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2022年6月23日 (木)

「峠 最後のサムライ」古臭い価値観

母親が時代劇が好きで、子供の頃からよく見ていたせいか、このジャンルのものは嫌いじゃない。
特に幕末期は時代が変わろうとする時であり、さまざまなドラマのある作品が作られてきていて、魅力的であると思う。
古来より続く日本人的な価値観、進歩的で自由な価値観、どちらが正しいということではなく、その両方が今の日本人のベースになっているようにも感じる。
だから幕末期は倒幕派、佐幕派のどちらの立場に立っても共感できるドラマを感じることができる。
本作の主人公河井継之助は幕府譜代の長岡藩の家老である。
彼は戊辰戦争において新政府軍と戦い、結果敗れ、その時に負った怪我のために死ぬ。
義のために戦い死ぬ、というサムライらしい生き様をした人物として描かれている。
が、私が映画で描かれているこの人物を見たときに感じた印象は「古くさい」であった。
映画そのものもオーソドックスな時代劇であり、別段何か優れているものがあったという感じがなかったということもひとつかもしれないが、この主人公にあまり共感することがなかったのだ。
個人的には昔気質の日本人にある、義に生きるという価値観は嫌いじゃない。
そのようなドラマを見て、グッとくることも多々ある。
しかし、本作についてはそうは思わなかったのだ。
まず、彼は最初は迫ってくる新政府軍を前にし、長岡藩はスイスのような中立的な立場をとるという判断をする。
しかし、天下がひっくり返ろうとしている時に、そのようなことを新政府軍が認めるわけがない。
継之助は西洋の制度にも明るく新しいことを取り入れる人物のようだが、あまり状況が読みきれていないようにも思える。
政府軍との交渉はうまくいかず、結果的に長岡藩は新政府軍と戦闘に入る。
その時も継之助は可愛がっていた宿の娘に「勝てはしないが負けもしない」と言うが、結果敗退をしてしまう。
長岡軍は会津へ向かい、長岡は西軍に蹂躙される。
継之助は理想を持ち、義を大事として、戦うものの、先読みができているとは言えず、そのため藩民は苦難を味わう。
本人はいいかもしれない。
理想を追い、正義を貫き、死ぬのだから。
本望かもしれない。
しかし、それについていった者たちは・・・。
ある意味、自分勝手といってもいいだろう。
夫(もしくは上司)は我を通して、妻(部下)は黙ってそれに付き従う。
あまりに古臭い価値観で辟易としてしまったのが、正直なところ。
見にいった劇場の観客の方々もかなり高齢者の方が多く、見終わった時にそこに納得してしまったりもしたものである。

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2022年6月15日 (水)

