは何なのか、何のために行動しているのか、というのが、エイプたちとの戦いとは別のもう一方のストーリー上の牽引力となっていると思います。
結果、エンディングでウイルスに侵されていないかつての人類の生き残った子孫たちが存在することが明らかになります。
メイは地球上の各コロニーで生き残った人類たちが、ネットワークで繋がるためのキーを探していたのでした。
人類たちはこれで反撃できる力を得るのでしょうか。
次回作では再び人類とエイプたちの戦いが描かれるのでしょうか。
新展開の期待がされますね。

| | コメント (0)

2024年6月 6日 (木)

「青春18×2 君へと続く道」人生は旅

2006年、台南で暮らすジミーは、大学受験に挑みつつ、小遣いを稼ぐカラオケ屋のバイトに勤しみ、友人と夜中までテレビゲームをして過ごすような、ごく一般的な青年でした。
そんな彼が、その夏、日本から来て台湾に滞在していたアミと出会い、恋に落ちます。
その恋が彼の人生の道筋を作りました。
アミはジミーに自分の夢を語ります。
その夢は彩りに溢れた鮮やかなものでした。
好きな絵を描きながら、世界中を旅していきたい。
それがアミの夢でした。
まだ夢を持っていなかったジミーにとって、彼女の夢はとても眩しく、それが彼女への想いを深くしていったのかもしれません。
しかし、彼の恋は実らず、アミが日本に帰らなくてはいけない時がやってきます。
二人が別れる時、アミとジミーは約束をしました。
二人が夢を叶えたら、また会おう、と。
この約束がジミーの生き方を決めたのです。
ジミーは夢を叶えるために邁進し、そしてその夢を果たしました。
そして、挫折します。
彼が夢を捨て、挫折した時、彼の人生を決めた約束を思い出し、そして初恋の人の母国を訪れる旅に出ます。
それは自分の人生を振り返る旅であったのかもしれません。
この物語は夢を失い日本を旅するジミーと、彼がアミと出会った日々が並行して描かれます。
そして、アミがどのような運命に向き合っていたのか、見ている我々は進んでいく物語の中で知ります。
そして、ジミーは彼女の死を夢を叶える前にすでに知ってしまったことも、観客である私たち知ります。
私がふと不思議に思ったのは、なぜジミーはアミのその後の運命を知っていたのに、彼女の故郷を直接訪れるのではなく、回り道をして行ったのだろうかということでした。
結末はわかっているにしても、その悲しい事実に向かい合う勇気がなかったからでしょうか。
それもあったのかも知れません。
彼の日本への旅は彼自身の生き方を見直す旅であったのでしょう。
そして彼の生き方を決定づけたのはアミの存在でした。
彼はアミの夢、異国の地を回って、人々と出会いたい、ということをなぞることにより、彼女の気持ちに触れたかったのかも知れません。
ジミーは日本を旅する中で、様々な出会いを経験します。
その出会いにより、ジミーはアミを、そして自分自身を、深く感じ、考えるようになりました。
彼はその出会いにより、癒されていったのです。
それはかつてアミが台湾で経験したことだったのかもしれません。
ジミーはそのような出会いを経て、彼女の故郷に辿り着きました。
彼が知りたかったけど、知るのも怖かったのが、アミが台湾を訪れ、そしてジミーと出会ったことが、彼女を幸せにすることができたのか、ということだったのだと思います。
彼女が最後に描いたスケッチを彼は目にし、彼女の最後の時間の中で、台湾の日々がとても眩しく描かれていたことを知ります。
彼女は世界中を回ることはできなかったけど、台湾で素晴らしい出会いを得ました。
それは彼女の人生は短かったけれど、彼女は夢を叶えられたのかもしれません。
ジミーは夢を叶える途中で、アミの死を知り、少し脱線をしてしまったのかもしれません。
ただ彼の人生はまだ続きます。
アミのスケッチを見たことにより、再び彼は自分の夢を叶える人生の旅のスタートに立ちました。
まさに、人生も旅、なのですね。

| | コメント (0)

« 2024年5月 | トップページ | 2024年7月 »