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2022年9月22日 (木)

「ブレット・トレイン」 言うことなし!

最高です!
ポップな映像(怪しげな日本含め)、クセの強いキャラクターたち、キレキレのアクション、どれをとっても満足のいくレベルでした。
原作は伊坂幸太郎さんの「マリアビートル」。
日本の漫画をハリウッドで映画化することは時折ありますが、小説は珍しいですよね。
最高の一言で済ますのも乱暴なので、いくつか気に入った点を書きたいと思います。
日本を舞台にしたハリウッド映画の大概は「トンデモ日本」になっていることが多々ありますが、本作もそのような感じです。
「違うでしょー」とツッコミを入れるのも楽しいですし、アメリカ人の日本てこういうイメージなのね、と考えるのもよし。
日本ていうとネオンのイメージが強いのですかね。
あれだけビカビカ光ってるのは、実際は歌舞伎町か秋葉原くらいかと思ったりもするのですが、外国人にとって印象が強い街なのでしょうね。
これがリアルな日本の街だとこの作品のぶっとんだ感じが出ないようにも思えるので、このような表現ももしかしたら計算づくかもしれません。
ある種のファンタジーの中の日本と言いましょうか。
監督はデヴィット・リーチで「ジョン・ウィック」なども手がけた監督です。
「ジョン・ウィック」も光と闇をうまく使ったスタイリッシュな映像でしたので、映像のトーンの表現が上手な監督な印象を持っています。
リーチ監督の話が出たので、その話を。
元々はスタントマンだったそうで、本作主演のブラット・ピットのボディダブルも務めていたとか。
ですのでアクション表現に関しては非常に凝っていて独特のセンスが光ります。
アングルなども意外なところも狙ってきますので面白いですし、シリアスなアクションでありながらも、意表をついたトリッキーなこともしてくるので、見ていて飽きません。
アクションをどういうふうに見せるかということを熟知しているのだと思います。
キャラクターに関しても見事でしたね。
ブラット・ピットが演じる主人公レディバグ(てんとう虫の意)は典型的な巻き込まれキャラ。
いつもブラットが演じる役とはちょっと違っていますが、新たな境地でもいい味を出していました。
彼に鞄を奪われてしまった兄弟の殺し屋もいい味を出していました。
二人の掛け合いも楽しめましたし、ただのおバカ兄弟かと思っていたら、最後はホロリとさせてくれたり。
真田広之さんはさすがの存在感で、刀を使ったアクションはまさに切れ味が良かったです。
本作にはサンドラ・ブロックとチャニング・テイタムがちらりと出演していますが、これは先に公開された「ザ・ロストシティ」にブラット・ピットが客演したので、その代わりに出演したそうです。
サンドラに関しては事前に聞いていましたが、チャニング・テイタムも出ていたのは驚きました。

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2022年9月18日 (日)

