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2024年4月27日 (土)

「アイアンクロー」束縛するも、解放するも、家族

タイトルにあるアイアンクローとは、本作の中心となるプロレスのエリック兄弟の父親フリッツ・フォン・エリックの必殺技である。
強靭な握力で相手の頭を握り潰す技だ。
大きな手でがっしりと頭を握られてしまうと、その万力のような力から逃げることは困難になる。
アイアンクローは父親の後を継ぐ息子たちにも引き継がれて象徴的な技となるが、もう一つ兄弟たちを縛り付け、逃れられられない力の暗喩だろう。
フリッツはプロレス団体を立ち上げ、そこで息子たちをスターにしようと目論む。
息子たちは幼い頃よりそう言い聞かされ、自然とその道を歩んでいくことになる。
長男は早逝したため、次男のケビンは自分こそが父親の期待に応えなければいけないと思っている。
そして三男のデビッド、四男のケリーも相次いでプロレス界に飛び込んでくるのだ。
興行として客を呼べると思ったか、父親の関心は華のあるデビッド、ケリーに移っていったため、ケビンは嫉妬に苦しむものの、ストイックに弟たちを支えようとする。
最後に兄弟の中では穏やかな性格でありミュージシャンを目指していたマイクもプロレスを始める。
そして彼ら兄弟たちに次々と不幸が訪れる。
父親のフリッツは息子たちに目標とそれを叶える義務を負わせる。
それらは自身の目標であり、夢なのだが、それと同じ夢を息子たちも持つものであると信じて疑わない。
息子たちにはそれぞれ個性があり、やりたいことも異なるのに、それを認めることができない。
だから義務は負わせるが、彼らの人生に対して責任は負わない。
また母親も同様なところがある。
一見、信心深い愛情のある母親にも見えるのだが、強い信仰心を持っているため、教義的に息子たちを縛る。
息子が隠れてマスターベーションをするシーンがあるが、彼らがそのような点でも非常に抑圧されていることが窺える。
この親たちが兄弟間のトラブルがあった際に助けを求められた時に言う言葉が「兄弟たちで話し合って解決しろ」だ。
父親も母親も子供たちを強く束縛し義務を負わせるが、彼らを救おうとはしない。
息子たちには強い義務が負わされ、そこから逃げられないということが、彼らに不幸な選択肢を取らせたことにつながったのだろう。
三男のデビッドは体調不良を我慢して父親の期待に応えようとしたために突然死。
四男のケリーは、世界王者になったものの交通事故で片足を失い、その鎮痛剤中毒に苦しんだ末に、自殺。
五男のマイクはプロレス試合中の負傷により後遺症を患い、それを苦に自殺。
彼らは両親の強い期待に応えようとしたが、その期待の重さに耐えられなくなったものの、逃げられなかった。
この両親は今の時代の言い方をすればまさに毒親なわけで、そこから彼らは逃げ出せばよかったのに、とも思うが、それをさせなかったのはやはり家族なのだろう。
彼らからすると、家族以外に拠り所となるところはなかった。
そこが全てだった。
だから逃れるのであれば、死しかなかったのだろう。
唯一、兄弟の生き残りとなったのはケビンであった。
彼も両親の束縛に耐え、期待に応えようとしたものの、いつしか期待をかけられる存在ではなくなり、別の苦しみを背負った。
その苦しみの中で、彼が持ち堪えられたのはやはり兄弟たちがあってこそだった。
また彼は兄弟の中で一人、愛する人と結婚し、子供を授かった。
彼には彼だけの家族、居場所ができたため、フリッツと同じ父親として対峙することができたのかもしれない。
人を束縛し苦しめるのも家族なら、苦しみから救い解放してくれるのも家族。
家族というのはかくも濃い。

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2024年4月13日 (土)

