「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」自己肯定
本年度アカデミー賞に最多ノミネートされた本作は、斬新な設定で、色々な要素が詰め込まれています。
まさにカオス。
これをどう消化していいのか考えてしまいます。
マルチバースとカンフーをテーマにしているということだったので、鑑賞する前はSFアクションかと思っていたのですが、これらはメインテーマを描くための設定なのですね。
ではメインテーマは何かというと、これもまた人によって捉え方はあるかと思いますが、私は自己肯定なのかなと思いました。
主人公のエブリンは若い頃に夫と駆け落ちしてアメリカに渡り、今は寂れたクリーニング店の女店主となっています。
店はパッとしないし、役所からは税金に関して呼び出しを受けるし、夫は冴えないし、娘は全く理解できない。
日々懸命に生きてはいるけど何か虚しい、最低の人生だと感じる。
そんなエブリンが税務署を訪れた時、突然夫が別人格のようになり、ある手順を踏むように指示をします。
その指示通りにすると彼女はマルチバースにアクセスし、別世界の夫から世界をカオスに陥れようとする悪ジョブ・トゥパキと戦うよう伝えます。
エブリンがマルチバースにアクセスすると、別ユニバースの彼女の経験・スキルを身につけることができます。
その能力を使い、ジョブ・トゥパキを倒すのです。
別のユニバースのエブリンは、女優であったり、カンフーの達人であったり、腕のいいシェフであったりと様々な能力と地位を持っています。
それに比べ主人公のエブリンは何も持たない。
何もないベースにさまざまな能力をインストールしていく感じでしょうか。
主人公のエブリンは最低ランクのバージョンとも言えます。
一見別ユニバースのエブリンの方が幸福のようにも見えますが、それぞれの彼女にもそれぞれ悩み・苦しみもあります。
女優のエブリンは成功を手にいますが、それは夫になるはずでったウェルモンドと別れたからであり、彼女は成功の代わりに愛を失っています。
指がソーセージの世界の彼女は、主人公エブリンを激しく責める税務官のディアドラと、彼女の世界は恋人となり愛を育みます。
先に書いたようにエブリンはマルチバースにアクセスするとスキルとともに経験もインストールされます。
それにより彼女は様々なバージョンの人生を経験し、自分の人生とそして彼女の周りの人々を俯瞰して様々な視点で見ることができるようになります。
冴えないと思っていた夫は深い優しさで彼女を支えていたこと、厳しい税務官も実は寂しい経験をしていた人であること、そして娘も彼女なりの悩みを持っていたということに気づきます。
そして自分の人生もそれほど悪くないと思います。
自己肯定感です。
そしてもう一人、エブリンの娘、ジョイです。
実は彼女こそが世界の敵であるジョブ・トゥパキです。
彼女が執拗にエブリンを狙ってくる理由がありました。
彼女は幾多のマルチバースにアクセスし、様々なバージョンの自分を経験することにより、自分自身には何もないという感覚になり、虚無感に陥ったように見えます。
本作のマルチバースは現代の我々の周囲にあるインターネットの比喩とも取れます。
インターネット上のSNSを見ると、それこそリア充な発言が飛び交っていて、それを見ているとだんだん自分がつまらない人間だという気分になることもあるかと思います。
本作のジョブ・トゥパキはそれをマルチバースレベルで経験したと言えるかもしれません。
だからこそ、全てを無にしてしまいたいという衝動に駆られているのでしょう。
そんな彼女も実は一人だけ共感を感じている人物がいて、それこそが主人公のエブリンなのです。
彼女もマルチバース上で最低レベルのバージョンで、だからこそ彼女だけが自分と同じような虚無感を感じてくれるとジョブ・トゥパキは思ったのでしょう。
ネタバレになるので詳しくは書かないですが、ラストは多段階で、終わるかと思いきや終わらないという展開になります。
その度ごとにジョブ・トゥパキとエブリンの関係も共感と反発を揺れ動きます。
結果的にはジョブ・トゥパキ自身もエブリンに受け入れられ、救われます。
彼女自身も虚無感から救い出され、自分はそのままで良いという肯定感を得ます。
母親と娘という関係は意外と対立することも多く、それは同性ならでは価値観・人生観の対立とも言えます。
エブリンとジョイ=ジョブ・トゥパキもその価値観の違いから対立をしますが、それぞれに自己肯定感を得て、その結果相手のことも受け入れられるようになったのでしょう。
自己肯定ができなければ、相手の価値観を受け入れる余裕はないですから。
自分が不幸か、不幸じゃないかは、状況・環境ではなく、自分が自分らしく生きていられているという実感があるかどうかなのでしょうね。
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