« 2022年10月 | トップページ | 2022年12月 »

2022年11月20日 (日)

「奈落のマイホーム」コメディ・ディザスタームービー

「犯罪都市」を見たときに、予告にかかっていた作品でして、それまでは全く予備知識なし。
マンションが住民もろとも巨大な陥没穴(シンクホール)に落下してしまい、そういった極限状況での住民たちのサバイブを描いた映画と見受けました。
マンション丸ごと巨大な穴に落下とは荒唐無稽とは思いましたが、韓国ではシンクホールはこの作品で描かれた程ではないにせよ、割と頻度高く発生しているとのこと。
日本ではあまりシンクホールは発生していませんが、東京で高速道路の地下工事の影響で大きな陥没穴ができたというニュースはありましたね。
予告だけの前情報だったので、見る前は「タワーリング・インフェルノ」的なディザスタームービーかと思っていました。
見始めるとちょっと勝手が違う。
主人公は新築のマンションを購入したサラリーマン。
韓国のソウルはマンションの値上がりがものすごく(前政権でもかなり問題になりました)、普通の人がなかなか手が届かない状況になっています。
ですので、住宅購入は人生の中でもかなり思い切ったイベントとなります。
シンクホールが発生する前の前半パートは割と長めで、主人公の同僚たちや住民たちのやりとりが描かれます。
それはかなりコメディタッチで、クセの強い登場人物たちが笑いと共に丁寧に描かれます。
この時点で私はこれはディザスター映画ではなく、それをネタにしたコメディだったのか、と思い始めていました。
しかし、後半シンクホールが発生してからは、次から次へと発生する問題に対し、住民たちが必死で対応していく様が描かれます。
これはまさにディザスタームービー。
自分勝手であった登場人物たちが、生き延びていくために、次第にその人の本質である善良さ、勇気、思いやりが露わになっていきます。
この手のディザスタームービーでは、人間の悪いところが明らかになっていくパターンが多いですが、その逆であることが新鮮でした。
頼りなさそうな平凡な主人公は息子を助けるために、単身マンションの下層へ進んでいきます。
クセが強かった隣人は、意外にもタフで、自分の身を犠牲にして皆を守ろうとします。
普段の生活からは見えないその人が持っている善良さ・勇気が彼らにパワーを与え、皆が協力してサバイブをしていきます。
前半でコメディ的に住民たちが描写されましたが、それが後半効いてきます。
後半も隙あらば、コメディは入れ込まれており、緊張感と笑いが交互にくるので見ていて飽きません。
思わぬ拾い物の作品でありました。

| | コメント (0)

2022年11月13日 (日)

「ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー」新たなブラックパンサーは2度覚醒する

チャドウィック・ボーズマンの死去を経て、新たなブラックパンサーの物語を始まります。
彼の死後、マーベルは早いタイミングで彼に代役を立てたり、CGで復活させたりという方法は取らないと決めました。
タイトルのヒーローが不在という状況の中で、物語を作るのは非常に難しいというのは想像に難くないですが、制作者たちは見事に感動的なストーリーを紡ぎ出しました。
劇中でもティ・チャラは病気により逝去したという設定になっています。
気高き国王という絶対的な指針を失ったワカンダは悲嘆に暮れ、進むべき道を見いだせません。
特にティ・チャラの妹であるシュリは、彼を救えなかったこと悔やみ、もがき苦しみます。
国王であり、英雄であったティ・チャラを失ったワカンダのヴィブラニウムを狙い、各国は干渉を始めます。
そして新たにヴィブラニウムが発見され、そのことにより海の王国タロカンの存在が浮かび上がってきます。
その王国の王がネイモア。
タロカンの由来も本作で語られますが、攻撃的で自国の利益ばかりを追い求める先進国に関わらないように存在自体を隠してきたという点で、ワカンダと通じるところがあります。
事実、シュリはタロカンを訪れ、ネイモアとも語り、互いに合い通ずるところがあることを確認しています。
しかし、不幸な出来事が重なり、両国は全面的に戦う事態となってしまいます。
<ネタバレあり>
本作ではブラックパンサーを誰が継ぎ、ティ・チャラの意思を継承するかということが最も注目するポイントとなります。
事前予想通りシュリがその座を継承するのですが、彼女が真に兄の思いを継ぐために、自分の中の喪失感、絶望、怒りに整理をつけ、新たなブラックパンサーとして覚醒するかが丁寧に描かれます。
そもそもシュリは現代的な考え方の持ち主で、伝統的なマジカルさよりも、テクノロジーに重きを置いています。
彼女は偉大な兄という存在の傘の下で、自由に生きてこられたともいえ、彼女自身もそういった自覚はあったのではないでしょうか。
彼女はいきなり放り出されてしまった子供のように不安になっていたのかもしれません。
そして兄に加えて、母もネイモアに殺されたことにより、その不条理に対しての怒りが彼女を支配します。
ネイモアはたった一人でワカンダの首都を壊滅させるほどの力の持ち主であるため、彼女は力を求めてブラックパンサーになります。
ワカンダ人がブラックパンサーになるときハート型のハーブを煎じたものを飲みますが、その時先祖の霊と対話し、彼らの意思を継承します。
シュリもその導きを得ますが、その相手がなんとキルモンガーであったのは驚きました。
彼は殺された父の復讐をするために、王座を簒奪し、ブラックパンサーになった男です。
登場した時は驚きましたが、この時点でシュリが対する相手としてはキルモンガーが最も相応しい。
非常によく考えられていると思いました。
シュリは復讐心に囚われてブラックパンサーとなった。
まさにキルモンガーと一緒です。
彼女はネイモアのタロカンに戦いを挑みますが、それはかつてのキルモンガーを彷彿とさせます。
この時点で私は「ブラックパンサー」という物語が、暗黒の方向に進むのではないかと不安になりました。
復讐が成し遂げられても、シュリは救われるのか。
そのような女王に率いられるワカンダはどうなってしまうのか。
ネイモアとの最終対決の際、シュリは瀕死の重傷を負います。
その時、彼女は亡き母の霊と対面します。
そして気高き兄の意志も感じます。
ブラックパンサーの儀式の時、人は一度死に、先祖の魂と触れ、そして復活します。
生まれ変わると言ってもいいでしょう。
シュリは最初にハーブを飲んだ時にキルモンガーと触れ、復讐者として覚醒し、さらにネイモアとの対決で重傷を負った時も死地に踏み込んだのかもしれません。
そこで母の魂と触れ、再び本当のブラックパンサーとして覚醒したのでしょう。
シュリは兄と母の死を、自分の中で整理し、昇華し、真の王として、英雄として生まれ変わりました。
主人公の死という想像以上の出来事を経験しつつも、それを昇華させ素晴らしい物語を紡ぎ出したスタッフに敬意を表したいです。

| | コメント (0)

2022年11月12日 (土)

「すずめの戸締り」場所を慎む物語

廃墟ブームという言葉が何年か前から聞かれるようになってきていた。
かつて人がそこで生活し、働いていた場所が打ち捨てられて朽ちていった場所、それが廃墟。
人はどうして廃墟に惹かれるのだろうか。
それはそこに暮らしていた人々の想いが感じられるからかもしれない。
廃墟になってしまう理由はそれぞれある。
災害によってそこで暮らせなくなったり、産業が成り立たなくなったり、若い人々が土地を離れていってしまったり。
突然である場合も、徐々にの場合もあるだろう。
いずれの場合でも、そこに暮らしてきた人々の想いは確かにあった。
新海誠監督は本作を<場所を慎む物語>にしたかったという。
人が亡くなった場合は、それを弔う儀式がある。
亡くなった人々を自然に返すという儀式を通じ、残された人々も自分の中で整理を行う。
それと同様のことを行うのが本作でヒロイン鈴芽の相手役となる草太が生業とする閉じ師なのだろう。
彼が後ろ戸を封印するときに口にする祝詞がある。
「かけまくもかしこき日不見の神よ
 遠つ御祖の産土よ
 久しく拝領つかまつったこの山河
 かしこみかしこみ
 謹んでお返し申す」
これは自然から預かって人が暮らしてきた土地を自然に返します、ということを述べている。
<場所を慎む>ことにより、土地も喪に服することができるのかもしれない。
人々が暮らし、過去から連綿と続く想いが繋がっていく場所はその想いが土地を鎮めているのだろうか。
その想いが薄まり消えていくところに、みみずは頭をもたげるのだろうか。
本作で唯一、みみずが起きた場所で、寂れていない場所があった。
東京である。
そこで多くの人が暮らすのにも関わらず。
廃墟ではないのにも関わらず。
後ろ戸があったのは、水道橋の地下であった。
これはかつての江戸城の名残だろうか。
東京という街は江戸から明治で、過去からの想いが一度分断されている場所かもしれない。
過去の廃墟の上に東京は作られているのか。
本作は鈴芽が旅する中で人と出会い、土地の想いに触れることより、ようやく本当に母親の喪にふし、前に進むことができるようになる成長の物語である。
彼女も普通の女子高生で、普通に夢を持ち、楽しく暮らしてきていたと思われる。
何か、過去のトラウマに囚われたような少女ではない。
ただ多くの若者がそうであるように、まだ「生きる」ということに特別な思いを持っているわけでもないだろう。
自分もそうだったが、生きているのは当たり前なのだ。
けれど、草太と出会って彼が特別な人となり、それを失う恐怖を感じ、また廃墟にかつて暮らしていた人々の想いも感じた。
旅先で出会う人々のふれあいから、暖かさを感じた。
「生きている」ということは特別である、と鈴芽は学んだのだろう。
最後に再び草太がみみずを封じる時に「人の命が儚いものであるとわかっている。けれどももっと生きたい」と言った。
まさに同じことを鈴芽も思ったのだろう。
鈴芽は母親がそうであったように看護師を見ざしていた。
しかし、旅を経て、その想いはさらに特別なものになったのではないだろうか。

