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2022年4月29日 (金)

「カモン カモン」 子供と過ごす時間

自分の娘もあと少しで6歳になります。
初めての子供を育てながらちょっと驚いているのは、子供とは大人が考えているほど子供ではないということ。
「子供騙し」という言葉がありますが、それは子供というものがわかっていないような気もします。
大人が思っている以上に子供は、色々なことがきちんとわかっていると感じています。
自分の周りにある物理的環境のこと、人間関係のこと、哲学的なことについて感じているし、考えてもいます。
ちょっと大人とは違うかもしれないけれど、考えています。
ですので、私は娘と接するときは一人の人間として扱おうと思っています。
「親の言うことを聞きなさい!」と言うのではなく、道理を説いてわかってもらうようにしています。
あと遊ぶ時も、一緒に一所懸命遊ぶようにもしています。
主人公ジョニーも甥っ子のジェシーの面倒を身始めた時に、同じような驚きを感じたのではないでしょうか。
人間同士なのでぶつかりもする。
逆に気を使いすぎたりもする。
大人だから、子供だからという区別ではなく、同じ人間として接したい。
自分も完璧ではないので、色々イライラすることがあった時に、子供へも厳しく言ったりすることもあります。
そういうときは、後で落ち込んだりするのですが、謝るようにはしています。
子供も子供なりに自分の周囲での人間関係で嫌な気分になったりすることもあるようです。
そんなときはなるべく聞いてあげれるようにしたい、と思います。
ジョニーがふと目を離した隙にジェシーがいなくなってしまう場面がありました。
私も同じような経験がありました。
子供はかくれんぼの気分でやったようなのですが、その時の不安というか、恐怖は忘れられません。
そのときはひどく怒ってしまったので、もう娘もそんなことはしなくなりましたが。
私は子供を得たのがかなり歳を食ってからなので、本当にこの子が大人になって結婚して子供を産むまで生きていられるのかしら、と思うことがあります。
ですので、なるべく一緒にいる時間を大切にしたいと考えています。
終盤でジョニーが、一緒に過ごした時間のことをジェシーはいつかは忘れてしまうんだね、と言った時、ジェシーがひどく悲しそうだったという話が出てきます。
私も娘と楽しく暮らしていますが、時々こういう楽しい時間は大きくなったら忘れちゃうんだろうな、と思う時もあります。
ちょっと悲しい気分になります。
ジェシーが「僕は忘れちゃうの?」と聞いたら、ジョニーは「僕が思い出させてあげるよ」と答えました。
とてもいいな、と思いました。
娘も忘れちゃうかもしれない。
でも「こんなことがあったよ」と大人になった時に話せるといいなと思いました。
私は映画を見るとき、どういうふうに解釈すべきかと考えながら見る癖があります。
本作もそのように見ていたのですが、途中からそんなことはしなくなりました。
ジョニーが一時的とは言いながらも子育てに奮闘する様を見ていて、そして彼の価値観が自分にすごく近くて、自分を投影しているかのように感じました。
もはや解釈するのではなく、感じながら見ていました。

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