「異動辞令は音楽隊」二重においしい

昭和の鬼刑事を地でいく成瀬は、前時代的な強引な捜査方法のためコンプラ違反で、警察音楽隊に異動させられます。
タイトルにある音楽隊とは、警察音楽隊のことです。
この隊に属するメンバーは当然のことながら警察官で、それぞれ職務を持ちながらも、音楽隊の演奏者でもあり、二足の草鞋を履いています。
本作も音楽を主テーマとしながらも、サブテーマとしては警察の事件を描いていて、そのバランスが非常に巧みで、厚みのあるストーリーとなっています。
おそらく音楽だけをテーマにすると、どこかで見たような作品となってしまったかもしれませんが、サブテーマを織り込むことにより、オリジナリティが出たように感じました。
まず主テーマの音楽についてです。
成瀬は昔の刑事らしく、組織捜査というより、自分の足とカンで操作するタイプです。
時折、現在ではコンプラ的に許されないこともしますが、彼なりに犯罪者を許さないという信念に基づいて行動しています。
ただ現代においては、組織においても、家庭においても彼のような考えは受け入れられにくく、その両方で彼はその立場を失ってしまいます。
人間50歳になって自分の中の価値観を変更しなくてはいけなくなるということは、非常に苦しい物です。
彼はそれぞれの個が最強であれば、その組織は当然最強になるという足し算の考え方です。
しかし、音楽は足し算ではなく、掛け算なのかもしれません。
組織がうまくいっていない状態のことを不協和音と言いますが、これも音楽用語ですよね。
これはそれぞれが1以下のパフォーマンスの時、掛け算でさらに悪くなってしまうことを表していると思います。
一時期の音楽隊もこのような状況であったことも描かれます。
音楽隊の同僚である来島は「音をミスっても周りがカバーすればいいじゃないですか」と言います。
音楽はメンバー皆で作り上げるもの。
次第に成瀬もそこに共感し、今まで感じてなかった充実感を感じるようになります。
そして今までの自分を見直すことができるようになりました。
音楽映画というのは最後に皆の意識が一致して最高の演奏ができたところに見ているものもカタルシスを感じることができます。
本作もまさに王道の音楽映画の展開でした。
もう一つサブテーマの方ですが、こちらは現代を表している特殊詐欺を扱っていました。
老人ばかりを狙う悪質な犯罪は許しがたく、本作のような音楽映画のトーンとはかなり違っているようにも思えましたが、それが本作の個性になっていたと思います。
誰がこの事件の犯人なのか、警察はその犯人を捕まえることはできるのか、それがサブテーマになります。
音楽隊のファンである老婦人がその詐欺の被害者となってしまうということで、主テーマとサブテーマが結び付きます。
終盤で音楽隊のメンバーが警察官として犯人を逮捕するところに警察ものとしてのカタルシスがありました。
本作は音楽ものとして、警察者として二カタルシスを感じられる二重においしい作品であると思います。

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2022年9月17日 (土)

「アキラとあきら」味わうカタルシス

池井戸潤さんの作品は映像化されていずれもヒットしていますが、本作「アキラとあきら」もその中に加わりますでしょうか。
池井戸さんの作品は読んでいても、見ていても止まらなくなるストーリー展開が共通していますが、やはり最後にカタルシスがあるのですよね。
そこが最も読者・観客を惹きつけるポイントだと思います。
本作においても、全く違う個性の瑛と彬が最初は対立しつつも、お互いに認め合い、最後は協力して難局を乗り越えるという展開が大いにカタルシスを与えてくれます。
ライバル同士が認め合い、協力するという展開は少年漫画によくあるものですが、やはり王道というか見ていても引き込まれるものがありますね。
瑛は幼い頃の経験から、銀行マンになっても情を重んじようとします。
銀行は金を貸し、利益を得るという商売ですが、それ以上にお金を貸すことによって人々の事業が拡大する手助けをして、皆を幸せにしたいと考えています。
業績重視の上司からは甘い、と言われますが、それでも彼はブレない信念を持っています。
方や彬は大企業の御曹司でありながら、一族のしがらみを疎い、銀行に就職します。
すなわち彼は情から、数字だけが物を言う世界に逃げ込んだのです。
そのためか彼は非常に冷徹に見えますが、自分の中にある情を無くしたわけではありません。
違う個性ながらも二人のあきらは、次第にお互いを認め合います。
そして後半に起こる大きな局面に二人は協力して挑みます。
冷徹な数字や戦略だけではなく、情、思いとが結果的には重要となり、関係者の気持ちを動かします。
確かに仕事において精緻な戦略・戦術はもちろん重要ですが、それだけでうまくいくとは限りません。
関わる人の気持ちがそこにうまく向かっていかなければ成功はおぼつきません。
情や思いといった感情的な要素も重要なのです。
この思いというものを描くのが池井戸さんは非常にうまく、それが冒頭に言ったカタルシスにつながっていくのだと思います。

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2022年9月 4日 (日)