| | コメント (0)

2022年11月 6日 (日)

「犯罪都市 THE ROUNDUP」マ先輩!

マ・ドンソクを初めて知ったのはマーベルの「エターナルズ」にて。
その時は「誰?」という感じでしたが、巨体で厳つい見た目とは異なる優しさとチャーミングさに溢れるキャラクターが、マーベルの中ではかなりドライな作風の中でも癒し的な存在となっていました。
ということで気になっていた俳優であるマ・ドンソク主演のアクション映画を見てきました。
最近韓国映画を見ることがなかったので知らなかったのですが、本作はシリーズの2作めだったのですね。
本作見て気づいたのは冒頭の「エターナルズ」でマ・ドンソクが演じたギルガメッシュのキャラクターは、彼自身のイメージを強く反映したものであったということ。
「犯罪都市」で彼が演じるマ刑事も、腕っぷしは強いが、チャーミングであるという点は同じで、彼のパブリックイメージそのままでした。
しかし、マ刑事は強い。
刃物を振り回す相手に対して、一撃必殺のパンチで勝負。
このパンチが見るからに重そう。
普通だったら不利なはずなのに、全く負ける気がしない。
アクション映画でここまで負ける気がしないのは、全盛期のシュワルツェネッガーくらいではないかな。
映画の中で起こる事件は凄惨そのもので血生臭いのは最近のアジアのアクション映画の潮流と同じ。
私自身はここまで血生臭いのは苦手ではあるけれど、マ・ドンソクのキャラクターがいい具合にバランスを取っているように感じました。
彼が出演している、他の映画も見てみようかな?

| | コメント (0)

2022年11月 2日 (水)

「マイ・ブロークン・マリコ」答えを探す旅

この作品はシイノと親友マリコの遺骨とのロードムービーだ。
二人のお互いの境遇は幼い頃から酷かった。
シイノは強さで戦って、マリコは周囲に合わせることで生きていた。
それでも世界は過酷で、二人はそれぞれの存在だけを頼りにサバイバルをしていた。
「あたしには正直、あんたしかいなかった」
とシイノは言う。
シイノはマリコを救おうとすることで唯一自分が生きている意味を感じていたかもしれない。
マリコは救われることで自分が生きていることを許されたと感じていたのかもしれない。
マリコはシイノに救われても、再びまた危うい境遇に自ら戻っていってしまう。
彼女は常に生きていることを許されたかったかもしれない。
そんなマリコをシイノは鬱陶しいと思いながらも、何度も彼女を救いにいく。
シイノもそこに生きる意味を感じていたのだろうか。
もしかすると二人は共依存の関係性であったのかもしれない。
しかし、突然マリコはシイノに何にも告げずに自殺してしまう。
シイノの心に渦巻いた想いは何か。
一人で逝ってしまった友人への怒り。
救えなかった無念さ。
救えなかったことにより、シイノ自身も自分の存在の意味合いを失いかけたかもしれない。
そんないろいろな想いでグチャグチャになってしまった心を
整理する、落ち着かせるための旅。
結局、シイノはこの旅で答えを出せなかったのかもしれない。
答えを出せなかったから、その答えを探し続けなければならない。
だからシイノは生きていく。

| | コメント (0)

« 2022年10月 | トップページ | 2022年12月 »