「機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島」アムロの兵士としての成長

ファーストガンダムの中でも異色のエピソードである第15話
「ククルス・ドアンの島」。
「作画崩壊」とネタにされることも多い回ですが、戦争を描いたエピソードとして印象が強いです。
ファーストガンダムは前半はアムロの少年から戦士への成長を、後半はさらにニュータイプへの覚醒を描いているのがストーリーの本筋ですが、その大きな流れの中で挟み込まれている1話完結の回で、戦争を間近な視点で描いている特異なエピソードがいくつかあります。
第13話「再会、母よ…」では戦争の渦中に突然放り込まれ戦士として成長せざるを得なかったアムロに対し、その外側に立ち彼を非難する母親カマリアを描くことにより、当事者と傍観者の超えにくい断絶を浮き彫りにして、戦争を表現します。
また第28話「太平洋、血に染めて」での戦下で戦争と折り合いをつけながら懸命に生きるミハルの悲劇は、一般市民視点での戦争の平等性(誰にも差別なく悲劇が起こりうる)の容赦なさを感じさせます。
この2話はアニメの中の戦争がフィクションとして描かれていることが多い中、リアルな手触りを持って描写されていて強い印象を残しました。
ちょうどウクライナでの戦争が展開されている中で、我々はニュースなどの報道を通じてそれを見ていますが、どうしても傍観者の視点になってしまいます。
第33話「コンスコン強襲」で、ジオンとホワイトベースの戦いを中継で見ている市民たちが描かれていますが、それと同じ視座です。
この話では同じようにガンダムの戦闘をテレビで見て狂喜するアムロの父、テム・レイも登場しますが、戦争を傍観者としている点でカマリアと同じです。
第13話、第28話はそのような傍観者としての視座ではなく、戦争が引き起こす出来事を市民の視点を入れて描くことにより、見ている者にリアルな手触りの戦争を感じさせます。
この映画の元となった第15話「ククルス・ドアンの島」もそのようなエピソードであったと思います。
タイトルに名前が出ているドアンはジオン軍の脱走兵であり、戦争孤児となった子供たちを隠れながら守り育てています。
彼はジオン軍の中でも実力がある戦士であり、使い古されたザクを駆り、子供たちを守るため訪れる連邦やジオンのモビルスーツを屠ってきました。
この辺りはテレビのエピソードと同様なのですが、映画は異なる点もいくつかあります。
映画は監督である安彦良和氏のオリジン版をベースにしているということで時間軸が異なります。
テレビ版ではドアンの島をアムロが訪れるのは地球降下後割とすぐですが、オリジン版ではジャブロー戦以降となっているとのこと。
これで何が違うかというと、おそらくアムロが兵士としてどの程度成長しているかということだと思います。
テレビ版ではまだ兵士としての自覚はあまりない状態(ブライトに張り倒される前ですので)ですが、おそらく映画ではジャブロー戦を経て、兵士として行動できるようになっているような気がします。
それが如実に出ていたのが、アムロがガンダムで生身のジオン兵を踏み潰してしまうシーンです。
これはかなりショッキングなシーンではありましたが、兵士としてのアムロとしては、あそこでジオン兵に発見され部隊に連絡されれば、子供たちが危機にさらされるため、手段を問わず、止めなくてはいけなかったのだと思われます。
兵士としてのアムロからすれば、子供たちの世話をするドアンの行動は奇妙にも感じられますが、まだ一般市民の頃の気持ちも持ち合わせている彼は、共感できるところもあったのだと思います。
心情的には兵士と市民の端境にいるのかもしれません。
テレビでも映画でもアムロはドアンに「あなたがまとっている戦争の匂いのせいだ」と言いますが、テレビの場合はまだ戦士にもなっていない少年の言葉としては少々背伸びしすぎているような印象もありました。
しかし映画では兵士として行動できるようになっているアムロですので、このセリフも言ってもおかしくないと感じました。
このアムロは巻き込まれて生きるために戦っているのではなく、兵士として自覚を持って戦争に向かい合っているからです。
そんな彼が、自覚が持って戦争を降りたドアンに対し、降りるのであればしっかり降りねばいけないというアドバイスを送ったのだと感じました。
本作で描かれる戦闘は小規模な局地戦であり、俯瞰した戦争というよりは人間の目線からの見上げる戦争のように感じます。
それは戦争の中にいる市民の目線である訳ですが、アムロはそこから意志を持って戦争というものに向き合っていこうとしているということを強く感じました。

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2022年6月12日 (日)

「ハケンアニメ!」それぞれのリーダーシップ

映画やアニメの制作は集団芸術です。
その制作のトップにあるのはディレクター(監督)になりますが、集団芸術ゆえの困難さがあります。
学生の頃、映画サークルにいた時、一、二度短編映画の監督をやってみたことがありますが、正直自分には向かないなと思いました。
映画作品を作り上げるにはとても強いリーダーシップが必要であることに気づきました。
加えて自分の中にイメージする力があり、そしてそれをスタッフに伝える力が必要です。
自分に対して自信がないと、多くの人を動かすことはできません。
強いリーダーシップには、時には強引さも必要ですが、また相手に対するリスペクトも必要です。
独りよがりでは誰もついてこなくなりますし、自信がなければそれもまた誰もついてきません。
必要なのは思いの強さです。
本作では同じ時間帯に放映されるアニメを作る二人の監督がそれぞれ描かれますが、性格が全く異なります。
一人は天才と呼ばれる王子監督。
誰にも認められる才能があり、その才能を信じてチームが集まってきています。
チームのメンバーは彼を信じ苦しくても苦しくても付いていこうとしますが、その分、出来上がりに関しての責任は彼が背負わなければなりません。
これは集団芸術と言いながらも、非常に孤独であり、大きなプレッシャーに潰されそうになるかと思います。
私も仕事でCM制作に関わっていますが、大勢のスタッフがいる中で異なることを言うのは非常に勇気があります。
考えに考え抜いて発言しますが、そのプレッシャーたるや・・・。
王子監督は強いリーダーシップがあるようには思えませんが、彼を信じサポートして彼の代わりにチームをまとめ上げるプロデューサーがいました。
彼女無くして王子監督は作品を作り上げることはできなかったでしょう。
王子監督に対抗する新人は佐藤監督です。
彼女の場合はスタッフに信用される実績はまだなく、まずスタッフに彼女のやりたいことを理解してもらう必要があります。
彼女はなぜスタッフが自分が思うとおりにやってくれないか悩みますが、それも道理です。
まず彼女に必要なのはスタッフへのリスペクトです。
しかし、スタッフの言うことばかり聞いていると、次第にそもそもやりたかったことのイメージから乖離していってしまいます。
その上で、彼女のやりたいことを丁寧に伝えて、共通のビジョンをチームで共有していく。
それが必要です。
王子監督にしても、佐藤監督にしてもやり方は違えどそれぞれのリーダーシップを発揮しています。
そしてリーダーシップには自分の思いの強さが必要です。
思いがないと挫けてしまう。
それを改めて確認させてもらいました。
「サウンドバック」は面白そうな作品だと思いました。
ちょっと見てみたいですねー。

