「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」スパイダーマンが背負うもの
MCUにしてもDCUにしても最近はマルチバース化しているのが、先鞭をつけたのが前作「スパイダーマン:スパイダーバース」。
アニメーションの強みを生かし、異なるユニバースのスパイダーマンを作画の手法を変えて表現するという斬新な方法で表現して、大きなインパクトを与えました。
原作のコミックでは描かれていたものの、そもそも無数のマルチバースに存在するスパイダーマンが登場するというアイデア自体がとても新鮮でした。
前作はマイルズのユニバースに他の世界のユニバースのスパイダーズたちが訪れるという設定で、キャラクターのタッチのみで他世界感を描いていました。
本作では他のユニバースにも舞台が映っていきますが、背景そのものもその世界らしいタッチになっています。
後で書きますが、グウェンの世界も描かれますが、そのタッチはコミックの表紙のタッチに合わせられています。
この辺りも前作からグレードアップされていますね。
前作でマルチバースの扉を閉じたため、主人公のマイルズは自分のユニバースにおいて平和を守るために人知れず戦っています。
しかし、それは孤独な戦いでもあります。
彼の脳裏に横切るのはその思いを共有できる仲間、他のユニバースのグウェンをはじめとするスパイダーズのことでした。
そのグウェンは本作において準主人公と言ってもいい扱いになっています。
物語の冒頭、彼女が背負うことになる運命が描かれます。
前作を見た後に興味が出て、スパイダー・グウェンの原作コミックを読みましたが、ほぼ同じ展開でした。
彼女も放射能グモに噛まれて特殊能力を得ます。
彼女の世界にもピーターはいて、彼はいじめに苦しんだ末に自身が開発した薬によりリザードマンになってしまいます。
グウェンはリザードマンを倒しますが、それが大切なピーターであったことを知り、ショックを受けます。
そして警官でもある父にピーター殺しの犯人として追われることになってしまうのです。
それが彼女の背負った運命。
大切な人を救うか、多くの人々を救うかという二択を迫られ、結果大切な人を失い、本当の責務に目覚めるというのが、多くのスパイダーマンの物語で語られてきたポイントです。
そのことが本作では「カノン・イベント」と呼ばれキーとなります。
「ザ・フラッシュ」の記事でも書きましたが、多様性のあるマルチバースの中でも唯一どの世界でも起こるとされるイベントとなります。
そしてこのイベントが起こらない世界では、世界そのものが崩壊する危機に見舞われるということなのです。
従来スパイダーマンで大切な人を失うイベントは、スーパーヒーローの責務を自覚するためと位置付けられていました。
それが本作において、世界の存在と対をなすイベントに昇格したのです。
彼らが背負わなければならない責任が一気に重くなります。
スパイダーマンたちが組織するスパイダー・ソサエティはカノン・イベントを守るためのものですが、それはすなわち全てのユニバースを守るためのもの。
しかし、またそれはある人間に一生後悔し続けるような心の傷を与えることになります。
本作冒頭のグウェン、また「アメイジング・スーパーマン」のピーターのように。
主人公の選択が世界存続に直接的に影響を与えるという点で、セカイ系の匂いもしますが、よりスパイダーマンが背負うものが重くなったのは確かです。
マイルズは世界も大切な人も両方救いたいと思い、そのために全スパイダーズに追われることとなります。
そしてまたグウェンも自分の選択に悩みながら、結果マイルズを救おうと決心をします。
二人の若者の決断は世界を破滅させるのか、それとも救うのか。
といったところで物語は終了。
3部作とは聞いてましたが、かなりなクリフハンガーな終了でちょっと驚きました。
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