「ゴーストバスターズ / フローズン・サマー」やはりニューヨークがよく似合う

新生ゴーストバスターズである前作のヒットを受け、続編である本作は舞台をニューヨークに移しています。
やはり、ゴーストバスターズはニューヨークがよく似合います。
新生ゴーストバスターズは、初代のゴーストバスターズに比べるとドラマ部分が強化されている印象ですが、本作も引き続きその印象ですね。
主人公フィービーは前作から2年経っているので、15歳となっています。
前作の時は初見では男の子か女の子かわからないような感じでしたが、本作では15歳らしい女の子っぽさも垣間見えます。
この15歳という年頃、まさに大人と子供の間というところで、そこが本作のドラマ部分の中心になります。
フィービーは祖父譲りの頭脳を持っていて、そしてその行動力も含め、活躍っぷりは大人顔負けですし、本人も自信があります。
しかし、社会としてはまだ子供ですので、ゴーストバスターという危険な仕事に就くということを許してもらえません。
本人はそれを天職と思っているので、そこに対して不満が出てくるのもわかります。
加えて母親は娘を心配しているからではあるのですが、ゴーストバスターズから娘を遠ざけようとしますし、義父となったかつての恩師との関係も微妙です。
そのようなティーンの女の子の微妙な心の隙間を、ゴーストに狙われ、世界の破滅の危機を迎えることになります。
本作は前作ではちょっとだけ登場した初代ゴーストバスターズたちもガッツリ登場するのは旧作からのファンとしては嬉しいところ。
それぞれのキャラクターもそのままに活躍してくれるので見ていて楽しい。
「ゴーストバスターズ」と言えば、このようなキャラクターが立っているところが特徴ですが、それは初代だけでなく、新世代の方も同様のことが言えます。
ビビリだけど優しくていざという時は頼りになるフィービーの兄だったり、娘との距離の取り方に悩みジョークを飛ばしまくる父親だったり。
本作で新たに登場したファイアマスター、ナディームも癖があってよかったですね。
火を放つところは「エターナルズ」のキンゴを彷彿とさせました。
初代メンバーも入れた「ゴーストバスターズ」は2、3作作られる予定だとか。
ドラマを強化した新生ゴーストバスターズは見ていても面白いので、ぜひ続編も期待したいところです。
おそらくフィービーの成長に合わせて、ドラマが展開していくような気がしますが、そろそろ恋バナですかね。

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2024年4月12日 (金)

「変な家」なんでヒットしている?

本作は公開開始から観客動員数で4週連続でトップとなっています。
小説の方もベストセラーとなっていて興味はあったのですが、まだ未見です。
自分が想像していたよりもヒットしているので、気になって鑑賞してきました。
感想から言ってしまうと、なんでこんなにヒットしているのかよくわからないというのが本音です。
主人公たちが入手したある家の間取りをよくよく見ると通常の家にはないような設計が施されている。
その違和感の裏を探っていくと、この家に住んでいた家族の秘密が次第に明らかになっていくという仕立て。
間取りからミステリーが始まっていくというのはユニークな発想で、そこが私も原作に対する興味がおきたポイントでした。
映画に関しては前半は間取りからのミステリーはあり新しさは感じたものの、後半に関しては昭和の時代によくあった山村の怪奇談のような展開となり、既視感というか古臭さすら感じました。
前半の間取りから展開していく謎は、小説には向いているかもしれないですが、映画にはあまり向いていないような気もします。
これは「ある閉ざされた雪の山荘で」のレビューでも書いたのですが、映画ならではの見えすぎることによって小説で想像力で補われた曖昧な部分が見えてしまうことにより、謎があまり効いていないようにも見えました。
映像がとても説明的になってしまうのですよね。
映画の展開が原作と同じかどうかはわからないのですが、映画として成立させるためにB級ホラー的な展開になったのでないかと思えます。
昨今の原作改変問題というのもありますが、改変しても面白くなっていれば、個人的には良しというスタンスなのですが、本作についてはB級ホラーとして見ても、相当陳腐な感じがします。
ところどころで絡んでくる斉藤由貴さんのキャラクターは、怪しげではあるのですが、都合よく使われていて、なぜこの人はこんなことをしているのか、なんでここにいるのかと、冷静に考えると、結構無理があったりもするのですよね。
なんでこの映画、ヒットしているのだろう・・・?

