「ザ・クリエイター/創造者」受け入れるか、拒否するか
時は未来。
AIを禁じているアメリカを中心とした西側諸国と、AIと共生しているニューアジア諸国との戦いが激しさを増してきたとき。
アメリカは低軌道で地球を周回する「ノマド」という超兵器を作り、ニューアジアのAIの研究施設を直接攻撃をして破壊していきます。
対してニューアジア諸国は、人間とAIが一緒になったゲリラ部隊が戦いを仕掛けるしかありません。
次第に形勢はニューアジア側が不利になっていくところですが、アメリカはニューアジアが形成を逆転することができる最終兵器を開発した情報をつかみます。
最近AIはChat GPTなど現実世界で話題になることが多くなりました。
あと十数年でシンギュラリティが訪れるという人もいます。
映画の中でもAI的なもの(ロボットを含め)をテーマにしているものも多く、「ターミネーター」などでは脅威として、「A.I.」などでは人と変わらぬ存在として描かれています。
AIを脅威と見るか、希望と見るかはいろいろ考え方があるかと思いますが、その考え方の違いが、本作で描かれる紛争の対立軸になります。
劇中AIを壊滅する作戦を指揮する軍人ハウエルが人間とAIの関係性をホモ・サピエンスとネアンデルタール人に例えます。
ネアンデルタール人は独自の文化を持ちつつも、新興のホモ・サピエンスに滅ぼされました。
対してニューアジアでは、人間と同じようにAIも分け隔てなく暮らしています。
AIが起動できなくなってしまった時(いわば死んだ時)、それを弔う行為すらします。
彼らにとってはAIは機械ではなく、友人であり家族なのです。
私はこの2極の戦いが南北戦争のようにも見えました。
かつての南北戦争は、黒人を受け入れた社会と受け入れられない社会との戦いだと言えます。
本作では黒人がAIにあたると思います。
この物語の主人公はAIを受け入れる社会と受け入れない社会の狭間にいて、それが黒人であるのは意味深いと感じます。
人間性というのは、今においては人間にしかないものですが、将来もしAIが人間性を手に入れた場合、人はどのように対応するでしょうか。
受け入れられるのか、拒否するのか。
まさに来るべき未来を想像し、描くのがSFであると思います。
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