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2022年3月13日 (日)

「ナイル殺人事件」人間としてのポアロ

2017年の「オリエント急行殺人事件」に続く、ケネス・ブラナー監督主演のポアロシリーズの第二作です。
前作でも最後にこの後ポアロはエジプトに行くと言われており、第二作目の示唆はありましたね。
アガサ・クリスティのミステリーには学生時代にハマり、長編・中編の作品はほぼ全部を読んだと思います。
ミス・マープルよりはポアロのシリーズの方が好みではありましたので、前作についても見に行きました。
ケネスのポアロはとてもしっくりとしたので、ぜひ続編でも見てみたいと思っていました。
原作の「ナイルに死す」は読んだのが随分前なので、あまり覚えていません。
「オリエント急行の殺人」はミステリー史に大きなインパクトを残すトリックがあったので、非常に強く印象付けられていましたが、「ナイルに死す」は典型的なアガサ・クリスティの作品であったという印象くらいですね。
ですので、割とフラットに鑑賞に臨むことができました。
意外だったのは、最初のオープニングです。
第一次世界大戦に従軍していた時のポアロが描かれます。
ポアロについては小説でも第一次世界大戦の頃は従軍していたこと、その後ベルギーで警察官を務めていたことは経歴として語られることはありましたが、当時の様子が描かれたことはなかったと思います。
ですので、少々驚きました。
あえて原作にないシーンを入れてきたわけですので、意図があると考えられます。
若きポアロはその頃より深い観察力と洞察力を持っており、それによって劣勢であった自軍が戦線を突破する術を見出します。
しかし、最後の最後で彼がひとつ見逃していたことにより、上官は死亡し、自身も大きな怪我を負います。
そんな彼を恋人が戦地の病院まで見舞いにきますが、その帰り道で彼女の乗っていた列車が攻撃され、彼女は命を失ってしまいます。
これらのエピソードが何を意味しているか。
アガサ・クリスティの作品における探偵は事件の登場人物とは一歩離れた位置をとっていることが多いです。
ミス・マープルは安楽椅子探偵ですので、人から聞いた情報だけで真犯人を見つけます。
ポアロは現場にはいますが、彼らとは距離を置いた位置におり、あくまで客観的に彼らを観察します。
彼は観察者ですので、彼の心情が深く描かれることはあまりありません。
しかし、本作では事件に巻き込まれ、真犯人を追うポアロはしばしば感情的に、執拗に尋問を行います。
これが小説のポアロとはちょっと違う点です。
よくよく考えると最近のミステリーは探偵そのものを深く描くことが多くなりました。
例えばベネディクト・カンバーバッチがシャーロック・ホームズを演じた「シャーロック」。
コナン・ドイルの原作は探偵ものの原点なので、クリスティのポアロと同様にホームズ自体はいつも客観的な立場をとっています。
しかし「シャーロック」ではまさに物語の中心にホームズがおり、彼を中心にストーリーが進行していきます。
ミステリーにおいて探偵のキャラクターを深く描くというのはトレンドなのかもしれません。
本作のポアロは「シャーロック」のホームズまでとは言いませんが、原作に比べてキャラクターが描かれていると思います。
冒頭の過去の話が語られたのは、ポアロが自分の灰色の脳細胞を極限まで活用しないと、そのことにより後悔をするかもしれないという彼の思いを表すため。
また人は愛のために何でもするという真理は、彼が愛するものを失ってしまったことによる悲しみを心の奥底に持っているから、彼は理解できる。
だからこそ彼はなりふり構わず、事件に挑み、真犯人を見つけ、犠牲者を増やさないようにしようとしたのでしょう。
ケネス・ブラナーのポアロは第3作も企画されているとのこと。
次回作でさらにポアロのキャラクターの深堀がされていくのでしょうか。

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