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2024年4月 7日 (日)

「オッペンハイマー」揺れる

本作の冒頭にプロメテウスの神話の件が語られる。
すなわちプロメテウスは天上から火を奪い、人間に与えた罪により、ゼウスにカウカーソス山に磔になったと。
人はプロメテウスに与えられた火によって文明を発展させたものの、また武器を生み出し争いを続けるようになったのだ。
プロメテウスに与えられた火によって人間は後戻りできない道に踏み出したのだ。
オッペンハイマーはプロメテウスに準える。
彼は核の扉を開けた。
核は夢のエネルギーでもあったが、地球を破滅させることができるパワーでもあった。
核以前と、核以後は異なる世界であり、まさにオッペンハイマーは新世界を生み出したとも言える。
核爆弾はウランやプルトリウムにを爆薬により臨界点を突破させ、核分裂を引き起こすことにより莫大なエネルギーを生み出させる。
核分裂により飛び出した中性子は次々に周囲にも反応を連鎖させて急激にエネルギーを解放するのだ。
これが核爆弾の連鎖反応(チェーンリアクション)なのだが、オッペンハイマーの核爆弾により、米ソによる核開発競争という別のチェーンリアクションも引き起こさせる。
主人公であるオッペンハイマーは本作において常に揺れている。
世界や宇宙の成り立ちを探ろうとする冷静な洞察力を持っていて、周囲の誰よりも先見の明を持っているように見える。
しかし、目先の欲望や名誉に囚われて、馬鹿げた過ちも繰り返す。
戦中は熱心に核爆弾開発を指揮し、しかし広島・長崎への爆弾投下で動揺し、後悔する。
戦後はしばらくは核開発に従事するものの、その後核爆弾反対論へ転向する。
妻を愛し家庭を愛しているものの、ジーンとの関係にも溺れそこから抜けることもできない。
どちらが本当のオッペンハイマーなのか。
彼の主義はどこにあるのか。
彼はずっと揺れている。
彼は揺れ続けたまま、己の行為によって引き起こされた結果(原爆の投下やジーンの自殺)に慄くのだ。
しかし、両方とも彼なのかもしれない。
彼が信望する量子論で、光が波であり粒子でもあるように。
これがこういうものであるという確定さは人を安心させる。
ずっとこのままでいられると思えるからだ。
しかし、ノーラン監督はものが見えたままである確信をいつも揺さぶる。
「ダークナイト」では正義という価値観を揺さぶったし、「TENET」が常に時間が過去から未来へ流れるという前提を揺らがせた。
彼は全てのものの前提を揺さぶるのだ。
クリストファー・ノーランの演出は見事で、特に圧巻だったのが、原爆投下後にオッペンハイマーが研究所で多なったスピーチの場面だ。
彼が演説すると同僚たちは歓喜の叫び声をあげ、互いに肩を抱きながら泣く者も見える。
しかし、それは視点を変えて見てみると、原爆を落とされた広島・長崎の人々が苦しみの叫び声をあげ、悲しみで互いの肩を抱きながら泣いているようにも見えるのだ。
歓喜と悲哀という全く逆の感情をオーバーラップさせている。
原爆を生み出したことの両側面を表した驚異的な演出であり、物事は見えるままだけではないという彼の共通したものの見方を表した象徴的なシーンであったと思う。

