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2023年11月24日 (金)

「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」正直者な愚か者

公開最終日に観てきました。
非常に評判がいいという話は聞いていたものの、3時間半という尺の長さと重そうなテーマに躊躇していたのです。
しかしそれは全くの杞憂で前評判通りの出来でした。
尺の長さは全く気になることはなく、最後までドラマに引き込まれました。
さすが、マーティン・スコセッシです。
主演のレオナルド・ディカプリオの愚か者っぷりも素晴らしかったですし、ロバート・デ・ニーロも友人ぶった権力者という役柄を巧みに演じていました。
この作品は史実に基づいているということですが、私個人としては全く知らない出来事でした。
時は禁酒法時代で、居留地で石油が見つかったことにより巨万の富を得たインディアンの部族オセージ族の街が舞台になります。
その街では何人ものオセージ族が怪死を遂げていました。
当初この作品はこの事件を捜査する連邦捜査官側から描く予定でしたが、ただのヒーロー映画になり、事件の本質が描けないということでオセージ族側から描くことになったということです。
確かに連邦捜査官側から描くと、同じ時代の「アンタッチャブル」のような作品になってしまったかもしれないですね。
ちょっと脱線しますが、デ・ニーロが理髪店で髭を剃られるシーンがあったり、クロケットのバット(野球のバットではなく)を持ってディカプリオのお尻を叩いたりする場面があって、「アンタッチャブル」へのオマージュかと思ったりもしました。
デ・ニーロがバットを持つとドキッとしてしまいます。
話を元に戻して・・・・
物語が緊張感があるのは、ディカプリオ演じるアーネストが後先を考えることができない愚か者であるからです。
アーネスト自身は自分の欲を制御できない小物で、叔父であるヘイル(ロバート・デ・ニーロ)に命じられるまま悪事に手を出します。
ヘイルはまさに狡猾と言える男で、巧みにインディアン社会に信頼されるようにしつつ、裏では時には(自分の手は汚さず)殺人まで犯しながら彼らから搾取しています。
ヘイルはアーネストがインディアンの娘モリーに好意を持ったことをきっかけに、彼を彼女の一族に食い込ませ、ゆくゆくは彼らの財産を奪うという腹積りです。
しかしアーネスト自身はまさに小物で、ヘイルに圧倒されながら彼の言われたように動きつつ、一方で本当にモリーを愛し、家族を大切にします。
彼は自分の欲に忠実であり、かつ家族を愛する男で、そういう点では、自分の気持ちに素直な正直者と言えると思います。
しかし、彼は救いようのないくらいに愚か者なのです。
アーネストの正直者な愚か者という属性により、彼は始終揺れ動き、その場しのぎの行動をとっていきます。
その行動が物語がどう転んでいくかわからない予断の許さない緊張感を生み出しているような気がします。
彼はやはり金が欲しいという欲望に囚われた悪党になるのか、それとも妻と家族を守る英雄となるのか。
最後まで自分の意思がはっきりせず、誰かに影響を受けるアーネストのダメっぷりを演じたディカプリオの演技は素晴らしい。
いつまでも煮え切らない彼は、結局は金も愛も失います。
またアーネストの妻であるモリーも揺れ動いていました。
彼女自身はアーネストとは全く異なり、思慮深くそして強い意志を持つ女性です。
おそらく自分の体調が日に日に悪くなっていく状況で彼女は、アーネストが何かしら関与しているのではないか、と疑っていたでしょう。
しかしまたアーネストの愛情も本物であるともわかっていました。
だからこそ彼女はアーネストが最後には本当のことを話してくれることを信じて待っていたのでしょう。
自分の命をかけながら。
この対照的な夫婦のそれぞれが持つアンビバレントな気持ちが絡み合い非常な緊張感を生んでいます。
それが3時間半という時間を気にさせないほどのドラマのエネルギーを与えてくれたのだと思います。

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2023年11月19日 (日)