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2022年6月 4日 (土)

「トップガン マーヴェリック 」前作へのリスペクト溢れる

社会現象ともなった「トップガン」から35年以上経っての続編の公開です。
当時私は高校生で、もちろん「トップガン」にはハマりました。
本物の戦闘機F-14トムキャットを使った空中戦のシーンにはまるでコクピットにいるかのような感覚になりましたし、ドラマ自体は複雑ではないので高校生的にも分かりやすいながらも、最高峰を目指すパイロットたちの戦いと友情に胸熱になったものでした。
自分のミスによる事故によって親友でありバディでもあるグースを失い、打ちひしがれる主人公マーヴェリックは、ライバルであるアイスマンや恋に落ちる女性教官チャーリーに支えられ立ち直ります。
今考えると非常に少年漫画のようなキャラ設定ではありますが、だからこそ分かりやすく皆に受け入れられたような気がします。
そのような非常に思い入れの強い作品の続編(特にすごく前の作品)は、自ずとそのハードルが上がっていきます。
また新解釈などにより、自分が好きであった部分が変わってしまうことへの心配などもあります。
しかし、本作では海外評もかなり絶賛であったので、ひとまず安心しておりました。
そして鑑賞してみると、前作へのリスペクトあふれ、そしてさらに映像表現は超えてくるものとなっておりました。
まず、オープニングで製作会社のタイトルが出るところで驚きがありました。
ドン・シンプソン&ジェリー・ブラッカイマーとなっています。
この二人は当時のプロデューサーですが、ドン・シンプソンは既に亡くなっているため、現在はジェリー・ブラッカイマーしか名前が出てきません。
しかし、本作に限って今回は当時のまま二人の名前が入っています。
そしてオープニングですが、夕方での空母での戦闘機の離着陸シーンから始まります。
BGMはもちろん「Danger Zone」。
戦闘機はF-14からF/A-18となっているものの、アングルなども当時と同じようなところを狙っていて、見ていると一気に「トップガン」の世界に戻っていきます。
このオープニングによって、今回の製作陣が前作に対して非常にリスペクトを持っていることを感じさせてくれました。
前作へのオマージュを感じるシーンは他にもいくつもありました。
トムがカワサキのバイクで疾走するシーン、ビーチで戦闘機乗りたちがアメフトをするシーン(旧作はビーチバレーでしたが)、バーで海兵たちが歌を歌うシーンなど。
特にバーで海兵たちが歌うシーンは印象的でした。
前作ではマーヴェリックの相棒であったグースがピアノを弾きながら歌う曲を今回は、その息子であるルースターが同じように歌っているのです。
そのシーンに前作のシーンがフラッシュバックのように重なります。
その時のマーヴェリックが感じている気持ちを見ている我々も同じように感じることができるシーンでした。
前作と同じようなシーンが重なると、ただなぞっているだけにも見えかねません。
しかし本作はマーヴェリックが過ごしてきた年月を感じることができます。
それがマーヴェリックとルースターの関係性です。
マーヴェリックは父親を奪ってしまったという負い目を感じ、ルースターを危険からなるべく遠ざけようとしてきました。
しかし、それはルースターが望むことではなく、それにより彼らの関係はギクシャクしたものとなっていました。
それはまさに疑似的な親子関係のようなものであり、本作は父が息子を認め、息子も父に対して改めてリスペクトを持つという、関係性修復の物語でありました。
それは前作にはない要素で、ただなぞっているわけではないという点です。
この二人の関係性は前作を見ている者からすれば非常に納得できるもので、新たな要素でありながらも心から受け入れられ、共感できるものでありました。
当時見ていた我々の多くが親になっているからかもしれません。
35年経っての新作ということへの納得性がある素晴らしいストーリーであったと思います。

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