「TAR/ター」権力の誘惑
ケイト・ブランシェット演じる主人公リディア・ターはベルリンフィルハーモニー初の女性指揮者です。
彼女は音楽に対しての深い理解と、その表現において卓越した才能があり、輝かしい経歴を持っています。
そして世界有数のオーケストラの首席指揮者として絶大なる権力を持っています。
彼女自身はその地位は自分の才能に対して相応しいものであるという強い自負を持ちつつも、いつかそこから転落するかもしれないという恐怖感が彼女を苛みます。
自分が理解した通りに音楽を奏でたいという点において、彼女は強欲であり、支配的でもあります。
彼女は音楽にのみ忠実なのです。
そして、彼女はその権力をオーケストラという場だけなく、周囲にも振るうようになっていきます。
長年勤め上げていた副指揮者も彼女の思惑で首にし、長年サポートしていた助手には人参をぶら下げながら献身を求めます。
彼女の周囲も彼女の振る舞いに気付きながらも、それを見て見ぬふりをしていたようにも見えます。
史上初の女性指揮者という看板は興行的にも有利ということもあるでしょう。
彼女に逆らったら居場所がなくなるという恐怖もあるでしょう。
周囲のそのような態度はターが自分の行動が許されるものであると思い込んでいくことにつながっていったかもしれません。
そして教え子であった若手音楽家へセクシャルハラスメントを行い、挙句その若手は自殺をしてしまいます。
そのような出来事により、次第に彼女は精神的に追い込まれていきます。
ストーリーに挟み込まれてくるターの隣人のエピソードがあります。
その隣人は実の母親を椅子に縛り付けて虐待し、挙げ句の果てに殺してしまいます。
それに対してターは激しく嫌悪感を抱きますが、実のところ彼女が周囲に対してやっていることもさほど変わりがありません。
現在の座を約束する代わりに、彼女が思うままにコントロールしようとするわけですから。
本作は権力というものが持つ恐ろしさ、そこに座った者をいかに変えていってしまうかということを描いています。
非常に本作がユニークな点は、今まで権力というものは男性的なものとして描かれることが多かったのですが、女性が権力に溺れてしまうところを描いている点です。
つまり、権力というものは男性であっても、女性であっても、溺れる可能性があるものであるということです。
ターの物言いは女性らしく柔らかいものでありつつも、そこには有無を言わさぬ調子があります。
それこそが権力であり、それに溺れた者は無意識にそれを使ってしまうのです。
権力自身は彼女自身も蝕んでいたのでしょうか。
全てを失った彼女が辿り着いた場所で、タクトを振っている姿は原点に立ち返ったような清々しさを感じました。
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