「バイオレンスアクション」日常と非日常のギャップ

殺し屋というのは普通に生活していると縁がない職業な訳で、だからこそフィクションで描く職業(?)としては魅力的です。
非日常が日常と接着した時のそのギャップから物語を作ることができます。
岡田准一さん「ザ・ファブル」などはその好例で、日常とは無縁に生きてきた殺し屋が、普通の生活を送るというところにドラマが生まれます。
本作の主人公は腕利きの女殺し屋ケイ。
しかし彼女は簿記の専門学校に通い、資格を取ることを夢に持っています。
「ザ・ファブル」と同様のギャップが設定されています。
なので、面白いドラマが生まれるかと思ったのですが、そうでもない。
どうしてかよくわからなかったのですが、非日常と日常が化学反応を起こせなかった感じがしました。
「ザ・ファブル」の場合は非日常であるのは主人公アキラだけで、それ以外の登場人物や状況はリアリティがあるように描かれています。
だからこそギャップが生じ、ドラマが生まれます。
本作はケイ自身はギャップがあるものの、それ以外の設定(殺しの請負がラーメン屋、ヅラの運転手、ハイテンションなヤクザの親分など)が極めてフィクション的であって、つまりは非日常的であるため、ギャップが感じられない。
どちらかというとフィクションの世界観の中でおかしな連中が出てきてワイワイやっている福田雄一監督的な感じを受けました。
福田雄一監督の作品は苦手なのですが、あそこまで振り切れてもいないという中途半端な印象です。
タイトルにアクションとあるので、その辺りも期待してしまったのですが、厳しいものがあります。
オープニングの半グレ集団とのバトルはそこそこ迫力はありましたが、早いカット割と吹き替えでなんとかスピード感のあるアクションにしようとしている感じです。
アクション映画的にも物足りなさを感じました。
最後に、偶然にも「ザ・ファブル」と本作には佐藤二郎さんが出演していますが、この役者さんは使い所が難しいなと思いました。
クセがある役者さんなので、使い所を間違えると一気にドラマが嘘くさくなってしまいます。
福田雄一さん作品などはそういうところがマッチしていて、多用されているのはわかります。
「ザ・ファブル」はクセは出していますが、つまらない親父ギャグを飛ばす中年男という役割を演じているので、リアリティなのですね。
本作のヤクザの親分はリアリティなのかフィクションなのかがどっちつかずな感じがしていて、それが作品の中途半端さと共通した印象を感じます。
そう考えてみると、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、非常に上手に佐藤二郎さんを使っているなと思います。

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2022年9月 3日 (土)

「TANG タング」親は子供によって育てられる

主人公の健は子供のまま成長を止めてしまったようなところがあります。
不幸な出来事があり、社会に出て、そして大人として責任を背負うことに恐れを持ってしまったのかもしれません。
弁護士の奥さんに収入の面でも、その他のことについてもおんぶに抱っこ。
奥さんからすれば、彼は夫ではなく、手のかかる子供のようであったのでしょう。
そんな健のところに突然現れたTANG。
記憶を失ったこのロボットは生まれたばかりの赤ちゃんのよう。
健と旅を続ける中で、TANGはまるで子供のように成長していきます。
このロボットは特殊なAIを持っており、そのため人の情緒を学習していくようです。
TANGは子供が親になつくように健に懐いていきます。
コーヒー好きな健のためになけなしの100円を持って買ってくるところは良い場面でした。
自分の子供もこういうようなエピソードありましたが、大好きな親のためにやってくれようとする気持ちが伝わってくるとギュッとしたくなりますよね。
子供からの愛を与えられることにより、親も子供に愛を与える。
このようなやり取りの中で子供の情緒は成長していきます。
TANGのように。
そして、子供と一緒に親も成長していきます。
自分のことですが、子供を持つまでは自分でもあまり子供好きではないと思っていました。
しかし、子供が成長していく過程のなかで、自分にも親としての自覚と愛情がどんどん深まっていくのですね。
不思議なものです。
同じように健にも変化が訪れます。
子供のようだった彼は、TANGと一緒にいる中で、このロボットに愛しさを感じるようになります。
何事からも逃げてきた彼は、さらわれたTANGを救うために自ら行動を起こします。
彼はTANGによって、親として、大人としての自覚が目覚め、成長していくのです。
成長した彼は、ようやく過去と折り合いをつけ、そして妻との関係にも向かい合う勇気ができました。
親は子供によって育てられる、と言いますが、まさにその通りですね。

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