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2022年4月30日 (土)

「ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密」主人公の存在感薄くないですか・・・?

この「魔法ワールド」シリーズの主人公はニュート・スキャマンダーのはずですが、回を追うごとに存在感が薄くなってきているような・・・。
タイトルにあるようにダンブルドアとグリンデルワルドの存在感が圧倒的です。
グリンデルワルドを前作まで演じていたのはジョニー・デップでしたが、諸事情により本作からはマッツ・ミケルセンに変更となりました。
見た目の印象が全く違うので戸惑うところはありますが、本作で描かれた過去のダンブルドアとの関係性を踏まえるとミケルセンの方がマッチしているようにも感じました。
ジョニー・デップはちょっと軽そうな印象もあるので、ダンブルドアが惚れるかしら?という感じも受けますので。
本作はどうしてもグリンデルワルドの野望に対するダンブルドアという構図になっているので、ニュートを始め前作までの主要メンバーの描き方が薄くなっているように思います。
前作の最後でクイニーがグリンデルワルド側についたことによる、ニュートやジェイコブたちとの葛藤がもう少し描かれると良かったような気がしますが、割とあっさりとだったので物足りない感じがしました。
クリーデンスのバックグラウンドの話も突然明らかになりましたが、ちょっと唐突な感じはありました。
彼はこのまま退場してしまうのか、この後の物語に何かしら絡んでいくのかまだわかりませんね。
このシリーズは5部作予定ということですが、なんとなく完結してしまうような終わり方にも感じられました。
グリンデルワルドは死んではないようなので、また何かしらの企みをするのかもしれませんが。
クリーデンス役のエズラ・ミラーが逮捕されたり、ジョニー・デップの件があったり、また脚本のローリング自身も色々物議を醸しているようなこともあり、なかなか前途多難なシリーズです。
無事に終わることができるのでしょうか。

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2022年4月29日 (金)

「カモン カモン」 子供と過ごす時間

自分の娘もあと少しで6歳になります。
初めての子供を育てながらちょっと驚いているのは、子供とは大人が考えているほど子供ではないということ。
「子供騙し」という言葉がありますが、それは子供というものがわかっていないような気もします。
大人が思っている以上に子供は、色々なことがきちんとわかっていると感じています。
自分の周りにある物理的環境のこと、人間関係のこと、哲学的なことについて感じているし、考えてもいます。
ちょっと大人とは違うかもしれないけれど、考えています。
ですので、私は娘と接するときは一人の人間として扱おうと思っています。
「親の言うことを聞きなさい!」と言うのではなく、道理を説いてわかってもらうようにしています。
あと遊ぶ時も、一緒に一所懸命遊ぶようにもしています。
主人公ジョニーも甥っ子のジェシーの面倒を身始めた時に、同じような驚きを感じたのではないでしょうか。
人間同士なのでぶつかりもする。
逆に気を使いすぎたりもする。
大人だから、子供だからという区別ではなく、同じ人間として接したい。
自分も完璧ではないので、色々イライラすることがあった時に、子供へも厳しく言ったりすることもあります。
そういうときは、後で落ち込んだりするのですが、謝るようにはしています。
子供も子供なりに自分の周囲での人間関係で嫌な気分になったりすることもあるようです。
そんなときはなるべく聞いてあげれるようにしたい、と思います。
ジョニーがふと目を離した隙にジェシーがいなくなってしまう場面がありました。
私も同じような経験がありました。
子供はかくれんぼの気分でやったようなのですが、その時の不安というか、恐怖は忘れられません。
そのときはひどく怒ってしまったので、もう娘もそんなことはしなくなりましたが。
私は子供を得たのがかなり歳を食ってからなので、本当にこの子が大人になって結婚して子供を産むまで生きていられるのかしら、と思うことがあります。
ですので、なるべく一緒にいる時間を大切にしたいと考えています。
終盤でジョニーが、一緒に過ごした時間のことをジェシーはいつかは忘れてしまうんだね、と言った時、ジェシーがひどく悲しそうだったという話が出てきます。
私も娘と楽しく暮らしていますが、時々こういう楽しい時間は大きくなったら忘れちゃうんだろうな、と思う時もあります。
ちょっと悲しい気分になります。
ジェシーが「僕は忘れちゃうの?」と聞いたら、ジョニーは「僕が思い出させてあげるよ」と答えました。
とてもいいな、と思いました。
娘も忘れちゃうかもしれない。
でも「こんなことがあったよ」と大人になった時に話せるといいなと思いました。
私は映画を見るとき、どういうふうに解釈すべきかと考えながら見る癖があります。
本作もそのように見ていたのですが、途中からそんなことはしなくなりました。
ジョニーが一時的とは言いながらも子育てに奮闘する様を見ていて、そして彼の価値観が自分にすごく近くて、自分を投影しているかのように感じました。
もはや解釈するのではなく、感じながら見ていました。

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2022年4月 3日 (日)

