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2022年3月18日 (金)

「THE BATMAN-ザ・バットマン-」アイデンティティの揺らぎ

3時間近くの上映時間にビビりつつも「バットマン」の新作に行ってきました。
監督は「猿の惑星」でも知られるマット・リーヴス。
「バットマン」はティム・バートン版、クリストファー・ノーラン版と名作を生み出してきたので(駄作もあったが)、今回も期待度が高まります。
「バットマン」は幼い頃に両親を殺されたブルース・ウェインがそのトラウマを抱えつつ成長し、ゴッサムシティの悪を自らの手で裁いていく執行者バットマンとなるという基本設定は共有しつつも、それぞれのクリエイターが独自の解釈をし、新たな物語を生んでいます。
ブルースは(クラーク・ケントなどと比べると)非常に複雑な人物なので、キャラクターの堀りがいがあるのかもしれません。
MCUという「正史」があるマーベルでは基本的には様々なキャラクターの解釈はありませんが(マルチバースが導入されていくとそうでもなくなっていくかもしれない)、最近のDCはキャラクター毎の掘り下げをしていき、それぞれのトーンを生み出しているということで、これはまた正しいアプローチのように思います。
<ここからネタバレあり>
さて、本作でバットマンに対するヴィランとなるのはリドラー。
「フォーエバー」のリドラーはイカれたピエロのような感じでしたが、本作のリドラーは非常に怖い。
彼が事件の後に残していく謎は次第次第にバットマンを追い込んでいきます。
本作でも劇中でバットマンは自身のことを「復讐者」と言います。
これは両親を犯罪者に殺され孤児となったブルースが、悪に対抗する正義の存在である、という自らのアイデンティティを表現した言葉だと思います。
しかしリドラーはそもそもブルースが敬愛する父親は善であったのか、という問いを突きつけるのです。
もし悪事に手を染めていたのであれば、何かしらの事情で粛清されたのであれば、因果応報ではないか。
ブルースが立脚する正義の立場が揺らぎます。
そしてまた、リドラーや彼の支持者たちも、ゴッサムシティの悪による犠牲者であることが明らかになります。
同じく親を殺されていても、ブルースには財産があり、難なく生きていくことができた。
しかしリドラーたちは生きていくこともままならない。
彼らの憎しみはバットマンにも向かいます。
なぜ、自分達だけがこのように苦しまなければいけないのかと。
彼らの境遇を知ったブルースは、また自分の立脚点が揺らいだように思ったかもしれません。
「復讐者」という立脚点は、両親を殺された孤児が悪に鉄槌を下すことを正当化するもの。
しかし、もっと不幸な境遇になったリドラーが犯罪者を成敗していくことをバットマンは責めることができるのか。
ブルース=バットマンは自らのアイデンティティの立脚点である「正義」「復讐」というものが揺らいでいくという感覚になったのではないでしょうか。
またブルースが出会ったセリーナもまた母親を失った復讐を実の父親へ行おうとしています。
彼女はまさに復讐を達成するために父親を殺そうとするのですが、ブルースは殺してはいけないと言います。
これもある種の綺麗事を述べているようにも聞こえます。
底辺で暮らしてきた者にとってはそんな綺麗事を言っている余裕はないと。
ブルースが直面したアイデンティティの揺らぎ。
自身は何のために戦っているのか。
正義のため?
自身の父親も邪魔な人間を始末するよう依頼をしていた。
復習のため?
リドラーたちも復讐をおこなっているが、それを責められるのか。
なぜ自分は戦うのか。
ラストの場面で彼は洪水に飲まそうになるゴッサムシティの市民たちを守るために戦い、そして傷ついた人々を救助していきます。
救助隊のように人々を救っていく姿のバットマンはあまり見たことがありません。
しかし、その中でブルースは自分が戦う理由を初めて見出したような気もします。
復讐のためではなく、人々を救うために戦うのだと。
ブルース=バットマンが新たなアイデンティティを獲得したように感じました。

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