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2024年3月10日 (日)

「哀れなるものたち」かくあるべしを超えた存在

独特の世界観であり、エログロ的な描写も躊躇なく盛り込まれているため、個人的には得意なテイストではなかったものの、非常に惹きつけられるところもありました。
主人公のベラは天才的な科学者によって生み出されました。
自殺した女性の体に彼女が宿していた胎児の脳を移植することによって生み出された人造人間なのです。
そのため肉体は成人女性のままでありながら、精神は赤子というチグハグな状態なのがベラなのです。
通常、人は肉体の成長に合わせて精神も成長していきます。
肉体は一つの制約でもあり、その制約により世界は限定されています。
赤ん坊の頃は子供にとっての世界には親しかおらず、そこから成長していくに従い、活動範囲が広がって世界は拡張していきます。
また出来ることということも成長に合わせて可能性が広がっていきます。
出来ることが広がり、世界が広がっていくにつれ、人は精神も成長していくのです。
ある意味、やることが制約されるということで肉体は精神にとって檻とも言えるわけですが、人は成長していきながら肉体と精神が相互に関わりながら徐々に拡張していくわけですね。
ベラの場合はそれが非常にアンバランスになっているのです。
このことがわかってたからか、彼女を生み出した科学者はベラを自身の屋敷に閉じ込めています。
しかし子供らしく世界を見たいという好奇心を持つベラは子供のような肉体的な制約はなく、彼女にとっては我が家を檻と認識していきます。
いくら親代わりの科学者が止めようと、その制止を振り切ることができる肉体を彼女を持っているからです。
彼女の強い好奇心を知り、科学者は彼女を束縛から解き放ちます。
人は肉体的制約があるからか、成長していく過程で、かくあるべきという常識、規範を自然と身につけます。
しかし、ベラはその規範を身につける前に広い世界に漕ぎ出しました。
彼女はそういった制約から自由であり、だからこそその行動は突飛なものと周囲の目には映ります。
なぜならば周囲の人々(特に彼に関わる男性は)こうあるべきという規範・常識に凝り固まったものの見方しかできないからです。
ベラはそういった男たちの常識を超えた行動をとる。
故に彼らは彼女に翻弄されます。
本作はフェミニズムをテーマにした作品と言われますが、フェミニズムに限らず、かくあるべしとした常識にとらわれない個性のありようを語っているように感じました。

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