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「デューン 砂の惑星 PART2」リアリティと幻想

前作の自分のレビューを見てみたら「壮大なプロローグ」というタイトルをつけていましたが、本作を鑑賞してみるとそれは的確に表現をしているなと改めて思いました。
PART2についてはそのようなプロローグを経ることにより、主人公ポールが戦う理由が明確になっており、本作では彼がどのようにハルコネン家と皇帝に対して戦いを挑んでいくかが描かれることにフォーカスされており、2時間半以上の長尺でありながら、非常に見やすいと思いました。
監督は前作に引き続きドゥニ・ヴィルヌーヴです。
彼の映像は独特で「メッセージ」にしても「ブレードランナー2049」にしても現在とは異なる世界を描いていながらも、非常にリアリティがあるのですね。
SF映画というのは昨今は特にCGの発達がすごいので、驚くような映像が作れるのですが、その分、箱庭感のような感触も拭いきれません。
しかし、ドゥニの映像はその世界に立っているような空気感があるように感じます。
多用される実風景を使ったロングショットや、砂埃でむせてしまうような空気感によって、見ている観客もデューンに立っているような感覚にさせてくれます(対局はザック・スナイダーとかでしょう)。
このような空気感を感じさせてくれる監督は最近はめっきり減りましたね。
そういったリアリティもある反面、ドゥニは幻想的なイメージもあります。
「メッセージ」での異星人との非言語によるコミュニケーション、「複製された男」が「ブレードランナー2049」でも不確かな記憶の描写などは非常に幻想的であり、ある種の不安を見ている者に感じさせます。
本作においても予知幻視などは同様の感覚にさせられます。
ドゥニの作品は確固たるリアリティがありながら、そのような幻想的な側面もあるため、より一層今の現実の不確かさが際立ちます。
そのような不確かさの中で主人公がどのような選択をしていくかのドラマが見応えのあるものになっていきます。
またドゥニの撮る映像はどのショットも構図も色も何から何までこだわり抜いているという印象がありますね。
抜き出して1枚絵になりそうなショットがいくつもあります。
アングルや構図にこだわり抜く姿勢は庵野監督などとも通じるもののような気がします。
彼が見せてくれる絵画のようなショットだけでも見る価値があると思います。
ドゥニの映像がリアリティと幻想というある意味逆の要素を持っている話をしましたが、本作の主人公も二つの価値観の中で揺れ動きます。
一つはデューンの民(フレメン)の一員として、帝国に対して反旗を翻し、星を取り戻そうとすること。
もう一つはアトレイデス家の生き残りとして、ハルコネン家と皇帝家への復讐を果たし、代わりに皇帝となること。
この目標は途中経過としてはハルコネン家と皇帝家の打倒ですが、ゴールは違います。
この異なる二つは劇中でも人物として象徴されていて、前者はポールの恋人だるフレメンのチャニであり、後者はポールの母親であるレディ・ジェシカとなります。
ポールは本作ではずっと前者の価値観で行動していたように見えますが、最後予知能力を持つようになってからは、後者の価値観で行動し始めたようにも見えます。
とはいえ、チャニへの思いも残っているようですので、彼の本心はまだ本当のところはわからないですね。
本作はここまででもデューンを開放したということで一旦の結末となったとも言えますが、上で書いたようにポールの真意がわからないという点ではモヤモヤが残ります。
本作は世界的には大ヒットしているということで、なんと先日PART3が制作されるということが発表されました。
ポールが皇帝となった後の物語となるとのことですが、彼の真意がそこではわかるのでしょうか。
何年後になるか分かりませんが、気になりますね。

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2024年4月 6日 (土)

「映画おしりたんてい さらば愛しき相棒よ」青春のおしりたんてい

こちらの作品は例によって「おしりたんてい」好きな娘と一緒に鑑賞です。
前作ではシリアーティという好敵手が現れ、なかなかに盛り上がりましたが、本作では初めておしりたんていの過去に触れるお話となります。
本作に登場するゲストは、かつておしりたんていが大学生だった頃、彼をサポートしていたスイセンという相棒。
ずっと音信不通だった彼女は、おしりたんていに仕事を依頼します。
おしりたんていと現在の相棒ブラウンが訪問したハッタンタウンでは、美術品のすり替え事件が発生しており、それを二人とスイセンは捜査し始めます。
スイセンは何か隠し事がある様子ですし、次第に明らかになっていく大企業ビックフラワー財団の秘密・・・。
子供が理解できる程度でそれなりに凝った話にはなっているので、うちの娘も非常に満足したようでした。
私はというと少々物足りなさもあり、途中で睡魔と戦いながら見ていました(なので薄い感想ですみません)。
スイセンの声を演じているのは、仲里依紗さん。
「おしりたんてい」の劇場版はゲストの声には上手い方を持ってきますね(前回は福山雅治さんでした)。
仲さん、上手ですよね。
そういえば、仲さんが世間で注目を浴びたのは、「時をかける少女」での主人公の声からでしたね。

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2024年4月 3日 (水)

