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2023年11月 5日 (日)

「ゴジラ-1.0」「シン・ゴジラ」とは逆のアプローチ

「シン・ゴジラ」が大ヒットし、アメリカでもモンスターバースのゴジラが活躍する中、東宝がゴジラ70周年の節目に送り出したのが、「ゴジラ-1.0」です。
公開開始日を初代の公開日と合わせてきていますが、本作は1作目をかなり意識した作りになっています。
舞台となるのは戦後間もない日本。
太平洋戦争の爪痕がまだ癒しきれていない日本に、再びゴジラという災厄が襲いかかります。
日本においては大ヒットした「シン・ゴジラ」の後ですので、違いを出すことに製作者サイドも色々考えたことでしょう。
その一つが時代を現代にはしないということだったのであったのかと思います。
しかし「シン・ゴジラ」と本作は作家性の違いも大きく表れていたかと思います。
庵野監督の「シン・ゴジラ」は現代に巨大怪獣が現れた時、国はどういう対応をするのかというシミュレーション映画という趣が強い印象です。
描かれているのは、基本的に政府機関側の視点で、登場人物の職務を遂行している姿を描いているので、基本的にはドライです。
これは「シン・ウルトラマン」にも「シン・仮面ライダー」にも共通する庵野監督の特徴で、登場人物たちの深い人間性のような表現はオミットされているのです。
対して本作のメガホンをとった山崎貴監督はどちらかというと人の情緒を描くことに重きを置いているように思います。
「泣ける」部分を用意してくるようなところもあり、それはややもするとやりすぎて、鼻をつくところもありますが、VFXを多く使うことがある彼の作品の中で、その情緒はバランスをとるのに、機能しているように思います。
本作でも中心となるのは、元特攻隊員である敷島であり、彼が戦中に心に負った深い傷で彼は苦しみ続けます。
生き残ってしまったという負目は彼を責め続け、彼は目の前の幸せに手を伸ばすことができません。
この辺りの神木隆之介さんの演技は真に迫るものがありました。
特に最愛の人を失っなったことにより、ゴジラに対して敵愾心を燃やす姿は、柔和そうな神木さんであるからこそ、その鬼気迫る表情に新境地を見ました。
山崎監督は「永遠の0」「アルキメデスの大戦」でも太平洋戦争を扱っています。
「アルキメデスの大戦」は戦争に向かおうとする時代の話、「永遠の0」は戦争最中の話、そして本作は戦後ということで、彼の太平洋戦争3部作とも位置付けられるかもしれません。
山崎監督特有のやりすぎな部分があるとすれば、最終盤のある人物の再登場でしょうか。
物語的にはハッピーエンドでいいのですが、敷島の心情を考えるとちょっと拍子抜け感もありました。
ゴジラを中心としたVFXも見応えありました。
個人的な好みで言えば、ちょっと下半身のボリュームが多すぎのようにも感じましたが、人間性のかけらも感じさせない禍々しさを感じます。
背中のヒレがガチャンガチャンとロック解除していくような熱線発射のシークエンスはケレン味があってよかったです。
このシークエンス、意味があるのかなと思いつつ、これがないと敷島がとる行動のタイミング合わせがとっても難しくなるので、物語的には必要なのですよね。
最後の作戦は民間主体で展開されるというのも「シン・ゴジラ」とは真逆のアプローチであると思います。
彼らが展開させる作戦は流石にオキシジェンデストロイヤーのようなものではありませんでしたが、視覚的には似たようなところをついていて、第1作目へのオマージュも感じました。
「シン・ゴジラ」の対策チームは職務としてプロとして対ゴジラ戦に挑みますが、本作では彼らは自分たちが守りたい者のために戦います。
彼らはボランティアなんですよね。
「官」ではなく「民」。
人間としてゴジラに戦いを挑む人々を描いた作品です。

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