「バービー」自分らしく生きる
オープニングでいきなり「2001年宇宙の旅」のパロディだったので驚きました。
有名なこのシーンはモノリスが影響を与えることにより、人類が類人猿から進化したことを表しています。
獲物の骨で遊んでいる間に、それを「道具」として扱うことに目覚め、放り投げた骨が宇宙船にオーバーラップしていく場面は映画史に残る名シーンです。
本作においては、無心に人形でおままごとをして遊ぶ少女たちが、それらの人形を「2001年」の類人猿の骨のように叩き壊すというパロディになっています。
おままごとというのは、赤ちゃんをお世話をする母親をロールプレイしている遊びともいえます。
人としてはこの行為は自然ではあるのですが、人形遊びの人形を与えるということは、子供に良き母親になるようにという役割を与えているともいえます。
現代は様々な生き方があり、多様な価値があるというコンセンサスがあり、ステレオタイプは役割期待は押し付けになります。
少女たちがこの押し付けの役割期待を破壊し、新たな生き方を見つけ出すということを象徴しているこのシーンは極めて現代的です。
そのような彼女らに影響を与えているのは、なんとバービー。
これらはバービーという人形のコンセプトを表しています。
かつてのバービーは理想的な白人女性のアイコンのような存在でしたが、現在のバービーは様々な人種のバージョンがあり、また彼女たちはいろいろな職業のバージョンがあります。
「何にでもなれる」というのがコンセプトで、女性たちの多様性のある価値観、生き方を認めるものとなっています。
このような価値観で作られているバービーランドは、バービーたちにとって理想の国です。
彼女は自分の好きなこと、やりたいことを自由に選択し、生きています。
女性が解放されている世界です。
バービーには彼女の彼氏という立場でケンという人形がいます。
彼は実は何者ではなく、バービーの彼氏という立場しかありません。
彼はそれに疑問を持たず、バービーと一緒にいることだけで幸せを感じていました。
この価値観は何かを感じさせませんか。
これはかつて女性に押し付けられていた価値観です。
よき妻であれ、よき母親であれ。
ケンに押し付けられたのは、よき彼氏であれです。
ケンはバービーと共にリアル世界に行き、まだ男性至上主義が罷り通っている世界を見、衝撃を受けます。
自分が何ものであるのかという疑問を初めて持ったのです。
これはかつて女性が相対した疑問です。
現実世界で、女性登用を進めようという流れがありますが、女性というだけで優遇されるという状態も起こっている時があります。
これは本来的には問題の捉え方として間違っていて、女性だから男性だからというのを抜きにして、その人だからということを評価するべきであるのです。
ケンがバービーたちに叩きつけたのは、女性の楽園が全ての人にとっての楽園ではなかったということです。
かつて女性ばかりがステレオタイプな役割を押し付けられていました。
それが次第に改善されつつあるものの、まだまだ道途上であることも確かです。
しかし、究極的に目指すべきなのは、女性であろうと男性であろうと関係なく自分らしく生きられる世界です。
非常にセンシティブで議論を呼ぶ話題ですが、それをユニークな世界観とコメディタッチで、ソフトにくるみつつ、しかしエッジは効かせて、うまく表現した作品であると思いました。
バランス感覚がしっかりしていないと崩壊しそうな恐れもありますが、非常に巧みにまとめられていたと思います。
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