「落下の解剖学」平行線の関係性

本作はアカデミー賞で脚本賞を受賞しましたが、それもわかりますね。
フランス人の夫とドイツ人の妻、そして視力に障害がある息子が暮らす山荘。
息子が犬の散歩から帰ってきた時、父親が頭から血を流して家の外で死んでいるのを発見します。
やがて夫を殺したとして妻サンドラが立件されます。
こう書くとミステリーのように聞こえますが、本作はミステリーではありません。
この事件の犯人は最後までわからないのですから。
この作品は夫婦というものがいかに分かり合えないか、ということを非情なまでに掘り下げたものとなっていて、見ているとなかなかにしんどいところもありました。
「仮面夫婦」という言葉がありますが、本作で描かられている夫婦はまさにそのような関係性でしょう。
しかし、そこまでとはいかずとも、お互いに本当に理解し合えている夫婦というのはどれだけいるのでしょう。
作中で描かれる裁判の中で、彼らの夫婦の関係性が次第に明らかになっていきます。
記録された音声が再生されますが、彼らのやりとりは聞いていると耳を塞ぎたくなるようなところもあります。
夫にしても、妻にしてもそれぞれの主張には、それぞれわかるところがあります。
しかし、彼らは互いに歩み寄ることはなく、会話は平行線です。
というより、互いに歩み寄っているつもりなのにも関わらず、相手からするとそのようには思えないというところでしょうか。
そのもどかしさがそれぞれが自分だけが自身を犠牲にして、相手だけがやりたいことをしているというように見えるのでしょう。
多かれ少なかれ、同じような感覚を持つ夫婦というのは多いのではないかと思います。
いつまで経っても平行線であるというもどかしい感覚というのは、非常にストレスフルです。
これはどちらかがひたすら我慢するか、平行線であるということを飲み込みながら互いに妥協するか、といった感じでそれぞれの夫婦がなんとか対処していっているのでしょう。
だったら別れればいいじゃないか、ということもありますが、子供がいることによりそのような思い切ったこともできにくくなります。
本作で言えば、夫は自らのミスにより子供の視力を傷つけてしまったという責任感から彼をしっかりと保護したいと思っていますし、妻は当然自分がお腹を痛めた子供ですから無条件に手放したくないと思うのも当然です。
子は鎹、と言いますが、彼らにとっては子供が彼らを結びつけている鎖のようなものになっているのかもしれません。
彼らが平行線の関係性であることは、本作での言語の使われ方でも表されています。
夫はフランス人で母国語はフランス語で、妻はドイツ人なので母国語は当然ドイツ語。
そのため彼らは家庭においては、フランス語でもなく、ドイツ語でもなく、双方の母国語ではない英語で会話をします。
二人は流暢に英語を使うとはいえ、それぞれの母国語でのニュアンスを完全に伝えられているとも思えません。
それぞれの主張が相入れられず、ずっと平行線であることを、それぞれの母国語が全く違うということで表しているようにも思えます。
結局、夫婦というものは理解し合えるようなことはあり得ないという非情な結論になっている作品でありますが、それに納得してしまう自分もいます。

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「FLY! / フライ!」イルミネーションらしさとは?

ミニオンズのイルミネーションが送るオリジナルアニメーション「FLY!/フライ!」です。
ディズニー、ピクサーなどブランドで売れるアニメーションスタジオがありますが、イルミネーションも新興でありながらブランド名で売れるようになってきましたね。
同じようにブランドで客を呼べるこれらのスタジオですが、作風は違います。
ディズニーは長年培われてきたストーリーテリングですし、ピクサーはやはりユニークな目の付け所と切り口、頭一つ抜き出た映像のクオリティですが、イルミネーションはそれらとは異なります。
イルミネーションの作品はいずれもスラップスティックなおかしさを持っています。
これは私のような世代だとある種の懐かしさもあり、子供の頃見ていた昔のアメリカのアニメーション(「トムとジェリー」や「チキチキマシン猛レース」とか)のドタバタギャグと同じような匂いを感じるのですね。
本作でもニューヨークの場面で、ハトが何度も何度も車にぶつかってしまうというギャグありましたが、ここでは私も娘もゲラゲラと笑ってしまいました。
この子供もゲラゲラ笑うというような要素は最近のディズニーやピクサーではあまりないですよね。
そういう点では、イルミネーションの作品は小さな子供が笑って楽しく見れるという点で他のスタジオとは異なる独自のポジションを築いているとも言えるかと思います。
とはいえ、ストーリーについてもシンプルにわかりやすいけれども、飽きないように組み立てられていると思います。
本作は安全安心のために自分のテリトリーから踏み出せなかった主人公が、冒険に踏み出して自分自身を解放して喜びを見つけていく物語です。
ピクサーは心の奥深くまで沁みるように考え抜かれているもので、小さな子供だとその意図まではわからないかなとも思うのですが、本作などはわかりやすいテーマなので、子供にもしっかりメッセージは届くかなと思います。
大人的には少々物足りなさも感じますが、子供と一緒に楽しむにはイルミネーションの作品はぴったりかもしれないですね。
吹き替え版で見たのですが、主人公の声を担当していた堺雅人さんが非常にうまくてびっくり。
演技も非常に上手い方ですが、声の演技も素晴らしいですね。

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