「怪物」異質なもの
タイトルの「怪物」。
それが意味するものは本作の中でいくつも描かれていますが、何が正常で、何が異常かということを判断するものの見方へ行き着くような気がします。
まず本作はある小学校の春から夏にかけての出来事を大きく三つの視点から描かれています。
いわゆる「羅生門」的視点で、同じ出来事も関係者それぞれの視点から見ると異なる様相を呈するということが描かれています。
最初は、小学5年生の息子、湊の母親の視点です。
彼女を夫を亡くし、女手一つで息子を愛情深く大切に育ててきました。
彼女はある日怪我をしてきた息子から、教師に暴力を振るわれたと聞き、小学校に抗議に訪れます。
しかし、その対応に出てきた教師たちは、空虚な謝罪を繰り返すだけで、事実確認をしているようにも見えません。
彼女の目には彼らは、報道などで時折取り上げられる無責任教師に見えます。
彼女にとって彼らはまるで異常な怪物に見えたかも知れません。
そして二つ目の視点は、教師たちからの視点です。
湊の母親に体罰を加えたと指摘された担任教師保利は、奇妙なこだわりがあるタイプとはいえ、子供たちを思う教師のように見えます。
保利は体罰を与えるようなタイプの教師ではなく、それを周囲の教師も理解しています。
そして保利は湊が同級生の依里をいじめているということも聞きました。
そこに息子のことで抗議に現れ、教師たちを責め立てる湊の母親は、彼らにとってはモンスターペアレンツのように認識されたのでしょう。
彼らの視点からすれば母親の方が怪物なのです。
三番目の視点は、物語の中心にいる湊そして依里のものになります。
彼らの視点により、いかに親も教師も彼らのことを見れていないかが明らかになります。
彼らは秘密を抱えており、そのため彼らの行動は大人たちからは理解できないこともあります。
理解できないというところで、大人たちにとって子どもたちは怪物的なのです。
人は自分の価値観でものを見たいように見ます。
理解できないものは異質なものとして、理解の外におこうとします。
理解できないもの=怪物なのです。
他にも別の次元で恐ろしい怪物もさりげなく描かれています。
それは噂です。
映画の冒頭は火事のシーンから始まります。
それは地元のガールズバーが燃えたものなのですが、保利がそこに通っていたという噂が立ちます。
実際は火事になった時間に現場近くを彼女と一緒に通りかかったのを、生徒たちに目撃されただけなのですが、いつの間にかそれが事実のように人の口に上がっているのです。
湊の母親もその噂を知り、そのことで保利のことを責めるのです。
また、舞台となる小学校の校長の孫が事故により亡くなったという事実が語られます。
彼女の夫が車庫入れの時に誤って孫を轢いてしまったということです。
そのことにショックを受け、彼女はしばらく学校を休むのですが、これもうわさで実際に轢いたのは、校長なのではないかという話がまことしやかに語られます。
それを聞いた保利は、自分を人身御供のようにして切り捨てた校長を、そのうわさで責めるのです。
真実かどうかはわからずともうわさ自体がいつの間にか事実のように振る舞い始める。
それも一つの怪物と言っていいかもしれません。
そしてもう一つの怪物です。
<ここからネタバレあります>
湊は同級生の依里に惹かれています。
男子なのに女の子っぽい依里は学校でも同級生のいじめの対象となっており、また家に帰れば彼の普通でないところに気づいている父親に虐待をされています。
最初は同情心のようなものだったのかもしれません。
しかし、湊は次第にそれが同情心や友情といったものではないことに気づき始め、自分自身でも混乱をし始めます。
自分は男なのに、男の子を好きになるなんておかしいんじゃないかと。
ここは配役も絶妙で、湊を演じている子は背も高く声変わりもしていて年齢よりもちょっと大人びて見えます。
逆に依里の方は、年齢よりも多少幼く、そして顔つきも女の子のような綺麗な顔をしています。
湊は自分がおかしいのではないかと苦しみますが、それは大人たち、というより社会が当たり前としている強固な固定概念が原因です。
なんら悪気はなく、大人たち(そして子供たちも)固定概念前提で話をします。
湊の母親は、父親を亡くしてしまった負目からか、お父さんのようになって、幸せになってほしいといいます。
お父さんは逞しいラガーマンだったようでうs。
それは本心から言っているのでしょう。
湊と依里が学校で揉めた時、教師の保利は「男らしく握手をしよう」と言います。
しかし、彼らは「男らしい」という固定概念で苦しんでいることに気づきません。
見た目は湊が大人っぽく、依里が幼いのですが、おそらく依里の方が自分自身のことに気づいたのが早かったのか、戸惑う湊に対して、とても大人びても見えます。
湊にとっては自分の中に湧き上がっている知らない感情そのものが、自分にとっての異質なもの=怪物のように感じ、それに支配されることの恐怖を感じたのでしょう。
そのほか細かいところでは、猫の死体のことを保利に報告するの湊の同級生の女の子がいます。
あまり細かく描写はされていないのですが、彼女はおそらく湊に気があるのですが、湊が依里に惹かれていることにも薄々気がついているのではないでしょうか。
そのことは彼女には理解できず、教師に湊の異常さを訴えるように猫のことを話したように思います。
長々と書いてきましたが、本作で描かれる「怪物」とは、自分の価値観とは異なるものに対して理解できないことの恐怖なのかもしれません。
敵は理解できる。
理解できれば対応できる。
しかし、理解できないものに対してはどう対応していいかわからない。
それが恐怖となり、相手を怪物視してしまう。
台風の嵐を越え、湊と依里は二人で青空の下をかけていきます。
湊は自分自身の中の異質なものを受け入れられたのかもしれません。
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