「モービウス」SSUは食い足りない

コミックでスパイダーマンに対するヴィランとして有名なモービウスを主人公に据えた作品です。
「ヴェノム」などと同じくSSU(ソニーズ・スパイダーマン・ユニバース)に属する作品となります。
みなさんもご存知のようにSSUとMCUはスパイダーマンをハブとして世界観の共有がなされています。
予告でも「スパイダーマン ホームカミング」のヴィランであるヴァルチャーが登場していて、マルチバースがどのように展開されるか話題になっていました。
まず、作品の内容ですが、非常にシンプルな内容でMCUやSSUを見ていない方にはわかりやすいかと思います。
逆に言えば、MCUにどっぷり浸かっている自分としては物足りない。
最近のMCUはいずれの作品も内容がトリッキーなところがありますし、また別の作品とのリンクなども見所だったりするので、見応えがあります(一見さんにはしんどくなっているかと思います)。
また最近のDCはユニバースはあまり気にせず、キャラクターを深堀することにより、内容の濃い作品を作っていると思います(「ジョーカー」や「ザ・バットマン」など)。
それらに比べると「ヴェノム」も「モービウス」もSSUの作品群は食べ応えがない印象です。
この手のヒーロー映画を見ていると、結末まで十分に想像できる内容でしたし(ジャレッド・レトの演技は良かったとは思います)。
アクションシーンは評価高い意見も聞きますが、私は暗くて早いので、あまり様子がわからず少しフラストレーションがありました(「ヴェノム」もそういう印象)。
<ここからネタバレあり>
予告で話題になっていたMCUとのリンクに関してです。
ヴァルチャーが「博士云々・・・」と言っていたカット、そしてモービウスが逃亡している背景にMURDERER(殺人者)と書かれたスパイダーマンのポスターが貼ってあったという点については本編にはありませんでした。
これはちょっと不誠実な感じを受けました。
予告である場面が本編にはないということは他の作品でもありますが、「モービウス」に関しては観客が興味を持つ部分を予告に入れておいて、それが本編にはないというのはちょっとどうかと思います。
ヴァルチャーは今回の作品でも大きく関わるかと思いますが、ミッドクレジットまで登場せず、ほぼおまけの扱いです。
ミッドクレジットでは「スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム」にリンクするようなシーンがありますが、これもちょっと説明不足。
ヴァルチャーはMCUに属するキャラクターですが、どうもNWHのマルチバースのゴタゴタで、逆にSSUの世界に飛ばされてきた様子。
NWHにおいて世界を越えるキャラクターは一定の法則がありましたが、ヴァルチャーに関しては何の説明もありません(色々考察することはできますが)。
思えば「ヴェノム」に関しても作品中ではMCUとのリンクに論理的な説明はありませんでした。
どうもSSUはMCUに比べて世界の構築に関して、荒っぽい印象があります。
MCUのケビン・ファイギもチェックはしているかと思いますが、この辺りの距離感はマーベル・テレビジョンのMCU作品群と同じようなものを感じます。
破綻しないように祈ります。

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2022年4月 1日 (金)

「ベルファスト」あの頃の分断

ケネス・ブラナーの半自伝的作品で、描かれているのは1960年代の北アイルランド、ベルファスト。
あまり日本人には馴染みはないかも知れないですが、北アイルランドは複雑な土地柄です。
16世紀のヨーロッパ宗教改革の時に、イングランドはローマ・カトリックから離反して、プロテスタントに改宗しました。
アイルランドは元々カトリックですが、そこへプロテスタントのイングランドが進出してきたのです。
その後、アイルランドは併合されイギリス(大ブリテン王国)の一部になりました。
イギリスは一つの国家のように思ってしまいがちですが、イングランド、ウェールズ、スコットランドの連合国です。
いったん併合されましたが、その後アイルランドは独立します。
しかしその時北部の州の一部(北アイルランド)はイギリス人残留します。
北アイルランドはアイルランドに合流すべきという考えの人々とイギリスに留まるべきと考える人々の間で対立が生まれ(ブレグジットのようです)、内戦のような状態になります。
私が10代の頃は度々ベルファストでテロが起こったなどのニュースを聞いた記憶があり、ちょっと怖い場所というイメージがありました。
本作で描かれているのは、そのような社会の中で対立が生まれている時代です。
とはいえ、元々市井の人々はカトリックもプロテスタントも、ナショナリスト(アイルランドと一緒に一つの国となるべきと考える人)もユニオニスト(イギリスに留まるべきと考える人)も一緒に隣人として暮らしていたわけです。
本作の主人公である少年バディ(家はプロテスタント)が恋する少女の家はカトリックです。
しかし社会は急速にカトリックVSプロテスタントもしくはナショナリストVSユニオニストという対立の構造が顕在化して、人々にもどちら側かということを決めるべきという圧力がかかります。
まさに「分断」であり、今の世界が直面している課題でもあります。
ケネス・ブラナーが今この作品を作ろうと思い立ったのも今の時勢を考えてのことかもしれません。
本当に普通の人々は対立したいなど望んでいなかったのに、急速に社会が分断され、居場所がなくなってしまう。
誰にとっても不幸なことです。
多様性の重要性が語られるようになってきていますが、それに反するように分断も激しくなってきているようにも思います。

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