「アイアンクロー」束縛するも、解放するも、家族
タイトルにあるアイアンクローとは、本作の中心となるプロレスのエリック兄弟の父親フリッツ・フォン・エリックの必殺技である。
強靭な握力で相手の頭を握り潰す技だ。
大きな手でがっしりと頭を握られてしまうと、その万力のような力から逃げることは困難になる。
アイアンクローは父親の後を継ぐ息子たちにも引き継がれて象徴的な技となるが、もう一つ兄弟たちを縛り付け、逃れられられない力の暗喩だろう。
フリッツはプロレス団体を立ち上げ、そこで息子たちをスターにしようと目論む。
息子たちは幼い頃よりそう言い聞かされ、自然とその道を歩んでいくことになる。
長男は早逝したため、次男のケビンは自分こそが父親の期待に応えなければいけないと思っている。
そして三男のデビッド、四男のケリーも相次いでプロレス界に飛び込んでくるのだ。
興行として客を呼べると思ったか、父親の関心は華のあるデビッド、ケリーに移っていったため、ケビンは嫉妬に苦しむものの、ストイックに弟たちを支えようとする。
最後に兄弟の中では穏やかな性格でありミュージシャンを目指していたマイクもプロレスを始める。
そして彼ら兄弟たちに次々と不幸が訪れる。
父親のフリッツは息子たちに目標とそれを叶える義務を負わせる。
それらは自身の目標であり、夢なのだが、それと同じ夢を息子たちも持つものであると信じて疑わない。
息子たちにはそれぞれ個性があり、やりたいことも異なるのに、それを認めることができない。
だから義務は負わせるが、彼らの人生に対して責任は負わない。
また母親も同様なところがある。
一見、信心深い愛情のある母親にも見えるのだが、強い信仰心を持っているため、教義的に息子たちを縛る。
息子が隠れてマスターベーションをするシーンがあるが、彼らがそのような点でも非常に抑圧されていることが窺える。
この親たちが兄弟間のトラブルがあった際に助けを求められた時に言う言葉が「兄弟たちで話し合って解決しろ」だ。
父親も母親も子供たちを強く束縛し義務を負わせるが、彼らを救おうとはしない。
息子たちには強い義務が負わされ、そこから逃げられないということが、彼らに不幸な選択肢を取らせたことにつながったのだろう。
三男のデビッドは体調不良を我慢して父親の期待に応えようとしたために突然死。
四男のケリーは、世界王者になったものの交通事故で片足を失い、その鎮痛剤中毒に苦しんだ末に、自殺。
五男のマイクはプロレス試合中の負傷により後遺症を患い、それを苦に自殺。
彼らは両親の強い期待に応えようとしたが、その期待の重さに耐えられなくなったものの、逃げられなかった。
この両親は今の時代の言い方をすればまさに毒親なわけで、そこから彼らは逃げ出せばよかったのに、とも思うが、それをさせなかったのはやはり家族なのだろう。
彼らからすると、家族以外に拠り所となるところはなかった。
そこが全てだった。
だから逃れるのであれば、死しかなかったのだろう。
唯一、兄弟の生き残りとなったのはケビンであった。
彼も両親の束縛に耐え、期待に応えようとしたものの、いつしか期待をかけられる存在ではなくなり、別の苦しみを背負った。
その苦しみの中で、彼が持ち堪えられたのはやはり兄弟たちがあってこそだった。
また彼は兄弟の中で一人、愛する人と結婚し、子供を授かった。
彼には彼だけの家族、居場所ができたため、フリッツと同じ父親として対峙することができたのかもしれない。
人を束縛し苦しめるのも家族なら、苦しみから救い解放してくれるのも家族。
家族というのはかくも濃い。
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