「仕掛人・藤枝梅安(一)」情を描く
何度か書いていますが、親が時代劇好きだったので、子供の頃からこのジャンルは馴染みが深いのです。
「水戸黄門」や「大岡越前」などは夕方の再放送をよく見ていたので親しみがありますが、「必殺!」シリーズなども好きで小学生の高学年の頃から見てました(今、考えると小学生が見るには色々過激だったような気もしますが)。
最近はテレビでも映画でもこのような時代劇はほとんど絶滅していますが、本作「仕掛人・藤枝梅安」は池波正太郎生誕100周年の記念作品として、制作されました。
「必殺!」シリーズのベースとなった「仕掛人・藤枝梅安」の何度目かの映像化作品になります。
「必殺!」シリーズは「仕掛人」から始まりましたが、独自なエンターテイメント作品として進化していきましたが、本作は原作に近い印象となるかと思います。
「必殺!」シリーズは「仕掛人」から始まりましたが、独自なエンターテイメント作品として進化していきましたが、本作は原作に近い印象となるかと思います。
最近も時代劇作品は時折作られてはいますが、現代的な解釈がされているものが多く、あの頃の時代劇のテイストは失われていルように感じます。
しかし、本作はあの頃の時代劇らしさが味わえるものとなっています。
あの頃の時代劇らしさとはなんでしょうか。
一言で言うと「情」ではないかと思います。
ここで言う「情」とは人の「欲」や「恨み」そして「思いやり」などの人間の感情の根源の方にあるものです。
正でも負でも人間を動かす根源的な動力源のようなもの、これが情ではないでしょうか。
本作は人の「情」を深く描いており、これもかつての時代劇で味わえた感覚です。
池波正太郎が生み出した「仕掛人」という設定は非常によくできたものだと思います。
「水戸黄門」や「大岡越前」は勧善懲悪で、悪をお上が裁くという非常にわかりやすい構造となっていますが、「仕掛人」は違います。
彼らは金をもらって人を殺すことを生業とする者で、常識的には悪人です。
しかし、彼らはお上が裁くことができない悪をなす者を始末してるという点で正義を貫いているとも言えます。
梅安にしても彦次郎にしても仕掛人である己の立場をわきまえていて、だからこそ二人はいつ死ぬかもしれないという思いで生きています。
彼らは悪でありながら善であるという二つの側面を持っていますが、虐げられる者であり、裁く者であるという二つの側面を持っているとも言えます。
梅安も彦次郎も仕掛人として悪を裁いてはいますが、かつては底辺の生活を送っており、そういう意味では虐げられる者でもありました。
「仕掛人」シリーズはそのような両面を持つ立場を持つ者を主人公にしているからこそ、勧善懲悪の構造では描ききれない、虐げられるものの思い、情を深く描写することができているのだと思います。
本作の主要な登場人物であるおみのは、かつて虐げられる者でしたが、今は虐げる者の側になっている点では、梅安とは異なるものの二つの側面を持つ人物と言えるかもしれません。
もしかすると梅安も同じような立場になったかもしれないし、おみのも梅安のようにもなれたかもしれません。
しかしそれは言っても詮無いことで、過去を変えることはできず、己の行ったことは己で背負わなければならない、と梅安は考えています。
梅安はそこに情を差し込むことは決してせず、己がすべきことをする。
しかし、彼の佇まいには無情でありながらも、情を感じることができます。
その情を描き切るのが、時代劇。
時代劇らしさを堪能できた作品でした。
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