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2024年5月20日 (月)

「ツイスター」かわいい人

この夏、続編「ツイスターズ」が公開されますが、そのオリジナルとなります。
制作総指揮はスティーブン・スピルバーグ、脚本はマイクル・クライトン、そして監督はヤン・デ・ポンという錚々たるメンバーの制作陣です。
ヤン・デ・ポンは「スピード」に続く監督第二作目で、公開当時、非常に期待していたのを覚えています。
最近は異常気象のためか、日本でも竜巻被害が多く見られるようになりました。
何年か前に関東地方でも大きな被害がありましたが、竜巻の通り道に沿って家屋が被害を受けている映像を見て、驚きました。
そんな日本よりも、さらにアメリカの中南部は大規模な竜巻が起こることが多く、被害も甚大です。
そのような竜巻による被害を避けるために、そのメカニズムを解き明かそうとする科学者たちが本作の主人公です。
彼らは「ストーム・チェイサー」と呼ばれ、竜巻に先回りして、小さなセンサーを竜巻に飲み込ませることにより、その構造を明らかにしようとしています。
公開時、先に書いたような陣容だったので、個人的には期待し、かつ楽しめました。
巨大竜巻の表現は現在の目で改めて見ると、アラも見えるのですが、当時としてはかなり頑張っていたように思います。
竜巻自体は自然現象ではあるのですが、禍々しさもあり、モンスターのようにも見えてきます。
人が制御できるところまでは程遠く、日本のゴジラのような存在のようにも見えますね。
ストーリーとしては複雑なところはなく、どんでん返しのような展開はないので、そこがヒットに結び付かなかった要因のようにも思えますが、私が魅力的だと思ったのは、キャラクターです。
特によかったのが、ヘレン・ハントが演じる主人公ジョーです。
ジョーは幼い頃、竜巻被害により実の父親を失いました。
冒頭、その回想シーンが描かれますが、彼女が見た竜巻はまさにモンスターのようでもありました。
彼女はその体験により、竜巻研究にのめり込みます。
劇中ではジョーは、同僚であり師でもある夫ビルと離婚間際な状態です。
ビルは再婚しようと考えており、そのためにジョーに離婚届にサインをさせようとして彼女の元を訪れますが、ジョーはのらりくらりと躱そうとします。
この様子がなんとも可愛いのですね。
彼女にとって、ビルは同じ志を持つ同士でもあり、同じ人生を歩むことができる伴侶です。
ただそれを彼女は素直に表すことができず、非常に不器用なところがとても愛らしい。
また彼女は竜巻が出現すると、のめり込むように危険を度外して竜巻に向かってしまう。
それは子供の頃に父親を失ってしまったことにより、父親を追いかけ続けているのかもしれません。
彼女の行動はそういう意味では非常に幼く、危なっかしい少女のようにも見えます。
ビルはそんな彼女を放っておけず、結局は一緒に巻き込まれていくのですが、彼にとって彼女は守ってあげなければいけない存在のようなのでしょう。
彼女を愛おしく思う気持ちは、今改めて見てみるとさらによくわかるような気がします。
私が当時、本作に惹かれたのは、この点であったのだと思います。
さて、新作はこの夏公開されます。
ビルを演じていたビル・パクストンはもう亡くなっていますし、キャストは全て新しくなるのでしょう。
ストーリーも前作を引き継いでいるものなのか、リメイクなのかはまだわかりません。
とはいえ、30年近く経っての新作ですので、どのような展開になるのか、興味を持って待っていたいと思います。

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2024年5月 5日 (日)