「マーベルズ」素顔のキャプテン・マーベル

アメリカでは興行がイマイチと話題になっています。
理由としてはいわゆる「マーベル疲れ」だったり、キャプテン・マーベル以外の主要キャラクターが配信で登場したキャラクターであって馴染みがないと言われていますが、定かではありません。
そのような状況はあるにせよ、個人的には作品としてはよく仕上がっているかと思います。
私は少なくとも「クアントマニア」よりは楽しめました。
最近のマーベル作品は長尺になる傾向が強いですが、本作は尺そのものが短いということで編集自体も小気味よく、さらにはキャプテン・マーベル、モニカ・ランボー、ミズ・マーベルが能力を使うと入れ替わってしまうというギミックが、作品のテンポをあげています。
入れ替わりは映像的には今までにはないものですし、見ていて面白い(撮影は大変だったと思いますが)。
最近のマーベルはMCU自体が複雑化しているため、ややこしくなり敷居が上がっている傾向がありますが、本作はキャラクターのことをよく知らなくても、このいい意味でのライトな感じでとても見やすいものになっているように思いました。
そしてそのような小気味良さだけではなく、ドラマ的にもキャプテン・マーベルへの掘り下げがあり、興味深く思いました。
キャプテン・マーベルはアベンジャーズの中でも最強と言われ、向かう所敵なし、という存在でした。
しかしそのためかキャラクターとしては、孤高でありとっつきにくい印象もありました。
アベンジャーズのヒーローたちは、トニー・スタークにしても完璧な人間ではなく、その至らなさ自体がキャラクターの魅力となっていました。
キャプテン・マーベルはその至らなさがなく、完璧すぎて隙がない印象がありました。
しかし、本作では彼女のプライベート空間も描かれますし、さらには彼女はずっとしかめ面をしている印象があります。
完璧に見えていた彼女にも、心の中に負目があり、果たせなかった責任に対する後悔があることを我々は知ります。
キャプテン・マーベルは最強であるにも関わらず、地球を離れている期間が長く、なぜ彼女は地球の数々の危機に戻ってこなかったのか、という疑問が今までもありました。
しかし、その理由が本作で明らかになります。
それは彼女が我々が思うほどに完璧ではなく、彼女が自分自身を責めていることがあるということでした。
そしてそれを誰とも共有できず、孤独でいるしかなかったことを。
キャプテン・マーベルが実の姪のように可愛がっていたモニカ・ランボーは彼女の不在を責めます。
彼女自身も自分の不在の中で母親を失い、その悲しみに暮れている時、誰もそばにはいませんでした。
頼りにしたかった、キャロルおばさんも。
しかし、モニカもキャロルおばさんも完璧ではなく、孤独に苦しんてきたことを知ります。
そして、キャプテン・マーベルをヒーローとして崇めてきたミズ・マーベルことカマラも、ただの偶像ではなく生身の人間としてのキャロルを知ります。
彼女らはアクシデントによりチームアップしなくてはいけなくなりますが、それによってそれぞれを悩みを持つ個人として認識し、それを受け入れ本当のチームとなっていきます。
しかめ面をしていたキャプテン・マーベルの表情が次第に柔らかくなっていくのが良いですね。
こんなにチャーミングな女性だったのかと改めて発見があります。
テンポも良くてキャラクターも魅力がある。
最近のマーベル作品の中でも好印象の作品です。
<ここからは未見の方は見ないでください>
さて、話題のおまけ映像についてです。
まず一つ目のケイトの登場。
フェイズ4で新しい若いキャラクターが登場するようになってきて、いずれヤング・アベンジャーズが結成されるのではと噂されていましたが、今回のこの映像で決定的になったかと思います。
登場はしてませんが、アントマンの娘=キャシー・ラングの名前も出ていたので、この三人は組むのでしょうね。
あとはアメリカ・チャベスは入るでしょう。
これだと女子ばっかりで「チャーリーズ・エンジェル」のようですが・・・・
男子は加わらないのかな。
楽しみにしたいと思います。
二つ目ですが、これはちょっと見ていて声を出してしまいました。
モニカ・ランボーは本作のラストで別の世界へ行くことになってしまいます。
そこで登場したのが、「X-MEN」のビーストです。
それも演じたのは「X-MEN:ファイナル ディシジョン」でビーストを演じたケルシー・グラマー。
チャールズという名前をビーストは口にしていましたが、これはもちろんプロフェッサーXのことでしょう。
MCUへのX-MENの合流はどのような形になるかと論議になっていましたが、別のユニバースなんでしょうか。
「マーベルズ」に続くMCUの映画は「デットプール3」で、そちらにはウルヴァリンが登場するのは決定しています。
それともリンクするのでしょうか。
こちらも気になります。

