「ゴジラxコング 新たなる帝国」ゴジラの捉え方の違い
「ゴジラ -1.0」のヒットの記憶も新しい中、モンスター・ヴァースシリーズの新作「ゴジラxコング 新たなる帝国」が公開されました。
アメリカではすでに公開されているようですが、このシリーズの中でも最高の興行成績となる見込みです。
世界的にヒットしている本作ですが、個人的にはいささかしっくりきませんでした。
「ゴジラ -1.0」はゴジラをオリジナルのような核、自然、神のメタファーとして捉え、そのような人間の力が及ばない存在を前にしての人間のドラマが描かれました。
ゴジラは日本人としては、このような神と災厄が入り混じったような存在、いわば荒ぶる神のような存在として描かれる方がしっくりきます。
しかし、この荒ぶる神という概念は欧米人にはいささかわかりにくい。
ですので、モンスター・ヴァースにおける怪獣(劇中ではタイタンと呼ばれる)はまさに巨大な生物であるという位置付けです。
神というような及ばない存在ではなく、何かしらの理屈で説明できる存在として描かれます。
ゴジラはまだその中でも人間的にはその行動が予測できない存在となっていますが、コングに関しては感情があり、人間の持つ価値観に近いところで行動していうように見えます。
ですから姿形はモンスターでも、ヒーロー映画に登場するようなヒーローの位置付けとも言えます。
本作ではさらにその位置付けを強化するように敵役のコング、スカーキングが現れます。
スカーキングはまさにヒーロー映画におけるヴィランであり、自分の欲のために帝国を支配しようとする権力者として描かれます。
怪獣という存在が矮小化され、人間のスケールで理解できる存在となっているのです。
スカーキングはまさに人間そのもので、俗物っぽく、彼を中心に引き起こされる今回のイベントはもはやヒーローアクション映画のようなものとなっており、日本のゴジラ映画(初期)とはかなり様子が違っています。
そのため物語の後半で展開される怪獣バトルは、スタローンやシュワルツェネッガーが登場していたアクションムービーのようなテイストを持つ怪獣プロレスのようであり、ゴジラの持つ神秘性のようなものは皆無となっています。
予告編でも話題になっていたゴジラとコングが爆走しているシーンなどは、日本人と欧米人のゴジラの捉え方の違いを表していると思います。
「シン・ゴジラ」にしても「ゴジラ -1.0」にしてもゴジラは人間ではコントロールできない自然や核を象徴した荒ぶる神であり、ある種の近寄りがたさを持っています。
そのため、人間は永遠にその本質を理解することができず、なんとか戦い、そしてなだめながら、共存を図っていくしかない存在です。
そのためゴジラは凶暴でありながらも、厳かな空気を纏っています。
しかし、モンスター・ヴァースで描かれるゴジラは、生物が巨大になった存在であり、今は理解し難くとも研究が進めばいずれは理解できる存在であり、人智が及ぶ存在として描かれていると重ます。
この人間の手が届きそうか、届かないかという点が日本と欧米のゴジラ感の違いであり、それが作品にも色濃く反映されているように思えます。
日本のゴジラ映画も平成ゴジラシリーズの前あたりは、初期の頃に比べ、人間に近い存在として描かれていましたので、どれが正しいかなどという気は毛頭ないのですが、怪獣プロレスをやりたいのであれば、ゴジラでなくてもよかったかなと思いました。
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