「陰陽師0」晴明と博雅の関係性は良い

このところ「キングダム」や「ゴールデン・カムイ」など原作の映画化作品の主演を務め、大ヒットを連発している山崎賢人さんが安倍晴明を演じているのが、この作品。
上記の作品は非常にアグレッシブなアクションが売りで動的な印象でしたが、本作ではどちらかというと静的で優美なアクションを披露しています。
原作は夢枕獏さんの「陰陽師」シリーズで、タイトルに「0」とあるのは、まだ晴明が陰陽師になる前の学生(がくしょう)の頃を描いているためです。
「陰陽師」シリーズは野村萬斎さん主演で2度映画化されていますが、私はそちらは未見です。
が、原作の方は数冊読んでいます。
「陰陽師」シリーズは夢枕獏さんらしい独特の世界観を持っているのと、もう一つ、安倍晴明と源博雅の深いつながりがシリーズを通して描かれているところが魅力です。
晴明は古今の知恵と呪術に精通していて、それを持って京の街で起こる怪異に向き合います。
そもそも怪異というのは、本作でも触れられる「呪」のように、自分でも気がつかないうちに持ってしまった思い込みによって、歪んでしまった目で世界を見ることにより引き起こされます。
時折、晴明ですら、その歪みに囚われることもあるわけです。
源博雅という男は非常に素直な人間で、そのため騙されることも多いのですが、その素直なものの見方が時として歪みを払ってくれることがあり、それによって何度か晴明は救われています。
このように晴明と博雅の友情は固く結び付けられており、小説でも二人が酒を酌み交わす場面がしばしば描かれています。
映画化するにあたり、この二人の関係性は大事にしてもらいたいと思っていましたが、原作者の夢枕獏さんもかなり関与しているということで、ちゃんと描かれていましたね。
博雅のキャスティングは染谷将太さんで少々意外でしたが、素直で愛すべき彼になっていました。
山崎賢人さんはかなりがっしりしているイメージで合うかな、と思っていたのですが、こちらも静かでありながら揺るぎない晴明にあっていたと思います。
ストーリーとしてもシンプルでありながら「陰陽師」の世界観を捉えていて、かつ先に書いた二人の関係性もしっかりと押さえていたので、よかったですね。
残念だったのは、幻想的な世界を見える形にするVFXで、少々物足りないところがありました。
今回は深層心理の世界なので、舞台としては複雑なものではなくなるのだと思うのですが、もっと幻想的であっても良いかなと思いました。
独特の世界観をもう少し作り上げられたら、より個性的になったのではないでしょうか。

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2024年5月 4日 (土)

「ゴジラxコング 新たなる帝国」ゴジラの捉え方の違い

「ゴジラ -1.0」のヒットの記憶も新しい中、モンスター・ヴァースシリーズの新作「ゴジラxコング 新たなる帝国」が公開されました。
アメリカではすでに公開されているようですが、このシリーズの中でも最高の興行成績となる見込みです。
世界的にヒットしている本作ですが、個人的にはいささかしっくりきませんでした。
「ゴジラ -1.0」はゴジラをオリジナルのような核、自然、神のメタファーとして捉え、そのような人間の力が及ばない存在を前にしての人間のドラマが描かれました。
ゴジラは日本人としては、このような神と災厄が入り混じったような存在、いわば荒ぶる神のような存在として描かれる方がしっくりきます。
しかし、この荒ぶる神という概念は欧米人にはいささかわかりにくい。
ですので、モンスター・ヴァースにおける怪獣(劇中ではタイタンと呼ばれる)はまさに巨大な生物であるという位置付けです。
神というような及ばない存在ではなく、何かしらの理屈で説明できる存在として描かれます。
ゴジラはまだその中でも人間的にはその行動が予測できない存在となっていますが、コングに関しては感情があり、人間の持つ価値観に近いところで行動していうように見えます。
ですから姿形はモンスターでも、ヒーロー映画に登場するようなヒーローの位置付けとも言えます。
本作ではさらにその位置付けを強化するように敵役のコング、スカーキングが現れます。
スカーキングはまさにヒーロー映画におけるヴィランであり、自分の欲のために帝国を支配しようとする権力者として描かれます。
怪獣という存在が矮小化され、人間のスケールで理解できる存在となっているのです。
スカーキングはまさに人間そのもので、俗物っぽく、彼を中心に引き起こされる今回のイベントはもはやヒーローアクション映画のようなものとなっており、日本のゴジラ映画(初期)とはかなり様子が違っています。
そのため物語の後半で展開される怪獣バトルは、スタローンやシュワルツェネッガーが登場していたアクションムービーのようなテイストを持つ怪獣プロレスのようであり、ゴジラの持つ神秘性のようなものは皆無となっています。
予告編でも話題になっていたゴジラとコングが爆走しているシーンなどは、日本人と欧米人のゴジラの捉え方の違いを表していると思います。
「シン・ゴジラ」にしても「ゴジラ -1.0」にしてもゴジラは人間ではコントロールできない自然や核を象徴した荒ぶる神であり、ある種の近寄りがたさを持っています。
そのため、人間は永遠にその本質を理解することができず、なんとか戦い、そしてなだめながら、共存を図っていくしかない存在です。
そのためゴジラは凶暴でありながらも、厳かな空気を纏っています。
しかし、モンスター・ヴァースで描かれるゴジラは、生物が巨大になった存在であり、今は理解し難くとも研究が進めばいずれは理解できる存在であり、人智が及ぶ存在として描かれていると重ます。
この人間の手が届きそうか、届かないかという点が日本と欧米のゴジラ感の違いであり、それが作品にも色濃く反映されているように思えます。
日本のゴジラ映画も平成ゴジラシリーズの前あたりは、初期の頃に比べ、人間に近い存在として描かれていましたので、どれが正しいかなどという気は毛頭ないのですが、怪獣プロレスをやりたいのであれば、ゴジラでなくてもよかったかなと思いました。

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