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2023年11月 7日 (火)

「北極百貨店のコンシェルジュさん」欲望の反対側にある場所

絵本のようなシンプルなタッチでほのぼのとした印象のアニメーションです。
最近のアニメーションとは異なっていて、こういうのもホッとしますね。
舞台となるのは動物向けの百貨店で、主人公はそこの新米コンシェルジュの秋乃。
このデパートでさまざまなエピソードが繰り広げられるわけですが、上映時間は1時間10分。
最近の映画の中では異例の短さですが、そのように感じさせないほどエピソードは密度がありました。
本作はジャンルで言えばお仕事ムービーで、新米コンシェルジュの秋乃が次第に成長していく様を微笑ましく見ることができます。
秋乃は色々つまづいて落ち込むことはあるけれど、基本的に仕事には前向きで一生懸命。
彼女がお客様を思う気持ちは本物で、彼女の頑張りを見ていると自分も仕事を頑張らなきゃという気持ちにさせてくれます。
同僚のコンシェルジュたちの仕事っぷりも見事で、まさにプロという感じ。
仕事に前向きに挑む気持ちにさせてくれる良作です。
絶滅した動物のための百貨店ということで本作はファンタジーではありますが、なぜこのような設定なのだろう?と途中で思いました。
しかし、その答えは終盤にありました。
この百貨店のオーナーが「ここは欲望の反対側にある場所」というようなことを言っていました。
本作で幸せそうに買い物をする動物たちは全て人間に絶滅させられました。
人の欲によって滅ぼされたのです。
そしてデパートという場所は、欲しいものがなんでも手に入る、欲望が叶うところです。
我欲で動物たちを滅ぼしてしまった人間が、絶滅した動物たちのために奉仕するのが、北極百貨店。
けっこうなアイロニーではあります。
物語の中でカスハラ的なお客様に困らせられるエピソードがあります。
経験の浅い秋乃は土下座をして場を納めようとしますが、ベテランのコンシェルジュは毅然とした対応をします。
お客としてリスペクトしながらも、他の人の幸せな気持ちまで奪うことは認められない。
我欲ではなく、皆が幸せな気持ちになることを大切にする。
本当はそうあるべきで、そうであれば世界はもっと平和なのだよな、と思いました。

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2023年11月 5日 (日)

