「ホリック xxxHOLiC」胎内からの旅立ち
原作の「xxxHOLiC」は全く未見ですが、絵柄は印象的で記憶がありました。
アニメ的な絵柄なイメージだったので、蜷川実花監督が撮ると聞いて意外な感じがしましたが、映画の印象はまさに監督らしい絵作りになっていました。
原作未読ですので、原作との違いは語れませんので、本作を見ての印象を書きたいと思います。
蜷川監督の作品なので、色彩的にも毒々しいと言えるほどに鮮やかで、画面を埋め尽くすほどのモノの密度があります。
これは彼女のスタイルなので、これを受け入れるかどうかは好みになりますね。
個人的にはちょっと苦手ですが。
さて内容についてです。
ちょうど昨日ニュースで最近の日本の若者は自己肯定感が少ないという話が紹介されていました。
「自分なんかが何かできるわけがない」
そう思う子供が多くなっているとのことです。
それは自分で決めることを幼い頃からさせていなかったからということらしいのですが、そのことが本作にも通じているように思いました。
主人公四月一日君尋は人の闇に取り付くアヤカシが見れることにより通常の人と同じような生活ができず、自分の先のことも考えられずに生きてきました。
しかし、あるとき侑子という人の望みを叶えることができるという女性と出会い、彼女の元で暮らすようになります。
四月一日の姿はまさにニュースで紹介されていた自己肯定感の少ない若者と重なりました。
自分で決められない、あきらめて逃げてしまう、結果自分自身も大切にすることができない。
また四月一日は幼い頃に自分のせいで母親を死なせてしまったと感じています。
それも彼の無気力さの一因になっているようです。
侑子は彼と暮らしながら、彼が自分を大切にし、自分の進むべき道を決めていけるように導いているように思いました。
四月一日は友と呼べる存在を得て、初めて大切なものを手に入れました。
彼がはまってしまったループの1日はその大切なものが全て詰まった1日です。
そこでは何も考えないまま、心地の良い日が繰り返されていきます。
登場人物であるアカグモが言ったようにまさに母親の胎内のように心地の良い日々。
そしてそこから出ようとする四月一日を導くのはやはり侑子でした。
彼女は四月一日の母親的な役割を果たしていたのでしょう。
もしかすると彼の母親の思いが現れた存在なのかもしれません。
心地よい胎内の外には、シビアな現実が待っている。
けれどそこで人は自分で決めて歩んでいかなければならない。
ずっと閉じこもっていた四月一日を侑子は導いたのです。
侑子の存在も現実であったか、それとも幻想であったか。
どこが現実でどこが幻想かわからない物語。
現実感のない蜷川実花監督の映像は合っていたのかもしれません。
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