「ある閉ざされた雪の山荘で」映像化が難しいとは
原作は東野圭吾さんの初期のミステリーで、映画化は難しいと言われていたようです。
ミステリーでは、クローズドサークルという設定が使われることがあります。
これはある山荘や孤島などで交通が遮断された状況の中で殺人事件が起こるというものです。
外部との出入りができないという状況なので、犯人は必ずその閉じられた環(クローズドサークル)の中にいるわけですので、互いに疑い合うという状況となり、緊迫感が生まれる設定です。
本作はクローズドサークルをベースにしながらも、ユニークな設定となっています。
登場人物は皆、役者である山荘にオーディションとして集められます。
主催者からそこは雪で閉ざされた山荘で、誰も外に出ることができないという設定であると告げられます。
そしてそこで起こる出来事に対して、アドリブで対応し、その演技を審査すると言われるのです。
実際には自由に出入りできるのにも関わらず、想像上でクローズドサークルを作るというユニークなアプローチですね。
ユニークな設定なのですが、本作を見ていて、どうにも緊迫感が出てこないという印象を受けました。
そして、そのワケと、映像化が難しいと言われてきた理由もわかりました。
先ほどあげたユニークな設定は、小説だからこそより面白いものであったのだと思います(原作読んでいないんで、想像ですが)。
雪の山荘であるという設定で演技をする役者たちの様子を小説を読んでいる時、我々の頭の中には雪に囲まれている山荘がイメージされているのか、それとも現実の山荘がイメージされているのか。
それは非常に曖昧じゃないかと思います。
時には雪で囲まれているようでもあり、別の時はそうではない。
そのあやふやな感覚は小説ならではないのでしょうか。
対して映像化作品の場合は、すべてが見えてしまう。
雪で囲まれている山荘と、現実の山荘がオーバラップするという演出はところどころで見られましたが、あまり効いていない。
多くの場面では、現実の山荘の中で、役者たちが演技をしているという「様子」が見えてしまいます。
そのためクローズドサークルならではの緊迫感がどうしても薄れてしまいます。
殺人現場でのヒントとなるアイテムに関しても、割とわかりやすく映像として捉えられているので、不自然さには気づきやすい。
小説だとサラッと触れられているだけだと、感度を上げてないとスルーしてしまうため、あからさまには気づきにくい。
設定にしても、ヒントにしても、あまりに「見えすぎる」ので、小説では気が利いている設定でも映像ではあまり効果的にはなっていない気がしました。
映像化が難しいというと、映像で再現ができないというように捉えられがちですが、本作の場合は映像で再現されすぎることでつまらなくなってしまうという意味で、映像化が難しいと言われたのであったのだろうと思いました。
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