« 2022年を振り返って<映画> | トップページ | 「かがみの孤城」戦士の休息所 »

2023年1月 3日 (火)

「ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY」二つの価値観の相剋

2023年最初の映画鑑賞はこちらです。
音楽はほとんど詳しくない割に「ボヘミアン・ラプソディ」「エルヴィス」などミュージシャンを描く作品が好きなんですよね。
彼らの人生は非常に波瀾万丈ですので、物語としてもドラマチックになるのだと思います。
しかし、このような映画を見ると、最高峰に登り詰めたアーティストの多くは、お金の問題やクスリの問題に直面しているものなのだと感じます。
アーティストとして注目されればされるほど一個人としては背負いきれな苦なってくるのかもしれません。
ホイットニー・ヒューストンはデビューの頃から、ジャンルにはとらわれない音楽活動をしてきました。
黒人なのに白人ぽい音楽だという批判は黒人からだと思いますが、これは自らのレッテル貼りですよね。
彼女は若い頃からそのようなレッテルとは無縁の価値観を持っていたようです。
また性的嗜好としても、若い頃は同性愛的な相手がいたことが本作では描かれていますが、彼女は結婚もして子供も授かります。
同性愛者だとか異性愛者であるというようなカテゴリーも彼女には無縁であったのでしょう。
すなわち彼女自身の価値観はとても自由でレッテルやカテゴリーは彼女にとっては意味がなかったのでしょう。
劇中でも彼女のセリフとして「自分らしく」という言葉が発せられますが、まさに彼女の価値観はここにあります。
自分のフィーリングだけで曲を選んでいたというのもここに端を発するのだと思います。
方や、彼女は自分に対する期待、役割を重視する側面もありました。
カトリック信者であったからか、こうあれねばならなぬという価値観から脱せないところもあったようです。
女性として妻として、母として、こうあらねばならぬという価値観がありました。
また両親からは「プリンセス」と呼ばれ、彼らの期待に沿わなければならないというプレッシャーも感じていました。
おそらく「こうあらねばならぬ」という価値観と、「自分らしくある」という価値観が彼女の中で混在し、コンフリクトしていたのかもしれません。
それが彼女の苦しみであったのでしょうか。
晩年は以前の彼女のようなパフォーマンスを期待され、それにそれに応えなければいけないというプレッシャーもあったのでしょう。
これも両親からの期待に応えなければ、という思いに通じるものがあったかと思います。
結局はそれが彼女を追い込んでいったように感じます。
ホイットニーは結局、麻薬との縁を切れずに、そのために入浴中に死亡してしましました。
そしてまた彼女の娘も同じようにドラッグで入浴中に亡くなったようです。

|

« 2022年を振り返って<映画> | トップページ | 「かがみの孤城」戦士の休息所 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 2022年を振り返って<映画> | トップページ | 「かがみの孤城」戦士の休息所 »