「ゴジラ-1.0」「シン・ゴジラ」とは逆のアプローチ

「シン・ゴジラ」が大ヒットし、アメリカでもモンスターバースのゴジラが活躍する中、東宝がゴジラ70周年の節目に送り出したのが、「ゴジラ-1.0」です。
公開開始日を初代の公開日と合わせてきていますが、本作は1作目をかなり意識した作りになっています。
舞台となるのは戦後間もない日本。
太平洋戦争の爪痕がまだ癒しきれていない日本に、再びゴジラという災厄が襲いかかります。
日本においては大ヒットした「シン・ゴジラ」の後ですので、違いを出すことに製作者サイドも色々考えたことでしょう。
その一つが時代を現代にはしないということだったのであったのかと思います。
しかし「シン・ゴジラ」と本作は作家性の違いも大きく表れていたかと思います。
庵野監督の「シン・ゴジラ」は現代に巨大怪獣が現れた時、国はどういう対応をするのかというシミュレーション映画という趣が強い印象です。
描かれているのは、基本的に政府機関側の視点で、登場人物の職務を遂行している姿を描いているので、基本的にはドライです。
これは「シン・ウルトラマン」にも「シン・仮面ライダー」にも共通する庵野監督の特徴で、登場人物たちの深い人間性のような表現はオミットされているのです。
対して本作のメガホンをとった山崎貴監督はどちらかというと人の情緒を描くことに重きを置いているように思います。
「泣ける」部分を用意してくるようなところもあり、それはややもするとやりすぎて、鼻をつくところもありますが、VFXを多く使うことがある彼の作品の中で、その情緒はバランスをとるのに、機能しているように思います。
本作でも中心となるのは、元特攻隊員である敷島であり、彼が戦中に心に負った深い傷で彼は苦しみ続けます。
生き残ってしまったという負目は彼を責め続け、彼は目の前の幸せに手を伸ばすことができません。
この辺りの神木隆之介さんの演技は真に迫るものがありました。
特に最愛の人を失っなったことにより、ゴジラに対して敵愾心を燃やす姿は、柔和そうな神木さんであるからこそ、その鬼気迫る表情に新境地を見ました。
山崎監督は「永遠の0」「アルキメデスの大戦」でも太平洋戦争を扱っています。
「アルキメデスの大戦」は戦争に向かおうとする時代の話、「永遠の0」は戦争最中の話、そして本作は戦後ということで、彼の太平洋戦争3部作とも位置付けられるかもしれません。
山崎監督特有のやりすぎな部分があるとすれば、最終盤のある人物の再登場でしょうか。
物語的にはハッピーエンドでいいのですが、敷島の心情を考えるとちょっと拍子抜け感もありました。
ゴジラを中心としたVFXも見応えありました。
個人的な好みで言えば、ちょっと下半身のボリュームが多すぎのようにも感じましたが、人間性のかけらも感じさせない禍々しさを感じます。
背中のヒレがガチャンガチャンとロック解除していくような熱線発射のシークエンスはケレン味があってよかったです。
このシークエンス、意味があるのかなと思いつつ、これがないと敷島がとる行動のタイミング合わせがとっても難しくなるので、物語的には必要なのですよね。
最後の作戦は民間主体で展開されるというのも「シン・ゴジラ」とは真逆のアプローチであると思います。
彼らが展開させる作戦は流石にオキシジェンデストロイヤーのようなものではありませんでしたが、視覚的には似たようなところをついていて、第1作目へのオマージュも感じました。
「シン・ゴジラ」の対策チームは職務としてプロとして対ゴジラ戦に挑みますが、本作では彼らは自分たちが守りたい者のために戦います。
彼らはボランティアなんですよね。
「官」ではなく「民」。
人間としてゴジラに戦いを挑む人々を描いた作品です。

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2023年11月 3日 (金)

「ザ・クリエイター/創造者」受け入れるか、拒否するか

時は未来。
AIを禁じているアメリカを中心とした西側諸国と、AIと共生しているニューアジア諸国との戦いが激しさを増してきたとき。
アメリカは低軌道で地球を周回する「ノマド」という超兵器を作り、ニューアジアのAIの研究施設を直接攻撃をして破壊していきます。
対してニューアジア諸国は、人間とAIが一緒になったゲリラ部隊が戦いを仕掛けるしかありません。
次第に形勢はニューアジア側が不利になっていくところですが、アメリカはニューアジアが形成を逆転することができる最終兵器を開発した情報をつかみます。
最近AIはChat GPTなど現実世界で話題になることが多くなりました。
あと十数年でシンギュラリティが訪れるという人もいます。
映画の中でもAI的なもの(ロボットを含め)をテーマにしているものも多く、「ターミネーター」などでは脅威として、「A.I.」などでは人と変わらぬ存在として描かれています。
AIを脅威と見るか、希望と見るかはいろいろ考え方があるかと思いますが、その考え方の違いが、本作で描かれる紛争の対立軸になります。
劇中AIを壊滅する作戦を指揮する軍人ハウエルが人間とAIの関係性をホモ・サピエンスとネアンデルタール人に例えます。
ネアンデルタール人は独自の文化を持ちつつも、新興のホモ・サピエンスに滅ぼされました。
対してニューアジアでは、人間と同じようにAIも分け隔てなく暮らしています。
AIが起動できなくなってしまった時(いわば死んだ時)、それを弔う行為すらします。
彼らにとってはAIは機械ではなく、友人であり家族なのです。
私はこの2極の戦いが南北戦争のようにも見えました。
かつての南北戦争は、黒人を受け入れた社会と受け入れられない社会との戦いだと言えます。
本作では黒人がAIにあたると思います。
この物語の主人公はAIを受け入れる社会と受け入れない社会の狭間にいて、それが黒人であるのは意味深いと感じます。
人間性というのは、今においては人間にしかないものですが、将来もしAIが人間性を手に入れた場合、人はどのように対応するでしょうか。
受け入れられるのか、拒否するのか。
まさに来るべき未来を想像し、描くのがSFであると思います。

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